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博士学位申請論文審査要旨

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博士学位申請論文審査要旨

早稲田大学大学院社会科学研究科

新美 貴英

地球社会論専攻 社会思想研究指導

長谷川如是閑研究

博士(学術)

政治・外交論を中心に A Study of Nyozekan Hasegawa

Political and Diplomatic Theories

(2)

博士(学術)学位申請論文審査要旨

新美 貴英 長谷川如是閑研究

-政治・外交論を中心にー

[1] 主題と概観

本論文は、「自由主義ジャーナリスト」(山領健二)として知られる長谷川如是閑(1875-

1969)を取り上げ、特に政治・外交論を中心に考察し、改めて如是閑像を吟味し、如是閑思 想の今日的意義を明らかにしたものである。如是閑研究は、これまで多くの研究者による研 究でかなり蓄積されてはいるが、彼らの描く如是閑像は実に様々で一致を見るにはほど遠い し、いまだ十分研究されていない領域も多い。これは、如是閑が活動した期間が明治後半か ら昭和の半ば過ぎに至る極めて長かったこと、また、如是閑が取り組んだ領域が、文学、思 想、政治、経済、社会、外交、文明など非常に広範だったことで、研究者の研究対象が、一 定の期間に限定されたり、如是閑の思想の一面に限定されたためである。本研究は先ず何よ りも、そうした先行研究に欠けたところを補い、如是閑の全体像に迫ることを目的にしてい る。筆者が先行研究の問題点として特に指摘するのは、1、如是閑の外交評論、世界秩序論 を中心に据えた研究が余りない、2、対米英戦争中および戦後期の論説を対象とした研究が 殆どない、3、文化論と政治論との関係を論じた研究が少ない、といった点である。しかし 実際は、1920年以来、30年代、そして戦中、戦後も、如是閑は中断することなく外交評論、

政治評論を行っていて、しかもそうした評論をより大きな観点から、つまり世界秩序構想の 下で展開していたのである。また、老子論や日本文化論も外交・政治評論と密接な関係を持 っていた。先行研究のこうした不備を補い、如是閑の全体像を明らかにするために、筆者が 最も重視したのは、如是閑の戦前・戦中・戦後の思想的連続性・非連続性を考察するという 視点である。具体的には以下のような6つの課題に答える中でそれを明らかにしようとした。

(1)如是閑に影響を与えた思想家を取り上げ、その政治思想と影響の跡を考察。(2)先行研究

で余り扱われていない1920 年代から満州事変にかけての外交政策論を検討し、日本の近現 代史における小日本主義の意義と、当時の対外政策の問題点を明らかにする。(3)如是閑の 1930年代に関する従来の学説の問題点を指摘し、自由主義や議会制擁護という観点から、戦 前の言論活動の意義を考察し、如是閑の言論活動の思想的連続性の有無を明らかにする。(4) 従来軽視されがちだった1930年代の文化研究(老子研究、日本文化研究)の意味づけを行う。

(5)如是閑による大東亜共栄圏構想の思想史的位置づけを確認し、戦前から戦後に至る思 想的連続性の有無を考察する。(6)如是閑が戦後期に執筆した論説から晩年の世界秩序構想 を明らかにする。また、戦後日本への具体的な提言内容を読み解き、戦後日本の原点的思想 の内容と特質について検討する。本論文はこれら6つの課題に対する考察を通して、独自の 如是閑像を描き出し、如是閑の思想が持つ今日的意義を明らかにしようとしたものである。

(3)

[2] 論文の構成 目次

序章 問題の所在および本論文の目的 はじめに

第1節 問題の所在 第2節 先行研究の通覧

1.初期の研究 2.近年の研究 第3節 本論文の課題 第4節 研究の方法

第5節 読解における留意点 第6節 本論文の構成 第1章 如是閑の思想形成

はじめに

第1節 如是閑の前半生

第2節 如是閑に影響を与えた5人の思想家 1.スペンサー

2.クロポトキン 3.ラッセル 4.ホブハウス 5.ホブソン

第3節 吉田茂、石橋湛山との比較 小括

第2章 1920年代前半期における如是閑の対外政策論 はじめに

第1節 問題の所在 第2節 初期論説の特徴 第3節 初期論説の具体的内容

1.論説「『大阪朝日』から『我等』へ」

2.著書『現代国家批判』

3.民族主義批判の論説

第4節 陸羯南の思想と初期論説の比較 小括

第3章 国際秩序の変容と如是閑の“小日本主義”

