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Kyushu University Institutional Repository
政治的寛容論における〈不寛容の告発〉問題 : グレ ン・ニューイの対称性構造をめぐって
仲井間, 健太
九州大学大学院地球社会統合科学府 : 博士後期課程
https://doi.org/10.15017/4377855
出版情報:政治研究. 68, pp.59-76, 2021-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:
権利関係:
研 究 ノ ー ト
政治 的寛 容論 にお ける
︿不 寛容 の告 発﹀ 問題
︱︱ グレ ン・ ニュ ーイ の対 称性 構造 をめ ぐっ て︱
︱ 仲井 間 健 太 一 問題 の所 在 本稿 の目 的は
︑現 代政 治理 論の テー マの 一つ であ る政 治的 寛容 論が
︑い かな るパ ラダ イム 事例 を共 有し
︑何 を論 争点 と し︑ どの よう な議 論を 展開 して いる のか を示 すこ とに ある
︒ この ため に︑ 近年 の政 治的 寛容 をめ ぐる 論争 の火 付け 役と も 言え るグ レン
・ニ ュー イの 議論 とニ ュー イへ の主 要な 批判 を 取り 上げ る︒ 本稿 の論 点と 研究 史上 の意 義を 明ら かに する た め︑ 政治 的寛 容を めぐ る先 行研 究を 概観 して おく
︒ 政治 的寛 容︵
p o l i t i c a l t o l e r a t i o n
︶ は︑ 西欧 政治 思想 史の 用 語法 とし ては︑十 六・ 十七 世紀 のカ トリ ック とプ ロテ スタ ン トの 宗派 対立 に基 づい た国 家に よる 寛容 の形 態を モデ ルと し︑
﹁社 会秩 序と 平和 を維 持す ると いう 政治 的目 的の ため
︑市 民と して 当該 国家 の秩 序に 服す るの であ れば
︑個 人的
・私 的
な信 仰の 自由 は容 認す べき だと いう 考(1
え)
﹂と 説明 され る︒ そ のた め︑ 宗教 的寛 容を 歴史 上の モデ ルと する が︑ 本稿 で扱 う 政治 的寛 容の 理論 研究 は︑ 宗教 のみ を対 象に しな い︒ 対象 に かか わり なく
︑寛 容の 主体 が政 府で ある こと の現 代的 意味 を 分析 する 点が 特徴 的で ある
︒ 現代 政治 理論 にお いて 政治 的寛 容は
︑﹁ 何が 寛容 を正 当化 する のか
﹂を 論じ るリ ベラ ルな 寛容 論の 応用 事例 とし て扱 わ れて きた
︒ジ
ョ
ン・ロ ール ズは この 代表 格で ある
︒ロ ール ズ は﹃ 正義 論﹄ の第 二部 にお いて
︑平 等な 自由 とい う正 義原 理 から 寛容 を正 当化 して い(2
る)
︒こ の正 当化 原理 を基 準に
︑他 者 の平 等な 自由 を尊 重す る者 を︿ 寛容 派﹀
︑尊 重し ない 者を
︿不 寛容 派﹀ とし
︑こ の両 者間 の対 立の 調停 問題 とし て政 治的 寛 容の 問題 を論 じて いる
︒こ の︿ 不寛 容派
﹀に 寛容 ある いは 不 寛容 な対 応を すべ き諸 条件 は︑ 寛容 を正 当化 する 正義 原理 を 考慮 に入 れて 確定 され る︒
「
何 が寛 容を 正当 化す るの か﹂ とい う論 点は︑政 府や 他の 市 民集 団が
︑特 定の 不寛 容な 要求 を拒 否し
︑制 約を 試み る際 の 諸条 件の 評価
︑社 会対 立を 引き 起こ す要 求や 行動 の評 価を め ぐる 論点 とし て︑ 政治 的寛 容の 議論 に直 結す る︒ この 評価 の 基準 とし て︑ 中立 性︑ 自律
︑懐 疑主 義︑ 平和 共存 のい ずれ を 採用 すべ きか
︑こ れま で多 くの 議論 がな され てき
(3
た)
︒
寛容 の正 当化 論が
︑社 会対 立の 裁定 方法 を評 価す る規 範理 論に おい て重 要で ある こと は疑 えな い︒ しか し︑ 正当 化論 へ の集 中は
︑政 治的 寛容 に特 有の 対立 構造 を見 逃す 怖れ があ る︒ なぜ なら
︑表 現の 自由 の規 制や 中絶 をめ ぐる 公共 論争 のよ う に︑ 寛容 の正 当化 理由 その もの が︑ 当の 対立 に巻 き込 まれ
︑ 寛容 を困 難に し︑ 不寛 容を 引き 起こ す場 合も ある から だ︒ い わば
﹁何 が寛 容の 実践 を困 難に する のか
﹂と いう 問い に取 り 組む 必要 もあ るだ ろう
︒ダ リオ
・カ ステ ィリ オネ とカ トリ オ ナ・ マッ キノ ンは
︑論 集﹃ 寛容
︑中 立性
︑民 主主 義﹄ の序 文 にお いて
︑寛 容を めぐ る規 範理 論に は︑ 他の 自由 主義 的諸 価 値と の両 立性 問題 や︑ 政治 的寛 容の 民主 主義 的手 続き によ る 実現 可能 性問 題と いっ た論 点が ある と述 べて い(4
る)
︒前 者の 論 点は
︑自 由主 義的 価値 が︑ 寛容 の実 践を 正当 化す るば かり か︑ むし ろ困 難に する とい う問 題で あり
︑た とえ ば自 律に よっ て 正当 化さ れる 寛容 は︑ 自律 を尊 重し ない 集団 には 適用 され る のか とい う論 点を 含む
︒い わゆ る多 文化 主義 に関 わる 議論 も ここ に含 まれ
(5
る)
︒ こう した 論点 に比 べて
︑民 主主 義的 手続 きに よる 政治 的寛 容の 実現 可能 性と いう 論点 の重 要性 は︑ 寛容 を重 視す るリ ベ ラル な理 論家 にお いて 十分 には 考慮 され てこ なか った
︒だ が︑ T・ M・ スキ ャン ロン が強 調す るよ うに
︑民 主主 義の 制
度は
︑中 絶論 争の よう に妥 協で きな い対 立を 引き 起こ し︑ 市 民の 寛容 な態 度を 掘り 崩す 働き を持
(6
つ)
︒こ の民 主主 義の 条件 下で の対 立と 寛容 の困 難と いう 事態 を踏 まえ るな らば
︑次 の よう な疑 問が 浮か ぶだ ろう
︒あ る政 策を めぐ って 対立 する 集 団や 党派 は︑
︿寛 容派
﹀と
︿不 寛容 派﹀ とい う構 図に 明確 に区 分で きる だろ うか
︒互 いが 対立 相手 を﹁ 不寛 容だ
﹂と 詰り あ う状 況に おい て︑ 寛容 の正 当化 論が 提供 する 基準 は︑ 現代 の 民主 社会 に固 有の 対立 をど のよ うに 認識 させ
︑ま た︑ いか に して 政治 的寛 容を 可能 にす るの だろ うか
︒こ うし た問 いを 現 代に 固有 の対 立構 造と いう 点か ら捉 え直 し︑ 政治 的寛 容の た めの 理論 枠組 みを 再構 成し たの がニ ュー イで ある
︒ ニュ ーイ は︑ 民主 主義 的手 続き によ る政 治的 寛容 の実 現可 能性 につ いて 一貫 して 批判 的で あっ た︒ 彼の 基本 的主 張は 二
〇〇 一年 に発 表さ れた
﹁民 主的 寛容 はゴ ム製 のア ヒル か?
