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Kyushu University Institutional Repository
ヒューム政治思想における情念論・宗教論・趣味論 の意義 : 『四論考集』を手がかりに
鎌田, 厚志
九州大学大学院法学研究院 : 協力研究員
https://doi.org/10.15017/4774179
出版情報:政治研究. 69, pp.1-34, 2022-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:
権利関係:
ヒ ュ ー ム 政 治 思 想 に お け る 情 念 論 ・ 宗 教 論 ・ 趣 味 論 の 意 義
︱ ︱
﹃ 四 論 考 集 ﹄ を 手 が か り に
︱ ︱
鎌 田 厚 志
はじ めに 第一 節
﹃四 論考 集﹄ にお ける
﹁穏 和な 情念
﹂の 位置 第二 節 宗教 論に おけ る人 間の 資質 第三 節 雄弁 と趣 味と 良識 おわ りに
はじ めに 本稿 の目 的は
︑哲 学・ 宗教 論・ 趣味 論・ レト リッ クな ど多 岐に 渡る ヒュ ーム の思 想を
﹁情 念の 穏和 化﹂ を中 心に 読み 解き
︑か つそ れが 党派 の共 存お よび 相互 牽制 の重 視と いう 政治 思想 上の 構想 にお いて 重要 な要 素を 成し てい たこ とを 明 らか にす るこ とで ある
︒そ のた めに
︑従 来あ まり 注目 され てこ なか った ヒュ ーム の﹃ 四論 考集
﹄︵
F o u r D i s s e r t a t i o n s
︶ の 内的 な連 関性 に特 に着 目し︑情 念の 穏和 化を 宗教 論や 趣味 論お よび レト リッ クの 議論 によ って 推進 する とい う企 図が
︑ ヒュ ーム の政 治思 想を 貫い てい たこ とを 確認 した い︒ さら に︑ その 作業 を通 じて
︑ヒ ュー ムは 法の 支配 や秩 序の 安定 と いっ た静 態的 な基 盤の 上に
︑レ トリ ック や言 論の 自由 を活 発に 行使 する 動態 的な 政治 構想 を持 って いた がた めに
︑そ の 前提 とし て人 間の 資質 の穏 和化 を目 指し てい たと いう 観点 を提 起し たい
︒つ まり
︑宗 教論
・趣 味論
・レ トリ ック の議 論 に依 拠し た情 念の 穏和 化が
︑ヒ ュー ム政 治思 想の 中で 不可 欠の 位置 を占 めて いた こと を明 らか にし たい
︒ なお
︑本 稿は
︑ヒ ュー ムの 宗教 論や 趣味 論を 政治 思想
︵ヒ ュー ムの 言葉 で言 えば
﹁政 治学
﹂︶ との 関連 にお いて 位置 づ ける 試み であ るが
︑こ れは もち ろん 宗教 論や 趣味 論の それ 自体 とし ての 意義 や領 域を 否定 し︑ 政治 的価 値に 従属 する も のと して 見る こと では ない
︒ヒ ュー ムは
﹁政 治学
﹂を
﹁結 合し て社 会を 形成 し相 互に 依存 し合 う限 りで の人 間を 考察 す るも ので ある
﹂と 定義 して い(1
る)
︒こ の定 義は
︑バ ーナ ード
・ク リッ クの
﹁政 治学 とは
︑社 会全 体に 影響 をあ たえ るよ う な利 害と 価値 をめ ぐっ て生 じる 紛争 につ いて の研 究で あり
︑ま た︑ どう すれ ばこ の紛 争を 調停 する こと がで きる かに つ いて の研 究﹂ であ り︑ その 知識 であ ると いう 考え 方と 相通 じる もの があ るよ うに 思わ れ(2
る)
︒筆 者は 政治 思想
・政 治学 に つい て上 記の 定義 に依 拠し
︑宗 教論 や趣 味論 がヒ ュー ムの 政治 につ いて の思 索の 上で 欠か せな い位 置を 占め る知 識だ っ たこ とを 指摘 する のみ で︑ 宗教 や趣 味が 政治 とは 独立 した 非政 治的 な別 個の 価値 をそ れ自 体有 して いた こと をな んら 否 定す るつ もり はな い︒ むし ろ︑ ヒュ ーム が政 治的 領域 の安 定化 およ び活 性化 のた めに 非政 治的 領域 にお ける 一定 の人 間 の資 質の 涵養 を要 請し てい たこ とを 重視 する もの であ る︒
上記 の問 題関 心と の関 連か ら︑ 先行 研究 を概 観し たい
︒ま ず︑ ヒュ ーム の思 想全 体を 情念 の穏 和化 を中 心に 読み 解い たも のと して
︑イ ンマ ーワ ール の先 行研 究が あ(3
る)
︒イ ンマ ーワ ール は論 文﹁ ヒュ ーム にお ける 情念 の鎮 静化 につ いて
﹂ の中 で︑
﹃人 間本 性論
﹄を 主に 分析 し︑ ヒュ ーム の哲 学・ 宗教
・政 治な どの 多分 野に 渡る 思想 を﹁ 穏和 な情 念﹂ を中 心と した もの とし て読 み解 いて いる
︒こ の主 張に 筆者 も賛 成で ある
︒た だし
︑イ ンマ ーワ ール は︑
﹁ヒ ュー ムは
︑派 閥
︵
f a c t i o n s
︶ につ いて︑そ れが もし 抑制 され なけ れば
︑必 然的 に﹁ 無秩 序﹂ と﹁ 専制
﹂を もた らす とし て︑ 軽
蔑
のみ を抱 い てい た﹂ とし︑ヒ ュー ム政 治思 想に おけ る党 派・ 派閥 の議 論は もっ ぱら 否定 的な もの だっ たと 分析 して い(4
る)
︒筆 者は こ れに 対し
︑情 念の 穏和 化の 議論 は︑ むし ろ党 派の 共存 と相 互牽 制を 実現 する 前提 とし て機 能し てい たと 考え る︒ すな わ ち︑ 情念 の穏 和化 は党 派の 共存 と相 互牽 制の 前提 とし て重 視さ れ︑ その 意味 で党 派の 議論 は哲 学・ 宗教
・趣 味・ レト リッ クの 議論 と相 まっ て政 治的 に積 極的 な意 義づ けが なさ れて いた と考 える
︒ 次に
︑政 治思 想の 観点 から のヒ ュー ムの 宗教 論と 趣味 論に 対す る先 行研 究を 概観 した い︒ まず
︑ヒ ュー ムに おけ る政 治思 想と 宗教 論の 関係 につ いて は︑ 比較 的最 近解 明が 進ん でき たよ うに 思わ れる
︒ヒ ュー ムの 宗教 論そ れ自 体の 重要 性 につ いて は︑ 以前 から 多く の先 行研 究が 指摘 して きた が︑ かつ ての ヒュ ーム 研究 では
︑ヒ ュー ム本 人の 信仰 の有 無や そ の宗 教論 の性 質の 解明 に関 心が 向け られ るこ とが 多か っ(5
た)
︒政 治や 社会 との 関連 につ いて
︑た とえ ばフ ィリ ップ ソン は キリ スト 教の 束縛 から の解 放や 世俗 化が ヒュ ーム の基 調だ った と指 摘し てい た(6
が)
︑具 体的 にヒ ュー ムの 宗教 論が どの よ うに ヒュ ーム の政 治思 想の 構造 の中 に位 置し どう 関わ って いた かを 分析 する 作業 は比 較的 最近 まで 進め られ てこ なか っ たよ うに 思わ れる
︒ その 中で
︑犬 塚元 は︑ ヒュ ーム 政治 思想 の中 心課 題を 宗教 批判 だと とら え︑ それ を全 体と して 宗教 対立 と宗 教内 乱の 克服 をめ ざす
﹁ポ スト
・コ ンフ ェッ シ
ョ
ナリ ズム﹂の プロ ジェ クト とし て把 握し た点 で画 期的 だっ たと 思わ れる
︒犬 塚 はこ の観 点か ら︑ ヒュ ーム が宗 教か らの 世俗 社会 の独 立と 宗教 の統 制を 論じ たこ とを 彼の 著作 から 明晰 に示 した