はじめに

(4)

第1節 問題の所在

第2節 如是閑による対中政策批判の概要 第3節 対中政策批判の具体的内容

1.中国の近代化への視点 2.山東出兵批判

3.満州政策批判

第4節 如是閑の”小日本主義”の意義 小括

第4章 日本の帝国主義段階における満州事変批判 はじめに

第1節 問題の所在

第2節 如是閑による満州事変批判の特徴 第3節 満州事変批判の具体的内容

1.柳条湖事件への批判 2.満州国成立への批判 3.領土拡大と人口問題 第4節 満州放棄論の挫折

小括

第5章 1930年代の政治評論および対外政策論の転換 はじめに

第1節 問題の所在

第2節 1930年代における政治評論の特徴 第3節 1930年代論説の具体的内容

1.国内体制批判 2.対外政策批判 3.中国進出の容認

第4節 1930年代論説の位置づけについて 小括

第6章 如是閑の文化研究(1)――老子論――

はじめに

第1節 問題の所在

第2節 如是閑の老子研究の概要 第3節 老子研究の具体的内容

1 論説「ラッセルの社会思想と支那」について 2 著書『老子』について

3 論説「老子の政治学の動機」と論説「老子教の支那的根底」について

(5)

第4節 如是閑による老子論の考察 小括

第7章 如是閑の文化研究(2)――日本論――

はじめに

第1節 問題の所在

第2節 日本論における政治的主張 第3節 日本論の具体的内容

1.排外主義批判

2.経験主義的傾向の強調 3.平和的性格の強調 4.同化政策の支持

第4節 日本論の意義および問題点 小括

第8章 大東亜共栄圏構想と如是閑の対外政策論 はじめに

第1節 問題の所在

第2節 如是閑による大東亜共栄圏構想の特徴 第3節 戦時下における如是閑論説の具体的内容

1.占領政策への提言

2.「全世界的文化圏」構築への提言 3.日本語による同化政策への支持 第4節 如是閑構想の意義および問題点

小括

第9章 戦後期論説にみる世界秩序構想 はじめに

第1節 問題の所在

第2節 戦後期に発表された世界秩序論

第3節 世界秩序に関する戦後期論説の具体的内容 1.論説「文化交通の自由」ほか

2.論説「非武装国家と世界的生活協同体」

3.論説「主権国家と生活協同体」

4.論説「世界史の動向と新国家形態――主権国家から職能国家へ――」

第4節 如是閑の戦後構想の意義 小括

第10章 戦後日本ヘの提言 はじめに

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第1節 問題の所在

第2節 如是閑の戦後活動の特徴

第3節 戦後日本に対する具体的提言および政治関与 1.「職能的役割」論

2.憲法制定への関与 3.世界国家、世界警察軍 4.戦後民主改革の受容

5.精神的自由権の擁護およびソビエト連邦批判 6.英米思想の再評価

7.保守政治への接近

第4節 如是閑が描いた戦後日本の姿 小括

終章 如是閑による世界秩序構想の今日的意義 第1節 各章の要約

第2節 設定した課題について 第3節 如是閑の思想像 総括 如是閑構想の今日的意義 初出論文

参考文献

[3] 各章の概要

序章は、長谷川如是閑に関する先行研究を概観・整理し、その問題点を明らかにし、更に 本論文の課題と方法を示している。先行研究では、先ず初期の先行研究として、蠟山政道、

山領健二、田中浩、飯田泰三、平石直昭、三谷太一郎、池田元、バーショイらが、次に近年 の先行研究として、古川江里子、長妻三佐雄、ハネマン、銭昕怡、田崎嗣人、織田健志、堀 真清らが取り上げられている。だが、如是閑に対する評価は研究者によって非常に異なる。

例えば、如是閑の自由主義に対しては、田中は好意的に評価するが、古川の評価は低い。ま た、山領は如是閑はマルクス主義から転向したと説くが、バーショイは転向説には懐疑的で ある。