﹂ 論文 にて 知ら れて い(7
る)
︒こ の論 文は
︑ピ ータ ー・ ジ
ョ
ーン ズ が批 判的 に検 討し︑学 術誌 上の 論争 を引 き起 こし
︑そ の後 の 政治 的寛 容の 議論 を活 発化 させ
(8
た)
︒ニ ュー イは
︑政 治的 寛容 を現 代政 治理 論の 主題 の一 つに まで 押し 上げ た立 役者 と言 え る︒ 近年 の政 治的 寛容 論を めぐ る論 点の 一つ は︑ ニュ ーイ によ る﹁ 寛容 の政 治的 情況
﹂︵
p o l i t i c a l c i r c u m s t a n c e s o f t o l e r a t i o n
︶
の理 解に ある
︒こ の考 えは
︑ニ ュー イの 師の 一人 であ るス ー ザン
・メ ンダ スの 提示 した
﹁寛 容の 情況
﹂の 延長 線上 にあ る︒ メン ダス によ れば
︑寛 容が 成立 する のは
﹁否 認や 嫌悪 や憎 悪 と結 びつ いた 多様 性﹂ が存 在し
︑
﹁寛 容の 主体 が客 体に 影響 力﹂ を行 使で きる 場合 であ
(9
る)
︒こ の寛 容の 情況 は︑ 誰か が誰 かを 寛容 する とい う事 態︑ いわ ば︑ 寛容 が主 客と いう 二者 関係 で 成り 立つ 場合 の条 件で ある
︒こ の寛 容に は︑ 市民 社会 を構 成 する 個人
・集 団間 の水 平的 関係 上の 寛容 と︑ 国家 と社 会集 団 の間 の垂 直的 関係 上の 寛容 とい う二 つの 形態 があ
(10
る)
︒政 治的 寛容 の最 も基 本的 な形 態は
︑二 つ目 の垂 直的 関係 にお ける 国 家に よる 寛容 であ る︒ しか し︑ ニュ ーイ によ れば
︑こ の形 態 は︑ 現代 社会 にお ける 政治 的寛 容の 諸問 題を 捉え きれ ない
︒ ニュ ーイ は︑
﹁寛 容の 政治 的情 況﹂ とい う概 念を 提示 する こと でよ り洗 練さ れた モデ ルを 構築 して いる
︒ 寛容 の政 治的 情況 は︑ 市民 間・ 集団 間で の対 立が 激化 し︑ 水平 的次 元に おけ る寛 容が 難し くな り︑ 政府 がこ の対 立に 何 かし らの 対応 をし なけ れば なら ない 情況 であ る︒ この 場合
︑ 寛容 の水 平的 次元 と垂 直的 次元 は︑ 明確 には 区分 され ず︑ 交 差す
(11
る)
︒こ の政 治的 情況 下の 政治 的寛 容は
︑垂 直的 次元 にお ける 二者 間の 形態 より も複 雑で ある
︒な ぜな ら︑ 相異 なる 要 求を する 二つ の集 団を 前に した 政府 とい う構 図︑ すな わち
︑
三者 間で 成立 する から だ︒ 政治 的寛 容は
︑こ の政 治的 情況 か ら要 請さ れる がた めに
︑特 定の 道徳 原理 に訴 える よう な寛 容 の正 当化 論で は解 決不 可能 な問 題を 伴う
︒ニ ュー イは
︑こ の 問題 を政 治的 情況 に固 有の 構造 から 指摘 する こと にな る︒ 本稿 では
︑初 めに
︑ニ ュー イの 政治 的寛 容論 を整 理し
︑不 寛容 の告 発が 交わ され る政 治的 情況 の︿ 対称 性構 造﹀ とい う 論点 を剔 出す る︵ 第二 節︶
︒次 に︑ ニュ ーイ に対 する 主要 な反 論を 取り 上げ
︑そ の特 徴を 対称 性構 造が 成り 立た ない 非対 称 性の 明示 に見 出す
︵第 三節
︶︒ 最終 的に
︑不 寛容 の告 発を めぐ る︿ 対称 性構 造﹀ と︿ 非対 称性 の明 示﹀ の関 係が
︑互 いに 打 ち消 しあ う関 係で はな く︑ 政治 的情 況下 の対 立の 複雑 さに 対 応す る関 係に ある と論 じる
︵第 四節
︶︒ この 検討 を通 して
︑相 対立 する 集団 の︿ 不寛 容の 告発
﹀を めぐ る理 解が
︑現 代に お ける 政治 的寛 容論 の争 点の 一つ であ ると 指摘 する
︒ 二 ニュ ーイ の政 治的 寛容 論 上述 した よう に︑ 寛容 の政 治的 情況 にお いて は︑ 二つ の社 会集 団が 特定 の争 点を めぐ って 対立 し︑ 政府 はこ の対 立へ の 対応 が迫 られ る︒ 政治 的寛 容論 は︑ この 場合 の政 策判 断に 関 する 議論 とい える
︒し かし
︑ニ ュー イに よれ ば︑ これ まで の
寛容 の正 当化 論は
︑政 治的 寛容 が直 面す る現 実を 考慮 した も ので はな い︒ この 批判 先の 一人 であ るロ ール ズに 対す る ニュ ーイ の評 価を 確認 しよ う︒ 論点 の一 つは
︑取 締り の対 象に なる べき 不寛 容な 人々 は誰 であ り︑ それ をど のよ うに 決め るの かと いう もの であ る︒ は じめ に言 及し たが
︑﹃ 正義 論﹄ のロ ール ズは
︑寛 容を 平等 な自 由と いう 原理 から 正当 化し
︑こ の平 等な 自由 を他 者に 認め な い者 を︿ 不寛 容派
﹀と 呼ん でい た︒ 平等 な自 由と いう 原理 は︑ 原初 状態 にお いて 合理 的に 選択 され る正 義原 理で ある
︒つ ま り︑ 誰が 不寛 容か は︑ 原初 状態 とい う仮 想的 な理 想状 況に て 選択 され た原 理か ら決 めら れる こと にな
(12
る)
︒ この 原理 は︑ 誰が 不寛 容か を定 める ばか りで ない
︒不 寛容 派へ の寛 容を 正当 化し
︑同 時に 不寛 容派 の自 由を 制約 する 根 拠に もな る︒ 不寛 容派 の自 由の 制限 は﹁ 正義 にか なう 憲法
︱ その 原理 は不 寛容 派も 原初 状態 で承 認す ると 考え られ る︱ の もと にお ける 平等 な自 由の ため にな され
(13
る)
﹂︒ 不寛 容派 は︑ 正義 にか なう 自由 の制 度で ある 憲法 を危 険に 晒し
︑こ の制 度 に従 って 生き る寛 容派 の安 全を 損ね ると いう 一線 を超 えな い 限り は︑ 寛容 に処 され るべ きだ とロ ール ズは 論じ てい る︒ ロー ルズ の議 論構 成は
︑原 初状 態に おい て承 認す るは ずの 原理 を現 実社 会に おい ては 認め ない 者と して 不寛 容派 を捉 え
る︒ その ため
︑不 寛容 派は 当該 の社 会に おい て︑ 周囲 から も 政治 的に も寛 容に 処遇 され ない 可能 性が ある と自 覚し てい る︒ この 寛容 派と 不寛 容派 とい う対 立は
︑リ ベラ ルな 憲法 体 制の 擁護 者と 挑戦 者の 対立 とい う構 図に なっ てい る︒ 不寛 容 は憲 法規 範へ の反 抗を 意味 し︑ その 対応 とし ての 政治 的寛 容 は︑ 寛容 の正 当化 論の 応用 事例 とし て扱 われ る︒ だが ニュ ーイ によ れば
︑こ のロ ール ズの 議論 は︑ 現実 社会 にお ける 政治 的寛 容の 複雑 な諸 相を 枠づ ける もの では ない
︒ ロー ルズ の難 点は
︑仮 想的 な状 況で 選ば れた 原理 から 誰が 不 寛容 かを 特定 化す る手 法に あ(14
る)
︒と りわ け自 由民 主主 義の 条 件に おい て︑ どの 集団 が不 寛容 かは
︑ロ ール ズが 想定 する よ うに 事前 に決 まる わけ でも
︑合 意が 得ら れる わけ でも ない
︒ 現実 の対 立の 中で は︑ 誰し も相 手を
﹁不 寛容
﹂だ と名 指し
︑ 告発 する こと が可 能で あり
︑そ のど ちら が真 に不 寛容 かを 原 理的 に決 める こと は難 しい から だ︒ この 不寛 容の 告発 とい う 観点 から
