早稲田大学大学院社会科学研究科
博士学位申請論文審査要旨
申 請 学 位 名 称 博士(学術)
申 請 者 氏 名 中島 晶子
専攻・研究指導 地球社会論専攻 EU地域研究・比較環境政治研究指導
論文題目
現代スペインの福祉政治
Welfare Politics in Contemporary Spain
審査委員会設置期間 自 2009年 7月16日 至 2009年11月12日
受理年月日 2009年 7月16日
審査終了年月日 2009年11月12日
審査結果 合 格
審査委員
所 属 資 格 氏 名
主任審査員 社会科学総合学術院 教授 坪郷 實 審査員 社会科学総合学術院 教授 岡澤 憲芙 審査員 社会科学総合学術院 教授 畑 惠子 審査員 社会科学総合学術院 教授 篠田 徹
審査員 中央大学法学部 教授 若松 隆
博士(学術)学位申請論文審査要旨
中島晶子『現代スペインの福祉政治――分権化と南欧福祉国家の変容』
1 本論文のテーマと方法
本論文は、比較福祉国家論や福祉レジーム論の議論において「南欧福祉国家」ないし福 祉の「南欧モデル」に位置づけられる「スペイン福祉政治」の特徴を、政策学及び比較研 究アプローチから分析することをテーマとしている。第1に(福祉国家形成の特徴)、スペ イン福祉国家の形成及び発展の要因をどのように説明するのか、南欧福祉レジームの特徴 はどのようなものかを論じている。第2に(福祉ガバナンスの変化)、福祉サービスの供給 主体の多様化や重層化など、福祉ガバナンスの変化が生じているか、欧州レベルの政策が スペインの社会政策の動向に影響を与えたのかを分析している。第3に(福祉国家転換の促 進要因)、スペイン福祉国家の制度転換や改革を促進した要因が何かを追及している。
日本におけるヨーロッパ地域研究の関心は、大国の先進的技術や政策の導入に向けられ、
中進国の政治経済社会についての関心は低かった。福祉国家に関しては、北欧の社会民主 主義型レジームが注目されてきた。したがって、現代スペインの研究は、日本において社 会科学的研究は少なかった。本論文は、南欧政治の一例としてスペインを取り上げ、スペ イン福祉政治に焦点を当てている。福祉国家に関しては、その形成要因をめぐって、1960 年代までの経済社会要因論(産業主義理論)、1970 年から 80 年代にかけての政治要因論(近 代化理論、社会民主主義理論、資源動員論)、1990 年代からの福祉レジーム論と研究が進展 してきた。エスピン−アンデルセンは、社会民主主義的なスカンジナビア型、保守主義的 な大陸欧州型、自由主義的なアングロサクソン型という福祉レジームの3類型を提示した。
これに対して、南欧諸国の研究者によって、南欧4ヶ国の福祉供給体制は、エスピン−ア ンデルセンの3類型に当てはまらない独特の型を構成しており、そのため「南欧福祉国家」
や福祉の「南欧モデル」が主張された。この共通の特徴として、①労働市場における正規 労働者と非正規労働者の労働条件と社会保障の格差が激しい二元的構造、②福祉国家の役 割を家族が代替する程度が高い「家族主義」、③社会政策の構成のアンバランス、④公的セ クターと民間セクターのもたれあう関係、⑤福祉行政におけるクライエンテリズムの浸透、
があげられている。
本論文は、南欧福祉国家や福祉の「南欧モデル」の提示を行った南欧福祉国家研究、比 較福祉国家論の議論をふまえてスペインを位置づける研究、日本の福祉レジームとの比較 を行う研究、日本におけるスペイン地域研究をふまえて、「スペイン福祉政治」の特徴を浮 かび上がらせるために、各章で以下の論点を取り上げている。
第1章では、現代スペインの国家モデルとしての「諸自治州による国家」と政党システ ムについて述べ、本研究の基軸となる自治州体制について、その歴史的展開を述べ、78 年
憲法による制度的枠組を検討している。第2章では、南欧福祉レジームの中でスペインの 事例を位置づけ、自治州体制と関連した福祉の論点である家族、労働市場、第三セクター の役割を論じることにより、民主化後のスペイン福祉国家の特徴を分析する。
第3章では、南欧型福祉国家の特徴と言われる家族主義の点から、スペインの福祉レジ ームを検討し、福祉供給体制において家族が果たしてきた役割に焦点をあて、EU の政策動 向とスペインにおける「脱家族化」のディレンマを論じる。第4章では、労働市場の点か らスペインの福祉レジームを検討し、90 年代に欧州諸国で議論された「ネオ・コーポラテ ィズムの復活」現象、体制移行後の政労使の関係を分析する。第5章では、南欧福祉国家 の特徴を、移民政策から論じ、福祉国家への移民の組み込み方を検討している。第6章で は、公的セクターと私的セクターの相互関係を、スペインの社会福祉サービス分野におけ る第三セクター組織の役割を通じて論じ、ボランティアをめぐる政治的含意を考察してい る。
終章では、まとめとして、スペイン福祉国家形成のプロセスと特徴について、スペイン における社会政策の展開と福祉ガバナンスの変化について、スペイン福祉国家における制 度転換や改革を促進した要因について述べている。
2 本論文の構成
本論文の構成は以下の通りである。
序章
第1章 「諸自治州による国家」――独特の国家モデル はじめに
第1節 なぜ擬似連邦制か
1−1 78 年憲法と擬似連邦制 1−2 自治州体制と地方組織 1−3 連邦制でない理由
第2節 独特の国家モデルはどのようにして現れたか 2−1 共和主義と連邦主義
2−2 ピ・イ・マルガイの連邦思想とカタルーニャ・ナショナリズム 2−3 連邦主義の継承――第一共和制崩壊から第二共和制「統合国家」
2−4 78 年憲法と自治国家 第3節 自治州体制の展開 3−1 自治州体制の展開 3−2 政党制度
第4節 自治州体制の争点
4−1 政府間関係 4−2 上院
4−3 分野別協議会と自治州首相会議 むすびに
第2章 スペインからみた福祉の「南欧モデル」
はじめに
第1節 福祉の南欧モデル
第2節 スペイン福祉の「連続性」
2−1 フランコ政権の社会保障 2−2 民主化後の社会保障制度 第3節 自治州体制における福祉の分権化 3−1 保健医療
3−2 社会サービス(社会福祉)
第4節 スペイン社会と福祉の課題 4−1 家族政策と住宅政策
4−2 社会の安定と家族の連帯主義 むすびに
第3章 「家族主義的」福祉レジーム はじめに
第1節 福祉国家の改革と家族への視点 1−1 欧州の家族主義
1−2 欧州レベルの家族への関心 1−3 福祉レジームの類型論と家族 第2節 スペインにおける家族主義と労働市場 2−1 家族主義
2−2 労働市場
2−3 家庭生活と職業生活の両立 第3節 国家と家族
3−1 家族をめぐる歴史的文脈
3−2 「家庭生活と職業生活の両立支援法」改正案の国会審議 3−3 コマイユの3モデル
第4節 家族主義的福祉レジームの課題とゆくえ 4−1 自治州における家族支援
4−2 家族の変容と課題
むすびに
第4章 労働市場――社会協定の復活とその役割 はじめに
第一節 体制移行と社会協定 1‐1 労使団体の成立 1‐2 政労使の協定への関与 第二節 労働市場改革の政治化 第三節 社会協定の復活 3−1 協定の復活まで 3−2 要因
第四節 コーポラティズムの再来?
