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博士学位申請論文審査要旨

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Academic year: 2021

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早稲田大学大学院社会科学研究科

博士学位申請論文審査要旨

申 請 学 位 名 称 博士(学術)

申 請 者 氏 名 西 山 拓

専攻・研究指導 日本研究・日本文化論 研究指導 論 文 題 目 石川三四郎のユートピア構想

― 近代日本の知識人による理想社会論構築と社会改革の試み ―

Utopianism in the Thought and Action of Sanshiro Ishikawa

-The Theory of Ideal Society and the Social Reform by the Intellectual in Modern Japan-

審査委員会設置期間 自 2008年10月16日 至 2009年 2月12日 受理年月日 2008年 9月25日 審査終了年月日 2009年 2月12日

審査結果 合 格

審査委員

所 属 資 格 氏 名 主任審査員 社会科学総合学術院 教授 内藤 明

審査員 社会科学総合学術院 教授 厚見 恵一郎 審査員 社会科学総合学術院 教授 篠田 徹 審査員 社会科学総合学術院 教授 島 善髙

審査員 文学学術院 教授 高橋 敏夫

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博士(学術)学位申請論文審査要旨 西山 拓

『石川三四郎のユートピア構想

― 近代日本の知識人による理想社会論構築と社会改革の試み』

はじめに

石川三四郎(1876~1956)は、生涯にわたり多方面での著述や活動をなし、社会運動家、

アナーキスト、翻訳家、思想家などとして語られ、論じられてきている。明治から戦後ま での長い活動の期間をもち、亡命による外国生活を体験し、その思想的変化もいわれるが、

本論文は石川を理想社会を探求するユートピア思想及びユートピア運動の体現者としてと らえ直して、その全体像を論じていこうとするものである。石川の思想と行動を、社会科 学的な観点と、文学、歴史、教育などの人文学的な観点とをあわせて究明して、ユートピ アンとして石川をとらえる可能性を提示し、その全体像を考察している。石川に一貫する ものを探ることで、固定された特定の思想に依拠しないユートピア構想が時代を超えて存 立することを論じ、埋もれた思想家の今日的な価値をも掘り起こそうとしている。

1 本論文全体の構成

本論文の全体の構成は、次のようになっている。

序章

第1節 ユートピアと包括的視野

第2節 日本におけるユートピアへの関心 第3節 石川三四郎への着目

第1章 先行研究および研究方法 第1節 先行研究と関連文献 1.石川三四郎に関する文献 2.本研究の位置

第2節 研究方法と構成 1.社会科学総合研究の試行 2.本研究の構成

第2章 ユートピアと社会実験 第1節 ユートピアとユートピア運動 1.ユートピアの原義

2.ユートピア構想とユートピア運動 第2節 社会実験としてのユートピア運動 1.ユートピア共同体の世界史的系譜 2.日本におけるユートピア共同体運動 3.ユートピア共同体の存在意義

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第3章 石川三四郎とユートピア 第1節 石川三四郎の遍歴

