経 濟 政 策 の 基 調
大泉行雄
一︑問題の所在
i縄濟政策の某調に横にろ二問題
韓11本論丈の範園
二︑科學と政策
i大西猪之介教授の観
帥11叛西由藏氏の研論
轍異説の若干と批評
坪疑問の提出
三︑左右田博士の﹁縄濟政策の臨趣﹂
i経濟生活と先天的留昌⑦昌
"11先天的ωo昌Φ冨の性質
纒濟政策の基調八五
商學討究第三巻(上)
田経濟政策の究極黙 八六
四︑左右田博士観への一考察
i政策は全盟な想定す
"11内容的制約の問題
撤政策の相劉性
五︑政策に於ける統一的脈理
i坂四氏所読の再考
"11経濟肚會の進化
⁝m統一的脈理
舷に﹁経濟政策の基調﹂なる極めて廣汎なる課題を掲ぐることに依つて︑筆者がそれに含まるベ
ヘへリへき問題の全領域を討究解明するものと解きれてはなら顧︒何故なれば︑斯くの如き廣さと深さとに
於て異常の研鐙と思索とを要求せらる\研究封象に就て︑十全を期せんとする乙とは︑現在の筆者
の能力を遙かに超絶したる業たると共に︑それは筆者の︑向後永き研究封象として存在すべきもの
だからである︒從つて此の一論に於ては︑問題は自ら或る限定を加へられねばなら滋︒
凡そ経濟政策の基調を究明せんとするに當う︑吾等は先づ根底に於て︑二佃の考ふべき問題の登
生するを認め之が解決を企てねばなら滋︒其の一は︑経濟政策が他の汎ゆる政策と相並んで政策と
繕せらる\限6︑政策その竜のの本質如何てふ疑問に逢着せざるを得ざること是である︒即ち各種
の政策は︑それが施さる\劃象及びそれが目標とする理想の差異に依つて︑縄濟政策︑肚會政策︑
政治政策その他各般の政策領域を分化せしむるけれども︑何れも政策なる限う︑そこに政策として
の共通観念が存在しなければならない︒此の政策とは何ぞやとの本質研究が︑如何なる政策に於て
も先づ試みられなければなら澱第一行程と思はれる︒其の二は︑上述する所よう進んで︑特に経濟
政策と特定せらる㌧時︑夫れは経濟なる概念に依つて制約を被る之と\なる︒從つて︑縄濟政策の
墓調を明かならしめんには︑縄濟生活︑経濟行駕︑縄濟組織と言ふが如き︑究極に於て経濟とは何
ぞやの問題を明自ならしむることが必要となつて來る︒
斯くて︑一方に政策一般の意義が明白になり︑他方に経濟の意義が定立せらる\時︑自ら其庭に
経濟政策の根本的意義即ち縄濟政策の基調が閲明せらる\こと\なるのである︒而も蝕に我等が目
して問題の第二となしたる︑経濟なる概念その竜の︑本質を明かならしむる乙とは︑濁う縄濟政策
脛濟政策の基調八七
商學討究第三巻(上)八八
の基調論に於て重要なるのみならず︑否それよう竜蓬かに高き度に於て︑経濟學に於ける基本問題
である︒経濟學者は自家の経濟論を披渥するに當り︑必ずや先づ純濟なる概念の説明に其の筆を起
さざるはない︒経濟政策は︑此の如くにして経濟學が明かならしむる所の或は明かならしめん
とする所のi経濟概念を探つて以て其の基調の一石だらしめんと欲するものである︒故に︑経濟
理論が経濟なる概念に就て︑正鵠なる解繹を提供し居る限う︑我等は聯かの躊躇と因循とを持つこ
となく︑直ちに之を基底として経濟政策の基調の建設を試むることが可能となるの理である︒然れ
ど竜︑今日経濟とは何ぞやの根本問題に劉して未だ一般的に正當親せらる\観念の存在することを
聞き得ない︒惟ふに之は︑向後︑⁝幾多の論議と槍討とを侯つて樹立せしめらるべき至難なる問題の
一つであらう︒斯く一般的に準篠すべき経濟概念の存在せざることが︑経濟政策理論に於ても常に
先づ経濟概念の槍討が試懐るべき論議の一つを形造る所以である︒
然乍︑此の小論に於ては︑寧ろ経濟純理が第一線に立つて鯛れねばなら諏﹁纒濟とは何ぞや﹂の
諜題に就て關説せんとはしない︒此の黙に筆・者は問題の限定を有する竜のである︒我等は今︑例へ
ばマーシヤルに於ける経濟概念の如きを前提とし︑之を讃者に豫定することによつて論を進め行く
であらう︒從つて︑我等が蝕に主として論究を企てんとするは︑我等が所謂問題の第一である︒再
言すれば︑経濟政策が政策なる限ウ︑其の基礎的観念を成す政策一般の意義を考察せんとすること
是である︒從つて︑経濟政策の基調なる課題に向つての︑全面的研究とはなう得ない恨を有つけれ
ども︑筍くも経濟政策を考ふる人々の必ずや一度は顧みなければなら楓行程であると信ずる筆者
は︑経濟政策論の前奏として考究すべき償値ありとなす竜のである︒
==
猫う経濟政策に限らず︑汎ゆる政策一般を通して其の本質を考察せんとする時︑先づ提出せらる
㌧問題は科學と政策との封立之である︒學者は屡々之を論じて︑二者全く其の孕面を異にすべき竜
の︑從つて之を峻別せざるべからずとなす︒我等は其の適例を大西猪之介氏の﹁囚はれπる経濟學﹂
前篇に見出す(大西猪之介全集︑第一恕に牧録さる)︒故大西敷授が自ら滑極的研究と銘したる﹁囚