︑ニ ュー イの 議論 を整 理し たい
︒ まず
︑ニ ュー イに よる 寛容 の定 式か ら︑ 不寛 容の 意味 を確 定す るこ とに 伴う 困難 につ いて 説明 す(15
る)
︒寛 容を 意味 する 英 語の
t o l e r a n c e
お よびt o l e r a t i o n
は︑﹁耐 える
﹂﹁ 我慢 する
﹂と いう 語義 を持 つ︒ ニュ ーイ は︑ この 語義 を元 手に 概念 分析 を 用い
︑行 為者 が︑ ある 理由 から 特定 の対 象を 拒否 し︑ かつ 干
渉す る力 を持 つに もか かわ らず
︑一 定の 理由 から 干渉 しな い 行為 とし て寛 容を 定式 化す る︒ 寛容 は︑
①拒 否の 理由
︑② 干 渉を しな い理 由︑
③干 渉力 の抑 制か ら特 徴付 けら れる
︒こ の うち
︑② は︑ 寛容 に規 範的 価値 を与 え︑ 寛容 を保 持す べき 理 念と する
︒他 方︑
①は
︑寛 容を 他の 道徳 的理 念か ら区 別さ せ るが
︑他 者へ の嫌 悪や 差別 心を 温存 させ るた め︑ 寛容 を理 念 とみ なす べき かと いう 疑い を常 に招
(16
く)
︒ この 定式 化は
︑あ くま で寛 容の 形式 に注 目し たも ので ある
︒ ニュ ーイ は︑ 寛容 の理 由を いか なる 原理 に基 づか せる べき か とい う議 論は 展開 せず
︑寛 容概 念の 形式 の分 析に 集中 して い る︒ この 分析 は︑ 誰が 不寛 容な のか とい う問 いが いか に論 争 的で ある かを 説明 する
︒実 際︑ 接頭 語﹁ 不﹂ を伴 う不 寛容
︵
i n t o l e r a n c e
︶は
︑寛 容の 打ち 消し であ るが
︑寛 容の 何を どの よう に打 ち消 して いる のか は一 意で はな いこ とが この 定式 か らも 分か
(17
る)
︒例 えば
︑③ の抑 制が なさ れず に干 渉的 であ るこ と︑
②の 理由 が十 分に 根拠 づけ られ ない こと
︑① の理 由が 非 常に 耐え 難い 内容 であ るこ と︑ いず れか 一つ でも 問題 にな る 場合
︑不 寛容 だと 指弾 され うる
︒さ らに
︑ロ ール ズが 懸念 す るよ うに
︑② の理 由を 制度 的に 体現 する 憲法 体制 を揺 るが す 振る 舞い も不 寛容 のカ テゴ リー に入 るだ ろう
︒ 以上 のよ うに
︑誰 かを 不寛 容と 告発 する 際の 筋道 は現 実に
は幾 つも ある
︒そ のた め︑ 寛容 の政 治的 情況 下に ある 集団 が︑ 対立 相手 を不 寛容 だと 告発 する こと は比 較的 容易 であ る︒ ニュ ーイ は︑ 対立 する 集団
︵A
・B
︶が 政府
︵G
︶に 対立 相 手へ の介 入や 不利 益に なる 政策 を要 求す る政 治的 情況 から
︑ 政治 的寛 容の 理論 化を 試み てい る︵ 図1
︶︒ 政治 的寛 容論 は︑ 対立 する 集団 間の 異な る要 求を 政府 がど のよ うに 聞き 入れ
︑実 行す るか とい う議 論で ある
︒寛 容の 政 治的 情況 にお いて は︑ 二つ の集 団は
︑何 らか の事 件が きっ か けで 対立 を表 面化 させ てい
(18
る)
︒こ の情 況に おい て政 府は
︑両 者の 言い 分を 吟味 し︑ いか なる 決定 を下 すか 判断 しな けれ ば 図1 寛容の政治的情況
なら ない
︒こ こで のニ ュー イの 関心 は︑ いか なる 決定 が真 正 の政 治的 寛容 とし て正 当化 でき るか の探 求に はな
(19
い)
︒そ うで はな く︑ この 情況 にお いて 政治 的寛 容は
︑通 常の 意味 での 寛 容と は別 種の もの であ ると いう のが 彼の 導き 出し たい 主張 で ある
︒こ の主 張を 支え るの が︑ 対立 する 集団 間の 不寛 容の 告 発と いう 事態 の分 析で ある
︒ム ハン マド の風 刺を めぐ る論 争 を事 例に 彼の 立場 を明 らか にし よう
︒ イス ラー ムを 創始 した 預言 者ム ハン マド は︑ イス ラム 教徒 にと って 崇敬 の対 象で ある
︒あ る小 説家 が︑ ムハ ンマ ドの 生 涯を モチ ーフ に風 刺作 品を 描き
︑出 版し たが
︑非 常に 冒涜 的 であ ると 世界 中の イス ラム 教徒 から 非難 され た︒ 一方 で︑ 表 現の 自由 とい う観 点か らは
︑出 版に 反対 する イス ラム 教徒 は 不寛 容だ と告 発さ れ︑ 他方
︑宗 教の 冒涜 とい う観 点か らは
︑ 出版 を擁 護す る人 々は イス ラム 教徒 に不 寛容 だと 告発 され た︒ この 時︑ 政策 担当 者は
︑こ の二 つの 告発 のう ち︑ どち ら かを より 妥当 性が ある と判 断し
︑出 版を 許可 する か︑ 許可 し ない かを 決め るこ とが でき る︒ この 選択 は︑ どち らも 寛容 であ りう るが
︑同 時に 不可 避的 に不 寛容 を意 味す ると ニュ ーイ は考 え(20
る)
︒政 府は 市民 社会 に おけ る相 異な る不 寛容 の告 発を 両方 とも 勘案 する 第三 者の 立 場に ある
︒そ のた め︑ 出版 の許 可は
︑イ スラ ム教 徒か ら不 寛
容と 告発 され た対 象の 寛容 を意 味し
︑出 版の 不許 可は
︑表 現 の自 由を 擁護 する 者か ら不 寛容 と告 発さ れた 対象 の寛 容を 意 味す る︒ この 時︑ 自ら の告 発が 採用 され ずに 却下 され た集 団 は︑ 政府 の決 定に 従い
︑不 寛容 な集 団へ の寛 容を 強い られ る︒ これ が政 治的 寛容 の構 図で ある
︵図 2︶
︒ ニュ ーイ によ れば
︑不 寛容 だと 告発 した 相手 への 寛容 が国 家に よっ て強 いら れる こと は︑ 不寛 容の 一種 とな る︒ 政策 担 当者 の決 定と して の政 治的 寛容 は︑ その 決定 に不 満を 持つ 者 から すれ ば︑ 不寛 容を 認め る決 定で あり
︑認 めが たい 相手 へ の寛 容の 強要 と受 け止 めら れる から だ︒ 図2 政治的寛容の基本図式
この 一連 の議 論が 示唆 する よう に︑ 政治 的寛 容は
︑二 者間 で成 立す る寛 容か らの 単純 な類 推か らは 理解 でき ない
︒寛 容 は︑ 主体 によ る客 体へ の自 発的 な自 己抑 制で あり
︑徳 の一 種 とも 考え られ るが
︑政 治的 寛容 は︑ ある 対立 の中 で不 寛容 と 告発 され た者 を︑ 強制 的に 自己 抑制 させ るこ とを 意味 する
︒ その ため
︑寛 容の 正当 化論 と政 治的 寛容 の正 当化 論は
︑正 当 化の 対象 も目 的も 異な る︒ 前者 が︑ 態度 や行 為︑ 徳と して の 寛容 を正 当化 する のに 対し
︑後 者は
︑不 寛容 とさ れる 集団 の 行動 を制 約ま たは 禁止 する 政策 を正 当化 す(21
る)
︒ ニュ ーイ が記 述す る政 治的 寛容 モデ ルの 特徴 は︑
︵a
︶対 称 性構 造に よる 正当 化の 条件 付け と︑
︵b
︶二 者間 をモ デル とし た寛 容と の区 別に ある
︒︵ a︶ の﹁ 対称 性構
(22
造)
﹂と は︑ ニュ ー イが 描く 寛容 の政 治的 情況 の重 要な 特徴 であ る︒ ニュ ーイ は︑ 図1 のよ うに
︑対 立す る集 団間 は︑ 同等 に不 寛容 を告 発 でき ると 想定 して いる
︒こ れは
﹁民 主主 義の 中核 的価 値と し ての 政治 的平 等と 自(23
