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博士学位申請論文審査要旨

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早稲田大学大学院社会科学研究科

博士学位申請論文審査要旨

申 請 学 位 名 称 博士(学術)

申 請 者 氏 名 山  口  廸  彦

専 攻 ・ 研 究 指 導 地球社会論専攻  比較文化・比較近代化論研究指導

論 文 題 目  母権的ロマン主義受容史

― バハオーフェンを中心にして―

審査委員会設置期間 自 2006年10月12日

  至 2007年  1月20日

受理年月日 2006年  9月28日

審査終了年月日 2007年  1月20日

審査結果 合  格

審査委員

  所  属  資  格  氏  名 

主 任 審 査 員  社会科学総合学術院 教授 照屋  佳男 審 査 員  社会科学総合学術院 教授 池田  雅之 審 査 員  社会科学総合学術院 教授 古賀勝次郎 審 査 員  社会科学総合学術院 教授 島    善高 審 査 員  関西学院大学総合政策学部 教授 鎌田  康男

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博士(学術)学位申請論文審査要旨

主任審査員 

照屋  佳男  山口廸彦『母権的ロマン主義受容史──バハオーフェンを中心にして』

  早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学(2005年3月)の山口廸彦氏は、2006年7月3 日、その論文『母権的ロマン主義受容史―バハオーフェンを中心にして』を早稲田大学大学院社会科学 研究科へ提出して、博士(学術・早稲田大学)の学位を申請した。後記の審査員は、上記研究科の委嘱 を受け、この論文を審査してきたが、2007年1月20日審査を終了したので、ここにその結果を報告す る。

1.本論文全体の目次

    本論文全体の目次は、次のように構成されている。

はじめに 目次

本研究の構成

第Ⅰ部  母権的ロマン主義の受容史

  第一章  母権的ロマン主義の比較思想史     一  母権的ロマン主義受容の論理

      −バハオーフェン『母権論』の作用史−

      一  問題の所在       二  検討の方法       三  空間的受容       四  時間的受容       五  領域的受容       六  結    論

    二  母権的ロマン主義受容の研究史

      一  啓蒙主義を超克するロマン主義的書誌編纂の意義       二  十一人の J・J・バハオーフェンの家族史

      三  バハオーフェンの著作       四  バハオーフェンの全集       五  バハオーフェンの選集

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      六  バハオーフェンの翻訳       (1)英語訳書

      (2)フランス語訳書       (3)イタリア語訳書       (4)日本語訳書

      七  バーゼル大学図書館手稿部のバハオーフェン       八  辞書の中のバハオーフェン

      九  バハオーフェンの研究論文集

    三  母権的ロマン主義の比較思想的受容史

      −バハオーフェン、イェーリング、ウェーバー−

      一  はじめに

      二  問題の所在と仮説の設定

      三  バハオーフェンと母権的ロマン主義受容史       四  イェーリングとウェーバー

  第二章  母権的ロマン主義の形成・受容史     四  母権的ロマン主義の比較人類学的前史       −バハオーフェンとラフィトゥー−

      一  母権論の創始者       二  ラフィトゥーの生涯       三  ラフィトゥーの作用史       四  結    論

    五  母権的ロマン主義の対抗文化論的受容史       一  バーゼルのバハオーフェン

      二  ライン河のほとり

      三  シェーデル『ニュルンベルク年代記』

      四  バハオーフェン会社史       五  父バハオーフェン       六  教授バハオーフェン       七  バハオーフェン家の系譜       八  エンゲルスのバーゼル観

      九  ジャン・クリストフのバーゼル観

      十  母権的ロマン主義の前史、形成史、受容史

    六  母権的ロマン主義の形成

      −バハオーフェンにおける芸術と文化−

      一  はじめに−問題の所在

      二  バハオーフェン家における巨財の形成       三  バハオーフェン家の美術品収集リスト

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      (1)J・J・バハオーフェン・ストループ所有の絵画       (2)マルチン・バハオーフェンの購入品

      (3)J・J・バハオーフェン・ブルクハルトの購入品       四  おわりに

      A  肖像写真       B  胸    像

      C  バーゼル・ギムナジュウム

    七  母権的ロマン主義紀行

      −ヨーロッパ世紀転換期対抗文化研究:バハオーフェン、イェーリング、ウェーバー       一  社会科学の再活性化をめざして

      二  貨狄尊者像 −日本に漂着したエラスムス

      三  リマト川とシール川のはざまにて −ジョイス、ユング、レーニンのいた町:チューリッヒ       四  ライン河のほとりにて −エラスムス、ブルクハルト、バハオーフェン、イェーリング、ニー

