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年 代 の オ ー ル ド

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(1)

四=一—

オールド・ベイリ概観 オールド・ベイリ研究の課題

聖職者の特権と一八世紀前半のイギリス刑事法

1聖職者の特権の世俗化

2一八世紀前半のイギリス刑事法

I

殺人︵以上第十八巻第一号︶

I I

財産犯罪

3流刑の導入

七 三

0

年 代 の オ ー ル ド

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9   9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9  

〗論説一―

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,   9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9  

. 

七 六 五一八世紀イギリスの刑事裁判

1公判前手続

2大陪審

3

審理陪審

4刑の宣告と恩赦

5

ニューゲイト監獄

0

年代のオールド・ベイリ

まとめ

ベイリ

^ 

→ 

七九

18-3•4-681 (香法'99)

(2)

物品の評価額は問題とされない︒ 名誉革命以後︑聖職者の特権不適用の新たな基準が議会制定法によって財産犯罪に設けられた︒その結果︑非常に多くの財産犯罪が聖職者の特権から除外され︑死刑犯罪とされた︒すでに言及したように︑財産犯罪のなかで重大なものは一六世紀にすでに特権から除外されていた︒家宅や公道での強盗

r o b b e r

y ︑奉公人による四

0

シリング以上の物

品もしくは金銭の横領

e m b e z z l e m e

n t ︑不法目的家宅侵入

h o u s e b r e a k i n

g ︑馬の窃盗

h o r s e s t e a l i n g ︑すり

p o c k e t

‑ p i c k i n

︑g 夜盗 b u r g l a r y

等々が特権不適用犯罪とされた︒特に︑不法目的家宅侵入は︑聖職者の特権の不適用範囲を拡

大する意図で議会制定法によって修正が繰り返された結果として︑夜盗から区別される犯罪として成立した︒夜盗︑

(2 ) 

不法目的家宅侵入︑さらに強盗を含めた三つの犯罪は相互に関連する部分があり︑説明を必要とする︒

強盗は﹁他の人を畏怖させ︑他の人から金銭もしくは物品を重罪の意思によって暴力的に奪取すること﹂と定義さ

れる︒﹁暴力もしくは畏怖させる﹂という加重状況が強盗を窃盗から区別する特徴とされる︒奪取された金銭もしくは

定義 され る︒

一五三一年法と一五五二年法は︑強盗が家宅で犯され︑その所有者︑妻︑子供達も

しくは奉公人が家宅にいて畏怖をいだく家宅での強盗と公道もしくはその近辺での強盗を聖職者の特権から除外

した︒夜盗は﹁重罪を犯す意図をもって︑夜間に家宅に実力によって不法に侵入する

b r e a k i n g an d  e n t e r i n

g ﹂ことと

一見してわかるように︑夜盗が適用される範囲は限定的であり︑夜間の家宅への実力による不法目的侵

入に限られる︒その一方で︑﹁重罪を犯す意図をもって﹂という規定は既遂未遂を問わず︑コモン・ロー上の重罪全体

を広く含んでいる︒従って︑夜盗の場合には︑既遂であれ︑未遂であれ︑殺人︑強盗︑窃盗のようなコモン・ロー上

の重罪をともなうので︑夜盗の正式起訴状には﹁夜盗と重罪﹂という文言で夜盗とともに他の重罪が示されるのが常

であった︒夜盗それ自体は一五七六年に聖職者の特権を奪われるまで特権適用犯罪であったとしても︑夜盗犯罪への

I I

財 産 犯 罪

八〇

(3)

一七三0年代のオールド・ベイリに)(栗原)

実際の対応において特に支障を生じなかったのであろう︒

/¥ 

夜盗は当然のことながら夜間に限られる︒日中の家宅侵入には適用されない︒夜盗の適用範囲の狭さが問題であっ た︒そこで︑昼夜を問わず頻発する家宅侵入に対処するために︑夜間も昼間も含めて適用される新しい犯罪類型が夜

して確立した︒

怖さ せた り︑

一六世紀の三つの議会制定法は不法目的家宅侵入を聖職者の特権が適用されない重罪と 一五四七年法では︑

日中であれ︑夜間であれ︑家宅に侵入したものが侵入された家宅にいる誰かを畏

(6 ) 

恐れさせたりする場合には聖職者の特権が奪われた︒

宅に侵入し︑家宅にいる所有者︑居住者︑

のか

ら︑

その妻もしくは子供達から奪取するものから︑聖職者の特権が奪われた︒

家宅への実際の侵入と何かを実際に奪取することがあれば︑不法目的家宅侵入は成立し︑﹁畏怖させる﹂ことはもはや

必要とされない︒

一五九七年法では︑家宅に侵入し︑評価額五シリング以上の金銭︑物品もしくは動産を奪取したも

(8 ) 

聖職者の特権が奪われた︒一五九七年法のもとで︑不法目的家宅侵入は日中と夜間を区別しない︒居住者が

侵入された家宅にいる必要もない︒もちろん︑居住者を畏怖させる必要もない︒評価額五シリング以上という条件が

付されたとはいえ︑家宅侵入行為そのものが特権が適用されない死刑犯罪として確立された︒

名誉革命以後︑多くの財産犯罪から聖職者の特権が新しい基準のもとで奪われた︒特権剥奪の新しい基準は一六世 紀に議会制定法によって定められた旧基準を拡大しただけではない︒多くの犯罪が新たに特権不適用犯罪に加えられ

た︒文書偽造罪

f o

r g

e r

y のように︑かつては軽罪として扱われた犯罪が議会制定法によって聖職者の特権が適用されな

い重罪へと変更され︑新たに特権不適用犯罪に加えられるケースも多い︒すでに述べたように︑王政復古からジョー

ジ三世が死去する一八一

0

年までに議会制定法によって新たに創設された死刑犯罪は一九

0

にも 達す る︒

の部分を財産犯罪が占めている︒ 盗から分離して創出された︒

しか

し︑

それらの全体を示せるほどの準備が筆者にないので︑ここでは聖職者の特

一五 五二 年法 では

そのかなり

日中であれ︑夜間であれ︑家

18-3•4-683 (香法'99)

