• 検索結果がありません。

マルサス地代論の考察 ― 『地代論』と『原理』第 3章第1-4節を中心にして ―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マルサス地代論の考察 ― 『地代論』と『原理』第 3章第1-4節を中心にして ―"

Copied!
75
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

マルサス地代論の考察 ― 『地代論』と『原理』第 3章第1‑4節を中心にして ―

著者 横山 照樹

雑誌名 經濟學論叢

巻 56

号 4

ページ 1‑74

発行年 2005‑02‑28

権利 同志社大学経済学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004802

(2)

【論 説】

マルサス地代論の考察

―『地代論』と『原理』第

3 章第 1−4 節を中心にして―

横 山 照 樹

は じ め に

リカードウは

1817 年に『経済学原理』

1)の初版を出版するが,それは穀物法

論争期の

1815 年に出版された『資本の利潤に対する穀物の低価格の影響につ

いての試論』2)を発展させたものと考えることができる.

マルサスは,『利潤論』が出版された同じ年に,『地代の性質と増大について の 研 究 』3を 出 版 し た . こ の パ ン フ レ ッ ト の 冒 頭 に 付 さ れ た 「 告 示

(Advertisement)」によると,これは,当時の穀物法の改正をめぐって行われた議 論に貢献するため,急いで出版されたものであり,東インド大学で講義してい た内容の一部がもとになっていた.その後マルサスは,リカードウの『原理』

が出版された同じ年に,『人口論』4)の第

5

版を出版することになるが,『経済

1)On the Principles of Political Economy, and Taxation, 1st ed., 1817, 2nd ed., 1819, 3rd ed., 1821, The Works and Correspondence of David Ricardo, Edited by Piero Sraffa with the Collaboration of M.H.Dobb, Cambridge University Press, vol.Ⅰ, 1951(雄松堂『リカードウ全集 第Ⅰ巻』1972 年,以下『原理』

と略称).リカードウの『原理』からの引用は,マルサスが『原理』を出版するまでには,第2 版ま でしか出ていなかったので,第2 版の文章を引用する.

なお『リカードウ全集』からの引用文の指示は,引用文の後に巻数と原書のページ数を(Ⅳ, p.35)

のように記す.訳文については,必ずしもそれに従わなかった.また引用文中の傍点は,本文がイ タリックの箇所である.以下同様.

2)An Essay on the Influence of a low Price of Corn on the Profits of Stock, 1815(以下『利潤論』と略称) 3)An Inquiry into the Nature and Progress of Rent, and the Principles by which it is Regulated, 1815(以

下『地代論』と略称).引用はThe Works of Thomas Robert Malthus, vol.7, William Pickering, 1986,

より行う.引用ページの指示は,原書のページ数を(Rent, p.137)のように記す.

4)An Essay on the Principles of Population; or A View of its past and present Effects on Human Happiness;

With an Inquiry into our Prospects respecting the future Removal or Mitigation on the Evils which it occa- sions, 2nd ed., 1803, 3rd ed., 1806, 4th ed., 1807, 5th ed., 1817, 6th ed., 1856.引用は,P.ジェームズ 編のVariorum Edition, Cambridge University Press, 1989,より行う.訳文については,第5 版は第

6 版とほとんど同じなので,大淵他訳『マルサス 人口の原理〔第6 版〕』中央大学出版部,1985 年,

より引用する.引用ページの指示は,(E5,Ⅱ, p.23;大淵訳,441 ページ)のように記す.

(3)

学原理』5)を出版するのは

1820 年になってからであり,リカードウに 3 年遅れ

ることになった.P.ジェームズは,この出版の遅れが,リカードウの『原理』

が一世を風靡することになった理由の

1 つであると言っている

6)

マルサスは『原理』第

3 章「土地の地代について」で地代論を展開していた

が,その文章は,『地代論』の文章をかなり用いていた7).『原理』第

3

章と

『地代論』とを比較した場合,大きな違いとして指摘できるのは,『地代論』で は節の区分がなされていなかったのに対し『原理』では全部で

10 節に区分され

5)Principles of Political Economy Considered with a View to Their Practical Application, 1st ed., 1820, 2nd ed., 1836(以下『原理』と略称).引用は,プレンの編集したVariorum Edition, Cambridge

University Press, vol.1, 1989,から行う.この第1 巻は,『原理』初版のリプリントになっている.

また訳については,吉田秀夫訳『経済学原理』(上)(下),岩波文庫,1944 年,小林時三郎訳『経 済学原理』(上)(下),岩波文庫,1968 年と,鈴木鴻一郎訳『デイヴィド・リカードウ全集 第2 巻 マルサス経済学原理評注』雄松堂書店,1971 年,を参照した.引用箇所の指示は,小林訳と鈴木訳 には初版の原書のページ数が欄外に記されているので, 原書のページ数のみを引用文の後に,

(Principles, p.13)のように記す. なお訳文については,必ずしもそれらに従わなかった.

なお『原理』第2 版からの引用については,プレンの編集したVariorum Edition, Cambridge University Press, vol.2,では,初版の該当ページが掲げられているので,初版の箇所から容易に推 測できる場合は,指示しなかった.特にページを指示する必要がある場合は,The Works of Thomas Robert Malthus, vol.5, William Pickering, 1986,のページ数を,Principles, 2nd ed., p.13 のように指示 する.また,Variorum Editionの第2 巻には編集者のコメントが含まれているが,それに言及する場 合は,Variorum Edition, vol.2, p.13 のように指示する.

またVariorum Edition の編集過程については,ジョン・プレン「マルサス『経済学原理』集注

版」 (溝川・橋本編訳『マルサスを語る』ミネルヴァ書房,1994年,所収)を参照されたい.

6)Cf.P. ジェームズ,Population Malthus, Routledge & Kegan Paul, 1979, p.311. しかし少し前の箇所 では,マルサスの議論が難解であるためだとして,「一部はマルサス自身の過失」(op.cit.,p.310)で あると言われている.

7)プレンは次のように言っている.「この地代についての章の最初の7節は,マルサスによって,彼 のパンフレット『地代論』1815 年から,追加と削除を伴って,改作された.第1 巻の「序論」

xxxvii-xxxixページでふれたように,『原理』初版の原稿の一部は現存しており,そして『原理』初

版の第3 章を準備する際に,マルサスは,1815 年のパンフレットから印刷したページを,初版の原

稿用のシートに貼り付けたことを示している.地代についての彼の考えの発展の信頼できる説明に は,『人口論』の6 つの版や彼の他の著作に含まれている地代についての叙述の比較と同様に,次の

5 つの版,すなわち1815 年のパンフレット,初版の1820 年の原稿,初版の1820 年の印刷された説

明,MR,そして第2 版,を比較することが必要であろう.」(Variorum Edition, vol.2, p.13)なお MR(Manuscript Revisions)とは,マルサスが『原理』初版のコピーに書き込みを入れることによ って作った原稿ノートであり,現在ケンブリッジ大学の図書館が所有している.