第1章の前半は、就学期を中心に、如是閑の思想形成過程を追っている。如是閑は少年時 代、坪内逍遥や中村正直の塾や杉浦重剛が校長を務めていた東京英語学校で、英語や英米系 の思想・教養を身につけたが、それが後に、英米流の自由主義の思想基盤を築いていく。後 半は先ず、如是閑が愛読したというスペンサー、クロポトキン、ラッセル、ホブハウス、ホ ブソンの思想を取り上げ、如是閑の思想形成に与えた影響を明らかにしている。これら思想 家の影響を受けたことによって、如是閑は終生ドイツ流の国家哲学に対する批判精神を持つ ようになり、またそれが如是閑思想の下地となって、後年の対外政策論、世界秩序論へと展

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開していったという。次に、如是閑の思想形成の特徴をより鮮明にするため、ほぼ同時代の 吉田茂と石橋湛山の思想形成とを比較している。

第2章は、大阪朝日新聞社退社後、独立した言論人として発表した1920 年代前半期の論 説を、特に対外政策を扱った論説を取り上げて考察している。そこに見られる特徴は、国際 社会概念の採用、国家に対する社会=生活の優位、最高独立性という意味の主権概念への批 判、排外主義批判、「交流」を通した社会進化への示唆、「生活の協同」による平和醸成への 期待、といったもので、それらが後年の、「世界的生活協同体」構想へと繋がっていったとい う。第4節では、言論人としての師に当たる陸羯南の思想との比較を行い、如是閑が陸から 継承したものと乗り越えようとしたものを明らかにしている。即ち如是閑は、陸の異文化摂 取に前向きだったところは継承し、文化防衛的な主張は斥けたという。

第3章は、1920年代から満州事変までの対中政策批判を検討している。如是閑の対中政策 批判は、当時、小日本主義を唱えていた三浦銕太郎や石橋湛山らの対中政策批判と重なると ころが多い。例えば、石橋も如是閑も満州権益放棄論を訴えている。しかし、石橋が経済実 態分析を中心とした対中政策批判を行ったのに対して、如是閑は文明論的視点から、中国の 近代化とナショナリズムの勃興を見通しながら、対中政策を批判したのである。また如是閑 は第1次世界大戦後、欧米列強の対外政策の目的が、領土獲得から経済的利益の獲得へと変 わってきていることに言及し、対外政策の転換を迫ったという。更にこうした主張が、満州 を人口増加の捌け口とした吉田茂の考えとは根本的に違うことも指摘している。

第4章は、如是閑の満州事変批判を通して、日本の大陸政策の問題点を考察している。如 是閑の満州事変批判は、欧米列強の対中政策が経済利益の獲得へと変化しているにも拘らず、

日本は領土拡大・人口殖民という旧時代の意識に縛られている、移民政策・食糧政策の何れ においても満州権益から得られる利益は少ない、近代化に伴って勃興してきた中国ナショナ リズムの矛先が日本の満州権益に向けられている、従って大陸政策を転換し満州を放棄すべ きである、というものであった。だがこうした満州放棄論は世論を動かすには至らなかった。

その理由を筆者は、当時の政府要人の対中認識、日露戦争の影響、メディアの三点から検討 している。

第5章は、満州事変以後の1930 年代の政治・外交論説を検討している。筆者は先ず、この時 期の如是閑については、これまで時事評論から手を引き文化論へ逃避したとか、時代に迎合して いったという見解を、この時期の政治・外交論説を丁寧に読解して斥ける。確かにこの時期の如 是閑の言論活動は大きく変化した。しかし筆者によれば、それは変化したというより元に帰った という方が正確だという。即ち、この時期の如是閑の論説には、自由貿易体制の主張、自由主義・

民主主義制度への信頼、政党政治・議会政治の擁護が明瞭に見られ、それはブロック経済を批判 し、軍部・官僚の発言力を抑制するためでもあった。しかし同時に、対外政策に対しては批判的 視点は後退し、日本の大陸進出を容認していったことも指摘している。

第6章は、文化研究の(1)で、如是閑が1930年代後半に論じた老子論を検討している。

筆者は老子論を中国の古典研究としてではなく、政治思想を表明したものとして考察を加え

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る。即ち、如是閑の老子論は「村落自治体」を保障する政治様式を強調するもので、「積極的 不作為」を掲げることで、国家主義的政治体制の解消や民主的統治や経済的平等の実現を求 めていたことを明らかにしている。と同時に、『老子』が大国による小国併合を認めていて、