(4)

権が不適用とされる新基準を一八世紀前半までの主要な議会制定法から示すにとどめたい︒

五九

七年

一五

四七

年︑

一五

五二

年︑

一六九一年の議会制定法

( 3 W &

M . C . 9 . )

は上記の四つの議会制定法︵一五三一年︑

( 9 )  

その適用範囲を拡大した︒家宅と公道での強盗以外の強盗には聖職者の特権が認められていた

を強

化し

が︑これによって全ての強盗から特権が奪われた︒不法目的家宅侵入についても家宅以外にその適用範囲が拡大され

た︒評価額五シリング以上の金銭︑物品もしくは動産の奪取という一五九七年法の条件を維持しつつ︑店舗

s h o p ︑店

舗に付属する倉庫

w a r e h o u s

e ︑日中に店舗とともに利用される倉庫への不法目的侵入が︑家宅のほかに新たに聖職者

の特権の不適用犯罪とされた

( S . I . )

︒上記の犯罪では︑事前と事後の共犯からも聖職者の特権が奪われることも確認

された︒さらに︑正犯であっても︑共犯であっても︑黙秘したり︑重罪に直接に答弁しない場合には︑

を越えて陪審員を無条件的忌避した場合には︑有罪と推定され︑聖職者の特権が奪われた︒これらの規定はイングラ

ンドの刑事制定法に常に含まれるものであるが︑正犯と共犯をともに特権不適用とする規定は一六世紀の刑事制定法

では必ずしも一貫しておらず︑その意味ではその後の刑事制定法のモデルとして位置づけられる︒さらに︑盗まれた

ことを知りながら物品を購入した故買業者を事後共犯とみなして処罰する規定も加えられた

( S

I V .

. ) ︒盗品の授受はコ

モン・ロー上は軽罪であったが︑この制定法によって聖職者の特権なしの重罪に変更された︒しかし︑これらの規定

( 1 0 )  

が法律通りに実際に執行されたのかは別の問題である︒

一六九九年法

( 1 0 &

W i l 1 1

l .  

I I I

C ,  

.   2

3. ) 

よ ︑

~ぃ 一六九一年法の不法目的侵入の規定をもとに︑聖職者の特権が適用さ

れない新たな犯罪類型を創出した︒この法律は万引

s h o p l i f t i n g

の抑圧を目的として制定された︒店舗︑倉庫︑馬車置

c o a c h h o u s e

︑馬屋

s t a b l e からの評価額五シリング以上の物品もしくは商品の窃盗から聖職者の特権が奪われた

( S .   I . )

︒ここでは不法目的侵入は要件とされない︒上記の場所からの金銭以外の窃盗が対象であった︒﹁秘密に

p r i v a t e ‑

また︑二

0

人 J¥ 

(5)

一七三0年代のオールド・ベイリ(二)(栗原)

l y ﹂奪取されることが要件とされ︑﹁秘密に﹂奪取された場合にのみこの法律は適用された︒上記の場所からの窃盗は︑

これまでは犯罪場所が示されない単純窃盗として正式起訴されていたが︑特定の場所からの窃盗として単純窃盗から には被害評価額が︱ニペンスを越えることが要件とされた︒すりは簡単に犯され︑防御が困難なために早い時期に特

権から除外され︑死刑犯罪とされたわけである︒しかし︑実際にすりを捕えるのは共犯者の存在もあり困難をともな う︒人口が急増した一八世紀ロンドンでは︑多数の人達が住来する通りや集まる場所ですりが横行していたことは周 知の事実である︒逮捕されて正式起訴された事件は実際の犯罪のほんの一部分にすぎないと考えるべきであろう︒ビ

ーティ

J . M .

B e a t t i

e によるサリ

S u r r e y

の正式起訴状のサンプル調査︵一六六

0

00

年︶をみると︑聖職者の

特権を奪われた窃盗︵事件数︑七五四︶

家宅からの窃盗︵二五・三%︶

に次ぐものであり︑この時代に正式起訴された特権不適用の窃盗のなかですりが重要

( 1 3 )  

な項目を占めていたことは言うまでもない︒

人からの秘密の窃盗は被害者の側に注意と警戒を義務づける︒被害者の側に注意と警戒が欠如していた場合には︑

被害者が知ることなく秘密に盗まれたとしても︑

て︑売春婦による顧客からの窃盗は

Ol d B a i l e y   S e s s i o n   P a

p e r s

  (以下︑0

B •

.   S .   P . )

にしばしば登場する︒裁判所は︑

女性によるこの種の事件では被害者を同情に値しないと考えて︑女性の被告人を寛大に扱う︒人からの秘密の窃盗で

正式起訴されたとしても︑

であ

った

人からの秘密の窃盗については︑一五六五年の議会制定法によってすでに聖職者の特権から除外されていた︒これ

のなかですりの比率は︱ニ・ニ%を占める︒この比率は馬の窃盗︵三

0%

︶ ︑

区別され︑死刑犯罪に新たに加えられた︒

それは人からの秘密の窃盗に該当しない︒特に︑

その罪で有罪評決を下されることはほとんどなく︑

}¥ 

この種の事件とし

せいぜい単純窃盗で有罪とされるだけ

18-3•4-685 (香法'99)

(6)

あっ

た︒

一四歳未満の徒弟には適用されないことも併せて規定された の共犯者を告発し有罪とすれば︑恩赦が与えられるという規定も加えられた

一七一三年法は﹁家宅で犯されるであろう強盗のより適切な防止と処罰のための法律﹂というタイトルがつけられ

( 1 6 )  

ている︒しかし︑この法律は強盗を対象としたものではない︒﹁家宅もしくはそれに付属する離れ屋

o u t h o u s e にて

︑評

価額四

0

シリング以上の金銭︑物品もしくは動産︑製品もしくは商品を童罪の意思で盗むもの﹂から聖職者の特権を

剥奪した︒家宅侵入は要件ではなく︑

の所有者が身につけている財産の奪取にも適用されない︒家宅にいる人が家宅の所有者の家宅に置かれた上記の財産

( 1 7 )  

を盗んだ場合に適用される︒従って︑奉公人による主人の財産に対する窃盗を防止し処罰するのがこの法律の目的で

オールド・ベイリにおける被告人の大多数は奉公人である︒奉公人による窃盗は

0 .