4−1 スペインの経験
4−2 協定による改革への移行?
むすびに
第5章 福祉国家と移民政策 はじめに
第1節 欧州諸国の移民政策 第2節 スペインの移民像 2−1 南欧への移民流入
2−2 スペインの「外国人」と「移民」
第3節 入国管理政策の推移 3−1 非合法移民の増加 3−2 「移民問題」の政治化
3−3 2005 年以降の移民政策の転換 第4節 移民の社会統合と福祉国家 むすびに イタリア、EU の移民政策
第6章 ボランタリー・セクター――90 年代の飛躍的発展?
はじめに
第1節 第三セクターの概念、法制、様相と三大団体 1−1 社会サービスの供給体制の沿革
1−2 主要団体
第2節 第三セクターの展開――三つの文脈 2−1 福祉国家の成立と発展
2−2 自治州体制 2−3 カトリック教会
第3節 公的セクターとボランタリー・セクターの関係 3−1 擬似市場の導入
3−2 ボランティアをめぐる論議 むすびに
終章
1 スペイン福祉レジームから見る政治的クリーヴィジ 2 福祉国家論におけるスペイン
2‐1 特徴と形成要因
2‐2 政策の展開と福祉ガバナンスの変化 2‐3 政策、ガバナンスの変化の促進要因 3 日本への示唆
3 各章の概要
第1章 『諸自治州による国家』――独特の国家モデル
第1章では、スペインの 78 年憲法が用意した国家モデルが、単一国家でもなく、連邦国 家でもない、「独特の」「擬似連邦的な」ものであることが、法制度的にどのようなものか、
政治思想史的、歴史的文脈の中でどのように位置づけられるのか、を論じている。この「自 治国家」、「自治州体制」という国家モデルの発想は、19 世紀の連邦思想に遡り、20 世紀前 半の第二共和制の経験を反映している。連邦思想として、特にピ・イ・マルガイの影響が 指摘されている。
スペインにおいて歴史的な争点である地域的多元性への対処に関して、78 年憲法は擬似 連邦制的であいまいな制度的枠組を用意し、その将来を国民に委ねた。その結果、現実に は、カタルーニャ、バスクの地域民族主義に刺激されて、新たな地域主義が生まれ、全 17 自治州から構成される自治州体制が制度化された。しかし、その権限と財源の配分をめぐ って、中央と自治州間、自治州間の対立、競争関係が生まれた。これは、また連邦制化を 支持する勢力と、現行の自治国家モデルを支持する勢力との対立関係でもある。伝統的で 集権的な自由主義勢力と、進歩的で分権的な連邦主義を支持する社会民主主義勢力、地域 民族主義勢力の間の思想の違いは今なおスペインの政治的争点を形成していることが指摘 されている。スペインの国政レベルでは、社会労働党(PSOE)と中道右派の国民党(PP)の二 大政党が政権を争っているが、自治州レベルでは諸地域政党が強力である。
本論文では、この「自治国家」、自治州体制が、スペイン福祉国家における公共政策の展 開にどのように関わっていたのかを基軸にして、以下重要な論点を探求している。
第2章 スペインからみた福祉の「南欧モデル」
第2章では、スペインの福祉国家が、比較福祉国家論、福祉レジーム論から、どのよう な位置にあるか、スペインにおける福祉の「南欧モデル」の特徴がどのようなものかが論 じられている。エスピン−アンデルセンは、保守主義的コーポラティズム型、自由主義型、
社会民主主義型という福祉レジームの3類型を提示した。この理論は福祉国家の比較研究 に大きな影響を与えたが、同時に多くの批判を生んだ、その一つは新しい類型を創り出す 必要性を主張するものである。フェレーラをはじめとする論者は、南欧4カ国における福 祉のあり方を「福祉の南欧モデル」として提示している。本章では、フェレーラの「福祉 の南欧モデル」を踏まえて、スペイン福祉国家の形成プロセスと福祉供給体制の特徴を検 討し、自治州体制との関係を考察している。
フェレーラは、「福祉の南欧モデル」としてつぎの特徴を挙げている。第1に、所得保障 における移転的給付の偏重と労働市場内部の両極化である。第2に、基本的な生活リスク に対して社会政策の構成がアンバランスである。第3に、所得保障では職域主義、保健・
医療では普遍主義に立つ混合型を示す。第4に、福祉領域における国家の役割が小さく、
社会政策のアクターとして公的部門と私的部門が混在する。第5に、制度が機能する様式 として政治的クライエンテリズムが広範かつ著しい。第6に、福祉財政の問題で、多様な 職業集団の間で法的位置づけが不平等なために、負担配分も非常に不均等であるなどであ る。フェレーラは、南欧諸国の経済発展と政治文化の形成プロセス、制度的構造から、社 会保障制度が職業上の地位を反映した階層構造をなす「保守主義モデル」と異なる独自の モデルとして説明しようとし、「家族主義」の論理を強調している。
筆者は、その上で、スペインにおける南欧モデルでは、「ヨーロッパ化」と「分権化」が、
民主化後の政治的キーワードーとなっていると指摘している。
まず、スペインの社会保障制度は、民主化後も、保健医療、社会福祉、住宅政策など、
基本的にフランコ権威主義体制下の制度を継承、発展させて形成された。これに関しては 政治的遺産の存在と経済的危機が改革を困難にしたという背景があった。
次に、78 年憲法に基づく「自治州国家」の制度が、社会政策の新たな展開を促進する装 置として働いたことを指摘している。特に、自治州体制下の段階的な分権化を通じて大き な変化が見られた分野は、保健医療と社会福祉サービスにおいてである。筆者は、スペイ ンの福祉の展開を左右する第1の要素は、政策策定と執行の両面で進展している分権化で あること、民間アクターの役割も含めた新たな試みが自治州レベルから始まり、中央政府 を経由して全国に広まる現象が見られることを指摘している。