はれπる経濟學﹂前篇は︑古今の経濟學説を捕へて説き來う説き去b︑而も批制の高庭よう夫れが
囚はれ穴る所以を明かならしめんと企てられだるものである︒それは先づ希臓︑羅馬の概観より中
世手工業時代を一瞥し︑宗敷革命を経て経濟學の生誕に至り︑正統學派の批剣より轄じて肚會主義
を評し︑最後に歴史學派の槍討に及んで止む︒少しく故人がシユ毛ラーを評しπ口吻を借るれば︑
経濟政策の基調八九
︑ 商學討究第三巻(上)罵九〇
古今の経濟學説を紹介批判して筆端陸離︑宴に興味の津々として鑑きざるものあるを畳ゆると言へ
やう︒敷授の筆端一たび歴史學派の批制に移る時︑凡そ二個の立揚よう之が筆詠を加へられる︒一
は歴史學派が歴史偏重の除う歴史に囚はれπうてふ事實︑二は之に竜優つて重大なる科學と政策と
の混清即ち之である︒鼓に於て我等は︑科學と政策に封する敷授の極めて峻嚴なる綴別を認め得る
のである︒謂へらく︑
必ずし竜経濟政策と限らず︑あらゆる政策は皆此の現實よう出登して︑後の理想に向つて架せら
れたる橋梁なう︒科學は一定の目的を達するに︑如何なる手段を採るべきかを決定し得れども︑人
の肚會生活の理想相分る\に當う︑其の何れを取う︑何れを捨つべきかを決定するの能力を有たず︒
一定の理想を抱くは之を慣値あうと認むるがカめなるも︑何を慣値あうと認むるかは︑智識の問題
にあらずして信仰の問題︑客槻的事實に非ずして主槻的判断なればなう︒換言すれば︑主観的債値
制断は科學の問題にはあらず︒人の抱く理想とは彼が至上の債値を認むる劃象を言ふo而して如何
なる樹象に幾許の償値を置くかは︑世に竜稀に個別的なる各人の人生観︑世界観に基くものなb︒
されば一切の理想は主槻的力るべく︑叉主観的πる外ある可からず︒
科學は賞罰を下す権能なく︑一定の行動を命ずる能力なし︒﹁主張せず︑提案せず唯説明すしと言
ふ︑是その本分なり︒若し輕濟政策てふ︑一科の學を設けんと欲せば︑其は只何故に或る團禮或る時
代は或る政策を奉じ︑他の時代他の團禮は叉他の政策を信じπるか︑如何なる政策は如何なる結果
を齎しだるか︑又齎しつ\あるかといふ客観的疑問の解決を其の存在の理由となさぎる可からず︒
若し國民の一部に限らず︑將世界の一隅に偏せず︑萬民を通じて信奉せらる\永久不攣の理想な
るもの存在すべくんば︑之を目的として建設せられたる政策論は︑或は以て確乎不動なる學理とな
るを得ん︒然るに幸か不幸か吾人は未だ逼般政策論の前提力る普遍安當の理想を有し得ざるを奈何
せん云々と(大西猪之介全集︑第一零︑縄濟學認識論︒五七︑六一︑六三︑六四︑六入頁滲照)︒
科學の名に於て政策を云々する乙とを蛇隅親し︑科學に蹄すべからざる負憺を蹄せしむる乙とを
排撃する敷授の立揚は︑坂西由藏氏の名篇﹁経濟的文化登達の道程に於ける二傾向﹂に相通ふもの
あるを畳ゆる︒我等は後段坂西氏の所説に鰯る\機會を有するが故に︑舷に豫め其の要旨を伺ひ磐
かんと思ふ︒
﹁経濟生活の歴史的考察﹂なる一巻の首篇を形成する右の論文は︑坂西氏の學問的立場を最も端
的に表明する所の重大なる一篇である︒氏に從へば︑或る時代に於て一般的に要求せらる㌧思想は︑
其の特殊なる時代を前提としてのみ肯定せらるべきものてあつて︑之を永久不易なる思想と考ふべ
経濟政策の基調九一
商學討究第・三巻(上)九二
きではない︒學問的立場に立ちて見る時︑吾等は人類進化の永遠の理想なるものを定め得べき竜の
ではなく︑寧ろ文化登達の道程に劃して︑何等の理想を竜有し得ないものなのである︒されば學問
研究者としての吾等に問題となるは︑人類文化の螢達が如何なる方向に向つて進み來πりしか︑そ
の登達の道程上に如何なる傾向が現はれ居るやの黙であつて︑人類磯達の將來的境地如何は問題と
なり得ないのである︒人類文化螢達の極致は何であるかといふことは︑學問的認識の外に在うとの
断案が從つて下される︒然るに吾々は肚會上の問題に就き︑屡々現實を無親して︑先づ何等かの理
想を立て︑之に依つて見解を示さんとする者多きを見る︒去乍︑個人が各自に理想を立て以て立論
を試むることは極めて容易な事ではあるが︑又誤謬に陥る之とを少なしとせ澱︒経濟政策に於て殊
に其の弊の著るしきを見る︒されば吾人のなすべき所は︑現實的歴吏的研究に依つて人類肚會進化
の傾向を見出し︑此の自然的螢達の趨勢に追從すべき乙と之である︒総べて新らしき肚會並に思想
は︑現在の肚會並に思想よりのみ生れ出ずべき竜のであつて︑忽然として天上よう降下すべきも
のではない︒総べては絶えざる進化の連鎖に外ならないからである︒故に新らπなる肚會は理想に
よつて作う出さる\ものではない︒然らば文化登達の道程及び傾向は如何なるものなbや︒坂西氏
は之に就きて研究を進められて曰く︑経濟的文化の登達とは︑経濟生活上に於ける勢働集約の程度