チェ、ユング、ポルトマンのいた町:バーゼル       五  アーレ川のほとりにて −象徴としての熊:ベルン

      六  イーザル川のほとりにて −ゲオルグ、クラーゲス、シューラー、レーヴェンローのいた町:

ミュンヘン・シュワービング

      七  ダッハウの人間焼却炉にて −ゴビノー、チェンバレン、ローゼンベルグのアーリア人思想       八  テームズ川のほとりにて −ピカデリー・サーカスのエロス像とウォバーク学派

      九  ケム川を漂いながら −ニュートン、ラッセル、ヴィトゲンシュタインの居た街、ケンブリッジ       十  母権的ロマン主義のアルヒーフ論

  第三章  母権的ロマン主義の人間学的受容     八  母権的ロマン主義の人間学的受容

      −人間の二重的世界内存在性をめぐるバハオーフェンとカルフ、テニェース、和辻哲郎−

      一  人間存在と三軸理論

      二  バハオーフェンと人間存在論

      三  世界内存在の二重性としての実在と虚在

      四  バハオーフェンとカルフ −人間存在の二重的構造について       五  バハオーフェンと和辻哲郎 −個人性と社会性について       六  バハオーフェンとテニェース −共同体と利益社会について

    九  母権的ロマン主義の共同体論的受容       −バハオーフェンとテニェース−

      一  母権的ロマン主義の共同体論的受容       二  身分と契約

      三  ゲマインシャフトとゲゼルシャフト       四  コミュニティーとアソシエーション       五  反グローバリズムの共同体論

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    十  母権的ロマン主義の少年犯罪論的受容       −バハオーフェンと神戸事件少年A−

      一  問題の所在

      二  グローバリズムと少年事件       三  少年法改正の問題点

      四  母性原理、ニーチェ、神戸事件少年A       五  結    論

    十一  母権的ロマン主義の〈法と文学〉論的受容

      −バハオーフェンと井上哲次郎「孝女白菊詩」作用史−

      一  法科大学院の基本設計における「法と文学」

      二  問題の所在 −日本近代化論としての「孝女白菊詩」作用史       三  井上哲次郎と「孝女白菊詩」

      (資料一、井上哲次郎「孝女白菊詩」)

      四  落合直文と「孝女白菊詩」

      (資料二、落合直文「孝女白菊の歌」)

      五  カール・フローレンツと「孝女白菊詩」

      (資料三、Karl Florenz, Weissaster)

      六  バハオーフェンとアウグスト・ベック文献学       −村岡典嗣、芳賀矢一、久松潜一

      七  アーサー・ロイドと「孝女白菊詩」

      (資料四、Arthur Lloyd, White Aster)

      八  ニェヴィツキー・ゾルターンと「孝女白菊詩」

      九  長谷川武次郎と「孝女白菊詩」

      十  結論:「孝女白菊詩」研究史批判

    十二  母権的ロマン主義の書籍文化論的受容       −バハオーフェンとリチャード・ブース−

      一  問題の所在

      二  四庫全書と四部叢刊

      三  私はリラの花が好き −書籍とグローバリズム       四  書籍のコレクターについて

      五  チューリッヒの書籍文化       六  バーゼルの書籍文化       七  ミュンヘンの書籍文化       八  ダッハウの書籍文化       九  ベルリンの書籍文化       十  ロンドンの書籍文化

      十一  ヘイ・オン・ワイの書籍文化

      十二  結論:「教養のない人間」について(中教審答申について)

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第Ⅱ部  現代啓蒙主義の諸相

  第四章  現代啓蒙主義と家族

    十三  家族とグローバリズム −親孝行について−

      一  問題の所在

      二  東アジアにおける家族と親孝行       三  親孝行における父性原理と母性原理

      四  バハオーフェン『母権論』の豊かな創造性に富む受容

    十四  廿四孝のフィロロギー

      −親孝行思想史研究(資料篇)−

      一  親孝行とグローバリズム       二  グローバリズムの終焉       三  孝と祖先崇拝

      四  ゲーテと『廿四孝』

      五  『廿四孝』の概念         (資料篇)(省略)

    十五  廿四孝のフィロロギー(その二)