B .  

S.  P .

  の主要な部分を占めて

いる︒しかし︑奉公人による主人の財産の窃盗のなかには単なる窃盗として処理できない社会的背景をもつものが含

まれている︒この種の窃盗の背後には賃金の支払いをめぐる主人と奉公人の対立がある︒奉公人が製品の一部を臨時

( 1 8 )  

収入

p e r q u i s i t i v e

として受け取ることは︑奉公人の慣習上の権利として多くの業種で広く認められていた︒賃金の支払

い方法をめぐる主人と奉公人の紛争がこじれ︑奉公人による慣習上の権利の実力行使が窃盗として訴追される結果を

( 1 9 )  

生み出した︒従って︑この種の事件では主人の側の悪意による訴追が多いことが指摘されている︒その一方で︑0

. B .   S . P .

  がこのような社会的背景まで詳細に記録するケースはわずかしかない︒奉公人の臨時収入をめぐる対立を

O . B . S . P .

  だけに依拠して明らかにすることは困難であろう︒

一七

0

年代の

0. B. S. P. をみ る限 り︑

一七一三年法にもとづいて正式起訴された事件は各開廷期ごとに数件しか

さら

に︑

この法律では︑万引︑夜盗︑不法目的家宅侵入︑馬の窃盗などの犯罪を犯したものであっても︑

( 1 5 )   ( S .  

V .

)

それらの所有者が家宅や離れ屋にいることも要件ではない︒家宅にいるそれら

( S .  

I I .

)

八四

二人以上

(7)

一七三0年代のオールド・ベイリ仁)(栗原)

八五

みられない︒家宅内で奉公人による主人の財産の窃盗が頻繁に生じていたことは疑いのない事実である︒一七一三年

一七一三年法にもとづいて正式起訴された犯罪はほんの一部分にすぎないので

一七一三年法に該当する多くの犯罪が正式起訴状の作成の段階で単純窃盗として正式起訴されたわけである︒

一七一三年法にもとづいて正式起訴された場合であっても︑審理陪審が評価額を三九シリングと認定するのが常であ

広範な種類に及ぶ家畜の窃盗から聖職者の特権を奪う議会制定法が成立した︒馬の窃盗は一六世紀の制定法によっ

一八世紀には馬以外の家蓄の窃盗からも聖職者の特権が奪われた︒

てすでに特権から除外されていた︒評価額︱ニペンスを越える雄馬

h o r s

e ︑去勢馬

g e l d i n g ︑雌馬

ma re

の窃盗から聖

職者の特権が奪われていた︒一七四一年と一七四

二年の議会制定法によって︑羊

s h e e

ばかりでなく︑雄牛p

b u l l

︑雌牛

co

w︑去勢牛

0 x

︑雄の子牛

s t e e

r ︑雄の去勢牛

b u l l o c

︑若い雌牛k

h e i f

e r ︑子牛

c a l f

︑子羊

la mb 等々の窃盗から特権が奪われた︒上記の家蓄の窃盗が馬の窃盗と異 なるのは︑後者は利得目的で実行されたが︑前者はむしろ自己の生活のために実行されたことであろう︒従って︑後 者の多くは組織的な犯罪者集団によって実行されたが︑前者は生活に困窮した貧しい人達によって実行されたわけで

一七

0

年と一七四一年の不作は農村部の貧しい人達から仕事を奪い︑小麦などの生活必需品の価格を上昇さ

( 2 2 )  

せ︑貧しい人達の生活を疸撃した︒彼らは生活の糧を求めて家蓄の犯罪に訴えたわけである︒家蓄の窃盗を特権不適 用の死刑犯罪とする二つの制定法は︑多発する家蓄の窃盗に対処するための緊急立法として短期間のうちに制定さ

( 2 3 )  

れた

家蓄の窃盗の場合には︑家蓄の窃盗としてそのまま正式起訴状案が作成されないと正式起訴そのものが成り立たな ︒

い︒他の財産犯罪の場合には︑例えば︑実際に生じた事件は五シリング以上の店舗からの窃盗であっても︑死刑を回 あ

る︒

り︑死刑の宣告は回避された︒一七一三年法の適用は実際には厳しく制限された︒

ある

法に実際に該当する犯罪であっても︑

18  3•4-687 (香法'99)

(8)

さら

に︑

死刑は公判の過程で厳しく選別されて執行されたのである︒ 避するために正式起訴状案の作成の段階︵公判前手続︶で店舗からの窃盗に該当する部分を削除し︑単純窃盗として

の正式起訴状案を作成するというような操作が行われていた︒しかし︑家畜の窃盗の場合には︑被害者には家畜の窃

盗で訴追するか︑訴追を断念するかの選択しかない︒訴追して死刑を科すことは家蓄の窃盗を防止するために抑止効

果が期待できるであろう︒しかし︑この犯罪は貧しい人達の生活苦から生じたこともあり︑利得のために生じた他の

犯罪よりも寛大に扱われた︒さらに︑彼らに死刑を科すことは地域社会にもうひとつの問題を誘発することになる︒

残された被告人の家族の扶養を地域社会が負担せねばならないからである︒従って︑このことが訴追そのものを断念

させる要因として働くばかりでなく︑訴追されて死刑の宣告を受けたとしても恩赦が与えられる理由となっていた︒

ビーティによる一六六

0

00

年までのサリの研究︵サンプル調査︶では︑馬の窃盗と羊や家蓄の窃盗の正式

( 2 4 )  

起訴状の数は︑馬の窃盗が二二七件︑羊や家蓄の窃盗が七六件である︒後者が圧倒的に少ないのは︑実際に起こった

事件そのものが少ないというよりも︑正式起訴された事件が厳選されたからであろう︒羊や家畜の窃盗で正式起訴さ

( 2 5 )  

れたとしても︑無罪率は五

0

%を越えており︑この比率は死刑犯罪のなかでは特に高い比率である︒さらに︑死刑の

宣告を受けたとしても︑その八六%に恩赦が与えられており︑この比率も他の死刑犯罪よりも高い比率を示していか︒

一七

︱︱

︱︱ 年の 有名 なウ ォル サム

・ブ ラッ ク法

Wa

lt

ha

m B

l a

c k

  A c

t  

(9

G  

e o

.   1

, 

C .