さらに、高い失業率や不安定な雇用、社会政策の未整備にもかかわらず、スペイン社会 が安定しているのは、伝統的家族の連帯主義が寄与していることが指摘されている。
全体として、南欧諸国の福祉に共通点があるとすれば、「福祉国家」の形成に取り組み始 めた時期が遅く、それが経済の後退期に重なったというタイミングにある。さらに、スペ インでは、政治的遺産、政策策定と実施のタイミング、政治制度とアクターへの動機づけ
が、社会保障制度の帰趨に影響した。自治州体制下の中央―地方関係、与野党、労使団体 間の協定が変数となっている。最大の変数である自治州体制はスペインに特徴的であり、
制度的枠組にはなお変化の余地がある。スペインでは、その歴史的経緯から、90 年代にな って非営利組織の役割が再認識され、今後の新たな福祉の接合様式を模索していく上で、
自治州の動きとともに今後の鍵となることが指摘される。
第3章 「家族主義的」福祉レジーム
第3章では、南欧福祉レジームを特徴付ける第1の要素である家族主義を取り上げてい る。エスピン−アンデルセンは、ポスト工業化時代の「脱家族化」の重要性を強調する。
これに対して、本論文は、福祉生産のあり方が家族主義的とされる国で、その「脱家族化」
の課題がどのような構造の中で現れるかを、スペインを例に検討している。
スペインの家族は、他の国より一世帯人数が多く、20 代後半の子と親の同居率が高く、
65 歳以上の高齢者の独居率は低い。離婚率、非婚カップルの同棲率、婚外出生率は、拡大 前の EU 諸国で最も低く、イタリア、ギリシアと並んで最下位である。このような点から、
制度としての家族と結婚が維持されている証左とされる。民法上の扶養義務は、別の世帯 で生活していても、両親とその子、さらに兄弟姉妹に及ぶ。さらに、親族の近接居住とい う現象に注目すべきである。また、EU 拡大前の 15 カ国中、一人当たりの家族政策支出は最 下位である。スペインの家族主義的福祉レジームは、労働市場構造と一対の関係にある。
スペインの労働市場は、一家の稼ぎ手としての男性の特権的地位と、女性と若者の排除と いう、インサイダーとアウトサイダーの二元構造の顕著な例とされる。
次に、重層的ガバナンスに関連して、EU の「家庭と仕事の両立」という政策課題は、こ のようなスペインではどのように現れているのであろうか。筆者は、まず社会労働党への 政権交代が行われた後の 2004 年の「家庭生活と職業生活の両立支援法」の改正案の審議を 通じて、各政党の家族のあり方に関する理念を見ていく。さらに、コマイユの国家と家族 の関係の3モデルを検討する。この3モデルは、①家父長制的家族国家観(「制度としての 家族」の重視)、②国家自身が家族に代わって共同体に不可欠な務めを貢献的に引き受ける 後見モデル、③家族構成員の独立と家族集団に対する個人の優位が承認され、人々が政治 社会、家族において自由で平等、独立した個人的存在として承認される契約モデルである。
そして、EU の社会政策の到達点を契約モデルに立った家族政策の社会化とみれば、バスク 国民党の主張に見られる「制度としての家族」を重視する家族政策の概念とははるかな距 離があると指摘する。
他方、自治州のレベルでは、他の社会政策と同様、地方自治の歴史的な経緯から広範な 権限を有し、政策の上で先進的な自治州(ナバーラ、カタルーニャ、バスク、ガリシア)
で家族への支援措置の導入が進んでいる。自治州の家族政策に変化が見られる。
南欧の福祉供給体制において家族の役割は、機能面でも規範面でも構造的に組み込まれ ており、この構造化の程度が顕著であることが南欧福祉レジームの特徴である。家族は、
社会有機体説とカトリシズムの伝統において、規範化され、制度化されてきた。家族につ いての理解は君主制と共和制、宗教性と世俗性、政治的な左右の立場で対照をなしており、
体制移行後の家族政策が発達を阻まれたのは、フランコ体制期の出産奨励策が講じられた 反動である。家族を最善のケアの担い手として、家族以外に頼ることに罪悪感が伴うよう な心性においては、福祉供給体制における「脱家族化」は、北欧のプロテスタント諸国の 個人主義的文脈で論じられるのとは異なり、イデオロギーの転換を意味し、きわめて困難 である。
第4章 労働市場――社会協定の復活とその役割
第4章では、南欧型福祉レジームを特徴付ける第2の要素である「労働市場の構造」の 変容に関して、1990 年代の「社会協定の復活」を取り上げる。スペインの社会協定の軌跡 を、労使関係と労働市場改革の推移とあわせて検討することで、南欧の一国が受容したコ ーポラティズム的手法の展開、労使関係と福祉レジームの連関を考察している。
まず、1980 年代の社会協定をめぐる政労使の関係を概観し、その間の労働市場改革の政 治化について論じる。そして、90 年代に社会協定が復活した要因を検討し、スペインにお ける外形としてのコーポラティズムと社会協定の意義を考察している。
1990 年代の「ネオ・コーポラティズムの復活」という議論を念頭に、スペインにおける 労働市場の二元化状況とその福祉供給体制における帰結を検討している。スペインでは体 制移行後に政労使三者の協調行動が現れたが、それは三者の戦略的な意図が合致した結果 として、欧州諸国のネオ・コーポラティズムの実践が外形的に移入されたものであった。
