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パラグラフで,戦争が始まる以前からイギリスは穀物供給の 一部を外国に依存するようになっており,戦争の開始によって運賃などの費用

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マルサスは第 16 パラグラフで,戦争が始まる以前からイギリスは穀物供給の 一部を外国に依存するようになっており,戦争の開始によって運賃などの費用

が上昇し,また不順な気候やフランス政府の勅令などの要因も重なって,穀物 の輸入価格が騰貴したと述べ,第

17 パラグラフの最初の箇所では,そのような

輸入穀物価格の高騰が国内の穀物価格を騰貴させたが,それが外国からの穀物 需要の増大と同じような刺激を国内の農業に与えたと述べた後,第

17 パラグラ

フの残りと第

18 パラグラフの最初の箇所で,次のように言っている.

「この間に,戦争の拡大,商業の増大,そしてもっと多くの食物を生産する必要と によって引き起こされた人手不足は,強い刺激を受けたときは即座になされる器用な 人々の発明と相まって,あらゆる産業部門に筋肉労働の多くの節約を導入したので,

社会の緊急の要求を満たすために耕作に引き入れられた新しい劣等な土地は,数年前 のより豊かな土地よりも,労働のより少ない支出で耕作された.しかもなお,極めて高 い価格でのみ手に入れることのできるごく少量の外国穀物が,現在の需要を満たすため に必要な限り,穀物価格は必然的に高いままであった.戦前の価格と比べて,一時は 紙幣でほぼ

3 倍,地金で 2 倍以上に上がった,この高い価格とともに,労働がほとん

どこれに比例して騰貴しないということは,またそれとともに,利潤は下落していなか ったのであるから,労働が入り込むすべての商品が騰貴しないということは,まったく

105)第15 パラグラフにおいては,「北アメリカにおける貨幣価格の状態と耕作の急速な進展」

(Principles, p.167)とに言及しているが,ここでの議論の中心は,第16 パラグラフ以降の,ナポレ オン戦争中の経済状態にあると思われる.

不可能であった.

わが国ではこのようにして,他の諸国に比べて,商品の価格は一般的に上昇し,あ るいは貴金属の価値は低下したが,わが国の外国商業の増大と輸出できる商品の豊富 さが,それを維持することを可能にしたのである.106)」(Principles, pp.168-69)

ここで問題となるのは,先に述べた(1)「貨幣価値の決定的な下落」と,(3)

「地代は利潤や賃金の下落なしに上昇する」という

2 つの論点が,どのように論

じられているかである.まず(3)についてであるが,上の引用文によると,

「穀物価格は必然的に高いままであった」.それに対し生産費の方は,戦争中の

「人手不足」の結果「筋肉労働の多くの節約」が導入され,「新しい劣等な土地 は,数年前のより豊かな土地よりも,労働のより少ない支出で耕作」されるよ うになった,すなわち同じ最劣等地で穀物を生産するのに必要な労働量が減少 したので107),一人あたりの貨幣賃金が穀物価格と「ほとんどこれに比例して騰 貴」したとしても,賃金総額は穀物価格に比例しては上昇しないので,価格と 経費の差額としての地代は増大することになったというのである.

次に(1)の論点についてであるが,上の引用文によると,穀物価格の上昇に 比例して貨幣賃金も上昇するが,利潤は不変であるので,「労働が入り込むすべ ての商品が騰貴」する,したがって物価水準は上昇することになり,これはマ ルサスによると「貴金属の価値は低下した」ことを意味しているのであった.

この場合,なぜ利潤が不変なのかが疑問になってくるが,上の引用文では,そ の原因として「わが国の外国商業の増大と輸出できる商品の豊富」が考えられ

106)この引用文は,4 箇所で語句の変更があるが,ほぼそのまま第2 版で採用されている.したがっ

て,この初版での考えは,基本的に第2 版でも維持されたことになる.なお,後で述べるように,

18 パラグラフのこれ以降の箇所に,第2 版でかなり長文の挿入が行われる.

107)このように,ナポレオン戦争期の農業における生産性の上昇を重視する考えは,次の第18 パラ

グラフでも述べられている.「問題の期間中のこの〔地代の〕上昇は,広く注目されたテーマであ った.そしてその後,不幸な事情が重なり合って,厳しい悲惨な阻害が起こったけれども,しか も,農業に対するこのような有力な奨励の結果である大規模な灌漑と永続的な改良が,新しい土地 の創出と同じように作用し,一定量の穀物を産出する労働と困難を増大することなしに,わが国の 実質的富および人口を増大させたのである.(Principles, pp.169-70)

ていたのではないかと思われる.