︒さ ら に秩 序と 自由 の関 係に つい てヒ ュー ムは どち らか の二 者択 一で はな く﹁ 人類 が経 験と 知恵 を積 み重 ねた のち
﹂︑ 歴史 の発 展の 中で その 両立 がは じめ て可 能に なる とい う視 点を 示し てい たこ とを 明ら かに して いる
︒犬 塚は 結論 にお いて
︑秩 序
の安 定の ため に自 由が 重要 だと いう こと をヒ ュー ムが 指摘 した とし
︑社 会の 秩序 と安 定と いう 目的 から 寛容 と宗 教的 自 由の 必要 を導 き出 した とし てい
(7
る)
︒ 犬塚 の研 究は ヒュ ーム の政 治思 想と 宗教 論の 関係 を的 確に とら えた 点で 画期 的な 研究 であ る︒ ただ し︑ 犬塚 の研 究に おい ては
︑ヒ ュー ム政 治思 想に おけ る秩 序の 擁護 とい う静 態的 な側 面が 主に 解明 され てい るよ うに 思わ れる
︒ヒ ュー ム の政 治思 想を 道徳 論的
・習 俗論 的な 政治 思想 とは 区別 され る︑ 政治 機構 論の 政治 思想 の伝 統の 継承 者と して 犬塚 は分 析 して お(8
り)
︑ヒ ュー ムの 宗教 論に つい ても 主と して 秩序 の安 定と 政治 制度 の撹 乱要 因の 除去 を意 図し たも のと して 把握 し てい るよ うに 思わ れる
︒ 他の 先行 研究 にお いて も︑ 基本 的に は法 の支 配や 秩序 の安 定と いっ た静 態的 な側 面に 主に 着目 して いる よう に思 われ る︒ たと えば 坂本 達哉 は︑ ヒュ ーム の政 治思 想に つい て特 にそ の理 想共 和国 論に つい て論 じな がら
︑そ の理 想共 和国 論 が単 に機 構論 とい うだ けで はな く︑ 市場 経済 のシ ステ ムに 対応 した 巨大 な統 治機 構の 運営 を意 識し た︑ 近代 的共 和政 の 理念 と制 度の 構築 を目 指し たも のだ った と指 摘し てい
(9
る)
︒的 確な 解釈 であ り筆 者も 全く 異論 はな いが
︑坂 本の 研究 にお いて も︑ ヒュ ーム にお ける 自由 とは
﹁法 の支 配﹂ の実 現で あっ たと 解釈 され てお
(10
り)
︑ヒ ュー ム政 治思 想の 静態 的側 面を 主と して 照射 して いる よう に思 われ る︒ 筆者 は︑ 上記 の解 釈に つい て的 確な もの であ ると 考え るし 賛成 であ る︒ しか しそ の上 で︑ 秩序 や法 の支 配と いう 静態 的な 議論 とは 別に
︑ヒ ュー ムが 宗教 論や 趣味 論お よび レト リッ クの 議論 を通 じて 論じ てい る人 間の 資質 とい う問 題に つ いて は︑ 別個 に検 討す る余 地が ある ので はな いか と考 察す る︒ ヒュ ーム は﹃ 人間 本性 論﹄ 以来 人間 の情 念や 資質 につ い て論 じて いる が︑ この 人間 の資 質の 議論 が政 治論 およ び宗 教論 の中 で重 要な 位置 を占 めて いる こと に先 行研 究は 十分 に 注目 して こな かっ たの では ない か︒ つま り︑ その 倫理 学に おい ては 徳論 型倫 理学 に分 類さ れな がら
(11
も)
︑政 治思 想に おい ては 共和 主義 的徳 の政 治思 想の 拒否 者と みな され がち であ った ヒュ ーム にお いて
︑薄 めら れた 形で はあ るが
︑政 治に お ける 参加 や徳 が一 定程 度要 請さ れて いる ので はな いか
︒言 い換 えれ ば︑ 穏和 な情 念を 持つ 人々 が︑ 党派 共存 のも とで 言 論の 自由 を活 発に 行使 しつ つ相 互に 権力 を監 視し 牽制 し合 うと いう 点で
︑ヒ ュー ムは 政治 空間 への ある 種の 参加 とそ の
前提 条件 とし ての 人間 の資 質を 強く 意識 した 議論 を展 開し てお り︑ この 前提 条件 とし ての 人間 の資 質の 議論 とし て︑ 宗 教論
・趣 味論
・レ トリ ック の議 論が 展開 され てい たと いう 点に つい て十 分に 解明 され てこ なか った ので はな いか
︑と 考 える 特 ︒ に趣 味論 につ いて は︑ ヒュ ーム の宗 教論 が政 治思 想と の関 連で 近年 研究 され てき たこ とと 比べ て︑ 政治 思想 との 関 連か らは ほぼ 言及 され てこ なか った よう に思 われ る︒ その 中で 半沢 孝麿 は︑ 日本 にお いて ヒュ ーム の趣 味論 に関 連す る エッ セイ が長 い間 翻訳 され なか った こと と︑ その ため にヒ ュー ムの 理解 が偏 った もの にな った こと を指 摘し
︑ヒ ュー ム 思想 の美 学的 要素 への 注意 を促 して い(12
た)
︒そ の後
︑ヒ ュー ムの 趣味 論の 翻訳 は進 み︑ その 点で は日 本に おけ る研 究は 大 いに 進ん でき たと 言え るが
︑趣 味論 と政 治学 との 関連
︑あ るい はヒ ュー ム思 想全 体に おけ る趣 味論 の位 置づ けに つい て の研 究は 進ん でい ない よう に思 われ る︒ 海外 にお いて も︑ たと えば ベビ ッチ らに よる ヒュ ーム の趣 味論 につ いて の論 集 が近 年刊 行さ れて おり
︑西 洋の 趣味 論の 歴史 にお ける ヒュ ーム の位 置づ けや ヒュ ーム 趣味 論そ れ自 体の 精緻 な分 析は な され てい るが
︑政 治思 想と の関 連が 考察 され てい るわ けで はな
(13
い)
︒ これ らの 先行 研究 に多 くを 学び つつ
︑本 稿で は作 業仮 説と して
︑ヒ ュー ムの 政治 思想 はい わば 二重 の構 造に なっ てお り︑ 法の 支配 や善 く組 織さ れた 政治 機構 や秩 序と いう 静態 的な 基礎 部分 と︑ その 上に 利害 対立 をめ ぐる 党派 が活 発に レ トリ ック や言 論の 自由 を行 使し て切 磋琢 磨す る動 態的 な上 層部 分と があ った とい う視 点を 提示 した い︒ 前者 は機 構論 や 法学 的な 内容 を主 とし
︑後 者は 人間 の徳 や資 質が 問題 とな る部 分と な(14
る)
︒こ のヒ ュー ム政 治思 想の 静態 的な 側面 と動 態 的な 側面 の両 方に また がり
︑そ れら を架 橋し てい たの が︑ ヒュ ーム の哲 学に おい て展 開さ れる
﹁穏 和な 情念
﹂を めぐ る 議論 であ り︑ 穏和 な情 念を 守り 育む ため に宗 教論 と趣 味論 とレ トリ ック につ いて の議 論が 展開 され たと 考え る︒ そし て︑ この つな がり が鮮 明に 示さ れて いる のが
︑次 節以 下で 分析 する よう にヒ ュー ムの
﹃四 論考 集﹄ だと 思わ れる
︒つ まり
︑
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ では
︑秩 序の 安定 の問 題と 言論 の自 由の 活発 な行 使の 議論 や宗 教論
・趣 味論 はつ なが りが なく 並列 的に 論じ られ てい るよ うに 見え るが
︑こ れら の要 素を つな ぐ議 論を
︑ヒ ュー ムは
﹃四 論考 集﹄ で行 って いる と考 察 する
︒ゆ えに
︑本 稿で は﹃ 四論 考集
﹄を 検討 し︑ ヒュ ーム にお ける 哲学