      −親孝行思想史研究(資料篇)−

      (承前)

      六  現代啓蒙主義と孝理念       七  『續二十四孝傳』について       八  『釈氏廿四孝』について       九  『二十四孝稚講釈について』

      十  『修身教訓廿四孝』について       (資料篇)(省略)

    十六  婚姻、母性、近代化

      −ヴェステルマルク、ブリフォールト、アイヒラー、アイゼンシュタットの生涯と業績       一  エドゥヴァルト・ヴェステルマルクの生涯と業績

      二  ロバート・ブリフォールトの生涯と業績       三  リリアン・アイヒラーの生涯と業績

      四  シェムエル・ノア・アイゼンシュタットの生涯と業績     結論

    あと書き −母権的ロマン主義のリサーチ・タスク       −残された課題−

      一  はじめに

      二  母権的ロマン主義への私の歩み

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      三  母権的ロマン主義のリサーチ・タスク

    註     参考文献

    附表  「母権的ロマン主義と啓蒙主義(クライス概念図)」

2.本論文の構成と章別概要

  本論文は、はじめに、本研究の構成、第Ⅰ部  母権的ロマン主義の受容史、第Ⅱ部  現代啓蒙主義の 諸相、結論、あとがき、参考文献よりなる。全体で十六本の既発表論文から構成され、六三〇頁を越え る。

  第Ⅰ部  母権的ロマン主義の受容史   第一章  母権的ロマン主義の比較思想史

  「本研究の構成」における『母権論』の内容概説、及び本論文の全体像の提示を承けた本章では、密 度の高い整然とした論述によって、本研究全体が遺漏なく展望されている。一、「母権的ロマン主義受 容の論理―バハオーフェン『母権論』の作用史―」において、本書全体を貫く、母権的ロマン主義受容 の論理が、空間的、時間的、学問領域的に提示されている。次いで、マルクス主義的な家族論や歴史的 理論だけを下敷にしたバハオーフェン研究の弊に陥らないために、文献学的、書誌学的方法の不可欠で あることが説かれている。そして二、「母権的ロマン主義受容の研究史」において、文献学的、書誌学 的方法を通じて、これまで未開拓であった分野に分け入ることが可能となり、同研究史上、貴重な報告 がいくつか為されている。ここでは、研究書誌を中心にして、家族史、著作の形成、ふたつの全集(未 完結)、バハオーフェン・ルネッサンス(1920年代)を喚起するに至った五冊のバハオーフェン選集の 編纂、バハオーフェンの著作の翻訳(英語、フランス語、イタリア語、日本語)、バハオーフェンのマ ニュスクリプト、バハオーフェン研究論文集などについて報告されている。

  次いで、三、「母権的ロマン主義の比較思想史―バハオーフェン、イェーリング、ウェーバー」にお いては、ローマ法学という学問領域を共有する三人の大学者バハオーフェン、イェーリング、ウェーバー が、様々な共通点を他にも有することを指摘しながら、本論文の研究において中心となりうる諸テーマ を仮説として提示している。この三論文を構成要素としている本章で論者が提示しているのは、第一に 啓蒙思想に反啓蒙思想としての母権的ロマン主義が対置されうるという見方、そして、第二に啓蒙主義 が母権理論を存在論の次元においてのみ、換言すれば発展段階論的な見方にのみ依拠して、把握しよう としたために不毛に終ったのとは対照的に、母権論を認識論の次元においてとらえたロマン主義は 20 世紀において広範かつ画期的な学問的成果を挙げることができた、という見方で、この二つの見方は本 論文全体に通底している。

  数多くの独創的な思想家と深い関わりのあるスイス・バーゼルという都市の意義を、実際にバーゼル に旅をし滞在することを通じて把握し、これを論文中に生かし、更にバーゼル知識人の特徴を、ギリシャ、

ローマの古典を重視する人文主義(フマニスムス)に求め、この人文主義の循環論的歴史観、ロマン主 義的な元型的思惟が共通の基盤になっているという論及を行い、本論文に厚みを加えている。

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  第二章  「母権的ロマン主義の形成・受容史」

  第二章では論者は、本研究テーマの中心的課題を取り扱うことをめざしている。四、「母権的ロマン 主義の比較人類学的前史―バハオーフェンとラフィトゥー―」においては、バハオーフェンの母権論が 突然に着想されたものではなくて、その前史としてフランス・イエズス会神父ラフィトゥーによるカナ ダ先住民の中での五年間に及ぶ生活の報告書が存在することを立証する。文献学的、書誌学的方法によっ て、ラフィトゥーの生涯と著作を具体的に本邦において初めて紹介している本章の論述は、貴重である。

