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米 国 従 業 員 持 株 制 度 の 理 論 と 政 策 ー ル イ ス ・ オ ー ・ ケ ル ソ ー よ り 一

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(1)

‑‑‑‑̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲

[研究ノート〗

̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲JJ 

米 国 従 業 員 持 株 制 度 の 理 論 と 政 策 ー ル イ ス ・ オ ー ・ ケ ル ソ ー よ り 一 ( 5 )

市 J 

11 

はしがき ー 理 論 の 部

1 基本概念(以上8巻 3号) 2 政治的民主主義と経済 3  セーの法則の再検討

4 民主資本主義(以

t :

8巻 4号) 5 経済史

政策の部 1 序論

2 伝統的な金融方法(以上9巻2号) 3 民主的な金融方法

4 資本主義を民主化する 8つの金融手段(以上 9巻 3号) 5 民主的かつ商業的な資本信用保険

6 株式会社の民主化 7 税制(以上本号)

四 批 判 と 反 批 判 の 部 五 む す び

‑ 1 ‑

9  ‑ ‑

‑632 

(香法

' 9 0 )

(2)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーよりー(5) (市川)

5 民 主 的 か つ 商 業 的 な 資 本 信 用 保 険

①  民主的かつ商業的な資本信用保険

既存の資本資産の獲得であれ,新しい資本資産の形成であれ,資本の獲得が成功する か否かは,新たに獲得した資本の生み出す純収益によってその獲得費用を割賦償還でき るか否かによる。新たに獲得した資本の生み出す純収益が約束の返済期間内にその獲得 費用の元金と利子を返済するのに十分でないかもしれないという危険は,他の事業危険 と同じように,通例,保険つまり採算危険保険 (feasibilityrisk insurance)によってカ バーされる。支配的な種類の投資採算保険は自己保険,つまり借「ないし企業家が自ら 危険を引受ける保険である。たとえば,会社もしくは企業家が100hドルの資産を獲得す るのに65万ドル借人れることができるとしよう。獲得者は採算危険をカバーし,残りの 費用を支払うために35‑Jjドルを用意しなければならない。この慣行によって資本信用を 利用できる者は前以って資本を有する少数の者に限られることとなる。

一度,ー要素経済政策の誤りが一掃され,企業が新しい,二要素経済政策に合うよう 指導されたとすれば,たいていの資本獲得金融は,商業的に保険された資本信用によっ て行われることとなろう。商業的に保険された資本信用は,ほとんど気づかれていない が,米国経済の失った経済的民―

+t

義の回復を可能とし,全米国民のために,私有財産 権,法の平等な保護および生命,自由,経済的な幸福追求の権利という憲法上の保障条 項の遵守を可能とするであろう。経済的金権主義 (economicplutocracy)は静かに経済

(2) 

的民

4 : : 1~

義に道を譲ることとなろう。

第11図 が 民 主 的 で1樹業的な資本信用保険を示している。新しく創設しなければならな

(3) 

い制度は何もないのであって,必要なのはよく知られている制度の利用方法を変えるこ とだけである。以下の段落に付いている数字は図中の数字に対応している。

1 . 会社は資産を所有し,労働作業者と資本作業者を使用する。会社の事業,経営そ の他の制度的な関係に関する限りでは,会社は伝統的金融の場合と全く同じであろう。

しかし新しい金融方法には暗黙のうちに変化が含まれている。会社は資本

H

的のために

課税前のドルを利用するであろう。会社は同時金融を利用できるであろう。そして,会 社が自らの生産力を拡大するにつれて,会社はその従業員ないし(消費者持株制度,個 別資本所有制度,商業資本所有制度および公的資本所有制度金融での)非従業員株主構 成員が資本作業者として収人を稼ぐ力を引上げるだろう。

2. 

構成員伯託は,広く用いられている従業員持株制度における従業員のための信託 と同じく,コモン・ロー上の伯託であり,株式を購入する構成員全員が受益者である。

それは非課税の存在であり,従業員その他の株式購人者が,個人的な責任を負うことな く,かつ貯術や給料を減らすことなしに,資本信用を利用して,会社の株式を購人でき

9 ‑‑‑‑4 ‑‑631 (香法'90)

‑ 2 

(3)

第11図 民主的かつ商業的な資本信用保険(4)

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保 険 料

商 業 的 な 資 本 信 用 保 険 引 受 人

中 央 銀 行

(米国では連邦準備 銀行)

)

資 本 分 散 再 保 倹 6

公社 (CDRC)

(米国政府U>資 本 信用再保険引翠人)

るようにする。構成員信託は,

使用者からの報酬に比例して,

従業員持株制度の場合には,返済が完―[するにつれて,

各従業員に株式を自動的に割閃てる。

3 . 商業銀行その他の貸手は,直接的な資金源ではあるが究極的な資金源ではないで あろう。最も屯要なことは, 一度ローンがなされるならば, これらの貸手がその返済を 管理することである。商業的に保険された資本伯用金融の卜ても,貯蓄を基礎とする賓 本金融の下でと同じように, ローンを