・宗 教・ 趣味 さら に雄 弁・ レト リッ クの 議論 が︑
実は 政治 思想 にお いて 重要 な位 置を 占め るも のだ った こと を解 明し たい
︒ その ため
︑第 一節 では
﹃四 論考 集﹄ の成 立の 背景 を確 認し た上 で︑
﹁情 念論
﹂の 中で 展開 され る﹁ 穏和 な情 念﹂ の概 念 を中 心に
﹃四 論考 集﹄ 内部 の哲 学・ 宗教
・雄 弁の 議論 が実 は相 互の 関連 を強 く意 識し たも のだ った こと を検 証す る︒ 第 二節 では
︑﹃ 四論 考集
﹄の 中の
﹁宗 教の 自然 史﹂ にお ける 人間 の資 質の 問題 をと りあ げ︑ そこ で展 開さ れる 人間 の資 質の 議論 がヒ ュー ムの 政治 や文 明社 会を めぐ る構 想に おい ても 重要 な要 素を 成し てい たこ とを 考察 する
︒第 三節 では
︑ ヒュ ーム の趣 味論 とレ トリ ック
・雄 弁の 議論 の関 連に つい て検 討し
︑穏 和化 され 良識 を持 った 人々 が適 切な レト リッ ク を身 につ け︑ 言論 の自 由の 活発 な行 使を 行う
︑動 態的 な政 治構 想を 持っ てい たこ とを 示し たい
︒ 第一 節
﹃四 論考 集﹄ にお ける
﹁穏 和な 情念
﹂の 位置 本節 では
︑ヒ ュー ムに おけ る哲 学・ 政治
・宗 教・ 趣味 に関 する 議論 の関 連を
﹃四 論考 集﹄ を手 がか りに 明ら かに した い︒
﹃四 論考 集﹄ とは
︑一 七五 七年 に出 版さ れた ヒュ ーム の著 作で あり
︑﹁ 宗教 の自 然史
﹂︵
T h e N a t u r a l H i s t o r y o f R e l i g i
(15o
)n
︶︑﹁ 情念 論﹂
︵
A D i s s e r t a t i o n o n t h e P a s s i o n s
︶︑﹁ 悲劇 につ いて
﹂︵
O f T r a g e d y
︶︑﹁ 趣味 の標 準に つい て﹂
︵
O f t h e S t a n d a r d o f T a s t e
︶ の四 つの 論考 を収 めた もの であ る︒﹃四 論考 集﹄ の成 立過 程に つい ては
︑モ スナ ーが 詳し く明 らか にし てい
(16
る)
︒そ れに よれ ば︑ 一七 五五 年の 時点 で︑ ヒュ ー ムは
﹁宗 教の 自然 史﹂
︑﹁ 情念 論﹂
︑﹁ 悲劇 につ いて
﹂︑
﹁幾 何学 およ び自 然哲 学以 前の 諸論 考﹂ の四 つを 一冊 にま とめ て公 刊す る予 定だ った
︒し かし
︑出 版社 側の 事情 で︑ いっ たん 出版 が断 念さ れ︑ 四番 目の 論考 は削 除さ れた
︒そ の後 ヒュ ー ムは
︑﹁ 自殺 につ いて
﹂と
﹁霊 魂の 不死 につ いて
﹂の 二つ のエ ッセ イを 書き 足し
︑五 つの 論考 を一 冊に まと めて 出版 する 予定 だっ たが
︑ヒ ュー ムを 無神 論だ と非 難す るウ ォー バー トン らに よる 圧力 があ った ため
︑こ の新 しい 二つ のエ ッセ イ の公 表を 断念 した
︒そ の後
︑エ ッセ イ﹁ 趣味 の標 準に つい て﹂ を加 えて
︑よ うや く一 七五 七年 に﹃ 四論 考集
﹄と して 出 版す るこ とが でき た︒
﹃四 論考 集﹄ が出 版さ れた 一七 五七 年に ヒュ ーム は四 十六 歳で あり
︑そ の生 涯の 中期 と言 える
︒す でに 一七 三九 年か ら 翌年 にか けて
﹃人 間本 性論
﹄を 出版 し︑ 一七 四一 年に
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ を︑ 一七 五二 年に
﹃政 治論 集﹄ を出 版 して おり
︑一 七五 四年 から はの ちに
﹃イ ング ラン ド史
﹄と 改題 され る﹃ グレ イト
・ブ リテ ン史
﹄の 刊行 も始 めら れて い た︒
﹃イ ング ラン ド史
﹄の 全六 巻が 完成 する のは 一七 六二 年で はあ るも のの
︑ヒ ュー ムの 主要 著作 の多 くは すで に刊 行さ れて いた 時期 と言 える
︒そ のた めか
︑従 来は
﹃四 論考 集﹄ は︑ それ 自体 とし て注 目に 値す るも のと いう より は︑ すで に 主要 な哲 学・ 政治 学の 著作 が世 に出 され
︑さ らに
﹃イ ング ラン ド史
﹄が 執筆 され る中 での
︑追 加的
・補 足的 な小 品と し て扱 われ るこ とが ほと んど だっ たよ うに 思わ れる
︒ その 理由 とし て︑
﹃四 論考 集﹄ 所収 の四 つの 論考 は︑ 一七 五八 年に ヒュ ーム の諸 著作 を収 録し たも のと して 出版 され た
﹃諸 主題 論集
﹄に 入れ られ る際 に順 序が 解体 され
︑﹁ 宗教 の自 然史
﹂と
﹁情 念論
﹂は それ ぞれ
﹃人 間知 性研 究﹄ と﹃ 道徳 原理 の研 究﹄ に付 随す る形 で配 置さ れ︑
﹁悲 劇に つい て﹂ と﹁ 趣味 の標 準に つい て﹂ は﹃ 道徳
・政 治・ 文学 論集
﹄に 組み 込ま れた ため
︑四 つの 論考 が一 体性 を持 った もの だと いう こと が覆 い隠 され 見え にく くな った とい うこ とが あ(17
る)
︒こ の こと は﹃ 四論 考集
﹄が すで に出 され た作 品に つい ての 補足 的な 小品 であ り︑
﹃人 間本 性論
﹄の 部分 的な 書き 直し や︑
﹃人 間本 性論
﹄で 予告 され なが らま だ実 現さ れて いな かっ た宗 教論 を書 いた に過 ぎな いと いう こと の何 より の証 左で ある と 受け とめ るこ とも でき る︒ 実際
︑従 来ほ とん どそ のよ うに 受け とめ られ てき た︒ こう した 従来 の見 方に 対し て︑ イン マー ワー ルは
﹃四 論考 集﹄ のリ プリ ント 版の 序文 で詳 細な 分析 を行 い︑
﹃四 論考 集﹄ は統 一性 を持 った 一つ の作 品だ った と解 釈し てい
(18
る)
︒イ ンマ ーワ ール の先 行研 究を 除き
︑﹃ 四論 考集
﹄を 一体 のも のと し て考 察す る研 究は 管見 の限 り存 在し な(19
い)
︒イ ンマ ーワ ール は︑ ジ
ョ
ン・ ヒュ ーム︵
J o h n H o m e
︶ が執 筆し た悲 劇﹃ ダグ ラ ス﹄ に対 する ヒュ ーム の手 によ る長 文の 献辞 が﹃ 四論 考集﹄の 冒頭 に付 され てい るこ とに 注目 し︑
﹃ダ グラ ス﹄ とい う作 品を 分析
・評 価す るた めに 宗教
・情 念・ 悲劇
・趣 味に 関す る議 論を ヒュ ーム が展 開し たと いう 観点 から
﹃四 論考 集﹄ の 統一 性を 考察 して い(20
る)
︒ジ
ョ
ン・ヒ ュー ムは ヒュ ーム のい とこ にあ たる
︒﹃ 四論 考集
﹄出 版に 先立 つ時 期に おい て︑ ヒュ ー ム自 身が スコ ット ラン ド教 会か らの 破門 の討 議の 対象 とさ れ︑ ジ
ョ
ン・ ヒュ ーム もま た牧 師な のに 劇を 書い たと いう こと自 体が スコ ット ラン ド教 会の 保守 派か ら攻 撃さ れて いた
︒イ ンマ ーワ ール は︑
﹃ダ グラ ス﹄ を評 価し 支援 する ため に︑ 宗教 やレ トリ ック を考 察し たの が﹃ 四論 考集
﹄だ と指 摘し