1.理想社会論構築までの道程 2.石川の発言範囲

第2節 ユートピアンとしての石川三四郎 1.ユートピアへの憧憬

2.ユートピア思想としての可能性

3.ユートピア運動の担い手としての側面 おわりに

第4章 ユートピア思想の展開 第1節 消費組合論

1.近代日本における消費組合の歴史と石川の位置 2.『消費組合の話』の要点

3.石川の消費組合論の特徴 4.ユートピア実現化模索の出発点 第2節 土民生活論と土民文芸論 1.土着の民への着目 2.土民生活論の展開

3.土民芸術論と「社会文芸」の提唱 4.土民文芸とユートピア

第3節 非進化論

1.進化論の受容史上における石川の位置 2.同時代の社会主義者との差異

3.論考集『非進化論と人生』

4.社会批評としての特徴 5.非進化論とユートピア 第4節 社会美学の提唱 1.社会美学の考え方

2.ユートピア作品「五十年後の日本」

3.協同機構とその連帯 4.理想社会論の円熟

5.東洋文化史研究と社会改革の模索 おわりに

第5章 知識人とユートピア 第1節 知識人の田園回帰 1.田園へ憧憬を抱いた人々

2.半農生活者の群における石川の位置 第2節 武者小路実篤による社会実験の試み

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1.ユートピア共同体としての「新しき村」

2.「新しき村」の特徴

3.「新しき村」構築までの過程とその原則 4.佐藤春夫、倉田百三の賛同意見 5.賛同意見の意義

6.大杉栄の「新しき村」批評 7.アナーキズムと共同体主義

第3節 石川三四郎によるユートピア共同体の構築 1.社会実験としての「共学社」

2.農作業と文化活動の両立 3.教育的波及効果

4.社会教育への貢献 おわりに

終章 ユートピア研究とユートピアの探求 第1節 日本ユートピア史の編成

1.ユートピアの観察者の立場 2.日本ユートピア史

第2節 現代的課題と石川の言動

1.ユートピアとコミュニタリアニズム 2.新しい学問への貢献

3.ユートピアと教育 2 本文の概要

論文の概要は以下の通りである。

序章

石川三四郎を、ユートピアンという観点からとらえるにあたり、ユートピア思想・ユー トピア運動についての論者の視座を提示し、なぜ今日、石川をそのような観点から掘り起 こす必要があるかを述べている。第1節「ユートピアと包括的視野」では、「ユートピア」

を「理想的な社会の探究」を第一の目的とするものとしてとらえ、それに対しては社会科 学、人文科学、自然科学など、あらゆる学問分野からの接近が可能であり、また必要であ ることを述べる。また、第2節「日本におけるユートピアへの関心」では、江戸時代以前 にユートピア思想の淵源を求める見解を認めつつも、トマス・モアの『ユートピア』の明 治期における翻訳以後の、ユートピア思想やユートピア文学の日本における受容やありよ うを、社会主義やアナーキズム、さまざまな共同体の構築の試みなどとともに概観する。

そして、日本では西洋的なユートピアという観点からの思索が十分には根付いていなかっ たのではないかとする。このことを踏まえて第3節「石川三四郎への着目」では、そのよ うな中で、石川をユートピアンとしてとらえることで見えてくるものがあるのではないか という視点を提示し、本論文が石川という個人の思想や活動に対する研究であるとともに、

さらに広範なユートピア研究に発展していくものであることを述べる。以上、この序章は、

論者の問題意識と主張を述べて、本論文の方向をまず定めている。

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第1章「先行研究および研究方法」

ここでは、本研究をなすに当たって、まず現在までに石川に関する資料や研究がどのよ うに蓄積されてきたかを概観し、本論文での研究方法や全体の構成を述べる。第1節「先 行研究と関連文献」では第1項「石川三四郎に関する文献」において石川の著作物、石川 に関する学術的研究、研究ノート・評伝、近接研究の四部類から文献資料を分類し、その 大要を示すとともに、従来の研究の成果と不足を分析する。そして、第2項「本研究の位 置」では、学術研究としてのユートピア研究という観点から、石川の分析を試みるという 論者の立場を述べる。また第2節「研究方法と構成」では、ユートピア研究が社会科学的 関心と、人文、自然科学の研究成果との包括的な総合の下になされるべきことを述べ、本 論文の全体の構成について述べている。

第2章「ユートピアと社会実験」

論者はここで、ユートピアンとして石川三四郎をとらえるにあたり、ユートピアの定義 及びユートピア運動について述べる。第1節「ユートピアとユートピア運動」では、トマ ス・モアの「ユートピア」の原義に即し、社会小説『ユートピア』の内容を確認しながら、

ユートピアの原則として、①現在の社会の問題点を摘出して痛烈に批判すること②新しい 社会の姿を提示することの二点をあげる。①の社会批判力はユートピアの生命線であり、