五、「母権的ロマン主義の対抗文化論的受容史」においては、論者が実際に訪問して発見したスイスの 首都ベルンのスイス国立図書館所蔵の文献に基づいて、十六世紀から二十世紀まで十三代にわたるバハ オーフェン家の家族史を実証的に追い求め、バハオーフェン家のほぼ一五〇人についての系譜を完成さ せた。六、「母権的ロマン主義の形成―バハオーフェンにおける芸術と文化」においては、スイス・バー ゼルにおいて群を抜く富裕な絹織物製造業者であったバハオーフェン家が、幾世代にも亘って欧州一円 から名画を購入し続けた結果、驚くべき美術品の一大コレクションを形成したことを、具体的に購入リ ストを分析して実証的に報告しているが、これも文献学的、書誌学的方法を抜きにしては行われ得なかっ た。七、「母権的ロマン主義紀行―ヨーロッパ世紀転換期対抗文化研究:バハオーフェン、イェーリン グ、ウェーバー―」においては、論者自身が二度訪れたスイスのチューリッヒ、バーゼル、ベルンなど を中心に、論者の撮影した写真を使いながら、バハオーフェンの母権的ロマン主義の足跡を辿る。

  第三章  「母権的ロマン主義の人間学的受容」

  前二章における母権的ロマン主義の形成・受容史研究を受けて、論者は母権的ロマン主義の今日的な 受容を独創的に展開する必要があるとする。このため、バハオーフェンの母権的ロマン主義から論者が 独自に到達した〈実在/虚在〉論という人間存在の二重性理論に基づいて、現代人間論および現代共同 体論において独自の人間・社会分析を試みる。このことを通じて、啓蒙主義的人間・社会理論の陥穽を、

今日的な問題意識に立脚して乗り越えることを試みる。このような試行的作業を通じて二十一世紀にふ さわしい新しい人間・社会理論の手掛かりを得ることをめざして、先行の学問的業績を活かしつつ学問 的作法に従い試行する。とりわけて、論者が創出するに至った〈実在/虚在〉論は、人間・社会の今日 的な病理現象の分析にも大きく資する可能性を秘めていることを、〈実在/虚在〉論の立場を堅持しつ つ凶悪な犯罪事例等の実例分析によって立証を試みている点は、学問的に頗る意義深い。バハオーフェ ン母権論から抽出したこの〈実在/虚在〉論は、本研究が単に母権的ロマン主義受容史研究にとどまる ことなく、学問はすべからく現実的問題の的確な分析にも資するべきだという信念に由来していること を証拠立てている。

  八、「母権的ロマン主義の人間学的受容―人間の二重的世界内存在性をめぐるバハオーフェンとカル フ、テニェース、和辻哲郎―」 では、箱庭療法の創出者ドーラ・カルフ女史がバハオーフェンとユング の象徴論に依拠したことを手掛かりに、テニェースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』、和辻哲 郎の『風土』を〈実在/虚在〉論に基づく存在の二重性理論という新たな視角から読み直す作業に着手 している。九、「母権的ロマン主義の共同体論的受容―バハオーフェンとテニェース―」は、上記の立 論を〈共同体論〉に特化して論じるものであり、その著作の中でマルクスにもイェーリングにもバハオー フェンにも論及しているテニェースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』に、新たな光を当ててい る。〈実在/虚在〉論からすると、伝統的なゲマインシャフトは〈実在〉に該当するものであり、ゲゼ ルシャフトは〈虚在〉に当たるというのが骨子となっている立論は、強い説得力を帯びている。