このように見てくると,マルサスが(1)と(3)の論点をナポレオン戦争期 の経験から説明する際,その論拠となっていたのは,何らかの理論的な分析と いうよりは,当時の経験的な事実,すなわち(1)については当時の外国貿易の 拡大,(2)については灌漑などによる農業生産性の増大が,考えられていたの である.その意味では,ここでの第

4

原因についての議論は,他の原因につい ての議論とは異なって,きわめて時論的色彩が強いものであった,ということ ができるように思われる108)

マルサスが『地代論』を出版する際の目的は,地代が新しく創造された富で あることを論証することによって,穀物輸入制限を支持するための理論的な根 拠を提出することであった.しかし,『地代論』出版後のイギリス経済は,いわ ゆる過渡的恐慌と呼ばれる局面に突入したため,『原理』初版におけるマルサス の問題は,当時の苦境をいかに解決するかということであった.そこでマルサ スは,地代について論じた第

3

章においても,ナポレオン戦争中についての経 済発展について論じ,それが当時の穀物の高価格によってもたらされたもので あることを論じることによって,当時の苦境を脱出するための処方箋を考える 一助としようとしたのではないかと思われる109)

このような形での,初版における『地代論』の議論に対する変更は,次の第

3

章第

4

節の議論についても言える110).この節は,基本的には『地代論』の第

66−73 パラグラフの議論に基づいているが,

『地代論』と初版とで大きく異なっ

ているのは,初版の第

2−4 パラグラフに新たな文章が挿入されたことである

111)

108)これは,先に述べた,地代増大の第3 原因について論じていた第9 パラグラフの議論と,同じ発

想のものと思われる.

109)マルサスは,第12 パラグラフに第2 版であらたに追加された脚注で次のように言っている.「こ

の〔第3〕原因は部分的にはこれまでのものに含まれている.しかし,それはしばしば起きるし,

異なった原因を持っているので,それを別個に考察しその実際の作用を跡づけることは,無駄では ない.(Principles, 2nd ed.,p.131,note)

110)この節のタイトルは「地代を引き下げる傾向のある諸原因について」となっており,第3 節で行

われた,地代を引き上げる原因についての議論を補完するような関係にある.

111)それ以外の大きな変更点としては,『地代論』の第70,71 パラグラフを基にしている第4 節の

7 パラグラフに,新しい文章が挿入されたことである.この点については,羽鳥,前掲論文,

15-16 ページ参照.

『地代論』では第

66 パラグラフで,地代減少の原因として「資本の減少,人

口の減少,悪い耕作制度,そして原生産物の低い価格」(Rent, p.131)があげら れた後,第

67 パラグラフでは,生産物価格に比べて生産用具がより高くなると

きには,耕作は減少すると述べられていた.ところが初版では,『地代論』の第

66 パラグラフの内容のかなりの部分が初版第 1 パラグラフとして残されるが

112)

『地代論』の第

67

パラグラフは削除される.そして,それに代わって新たに挿 入された初版の第

2 パラグラフでは,地代減少の最初の 3 つの原因は明白だか

ら「 それゆえ, ここで言 及 された第

4

の原 因 に言 及 するにとどめよう」

(Principles, p.179)と述べて,第

4

原因についてのみ分析されることが明言され る.次の第

3 パラグラフでは,前節の第 4 原因についての議論が回想され,貴

金属の価値の変動に帰着する穀物価格の上昇が地代を上昇させることは,「1794

年から

1814 年までの期間の間にこの国で起こったことによって実証された」

(ibid.)と述べられる.その後第

4 パラグラフの冒頭で,次のように述べられる.

「同じように,貨幣価値の上昇に帰着する穀物価格の下落は,同じ原理によって,

土地を耕作から放棄させ,地代を引き下げる傾向を持っているに違いない,と言って よいであろう.そしてこれは,戦争の終結したときにわが国に起こったことによって例 証されるであろう.」(ibid.)

このように述べた後マルサスは,穀物価格の下落がナポレオン戦争後の不況 をもたらすことになったことを分析するのであった.その意味では,第

4 原因

についての第

3

節の分析と第

4

節の分析とは,いわばセットになっており,ナ ポレオン戦争期の好況からナポレオン戦争後の不況への転換が,高い穀物価格 から低い穀物価格への転換に対応していることが,述べられているのであった.

112)『地代論』の第66 パラグラフと初版の第1 パラグラフとを比較した場合,本文で引用した部分 も含めて,『地代論』の文章の半分以上が初版で採用されており,内容的にも変更がなかったよう に思われる.