︑ウ ォー バー トン らの 宗教 的迷 信に 裏付 けら れた 激し い情 念 と︑ 教養 ある 人々 の穏 やか で洗 練さ れた 情念 を一 貫し て対 照的 に描 き出 して いる とす
(21
る)
︒ 上記 のイ ンマ ーワ ール の指 摘は 的確 であ り︑ 筆者 も賛 成で ある
︒ジ ェー ムズ
・ハ リス もま た﹃ ダグ ラス
﹄の 上演 の背 景と して
︑当 時の スコ ット ラン ド教 会に おけ る﹁ 穏健 派﹂
︵
M o d e r a t e
︶ と伝 統的 カル ヴァ ン主 義者 たち によ って 構成 され る﹁ 民衆 派﹂︵
P o p u l a r
︶の 対立 があ った こと や︑ ヒュ ーム が思 想の 自由 や討 論の 自由 とい う観 点か ら﹃ 四論 考集
﹄を 執筆 し︑ ジ
ョ
ン・ ヒュ ーム の﹃ ダグ ラス﹄を 擁護 した こと を指 摘し てい る︒ その 中で ヒュ ーム が民 衆派 と対 抗関 係に あっ た こと や︑ その 背景 が色 濃く
﹃四 論考 集﹄ に反 映さ れて いる こと を考 察し てい
(22
る)
︒ しか し︑ 筆者 は︑ 上記 の歴 史的 文脈 を踏 まえ た上 で︑
﹃四 論考 集﹄ にお いて 穏和 な情 念の 議論 や宗 教・ 趣味 に関 する 議 論が 雄弁
・レ トリ ック の議 論を 介し て政 治と 関連 する 射程 を有 して いた こと に注 目し たい
︒イ ンマ ーワ ール は﹃ 四論 考 集﹄ を一 体の もの とし て考 察し ては いる もの の︑ 主に
﹃ダ グラ ス﹄ との 関連 から その 統一 性を 考察 して おり
︑そ の議 論 はレ トリ ック や政 治の 関連 をそ もそ も考 察の 対象 とし てい ない
︒本 節で は︑
﹃人 間本 性論
﹄で は必 ずし も具 体的 では な かっ た穏 和な 情念 の議 論と 政治
・経 済と の関 連や
︑必 ずし も明 確で はな かっ た穏 和な 情念 と雄 弁・ レト リッ クの 議論 と の関 連が
︑﹃ 四論 考集
﹄に おい て明 確化 され てい るこ とを 検証 した い︒ さて
︑本 節の 冒頭 に述 べた 通り
︑﹃ 四論 考集
﹄は
︑﹁ 宗教 の自 然史
﹂と
﹁情 念論
﹂と
﹁悲 劇に つい て﹂ と﹁ 趣味 の標 準 につ いて
﹂か ら構 成さ れる
︒こ れら の内 的な 関連 にお いて 重要 だと 筆者 が考 える のは
︑こ の四 論考 の中 で注 目さ れる こ との 少な い﹁ 情念 論﹂ であ る︒
﹃四 論考 集﹄ の中 の﹁ 情念 論﹂ は︑ ヒュ ーム が一 七三 九年 に出 版し た﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻﹁ 情念 につ いて
﹂を 書き 直し たも ので ある
︒
﹁情 念論
﹂の 基本 的な 内容 は﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻と ほと んど 同じ であ り︑ ビー チャ ムは
︑﹁ 情念 論﹂ は﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻の 材料 で八 十五
~八 十八 パー セン トが 書か れて いる と指 摘し てい る︒ また
︑ビ ーチ ャム は︑ ヒュ ーム が﹃ 人間 本
性論
﹄の 失敗 をも っぱ ら文 章表 現の 問題 と考 え︑ 叙述 の仕 方を 工夫 し︑
﹁情 念論
﹂と して 発表 した と論 じて い(23
る)
︒こ うし た理 由か ら︑
﹁情 念論
﹂は
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 の焼 き直 しに 過ぎ ず︑ それ 自体 とし てさ ほど 注目 に値 しな いも のと 考え られ るこ とが 多か った よう に思 われ る︒ しか し︑
﹃四 論考 集﹄ の出 版実 現ま での 経緯 にお いて
︑﹁ 情念 論﹂ は当 初よ り一 貫し て﹁ 宗教 の自 然史
﹂と とも に出 版 され る予 定だ った
︒そ の理 由は
︑以 下に 見る よう に︑
﹃四 論考 集﹄ 全体 の内 容︑ 特に
﹁宗 教の 自然 史﹂ と﹁ 情念 論﹂ が問 題意 識の 上で 密接 に関 連し てお り︑ 単に
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 の書 き直 しと いう だけ でな く︑
﹃四 論考 集﹄ のな かで 不可 欠の 位置 を占 めて いた こと であ るよ うに 思わ れる
︒ 先行 研究 では
︑イ ンマ ーワ ール が﹁ 情念 論﹂ の特 徴を 指摘 して いる
︒す なわ ち︑ 直接 情念 を中 心に 叙述 して いる 点と
︑ 優勢 な情 念︵
p r e d o m i n a n t p a s s i o n
︶の 議論 を重 視し てい る点 が﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻と は異 なっ てい ると 論じ てい る︒ また
︑直 接情 念の 中で も︑
﹁宗 教の 自然 史﹂ で見 られ る﹁ 希望 と恐 怖﹂ が特 に着 目さ れて いる と指 摘し てい
(24
る)
︒筆 者も イ ンマ ーワ ール に賛 成で ある
︒加 えて
︑﹁ 情念 論﹂ にお いて
﹁穏 和な 情念
﹂に つい ての 議論 が﹃ 人間 本性 論﹄ より も具 体化 して いる 点と
︑雄 弁の 議論 との 関連 が明 確に され てい ると ころ にも 筆者 は着 目し たい
︒
﹁情 念論
﹂の 第一 節に おい て︑ ヒュ ーム は︑
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 の内 容と 同じ く︑ 快苦 が善 悪を 生じ
︑善 が確 実な 時 は喜 びが 生じ
︑悪 が確 実な 時は 苦悩 や悲 嘆が 生じ ると 論じ る︒ ヒュ ーム によ れば
︑善 悪が 不確 実な 時は
︑希 望と 恐怖 が 生じ る︒ また
︑善 から は欲 望が
︑悪 から は嫌 悪が 生じ る︒ これ らの 情念 は﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻で は︑ 直接 情念 に分 類 され てい る︒
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 では 愛や 憎し みや 誇り や卑 下な どの 間接 情念 が主 な分 析対 象と なっ てい るが
︑﹁ 情念 論﹂ では これ らの 直接 情念
︑特 に希 望と 恐怖 が中 心と なっ て議 論が 展開 され てい る︒ 希望 と恐 怖は 蓋然 性︑ つま り複 数の 相反 する 原因 に関 わる とい う意 味で
︑言 い換 えれ ば希 望と 恐怖 が混 じり 合っ てい ると いう 意味 で︑
﹁混 合的 情念
﹂と もヒ ュー ムは 呼ん でい る︒ 以下 の箇 所は
︑﹁ 情念 論﹂ にお いて ヒュ ーム が希 望と 恐怖 に特 に注 意を 払っ てい たこ とを 明確 に示 して いる 箇所 であ る︒
これ らの 情念 のい ずれ も︑ 希﹅ 望﹅ と恐﹅ 怖﹅
︹傍 点イ タリ ック
︒以 下同 じ︒
︺と を除 けば