  2

2) 

で は

アカシカ

r e

d

d e

e r ︑ダマジカ

f a

l l

o w

d e

e r

︑アナウサギ

c o n i

e s ︑野ウサギ

h a

r e

s ︑魚

f i s h

などの窃盗が聖職者の特権不適用の死刑犯

( 2 7 )  

罪に加えられた︒

さらに︑これまで述べてきた窃盗以外にも︑評価額一

0

シリング以上のリネン

l i n e

n ︑ファスティアン

f u s t

i a n ︑

カリ

c a l i

c o 一七四五年︶︑河川を航行中であれ︑埠頭に停泊中であれ︑船舶︑綿製品の製造場からの窃盗︵一七三一年︑

八六

(9)

一 七 三0年代のオールド・ベイリ(二)(栗原)

罪で あっ た︒

しか

し︑

あり

八七

この場合は聖職者の特権が従来通

( 2 8 )  

や荷船からの評価額四

0

シリング以上の窃盗︵一七五一年︶が聖職者の特権不適用の死刑犯罪に加えられた︒

一八世紀の議会制定法は︑特定の場所からの窃盗︑特定の動物の窃盗を聖職者の特権が適用されない死刑犯罪に変

更した︒特に︑前者の場合には︑評価額が特権の適用不適用の基準として設けられた︒これによって︑上記の制定法 上の窃盗が単純窃盗から区別される新しい犯罪類型として創設された︒しかし︑窃盗の二つの区分が重要なのは正式 起訴状においてであった︒正式起訴状において上記の制定法上の要件が満たされていれば︑上記の制定法上の窃盗で

それらの要件をひとつでも満たさない窃盗は単純窃盗として扱われた︒単純窃盗が財産犯罪のなかで最も多い

単純窃盗は﹁他人の財産の里罪の意思による奪取及び窃取

f e l o n i o u s t a k i n g   a nd   c a r r y i n g   a

wa

﹂と定義されておy

( 2 9 )  

り︑重罪として位置づけられた︒単純窃盗は評価額︱ニペンス以下の小窃盗

p e t i t l a r c e n y

と︱ニペンスを越える大窃

g r a n d l a r c e n

y とに分けられた︒小窃盗は重罪のなかで最も低いランクに置かれ︑死刑は科せられず︑鞭打ち刑な

どの身体刑が科せられたにすぎない︒刑罰においては軽罪と同等に扱われた︒大窃盗は聖職者の特権が適用される重

一八世紀には二つの窃盗は区別されずに単純窃盗として扱われた︒二つの窃盗に適用される刑

罰として流刑

t r a n s p o r t a t i o n

が導入されたからである︒もちろん︑全ての単純窃盗に流刑が科せられたわけではない︒

身体刑で済まされた事例も存在するが︑0.

B . S . P .

  をみる限り︑それはわずかである︒聖職者の特権が適用される犯罪

に流刑が科せられたことによって︑聖職者の特権の機能が変質した︒流刑によって植民地に追放されれば︑再犯者に

死刑を科す必要性は生じないからである︒0

. B . S . P

.   をみる限り︑単純窃盗による流刑が流刑の多数を占めていた︒し

か し

わずかであるが︑単純窃盗で烙印刑が科せられた事例がないわけではなく︑

りの機能を果たしていたわけである︒さらに︑ 犯罪であったことは言うまでもない︒

ビーティの研究が示すように︑単純窃盗で死刑が宣告された事例が少

18-3•4-689 (香法'99}

(10)

( 3 0 )  

数であるが存在する︒聖職者の特権の従来の機能が完全に失われたわけではない

が︑特権の機能は重罪を死刑犯罪と非死刑犯罪に区別する基準に変質した︒

一八世紀前半の財産犯罪は聖職者の特権を基準にして次の三つに分けられる︒

強盗︑夜盗︑不法目的家宅侵入︑人からの秘密の窃盗︑馬の窃盗゜

切名誉革命以後の制定法によって定められた基準によって特権不適用とされた

犯罪

店舗︑倉庫への評価額五シリング以上の不法目的侵入︑店舗︑倉庫からの評価

額五シリング以上の窃盗︑店舗︑倉庫︑馬車置場︑馬屋からの評価額五シリング

以上の秘密の窃盗︑奉公人による評価額四

0

シリング以上の窃盗︑製造場からの

評価

額一

0

シリング以上の製品の窃盗︑船舶や荷船からの評価額四

0

シリング以

上の窃盗︑馬以外の家蓄︑動物の窃盗︒

③ 特 権 適 用 犯 罪

②の犯罪で評価額未満の犯罪︑単純窃盗゜

しかし︑法がこの区分通りに執行されないのがこの時代の刑事司法の特徴であ

った︒公判前手続に始まり︑刑の執行に至る過程で︑法は選別されて執行される︒

表1は︑筆者がビーティによるサリの研究から財産犯罪の正式起訴状を三つの

種類の財産犯罪に分類して統計的に示したものである︒ビーティの三つの分類は 一六世紀に特権不適用とされた犯罪

表 1 サリの財産犯罪に対する正式起訴状(サンブル調査)

1660‑1699 1700‑1739 1740‑1779 1780‑1802

(1)  強盗,宅夜侵盗,不法

窃目盗的 家 入,馬の 1,321  30.7%  27.9%  17.9%  17.7% 

(2)  1不適用とされた689年以後に特窃権 527  0.6%  14.4%  11.1%  6.2% 

(3)  単純窃盗 4,370  68.7%  57.7%  71.0%  76.1% 

6,218  905  952  2,346  2,015 

  J J  

(J. M. Beattie, Crime and Courts in England 1660‑1800, p. 182.) 