律)
﹂に 由来 し︑ 告発 の内 容で はな く︑ 告 発を する 民主 的権 利と いう 形式 にお いて 生じ る対 称性 であ る︒ この 対称 性構 造は
︑い ずれ の告 発も 一定 の妥 当性 があ る もの とし て政 策担 当者 に勘 案さ せる
︒政 治的 寛容 をめ ぐる 決 定の 正当 化は
︑規 範原 理に のみ 直接 由来 する ので はな く︑ 政 治的 情況 とそ の現 実対 立に て見 出さ れる 告発 者間 の対 称性 構
造に 条件 づけ られ る︒ 二つ 目の
︵b
︶は
︑寛 容が 二者 間で 成立 する のに 対し
︑政 治的 寛容 は三 者間 から 成立 する とい う特 徴で ある
︒こ の違 い は︑ 政策 担当 者が 抱え るジ レン マを 説明 する
︒政 策担 当者 は︑ 相対 立す る集 団か らの 告発 に挟 まれ るが
︑対 称性 構造 と相 まっ て︑ いず れの 選択 をし よう と︑ どち らか に寛 容の 行為 を し︑ もう 一方 に対 立相 手へ の寛 容の 行為 を強 要す るこ とに な る︒ それ ゆえ
︑政 治的 寛容 の判 断を する 政治 的行 為者 を︑ 通 常の 意味 での 寛容 から 理解 する こと は﹁ 不可
(24
能)
﹂で ある
︒ この 二つ の特 徴か ら︑ 寛容 の正 当化 論は
︑政 治的 寛容 の次 元に おい ては
︑実 際に は寛 容を 正当 化す るの では なく
︑不 寛 容と 告発 され た集 団を 強制 的に 寛容 にさ せる とい う不 寛容 の 正当 化論 とな るこ とが 明ら かに なる
︒政 治的 寛容 は︑ 不可 避 的に 不寛 容を 伴う のだ
︒ニ ュー イに よれ ば︑ 政治 的寛 容に つ きま とう 不寛 容の 問題 は︑ 民主 的手 続き を介 する こと で表 面 化し
︑対 立の 調停 より は悪 化を
︑秩 序の 安定 より は不 安定 を 招く こと にな
(25
る)
︒ 三 政治 的寛 容の 対称 性構 造批 判 対立 する 集団 同士 は︑ 互い を不 寛容 と告 発す るが
︑ど ちら
の告 発が 正し いの かを 政府 側は 原理 的に 決定 でき ない まま に 政治 的寛 容の 判断 を下 す︒ ニュ ーイ は︑ 市民 社会 にお ける 不 寛容 の告 発と いう 観点 から
︑現 代の 自由 民主 主義 体制 に特 有 の対 立と
︑十 六・ 十七 世紀 の国 家観 に由 来す る政 治的 寛容 と の間 の緊 張関 係を 示し てい ると もい え(26
る)
︒こ の三 者間 関係 で 成立 する 政治 的寛 容の モデ ルは
︑そ の後 の政 治的 寛容 論の パ ラダ イム 事例 とな って いる
︒ 主な 論争 点は
︑ニ ュー イの 政治 的寛 容論 の二 つの 想定 に向 けら れて いる
︒一 つ目 は︑ 寛容 も政 治的 寛容 も︑ 行為 や態 度︑ 徳で はあ って も︑ 政治 理念 では ない とい う想 定で ある
︵ニ ュー イは 寛容 の概 念分 析を 非常 に緻 密に 展開 する が︑ リベ ラル な 社会 を統 制す る政 治理 念と して 寛容 を捉 える こと は放 棄し て いる
︶︒ 二つ 目は
︑対 立す る集 団間 での 不寛 容の 告発 が︑ 自由 民主 主義 の条 件下 では 対称 性の 構造 をと ると いう 政治 的情 況 をめ ぐる 想定 であ る︒ 主要 な批 判と して
︑ピ ータ ー・ ジ
ョ
ー ンズ とア ンナ・エ リザ ベッ タ・ ガレ オッ ティ の政 治的 寛容 論 を取 り上 げる こと にし よう
︒
︵一
︶告 発者 の立 場性 ジ
ョ
ーン ズは︑政 治的 寛容 をリ ベラ ルな 社会 が実 装す る ルー ルと いう 点か ら再 構想 する 必要 性を 説い てい
(27
る)
︒ジ
ョ
ーンズ によ れば
︑ニ ュー イは
︑寛 容の 政治 的情 況を 強調 する あ まり
︑政 治的 寛容 の理 念を 見失 って いる
︒寛 容そ のも のは
︑ 他人 の生 活や 慣行 に賛 同し ない 行為 者の 行為 かも しれ ない が︑ リベ ラル な理 念と して の政 治的 寛容 は︑ 他者 から 賛同 さ れな い生 活や 慣行 でも 自由 に実 践で きる 権利 の保 障を 本題 と する
︒だ が﹁ 政治 的寛 容﹂ とい う語 は︑ 十六
・十 七世 紀の 寛 容な 支配 者の 像に 彩ら れ︑ 現代 にそ のま ま適 用す るな らば
︑ 政府 や社 会的 多数 派の 抑制 的振 る舞 いを 意味 し︑ 現代 では
﹁役 立た ない
﹂た め︑
﹁我 々は
︑政 治的 寛容 を政 府や 多数 派の 態度 や気 まぐ れの 中に 位置 付け るの では なく
︑社 会の 法的
・政 治 的編 成の うち に位 置付 ける べ(28
き)
﹂で ある
︒ こう した 理解 を背 景に
︑ジ
ョ
ー ンズ は︑ 不寛 容の 告発 をめ ぐる ニュ ーイ の対 称性 構造 を批 判す(29
る)
︒ジ
ョ
ー ンズ は中 絶論 争を 題材 に対 称性 構造 の問 題を 検討 して いる︒中 絶を 女性 の 選択 肢の 一つ であ ると 賛同 する
﹁プ ロチ
ョ
イ ス﹂ の市 民達︵C
︶ と︑ 中絶 は胎 児殺 害で ある とし て反 対す る﹁ プロ ライ フ﹂ の 市民 達︵ L︶ がい る︒ 両者 は︑ 中絶 を禁 止す る法 案を めぐ っ て︑ 互い に対 立し てい る︒ この 場合
︑対 称性 構造 は︑
⑴
L が Cの 行為 を容 認し ない こと と︑⑵
C がL の行 為を 容認 しな い こと が︑ 同様 の意 味で﹁不 寛容
﹂と 扱え るこ とを 意味 す(30
る)
︒ ジ
ョ
ーン ズは︑対 立相 手を 不寛 容と 告発 する 者を
︑行 為主
体︵
a g e n t s
︶︑ 傍観 者︵
o b s e r v e r s
︶︑受 難者
︵
p a t i e n t s
︶ とい う 三種 類の カテ ゴリ ーか ら論 じ(31る)
︒行 為主 体と は︑ ある 行為 を 自ら の行 為主 体性
︵
a g e n c y
︶ とし て発 揮す る者 であ る︒ 傍観 者は︑他 者の 行為 を観 察し
︑評 価す る者 であ る︒ 受難 者は
︑ ある 行為 によ って
︑自 らの 行為 主体 性が 切り 詰め られ る者 で ある
︒ジ
ョ
ー ンズ は︑ 相手 を不 寛容 とし て告 発す るこ とが︑ この 三者 に応 じて
︑ど のよ うに 異な るか を吟 味し
︑受 難者 か らの 告発 こそ が︑ 不寛 容の 正当 な告 発と みな され るべ きだ と 主張 する
︒ ニュ ーイ の対 称性 構造 の問 題は
︑自 らの 行為 主体 性を 切り 詰め られ る心 配の ない 行為 主体 や傍 観者 の告 発す る不 寛容 と︑ 反対 者の 行為 によ って
︑行 為主 体性 が切 り詰 めら れる 受 難者 の告 発す る不 寛容 とを 同等 にし てい る点 にあ る︒ これ に 対し
︑ジ
ョ
ー ンズ は︑ 寛容 を行 為主 体性 の確 保の ため のル ー ルを 統制 する 政治 理念 とし︑不 寛容 を行 為主 体性 の切 り詰 め を告 発す るた めの 語と 位置 付け るよ う提 案す る︒ その 際に 問 題視 され るの が傍 観者 であ る︒ 傍観 者は
︑論 争の 対象 とな る 生活 や慣 行の 実践 者で も︑ それ によ って 行為 主体 性が 切り 詰 めら れて いる 受難 者で もな い︑ いわ ば非 当事 者で ある