︑好 奇心 をそ そっ たり 驚く べき も のは 何も 含ん でい ない よう に思 われ る︒ 希望 と恐 怖と は︑ どの よう な善 また は悪 の蓋 然性 から も引 き出 され るの であ るか ら︑ 我々 の注 目に 値す る混 合的 情念 であ
(25
る)
︒ この 箇所 は︑ ヒュ ーム がさ まざ まな 情念 の中 で﹁ 希望 と恐 怖﹂ に特 に注 目し てい たこ とを 示し てい る︒
﹁希 望と 恐怖
﹂ は次 節で 見る よう に︑ 多神 教お よび 宗教 全般 の発 生源 だと
﹁宗 教の 自然 史﹂ で指 摘さ れる
︒﹁ 希望 と恐 怖﹂ を宗 教と 関連 して 強く 意識 する 態度 は︑ 一七 四三 年の ウィ リア ム・ ミュ ア︵
W i l l i a m M u r e o f C a l d w e l l
︶ 宛の 手紙 の中 にも 見ら れ(26る)
︒ した がっ て︑ 単に 同時 に出 版さ れた だけ でな く︑
﹁情 念論
﹂は 希望 と恐 怖と いう 情念 のメ カニ ズム の分 析と いう 点で
︑﹁ 宗 教の 自然 史﹂ のテ ーマ と密 接に 関わ って いる もの とヒ ュー ムに 意識 され てい たと 言え る︒ ヒュ ーム は︑
﹁情 念論
﹂の 中で
︑希 望と 恐怖 の情 念が どの よう に搔 き立 てら れる かに つい ても 考察 する
︒ヒ ュー ムは
︑ 以下 の箇 所に 示さ れて いる よう に︑ 不確 実性 が増 すほ ど希 望と 恐怖 は強 化さ れる と論 じる
︒ 恐怖 と希 望の 情念 は︑ 偶然 が両 者の 側に 平等 であ り︑ 他方 より 一方 にお いて
︑優 越性 が何 一つ 発見 され えな い場 合 に発 生す るで あろ う︒ いや
︑こ の状 況に おい ては
︑情 念は むし ろ最 も強 烈で ある
︒な ぜな らば
︑そ の際
︑心 は頼 るべ き最 も小 さな 基礎 をも 持た ず︑ 最大 の不 確実 性に 翻弄 され るか らで あ(27
る)
︒ 宗教 が不 確実 な希 望や 恐怖 によ って 生じ るこ とは
﹁宗 教の 自然 史﹂ にお いて も論 じら れ(28
る)
︒ヒ ュー ムは
﹁情 念論
﹂の 中で
︑不 確実 性に おい て希 望や 恐怖 の情 念が 烈し くな ると 分析 して いる が︑ これ は宗 教に おい て人 間に 働く 心理 の分 析 とも 言え る︒ さら に︑ ヒュ ーム は︑
﹁情 念論
﹂第 五節 にお いて
﹃人 間本 性論
﹄と は若 干異 なる 表現 で︑ 情念 の激 しさ と穏 やか さに つ いて 論じ
︑そ の中 で﹁ 穏和 な情 念﹂ につ いて の議 論を
﹃人 間本 性論
﹄よ りも 具体 的に 展開 する
︒ヒ ュー ムの 哲学 にお い
ては
︑理 性は 意志 に対 する いか なる 動機 にも なり えな いと され る︒
﹃人 間本 性論
﹄に おけ る﹁ 理性 は情 念の 奴隷
﹂と いう 表現 は有 名で あ(29
る)
︒﹁ 情念 論﹂ にお いて も︑
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 の内 容は 継承 され てい る︒ ヒュ ーム によ れば
︑理 性は それ 自体 では 人間 を突 き動 かす 原因 とな りえ ない
︒﹁ 真理 と虚 偽の 判断 を意 味す るよ うな
︑厳 密な 意味 にお ける 理性 は︑ それ 自体 では 意志 に対 する いか なる 動機 にも 決し てな りえ ない し︑ また 何ら かの 情念 や情 緒に 触れ ない 限り
︑何 の影 響 も持 たな いこ とは 明ら かな よう に思 われ
(30
る)
﹂︒ ヒュ ーム によ れば
︑一 般的 に理 性と 呼ば れる もの も実 は﹁ 穏和 な情 念﹂ であ る︒
﹃人 間本 性論
﹄の 第二 巻第 三部 第三 節 や第 八節 にお ける
﹁穏 和な 情念
﹂の 議論 と︑
﹁情 念論
﹂の 内容 は基 本的 に同 じで ある
︒た だし
︑﹁ 情念 論﹂ 第五 節の 中の 以下 の文 章の 前半 部分 は﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻と 同じ 内容 だが
︑後 半の 例示 は﹃ 人間 本性 論﹄ には ない もの であ る︒ こ れは
︑﹃ 人間 本性 論﹄ にお いて は抽 象的 だっ た議 論を
︑よ り具 体的 に論 じて いる もの とし て注 目に 値す る︒ 通俗 的な 意味 で︵
i n a p o p u l a r s e n s e
︶︑一 般的 に理 性と 呼ば れ︑ 道徳 的な 言説 にお いて 大い に推 薦さ れる もの は︑ 対 象を 包括 的︑ また 離れ た位 置か ら考 察し
︑な んら 感知 しう るほ どの 情動 をも 喚起 せず に意 志を 作動 させ る︑ 一般 的な
︑ そし て穏 和な 情念
︵
a g e n e r a l a n d a c a l m p a s s i o n
︶以 外の 何物 でも ない
︒あ る人 物が 彼の 職業 にお いて
︑理 性と いう 理 由か ら︵
f r o m r e a s o n
︶勤 勉で ある と我 々が 言う のは
︑言 い換 える と富 と財 産に 対す る穏 和な 欲望 とい う理 由か ら︑ と いう こと であ る︒ ある 人物 が理 性と いう 理由 から 正義 をか たく 守る とい うこ とは
︑言 い換 える と公 共の 善に 対す る︑ ある いは 彼自 身の 持つ 人格 及び 他の 人々 の持 つ人 格に 対す る︑ 穏和 な心 遣い
︵
a c a l m r e g a r d
︶か ら︑ とい うこ とで あ
(31
る)
こ ︒ こで ヒュ ーム は︑
﹃人 間本 性論
﹄で は抽 象的 で具 体的 に理 解す るこ とが 難し かっ た﹁ 穏和 な情 念﹂ を︑ 富と 財産 に対 する
﹁穏 和な 欲望
﹂お よび 公共 の善 と自 他の 人格 への
﹁穏 和な 心遣 い﹂ とい う具 体的 で日 常的 な事 例に 言い 換え
︑理 解
しや すい もの にし てい る︒ この こと は︑
﹁穏 和な 情念
﹂が 単に 抽象 的な 哲学 上の 概念 では なく
︑日 常的 な経 済お よび 政治 の世 界と 関わ るも のだ った こと が示 され てい る︒ これ は︑
﹃人 間本 性論
﹄の 時よ りも
︑穏 和な 情念 と政 治・ 経済 との 関連 をヒ ュー ムが さら に具 体的 に意 識す るよ うに なっ てい たこ とを 示し てい るよ うに 思わ れる
︒ この よう な﹁ 穏和 な欲 望﹂ や﹁ 穏和 な心 遣い
﹂を 含む
﹁穏 和な 情念
﹂を
︑ヒ ュー ムは 世間 一般 が言 うと ころ の﹁ 理性
﹂ とし てい るわ けで ある が︑ これ に対 立す るも のと して
︑ヒ ュー ムは
﹁激 しい 情念
﹂︵
a v i o l e n t p a s s i o n
︶ の存 在を 指摘 す る︒﹁激 しい 情念
﹂と は︑ 一般 的に 言う とこ ろの
﹁情 念﹂ であ り︑ 我々 の身 近な とこ ろか ら引 き起 こさ れる 荒々 しく 感知 され る情 動︑
﹁身 近な 悪﹂ によ って 引き 起こ され る﹁ 嫌悪
︑戦 慄︑ 恐怖
﹂で あ(32
る)
︒ヒ ュー ムは
︑人 間が しば しば これ らの
﹁激 しい 情念
﹂に 逆ら って 遠い 先の 利益 や計 画を 遂行 する こと を指 摘す る︒ ヒュ ーム によ れば