(11)

一七三0年代のオールド・ベイリ(二)(栗原)

のように理解せねばならない︒ 上記の①切③に対応する︒

正式起訴状には︑被告人の名前︑住所︑職業︑犯罪の発生日︑場所︑性質が示される︒正式起訴状は犯罪の発生を

知る資料として多くの研究者によって利用された︒正式起訴状の分析からある時代の犯罪の特徴を知ることができる︒

( 3 2 )  

しかし︑正式起訴状に示された犯罪数と実際の犯罪数が異なることも併せて指摘された︒当然のことであるが︑逮捕 されない限り正式起訴されることはない︒特に︑近代的警察力が存在しない当時の犯罪捜査方法を考慮すれば︑犯罪

者が実際に逮捕される可能性は現代と比べることができないほど低いと考えるべきであろう︒

てさえ︑﹁強盗犯のうち一

00

人に一人も捕まらない﹂と言われるほどの状況であった︒

なかには︑訴追手続ではなく︑償金を提供し︑盗まれた物品の返還を求めることによって非公式な解決を追求したも

( 3 3 )  

のも多いと思われる︒裁判にかかる時間と費用が訴追を放棄させることも充分に考えられる︒奉公人の犯罪に対して

は︑訴追以外の制裁︵例えば︑解雇︶

不可能な分野かもしれないが︑考慮されねばならない問題なのである︒

八九

さらに︑財産犯罪の被害者の

で済ませたこともありうる︒正式起訴状に示されない実際の犯罪は量的実証が

さらに︑私人訴追という原則のもとでは︑正

式起訴という手続を選択したこと自体が選別の結果なのである︒ビーティによって示された正式起訴状の統計表もそ

正式起訴状に記載される犯罪についても選別が働く︒特に︑新たに死刑犯罪とされた②の犯罪に該当する場合に︑

そのまま②の犯罪で正式起訴状を作成するか︑それとも②の犯罪の要件を落とした単純窃盗で正式起訴状を作成する のかの選別は︑その後の被告人の運命を決めかねないほどの意味がある︒死刑犯罪で訴追されるのか︑それとも非死 刑犯罪で訴追されるのかが選別される︒切の犯罪に実際には該当する場合であっても︑死刑を避ける意図で後者が選 択されることがありうるわけである︒正式起訴状から実証することは困難であるが︑③の単純窃盗にはこのような事

一八世紀の中頃におい

18-3•4-691 (香法'99)

(12)

例が含まれると理解するべきである︒

①と②の死刑犯罪で正式起訴されたとしても︑今度は審理陪審が死刑を科すべきか否かを選別する︒審理陪審が死

刑評決を避ける方法は二つある︒その第一は主に

m

の犯罪に関するもので︑審理陪審による一部評決

p a

r t

i a

v l

e r

d i

c t

 

( 3 4 )  

がこれに当たる︒死刑犯罪に該当する強盗や不法目的家宅侵入の正式起訴状には︑﹁畏怖をいだかせる﹂や﹁不法目的

で家宅に侵入する﹂という文言が記載されるが︑審理陪審が死刑に相当する正式起訴状のこの部分を無視し︑それ以

外の部分で有罪評決を下すのが一部評決である︒

0 . B . S . P .

において︑①の犯罪の正式起訴状が記録されているにもか

かわらず︑審理陪審の有罪評決が死刑の評決でない事例は審理陪審によって一部評決が下されたことを意味する︒

第二の方法は②の犯罪で採用された︒審理陪審が被害評価額を死刑が適用される基準よりも低い評価額で認定する

のが第二の方法である︒審理陪審は四シリング一

0

ペンス︑三九シリングと評価額を認定した︒盗まれた物品の実際

の評価額は重要ではない︒審理陪審は︑死刑を避ける目的で被告人の諸事情を考慮し︑実態と合致しない評価額を認

定した︒聖職者の特権の不適用の基準としての評価額は︑審理陪審が特権が適用される非死刑犯罪であると認定する

ための基準として実際には機能した︒第二の方法は︑②の制定法を出来る限り狭く厳格に適用するという裁判官の側

( 3 5 )  

の方針と合致していたこともあり︑裁判官の黙認のもとで審理陪審によって推進された︒一部評決と評価額の引き下

げは︑審理陪審が死刑の対象者のなかからそれの非対象者を選別するための手段として機能した︒

そして︑最後の選別の機会が恩赦であった︒恩赦そのものは死刑の宣告を受けた全ての人達にその機会が与えられ

る︒恩赦によって死刑の執行は停止される︒これによって釈放されるものもいれば︑流刑に軽減されるものもいる︒

ビーティの研究によれば︑財産犯罪で死刑の宣告を受けたものが恩赦によって死刑から救われる比率は六一%を占

( 3 6 )  

める︒②の名誉革命以後の制定法によって聖職者の特権が不適用とされた犯罪の場合には︑恩赦によって死刑の執行

九 〇

(13)

一七三0年代のオールド・ベイリに)(栗原)

その第二は一八世紀の死刑制定法の機能についてである︒法が制定されれば︑廃止されない限り常に適用されたと 考えるのはあまりにも近代法的な思考であって︑この時代の死刑制定法の歴史的性質の理解を妨げる︒選別的な適用 こそがこの時代の死刑制定法の本来の属性であったと理解するべきである︒ラジノヴィッツによって指摘された緊急

事態の法という死刑制定法の制定過程は︑個々の死刑制定法がそのときに多発した犯罪に対する即時的な対応であっ ろ

う︒

から救われる比率は八三・七%とさらに高い︒評価額の引下げによる恩恵を得られず死刑が宣告されたとしても︑恩 赦が最後の選別の機会として与えられた︒特に︑評価額の引き下げや一部評決などの法的操作が不可能な家畜類の窃

一八世紀イングランドでは非常に多くの死刑犯罪が創設された︒しかし︑刑事法はそのまま執行されたのではない︒

上記のように︑刑事裁判の様々な局面で選別されて執行された︒もちろん︑大陪審や審理陪審で下される無罪評決も

この選別過程の一局面と考えるべきであろう︒それでは︑イングランドではなぜ非常に多くの死刑制定法が制定され︑

選別的に執行されねばならなかったのだろうか︒法が選別的に働くことがむしろ法の正統性として受容されていたと みるべきである︒これはイングランドの刑事司法の全体的構造のなかで考察されねばならない問題である︒ここでは