︒に も かか わら ず︑ 傍観 者が あた かも 受難 者と して
︑特 定の 人物 や 慣行 を﹁ 不寛 容だ
﹂と 告発 する 事態 をジ
ョ
ー ンズ は問 題化 する︒ この よう にジ
ョ
ー ンズ は︑ 告発 者の 立場 性の 違い を描 く こと で︑ ニュ ーイ の対 称性 構造 が見 かけ 上の もの であ ると 示 唆し てい(32
る)
︒ ジ
ョ
ーン ズは︑告 発の 非対 称性 を発 見し
︑政 治的 に対 処す べき 不寛 容を 特定 化す る︒ この 特定 化の 手段 によ って
︑寛 容 を強 いる こと が正 当な 対象 を見 つけ るこ とが 可能 とな る︒ 不 寛容 の告 発の 対称 性を 見破 る方 法を 導出 する こと は︑ ニュ ー イが
﹁ナ ンセ ン(33
ス)
﹂な もの に変 えた 自由 民主 主義 体制 下の 政 治的 寛容 に再 びセ ンス を取 り戻 す手 立て なの であ る︒
︵二
︶不 寛容 への 反応 と不 寛容 の区 別 ガレ オッ ティ もま た︑ ニュ ーイ の議 論に は﹁ 腐食 的な
(34
力)
﹂ があ ると 批判 し︑ 政治 的寛 容を 救い 出す 試み をし てい る︒ ガ レオ ッテ ィは
︑リ ベラ ルな 社会 にお いて
︑市 民が 法的 には 平 等に 処遇 され
︑市 民間 は対 称的 な関 係に ある こと を確 認す る︒ しか し︑ この 対称 性は
︑法 的お よび 道徳 的な 想定 であ り︑ 現 実社 会を 生き る市 民間 の関 係性 が対 称的 であ ると は言 い難 い︒ 例え ば移 民集 団や 性的 少数 者は
︑こ の対 称性 を求 め︑ 法 的な 平等 政策 を求 める が︑ 実際 にこ の政 策が 押し 進め られ よ うと
︑そ れに よっ て現 実社 会か ら敵 意・ 差別 心が なく なる わ けで はな い︒ その ため
︑ガ レオ ッテ ィは
︑中 立主 義的 なリ ベ
ラリ ズム を支 持し つつ も︑ 少数 派の 社会 的包 摂に 取り 組む 上 では 不十 分で ある と考 える
︒ ガレ オッ ティ は︑ 社会 権力 上の 差異 とそ れに 伴う 社会 的排 除を 是正 し︑ 少数 派の 社会 的包 摂へ と方 向付 ける ため のリ ベ ラル な政 治構 想と して
︿承 認と して の寛 容﹀ を提 唱し てい
(35
る)
︒ ここ で問 題に なる のは
︑政 府を 通し た公 共的 な寛 容の 政策 が︑ 多数 派が 少数 派に 抱く 嫌悪 を温 存さ せた もの とし て理 解し て よい かど うか であ る︒ ニュ ーイ を含 め︑ 伝統 的な 寛容 の概 念 を重 視す る者 から すれ ば︑ よい かど うか の問 題で はな く︑ 定 義上
︑特 定の 対象 への 不賛 同や 嫌悪 は必 須条 件で ある
︒こ れ に対 し︑ ガレ オッ ティ は︑ 政治 的寛 容の 次元 にお いて は︑ リ ベラ ルな 政府 は︑ 社会 権力 上の 差異 に配 慮し
︑少 数派 の社 会 的包 摂と 象徴 上の 承認 とい う肯 定的 な理 由か ら決 定す べき だ と論 じて いる
︒﹁ 問題 とな る差 異が 寛容 され るの は︑ それ が 危害 原理 を侵 害し てい ない から では なく
︑そ の差 異の 担い 手 の十 分な 包摂 のた めで ある
︒さ らに
︑差 異の 公共 的存 在を 正 統づ ける こと で︑ その 差異 と担 い手 の居 場所 を作 り︑ 社会 的 慣習 を調 整し
︑社 会的 基準 を修 正す
(36
る)
﹂の であ る︒ こう した ガレ オッ ティ の観 点か らす れば
︑ニ ュー イの 政治 的寛 容論 は︑ リベ ラル な法 の支 配の もと での 市民 間の 対称 性 と︑ 少数 派へ の嫌 悪を 伴う 社会 権力 上の 非対 称性 とが 交差 し
てい る現 代社 会の 歪み に向 き合 うも ので はな い︒ ガレ オッ ティ は︑ この 問題 点を 明ら かに する ため に︑ ゲイ プラ イド パ レー ドの 事例 を取 り上 げ(37
る)
︒同 性愛 嫌悪 を攻 撃的 に表 示す る ホモ フォ ビア の集 団と
︑プ ライ ドパ レー ドを 開催 する 集団 は︑ ニュ ーイ の政 治的 寛容 のモ デル にお いて は︑ 互い に不 寛容 を 告発 して いる こと にな る︒ パレ ード の実 行者 から すれ ば︑ ホ モフ ォビ アの 集団 が嫌 悪の 表示 とパ レー ドの 阻止 を試 みる こ とは 不寛 容で ある
︒ホ モフ ォビ アの 集団 から すれ ば︑ パレ ー ドの 実行 は︑ 異性 愛規 範へ の脅 威で あり
︑自 分た ちへ の示 威 を意 味す る点 で不 寛容 であ る︒ ガレ オッ ティ は︑ ニュ ーイ の政 治的 寛容 論を いく つか の角 度か ら掘 り崩 して いる
︒ま ず︑ 上述 した 承認 とし ての 寛容 の 観点 から すれ ば︑ 少数 派の 社会 的地 位に 顧慮 した 政治 的寛 容 の決 定︑ すな わち パレ ード の許 可が 正当 化さ れる
︒ホ モフ ォ ビア は︑ パレ ード の社 会的 実践 を受 け入 れる よう に強 いる 不 寛容 だと みな すだ ろう が︑ その 種の 不寛 容は
︑承 認の 観点 か ら正 統と みな され るだ ろう
︒ しか しガ レオ ッテ ィは
︑こ の理 路を 直接 は採 用し ない
︒不 寛容 の告 発に おけ る対 称性 構造 を崩 す際 に︑ その 告発 者が 少 数派 か︑ 多数 派か とい う立 場性 では なく
︑不 寛容 の定 義か ら 論じ てい る︒ ガレ オッ ティ が注 目す るの は︑
︿不 寛容
﹀と
︿不
寛容 への 反応
︵
r e s p o n s e s t o i n t o l e r a n c e
︶﹀の 違い であ
(38
る)
︒ガ レオ ッテ ィに よれ ば︑ 前者 は︑ 元々 の拒 否や 異議 が﹁ 他の 人々 にか かわ る︵
o t h e r - r e g a r d i n g
︶﹂︒ これ に対 し︑ 不寛 容へ の反 応は
︑自 分た ちに 事前 に向 けら れた 不寛 容に 対抗 した
﹁本 人 のみ にか かわ る︵
s e l f - r e g a r d i n g
(39))
﹂︒﹁ ゲイ プラ イド に抗 議す る者 たち は︑ ゲイ であ るこ とを 表明 する こと が自 分た ちの 信 念を 害し
︑社 会の 道徳 的基 礎を 汚染 する ため に︑ 耐え がた い と主 張す
(40
る)
﹂が
︑ガ レオ ッテ ィに よれ ば︑ この パレ ード への 抗議 は不 寛容 に属 する
︒た とえ
︑自 分た ちへ の不 寛容 だと 主 張し よう とも
︑元 々の 同性 愛嫌 悪と その 表示 が﹁ 他の 人々 に かか わる
﹂か らだ
︒こ れに 対し
︑パ レー ドの 開催 は︑ 異性 愛 嫌悪 に基 づく 不寛 容で はな く︑ 同性 愛嫌 悪に 基づ く不 寛容 に 抗す るた めの 反応 であ る︒ この 区別 は︑ 少数 派に よる 抗議 を不 寛容 の一 種と して 同列 に扱 わせ ない ため に重 要と なる
︒﹁ もし KK Kが 非白 人に 対 する 嫌悪 感か ら︑ 白人 至上 主義 の象 徴を すべ て表 示し
︑威 嚇 の力 を行 使し て人 種差 別的 なデ モを 行う とす れば
︑そ れは 不 寛容 の表 示で あり
︑威 嚇の 目的 で公 然と 嫌悪 感を 表示 して い るこ とに なる
︒ア フリ カ系 アメ リカ 人が