②はさまざまな政治思想などに基づく多様な理想社会の提示が含まれることをいう。社会 批評と、あるべき社会を提示し啓発することがモアの目的であったとして、ユートピアは、

人類にとって、自らの生活を考えるための大規模な教材といえるとする。そして、ユート ピアの実現をめざす社会的運動をユートピア運動と呼び、その成立条件として①人間が生 命体を維持していくための最低限必要な諸条件を出発として、何らかの生活モデルの形成 を目的とする、②広域にわたって何らかの社会的波及効果をもたらすことを目的とした組 織である、③個人の救済を最終目的にせず一方社会的救済のために個人の犠牲を強要しな い、をあげる。そして、自給自足生活から出発して生活と密着した運動を展開し、社会改 革の原動力ともなる「ユートピア共同体」に着目する。そしてまたこれを広義にとらえれ ば、地域や職場、さらに国境を越えたさまざまな協同機構も、その可能性を持つことにな るという。第2節「社会実験としてのユートピア運動」では、前節で展開した「ユートピ ア運動」がどのように展開されてきたかを、北米における人工的共同体の建設をはじめ、

世界のさまざまな共同体の例から論じる。また「平民農場」「新しき村」「吾等が村」「ヤ マギシ会」ほか日本における、明治末から現在までのユートピア共同体運動のありようと その問題点を探る。ユートピア共同体は、現在の社会にかわるモデルを、具体的に、教育 的に示し、常にあるべき姿について考えて、社会的啓発を行う意義を見出そうとするもの であるとする。何をもってユートピアとするかはむずかしい問題だが、原点、原則に立ち ユートピア思想とユートピア運動の二つの面からユートピアをとらえていこうとする論者 の立脚点が明解に示されており、そのモデルとして石川三四郎が選ばれていく必然性がこ こに示されている。

第3章「石川三四郎とユートピア」

ここでは、石川の生涯に沿いながら、その生き方、発言、著述などをとおして、ユート ピアンとしての石川の姿を浮き彫りにする。第1節「石川三四郎の遍歴」では、石川が、

高等教育の場に途中まで学びつつもさまざまな挫折を味わい、またキリスト教と社会主義 に触れ、編集者の傍ら著述や社会運動に加わって獄に繋がり、また亡命の形でベルギー、

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イギリス、フランス、モロッコに滞在し、エドワード・カーペンターやポール・ルクリュ などから思想的影響を受けて自給自足生活や農業へ着目して理想社会を思い描くようにな った過程を追う。また石川がその生涯にわたり、広範囲にわたる学問を独自に修めてさま ざまな分野にわたっての発言、著述をなしていること確認する。第2節「ユートピアンと しての石川三四郎」では、石川が一貫して模範的共同体の建設による教育的な社会改革に 関心を寄せ、その社会的実験性に肯定的見解を持ち、ユートピアへの憧憬を持ち続けてき たことを明らかにし、その生と指向がユートピアンと呼ぶに相応しいものであることを見、

またその発言や行動が「ユートピア運動」の担い手としての面をもっていたことを述べて いる。石川を、節操のない思想家・運動家とする批判があるが、試行錯誤しながらユート ピアを探求するユートピア運動の中に石川を置くと、そこには一貫性があると見るべきだ、

という論者の見方が提示されており、ユートピアンとしての石川論全体への見通しとなっ ている。

第4章「ユートピア思想の展開」

ここでは、石川が展開してきた主要な論を取り上げ、その内容を分析・考察し、それを ユートピア思想という観点からどのようにとらえられるかを論じている。第1節「消費組 合論」では、石川の消費組合論の、日本における消費組合史における位置を確認し、石川 初の単行本である『消費組合の話』の特徴を、先行論文を踏まえながら分析して、石川の 相互扶助精神、教育活動を消費組合の中心部に据えた社会改革への指向とその先にある理 想社会への視線を見る。日本の協同組合運動史上における石川の位置を確認するとともに、