プレンは,第1 巻の「序論」では,初版の原稿と初版とを比較して,「初版のこの原稿と出版さ れた初版との間には多くの相違が存在するが,しかしそれらは主にささいな性質(a minor nature)

のものである」(Principles, p.xxxix.)と言っている.

(4)

ていること8),また,そのうち第

1

節から第

7

節までは,ほぼ『地代論』の内 容に沿っているのに対して,第

8

節以降は,『原理』で新たに加えられた部分 であるということである9)

しかし両者の違いをより詳細に検討してみると,第

7

節のように,『地代論』

の文章がほぼそのまま取り入れられている節があるのに対し,第

2

節のように 大部分が『原理』で新たに文章が加えられた節もある.それではこのような変 更は,マルサスにおける理論内容のどのような変更を反映しているのであろう か10)

またこの問題を考える場合,1815 年の『地代論』と

1820 年の『原理』初版

との間の

1817 年に,リカードウが『原理』を出版していたことは重要な意味が

あるように思われる.なぜなら,リカードウは『原理』第

2 章「地代について」

でマルサスの地代論,特に地代が剰余を形成するという考えを批判し,また第

8)プレンがVariorum Edition に付した序論によると,すでに『地代論』が出版された直後の1815 年

2 月6 日付の,『地代論』を出版したマリ宛の手紙では,「主題をより明確にし,一般的な読者によ

りわかりやすくするために」『地代論』を節に分けることが提案されていた.Cf. Principles, p.xxix.

9)『地代論』の各パラグラフと『原理』初版第3 章各節との関係を示すと,以下の通りである.

10)このような立場からの研究は,すでに羽鳥卓也氏の,「マルサス地代論の展開」『経済系』(関東学

院大学)第206 集,2001 年1 月,で行われている.

『地代論』と『原理』初版第 3 章との対照表 

『地代論』  『原理』初版第 3 章  第5−34パラグラフ 

第35−43パラグラフ   

第44−66パラグラフ   

第67−73パラグラフ  第74−83パラグラフ   

第84−106パラグラフ   

第107−117パラグラフ 

第1節「地代の性質と原因について」  

第2節「土地の地代の,耕作者の利潤および労働者の賃金からの, 

  必然的分離について」 

第3節「社会の普通の進歩において地代を引き上げる傾向のある    諸原因について」 

第4節「地代を引き下げる傾向のある諸原因について」  

第5節「土地から得られる生産物の現実の分量が, 現存の地代お    よび現存の価格に依存することについて」 

第6節「大きな比較的富と,原生産物の高い比較価格との,関連    について」 

第7節「地主を彼の土地を賃貸するに当って誤らせ,彼自身およ    び国の両者に害を与えるにいたる諸原因について」 

(5)

32

章「地代についてのマルサス氏の意見」では,穀物法論争期に出版された

『地代論』を取り上げ,その批判を展開していたのである.したがって,マルサ スとしては,自己の地代論の正当性を主張しようとしたら,このリカードウの 批判に答える必要が出てくるのである11).それでは,その課題はどのように果た されたのであろうか.

さらにマルサスの死後の

1836 年に『原理』第 2

版が出版され,第

3

章でも かなりの変更が行われているが,この変更はどのような意図でなされたのであ ろうか.

この論文では,主に『原理』第

3

章の第

1

節から第

4

節までを取り上げて,

これらの問題を検討していくことにしたい.

1

『原理』第

3

章第

1

節について

『地代論』の最初に置かれていた

4 つのパラグラフ,それはいわば『地代論』

の「序」の部分を構成しているが,『原理』の第

3

章第

1

12)に採用されるに 際し,これらは削除されている.したがって『地代論』の第

5

パラグラフから

34 パラグラフまでが,第 1 節に対応する.

その部分の『地代論』の議論は,まず地代の原因が「生産費を上回る価格の 超過」(Rent, p.116)であると述べ,その価格の超過の原因についてのスミスなど の主張を批判した後,穀物高価格の原因として

3 つの原因を挙げる.その後,

1

と第

2 の原因について検討し,地代の原因が通常の独占とは異なることが

説明され,最後に地代が土地の剰余生産物の一部であることが言われている.

そして『原理』第

3 章第 1 節も,これと同じ構成になっており,またかなりの

文章が,『地代論』の文章をそのまま採用している.

しかし,その内容について詳細に検討すると,次のような大きな変更点13)

11)ただし,マルサスが『原理』で引用しているのは,1821 年に出版されたリカードウの『原理』第 2 版である.

12)第1 節は38 パラグラフからなっている.

13)『地代論』と『原理』の文書を比較する場合,両者が全く同じというのは少なく,大部分の文章 は手が加えられている.しかし多くは,単なる言い換えに近いものや,基本的な趣旨は変更しない ものである.ここでは,マルサスの地代論の発展を知る上で必要な限りで,変更点を検討すること にしたい.

(6)

指摘できるのではないかと思われる.1)地代が発生する第

2 の原因について論

じる際,『原理』で「適当に分配されたときには」という言葉が挿入されたこ と,2)『原理』で,地代が剰余であることを説く

2

つのパラグラフが,『地代 論』第

23

パラグラフに対応する箇所の後に挿入されたこと,3)土地と紡績機 械とを対比していた『地代論』の第

27−29

パラグラフが,『原理』で変更され たこと,そして

4)普通の独占と土地の部分的独占について論じたパラグラフ

が,『原理』で新たに挿入されたことである.以下,順次検討していくことにし たい14)

1. 1

土地の絶対的肥沃度

マルサスは『地代論』で,穀物高価格の

3

つの原因について,次のように言 っていた.

「第

1

に,そして主として,土地の性質であるが,それによって土地に用いられる 人々の維持に必要である以上に,より大きな分量の生活必需品を土地が生み出すよう になしうるのである.

2

に,それ自身の需要を作り出し,または生産された必需品の分量に比例して需 要者の数を増すことのできる,生活必需品に特有な性質15)

そして第

3 に,最も豊かな土地の相対的な希少性.

」(Rent, p.119)

1 の原因について述べた文はそのまま『原理』に採用されたが,第 2 の原

因と第

3

の原因について述べた文は,『原理』で変更された.特に第

2

の原因 について述べた文は,「第

2 に,適当に配分されるときにはそれ自身の需要を作

り出し,……」(Principles, pp.139-40)と変更され,「適当に配分されるときには」

14)それ以外の変更点としては,『原理』の第6 パラグラフに,自然地代について言及した脚注が付け

加えられたことである.ただし本文の文章は,『地代論』第11 パラグラフと同じである.