その後、労働組合はその歴史的な役割と政党との関係によって対立的な戦略に終始し、労 働市場政策は高度に政治化する中で、政府は一貫した政策をとることに失敗し、家族は失 業とともに生きる術を学んできた。後に三者交渉にはそれぞれが利益を見出せなくなり停 滞するが、労働組合は政策決定過程から次第に排除されるようになった。1990 年代半ばに 中道右派政権のもとで対話路線に戻り、三者協調行動の結果として改革が実現した。しか し、今なお利益団体の交渉には国家が介入するという国家コーポラティズムの名残が見ら れる。自治国家の分権化を主導したのも国家であったように、民主制のもとで利益団体間 の交渉を設定するのも国家であった。
社会協定の復活の固有の意味として、つぎの二点を指摘している。第1に、1980 年代の しばしば実施されなかった包括的な「大協定」に対して、1990 年代は争点ごとに協議の場 を分けて協定を結んだ。この進め方は学習に基づく戦略であった。第2に、社会協定の用 いられ方が変化した。初期には、他国から受容した社会協定の概念は、政府の強い関与の 下、新たな労使関係の形成プロセスに資する外形として儀式的に用いられた。一方、1997 年労働市場改革で頂点に達した 1990 年代の協定は、政府による労使関係への介入の強さが 後退し、従来の他律的な労使関係モデルから脱皮する契機となった。
スペインの労働市場は高失業と前述の顕著な二元性という課題を抱えてきた。しかし、
労働市場改革は、体制移行後の政労使のパワー・バランスにおいて象徴的な重要性を持つ に至り、一貫した政策を推進することは困難であった。1990 年代半ばに政労使が交渉に回 帰し、97 年協定によって労働市場改革が端緒についた後、社会協定は福祉国家の制度改革 を支える重要な要素になってきている。2005 年 12 月の協定に発する 2007 年からの介護制 度の導入は、福祉の担い手として家族の役割を重視してきたスペイン福祉レジームにおけ る重要な変化であった。しかし、スペインの労働市場は学歴や技能を身に付けた現代の若 者に適した雇用を創出できないでおり、若者は社会的なステータスの低い仕事に就くより も、失業者として適職が見つかるまで家族のもとで暮らす傾向が顕著である。家族主義と 労働市場が表裏一体の中心をなすスペインの福祉レジームが、その変容に到るかはなお不 確かであると指摘している。
第5章 福祉国家と移民政策
第5章では、スペインの福祉レジームと労働市場の関係に新たに加わった要素として移 民の存在に着目し、移民政策の動向を南欧福祉国家の観点から検討を行っている。
まず、欧州の移民受入先行国における政策の推移を概観し、南欧への移民流入の要因を 挙げ、スペインにおける移民像を見る。そして、スペインの出入国管理政策、とりわけ特 別合法化が実施される理由を、外国人法の特徴と移民現象が政治化した様相から論じる。
移民の社会統合政策については、スペイン福祉国家の特徴と社会保障制度との関係から検 討をしている。最後に、イタリアとの異同からスペインの移民政策の特徴に触れ、近年の EU 移民政策との関連について考察している。
欧州では、1990 年から労働力の減少とともに外国人労働者の需要が生じており、非合法 移民に対しては厳しく対処しつつ、技能や資格を持つ移民を歓迎する傾向が主流である。
その点で、イタリア(とスペイン)のアプローチは現代欧州の主流から逸脱しており、移 民労働者の永住の選択も法的に保障されている欧州諸国よりも、移民労働者の一時性を強 制する中東やアジア諸国に近い。イタリアとスペインの移民政策の展開は、他にも似通っ た側面が目立つ。まず、両国はシェンゲングループと EC との関係から移民政策を開始した。
外圧への対応は主に国境管理の強化に現れたが、両国の指導者は移民政策に正面から取り 組むことを避け、明確な政治的決定を下すことなしに緊急避難的なアプローチに終始して きた。そして、不定期に行われる非合法移民の合法化措置が重要になった。両国で立法と 合法化の実施時期は似通っているほか EU の動向を見すえた政策展開における相互の影響も 見られると指摘している。
移民政策の形成における政治的、制度的な側面を、南欧福祉国家との関係から検討して、
次のような点を指摘している。スペインでは、1985 年になるまで、移民法じたいが存在し なかったが、シェンゲン諸国の圧力により規制が始まった。しかし、大規模な非合法移民 の合法化措置が何度もとられている。そして福祉国家の制度化のレベルが高くないスペイ ンでは、福祉ショービィニズムから移民を排斥する動きは生まれず、逆に移民労働者は経
済とともに社会保障制度を支える存在とみられた。一方で法制度的には、移民が合法的に 定住できず、非合法化しやすい構造になっており、それをアド・ホックな特別合法化措置 で一時的に緩和している。
移民の社会的統合においては、労働組合、ボランタリー組織そして市町村が主な担い手 となってきたが、1990 年代には自治州がボランタリー組織にアウトソーシングするかたち で担うようになった。さらに出入国管理政策も中央と自治州が対立する争点に加わった。
スペイン経済の成長にともない、親移民の政策は功を奏したかに見えたが、2008 年の世界 的な経済危機は移民労働者の雇用を直撃し、新たな移民への対応に迫られている。
第6章 ボランタリー・セクター――90 年代の飛躍的発展?