如是閑もそのことを肯定した上で非支配的な政治体制を模索するのだが、筆者によれば、そ れが日本の大陸進出を容認していく理論的根拠ともなった。この意味で、この時期の思想は 国際主義的発想から地域主義的なものへ移行したという。

第7章は、文化研究の(2)で、主に『日本的性格』、『続日本的性格』などで論じられて る如是閑の日本論を考察し、特にそこに盛り込まれている政治的主張を検討している。如是 閑は歴史事例を豊富に織り交ぜながら、日本文化の特徴を、寛容、経験主義、生活重視、文 化の平等性、平和主義などの概念で示すが、それは当時の日本に見られた政治的排外主義を 批判するものであった。しかし他方、古代の平和的、産業的な移民の同化事例と当時の軍事 力に依拠した同化政策とを峻別しなかったため、皇民化政策を楽観視することになったとい う。だがこの時期の日本文化論は、思想的水脈として戦後展開される「文化交通」論へ繋が っていく。

第8章は、1940年代前半、戦中期の政治・外交論説を対象とし、戦時下に如是閑がどのよ うな提言をしたかを検討している。この時期、日本軍の対外進出への批判は次第に影を潜め、

如是閑は占領政策の適正化を図り、「全世界的文化圏」の樹立を訴えるようになる。それは、

東洋文化と西洋文化を対立的に捉えず、西洋文化の成果を取り入れたものである。また、民 族自決原理や国家主権に対する否定的姿勢が、1920年代から変わっていないことも確認して いる。そうした姿勢が、如是閑を国策としての「地域主義」への共鳴へと向かわせたという。

そして、アジア諸国での日本語普及による日本化の強制、手段としての軍事力を肯定してい った如是閑の負の側面も検討している。

第9章は、これまで殆ど注目されなかった戦後期の如是閑の言論活動を対象とし、特に「文 化交通の自由」論と「世界的生活協同体」構想について検討している。ここにいう「文化」

は、宗教、学問、芸術だけでなく、政治、経済を含む広義の概念で、そうした文化の交流こ そが社会進化の原動力で、その自由を保障する政治体制こそ望ましいとする。文化交通が進 めば相互交流が促進され、生活圏が拡大して「世界的生活協同体」が醸成され、それが深化 していけば世界平和が形成されていくと考える。従って、勢力均衡論は否定される。また、

戦後の論説がトランスナショナル・リレーションズを重視する近年の世界秩序論を先取りす る側面があることを明らかにしている。

第 10 章は、前章で明らかにされた世界秩序像に基づいて、如是閑が戦後の憲法問題や民 主改革といった現実の政治問題に対しどのような提言を行ったかを考察している。如是閑は 貴族院議員として憲法制定に関与したが、9条に日本の再軍備に含みを持たせた芦田修正に 反対するとともに、世界国家構想を唱え世界国家による軍事力の一元的管理を主張した。如 是閑が新憲法の中で最も高く評価したのは、精神的自由(思想・良心の自由)の規定で、ソ 連を政治的自由の保障のない国家だとして強く非難する一方、政治的自由を重視する英米系

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の思想の役割を認めるとともに、アメリカ主導の民主改革を肯定した。また、講和問題に関 しては、吉田茂の親米路線を支持し、単独講和に一定の理解を示した。

終章は、各章を要約し、如是閑の思想に見られる特徴およびその今日的意義を考察し、本 論文を締め括っている。如是閑の思想の特徴としては、機能主義的なアプローチからの平和 実現構想、相互交流を原動力とする社会進化論、国際社会概念から地域主義を経て辿りつい た世界連邦構想、国家主権解消と世界連邦構想に基づいた戦後体制の肯定、単線的な歴史観 と政策実現手段の軽視、が挙げられている。