15)ウインチはこの第2 原因について,「これは人口原理の別表現であった」と言っている.Cf.Donald

Winch, Malthus, Oxford University Press, 1987, p.70(久保・橋本訳『マルサス』日本経済評論社,

1992 年,108 ページ)

(7)

という言葉が挿入されている.これが第

1 の変更点であるが,この変更は,

『人

口論』第

5 版で農業制度についての考え方が第 4 版までと変更されたことに関

連していると思われる16).また,第

3

の原因については,文章が若干変更され ているが,基本的な内容は同じである17)

この後マルサスは,第

1 と第 2 の原因について検討していく.まず第 1 の原

因について議論した箇所18)であるが,『原理』の

4 つのパラグラフのうち最初の 2

つのパラグラフは『地代論』とほぼ同じであるが,その後に新たに

2

つのパ ラグラフが挿入されることになった.これが第

2 の変更点である.

『原理』の最初の

2

つのパラグラフでは,土地の高い生産性は「自然の人間 への賜」(Principles, p.140)であり,土地のその性質がなかったら「地代も,高 い利潤および高い賃金19)の形における土地の本質的な剰余生産物」(ibid.)もな かったと言われている.そして,『原理』で新たに挿入された

2 つのパラグラフ

では,「全部が労働者および資本家に分配されようとも,または一部分が地主に 与えられても,このような土地が地代を生み出す能力は,その肥沃度に,また は土地がそれに投下された労働を維持し資本を維持するのに厳密に必要なもの 以上を生産するようにされうる一般的剰余に,正確に比例している」と述べ,

このことから,「その肥沃度から生まれる土地からのこの剰余は,明らかに,す べての地代の基礎または主な原因と考えなければならない,という結論になる」

(Principles, pp.140-41)と言うのであった.したがって,基本的な内容は『地代 論』から引き継がれたパラグラフの内容と同じであり,土地からの剰余生産物 が,地代の基礎であることを主張しているのである.

それではなぜこのような追加がなされたかであるが,その際考えられるのは,

16)この点については,拙著『初期マルサス経済学の研究』有斐閣,1998 年,170 ページ以下を参照.

17)『地代論』の「第3 に,最も肥沃な土地の相対的な希少性」が,『原理』では「第3 に,自然的で あれ人為的であれ,肥沃な土地の相対的な希少性」(Principles, p.140)となっている.すなわち,

『地代論』にあった 「最も」という言葉が『原理』で削除され,新たに「自然的であれ人為的であ れ」という言葉が挿入されている.

18)『地代論』では第22,23 パラグラフ,『原理』では第18−21 パラグラフである.

19)「および高い賃金」は『地代論』にはなく,『原理』で挿入されたもの.

(8)

リカードウが『原理』第

32

章「地代についてのマルサス氏の意見」で,マル サスの『地代論』の第

1 の原因を批判して,次のように言っていたことである.

すなわち,「記憶されなければならないのは,地代は耕作されている土地の絶対 的肥沃度に比例しないで,その相対的肥沃度に比例する,ということである」

(Ⅰ, p.403)と.リカードウの考えでは,地代の発生する原因はマルサスのあげ る第

3

の原因,「最も豊かな土地の相対的な希少性」しかあり得ず,優等地と 最劣等地との生産性の差が地代になるのであるから,地代は両者の差という相 対的肥沃度に比例するのであった.

それに対してマルサスの場合は,土地の持つ絶対的な生産性こそが,地代の 根拠なのであった.そこでマルサスは,新たに挿入された箇所で次のように述 べるのであった.すなわち,「もしこの剰余が

1, 2, 3, 4, または 5 であるならば,

その時には地代を生み出すその能力・ ・

1, 2, 3, 4, または 5 であろう.そしてどの

ような程度の独占も―外部的需要のどのような可能的増大も,その様々な能 力を本質的に変えることができないのである」(Principles, p.141)と.したがっ て,マルサスの考えでは,「1, 2, 3, 4, または

5」という土地の絶対的な生産性に

よって,「土地の一般的剰余」が規定され,それが「地代を生み出す能力」を 規定するのである.

このように考えると,ここでの

2

つのパラグラフの挿入は,地代は土地の

「相対的肥沃度に比例する」というリカードウの主張に対して,自説を擁護する ことが主眼であり,『地代論』に何か新しい論点を追加しようとするものではな かったと考えられる.

1. 2

支配労働価値尺度論の採用

次に第

3 の変更点

20)であるが,それは地代の第

2 の原因について議論した箇

所での変更である.この部分は,第

1

節の中でも,内容的に大きな変更が加え

20)『地代論』では第24−29 パラグラフ,『原理』では第22−29 パラグラフである.

(9)

られている.この箇所の最初の

3 つのパラグラフは,ほぼ『地代論』と『原理』

で共通しているが21),残りの箇所は大きく変更されている.まず『地代論』で の議論の内容を紹介し,その後『原理』での議論を検討することにしたい.

まず『地代論』の第

24 パラグラフでは第 2 の原因の内容が紹介され,第 25

パラグラフでは,食糧の増大が人口の比例的な増大をもたらすと考えるのは,

人口原理を誤解していると思われるかもしれないが,そうではないとして,「食 糧が供給されたときには,必要な衣や住を見いだすことは比較的容易である」

というスミスの文章を引用する22).そして第

26

パラグラフでは,「土地は生活 必需品を生産する」から,「人間に知られている他のあらゆる種類の機械とは基 本的に異なっている」(Rent, pp.119-20, Principles, pp.141-42)と述べて,次のパラ グラフ以降,土地と紡績機械との対比が行われる.ここまでは『地代論』と

『原理』で共通である.その後『地代論』では,次のような議論を展開する.

まず第

27 パラグラフで,紡績機械が土地と同じように生活必需品を生産する

のなら,そのような生産物にたいする需要は生産費を超過し続けるであろうと

述べた後23),第

28 パラグラフで次のように言っている.

「人間生活の維持に絶対に必要なそれらのものに対する需要の原因と,他のすべて の商品に対する需要の原因とには,根本的な相違がある.他のすべての商品において は,需要は生産それ自体の外部にあり,独立している.そして,自然的なものであれ 人為的なものであれ,独占の場合には,価格の超過は,需要に比べた供給の小ささに 比例し,一方この需要は相対的に無制限である.厳密な必需品の場合には,需要ある いは需要者の人数の存在と増加は,これら必需品自体の存在と増加に依存するに違い ない.そして,それらの生産費を上回るそれらの価格の超過は,それらを生産するのに

21)ただし『地代論』の第24 パラグラフ(『原理』では第22 パラグラフにあたる)は,その趣旨は

同じであるが,文はかなり変更されている.

22)Cf.Adam Smith, The Wealth of Nations, The Glasgow Edition, vol.1, 1976, p.180(大河内一男監訳

『国富論』第1 巻,中央公論社,1976 年, 273 ページ).

23)その際,この紡績機械が土地と同じように供給が制限されているという条件が必要なことを,脚 注で述べている.Cf.Rent, p.120, note 7.