第6章では、移民と同様に 90 年代からスペイン福祉レジームに新たに加わった要素とし て、第三セクター(ボランタリー・セクター)をめぐる議論を考察している。
市民社会組織における国際比較研究を行ったサラモンたちは、エスピン−アンデルセン の福祉レジームの3類型を基礎にして、非営利セクター・レジームの4類型を提示してい る。この非営利セクター・レジームにおいて、スペインとイタリアは大陸欧州型の福祉パ ートナーシップに分類されている。このモデルでは、国家は組織化された宗教勢力を前に、
社会福祉にかかるサービスを自ら提供するより、宗教系の民間ボランタリー組織に委ねて きた。非営利組織はその財源の半分以上を公的セクターから得て、主に社会福祉サービス の領域での活動に従事する。このモデルの特徴は、大規模な市民社会セクターが有給スタ ッフによりサービスを提供するという点にある。しかし、こうした福祉パートナーシップ の特徴は、スペインとイタリアでは同様にみられないと指摘されている。そこで、本章で は、福祉の供給における公的セクターと第三セクターの関係について南欧の事例を検討し ている。
まず、スペインにおける第三セクターの概念の沿革、法的枠組、主要団体を概観してい る。次に、スペインにおける 1990 年代のボランタリー・セクターの展開を理解するうえで の三つの文脈を提示している。第1の文脈は、スペイン福祉国家の成立と類型、第2は地 方自治制度(擬似連邦制といわれる自治州体制)、第3はカトリック教会との関係である。
さらに、スペインの社会福祉サービスにおける公的セクターとボランタリー・セクターの 関係について、ボランティアをめぐる論点について検討している。最後に、スペイン福祉 国家におけるボランタリー・セクターの位置づけと課題について述べている。
南欧福祉レジームにおける第三セクターの役割について、スペインの社会福祉サービス の領域の事例を検討した結果、次の点が指摘されている。フランコ体制下で社会福祉サー ビスを提供してきたコーポラティスト団体が、体制移行後に特別なボランタリー組織(第 三セクター組織)(カリタス慈善団体、赤十字、オンセ視覚障害者協会など)として存続し、
今なお国家の施策を補完している。すなわち国家は枠組と資金を提供するが、社会福祉サ ービスの運営と実施は民間が担う。1990 年代の中道右派政権期に社会福祉サービスの領域
で活動するボランティアの促進政策が実施された。また、自治州は立法により社会福祉サ ービスをボランタリー組織にアウトソーシングした。こうしてスペインにおける第三セク ターの役割にはコーポラティズムの歴史的連続性と政治的遺産が色濃く認められる。この 点、第三セクターは社会的排除の問題に取り組み、社会的に脆弱な集団を援助すると同時 に、国家の政策を正当化し、社会的に脆弱な集団を統制し社会秩序を安定させる手段にも なりうることを示している。南欧福祉レジームの特徴に対応して、対第三セクターのこの 両義性と道具化が現れている。
終章
終章では、序章で設定した以下の3つの論点について述べている。第1の点は、「スペイ ン福祉国家の形成プロセスとその特徴」である。
スペイン福祉国家は、19 世紀末から 20 世紀初頭に、世俗の自由主義の政治エリートによ り着手されてから、保守勢力、宗教勢力との拮抗の中で継承されてきた。フランコ体制は 第二共和制下の左派による進歩的で反教権的な社会立法に対抗し、共和派を排除していく ために、社会政策を実施した。民主化は福祉国家化を促進する契機になったが、体制内改 革派の合意により民主化が進められたことで、自律的な官僚機構は温存され、既存の公的 福祉のモデルは発展的に継承されることになった。よって、フランコ体制下の社会政策の 傾向と、民主化以降のスペイン福祉国家の展開の結果として、南欧福祉レジームの特徴と いわれる点が現れた。
そのため、フランコ体制下では、保健医療で公的関与の程度が高く、社会福祉サービス、
公的扶助や家族政策で国家の役割は最も低かった。そして、南欧福祉レジームといわれて いる点は基本的に、民主化後に現れたスペインに該当する。ビスマルク型とベヴァレッジ 型の混合(職域主義の年金、普遍主義の医療)、労働市場における雇用の地位と社会保障の 二元化、生活リスクの保障における家族主義による解決、社会政策の構成のアンバランス
(社会福祉、家族政策、住宅政策の遅れ)、公的部門と民間部門のもたれあい、しばしば非 営利セクターが国家に従属する傾向などである。社会福祉サービスについては、体制移行 後すぐに地域政府に委ねられる方向性が明らかになり、自由主義的なミーンズテスト付き の選択主義に従って運営されている。ケアの最善の担い手は家族であるという、伝統的な 家族の役割に関する考えは国民の間に根付いており、政策の争点となるのは 90 年代後半で あり、家族やジェンダー平等に関わる政策(離婚法改正、男女均等法)が進展するのは 2004 年以降である。
第2の論点は、「社会政策はどのように展開したのか」、福祉サービスの供給主体の多元 化、重層化など「福祉ガバナンスに変化が生じているか」である。
スペイン福祉国家の発展プロセスは、自治州体制の制度化および自治州への権限移譲の 過程と連動しながら、三つの福祉レジームの議論との関係では、混合型として発展したと いえる。所得保障については保守主義的な職域主義を継承し、教育と医療については社会
民主主義的な普遍主義に基づいて発展した。社会福祉サービスについては、財政上の制約 からミーンズテスト付きで制度化されていった点で、自由主義的な選択主義に基づいてい る。社会福祉サービスでは 90 年代には自治州と第三セクター組織の協働が進み、利潤を上 げやすいサービスの領域では、営利企業の参入が進み、棲み分けがなされている。
一方、自治州がそれぞれ社会政策を展開してきたために、スペインの社会政策一般を論 じることは難しく、福祉供給主体の構成には顕著な差異が生じている。これは地域ごとに 社会経済の歴史があり、発展水準が異なるほか、各州で公的部門、民間部門が二重のネッ トワークを発展させてきたこと、体制移行後にはさらに自治州レベルでの政権構成、政治 的選択の結果である。