[4] 分析と評価

審査会、公聴会での議論は以下の通りである。

〈各章の分析と評価〉

序章。先行研究では、如是閑を扱った研究者の殆どすべての著書、論考を取り上げ要領よ くまとめていることは評価できるが、網羅的で整理の仕方が若干平板である。第3節で、本 論文の課題が突然提示されていて、第2節からの議論が分かりにくく、何故そうなのかとい う説明があってしかるべきではなかったか。如是閑が大正デモクラシー期の言論を否定しな かったことを、『国家行動論』の内容から裏付けているのは説得力がある。丸山真男にとって 如是閑は二人の師の一人だが、丸山の如是閑論にはあまり言及されていない、もっと言及し てもよかったのではないか。また、蠟山政道の如是閑評は、本論文の議論に近いように思わ れるが、いま少し触れてもよかったのではないか。

第1章。この章は本論文の中で最も長い章だが、この章だけ「問題の所在」という節がな いのは何故か。この章の注はなかなか充実していて、本文中に挿入してもいいようなもの(例 えば、白虹事件。注の14,15)もある。ホブハウスの自由主義も「新自由主義」と呼ばれる が、思想史上、新自由主義は3つあるので、他の2つ(1930代にドイツに登場したそれと 1970 年代に興隆してきたそれ)違いについても簡単に触れてもよかったのでは。吉田茂と石 橋湛山との比較は、本論文全体で生かされていて評価できる。注の中ではあるが、小説『額 の男』の夏目漱石の書評や、辰野隆の如是閑論を取り上げているのは、如是閑の多面性を示 せていてよい。如是閑は、法律家を志し法学を学んだこともあったが、それが如是閑のその 後の思想形成にどのような影響を与えたのか、ラッセルは「法の支配」にかなり関心を持っ ていたようだが、如是閑はどうだったのか。

第2章。初期論説の内容、特徴が簡潔、的確に論じられていて評価できる。「帝国主義」の 概念がやや不明瞭(第3章にも出ている)。前章で言及されているホブソンのいう意味で使っ ているのか、いま少し説明があってもよかったのではないか。また、「社会化」の概念だが、

如是閑が使う「社会化」の意味は明確だが、当時は、あるいはそれ以後、それとは違う―国 家化とか社会主義化といった―意味でも使われていたと思われるので、その辺にも触れると、

如是閑の立場がもっと明瞭になったのではないか。明治を代表する―丸山真男も高く評価し ている―陸羯南との比較は、陸の時代と如是閑の時代の違いを浮かび上がらせているようで

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興味深い。それに関して、陸の『国際論』に国際法に期待するような記述も見られるという ことだが、その点について如是閑はどう理解していたのか。

第3章。石橋湛山らの唱えた小日本主義が如是閑にも妥当するという議論は充分説得力が ある。しかも一方で、対中政策への如是閑と湛山とのアプローチの違いも押さえられていて 評価できる。吉田茂や田中義一らとの比較や、近代化初期の近代化に対する日本の資本家と 中国の資本家の違いの指摘も興味深い。「二十一カ条要求」に関する研究は、最近、奈良岡聡 智などによって精力的に進められているが、この問題で如是閑はどう扱われているのか。ワ シントン体制についての記述は、如是閑自身のものなのか(第4章で少し触れられているが)、

一般的な見方なのか、もし後者のであればもっと詳しい議論が必要であろう。原敬が関心を 持っていた新四国借款団構想を如是閑はどう考えていたのか。如是閑の満州放棄論は正確に 何時唱えられたのか、将来を予測して唱えられたのか、また具体的にどの程度の放棄を求め ていたのか。

第4章。本章でも満州問題をめぐり、如是閑と吉田茂、石橋湛山が比較されていて、如是 閑の立場が鮮明に描かれている。満州権益擁護は軍部だけでなく、当時の国際法学者などに よっても説かれたという指摘は非常に重要であるが、横田喜三郎と吉野作造らがその例外だ ったというだけで、その説明は十分でない。つまり、満州事変前後に、三谷太一郎もいうよ うに、C・シュミットの「広域国際法」などが現れて、国際法の領域における特殊の普遍化、

例外の一般化が進み、日本の国際法学者の考えも変わっていたからである。満州問題などに 関して、如是閑と横田や吉野とを比較論じているのは評価できる。蠟山政道もこの問題で発 言していて、如是閑や吉野とはどう違っていたのか、興味深い問題だが言及されていない。