︑遠 い先 の利 益や 現在 の不 安な どの さま ざま な事 柄が 影響 し︑ しか も相 反す る場 合︑ その 人物 の一 般的 性格 や現 在の 気質 によ って
︑一 方が 優勢 と なる
︒﹁ 我々 が精﹅ 神﹅ の﹅ 強﹅ さ﹅ と呼 ぶも のは
︑激 しい 情念 より も穏 和な 情念 が優 勢で ある とい う意 味を 示し てい
(33
る)
﹂︒ この よう に︑ ヒュ ーム は︑ 精神 の強 さと 呼ば れる もの は︑ 激し い情 念に 対し て︑ 穏和 な情 念が 優っ てい るこ とだ と論 じる
︒さ らに
︑い かな る時 にも 激し い情 念や 欲望 に屈 しな いほ ど強 い人 間は いな いと した 上で
︑続 く第 六節 で︑ 情念 を 穏和 に︑ ある いは 激し くす るも のは 何か につ いて 考察 して いる
︒ヒ ュー ムは 第六 節に おい て︑ 優勢 な情 念が 劣勢 な情 念 を呑 みこ み︑ さら に勢 いを 増す と論 じる
︒こ の﹁ 優勢 な情 念﹂ の議 論は
︑イ ンマ ーワ ール が指 摘す ると おり
︑﹁ 情念 論﹂ が﹃ 人間 本性 論﹄ 第二 巻よ りも はっ きり と主 張し てい る事 柄で あ(34
る)
︒ヒ ュー ムに よれ ば︑ 不確 実性 は情 念の 対立 と同 様 の効 果を 生じ
︑優 勢な 情念 を強 める
︒ま た︑ 想像 力と 情緒 は密 接な 関連 を有 し︑ 想像 力の 活気 は情 緒に 勢い を与 える と いう ので ある
︒ さら に︑ ヒュ ーム は第 六節 つま り﹁ 情念 論﹂ 全体 の末 尾に 近い とこ ろで
︑﹁ 雄弁
﹂︵
e l o q u e n c e
︶ に言 及す る︒ 対象 を最 も強 烈で︑最 も生 気あ る色 彩を 以て 描写 する 雄弁 以上 に︑ 心の 中に 何ら かの 情念 を注 ぐこ との でき るも の は何 もな い︒ 他人 の飾 らぬ 意見 が︑ 情念 を以 って 強調 され ると きに は特 に︑ さも ない 場合 に全 く無 視さ れた かも 知れ
ない よう なあ る観 念に
︑我 々に 対す る影 響力 を持 たせ るで あろ う︒
/生 気あ る情 念が
︑通 常生 気あ る想 像力 に伴 うこ とは 注目 すべ きで ある
︒他 の点 にお ける と同 様に
︑こ の点 にお いて も︑ 情念 の勢 力は
︑対 象の 性質 や状 況に 依存 する のと 同様 に︑ その 人物 の気 性に 依存 する ので あ(35
る)
︒ もと もと
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 第三 部第 六節 でも
︑上 記引 用と ほぼ 同様 のこ とが 書か れて おり
︑雄 弁が 影響 を与 える まで は事 物の 観念 が微 弱で ある と述 べら れて いた
︒し かし
︑﹃ 人間 本性 論﹄ にお いて は︑ 雄弁 以外 に一 般的 な意 見も 共感 の原 理に よっ て影 響力 があ るこ とも とも に言 及さ れて いた
︒と ころ が︑
﹁情 念論
﹂で はそ の箇 所が 除去 され
︑雄 弁の 影響 につ いて の議 論を 際立 たせ る形 で叙 述さ れる よう にな った
︒ 雄弁 やレ トリ ック の問 題は
︑第 三節 で見 るよ うに
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ の中 の﹁ 雄弁 につ いて
﹂な どで も触 れら れ︑ そこ では 政治 との 関連 で雄 弁が 論じ られ てい る︒
﹃人 間本 性論
﹄と
﹁情 念論
﹂の 執筆 の間 に﹃ 道徳
・政 治・ 文学 論集
﹄ や﹃ イン グラ ンド 史﹄ をヒ ュー ムは 執筆 した が︑ それ らの 過程 でヒ ュー ムは 雄弁
・レ トリ ック の議 論を 政治 との 関連 で 強く 意識 する よう にな った もの と考 えら れる
︒諸 々の エッ セイ や﹃ イン グラ ンド 史﹄ を通 じて
︑宗 教と レト リッ クが 結 びつ くと 破滅 的な 影響 をも たら すこ とを ヒュ ーム は強 く警 戒し
(36
た)
︒﹁ 情念 論﹂ の上 記箇 所が
﹃人 間本 性論
﹄と 比較 した 時 に︑ 雄弁 の影 響に つい ての 議論 を際 立た せる 形に 変化 して いる のは
︑ヒ ュー ムの こう した 問題 関心 の明 確化 を反 映し て いる よう に思 われ る︒ 上記 の議 論を まと める なら ば︑
﹁情 念論
﹂は
﹃人 間本 性論
﹄第 二巻 と比 較し た場 合︑
﹁希 望と 恐怖
﹂に つい ての 考察 と いう 点で
﹁宗 教の 自然 史﹂ など の宗 教論 との 関わ りが より 鮮明 に見 られ るよ うに なっ た︒ さら に︑
﹁穏 和な 情念
﹂に つい ては
︑よ りわ かり やす い具 体的 な説 明が 経済 や政 治と も関 わる 文脈 の中 でな され るよ うに なっ た︒ 雄弁 と情 念と の関 わ りも より 鮮明 にな って いる
︒﹁ 情念 論﹂ の冒 頭の 第一 節は
﹁希 望と 恐怖
﹂に つい ての 考察 を中 心と し︑ 末尾 の第 六節 は﹁ 雄 弁﹂ につ いて の言 及で 終わ って おり
︑﹁ 情念 論﹂ は宗 教と レト リッ クを 強く 意識 して いる
︒
第二 節 宗教 論に おけ る人 間の 資質 前節 では
﹃四 論考 集﹄ にお いて
﹁情 念論
﹂が 情念 の穏 和化 とい う企 図に おい て宗 教論 とレ トリ ック の議 論と を接 合し てい る点 を確 認し たが
︑本 節で はヒ ュー ムが
﹁宗 教の 自然 史﹂ にお いて
︑人 間の 資質 の問 題を 取り 上げ てい るこ とを 明 らか にし たい
︒従 来︑ ヒュ ーム の政 治思 想と 宗教 論の 関連 が考 察さ れる 場合
︑政 治制 度の 安定 や撹 乱要 因の 除去 とい う 観点 から 分析 され てき た︒ それ は一 面に おい ては 適切 な解 釈で ある が︑ ヒュ ーム の宗 教論 には 他方 で自 己卑 下か ら解 放 され た活 気あ る人 間像 が展 望さ れて いる
︒ヒ ュー ムに おけ る活 発な 政治 社会 の構 想や 文明 社会 論と
︑こ の人 間像 が関 連 して いる こと を検 討し たい
︒
﹁宗 教の 自然 史﹂ は﹃ 自然 宗教 をめ ぐる 対話
﹄︵
D i a l o g u e s c o n c e r n i n g N a t u r a l R e l i g i o n
︶と とも に︑ ヒュ ーム の宗 教に つ いて の著 作の 中で 最も 重要 なも ので ある
︒そ の他
︑﹁ 迷信 と熱 狂に つい て﹂ など のい くつ かの 宗教 につ いて のエ ッセ イは ある もの の︑ 比較 的分 量の 多い 宗教 をテ ーマ とし たヒ ュー ムの 作品 とし ては
︑こ の二 つが 挙げ られ る︒ この 二つ の文 章 のう ち︑ ヒュ ーム が遺 言で その 出版 を望 み死 後に 出版 され た﹃ 自然 宗教 をめ ぐる 対話
﹄は
︑ヒ ュー ムの 遺作 でも あり
︑ その 重要 性は もち ろん 否定 でき ない が︑ 三人 の架 空の 人物 の対 話
篇
であ り︑ ヒュ ーム 自身 の思 想が どの 人物 によ って 担 われ てい るの かが 確定 しに くい とい う問 題が ある︒そ れに 対し
︑﹁ 宗教 の自 然史
﹂は
﹃四 論考 集﹄ の一 つと して 生前 に出 版さ れて いる