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  十、「母権的ロマン主義の少年犯罪論的受容―バハオーフェンと神戸事件少年A―」は、本研究がバ ハオーフェンの母権的ロマン主義から独自に抽出した〈実在/虚在〉論の立場を堅持しつつ、二〇〇一 年四月一日の改正少年法の施行を受けて、J. C. C. D.(「少年の犯罪と非行学会」本部:アメリカ)の 日本支部中部支部によって行われた「改正少年法の課題」シンポジュウムにおけるコメンテータとして の論者のコメントに大幅に加筆したものである。論者の立論は、グローバリズムは常に至る所で弱者を 生み出しており、自殺者、少年犯罪、逸脱行動、薬物中毒などの発生をグローバリズムにおける負の側 面として把えるべきだ、との点にある。少年による様々な凶悪事件を分析しながら、この中でも特異な 事件として日本を震撼させた一九九七年五月二七日の神戸「生首」事件における少年Aを取り上げるこ とを通じて本研究が到達しえた〈実在/虚在〉論は、現代的な人間の精神病理現象の分析に関しても極 めて有効であり、又、的確でもあることを立証している。このことから、スイスのドーラ・カルフ女史 の発案した箱庭療法(Sandspiel)に採り入れられたバハオーフェンとユングの象徴理論は、単に箱庭 療法としての応用にのみとどまるべきではなく、様々な逸脱行動に起因する精神病理現象(自殺、犯罪、

麻薬中毒、組織暴力、新興宗教、オカルト教団からゲーテ『若きウェルテルの悩み』に見られる熱病と しての恋愛現象及び多様な文学作品分析にまで至る様々な分析)にも今後大きな力を発揮しうることが 予見される。

  十一、「母権的ロマン主義の〈法と文学〉論的受容―バハオーフェンと井上哲次郎「孝女白菊詩」作 用史―」は、バハオーフェンの母権的ロマン主義の立場からすれば、文学作品の有効な分析も十分に行 いうることを立証しようとする論考である。日本では、落合直文の改作によって有名となった「孝女白 菊詩」作用史を、原作としての漢詩を創作した哲学者・井上哲次郎、現代語訳者としての詩人・落合直 文、のちにドイツ・キール大学における日本学の創始者となった東京大学のカール・フローレンツ、英 訳者アーサー・ロイドと順に発見して行き、ついにはハンガリー語訳に到達する。又、ドイツ文献学に おけるアウグスト・ベック―バハオーフェン―カール・フローレンツの繋がりを解明する。カール・フ ローレンツによってその後、多くの日本の漢詩がドイツ語に翻訳されて行き、ドイツにおける日本文化 研究の基礎を成していくことになるとされるが、ドイツ語にも英語にもハンガリー語にも翻訳されて、

美しい挿画と共に世界中に広まった日本の詩歌は、この「孝女白菊詩」以外には無いと言って良く、こ の現象は、空前絶後の出来事であった、と論じる。十二、「母権的ロマン主義の書籍文化論的受容―バ ハオーフェンとリチャード・ブース」は、西欧の書籍文化一般を対象とし、具体的にチューリッヒ、バー ゼル、ミュンヘン、ベルリン、ロンドン等の書籍文化を論じている。

  第Ⅱ部  「現代啓蒙主義の諸相」

  第Ⅱ部においては、論者は第Ⅰ部における母権的ロマン主義研究の成果を活かしながら、現代グロー バリズム下における家族を中心に据え、現代社会の諸相を解明しようとする。

  第四章  「現代啓蒙主義と家族」

  本章では、家族倫理として旧来あまり学問的に論じられることのなかった親孝行をめぐる三本の論文 を収録し、次いで家族論に関して逸することの出来ないバハオーフェン以外の、ヴェステルマルク、ブ リフォールト、アイヒラー、アイゼンシュタットの生涯と業績一覧をまとめた資料を収録する。すなわ ち、十三、「家族とグローバリズム―親孝行について」は、二〇〇〇年に二日間に亘って南山大学社会 倫理研究所において行われたシンポジュウム「家族と世代間継承」における論者の基調報告に大幅に加

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筆した論稿である。立論の骨子は、母権的ロマン主義の立場から見ると、父権的国家としてのナチズム やスターリニズムは過酷であり、親孝行などの家族倫理はそうした社会では断絶するというところにあ る。

  十四、「廿四孝のフィロロギー―親孝行思想史研究(資料篇)」は、親孝行思想の原典として、中国 と日本に古来から伝えられてきた『廿四孝』の収集を中心に、覆刻した資料集の解説部分である。中国 親孝行思想の淵源は『孝経』である。そしてこの『孝経』の童蒙版が『廿四孝』であったと考えられる。

五言絶句の漢詩、漢文又は和文による説明、絵画としての版画の三点セットによって古代から近代に至 るまで発展してきた『廿四孝』の世界は、今日まで学問的に検討されたことは本稿以外には数点あるに すぎないが、思想史的にも文化史的にも美術史的にも重要な課題であるという推測が為されうる。十五、