(10)

要する労働の維持に必要な量を超える,その量の超過に依存するに違いなく,そして それによって恒久的に制限される.そのような量の超過がなかったならば,自然の法則 によると,生産者を維持するに必要である以上の需要は存在しなかったであろう.」

(Rent, p.121)

ここでは,「厳密な必需品」と「他のすべての商品」とを対比させて考えてい る.まず,「他のすべての商品」の場合は,「需要は生産それ自体の外部にあり,

独立している」,したがって,供給の増加と需要の増加とは関連がなく,両者は 個別の要因によって規定される.そして,ある商品の市場が供給者によって独 占されている場合には,「価格の超過は,需要に比べた供給の小ささに比例し,

一方この需要は相対的に無制限である」,すなわち,この場合どれだけ価格が費 用を超過するかは,「供給の小ささ」と,「相対的に無制限」な需要との関係に 依存する.もし生産者が供給を制限し,供給量を減少させることができるなら ば,超過額は拡大するであろうし,また供給が減らなくても需要が拡大してい くならば,超過額は同じように拡大していく.したがって,超過額がどうなる かは,需要と供給との関係に依存するというのが,ここでのマルサスの考えで あり,需要供給論の枠組みで考えられていたことになる.

これに対し「厳密な必需品」の場合には,「需要あるいは需要者の人数の存在 と増加は,これら必需品自体の存在と増加に依存する」,すなわち供給の増加 は,それに比例した需要の増加をもたらすことになる.そして,「価格の超過 は,それらを生産するのに要する労働の維持に必要な量を超える,その量の超 過に依存する」と述べられている.この文だけでは,意味がよく取れないかも しれないが,次の第

29 パラグラフで,マルサスは次のように言っている.

「『国富論』の新しい版で,原生産物の高価格の原因は,そのような価格が,供給に 消費を比例させるために必要だからである,と述べられた.これはまた真実であるが,

しかしそれは問題のポイントに対する回答とはならない.我々はなお,なぜ消費と供給

(11)

が価格をして生産費を大きく超過させるようなものであるのかを知りたいと欲する,そ して主な原因は明らかに生活必需品を生産する土壌の肥沃度

・ ・ ・

である.」(ibid.)

この引用文では,「土壌の肥沃度

・ ・ ・

」が「消費と供給が価格をして生産費を大 きく超過させる」ことになると述べられている,すなわち,消費(これは需要と 同じと考えて良いであろう)と供給の割合が問題なのである.この第

29

パラグラ フでの議論を第

28 パラグラフと合わせて考えると,マルサスは,次のように考

えていたのではないかと思われる.すなわち,生活必需品を生産する農業では,

「土壌の肥沃度

・ ・ ・

」のゆえに,生産量は「それらを生産するのに要する労働の維持 に必要な量」を上回っている.その結果,「生産者を維持するに必要である以上 の需要」が存在している.そしてそのような需要が,「価格をして生産費を大き く超過させる」ことになると.したがってここでは,地代の生まれる原因とし て,農業の高い生産性による供給の増大が需要を増大させ,それが生産費を超 える高い価格をもたらすことが,考えられているのである24).そうすると,ここ でも「他のすべての商品」の場合と同様に,需要供給論の枠組みで考えられて いたのであり,それが『地代論』での基本的な思考の枠組みであったように思 われる.

それに対して,『原理』ではどのように議論が展開されているであろうか.先 に述べたように,『原理』の第

22−24

パラグラフは『地代論』第

24−26

パラ グラフとほとんど同じ内容であったが,『原理』第

25,26

パラグラフでは次の ような議論が展開されている.まず第

25 パラグラフの議論から検討したい.

「もし活動的で勤勉な家族が,彼らがその土地を耕作することによって,自分たち のためだけでなく,他の

5 家族のための食料,そして衣服や住居や燃料のための原料

24)マルサスは『地代論』の第27 パラグラフで,もし木綿機械が土地と同じ性質を持っており生活必

需品を生産するならば,「そのような改良された機械の生産物に対する需要は, 生産費を超過し続 けるであろう」(Rent, p.120)と述べて,生産物価格が生産費を上回る原因が需要の超過にあるとし ていた.

(12)

を生産できるような,ある部分の土地をもっているならば,人口の原理(the principle

of population)

25)によって,もし彼らが彼らの剰余生産物を適当に分配するならば,彼

らはまもなく他の

5 家族の労働を支配することができるようになるであろう,そして土

地の生産物の価値は,それを生産するのに用いられた労働の価値の

5

倍に値するよう になるであろう.しかしもし,すべての生活必需品を生産する一部の土地の代わりに,

彼らが,彼ら自身の生活手段に加えて,自分たち以外に

50 人分の帽子やコートを生産

する機械だけを持っていたとすると,彼らが行うことのできるどのような努力も,彼ら にこれらの帽子やコートに対する需要を保証し,そしてそれらと交換に,それらの制作 に費やしたよりもかなり大きな労働量に対する支配を彼らに与えることは,できないで あろう.長い間,おそらくは永遠に,機械は,家族のために帽子やコートを作ってや ることによりもたらされるもの以上の価値は,ないであろう.それ以上の能力は,需要 不足から絶対的に放棄されてしまうであろう.そして,彼ら自身の何らかの努力とは全 く独立した外的原因によって,人口が増加し

50 人分の帽子が需要されたとしても,労

働や他の商品を支配するそれらの価値は26),それらを作るのに用いられた労働の価値を 永続的にはほとんど超えないであろう.」(Principles, pp.142-43)

ここでも,生活必需品を生産する場合と,それ以外の商品を生産する場合と が,対比して述べられている.まず,生活必需品の場合についてであるが,マ ルサスの議論が意味するのは次のようなことではないかと思われる.

1 家族の生活に 1

年間必要な生活必需品の量を

a クオータとする.この家族

が「活動的で勤勉」であって,彼らが土地を耕作した場合

6a クオータを生産す

ることになる.このうち

a

クオータは自分たちが消費するから,5a クオータが 余剰として残ることになる.そして「人口の原理」によって,この

5a クオータ

が「適当に分配」されるなら,人口が

1 家族から 6 家族に増加することになる.

25)初版の「人口の原理」が,第2 版では「人口の諸原理」(the principles of population)に変更された.

26)初版の「労働や他の商品を支配するそれらの価値は」(the value of them in the command of labour

and other commodities)は,第2 版で「他の同じような機械が生産されるかもしれないし,そして,

労働や他の商品を支配する帽子の価値は」(other similar machines might be made, and the value of the hats in the command of labour and other commodities)に変更された.このパラグラフにおける第

2 版での2 つの変更箇所から考えて,初版と第2 版との間には内容の変更はなかったと考えられる.

(13)

そしてこの増加した

5 家族は,何らかの生産物を生産し

27),それと

5a クオータ

とを交換することによって生活必需品を手に入れることになる28).したがって,

5a クオータは 5 家族の労働の生産物を,あるいは 5 家族の労働を支配できるこ

とになり,「土地の生産物の価値は,それを生産するのに用いられた労働の価値

5 倍に値するようになる」のであった.