欧州統合との関連では、マーストリヒト条約後は経済通貨統合の収斂基準を満たすため 社会労働党(PSOE)政権の下で社会政策の合理化、効率化が始まった。ただし、欧州統合 への言及により合理化の目標を正当化することができたという事情もあり、EU の影響は、
既に国内環境で準備中か、達成された政策展開を組み込むかたちで現れたといえる。
第3の論点は、「スペイン福祉国家における社会政策の変化、ガバナンスの変化を促進し た要因」であり、「①イデオロギー、②地域化、③権力配置の変化と利益(選挙戦略)、④ア イデア」を検討している。
①イデオロギーの点で、民主化時に左派政党が福祉国家の理念型として北欧の普遍的な 社会民主主義モデルを志向したこと、そして 80 年代の福祉国家形成期に社会労働党(PSOE)
が長期政権を築いたことは、スペイン福祉国家の形成にとって積極的な要因になった。し かし、体制移行後スペイン政治は中道に寄り、社会政策における党派性は、教会との関係 など信条的なニュアンスをもった点で現れるのみで、基本的に左右両派の間で福祉削減を めぐる争いにはならない。
②自治州に社会政策の権限が移譲されたことは福祉国家拡大を促進する要因となった。
この体制は各地域の政治家に新たな機会構造と行動シナリオをもたらし、自治州間競争が 生じた。自治州間のデモンストレーション効果、模倣効果は政策の発達を早め(スピルオ ーバー効果)、この過程で福祉水準の均等化がもたらされた。
③自治州レベル、国政レベルでの政党の連合形成戦略による権力配置、選挙戦略による 利益は福祉政策の継続性や左右へのシフトなど、福祉国家の軌道に影響を与えた。
④欧州統合プロセスはアイデアを通じ、認識および規範的な側面で国内の社会政策をめ ぐる政治、アクターの行動に間接的に影響を与えたといえる。スペイン福祉国家の形成や 政策展開を直接に促したのは主に国内要因であったが、欧州レベルの発展に対応し、国内 の政策に影響する認識論、言説、アイデンティティのシフトがみられた。たとえば、「欧州 社会モデル」は参照基準の役目をし、スペイン国内のアクターはこれに言及して政策を正 当化したことは、政府が社会政策を展開するよう動機づけるうえで決定的であった。政治 アクターがそれぞれの国内の環境で、EU 政策の義務や欧州モデルをいかに「翻訳」、「編集」
し、解釈しているかが重要である。
4 質疑応答の概要
つぎに、公聴会における質疑応答の概要は以下の通りである。大きくは、研究アプロー チをめぐる議論、「家族主義」「家制度」をめぐる議論、本論文の全体構成、つまりスペイ ン福祉レジーム・福祉国家の全体的見渡しに関する議論などである。以下、審査員のコメ ントと筆者の答えの主要な点を述べる。
第1は、研究アプローチをめぐる議論(コメント)である。
スペインの福祉政治を分析する研究アプローチとしては、これまで政治史的アプローチ と、社会学ないし行政学的アプローチがある。本論文は、後者のアプローチからの丁寧な 分析であり、地域主義の観点からスペインの福祉政治の独自の性格をよく捉えている。比 較の観点による分析の方向としては、多くの観点がありうる。本論文では、連邦制下の地 域主義が取り上げられているが、政治体制によりその地域主義は異なり、連邦制という観 点からは、ドイツとの比較も可能であろう。政治体制と福祉政治をめぐっての類型化も、
分析の仕方により大きく変わってくる。また南欧政治比較の観点による分析として、本論 文では、特にスペインとイタリアの比較が多々行われている。このようにどこに焦点を当 てるかで、比較の観点による分析の仕方の違いが出てくるが、本論文は一つのまとまった 分析である。
第2は、家族主義をめぐる論点である。
スペインにおいて家族、家の問題は、「結構なもの」として存在し、残っている。戦後日 本の家制度が急激に崩壊してしまったことと比較すると、スペインにおいてまだまだ残っ ているのは、経済的問題があるからである。論文でも指摘されているように、若年層は定 職を得られず、家族とともに暮らしている。この点が経済的に解決されれば、若年層は家 を出て行き、核家族化が進み大きく変わるだろう。福祉における家の位置は大きく変化を するであろうし、家族の問題を南欧的というカテゴリーであまり縛りすぎると現実に遊離 するのではないだろうか。
取り上げられているスペインの家族主義の問題は、日本、韓国、さらにこれから中国に とっても、重要な意味を持つテーマである。家族主義というコンセプトは重要であるが、
労働市場との関係でいえば、生産年齢人口の構造と労働人口の違い、つまり「専業主婦」
という存在がどの程度あるのか、世帯数の変遷など、詳細なデータ分析を行うことが重要 である。大家族主義の時代の家族と少子化時代の家族とでは、社会的経済的機能が変化し ている。スペインの各地域によってどのような違いがあるのだろうか。本論文において、
家族の社会的定義はあるが、スペインにおいてどこまでが家族かなど、家族の定義を操作 的な概念として行った方がよかったのではないか。
スウェーデン社会民主主義が、その普遍主義型福祉のコンセプトを伝統的な「家」で表
現した理由は、当時のエスタブリッシュメントに対して、社会改革の方法論として伝統的 な社会的コンセプトである「家」というものを導入することによって、福祉国家は全体と して「国民の家」を作るものであり、そんなに新しいことをするのではないことを示すた めであった。こうした理解は、スペインの議論にも参考になる。
家族主義の章で、家族福祉として子どもの養育だけが強調されているように思われる。
高齢化・高齢者介護にも言及すべきではなかったか。おそらく、2000 年以降のスペインで は高齢者問題が深刻化していたのではないか。
こうした論点(コメント)について、筆者からは、スペインにおける家の問題に関して は、ここ数年で、かなり変化が見られ、論文で述べているように、「非婚カップルの同棲率 や婚外出生率」が他の南欧諸国(イタリア、ギリシア)と比較してもスペインではかなり 増加しており、南欧の中での違いがある。家族の操作的な定義に関しては、政治学から「家 族」をどのように捉えて行くのかについて、色々と考えているが、難しい点があったとい う答えがあった。アジアにおいても、「福祉における家族の役割」というテーマについては 興味深いテーマであるので、イタリアなどとの比較を含めてさらに議論を深めたいと考え ている。