「廿四孝のフィロロギー(その二)―親孝行思想史研究(資料篇)」は上記十四の資料に続くものであ る。十六、「婚姻、母性、近代化―ヴェステルマルク、ブリフォールト、アイヒラー、アイゼンシュタ ットの生涯と業績」は、欧米家族理論論争の上でバハオーフェンに反対したフィンランドのヴェステル マルク、バハオーフェンに賛成したブリフォールト、習俗を研究したリリアン・アイヒラー女史、近代 化論を論じたアイゼンシュタットの生涯を簡潔にまとめ、彼らの著作の書誌を作成したものである。

  結    論

  研究の成果は、次のように「結論」として確認することができる。

  バハオーフェン自身は、バーゼルの富裕層に所属するディレッタントな反アカデミストとして正当な 評価を受けぬまま逝去するが、バーゼル有数の名家の総領、バーゼル大学ローマ法正教授(三年間)、

バーゼル控訴院刑事裁判官、旅行家、古物収集家、名画収集家、フランス教会長老、という様に多面的 な相貌を秘かに有していたのであり、その受容史は、ローマ法史、ローマ国法史、古代考古学、社会象 徴論、フェミニズム、反フランス革命論、精神分析学、臨床心理学、神話学、文学、都市論、文化人類 学、家族法学、婚姻型態論、歴史法学、墳墓論、社会学、人間論、オリエンタリズム、精神医学、建築 学、中国母系制論、少年犯罪論、自殺論、芸術論、環境保護論など、驚嘆するほど広範な領域に及んで いることを本論述及び参考文献から認識することが可能である。

  最後の「あと書き、母権的ロマン主義のリサーチ・タスク―残された課題―」においては、論者は本 研究で果たしえなかった多くの研究課題を討究し、本研究が更に尚、豊饒な学問の沃野に展開しうるこ とへの展望を諸テーマの具体的な列挙の上に立って確認している。論者によれば、本研究は、わずかに、

魅力的で壮麗な学問の道を初めて切り拓いたという栄誉を担うにとどまるということになるが、全く新 しい道であることに間違いはなく、この道を拓いたことの意義はいくら強調してもし過ぎることはない。

この「あと書き」から論者の到達しえた〈実在/虚在〉論もまた、幅広い学問分野に適用可能であるこ とが認識されうるのである。

3.評    価

1)論者の作業が文献学的・書誌学的手法を援用した上で為されたきわめて実証的なものであることは、

本論文の大きな特徴となっている。新たな資料の発見を含めたバハオーフェン関連資料への執着、二度 に亘るスイス・バーゼルへの資料調査、内外の膨大なバハオーフェン研究文献の渉猟は、群を抜きん出 るものと評することができよう。これらを通じて、バハオーフェン母権論受容史の充実したクロニクル

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が提供されており、バハオーフェン研究および母権論受容史研究に大きく裨益するものと評することが できる。バハオーフェン母権論受容史にまつわる興味深い思想史的エピソードの紹介は、論者の主張を 補説する役割を果たすものであるが、これは上記のような実証的作業があって始めて可能になったこと と思われる。

2)論者による実証研究の注目すべき成果として、次の諸点が挙げられよう。

  先ず、論者がベルンのスイス国立図書館を訪ねて発見した資料を駆使して解明したバハオーフェン家 の家系についての研究である。従来、抽象的、一般的に語られていてもその具体的な姿は未知のままで あったバハオーフェン家の家系について、精緻な実証研究がなされ、その全貌が明らかにされたと言い うる。

  次に、従来全く論じられることのなかったイエズス会神父ラフィトゥーのカナダ先住民研究を指摘し、

バハオーフェン母権論の前史を初めて解明した点も高く評価できる。

  さらに、バハオーフェン母権論が従来研究されることの少なかった原因についても掘下げて究明し、

これを啓蒙主義とロマン主義との対抗関係において解明した点は極めて高く評価できる。又、啓蒙主義 に対抗する母権的ロマン主義が学問研究機関としてのアカデミズムの外部における様々な小クライスに よって受け継がれてきたという興味深い思想史上の連鎖についての指摘も、学問上貴重である。

  また、論者の研究は、バハオーフェンを中心とする母権論受容史研究の枠内にとどまることなく、今 日的な学問関心を喚起すべく、母権論から抽出した論者独自の〈実在/虚在〉論を、人間学、共同体論、