消費組合論で示された見方が、石川のユートピア運動の基礎となっていることを述べてい る。また第2節「土民生活論と土民文芸論」では、明治期にキリスト教社会主義や田中正 造の土着性をもった社会運動に触れ、またカーペンターの思想の影響を受けた石川が、ヨ ーロッパ、アフリカでの体験を踏まえて「土民生活」という独自の思想を打ち立て、大地 に働きかけるような(必ずしも農民とは限らない)、経済至上主義や上からの組織化によ らない生活を提唱した過程をたどっていく。そして、土民生活論を芸術に及ぼし、地球の 自然や原始的な表現に高い価値を置く「土民文芸」を打ち立てようとしたことを述べ、石 川の文芸論が、ユートピア思想と呼応するものであることを主張する。そして第3節「非 進化論」では、明治・大正の進化論の受容史上における石川の非進化論の位相を考察して、

石川の独自性をそこに見る。そして大正期の著書『非進化論と人生』の全体を分析すると ともに、進化論者や科学的社会主義者が機械的物質主義の人生観・歴史観を生み出してい るとする石川の言辞などを通して、石川の非進化思想がが石川のユートピア論や社会運動 の一つの基盤となっていったことを指摘する。さらに第4節「社会美学の提唱」では、半 農生活に入った昭和期の石川の「社会美学」の論考を考察し、その美学の中に、権力を否 定する社会の現実へむけてのユートピア(石川の表記はユートピヤ)思想・ユートピア運 動の考え方が明確にあらわれていることを指摘する。また 1946 年に執筆され、生前発表さ れなかった作品「五十年後の日本」を取り上げ、それが架空の時空を構築しながら自らの 理想や思想を語り、読者にそれを訴えかけるユートピア文学の系譜に立つものであること を述べ、それを社会美学の一つの実験的なあらわれとし、そのユートピア構想を分析する。

また 1949 年のパンフレット『無政府主義の原理と其現実』などを分析して、石川が生産者 組合、消費組合、労働組合、文化団体などが相互に連携する協同機構をモデルとして示し ていたことを明らかにする。そしてまた社会美学と人文地理研究を応用して理想社会を求

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めようとするユートピアンとしての石川の希求と円熟を戦後期に見、それが今日にも生か される可能性を示唆する。さらに石川の戦中から晩年にかけての東洋文化史研究を『東洋 文化史百講』などをとおして、歴史を遡っての、土民生活論と理想社会論への模索を見る とともに、人文学と社会教育との関わりを論じる。このように、この章は、明治から戦後 にいたる石川の思想的な歩みをとらえるとともに、それをユートピア思想の展開とみるこ とで一つの一貫性をみようとするもので、本研究の一つの核となっている。

第5章「知識人とユートピア」

前章は、石川のユートピア思想を中心に論じていたが、ここでは石川を含めた知識人 の、ユートピアやユートピア運動へ向けての行程を考察して、その中に石川の位置を定め る。第1節「知識人の田園回帰」では徳冨蘆花に始まる近代文学者の田園回帰や、半農・

半文筆の中からの社会運動や共同体運動への試みの系譜を概観して、その要になるものと して石川を位置づける。また第2節「武者小路実篤による社会実験の試み」では、大正期 に宮崎県に武者小路が設立した「新しき村」について論じる。それがユートピア共同体と して日本のユートピア運動の先駆的なものであるとし、その特徴やありよう、構築される までの経緯や経過をとらえる。また「新しき村」については文壇・論壇で多くの議論を呼 んだが、作家、哲学者、社会主義者、研究者などの賛否両論を分析するとともに、大杉栄 の批判と武者小路の反論を取り上げ、石川がアナーキズムと共同体主義の中間にあって、

両者の接点を持っていたことを浮き彫りにする。また第3節「石川三四郎によるユートピ ア共同体の構築」では、昭和初期から石川が東京近郊の千歳村において始めた半農生活と