第3は、全体の構成、スペインの福祉レジーム・福祉国家の全体的見渡しに関する論点 である。
これまで十分に研究されてきたとはいえない民主化後のスペインの福祉政策を総合的に 分析し、「南欧福祉レジーム」をスペインの事例から検証した点、スペインの福祉政策にお ける争点を、自治州体制と地域政党、全国政党間のクリーヴィッジと、政治過程の中で分 析した点に、学術的貢献と独創性が認められる。一次資料が少ないとはいえ、文献サーベ イもよくなされている。
全体として丁寧な分析を行っているが、全体の構成に関して、序章から第2章までの、「自 治州体制という国家モデルと政党システム、南欧福祉レジームとしてのスペイン」は論理 的に理解できるが、第3章から第6章までで取り上げられている「家族主義、労働市場、
移民政策、サードセクター」については、並列なのか、展開なのか、同時進行なのか、判 りにくい点がある。構造的な特徴の分析であれば、家族主義と労働市場が柱になろう。ス ペイン福祉政治の全体的見通しについて、全体の組み立てを明示する工夫をすれば、もっ とよく分かるようになると思う。
家族主義と労働市場については、南欧福祉レジームの根幹にあるということで取り上げ られていることはよく分かるが、これと並んで、なぜ、ボランタリーグループが論じられ ているのか、分かりにくい。南欧型福祉レジームの特徴の一つが所得移転給付の偏り、労 働市場内での両極化にあるのであれば、「老齢年金」などは分析のなかに加える必要がある のではと考える。分析対象にする必要がないと考えたのであれば、その理由を示す必要が
ある。たとえば、それは、政治的争点にならなかったなどである。こうした点を考えると、
スペインの社会保障制度、福祉政策を俯瞰する章があれば、なぜ論文で取り上げられてい るそれぞれのテーマが問題となるのかがより明確になったであろう。
筆者からの答えとして、概略以下の点が述べられた。家族主義、労働市場、移民政策、
第三セクター(ボランタリー・セクター)をそれぞれどのように位置づけるのかについて、
構成上難しい点があったとは意識している。移民政策の位置づけは色々と考えたが、労働 市場の新しい要因としての移民政策をテーマに取り上げて、第三セクターがどのように機 能しているかを考察することが可能になったと考えている。ただし、政治学として家族を 取り上げるときの問題があると意識はしている。
各章は、研究サーベイ、明確な問題設定をしており、文章も簡潔明瞭で理解しやすい。
しかし、簡潔すぎて、説明不足と思われる点もある。たとえば、サパテロ政権下での開放 的移民政策について、「イデオロギー、選挙政治および外交政策の一部という政治的要因が 重要」とあるが、これはそれまでの説明とは別の要因の提示である。面白い指摘であるが、
ここでは説明がなく、終章で論じられており、「アイデアの政治」「言説分析」という枠組 が唐突に出てきた感じを受ける。
「クリーヴィッジ」に関して、終章で、社会政策における党派性について二大政党であ る「PP(国民党)と PSOE(社会労働党)のそれは心情的ニュアンスを持った点で出現。福 祉削減をめぐる争いではない」とある。とすれば、全国政党レベルでの政策的なクリーヴ ィッジはなかったということになるのか?また、家族主義、「脱家族化」をめぐる議論のな かでも、そうと言えるのか?スペインにおける主要なクリーヴィッジの源泉は自治州体制 なのか?クリーヴィッジがどのようなものなのかをもう少し明確なかたちで述べたほうが よかった。
さらに、終章において、EU 加盟が色々な政策を方向付ける、あるいは枠組として機能し たけれども、政策転換に当たっての根本的要因は国内的要因であったと述べている。しか し、これは単にアイデア・言説レベルでの影響にすぎなかったと結論付けてよいのか。ま た、新自由主義政策へと収斂する国際社会全体の潮流の影響はなかったのか。
筆者からの答えとして、本論文の目的は、「自治州体制の制度的効果」を書くことであっ たので、年金制度については、自治州レベルの権限ではないので、取り上げなかった。1995 年に公的年金制度の存続のために、全政党が社会協定に合意し、「年金問題は政争の道具に しない」ということになった。新自由主義的グループとサパテロなど社会労働党左派では、
年金の将来についての見方は違うが、先の合意があるので政党間の違いが出てこない。年 金改革は行われているので、今後の課題である。年金、教育など、全体的な俯瞰をして論 じることが必要であると思う。
さらに、アイデアの政治に関して、各章で十分に経過や事例を議論する必要があった。
EU との関係に関しても、なぜ国内要因が重要なのかについても、分析が足らないところが あり、今後の課題である。クリーヴィッジに関連して、福祉に関しては世論の支持を失う ので、中道右派、中道左派ともに、福祉削減が言えない関係にある。やはり、教会との関 係、教権主義か、共和主義かが、19 世紀から非常に鋭いクリーヴイッジであった。また、
内戦処理や歴史問題については政治的に大きな問題としてあると、筆者より答えがあった。
福祉レジーム論というまだまだ議論のあるフレームワークを使いながら、スペインとい うまだあまり知られていない国を紹介しようとする以上、非常にチャレンジングな、アン ビシャスな論文である。そのため、構成や書き方についても試行錯誤が必要である。これ から積み上げていく課題であるが、しかも叙情的表現であるが、「風景が見えない」。分権 を取り上げる以上は、地域やコミュニティで具体的にどういうことが行われているのかが、