少年犯罪論、〈法と文学〉論、書籍文化論、などへと適用している点も高い評価に値する。

  さらに、現代グローバリズムを母権的ロマン主義との対抗関係において捉え、家族、現代社会の今日 的問題についての論述も評価に値するが、これは、国内学会などにおいて活発に発言を行なってきた研 究発表を基礎にしている。

3)以上の思想史的研究により、これまで見落とされてきたバハオーフェン母権論受容史の特異性を明 らかにしえたのは、従来、哲学史、社会思想史上、顧みられることの少なかったロマン主義的思想史の 中に母権論受容史を的確に位置づけ、そこに潜んでいた、フロイト、ユングらの深層心理学を始めとす る多くの二十世紀的学問的業績に立ち至る核心部分に触れることを通じてであって、この点は学問上貴 重であると考えられる。

4)本論文の今後の課題

  例えば、論者は、母権的ロマン主義受容史を、前史(第1章)、形成・受容史(第2章)、人間学的 受容(第3章)、啓蒙主義(第4章)の順に叙述しているが、その叙述の展開は必ずしも滑らかではな く、受容史の叙述としては重複もあるが、これは研究の性質上避けられない。また受容史に力点が置か れたために『母権論』からの引用が少ないというのは、欠点として指摘され得るが、『母権論』の核心 に切り込んでいく論者の姿勢は評価できるので、作品に即した今後の研究に期待したい。論者は、母権 的受容史がアカデミズムから無視されてきたと述べているが、アカデミズムにおける啓蒙主義がどのよ うにバハオーフェン母権論を取り扱ってきたのか、さらに突っこんで具体的に論述すべきであった。啓 蒙主義がロマン主義的思想を排斥してきたことには、それなりの理由があったからである。また、欧米 の小クライスによって母権的ロマン主義がアカデミズムの外部で継承されてきたと論者は述べるが、そ れぞれのクライスをさらに具体的に詳しく論述するならば、ヨーロッパ思想史にとっても興味深い事実 が明らかとなる可能性は更に高くなると推測される。また論者は、〈母権/父権〉論の二元論から〈実

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在/虚在〉論を独自に抽出したと述べ、これをカルフ女史の箱庭療法、ユングの無意識の発見、テニェー スの〈ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト〉、少年犯罪論などの新しい理解へと結びつけようとしてい るが、テニェースに関しては、ドイツ語圏の社会思想の中に位置づけて論じたならばもっと実り豊かに なったであろうし、ユングへの論及はなるほど適切であるが、ユングとバハオーフェンの関わりをユン グの元型に見られる太母を中心に、ユングの作品自体からの引用をもっと行うべきであった。これは、

論者が様々に分析してみせる現代人間・社会論に関しても、言いうることであり、独創的な「比較文化・

近代化論」と称せられるためには、更なる研鑽が必要である、と思われるが、バハオーフェン家の収集 した美術品のリストを完成させたこと、バハオーフェン家の系譜を完成させたことなどは、出来上がっ たのを見ると、変哲もないようであるが、これは、文献学的、書誌学的方法の駆使の産物として十分に 評価すべきであり、本論文の欠点を補って余り有るものがある。

  最後に、総じて、バハオーフェン母権論を父権制を相対化しつつ分析・考察するという批判的視座は 高く評価されるべきだが、非西洋としての東洋を母権制に連なるものとして位置づけ、その連関の中で

『二十四孝』が取り上げられるという道筋は今後の研究においてもっと明瞭に示されるべきである。

5)もっとも上記のような課題は、博士論文としての本論文の水準を下げるものとは言えない。これま で永い間バハオーフェン研究を続けてきた論者は、バハオーフェン母権論受容史に関して、文献学的・

書誌学的手法の援用とフィールドワークにより新たに扉を開き、数々の貴重な見方や事実を日本の学界 に提示し、バハオーフェンに関する知見を高めてきたのであり、その営為は、それ自体一個の大いなる 学問的貢献であり、高く評価すべきである。

4.結    論

  以上の審査の結果、後記の委員は、本論文の提出者が博士(学術)の学位を受けるに値するものと認 める。

2007年1月20日

      審  査  員

主査  早稲田大学教授 照屋  佳男

      早稲田大学教授 池田  雅之

      早稲田大学教授 経済学博士(早稲田大学) 古賀勝次郎

      早稲田大学教授 島    善高

      関西学院大学教授 哲学博士(ドイツ・アウグスブルク大学) 鎌田  康男

参照

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