またワシントン条約や満州問題と近衞文麿や革新官僚との関わりなどを取り上げるのも面白 いのでは。

第5章。多くの先行研究を取り上げ、その不備・誤解を、如是閑の論説によって十分反証 し得ていて評価できる。如是閑が大衆参加型の社会主義、即ち国家社会主義に転向したとい う先行研究の議論は明らかに誤りだが、しかし国家社会主義が恐らく戦前の最大問題だった と思われる、何故ならそれは大衆だけでなく、軍部や官僚制とも容易に結びつき得るからで、

如是閑は国家社会主義をどう考えていたか。大正デモクラシーの挫折の原因を、三谷太一郎 は、民主主義から自由主義の要素が切り落とされたことに求めているが、それは民主主義と 自由主義が「本来、異質な価値を追求する原理」であるという考えからきているけれども、

如是閑にそうした考えはあったのか知りたいところである。

第6章。森三樹三郎、小川環樹、福永光司などの老子研究家の専門的研究を踏まえた上で、

如是閑の老子論を論じていて評価できる。しかし、筆者は如是閑の老子論だけ議論している が、如是閑は具体的な政治・外交論説の中でも老子を論じているのか。もし論じていればそ うした論説こそ重要ではないか。儒教について余り触れていないのは何故か。如是閑は佐藤 一斎の影響も受けているし、何よりも『我観中国』で儒教について詳しく論じている。恐ら く、儒教と西洋の社会科学とうまく接合できないからだろう。これまでも、建部遯吾や鵜沢

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総明などが試みようとしたがうまくいかなかった。これは、如是閑のいうように、東洋の政 治学と西洋の政治学とが根本的に異なるからだろうか。鵜沢も結局は老子を重視するように なった。田口卯吉は西洋の自由経済思想と老・荘思想との共通性を指摘している。しかし、

近代以前の東洋で社会科学を担ってきたのは儒教(と法家思想)であるから、やはり儒教に ついてもっと触れる必要はあったのではないか。

第7章。先行研究に関しては、よく整理・検討されているが、第1節「問題の所在」の中 に既に結論らしきものが述べられているがどうか。筆者は混在説を採っているが、同説は既 に先行研究に見られていて、筆者のオリジナリティがどこにあるのかいま一つハッキリしな い。混在説について、筆者は如是閑が言論活動を二方面作戦で行ったからだというが、何故 そういう作戦を如是閑がとったのか説明がない。如是閑を、理想を具体化するための政策手 段と方法に対する関心が薄い思想家だったという議論は鋭い。如是閑の日本論とルース・ベ ネディクトの『菊と刀』に共通点があるとの指摘は面白い。ベネディクトは「恥の文化」を 全面的に否定しているとはいえないのではないか。

第8章。これまで全く扱われることのなかった戦時中の如是閑の論説を詳しく論じていて 高く評価できる。明治期には傍流だった地域主義を昭和初期に主流化したのは蠟山政道だが、

地域主義に関して蠟山と如是閑の間には何か並行関係はあったのか。また、彼らの地域主義 とドイツ・ナチスが地政学に基づいて唱えた地域主義とどう違うのか、その辺りも触れてほ しかった。自由主義や戦争に関して如是閑と清沢洌との比較はかなり面白いはずだがあまり 扱われていない。如是閑の文明観と企画院のそれとは根本的に異なっていたと思うが、それ についてもう少し説明がほしかった。民族自決原理をめぐる如是閑と南原繁との違いはイギ リス学とドイツ学の違いからきているのか、もっと掘り下げてもよかったのでは。

第9章。第1節「問題の所在」で、既に結論が書かれていてどうなのか。如是閑は勢力均 衡理論に否定的だったが、その理由にもう少し触れてほしかった。近代の西洋においては、

勢力均衡理論はかなり支持の多い理論だったと思うが。ただし、西洋では、勢力均衡理論の 背景に自然法があったと思われる。終章で、如是閑の思考が「グロティウス的視座」に近い といわれているが、このことと関係しているのか。しかし東洋、アジアの場合、西洋の自然 法に当たるものはない、そうすると「国内の生活協同体」と「世界的生活協同体」との間に は、今日はともかく、相当な距離があるので、如是閑のようにその間に地域主義というもの を考えざるを得なかったのかもしれない。しかしそれは「グロティウス的視座」といえるの か。第3節は4つの論説が取り上げられているが、論説論になってはいないか。