「共学社」について論じる。石川は、はじめ同士が集まる村を考えていたようだが、結局 石川が中心となり、全国から訪問者が集う自給自足の半農生活の場となり、そこは、出版 社と教育機関を兼ねていた。「共学社」は「共学パンフレット」『ダイナミック』を定期 刊行し勉強会を催していたが、論者はこれらの出版や場において理想社会論が展開されて いたことを確認し、その波及的効果は未知数だが、共学社が試みた理想社会へ向けての社 会への発信や、自発的な教育の場の構築は、大きな意義を持つとする。本章では、ユート ピア思想とともにユートピア運動や共同体運動が論じられる。前章で論じられていた土民 生活論や教育論を内包した石川のユートピア思想を踏まえ、石川の半農生活や啓発的教育 への試みが、そのユートピア構想と密着したものであることを論じて、石川のユートピア 構想のありようを明らかにしている。

終章「ユートピア研究とユートピアの探求」

ここでは、ユートピア研究と石川三四郎研究との結びつきや、現在の学術研究や社会運 動の中において石川から何が摂取できるかについて述べ、石川の現代的意義を明らかにし ようとしている。第1節「日本ユートピア史の編成」では、ユートピア研究においてはさ まざまな分野の研究を繋ぐ作業が必要であり、政治的な思想を越えた視野に立ってユート ピアという課題を問い直し、「日本ユートピア史」を、新たな人物を掘り起こしながら構 築していくべきことをいう。また第2節「現代的課題と石川の言動」では、石川の論が新 しい共同体の構築としてのコミュニタリアニズムや協同機構の考え方に重なっていく部分 があることや、在野にあってアカデミズムの枠を越えた発想によって展開していった石川 の論は、従来の学問分野を超えた大きな観点からの今日の新たな研究への示唆を与えるも のであるとする。そして、石川にとって、ユートピア運動と教育活動は一体のものであり、

終生にわたって模索と啓発を続ける石川の活動は、まさにユートピアンとしての営為であ

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ったとする。

3 審査及び公聴会における評価と意見

本論文は、石川三四郎という一人の在野の人物を取り上げ、その思想と活動をその生涯 とともに考察し、その現代的意義をも探ろうとするものである。石川は、社会運動家、ア ナーキストとして語られることが多いが、多面的な要素があり、一つのとらえ方をすると 矛盾や変節を多く見ることになり、簡単にはとらえがたいダイナミックな世界を持ってい る。ゆえに、人物的に興味がもたれることが多く、近年は個別な学術研究も進められてい るが、その全体像はなかなかとらえにくい。論者は、この研究において、まず石川三四郎 に対する研究史を丁寧に追い、またユートピア思想に対する見方を示した上で、石川を一 人のユートピアンとしてとらえることにより、その多面的なものを包括する視点が見えて くることを主張し、それによって石川の全体像をとらえようとする。またそれは、さまざ まな研究分野を横断して、日本におけるユートピア研究の構築にも繋がるものであるとす る。広くはユートピア研究が指向されているといえるが、論者の問題意識は明瞭であり、

石川三四郎をとらえる新鮮な視点が提示されているといえる。

もちろん、何をもってユートピアとするかという問題が前提的に必要だが、論者はトマ ス・モアの原則に立って、「ユートピア」に、現在の社会の問題点の摘出・批判と、新し い社会の姿の提示の二点をあげ、また「ユートピア運動」に、①人間が生命体を維持して いくための最低限必要な諸条件を出発として、何らかの生活モデルの形成を目的とする、

②広域にわたって何らかの社会的波及効果をもたらすことを目的とした組織である、③個 人の救済を最終目的にせず一方社会的救済のために個人の犠牲を強要しない、ことをあげ、