これまでの分析から次の二点だけをふれておくことにしたい︒

その第一は刑罰に関してである︒死刑の選別的な執行がシステムとして機能したのは︑死刑から免除されたものに

別の相応な刑罰が受け皿として備えられたからである︒その受け皿となる刑罰が流刑であった︒流刑の導入以前には︑

重罪の刑罰は死刑か︑聖職者の特権が適用されて烙印を押されて釈放されるかのいずれかであったが︑中間の刑罰と

して流刑が新たに導入された︵一七一八年︶︒流刑なしに死刑の選別的な執行は充分に機能しなかったと言うべきであ 盗が救済されるのは恩赦によってであった︒

18-3•4-693 (香法'99)

(14)

らな

い︒

一六

九九

年︑

( 3 7 )  

たことを示している︒現に直面する個別的な問題の解決を目的として一般的な法律が制定されることは︑イングラン

ド法の判例法主義的法思考からみれば当然の帰結かもしれない︒さらに︑死刑制定法が法の執行過程が整備されてい

ないという現実のなかで制定されたことに留意すれば︑死刑制定法の選別的適用はむしろこの時代の法の本来の姿な

のである︒死刑制定法によって新しい多くの死刑犯罪を加えた死刑犯罪のカタログが作られ︑公に展示されたこと自

体が意味あることであり︑カタログの存在そのものが果たす犯罪抑止のためのイデオロギー的機能が重視されねばな

( 3 8 )  

ヘイ

D . H a

y

が指摘する刑事法のイデオロギー的機能がそのことを示している︒

死刑制定法は︑犯罪の増加という緊急事態に直面して新しい死刑犯罪を創設することによって犯罪を抑止する目的

で制定された︒このことは本稿でふれた制定法︵一六九一年︑

一七

四二

年︶

一七

一三

年︑

一七

二二

年︑

一七

四一

年︑

においてもあてはまる︒特定の地域で多発した犯罪の抑止を目的として制定された一七二二年法を除け

景があることが︑ ば︑上記の制定法が制定された時期は財産犯罪の増加期にあたる︒そして︑それらの時期の犯罪の増加には社会的背

( 3 9 )  

ビーティやヘイによる犯罪統計学的研究から指摘された︒

彼らは正式起訴状の数の変動に注目する︒すでに述べたように︑正式起訴状の数は実際の犯罪の数を意味しない︒

彼らはそのことを当然の前提としたうえで︑正式起訴状の数の増減を実際の犯罪の数の長期的変動を反映する指標と

して位置づけ︑正式起訴状の数を変動させた要因として戦時と平時︑物価指数に示される農業の好況と不況の違いに

注目する︒平時の正式起訴状の数値は高く︑戦時のそれは低い︒戦争が犯罪の増減をもたらす要因であった︒戦争は

多くの下層の人達を兵士として︑あるいは軍需雇用で徴用する︒仕事のない犯罪者予備軍が軍事雇用に吸収されるた

めに犯罪そのものの発生が低くなり︑それが正式起訴状の数にも反映される︒その一方で︑戦争の終結は従軍を解除

された兵士達や軍需雇用から解雇された人達を仕事がないまま大量に社会に解き放つ︒彼らは大都市に流入し︑犯罪

(15)

一七三0年代のオールド・ベイリに)(栗原)

して扱われていた︒ の温床となる︒平時は特に大都市で犯罪の増加をもたらした︒戦争と平和のサイクルが犯罪の増減をもたらしたわけ

( 4 0 )  

一六九九年法も一七一三年法も戦争終結後の犯罪の増加に直面して制定された︒さらに︑オーストリア継承

0

万 人

戦争が終結した一七四八年︑七年戦争が終結した一七六三年︑アメリカ独立戦争が終わった一七八三年には︑七万人︑

( 4 1 )  

一三万人の兵士達が軍籍を離れ︑職もなく犯罪者予備軍に入れられ︑犯罪の増加の原因となった︒

農業の不況は特に農村地域で財産犯罪を増加させた︒失業と小麦などの穀物価格の高騰は農村地域の貧しい人達の 家計を直撃する︒彼らの生活苦からの必要性が財産犯罪を増加させた︒農業の不況は好況期には犯罪と無縁であった

人達を大量に犯罪者に加えた︒農村地域では殻物価格の変動が財産犯罪の増減に比例した︒

一 七

0

九ー一七一

0

年 ︑

一七

0│

︱七四一年と不作の年があり︑この時期に農村地域

( 4 2 )  

で財産犯罪が増加したことはビーティが指摘するところである︒羊や家蓄の窃盗を死刑犯罪にした一七四一年と一七 四二年の制定法は生活苦から発生した羊や家蓄の窃盗を抑圧する目的で制定された︒しかし︑この制定法が死刑制定

法のなかで最も寛大に執行されたことはすでに述べた通りである︒

最後に︑文書偽造罪

fo

rg

er

についてふれておく︒文書偽造罪は多くの議会制定法によって聖職者の特権なしの重罪y

に加えられ︑財産犯罪のなかで最も厳しく執行された犯罪であった︒文書偽造罪は﹁他人の権利の侵害となるような

( 4 3 )  

文書の不正な作成もしくは変更﹂と定義される︒刑罰は罰金︑投獄︑晒し刑とされていたので︑文書偽造罪は軽罪と

一六世紀の議会制定法は土地に関係する文書偽造罪を重罪に変更し︑その刑罰を強化したが︑初

犯者には聖職者の特権が適用された︒名誉革命以後︑土地以外の分野の文書偽造罪が非常に多くの議会制定法によっ

て聖職者の特権なしの重罪として新たに死刑犯罪に加えられた︒﹁商業革命﹂と称されるほどの商業の飛躍的発展がそ

( 4 5 )  

の背景にある︒商取引の発展は様々な手形︑証書︑証券の流通を促し︑それらの偽造から生じる新たな財産犯罪を誘 も ︑ で

ある

一七二八ー一七二九年︑

一八世紀の前半に限って

18-3•4-695 (香法'99)

(16)

数としては少数である︒ われる︒しかし︑文書偽造罪の公判は︑ 発した︒文書偽造罪は金融犯罪にまで拡大されることになった︒金融犯罪と結びつく文書偽造罪を新たに創設する議

ここでは一般的性質をもつ二つの議会制定法についてふれておく︒

一七二九年の制定法

(2

G e

o .