それに対し帽子やコートの場合,たとえ

50 人分の帽子やコートが生産された

としても,確実に需要があるのは生産者たち自身からのものしかないから,た とえ「外的原因」によって帽子に対する需要が増大することがあっても,その 価値は「それらを作るのに用いられた労働の価値を永続的に」超過することは ないというのであった.

このような議論を展開した後,次の第

26 パラグラフでは,新しい木綿機械が

採用された場合と,農業に改良がなされた場合とを対比して,次のように言っ ている.

「新しい木綿機械がこの国に採用された後は,ある品質の

100 ヤードのモスリンは,

25

ヤードが以前に支配した以上の労働29)をおそらく支配しなかったであろう,なぜな ら,供給が需要よりもより早く30)増大し,そして,同じ価格では,生産されたすべて の量に対する需要がもはやなかったからである.しかし,農業における大きな改良が土 地の限定された地域に採用された後には,1 クオータの小麦は短期間に以前とちょうど 同じ労働を支配するであろう.なぜなら,耕作の改良によってもたらされた生産の増大

27)マルサスは『原理』第22 パラグラフで,次のように述べていた.すなわち,農業で生産された剰

余は,「それを消費すべき人口を増やし,また,その代わりに生産される品物によって(by the articles produced in return),それに対する有効需要を創造する力がないならば」(Principles, p.141) 価値を持たないであろうと.

28)土地を所有していない者が,土地所有者の剰余生産物に依存するという考えは,すでに『人口論』

初版で述べられていた.Cf. An Essay on The Principle of Population, 1st ed., 1798 in The Works of Thomas Robert Malthus, vol.1, edited by E.A.Wrigley and David Souden, William Pickering, 1986(永井 義雄訳,中公文庫『人口論』中央公論社,1973 年,125 ページ).

29)初版の「以上の労働」(more labour than)は,第2 版で「のと同じ労働」(so much labour as)

に変更された.

30)初版の「より早く」(faster)は第2 版で「より大きな程度で」(in a greater degree)に変更された.

(14)

は,31)なお制限されているに違いない供給に比例した需要を創造することが見出される からである.そして穀物の価値は,このようにして,モスリンの価値のように下落する ことを妨げられる.」(Principles, pp.143-44)

ここでもマルサスは,先ほどのパラグラフと同様に,農業とそれ以外の産業 とを対比し,今度はそれぞれの産業の生産性が上昇した場合について論じてい る.ここでのマルサスの議論は次のように理解されるのではないかと思われる.

まず,新しい木綿機械が採用された場合についてであるが,それにより「供 給が需要よりも早く増大」するため,供給過剰となり,モスリンの価格は低下 することになる.それではどれだけ低下したかというと,それは,モスリンの 支配労働量が

1/4 になるまで低下したであろう

32,と言うのである.したがって ここでは,モスリンの価格の変動が,需要供給論によって説明され,その価値 が支配労働によって測定されていることになる.

それに対し,農業で新しい改良が行われた場合についてであるが,供給が増 大すると,先に述べた「人口の原理」から人口が増大し,「供給に比例した需要 を創造する」,したがって需要と供給の割合は変化しないことになり,1 クオー タは「同じ労働を支配する」ことになる,すなわち支配労働量は不変に止まる,

と言っているのである.ここでは,需要は常に供給に比例するのであるから,

モスリンのように両者の比率の変動から価値の変化を規定することはできない.

それでは,1 クオータの支配労働量はどのように規定されるのであろうか.

それが,第

25 パラグラフでの議論によると,1 家族の労働によって生産され

た余剰は,5 家族分の食糧を生産したのだから,それは

5

家族の労働を支配す ることになる.したがって

5a は 5 の労働を支配することになるから,a

の価値

31)第2 版ではこの箇所に「もし適当に分配されるならば」という言葉が挿入された.このパラグラ

フにおける第2 版での3 つの変更箇所から判断して,初版と第2 版との間には内容の変更はなかっ たと考えられる.

32)ここでマルサスは,'After the new cotton machinery had been introduced into this country'と述べ,

過去完了形で表現されており,この木綿機械の導入の議論は,当時の経験をもとにしていたように 考えられる.

(15)

1,したがって 1 クオータの価値は 1/a ということになる.この値は,1 家族

の生活に

1

年間必要な生活必需品の量が

a クオータであること,勤勉な1

家族 が自分たちの生活の維持に必要なものを超えて

5 家族分の食糧を生産すること,

によって規定される.そして前者は,労働者の生活習慣や文化的条件に依存し,

後者は農業の生産性に依存している33)

以上のことから,『地代論』と『原理』とを対比すると,『地代論』では,農 産物も農業以外の産業の生産物も共に,価格が需要供給論によって規定されて いた.そのため,『地代論』からの引用文ではすべて,価格あるいは交換価値と いう言葉が用いられていた.それに対し『原理』では,農産物の場合には,生 産物がどれだけの労働を支配するかによって,価値が規定されていた.一方,

農業以外の産業の生産物の場合は,価格が需要供給論によって決定され,それ が支配労働量によって測定されていた.そのためマルサスは,第

25 パラグラフ

の引用文では,もっぱら価値という言葉を使っていたが,第

26 パラグラフの議

論では,モスリンについて議論する際には,「供給が需要よりもより早く増大 し,そして,同じ価格では」と,価格タームで議論していたのに対し,穀物に ついて議論する際には「穀物の価値は,このようにして,モスリンの価値のよ うに下落することを妨げられる」というように,価値タームで議論しているの であった.

したがって,いま検討している箇所から明らかになる,『地代論』と『原理』

との違いは,穀物価値の決定理論に,支配労働価値論が採用されているところ にあると思われる34)

周知のように,マルサスは『原理』第

2 章において価値論を展開していたが,

初版では価値尺度として「穀物と労働の間の平均(a mean between corn and labour)」

33)マルサスの説明では,「勤勉な家族」も「他の5 家族」も生活必需品はaクオータが必要と想定さ

れているが,穀物の価値は,「勤勉な家族」が生活にどれだけのクオータが必要かではなく,どれだ けの他人の労働を支配するかによって測定されるべきであると思われる.

34)それに対し羽鳥氏は,両者の違いを「適当に分配される時」という言葉が『原理』で挿入された ことに求められ,『原理』第25 パラグラフの内容も,そのような角度から解釈されている.羽鳥,

前掲論文,4−9 ぺージ参照.

(16)

が取られていたのに対して,第

2

版では労働のみが採用されるというように,

価値尺度が変更されていた.そしていま検討している『原理』の箇所では,価 値尺度に言及されているにもかかわらず,もっぱら労働のみに言及され,しか も,初版と第

2

版との間での価値尺度の変更にもかかわらず,先に引用した

『原理』の文章は,2 つの版でほとんど変更されていないのである.すなわち,

穀物については,価値を労働で計るということは,初版と第

2

版とを通じて一 貫していたのである.そしてこのような観点は,『地代論』では見出されないの である.しかもそれが,以下で述べるように,リカードウの批判に対して反批 判する必要から,『原理』の中に組み込まれてきたと考えられる.