︒す でに 前節 で指 摘し たと おり
︑そ の収 録内 容に 紆余 曲折 があ った
﹃四 論考 集﹄ の中 で︑ 一貫 して
﹁情 念 論﹂ と共 に出 版が 企図 され てい たも ので ある
︒ま た︑ 一七 四三 年と いう かな り早 い段 階か ら︑ ヒュ ーム が希 望と 恐怖 の 情念 と宗 教の 関連 を考 察し てい たこ とは
︑前 節で ミュ アの 書簡 を参 照し て示 した とお りで ある
︒ゆ えに
︑本 節で は﹁ 宗 教の 自然 史﹂ を主 に検 討し てヒ ュー ムの 宗教 論に おけ る人 間の 資質 につ いて の議 論を 析出 した い︒ ヒュ ーム は一 七五 一年 の﹃ 道徳 原理 の研 究﹄ の中 に含 まれ てい る﹁ 対話 一
篇
﹂の 中で
︑﹁ 古代 にお いて
︑宗 教は 普通 の 生活 の上 にご くわ ずか な影 響し か持 たな かっ た﹂ と述 べた 上で
︑﹁ 哲学 の地 位は
︑今 では 近代 の宗 教に とっ て代 わら れて
いる
︒そ れは
︑我 々の 行動 全体 を点 検し
︑我 々の 行為
︑我 々の 言葉
︑我 々の 思想 や傾 向に 対し てす ら普 遍的 規則 を規 定 する
﹂と 述べ てい
(37
る)
︒ヒ ュー ムに おけ る﹁ 近代
﹂と は︑ 古典 古代 と対 比的 に用 いら れ︑ 主に ヒュ ーム の同 時代 を指 す言 葉で ある が︑ この
﹁近 代﹂ にお いて 宗教 が人 々の 行動 を規 制し てい ると いう 強い 問題 意識 をヒ ュー ムは 持っ てい
(38
た)
︒こ うし た宗 教に 対す る強 い問 題意 識か ら︑ ヒュ ーム は﹁ 情念 論﹂ と一 緒に
﹁宗 教の 自然 史﹂ を刊 行し よう とし てい たこ と は︑ 前節 で見 たと おり であ る︒
﹁宗 教の 自然 史﹂ は︑ 全部 で十 五節 から 構成 され てい る︒ 第一 節か ら第 八節 では 多神 教か ら一 神教 が生 じた と論 じら れ︑ 第九 節か ら第 十五 節で は多 神教 と一 神教 の比 較が なさ れて いる
︒ヒ ュー ムの 議論 は多 岐に 渡る が︑ ヒュ ーム が希 望と 恐 怖の 情念 を宗 教の 原因 とみ てい るこ とと
︑そ のう えで 恐怖 の情 念を 掻き 立て る民 衆的 宗教 に対 し人 間性 を腐 敗さ せる も のと して 厳し く批 判し てい るこ とが
︑本 稿の 問題 意識 に関 連し て重 要な 事柄 であ る︒ ヒュ ーム はま ず︑ 人生 にお ける
﹁不 断の 希望 と恐 怖﹂ から 多神 教が 発生 した と論 じる
︒ヒ ュー ムに よれ ば︑ 幸福 への 願い や未 来へ の恐 れや 死の 恐怖 など から
︑人 間の 目に は見 るこ とが でき ない 人間 の運 命を 形成 する 何ら かの 原因 を探 し 求め るよ うに なり
︑多 神教 が生 じ(39
た)
︒こ のう ち︑ ヒュ ーム は特 に恐 怖の 情念 の影 響に 着目 し︑ 以下 のよ うに 指摘 する
︒ しか し︑ われ われ がわ れと わが 心を 検討 した り︑ ある いは われ われ の周 囲に おき る事 柄を 観察 する 場合
︑わ れわ れ は人 々が 快適 な情 念に よっ てよ りも 憂鬱 さ︵
t h e m e l a n c h o l y
︶ によ って︑は るか にし ばし ば跪 いて 祈り たい 気持 ちに させ られ るこ とを 知る であ ろう
︒︵ 中略
︶す べて の不 吉な 出来 事は
︑わ れわ れに 警告 を与 え︑ そし てそ れが 起こ った 根 本諸 原因 に関 して 探究 する 気持 をわ れわ れに 植え つけ る︒ 憂慮 が将 来に 関し てわ きお こる
︒す ると 心は 自己 不信
︵
d i f f i d e n c e
︶︑恐 怖お よび 憂鬱 に落 ちこ んで
︑わ れわ れの 運命 を完 全に 左右 して いる と想 定さ れる
︑人 間の 目に は見 え ない 知性 を持 った さま ざま な力 をな だめ 静め るた めの あら ゆる 方法 に助 けを 求め よう とす る︒ 人び とに しか るべ き宗 教観 をい だか せる に際 して
︑苦 悩の 有効 さを 強調 する こと は︑ いか なる 話題 にも まし てあ ら ゆる 民衆 的宗 教家 の間 で︑ つね に見 られ ると ころ であ
(40
る)
︒
つま り︑ ヒュ ーム によ れば
︑憂 鬱や 自己 不信 が宗 教と 深く 関連 し︑ 宗教 の基 調と なっ てい る︒ この 多神 教に おけ る恐 怖や 憂鬱 とい う基 調は
︑一 神教 にも 見ら れる とい
(41
う)
︒﹁ 宗教 の自 然史
﹂に おい てヒ ュー ムは
︑一 神教 をた また ま理 性と 一 致し てい ると しつ つも
︑一 般的 にそ の起 源は 自然 の法 則性 を観 察す るこ とに よっ てで はな く︑ 目に 見え ない 原因 への 不 安や 阿諛 追従 だと 指摘 す(42
る)
︒つ まり
︑ヒ ュー ムに よれ ば︑ 一神 教も 多神 教同 様︑ 恐怖 や卑 屈に 基づ いて いる 場合 が一 般 的だ とい うの であ
(43
る)
︒ 一般 的に 多神 教も 一神 教も 恐怖 や卑 屈に 基づ いて いる と論 じた 上で
︑ヒ ュー ムは 第九 節か ら多 神教 と一 神教 を比 較す る︒ ヒュ ーム によ れば
︑多 神教 は他 の宗 派や 神の 一部 を認 めた り相 互に 適合 させ 比較 的寛 容に なり やす いの に対 し︑ 一 神教 は他 の宗 派と 敵対 し猛 烈な 激情 をぶ つけ あう 傾向 があ る︒ 一神 教の 排他 性の もと では
︑世 俗主 義の 権力 によ って し か寛 容を もた らす こと がで きな
(44
い)
︒自 由へ の愛 や知 識や 美徳 は宗 教の 権力 と相 いれ ない とい うの であ
(45
る)
︒ 上記 の議 論か らは
︑ヒ ュー ムが 一神 教の 排他 性や 激情 に危 惧の 念を 持っ てい るこ とが わか るが
︑ヒ ュー ムが 警戒 する のは それ らの 要素 が世 俗の 秩序 を不 安定 化さ せた り撹 乱す るか らだ けで はな い︒ もち ろん それ らも 大き な懸 念で はあ る が︑ 人間 の資 質が 恐怖 や卑 屈の 悪影 響を 受け るこ とを 大き な問 題と して いる
︒そ れが 示さ れて いる のが
︑
﹁宗 教の 自然 史﹂ の第 十節
﹁勇 気な いし は卑 下に 関し て﹂
︵
W i t h r e g a r d t o C o u r a g e o r A b a s e m e n t
︶ であ る︒ この 第十 節に おい て︑ ヒュ ー ムは︑一 神教 が人 間の 資質 を劣 化さ せる と指 摘す る︒ 一神 教が 迷信 的な 恐怖 と結 びつ いた 場合 は︑ 人間 の心 が最 低の 服 従と 卑下 へと ひき おろ され
︑﹁ 難行
︑苦 行︑ 謙遜 およ び受 苦﹂ とい う修 道僧 的な 美徳 ばか りを 重ん じる よう にな って しま う︒ ヒュ ーム によ れば
︑多 神教 にお いて は活 発さ や勇 気が 重視 され たの に︑ 一神 教で はそ れら に代 わり
︑鞭 打ち や断 食︑ 臆病 や謙 遜︑ みじ めな 屈従 や奴 隷的 な服 従が 名誉 獲得 の手 段と なる とい うの であ
(46
る)