  I I ,  

C .

  2

5)

では︑﹁捺印証書

d e

e d

︑遺言書

w i l l

︑債券

w r

i t

i n

o b g

l i g a

t o r y

︑為替手形

b i l l

o f   e

x c

h a

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e ︑約束手形

p r

o m

i s

s o

r y

n o

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︑それらの裏書

i n d o

r s e r

n e n t

もしくは裏書によらない手形の譲渡書

a s s i

, g n

m e

n t

︑金銭もしくは物品の債務消滅証書

a c

q u

i t

t a

n c

e もしくは受領書

r e c e

i p t

を︑人から詐取する意図で偽造する犯

( 4 6 )  

罪﹂は聖職者の特権なしの重罪とされた︒

一七三三年の制定法

(7

G e

o .

  I I ,  

C .

  2

2)

では

︑﹁

為替

手形

の引

受﹂

﹁約

束手

n o

t e

︑為替手形

b i l l

もしくはその他の

金銭証券

s e c u

r i t y

f o r   m

on

ey

の計算約束付受領書

a c

c o

u n

t a

b l

e r e

c e i p

の数字﹂︑﹁金銭支払いもしくは物品引渡しのt

( 4 7 )  

ための権限証書

w a

r r

a n

t 0もしくは指図書

r d

e r

﹂等々の文書の偽造が聖職者の特権なしの重罪に加えられた︒

これら以外に︑イングランド銀行︑南海会社︑その他の公開会社

p u b l

i c c

o m

p a

n i

e s

に関する文書偽造罪も繰り返し

制定されており︑

さらに︑財産犯罪と結びつかないものを含めれば︑文書偽造罪を創設する制定法はブラックストー

( 4 8 )  

ンやラジノヴィッツが列挙した制定法の数が示すように相当な数に達する︒詐欺と結びつく文書偽造罪が死刑犯罪に

( 4 9 )  

ならない事例はほとんど考えられないとまで言われた︒

この時代に創設された一九

0

にも達する死刑犯罪のなかで文書偽造罪に関するものが大きな項目を占めていたと思

一八世紀後半のオールド・ベイリにおける死刑の執行とその執行停止を知る資料として利用

されるジャンセン

S . T

.   J

a n

n s

e n

の統計表

S t a t

i s t i

c a l

T a

b l

e s

  (一七四九ー一七七一︶をみても︑

( 5 0 )  

偽造罪で死刑が執行されたのは七一人で︑死刑が執行停止とされたのが九五人であった︒死刑の宣告を受けた人達の 会制定法は相当の数に達するが︑

一七

0

年代の

O . B . S . P .

をみる限り︑各開廷期に一件あるかないかであり

この二三年間で文書

九四

(17)

一 七 三0年代のオールド・ベイリに)(栗原)

( 1 1 )  

( 1 0 )  

含ま れた

死刑犯罪のなかでも特に重大な犯罪としてみなされていたことを示している︒

とつの特徴は︑この犯罪が主として商取引に従事し社会的地位のある人達による犯罪であったことであろう︒従って︑

拙稿﹁一七三

0

年代のオールド・ベイリ︵一︶﹂︵香川法学第一八巻第一号一九九八年︶一七︱│︱七四頁参照︒

一六世紀の制定法では︑強盗を意味する﹁

r o b b i n

﹂と不法目的侵入を意味する﹁g

b r e a k i n g

﹂が区別されずに使われていた︒

R a d z i n o w i c z ,

 

H i s t o r y   o f   E n g l i s h r   C i m i n a l

  La

w  a nd   i t A s   d m i n i s t r a t i o n   f ro

m  1

75 0,  v o l .   1

, 

L o n d o n ,  

19 48 , 

p .  

42 . 

M .  

H a l e ,   H i s t o r i a   P l a c i t o r u m   C o r o n a e ,   v o l .   1 , 

1736 

( R e p .  

1971, 

P r o f e s s i o n a l   B o o k s . ) ,  

p .  

532; 

W .  

B

l a c k s t o n e , C  om me n t a r i e s   o

n  t h e   La ws   of   E n g l a n d ,   v o l .   I V ,  

1769 

( R e p .  

19 79 , 

Th e  U n i v . f   o   C h i c a g o   P r e s s ) ,   p p .  

241

24 2.

M .  

H

a l e ,   o p c i t .   . ,   v o l .   I ,   p .  

53 5.  

I b i d . ,   p p .  

559 

56 1.  

E

dw .  V I ,   C.  1 0.  

56

Ed w.   V I ,   C .  

9.  

オールド・ベイリで被告人に弁護士がつく初期の事例のなかに文書偽造罪が多く L .  

R a d z i n o w i c z ,   o p c i t .   . ,   v o l .   1, 

p .  

42 . 

M .  

H

a l e ,   o p c i t .  

・ ,   v o l .   1,

 p .  

548 

L .  

R a d z i n o w i c z ,   o p c i t .   . ,   v o l .   1

, 

p .  

44 . 

L .  

R a d z i n o w i c z .   o p c i t .   . ,   v o l .   I ,   p .  

46 . 

︵四

七%

九 五

この犯罪のもうひ

法律上は主犯が逮捕されなくても共犯を重罪で有罪にできると規定したとしても︑実際の公判では共犯はこの場合に軽罪で正式

起訴されたにすぎない

( I b i d . , p .  

68 4.

)︒新しい死刑制定法の執行は司法によって回避された︒

窃盗の現場に目撃者がいた場合には秘密に奪取されたのではないために︑聖職者の特権が認められることになり︑この法律の実際

の適用は厳格に制限された

( I b i d . , p .  