このように考えてくると,1815 年の穀物法論争期の議論と『原理』における 議論とを対比した場合,マルサスの場合においても,リカードウと同様に,価 値論の発展が見出されると言えるのではないかと思われる.

1. 3

支配労働価値尺度論の展開

ところでマルサスは,『地代論』の第

29

パラグラフで,原生産物の価格が生 産費を超過する主な原因は「生活必需品を生産する土地の肥沃度

・ ・ ・

」であるとし て,「この豊かさを減らしてみよ,土壌の肥沃度を減らしてみよ,そうすれば超 過分は減少するであろう.それをさらに減らしてみよ,そうすれば超過分は消 滅するであろう」(Rent, p.121)と述べていた.それに対してリカードウは,『原

理』第

32 章で『地代論』第 29 パラグラフを引用して批判するのであった.リ

カードウは次のように述べている.

「需要が

100

万クオータの穀物に対して存在し,またそれが実際に耕作されている 土地の生産物であると仮定しよう.いま,すべての土地の肥沃度が非常に減少したた めに,そのまさに同じ土地が

90

万クオータしか産出しなくなると仮定しよう.需要は

100 万クオータに対して存在するのであるから,穀物の価格は騰貴するであろう,そこ

で,優等地が引き続いて

100

万クオータを生産していた場合よりもすみやかに,劣等

(17)

地に必然的に頼らなければならなくなる.しかし,地代上昇の原因となるものは,この 劣等地を耕作することの必要である35).…….穀物の価格は,その最終部分を生産する ことの困難とともに,当然騰貴するであろう36),しかし,賃金と利潤とを合計したもの は引き続いて常に同一の価値を保つので,生産費は37)増加することはないであろうか ら,生産費を上まわる価格の超過額,換言すれば,地代は,資本,人口,および需要 の削減によって相殺されないかぎり,土地の肥沃度の減少とともに上昇するにちがいな い,ということは明白である.」(Ⅰ, p.403-4)

すなわち,土地の肥沃度が減少したのに対し,人口は不変で穀物需要も不変 である場合,需要に対して供給が不足することになり,供給を増やすため劣等 地耕作が進展し穀物価格は上昇する.そしてこれまで耕作されていた優等地で は,生産量が減少してもその価値額は増加するであろうし38),賃金と利潤を合 計した額は常に同じ価値を保つので,両者の差額としての地代は増大すること になり,マルサスの主張に反して,土地の肥沃度の減少によって地代は上昇す ることになる,というのがリカードウの主張であった.

マルサスはこの批判を受けて,リカードウから批判された『地代論』の第29 パラグラフを『原理』では削除し,新たに『原理』で第

27−29

パラグラフを

挿入し39),第

29 パラグラフおよびそれに付された脚注で,リカードウに対する

批判を展開する.その際のマルサスのリカードウに対する大きな批判点として

35)第3 版ではこの箇所に,「またこのことは,たとえ地主が受けとる穀物は分量のうえで削減される

にしても,地代を引き上げるであろう」,が追加された.

36)第3 版ではこの箇所に,「そしてある特定の農場で生産される全量の価値は,その分量は減少して

も,増加するであろう」,が追加された.

37)第3 版ではこの箇所に,「より肥沃な土地で」,が追加された.

38)想定されているように10 パーセント生産量が減少した場合,穀物価格がそれを補償するほど上昇

するかどうかは,新たに耕作されることになった土地の生産性に依存することになるから,必ずし もリカードウの言うようになる保証はないように思われる.

39)第27 パラグラフはこれまでの議論のまとめとして,穀物高価格の第1 と第2 の原因が繰り返さ れ,第28 パラグラフでは,これらのことがすでにエコノミストやアダム・スミスによって言われて いたが,「近代の諸論者は,一般にそれを見過ごし,地代をもって普通の独占の原理に基づいて規制 を受けるものと考える傾向を持っている」(Principles, p.144)と述べられているが,『地代論』に比 べて特に新しい論点が付け加えられたわけではない.

(18)

は,2 つあると思われる40)

まず第

1

の批判点であるが,マルサスは「世界中の貴金属鉱山の肥沃度が半 分だけ減少したとしても」人口は減少しないし,鉱山で支払われる地代も減少 しないであろうと述べた後,次のように言っている.

「しかしもし世界中のすべての土地の肥沃度が半分だけ減少するとすれば,人口お よび富が土壌の与える生活の必需品の分量に厳密に依存するのであるかぎり,世界の人 口および富の大きな部分は破壊され,そしてそれとともに,生活必需品にたいする有効 需要の大きな部分も破壊されるであろう,ということはまったく明らかである.たいて いの国の土地の大部分は完全に耕作が放棄され,そして賃金,利潤,および地代,と くに後者は,残りのすべての土地で著しく減ってしまうであろう.」(Principles, p.145)

リカードウは生産量が減少しても人口は不変にとどまり,穀物需要も変化し ないと考えていたが,マルサスによると,世界中の土地の肥沃度が半分に減少 すれば,これまでと同じ人口は維持できず,生活必需品に対する需要も減少す るから,耕地面積は縮小し,地代は減少するであろうというのである.したが ってここで問題となっているのは,農業の生産性が低下して,生産量が減少し た場合,それと同じ割合で人口も減少するかどうかということである.

しかし,ここでのマルサスの議論に対してリカードウは,『マルサス経済学原 理評注』41)の評注

52

で,「土地の肥沃度が半減したと考えるのは,もっとも法 外な想定」(Ⅱ, p.112)であり,また言われている様にそれが「世界中のすべて の土地」で起こるということも考え難いであろう,と述べている.また,リカ ードウは同じ評注の中で「私は世界の人口と富の大部分が破壊されるであろう

40)マルサスは,この2 つ以外に,リカードウに対するもう1 つの批判を,脚注の後半部分で展開し

ている.しかし他のリカードウに対する批判が,マルサスの『原理』第2 版でも採用されたのに対 して,この部分は削除されている.したがってこれから判断して,このもう1 つの批判は重要性が 低いものと考えられる.Cf.Principles, p.145.

41)Notes on Malthus's Principles of Political Economy( 以 下 『 評 注 』 と 略 称 ),The Works and Correspondence of David Ricardo, vol.Ⅱ, 1966(雄松堂『リカードウ全集 第Ⅱ巻』1971 年).

(19)

ということは認める」(ibid.)と述べているから,穀物生産量が減少した場合に 人口が減少することをリカードウに認めさせることに,マルサスは成功したこ とになる.しかしすぐ続けてリカードウは,「しかし問題は地主の地代に関する もので,世界の富に関するものではない」(ibid.)と述べられていることから考 えて,穀物生産量が減少したとき人口が減少するかどうかが,両者の基本的な 論点を形成するものであるとは言えないであろう.