︒ キリ スト 教が 人間 を目 立た ない 行動 的で はな い人 間に して しま うと いう 議論 は︑ マキ ァヴ ェッ リの
﹃デ ィス コル シ﹄ にお ける 宗教 論と 相通 じる
︒し かし
︑マ キァ ヴェ ッリ は政 治的 自由 の維 持と 宗教 との 関連 を論 じて いる もの の︑ もっ ぱ ら祖 国の 士気 高揚 と防 衛と いう 観点 から 古代 宗教 を称 揚し てい
(47
る)
︒こ れに 対し
︑ヒ ュー ムは 恐怖 の情 念が 人間 の道 徳を 腐敗 させ る点 に着 目し てい る︒ 宗教 によ る恐 怖の 情念 の鼓 吹が 人間 の資 質を 劣化 させ 腐敗 させ るこ とを 問題 にし てい る
ので ある
︒ ヒュ ーム は﹁ 宗教 の自 然史
﹂に おい て︑ 一般 的な 人々 の宗 教を
﹁民 衆的 宗教
﹂︵
p o p u l a r r e l i g i o n
︶ と呼 ぶ︒ 民衆 的宗 教 にお いて︑人 々の 恐怖 心は
﹁悪 魔的 で悪 意に あふ れた 神﹂ の概 念を 生じ させ
︑﹁ 一種 の魔 神信 仰﹂ とな る︒ そこ では
︑神 に対 する 恐怖 が増 し︑ 神に つい ての 野蛮 な概 念も 増大 する とい う︒
﹁社 会の 存在 にと って 絶対 的に 必要 な諸 原理 であ る︑ 人間 行為 につ いて の我 々の 判断 にお ける 汚さ れな い純 粋な 道徳 の諸 原理 は︑ 何も のに よっ ても 保存 され えな くな
(48
る)
﹂︒ ヒュ ーム は︑ 民衆 的宗 教の 大多 数は
︑神 に受 け入 れら れる ため の努 力を
︑美 徳で はな く︑ つま らな い規 則遵 守や 度外 れの 熱意 や忘 我の 陶酔 や不 条理 な見 解の 信仰 にお いて 行お うと する と指 摘す る︒ ヒュ ーム はそ の理 由と して
︑親 孝行 な どは 人間 が自 然に 行う こと がで きる あり ふれ た行 為の よう に感 じら れる ため
︑迷 信的 な人 間は 神に 直接 奉仕 する ため に 人生 で何 の役 にも たた ない 特異 なこ とを 追求 する よう にな ると いう こと を挙 げる
︒﹁ 迷信 的人 間は 神に 仕え るも っと も 純粋 な方 法が 神の 被創 造者 たち の幸 福を 増進 する こと に存 して いる とみ とめ な(49
い)
﹂︒ 上記 の議 論に おい て確 認で きる こと は︑ 宗教 が人 間の 資質 を歪 め︑ 道徳 を腐 敗さ せて しま うこ とを ヒュ ーム が強 く問 題視 して いた こと であ る︒ ヒュ ーム の宗 教批 判が
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ や﹃ イン グラ ンド 史﹄ に通 底し てい るこ と は多 くの 先行 研究 が指 摘す るこ とで ある が︑ それ らは 主に 政治 制度 の撹 乱の 除去 や秩 序の 安定 化に 言及 して きた
︒し か し︑ 上記 の人 間の 資質 につ いて の議 論に 着目 する ので あれ ば︑ 以下 で示 すよ うに 卑屈 や恐 怖に 歪め られ てい ない 道徳 を 持ち
︑他 の人 間の 幸福 の増 進を 幸福 につ なが る道 とし て実 践す る︑ 文明 社会 にお ける 活発 で快 活な 人間 像を ヒュ ーム が 重視 して いた こと が浮 かび 上が る︒ この 人間 像は
︑﹃ 人間 本性 論﹄ や﹃ 道徳
・政 治・ 文学 論集
﹄に おけ る以 下の 箇所 と関 連し てい るよ うに 思わ れる
︒た と えば
︑﹃ 人間 本性 論﹄ 第三 巻第 三部 第二 節に おい ては
︑﹁ 自尊 心﹂
︵
s e l f - e s t e e m
︶が 卑下 と対 照さ れな がら 言及 され
︑﹁ 名誉 ある 人の 性格 に不 可欠 であ る﹂ とさ れ︑ さら には
﹁人 間一 般の 賛美 の的 とな った 大い なる 行為 と心 情の すべ ての もと に なっ てい るの が︑ 誇り と自 尊心 以外 の何 もの でも ない
﹂こ とが 指摘 され
(50
る)
︒ま た︑
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ では
︑よ く 知ら れて いる とお り︑ ヒュ ーム は文 明社 会に おけ る洗 練さ れた 技芸 の発 達が 人間 の幸 福に 適っ てお り︑ 人々 はそ こに お
いて より 社交 的に なり
︑﹁ 勤労
・知 識・ 人間 性﹂ が連 鎖的 に発 展し てい くと 指摘 して い(51
る)
︒ こう した あり 方は
︑﹁ 宗教 の自 然史
﹂で ヒュ ーム が批 判す る修 道僧 的な あり 方︑ つま り恐 怖や 卑屈 から ひき こも ると い う生 き方 とは 対照 的な もの であ る︒ ヒュ ーム の﹁ 宗教 の自 然史
﹂は
︑上 記の こと を踏 まえ れば
︑一 神教 と多 神教 を比 較 して 多神 教の 美点 を認 める かど うか では なく
︑恐 怖と いう 情念 が宗 教を 形成 し︑ そし てま た宗 教が 恐怖 の情 念を 強化 し てき たこ とを 分析 し︑ 恐怖 の情 念に 基づ く宗 教に 歪め られ ない 人間 の資 質を いか に確 保す るか とい う問 題意 識に よっ て 執筆 され たも のと 考え られ る︒ 実際
︑ヒ ュー ムは
﹁宗 教の 自然 史﹂ の結 論と して
︑知 性あ る者 は一 神教 を認 める であ ろう と指 摘す る一 方で
︑善 と悪 が相 伴う こと が常 であ るよ うに 一神 教に 弊害 が伴 うこ とも 指摘 し︑
﹁節 制と 中庸
﹂を 勧め
︑人 間理 性の 脆弱 さと 判断 停止 が安 全だ と論 じて
︑同 書を 結ん でい る︒ つま り︑ 一神 教を 理性 にか なっ たも のと して 承認 した 上で
︑そ の弊 害と 人間 理 性の 脆弱 さの 認識 を持 つこ との 重要 性を 強調 して いる
︒理 性が 脆弱 であ るゆ えに
︑恐 怖の 情念 の支 配を 批判 し穏 和な 情 念を いか に鼓 吹す るか とい うこ とが ヒュ ーム の問 題関 心だ った
︒要 する に︑
﹃四 論考 集﹄ の中 の﹁ 情念 論﹂ と﹁ 宗教 の自 然史
﹂は
︑恐 怖の 情念 の害 悪を 避け
︑穏 和な 情念 を鼓 吹す るも のだ った
︒穏 和な 情念 や自 尊心 とい う人 間の 資質 は︑
﹃道 徳・ 政治
・文 学論 集﹄ にお いて 展開 され る︑ 活発 で社 交的 な人 間の 資質 を文 明社 会に 適合 的な もの とし て評 価し 擁護 す る議 論と も密 接に 関連 する もの だっ た︒ 第三 節 雄弁 と趣 味と 良識 第一 節で は︑ ヒュ ーム が﹃ 四論 考集
﹄の
﹁情 念論
﹂に おい て﹁ 穏和 な情 念﹂ を中 心に
︑宗 教と レト リッ クを 批判 的に 考察 する 姿勢 を明 確化 して いた こと を確 認し た︒ 続く 第二 節で は︑ ヒュ ーム が宗 教論 にお いて 人間 の資 質を 重視 し︑ 恐 怖の 情念 が人 間の 資質 を歪 める 危険 性に つい て考 察し てい たこ とを 確認 した
︒本 節で は︑ ヒュ ーム にお ける 趣味 論に つ いて 考察 し︑ 趣味 論が 雄弁
・レ トリ ック と一 緒に 論じ られ てい るこ との 政治 的含 意を 探り たい
︒そ のた め︑
﹃四 論考 集﹄