第 10 章。吉田茂や石橋湛山らとの比較によって、如是閑の立場が一層鮮明に描かれてい る。吉田の如是閑宛の新資料が論文中に挿入され、議論をより説得的にしている。戦後、吉 田と石橋は首相に、如是閑も一時貴族院議員になっていて、三者の立ち位置を明らかにする ことは戦後日本の思想的状況を理解する上でも有益である。如是閑は吉田ドクトリン(軽武装、

経済中心、日米関係重視)には共鳴するが、憲法9条や世界秩序論では違っていて、むしろ石 橋に近かったという。しかし、対中政策では如是閑と石橋ではかなり違っていたはずで、そ

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の理由は何だったのか、説明がほしかった。日本の学会におけるイギリス学に対する誤解、

ドイツ学への偏重についての如是閑の考えが詳しく扱われていてよい。最後のところで、如 是閑の世界秩序論が、「今後の日本の体制を議論するうえで示唆に富む」とあるが、具体的に はどういうことなのか、説明がほしかった。

終章。終章に相応しく、序章で設定した課題に答え、如是閑の思想が持つ今日的意義を述 べ本論文を閉じている。筆者が如是閑思想の特徴として指摘している5点は概ね妥当である。

〈公聴会での質疑応答〉

公聴会での質問

1 序章で設定された課題(1)の「如是閑に影響を与えた思想家たちの考察」は、

課題(2)以降とどう絡んでくるのか、また何故そうする必要があったのか。

2 第1章後半での「思想家たちの考察」は、思想家別の構成をとっていて、それ ぞれの思想家の影響が分かりやすくなっている半面、如是閑がどういう時期にどのような問 題意識から、各々の思想家の思想を学び受け容れようとしたのか、という点が見えにくくな っているのではないか。

3 陸羯南とは比較されているが、政教社の他の人物との比較も必要ではなかった か。例えば三宅雪嶺の方が、時代的には如是閑と多く重なっていたはずである。陸羯南の時 代は、日本が対外進出する前の時代、色々なものが日本に入ってくる時代、従って、危機感 を持って発言しているが、如是閑の時代は、逆に日本が海外へと出ていく時代で、そうした 違いをどう考えているか。

4 如是閑は日本語普及による同化政策を推進したとあるが、如是閑は具体的にど こまでのレベルを想定していたのか。また、石橋湛山の小日本主義には朝鮮半島も含まれて いたが、如是閑は朝鮮統治に関してはどう考えていたのか。

5 本研究の目的のところで、昭和の失敗、戦後日本の思想的基盤の考察とあるが、

具体的にはどういうことか。

6 昭和初期の問題点は、当時の政府が世界史的な流れを見誤ったということか。

筆者の応答

1 如是閑の政治評論、外交評論の内容を探っていく上でどういう思想が根底にあ ったかを知ることが重要だと考えた。論説全体を支える社会進化論、社会有機体説をどのよ うにして身につけるに至ったかを探るために、如是閑がどんな文献を愛読したのかを調べる 必要があると思い取り上げた。

2 思想家別にした方がその影響が分かり易いと思い、他の章とは構成を変えた。

如是閑の問題意識と時代背景については、今後の研究に俟ちたい。

3 文化防衛的な発想の有無や西洋像の違いは、それぞれが生きた時代の差もあっ たと思う。自国の存立が課題だった帝国主義全盛時代に生きた陸羯南と、第一次世界大戦後 の時代を生きた如是閑とで、差が生じたのではないかと思われる。三宅雪嶺など他の思想家 との比較は今後の研究課題としたい。

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4 日本の近代化を模範とするため、アジア地域で日本人の精神を理解させようと、

より積極的には民族的対立を緩和する装置として、如是閑は日本語の普及を提言していた。

通覧する限り、如是閑が関心を持っていたのは、圧倒的に中国だったと思われる。因みに、

対中政策批判を本格化させるのも石橋湛山よりも遅く、1920年代になってからだった。

5 昭和初期の問題点は、世界の流れ、文明論的な流れを読む力に欠けていた、と いうこと、戦後日本の思想的基盤とは、長期的方向性として、世界連邦を想定し、その上で 戦後体制を受け容れた、ということだったと思われる。如是閑や湛山の論説の土台にあった 思想で、それは戦後体制の出発点で自由主義者たちによって理想視されていた世界秩序だっ たともいえる。