より重要なのは,第2の批判点である42).マルサスはこの第

29 パラグラフに

付けられた脚注で,先に引用したリカードウの『原理』第

32

章の設例を批判 し,リカードウは肥沃度が

10

分の

1

減少すると劣等地耕作が進展し,地代が 増大すると考えるが,自分はそのように考えないとして,次のように言う.

「これに反して,私は,よく耕作された国では,それはもっともやせた土地からの資 本の引き上げを引き起こすことによって,かならず地代を下落させる,と考える.もし 以前用いられていた最後の土地が(If the last land before in use)43),必要な労働と使用 資本に対する

10%の利潤とを支払う以上には,ほとんどなにも与えてくれないならば,

全生産物の

10 分の 1 の減少は,たしかに多くの貧しい土地をもはや耕作に値しないも

のにするであろう.」(Principles, p.145)

すなわち,一定の労働と資本を用いて,最劣等地でたとえば

100 クオータの

穀物が生産され,そのうちの

10%,10 クオータが利潤であったとする.そして

生産性が低下し,同じ労働と資本で

90 クオータしか生産できなくなったとす

る.この場合,この土地は耕作に値しなくなるというのである.

42)第29 パラグラフの後半でも,これから検討する脚注の議論と同じような議論を展開しているが,

脚注の議論の方がマルサスの論点が明確になると思われるので,こちらを検討することにしたい.

43)この箇所は小林訳では「もし用いられない最後の土地が」(小林訳,上,203 ページ)となってお

り,吉田訳では「若し使用されない最後の土地が」(吉田訳,上,272 ページ)となっている.この 点,柳田氏による吉田訳についての綿密な補正では言及されていない.柳田芳伸「マルサス著『経 済学原理』の両版の一比較―吉田秀夫訳『マルサス経済学原理』の補正を手がかりにして―」

『長崎県立大学論集』第34 巻第1 号,2000 年,69 ページ,参照.

(20)

先のリカードウの設例では,穀物生産量が

10

分の

1

減少すると,より劣等 な土地が耕作され,穀物価格は上昇するが,既耕地では「賃金と利潤とを合計 したものは引き続いて常に同一の価値を保つ」ので,穀物価格の上昇による賃 金の上昇によって利潤率は低下するかもしれないが,既耕地における地代額は 増大することになる44)

これに対してマルサスの場合には,「全生産物の

10 分の 1 の減少は,たしか

に多くの貧しい土地をもはや耕作に値しないものにするであろう」というので あった.なぜそのようなことになるのであろうか.しかしその理由は,ここで は述べられていず,次の変更箇所で述べられることになる.

1. 4

ワインと生活必需品との対比

このような議論の後,『地代論』では,ワインの場合(第

30,31 パラグラフ)

と生活必需品の場合(第

32 パラグラフ)

とを比較して,あらゆる独占では需要が 生産の外部にあるのに対して,生活必需品の場合は需要が生産に依存している と述べて,シスモンディやブキャナンを批判し(第

33

パラグラフ),地代が土地 の剰余生産物の一部であると主張している(第

34 パラグラフ)

.ここまでが,『原

理』の第

1 節に当たる部分である.

この箇所が『原理』に取り入れられた際どうなったかであるが,大きな変化 は,『原理』の第

30 パラグラフにリカードウを批判する脚注が追加されたこと,

および第

32 パラグラフの後半が削除され,新たに 4 つのパラグラフが挿入され

たことである.これらが『地代論』と比べた『原理』第

3 章第 1 節の第 4 の変

更箇所になる.

これらの変更は,先の変更と同様に,リカードウに対する批判を意図してい るように思われる.リカードウは『原理』第

32 章の第 2

版で新たに追加され

44)ただし,穀物価格の上昇による賃金の上昇が,最劣等地における生産物の価値と等しくなってし まったときには,あるいはそれに至る前の資本家にとって投資意欲がわかないような非常に低い利 潤率になった時点で,劣等地耕作の進展は止むであろう.しかし,リカードウはそのような事態は 想定していないようである.

(21)

た箇所で,マルサスがワインの場合と生活必需品の場合とを区別したことを批 判して,次のように言っていた.

「私には,この区別が十分な根拠を持つとは思われない,というのは,我々は,希 少なブドウ酒を産出する土地の地代を,もし同時にこの特殊商品に対する需要が増加 するならば,穀作地の地代と同様に,その生産物の分量を増加させることによって,確 実に引き上げるであろうし,また同様の需要増加が伴わなければ,穀物の豊富な供給 は,穀作地の地代を引き上げるのではなくて,これを引き下げるであろうからである.

土地の性質がどうあろうとも,高地代は生産物の高価格に依存するに違いない,しか し,高い価格が与えられれば,地代は稀少ではなく豊富に比例して高くならねばならな い.」(Ⅰ, p.405)

すなわち,希少なブドウ酒の場合も穀物の場合も,生産の増加と同時に需要 が増大すると,地代が上昇するのであるから,どちらの場合も同じ原理によっ て調整されているというのである45)

これに対してマルサスは,価値論の立場から,リカードウを批判するのであ る.マルサスは第

34 パラグラフで次のように言っている.

「普通の独占,および必需品を除くすべての生産物においては,自然の法則は,そ れらの交換価値をその使用価値に比例させるのには,ほとんど何らの役割をも果たして いない.同量のブドウまたは綿製品は,違った条件の下においては,永続的に

3

日ま たは

300

日の労働に値するであろう.自然の法則は,必需品46)の生産においてのみ,

たえずそれらの使用価値にしたがってそれらの交換価値を規制するように働いている.

そして外部的事情の大きな違い,および特に土地のより大きな豊富または稀少によっ

45)これと同様な考えは,『評注』の評注55 でも述べられている.リカードウは次のように言ってい

る.「土地の特性は,〔ブドウと必需品の〕どちらの場合においても,外部的な需要なしには,何も なしえない.わが国の最も肥沃な土地の地代は,今は100 年以前のよりも大きい.なぜなのか?

生産物を供給する便宜と比べ外部的な需要が増大したからである.(Ⅱ, p.114)

46)初版では「必需品」であったが,第2 版で「生活の必需品」に変更された.

(22)

て,このことはほとんどまたは決して47)十分には果たされていない.しかし,労働を支 配する48)必需品の一定分量の交換価値(the exchangeable value of a given quantity of

necessaries in commanding labour)は,常に,それが維持できる

49)労働の分量の価値 に(the value of the quantity of labour which it can maintain),言い換えると,その使用 価値に,近似する傾向を持っている.」(Principles, pp.147-48)

すなわち,ブドウまたは綿製品のような場合には,自然の法則によって,交 換価値は使用価値に比例せず,同じ量の商品が,需要の状態によっては,3 日 の労働を支配する場合もあるし,300 日の労働を支配する場合もある.それに 対して必需品の場合には,同じく自然の法則によって,交換価値は使用価値に 比例しており,その生活必需品が「維持できる労働の分量の価値」,生活必需 品の「使用価値」に,等しくなるというのである.