︑自 分た ちを 人種 集 団と して 対象 とす るこ の種 のデ モに 抗議 する なら ば︑ 人種 差 別的 な表 示を 止め よう とす る彼 らの 主張 は︑ 不寛 容で はな く︑
より 適切 には
︑不 寛容 への 反応 であ る︒ 同様 に︑ モス クの 建 設に 反対 し︑ 建設 現場 に豚 の血 を流 す人 々は
︑不 寛容 に行 動 して いる が︑ その よう な行 動に 抗議 する イス ラム 教徒 は︑ 彼 らに 向け られ た不 寛容 に抵 抗し てい るの であ
(41
る)
﹂︒ 以上 のよ うに
︑ガ レオ ッテ ィは
︑自 己防 衛の 一種 とし て不 寛容 への 反応 を捉 え︑ パレ ード は不 寛容 にあ たら ない と主 張 する
︒こ の主 張は
︑承 認と して の寛 容と いう ガレ オッ ティ 自 身の 政治 構想 にも かな うが
︑不 寛容 の定 義か ら告 発の 非対 称 性を 描く アプ ロー チは
︑ニ ュー イの 政治 的寛 容論 への より 内 在的 な批 判を 可能 にし てい ると いえ る︒ 本節 では
︑ニ ュー イに 対す る主 な反 論を 二つ 確認 して きた
︒ 両者 は︑ 告発 者の 立場 性か
︑不 寛容 の定 義か
︑と いう 重要 な 相違 点が ある もの の︑ 寛容 の政 治的 情況 にお ける 二つ の不 寛 容の 告発 の間 に非 対称 性を 見出 すと いう アプ ロー チに おい て 共通 して いる
︒次 節で は︑ この 非対 称性 の明 示が 何を 意味 す るか を考 察し たい
︒ 四 非対 称性 の明 示と その 限界 ジ
ョ
ーン ズと ガレ オッ ティ は︑ 政治 的寛 容を 自由 民主 主義 体制 下に おい て保 持す べき 理念 とし て位 置付 ける とい う目 的から
︑不 寛容 の告 発の 非対 称性 を論 じて いる
︒こ こで は︑ そ れぞ れの 非対 称性 の明 示方 法の 内容 の検 討は 行わ な(42
い)
︒注 目 した いの は︑ 両者 に共 通す る非 対称 性の 明示 とい うア プロ ー チが
︑ニ ュー イの 議論 全体 を退 ける もの には なっ てい ない 点 であ る︒ 繰り 返し にな るが
︑ニ ュー イの 想定 する 政治 的情 況に おい ては
︑対 立す る二 者に よる 不寛 容の 告発 が対 称性 構造 をと る ため に︑ 政策 担当 者は ジレ ンマ を抱 える こと にな る︒ この ジ レン マは
︑︵ a︶ 二つ の告 発が 対称 性構 造に よっ て︑ どち らも 一定 の妥 当性 があ ると みな され
︑政 策判 断を 複雑 にし
︑さ ら に︵ b︶ 三者 間か ら成 立す る政 治的 寛容 にお いて は︑ 正当 化 理由 にか かわ らず
︑政 治的 行為 者の 選択 は︑ どち らか に寛 容 であ り︑ もう 一方 には 対立 相手 への 寛容 を強 要す る不 寛容 に なる とい うも ので あっ た︵ 第二 節︶
︒ 不寛 容の 告発 が︑ 対称 性を とら ない と主 張す るこ とに は︑ 少な くと も二 つの 意義 があ る︒ 第一 に︑ 非対 称性 の明 示は 右 のジ レン マの うち
︵a
︶を 解消 する
︒政 策担 当者 は︑ 不寛 容 の告 発を 仕分 けす る基 準か ら︑ どの 告発 を考 慮に 入れ るべ き か確 定で きる
︒第 二に
︑こ の基 準は
︑告 発さ れて いる 不寛 容 の内 実に も踏 み込 むた め︑
︵b
︶に おい て強 要と して 問題 にな る国 家対 応が いか なる もの であ るべ きか とい う指 針も 与え
る︒ だが
︑こ うし た意 義に もか かわ らず
︑非 対称 性の 明示 には 限界 があ る︒ それ は︵ b︶ を緩 和は して も解 消は しな いと い う限 界で ある
︒な ぜな らこ の明 示は
︑あ る不 寛容 の告 発を 真 正な もの とそ うで ない もの に仕 分け るが
︑後 者と して 跳ね 除 けら れた 集団 が︑ その 仕分 けを 受け 入れ ると は限 らず
︑な お 対立 相手 を不 寛容 だと 告発 し続 ける 余地 は残 るか らで ある
︒ その 場合
︑た とえ ジ
ョ
ーン ズや ガレ オッ ティ の定 義す る不 寛 容の 基準 に合 致せ ずと も︑ 強要 され る者 たち は﹁ 不寛 容﹂ な 者ら への 寛容 の強 要︑ 国家 によ る﹁ 不寛 容﹂ とみ なし 続け る だろ う︒ 以上 から︑非 対称 性の 明示 とい うア プロ ーチ の特 徴は 明ら かの よう に思 える
︒非 対称 性の 明示 は︑ 寛容 の政 治的 情況 に 置か れた 政策 担当 者に 指針 を与 え︑ ニュ ーイ のジ レン マを 緩 和さ せる
︒不 寛容 の告 発の 非対 称性 基準 は︑ 寛容 の名 の下 の 政策 を合 理的 に決 定す るた めに は必 要不 可欠 と言 える
︒し か し︑ この 基準 は︑ そこ で採 択さ れる 政策 が︑ 対立 の渦 中に あ る特 定集 団に は寛 容の 強要 とな り︑ 不寛 容な 政策 とし て受 け 止め られ うる とい う事 態の 理解 に貢 献す るこ とは ない
︒非 対 称性 の基 準は
︑政 策プ ロセ スに おい て考 慮す るべ き不 寛容 の 告発 を裁 定す ると いう 限定 的な 役割 のみ を担 うか らだ
︒
これ に対 し︑ 対称 性構 造は
︑誰 もが 民主 的な 権利 とし て︑ 不寛 容を 告発 でき ると いう 原則 から 導出 され てい る︒ これ は 市民 社会 内部 でな ぜ寛 容や 不寛 容と いう 言葉 が︑ 政治 言説 と して 用い られ
︑特 有の 対立 を生 み出 すこ とに なる かを 説明 す る︒ この 対称 性構 造は
︑対 立の 原因 やそ の複 雑さ を示 すと し ても
︑政 府が いか なる 決定 を下 せば
︑そ の対 立が 解決 でき る かと いう 手が かり を提 供す るわ けで はな い︒ この よう に考 える なら ば︑ 不寛 容の 告発 に関 する 対称 性構 造と 非対 称性 の明 示と いう 論点 は︑ 政治 的寛 容が 取り 組む べ き政 治的 情況 にお いて 交差 して いる 二つ の次 元︱ 水平 的関 係 と垂 直的 関係
︱の 別々 の課 題に 対応 して いる
︒政 治的 寛容 を めぐ る理 論は
︑こ の交 差す る二 つの 次元 のそ れぞ れに 特有 の 不寛 容の 告発 とい う問 題を どの よう に理 解す るか にか かっ て いる と思 われ る︒ この 理解 の違 いは
︑社 会対 立の 調停 にお け るリ ベラ ルな 政府 の役 割を めぐ る理 解の 違い に対 応し てい る︒ ガレ オッ ティ のよ うに
︑政 治的 寛容 をリ ベラ ルな 理念 と 位置 付け
︑政 府の 積極 的役 割を 重視 する 論者 は︑ 非対 称性 の 明示 を通 して
︑政 治的 寛容 のた めの 合理 的な 判断 材料 を提 供 して いる
︒そ の判 断材 料は
︑政 府が 対応 すべ き不 寛容 な人 々 と彼 らに 反応 せざ るを 得な い社 会的 少数 派と いう 構図 を特 定 化す る材 料に なる
︒
ニュ ーイ は︑ ガレ オッ ティ とは 反対 に︑ 自由 民主 主義 の条 件下 での 不寛 容の 告発 の対 称性 を強 調し
︑政 治的 寛容 が社 会 的対 立の 解決 のた めに 有効 に機 能す るわ けで はな いと 主張 す る︒
﹁寛 容に 訴え かけ るこ とは
︑し ばし ば︑ 政治 的対 立を 解決 する ため では なく