そのような観点から石川の生涯、言動、著述を分析していく。具体的には、第四章で石川 の明治から戦後までの生涯の足跡とともにその思想の展開が分析されているように、石川 の消費組合論に教育に重きを置いた社会運動の提起を見、土民生活論に自給自足に近づく 自治独立の生活の確立の主張を探り、非進化論に他の社会主義者との相違と独自の社会運 動の契機を見、社会美学に文芸との関わりや協同機構の連帯を指向する理想社会論の構想 を見る。ここに石川の思想の深化を見つつ、その連関性と一貫性を抽出している。そして それを「ユートピア」思想としてとらえたところに論者の創見があるといえる。社会主義 者、アナーキスト、共同体主義者、文芸家といったことでは括れない要素をもち、現実批 判の上に新たなモデルを永久に求め続けていくユートピアンとして石川をとらえ、その言 動、著述を分析しているといえる。

また「ユートピア思想」とともに、「ユートピア運動」としての石川の言動・活動を分 析するが、そこでは文芸上の試行や共同体の実験など、近代日本の知識人のさまざまな営 為の中に石川を位置づけて、また石川の半農生活と出版・教育機関を兼ねた「共学社」の ありようを分析してその意義を明らかにしている。伝記や人物論にならない形で石川の活 動の意義がその言動とともに問い直されており、他の思想家との差違の中に、石川の位相 が浮かびあがらされている。新たなモデルの提示とともに、その現実に向けての教育や自 らの実践に「ユートピア運動」のあるべき姿を見ているといえる。「ユートピア思想」と

「ユートピア運動」の両面から「ユートピア」をとらえようとするところに論者の見方が 示されており、「近代日本の知識人による理想社会論構築と社会改革の試み」という副題 を付した「ユートピア構想」たるゆえんが認められる。そして終章に、石川の思想や行動

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が今日の社会やあるべき社会を考察するさまざまな要素を持っていることが強調され、そ の現代的意義と可能性を述べているところも、本論文の持つ一つの意義である。多数の協 同機構の連帯や地球的な問題設定、また生活や教育の重視など、石川の発想の先見性を明 らかにしている。

このように、本論文は今日において新たな石川三四郎論を構築したものとして評価でき るが、十分でない点や、さらに考察すべき点も少なくない。審査の過程や公聴会で出され た意見をあげると、まず、社会主義者やアナーキストや宗教家でなく、ユートピアンとし て石川とらえることの意義がもっと強調されてもよかったのではないか、という指摘があ った。ユートピアの範疇は際限なく広がる可能性もあり、他の多くの思想家や文学者との 比較や、20 世紀前半の思想史の中での位置づけが、石川の位相をさらに明確にさせるので はないか。またユートピア研究をいうなら、世界中の研究の蓄積と現在の中でそれを論じ るべきではないか、という指摘もあった。また、石川における東洋思想や日本思想との関 わりがもっと究明されるべきではないか、という指摘もあった。石川の叙述の中には仏教 や儒教的な言辞があり、また晩年には東洋文化研究に打ち込む。東洋にもユートピア思想 と類似したものがあるかも知れないし、石川の思想の根底にある東洋的なものも掘り起こ し、その推移をも見るべきではないか。また、石川が発する言説の中身だけでなく、その 言説を支える石川の文体や表現にも留意し、そこから思想の特徴を明らかにすることや、

同時代の著述家との文体上の比較なども必要ではないかという指摘もあった。

以上のような大きな観点からの今後の課題が出されたが、論全体としては石川三四郎の 思想と活動をとらえ直し、また「ユートピア」を再考し、多くの新たな視点を提示、考察 して、今日に繋がる問題を明らかにした研究として評価することができるとの結論を得た。

結論

以上の審査の結果、本論文の提出者が博士(学術)の学位を受けるに値するものである ことを全員一致で承認した。

審査員

主査 早稲田大学社会科学総合学術院教授 内藤 明 早稲田大学社会科学総合学術院教授 島 善髙 早稲田大学社会科学総合学術院教授 篠田 徹 早稲田大学社会科学総合学術院教授 厚見 恵一郎

早稲田大学文学学術院教授 高橋 敏夫

参照

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