ここでもマルサスは,支配労働量によって価値を測定しようとしている.そ してブドウや綿製品の場合は,需要の状態によって交換価値はどのようにも変 化でき,3 日の労働を支配する場合も

300 日の労働を支配する場合もある.そ

れに対して生活必需品の場合には,生活必需品の量の増大が,それに比例した 人口の増大をもたらすことによって,それに比例した需要の増大をもたらし,

穀物量の支配労働量は変化しないのである.それが生活必需品に特有な性質で あり,それをマルサスは「自然の法則」という言葉で表している.

そしてこのような生活必需品に特有な性質が,地代額に限界をもうけること になるとして,マルサスは次の第

35 パラグラフで次のように言っている.

「すべての普通の独占においては,生産物の価格は,そしてその結果として,生産

47)初版では「常に(ever)」となっていたが,第2 版で「決して(never)」に変更された.初版が

誤記であると思われるので,ここでは訳文を「決して」とした.小林訳でも「決して」となってい る.小林訳,上,206 ぺージ参照.

48)「労働を支配する(in commanding labour)」は第2 版で削除された.

49)初版の「それが維持できる」が,第2 版で「それが少なくとも停止的な人口を扶養できるような

方法で維持できる」に変更された.

(23)

費を上回る価格の超過は,ある一定の限界なしに上昇するであろう.必需品を生産す る土地の部分的独占においては,生産物の価格は,それが維持できる労働の価値を決 して超過し得ない,そして,生産費を超える価格の超過は,超えられない限界(a limit

as impassable)の支配を受けている.この限界は,土地が耕作者の最低の欲望を超え

て生産しうる必需品の剰余であり,土壌の自然的または後天的肥沃度に厳密に比例し ている.50)」(Principles, p.148)

すなわち,生活必需品以外の商品は,需要の状態によっていくらでも価格が 上昇しうるが,必需品の場合は,価格の上昇には限界があり,それは「土地が 耕作者の最低の欲望を超えて生産しうる必需品の剰余」だというのである.こ れを,先に検討した第

29 パラグラフの脚注の設例を使って考えると,次のよう

になるであろう.

最劣等地に投下された一定量の資本で

100

クオータの穀物が生産され,その

うち

10 %,10 クオータが利潤で,残りの 90 クオータが賃金として労働者に支

払われ,それによって

10 人の労働者が雇用されているとする

51).したがって労 働者一人あたりの穀物賃金は

9 クオータ,したがって 9 クオータの穀物の支配

労働量が

1 だということになり,生産物 100 クオータの支配労働量は 11.1 にな

る.また,この土地が最劣等地であるために,地代を支払う必要はなく,生産 された剰余はすべて利潤となっている.そして,賃金は「耕作者の最低の欲望」

を満たすものと考えられているので,いわゆる生存費賃金であると見なされる.

50)第2 版では, 初版の「生産物の価格は……超過し得ない」が削除され,初版の「its price」が第

2 版で「their price」に,初版の「its production」が第2 版で「production」に,初版の「a limit as

impassable」が第2 版で「an impassable limit」に変更された.文章が削除されたりしているが,前

後の文章から考えて,表現の変更であり,本質的な変化があったとは思われない.

なおリカードウは,このパラグラフに対する評注57 で,「このパラグラフの全部に,私は完全に 同意する」(Ⅱ, p.116)と言っている.しかし,以下で示すように,このパラグラフでも,支配労働 価値論に基づいたマルサスの基本的な考えが述べられているので,それにリカードウが「完全に同 意する」と述べる理由が,理解できない.

51)当然固定資本や種子などについて考慮すべきかもしれないが,ここでは単純化のために資本がす べて労働者の雇用に支出されると想定する.

(24)

ここでなんらかの理由から,穀物

100 クオータの価値が 11.1 から 15

に上昇 したと仮定する.そうすると以前は

9

クオータの穀物が一人の労働を支配して いたのが,6.7 クオータの穀物が一人の労働を支配する,すなわち一人あたり賃 金が

6.7

クオータになる.しかし,前提から

9

クオータが生存費賃金であった のだから,これほど賃金が低下すると労働者は生存することが不可能になるは ずだから,ごく短期を別にすると,このようなことは起こりえないはずである.

したがって,労働者に生存費賃金を補償する穀物価値,したがってこの場合は

11.1

が穀物

100

クオータの価値の限界であり,必需品の剰余で考えると

10

オータが限界ということになる.

そして,先に検討した『原理』第

29

パラグラフの脚注でマルサスは,「全生

産物の

10 分の 1

の減少は,たしかに多くの貧しい土地をもはや耕作に値しな

いものにするであろう」と述べていたが,今の設例で行くと,生産量が

10 %減

少する,すなわち

90 クオータになると,生産量はすべて賃金に支出され,利潤

としては何も残らないことになる.すなわち生産物の支配労働量と雇用労働者 数が一致するのである.したがって,資本家が合理的な行動をする以上,利潤 がゼロになるまで生産を続けることはあり得ないから,その土地は「もはや耕 作に値しないもの」(Principles, p.145)になる.

以上,『原理』第

1

節における『地代論』との相違点について検討してきた が,そのほとんどの箇所が,リカードウの『原理』初版,第

2

版におけるマル サスの『地代論』批判に対して,再批判することが主要な内容になっていた.

そして,その際の批判の立脚点が支配労働価値論の立場からする,必需品の場 合は使用価値が交換価値を規制するという主張にあったのである.あるいは,

別の見方からすると,『地代論』では需要供給論の立場から地代論が展開されて いたが,リカードウの批判に接し,『地代論』における地代の第

1 原因と第 2 原

因を擁護しようとした場合,需要供給論の考えだけではだめで,支配労働価値 論の考えをいれてこざるをえなかったということではないかと思われる.

参照

関連したドキュメント

Giuseppe Rosolini, Universit` a di Genova: [email protected] Alex Simpson, University of Edinburgh: [email protected] James Stasheff, University of North

We then introduce the notion of compression of a graph Γ which plays an important role in the study of partially commutative groups and prove that the lattices of closed sets for

(4) The basin of attraction for each exponential attractor is the entire phase space, and in demonstrating this result we see that the semigroup of solution operators also admits

Henry proposed in his book [7] a method to estimate solutions of linear integral inequality with weakly singular kernel.. His inequality plays the same role in the geometric theory

Definition An embeddable tiled surface is a tiled surface which is actually achieved as the graph of singular leaves of some embedded orientable surface with closed braid

John Baez, University of California, Riverside: [email protected] Michael Barr, McGill University: [email protected] Lawrence Breen, Universit´ e de Paris

In Section 1 a special case (that is relevant in the neural field theory) of the general statement on the solvability and continuous dependence on a parameter of solutions to

We study the classical invariant theory of the B´ ezoutiant R(A, B) of a pair of binary forms A, B.. We also describe a ‘generic reduc- tion formula’ which recovers B from R(A, B)