︑対 立を 永続 させ るた めに 行わ れて いる よ うに 思わ れ(43
る)
﹂と 述べ るニ ュー イは
︑政 府に よる 働き かけ を 通し て社 会内 の寛 容を 方向 付け
︑承 認の 問題 を解 決で きる と する ガレ オッ ティ のよ うな 論者 の寛 容論 には 懐疑 的で あ(44
る)
︒ 寛容 を強 いる 政策 が︑ 特定 の理 論か らは 十分 に正 当化 され よ うと も︑ それ を不 寛容 と受 け止 める 人々 がい る以 上︑ その 種 の政 治的 寛容 は︑ 社会 の中 に紛 争と 扇動 の火 種を 燻ら せ続 け るこ とに なる
︒こ の点 でニ ュー イは
︑ジ
ョ
ー ンズ やガ レオ ッ ティ と異 なり︑政 治的 寛容 の役 割を 限定 的に 捉え る必 要性 を 説い てい
(45
る)
︒ まと める なら ば︑ 政治 的寛 容論 にお ける 非対 称性 の明 示は
︑ 垂直 的関 係に おけ る政 府に よる 寛容 の政 策の ため には 重要 な 判断 材料 には なる が︑ それ を市 民社 会の 水平 的関 係に おけ る 対立 の認 識に 単純 に適 用す るな らば
︑あ る集 団が 不寛 容の 告 発を 通し て訴 えよ うと して いる こと を捉 え損 ねさ せる 怖れ が あ(46
る)
︒水 平的 関係 での 不寛 容の 告発 は︑ 自由 民主 主義 社会 の 対称 性構 造を 所与 のも のと し︑ 対立 相手 の不 寛容 の理 解に 努
め︑ 対応 を考 える 必要 もあ る︒ もし
︑こ の水 平的 関係 にお け る営 みぬ きに
︑非 対称 性の 明示 に訴 えた 垂直 的関 係に よる 対 立の 調停 に期 待を 置く ので あれ ば︑ さら なる 憤懣 の引 き金 に しか なら ない だろ う︒ 不寛 容を 告発 する 声を
︑社 会に 内在 す る対 称性 構造 と理 論家 によ る非 対称 性の 明示 の間 の緊 張関 係 から 認識 する こと は︑ 政治 的寛 容論 が取 り組 むべ き対 立の 所 在を 示し
︑さ らに
︑そ の対 立の 対応 のた めに 行使 され る権 力 への 洞察 を鍛 え直 す一 助と なる
︒ 五 結び 本稿 では
︑近 年の 政治 的寛 容を めぐ る論 争の 火付 け役 とも 言え るグ レン
・ニ ュー イの 議論 とニ ュー イ批 判を 取り 上げ
︑ 現代 の政 治的 寛容 論に おい て︑ 寛容 の政 治的 情況 にお ける 不 寛容 の告 発を めぐ る対 称性
/非 対称 性が 主要 な論 点と なっ て いる こと を示 して きた
︒こ の対 称性
/非 対称 性は
︑単 にコ イ ンの 裏表 のよ うな 関係 にあ るの では なく
︑政 治的 寛容 にお い て複 雑に 交差 する 水平 的次 元と 垂直 的次 元の 差異 に対 応す る もの であ ると 本稿 では 指摘 した
︒ 最後 に︑ 本稿 で中 心的 に取 り上 げた ニュ ーイ につ いて 紹介 して おき たい
︒英 国出 身の 政治 理論 家で ある ニュ ーイ は︑ 寛
容論 研究 にお いて はス ーザ ン・ メン ダス とジ
ョ
ン・ホ ート ン の弟 子︑ また ガレ オッ ティ やラ イナ ー・ フォ アス トの ライ バ ルと して も知 られ
︑現 代寛 容論 の最 重要 人物 の一 人で ある
︒ また
︑ニ ュー イは
︑ホ ッブ ズ研 究に おい ては リチ ャー ド・ タッ クの 教え 子で あり
︑﹃ リヴ ァイ アサ ン﹄ の解 説書 も執 筆し てい る︒ さら に二
〇〇 一年 の著 作﹃ アフ ター
・ポ リテ ィッ クス
﹄ は彼 を近 年の 政治 的リ アリ ズム 論争 の先 駆け とし て有 名に し てい
(47
る)
︒リ アリ ズム と寛 容︑ 安全 保障 の関 連な ど︑ 現代 寛容 論の 重要 な論 点を 提示 して い(48
る)
︒ 現代 政治 理論 にお いて
︑寛 容論 が︑ 何を 課題 とし
︑い かな る論 点を どの よう に探 求す る研 究分 野で ある のか は︑ いま だ 不明 瞭の よう に思 われ る︒ 本稿 は︑ 政治 的寛 容を 手が かり に︑ その 一端 を示 すこ とを 試み た︒ 互い が互 いを 不寛 容だ と憎 み︑ 詰り 合う よう な社 会対 立の 渦中 で︑ 国家 によ る強 制は
︑ 寛容 を促 すの か︑ それ とも 頓挫 させ るの か︒ 本稿 で剔 出し た この 問題 につ いて は︑ 筆者 自身 の宿 題と して 別稿 で論 究す る こと にし たい
︒ 注
︵1
︶川 出良 枝﹁ 政治 的寛 容︱ ポリ ティ ーク 派か らピ エー ル・ ベー ルへ
︱﹂
﹃思 想﹄ 第一 一四 三号
︑二
〇一 九年
︑一 六一
〜一 七六 頁︒ 引用 は一 六一 頁︒
︵2
︶該 当箇 所は 以下 にあ る︒ Jo hn Ra wl s, A Th eo ry of Ju st ic e: Re vi se dE di ti on ,H ar va rd Un iv er si ty Pr es s, 19 99 , se c. 34 -5
︵川 本隆 史・ 福間 聡・ 神島 裕子 訳﹃ 正義 論 改訂 版﹄ 紀伊 國屋 書店
︑二
〇一
〇年
︑第 三四 節︑ 第三 五節
︶︒
︵3
︶そ れぞ れの 代表 的な 議論 とし ては
︑以 下が ある
︒ Su sa nM en du s, To le ra ti on an dt he Li mi ts of Li be ra li sm , At la nt ic Hi gh la nd s: Hu ma ni ti es Pr es s, 19 89 ,e sp .c h. 5︵ 谷 本光 男・ 北尾 宏之
・平 石隆 敏訳
﹃寛 容と 自由 主義 の限 界﹄ ナカ ニシ ヤ出 版︑ 一九 九七 年︑ 特に 第五 章︶
︒J os ep hR az ,
‘A ut on om y, To le ra ti on an dt he Ha rm Pr in ci pl e’ ,i nS us an Me nd us (e d. ), Ju st if yi ng To le ra ti on :C on ce pt ua la nd Hi st or ic al Pe rs pe ct iv es ,N ew Yo rk :O xf or dU ni ve rs it y Pr es s, 19 88 ,c h. 7︵ 森際 康友 訳﹃ 自由 と権 利︱ 政治 哲学 論 集﹄ 勁草 書房
︑一 九九 六年
︑Ⅶ 章︶
︒B ri an Ba rr y, Ju st ic e as Im pa rt ia li ty ,O xf or d: Cl ar en do nP re ss ,1 99 5, es p. pp . 16 8- 73 ,M ic ha el Wa lz er ,O nT ol er at io n, Ne wH av en :Y al e Un iv er si ty Pr es s, 19 97
︵大 川正 彦訳
﹃寛 容に つい て﹄ み すず 書房
︑二
〇〇 三年
︶︒
︵4
︶ Da ri o Ca st ig li on e an d Ca tr io na
Mc Ki nn on ,
‘I nt ro du ct io n’ ,T ol er at io n, Ne ut ra li ty an d De mo cr ac y, Lo nd on :K lu we rA ca de mi cP ub li sh er s, 20 03 ,e sp .p p. 2- 3.