6 第1次大戦終結後、欧米では戦争が違法化されていくが、日本にとっては、漸 く帝国主義時代のル―ルに慣れてきた頃に、ルール変更が行われた、ということだったと思 う。そういう時代の大きな流れの変化に乗り切れなかったのではないか。

〈全体の評価〉

本論文は、先行研究に見られた不備を補い問題点を解決し、序章で設定した6つの課題に 十分答えており、長谷川如是閑の立場を鮮明にし、その全体像をよく捉え得ている。筆者は 如是閑の思想が持つ今日的意義を、本論文の最後でこうまとめている。「現実と理想の狭間に たち、文明論的視点から世界秩序を論じた如是閑の論説は、現在の戦後体制の意味、今後の 世界秩序のあり方を模索するうえで多くの示唆に富む。各地域の伝統、文化といった多様性 を尊重しながら、他方では人権などの普遍的価値を普及させ、人類が共生できる世界平和を 実現するという、今日もっとも重要な課題を達成するうえで、如是閑の構想は一つの羅針盤 となりえよう。」本論文は所期の目的を概ね達したといってよいだろう。そこには、本論文の 方法上の一つの特徴、即ち、比較思想史的アプローチが大いに与って力あったと思われる。

本論文が、如是閑の思想を近代日本の思想史の中で明確に位置づけ得たのは、多くの問題 で、如是閑より前の時代の陸羯南、ほぼ同時代の吉田茂や石橋湛山らと比較したからである。

ただ惜しいことに、如是閑より後の時代の人物あるいは学者がいない。もしそうした人物、

学者と比較すれば、もっと長い歴史的視座で、もっと理論的な視点から如是閑を捉えること が出来たであろう。だが本論文中にもその候補者は求められ得る。蠟山政道がそうである。

蠟山は若い頃如是閑の影響を受けており、佐藤一斎、民主主義、地域主義、満州問題、河合 事件で東大教授辞職、戦後の民主的改革などにおいて、如是閑の思想・関心と重なるところ が多いからである。本論文では、蠟山は断片的にしか扱われていないが、多くの問題で取り 上げていたならば、本論文はもっと説得力を増していただろう。

また本論文は、近代西洋の社会思想と東洋の思想の比較の中で、如是閑の思想を適切に位 置づけている。如是閑は近代西洋の社会思想から多くを学び、東洋の思想・文化にも触れ、

自らの思想を形成した。そして「大正デモクラシー」の担い手の一人となった。だが大正デ モクラシーは成熟を見ることなく挫折した。そこには難しい問題が多々あるが、思想的問題 に限定すれば、デモクラシーという概念が法の支配や自由主義との関係を明らかにすること

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なく曖昧なまま使われたということがある。この問題は如是閑も余り論じてはいない。この 問題に答えるには、如是閑が扱ったものよりもっと広い西洋思想と東洋思想を取り上げ議論 する必要があり、それは明らかに本論文の研究範囲を超える。しかし大正デモクラシーの問 題は戦後民主主義の問題でもあった。本論文が詳論しているように、如是閑は戦後の民主的 改革に積極的に関与することができた。これは大正デモクラシーの問題を考える上で、やは り如是閑の思想が鍵となることを示しているということであろう。それは、如是閑の思想の 基盤や方向性が確かなものだったということである。そういう意味でも本論文は、近代日本 の最も大きな問題の一つである大正デモクラシーの問題を解く手掛かりを与えてくれるもの といえる。

何れにせよ本論文は、如是閑がその長い生涯において真摯に取り組んだ多くの問題を取り 上げ、その膨大な著書、論説、資料を入念に読み解くことによって如是閑の全体像を描いた もので、今後の如是閑研究のみならず、近代日本思想研究にも少なからぬ影響を与えていく ことが期待される。

以上を総合的に判断した結果、審査委員全員一致して本論文が「博士(学術)早稲田大学」

の学位に値するものとして、ここに推薦する次第であります。

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審査委員

主任審査員 早稲田大学社会科学総合学術院教授 経済学博士 早稲田大学 古賀 勝次郎

早稲田大学社会科学総合学術院教授 池田 雅之

文学学術院准教授 博士(文学) 早稲田大学 真辺 将之

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