67 0.

)

( 9 )  

( 8 )   3 9 E l i z .  

C.  15 

( 7 )  

( 6 )  

( 5 )  

( 4 )  

( 3 )  

( 2 )  

( 1 )  

彼らは弁護士を雇うことができた︒ が高い犯罪であり︑ うちで四三%が執行されたことになる︒この比率は謀殺に次ぐものである︒

文書偽造罪は死刑執行の比率

18-3•4-697 (香法'99)

(18)

K

ぼ)

ぼ)

(コ)ぼ) W. Blackstone, op. cit., vol. IV, p. 241. 

J.M. Beattie, Crime and Courts in England 1660‑1800, Princeton, 1986, p. 168. 

Ibid., p. 180. 

初心足t~JQ吾似迅旦吋Cゃ嗣暮抑Q淀畏全盤父心菜や亜や菜内荘呂竺,(翡阻Q垢ばや担¥¥tiQ臨祇足や迂終

v'il:J

Q焚泣S4

~v図灼競罰缶足臣初ヰ心J,.lJ‑i:;j+.‑! (S. VI.)

令....)1OK母星迂笠呂~~米帯s;;‑,Q.始肘縣茫足1~初菜ど゜

An Act for the more effectual preventing and punishing Robberies that shall be committed in Houses. ぼ)12Anne, c. 7. 

L.Radzinowicz, op. cit., vol. I, pp. 670‑671. 

ぼ)J.M. Beattie, op. cit., pp. 73‑74; P. Linebaugh, (Marxist) Social Histoy and (Conservative) Legal History: A Reply to 

Prof. Langbein, New York Univ. Law Rev., vol.160, 1985, pp. 225‑228; P. D'Sena, Perquisitives and Casual Labor on the 

London Wharfside in the 18th Century, London Journal, vol.14, no. 2, 1989, pp.130‑147. 

ぼ)(~)

(~) ぼ)

ぼ)

(苫)ぼ)

ぼ)

(芯) J.M. Beattie, op. cit., p. 173. 

37 Hen. VIII, C. 8. (1545). 

14 Geo. II, C. 6. (17 41); 15 Geo. II, C. 34.(17 42). 

J.M. Beattie, op. cit., pp.170‑171. 

Ibid., p. 171. 

Ibid., p. 147. 

Ibid., p. 428. 

Ibid., p. 435. 

i> 1'\':f'~~l\', ~

WalthamBlack~ 分姑戸,(入\豆HampshireQ心ヤ芍キ屯華賓WalthamChase芦翠

悶遜

flllli"-滋〇祗撰,...)~~華押恕令奴恥砂.¥:;+.:!(E. P. Thompson, Whigs and Hunters, Penguin, 1975, p. 27.)゜リQ~恨迅坦型翠孟

旦廷,t,+x~t-~華咽心か兄、~-思匡賓粕叫額販国臼印知栽恙血聡細華因姦吐奴~u語按的ごど盲1-HQ賦配頸屯,...)

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(19)

︵基賭︶︵且

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(L. Radzinowicz, op. cit., vol. I. pp. 58-60.)~1"令+出監令キ出$笑冷淀忌ふ-国S取辻や涵初名文賓ぐこ旦芸淀~J,:f,

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母臣ふ約名+.:!(Ibid., p. 60.) f J図麟迅や竺'1108芸荼や紀華如全しぐい罰宜よ栽誤血謬哀笞1"'!‑0J,:f, 令や剣江いぷべ睾器しこ

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ゃ涵+.:!t‑2京紐的ニ女°初心!1'fJ8語慢退旦竺彬華筈辻は巨莞_)~こ唸vQ惑恒芯如呪ニや沿a'fJ8迅茫8~

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母~,‑‑< t-2芸ヤ心誤自益~!1索ヤ灼送.t:(~弥甜窪壕!1.l‑6 l‑0迭忘窓聟,fはか図知み合)S酉慢迅~wi-0゜ゃ_)~'糾や全翠圭旦サ

いや臣ギ心~+.:!゜」(Ibid.,vol. I, P. 77.) 

啜)4 Geo. II, C. 16. (1731) ; 18 Geo. II, C. 27. (17 45) ; 24 Geo. II, C. 45. (1751). 

索)W. Blackstone, op. cit., vol. IV, p. 230. 

嘩)

J. 

M. Beattie, op. cit., p. 435. 

(~) Do, Toward a Study of Crime in the 18th Century England: A Note on Indictments, in P. Fritz, D. Williams (ed.), The 

Triumph of Culture: 18th Century Perspective, Tronto, 1972, p. 302. 1-!:1祖辿苗~G国者詈密8~合旦竺出浬旦呉語初菜いこ匂

2苔寄~~l-0゜挙甘口--<G盤嵌四珊填和葦押labouer..l...J基奎初菜心いJ芯唸v'超甘口-<G:l;ti.,;pg8~:!J-1要芯掟旦基~~J~,?20初心

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deposition甫恥翡Illexamination'出望蝉芯鴻Illrecognizance芯詈蔀や埒心Jぷ令把翌初名女゜Do,Crime and Courts in England 

1660‑1800, pp. 19‑22. 

(斜)Do, Toward a Study of Crime in 18th Century England : A Note on Indictments, pp. 302‑304 ; Do, Judicial Records and the 

Measurement of Crime in 18th Century England, in L.A. Knafla (ed.), Crime and Criminal Justice in Europe and Canada, 

Wilfrid Lawrier Univ., 1981, pp. 128‑129 ; Do, The Pattern of Crime in England 1660‑1800, Past and Present, no. 62, 197 4, 

pp. 53‑54 ; Do, Crime and Courts in England 1660‑1800, p. 199. 

ぼ)11ギ母凶l斗ばlS吾{繹(4Geo. I, C. 11. (1717), 25 Geo. II, C. 36. (1752)) :2 .l‑6 0ド'娃ES躙酎屯詞如感心J心四

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火゜L. Radzinowicz, op. cit., vol. I, pp. 682‑684; J.M. Beattie, Crime and Courts in Eng‑ (66,¥?~) 669 

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