一番知りたいところである。面白いケースなので、具体的イメージを出しながら書くこと を考えてほしい。特にスペインの労働組合は、大変面白い。権威的コーポラティズムでな く、競争的である。移民に対して寛容であり、他の国の労働組合と違う。一方、政策決定 に強い影響力を持っている。この意味で「制度化されたサンジカリズム」である。歴史的 に、スペインは世界の労働運動に影響力を持つアナーキズム、サンジカリズムの母国であ る。ここからラテンアメリカへ、世界へ、いろんな思想やアイデアが出てきた。フランコ 体制下では、それを上からつぶして、「権威主義的コーポラティズム」だった。今新たな動 きになっている。伝統というもの、その地域に深く流れているものを繰り返しあぶりだす ことにより、政治が動く。政治と歴史は不可欠であり、政治と歴史を切り離すのよりむし ろ、両者を切り結ぶという観点から論じると、社会科学の論文であっても、全体が物語に なる。こうした点は私自身に言っているのだが、大変な課題であるが、せっかくのよい素 材を提示しているので、ぜひ挑戦していただきたい。スペインにとっては西半球との比較、
アメリカ大陸との関係が重要で、ヨーロッパとアメリカ大陸を切り結ぶ一つの環として大 変面白い。スペインの労働運動は、ヨーロッパ型よりも、最近のラテンアメリカ型労働政 治であると思う。スペインは、福祉レジーム論をヨーロッパだけではないフレームで議論 できる重要なポジションにある。
5 全体的評価
本論文は、これまで日本において十分に紹介、議論されていなかったスペインの福祉政 治を、南欧型福祉レジームの事例として取り上げ、考察したものである。そして、現代ス ペインの国家モデルである「自治州体制」の制度効果に関する議論を基軸にして、南欧型 福祉レジームを特徴付ける要素である「家族主義」と「労働市場」に関して論じたもので ある。さらに、スペインの福祉レジームと労働市場に関連する新しい論点として「移民政 策」の特徴を解明し、移民政策とも関連付けて、「第三セクター(ボランタリー・セクター)」
をめぐる議論を考察している。
方法論としては、政策学及び比較研究アプローチからの分析を行い、福祉レジーム論を はじめとして、テーマに関連する文献を丹念にフォローしており、これまでの研究動向を 踏まえた分析を行っている。南欧型福祉レジームのそれぞれの論点の分析に関しては、イ タリアとスペインの比較分析を行い、ヨーロッパ連合、スペイン(国)、自治州という重層 的ガバナンスの視点からの分析を行っている。
全体として、まず、スペイン福祉国家の形成プロセスとその特徴を考察している。この 点では、19 世紀末から、フランコ体制を経て、民主化後につながるプロセスが歴史的に跡 付けられ、民主化後に南欧福祉レジームの特徴が現れたことを考察している。それは、ビ スマルク型とべヴァレッジ型の混合(職域主義の年金、普遍主義の医療)、労働市場におけ る雇用の地位と社会保障の二元化、生活リスクの保障における家族主義による解決、社会 政策の構成のアンバランス(社会福祉、家族主義、住宅政策の遅れ)、公的部門と民間部門 のもたれあい、しばしば非営利セクターが国家に従属する傾向などである。
次に、スペインの福祉ガバナンスの特徴であり、福祉サービスの供給主体の多元化、重 層化の問題である。スペイン福祉国家の発展プロセスは、自治州体制の制度化及び自治州 への権限移譲の過程と連動しながら、3つの福祉レジーム論との関係では、混合型として 発展した。所得保障は保守主義的な職域主義を継承し、教育と医療は社会民主主義的な普 遍主義に基づいて発展した。社会福祉サービスについては、財税上の制約からミーンズテ スト付きで制度化され、自由主義的選択主義に基づいている。社会福祉サービスについて は 1990 年代に自治州と第三セクター組織の協働が進み、利潤を上げやすいサービスの領域 では、営利企業の参入が進み、棲み分けがなされている。一方、自治州がそれぞれ社会政 策を展開してきたので、スペインの社会政策一般を論じることが難しく、地域における福 祉供給主体の構成に顕著な差異が生じている。欧州統合との関係では、欧州統合の言及に より社会政策の合理化、効率化を正当化することができたことが指摘されている。
さらに、スペインの社会政策の変化、ガバナンスの変化を促進した要因が考察されてい る。この要因は、イデオロギー、地域化、権力配置の変化と利益(選挙戦略)、アイデアで ある。特に、自治州に社会政策の権限が移譲されたことは福祉国家拡大を促進する要因と なった。この体制は各地域の政治家に新たな機会構造と行動シナリオをもたらし、自治州 間競争が生じた。自治州間のデモンストレーション効果、模倣効果は政策の発達を早め、
この過程で福祉水準の均等化がもたらされた。
このように、本論文は、スペインを事例にした南欧型福祉レジームの分析という理論に おいても、テーマにおいても、大変意欲的な研究であり、新しい領域を開拓するものであ る。上記で述べたように、スペイン福祉政治に関する多くの新しい知見がまとめられてい る点は、独創性があり、学術的貢献があると判断する。しかし、他方では、審査員から、
まだ十分に論じ尽くされていない論点や視点があるとの問題点がいくつか指摘された。第 1に、自治州体制の制度的効果を考察するという観点から論点が選択されているが、スペ
インの福祉国家、福祉レジームの全体的見渡しないし俯瞰を行う章があれば、第3章以下 の構成がより明確になったであろうという点である。第2に、「家族主義」をめぐる論点で ある。経済的問題が解決されるとスペインの家族のあり方は大きく変化するであろう。家 族主義を「家族制度」あるいは、操作的概念として捉えることが必要である、この点から の家族の定義を明確にする必要がある、家族福祉の問題を子どもの問題ばかりでなく、高 齢者の問題からも捉えるべきではないか、などである。第3に、スペイン政治における「ク リーヴィッジ」の問題をより明確に論じること、各章の中で「アイデアの政治」の問題を より明確に議論することなどの論点である。だが、これらの問題点の指摘は、本論文の全 体的な評価を損なうものではない。本論文で展開されている議論をより明確に位置づけ、
提示されている興味深い論点をより鮮明にする必要性に関するコメントであり、今後の展 開を期待する観点からの重要なコメントであると考える。
6 結論
以上の所見と評価を踏まえ、審査委員は全員一致で、本論文の著者が「博士(学術)」の学 位を受けるに値すると認める。
2009年10月3日
審査委員
主査 早稲田大学教授 坪郷 實 博士(法学) 大阪市立大学 副査 早稲田大学教授 岡澤 憲芙 博士(学術) 早稲田大学 副査 早稲田大学教授 畑 惠子
副査 早稲田大学教授 篠田 徹 副査 中央大学教授 若松 隆