︵5
︶例 えば
︑W il lK ym li ck a, Mu lt ic ul tu ra lC it iz en sh ip :A Li be ra lT he or yo fM in or it y Ri gh ts ,O xf or d: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 95 ,e sp .c h. 8︵ 角田 猛之
・石 山文 彦・
山崎 康仕 監訳
﹃多 文化 時代 の市 民権
︱マ イノ リテ ィの 権 利と 自由 主義
﹄晃 洋書 房︑ 一九 九八 年︑ 特に 第八 章︶
︑松 元雅 和﹁ 現代 自由 主義 社会 にお ける 寛容
︱少 数派 文化 権 の是 非を めぐ る一 考察
︱﹂
﹃法 学硏 究﹄ 第八 二号
︵八
︶︑ 二
〇
〇九
年︑ 四 九〜 七六
頁︒ Pe te rB al in t, Re sp ec ti ng To le ra ti on :T ra di ti on al Li be ra li sm an dC on te mp or ar y Di ve rs it y, Ox fo rd :O xf or dU ni ve rs it yP re ss ,2 01 7.
︵6
︶T .M .S ca nl on ,‘ Di ff ic ul ty of To le ra nc e’ in Da vi dH ey d (e d. ), To le ra ti on :A nE lu si ve Vi rt ue ,P ri nc et on :P ri nc et on Un iv er si ty Pr es s, 19 96 ,c h. 12 .
︵7
︶G le nN ew ey ,‘ Is De mo cr at ic To le ra ti on aR ub be r Du ck
?’ ,R es Pu bl ic a7 ,2 00 1, pp .3 15 -3 6.
︵8
︶一 連の 論争 は以 下を 参照
︒P et er Jo ne s,
‘M ak in gS en se of Po li ti ca lT ol er at io n’ ,B ri ti sh Jo ur na lo fP ol it ic al Sc ie nc e, 37 (3 ), 20 07 ,p p. 38 3- 40 2. Gl en Ne we y,
‘P ol it ic al To le ra ti on :A Re pl yt oJ on es
’, Br it is hJ ou rn al of Po li ti ca l Sc ie nc e, 41 (1 ), 20 10 ,p p. 22 3- 7. Pe te rJ on es ,‘ Po li ti ca l To le ra ti on :A Re pl y to Ne we y’ ,B ri ti sh Jo ur na lo f Po li ti ca lS ci en ce ,4 1, 20 10 ,p p. 44 5- 7. Pe te rB al in t,
‘N ot Ye t Ma ki ng Se ns eo fP ol it ic al To le ra ti on
’R es Pu bl ic a, 18 (3 ), 20 12 ,p p. 25 9- 64 .P et er Jo ne s,
‘L eg al is in gT ol er at io n: a Re pl yt oB al in t’ Re sP ub li ca ,1 8( 3) ,2 01 2, pp .2 65 -7 0.
︵9
︶M en du s, ib id ., pp .8 -9
︵邦 訳︑ 前掲 書︑ 一三
〜一 五頁
︶︒ これ はロ ール ズの
﹁正 義の 情況
﹂︵ ci rc um st an ce so f ju st ic e︶ を踏 まえ た名 称で あろ う︵ Ra wl s, ib id ,s ec .2 2︶
︒
︵10
︶寛 容の 情況 にお ける 水平 と垂 直と いう 次元 の区 分は
︑ メン ダス では なく ガル ゾン
・ヴ ァル デス の用 語法 に負 っ てい る︒ Ga rz on Va ld es ,E rn es to
‘S om eR em ar ks on th e Co nc ep to fT ol er at io n’ ,R at io Ju ri s, 10 (2 ), 19 97 ,p p. 12 7- 38 .
︵11
︶こ の交 差に つい ては
︑次 の文 献を 参照
︒F er re tt i, M. P. an dL æg aa rd ,S .‘ A Mu lt ir el at io na lA cc ou nt of To le ra - ti on
’, Jo ur na lo fA pp li ed Ph il os op hy ,3 0, 20 13 ,p p. 22 4- 38 .
︵12
︶該 当箇 所は
︑R aw ls ,i bi d, se c. 34
︵邦 訳︑ 前掲 書︑ 第三 四 節︶ を参 照︒
︵13
︶R aw ls ,i bi d, p. 19 3. 引用 は邦 訳︑ 前掲 書︑ 二九 九頁
︒
︵14
︶ニ ュー イの ロー ルズ 批判 は広 範に およ ぶ︒ ここ で紹 介 して いる
﹃正 義論
﹄批 判は
︑G le nN ew ey ,V ir tu e, Re as on an dT ol er at io n: Th eP la ce of To le ra ti on in Et hi ca la nd Po li ti ca lP hi lo so ph y, Ed in bu rg h: Ed in bu rg hU ni ve rs it y Pr es s, 19 99 ,p p. 16 2- 4. およ び︑ Ne we y,
‘I sD em oc ra ti c To le ra ti on aR ub be rD uc k?
’の pp .3 20 -1 を参 照︒ 後期 ロー ルズ の著 作で ある
﹃政 治的 リベ ラリ ズム
﹄批 判は
︑ Ne we y,
‘I sD em oc ra ti cT ol er at io na Ru bb er Du ck
?’ pp . 33 0- 3お よ び︑ Gl en Ne we y, To le ra ti on in Po li ti ca l Co nf li ct ,C am br id ge :C am br id ge Un iv er si ty Pr es s, 20 13 , ch .4 で中 心的 にな され てい る︒ また
︑リ アリ ズム の立 場 から のロ ール ズの 方法 論へ の包 括的 批判 は︑ Gl en Ne we y, Af te rP ol it ic s: th eR ej ec ti on of Po li ti cs in Co nt em po ra ry Li be ra lP hi lo so ph y, Lo nd on :R ou tl ed ge ,2 00 1.
︵15
︶こ の寛 容の 定式 のコ ンパ クト な説 明は
︑N ew ey ,‘ Is
De mo cr at ic To le ra ti on aR ub be rD uc k?
’の pp .3 16 -9 を参 照︒ より 詳細 な分 析と して は︑ Ne we y, Vi rt ue ,R ea so n an dT ol er at io nの ch s. 1- 3を 参照
︒本 稿で は︑ 紙面 と議 論 の都 合か ら︑ 寛容 概念 の複 雑な 議論 は割 愛し てい る︒ そ のた め︑ to le ra ti on と to le ra nc eの 区別 も含 め︑ 厳密 な議 論は でき てい ない
︒別 稿に て論 じる こと にし たい
︒
︵16
︶こ の代 表的 な議 論と して
︑以 下を 参照
︒W en dy Br ow n, Re gu la ti ng Av er si on :T ol er an ce in th eA ge of Id en ti ty an dE mp ir e, Pr in ce to n: Pr in ce to nU ni ve rs it yP re ss ,2 00 6
︵向 山恭 一訳
﹃寛 容の 帝国
︱現 代リ ベラ リズ ム批 判﹄ 法政 大学 出版 局︑ 二〇 一〇 年︶
︒
︵17
︶こ れは ニュ ーイ 自身 の説 明で はな く︑ 筆者 なり の理 解 であ る︒ ニュ ーイ は︑ 寛容 を厳 格に 定義 する が︑ 不寛 容 に関 して の一 貫し た説 明を 試み ては いな い︒ その 原因 は︑ 寛容 では
﹁な い﹂ とい うこ とが
︑寛 容を 構成 する 諸要 素の 部分 否定 やそ の組 み合 わせ によ って 成り 立つ から だ ろう
︒実 際︑ ニュ ーイ は︑ 寛容 概念 を二 十六 もの 命題 か ら分 節化 して いる
︵C at ri on aM cK in no n,
‘V ir tu e, Re as on an dT ol er at io nb yG le nN ew ey
’, Mi nd ,1 11 (4 41 ), 20 02 ,p p. 15 6- 8︶
︒そ の否 定と なる と︑ 不寛 容が 意味 しう るも のは 膨大 にな ろう
︒
︵18
︶ニ ュー イの
﹁寛 容の 政治 的情 況﹂ の理 解に 由来 する
︒ こ の ま と ま っ た 説 明 は︑ Ne we y,
‘I sD em oc ra ti c To le ra ti on aR ub be rD uc k?
’の pp .3 19 -2 4を 参照
︒
︵19
︶例 えば
︑N ew ey ,V ir tu e, Re as on an dT ol er at io nは
︑序