° 1 1

い, これを管理する銀行の機能は存続する。 し かし銀行の資金源は変るであろう。銀行の収益性は伝統的金融0)ドにおけると同じであ

ろう。 い換えると,銀行の手数料は, 競争による制限を受けるが,貯拾を基礎とする 金 融0)ドでの本当の利ざや(利子率マイナスインフレン年) と同じであろう。

(6) 

もなく金融費用を最近数卜年間の利子率よりもずっと低くするであろう。

これは疑い

4 . 貸手が従業員持株制度その他の二要索金融を連邦準備銀行で割引できるものとす ることによって, 中央銀行はその取引に賓金を供給するためにのみ用いられる。 い換 えると, その場合,連邦準備銀行は,

る交換手段を提供するという, 政府の憑法上の機能を遂行しつつある。

契約内容を実現するためすべての当事者が利用す その契約内容と

一 四

は, 会社がその金融を利用して資産を獲得できること, 同時金融の利点を十分に利用で きるように契約内容を組み立てること, および会社とその労働力を用いて財貨とサービ

3  9 ‑・‑・4  ‑630 (香法'90)

(4)

米国従業員持株制度の理論と政策——ルイス・オー・ケルソーより (5)  (市川)

その資本獲得債務と利子を支払いかつ従業員その他の構成員のために構成 員信託に発行された会社株式の所有権を獲得すること,である。当該契約が資金の供給 を受けることによって,多くの人々が責務の遂行と報酬の受領に,つまり生産イコール 消費という市場経済の等式の両側に参加できることとなる。連邦準備銀行は危険を負担 スを生産し,

しないだろう。 その割引率はこの機能に伴う活動費のみを基準とすべきであり, そうで あるとすればそれはせいぜい年0.5パーセントを超えないであろう。連邦政府のその市民 もっぱら原始的な経済における自然の代用物と に対する,憲法l̲‑̲O), 経済的責任とは,

しての責任(つまり市民が自らを支えるのに必要とする収人を自ら生産し稼ぐことがで であるので,連邦準備銀行のこの代用サービスは決して連邦政府

(7) 

のために利益を生み出す機能と考えられるべきでない。

きるようにする責任)

たいていの損害保険業者がたぶん商業的な資本信用保険の引受を求めるで その本来の性質ゆえに,過去においては主として自己保険に よって引受られてきたが,疑いもなく,商業的な保険引受業者の頂要な機能になるだろ う。確かに,これらの業者が危険の一部を,その大部分すらも,新しい政府機関つまり 資本分散再保険公社 (theCapital Diffusion Reinsurance Corporationー略称CDRC,

5. 

通常,

あろう。信用採算保険は,

これについては次の

6

を見よ)に移せることは,彼らが資本信用金融の商業保険につい て経験を積むまでは,疑いもなく頂要である。

しかしながら実際には,引受られた危険のほとんどは,現実的というよりはむしろ名 目的なものであるだろう。相当な純資産を有する会社の従業員持株制度信託に対しなさ れたローンの保険は,会社の純資産がその危険をカバーする範囲で危険のないものであ

る。会社は,ご要素経済技術によって,

社自身と新株購入者両方の利益になる。ところでこの新株購入者は,会社が自己の生産 物の販売を期待しているその市場の消費者である。

会社の資本取引が同時にかつその額に比例して消費者である従業員その他の新株購入 者の収入を稼ぐ力を引上げる場合の,その資本取引に金融するためのローンと,既に十 分な資本を有する株主の稼ぐ力を引上げるだけの会社成長に金融するためのローンを比 較すれば,前者は後者よりも,一般にはより安全である。既に十分な資本を有する株主 の多くは,彼らの増加した収入を消費者市場で使わないであろう。また,前者のローン は後者のローンよりも経済繁栄にずっと大きく貢献する。要するに,そのような資本金

(8) 

融は,自由市場経済の論理と経済民主主義の両方に適合する。

6. 連邦政府は,二要素金融の危険であって,商業的な資本信用保険の保険業者が引 その資産でもって危険を担保するが, これは会

一 三 九

受していないが合理的であり保険に適すると評価される危険を再保険するために資本分 散再保険公社(CDRC)を設立するだろう。同公社の設立において,連邦政府は新たな責

9  ‑ 4  ‑629 

(香法

' 9 0 )

(5)

(9) 

任を引受ているのではなく,既存の責任を単純化し合理化しているにすぎない。

②  経済的繁栄と連邦政府の責任

連邦政府は米国経済の健康と繁栄に責任を負うか。 1930年代までこれは論争された問 題であり,ニュー・ディール時代を通じてずっと意見の相違があった。今日では,選挙 民も官公吏もその答はイエスであることを認めている。

大贔の立法が直接間接経済問題に関係している。米国の大統領選において重要なのは 候補者の経済的な見解や約束であり,これは,上院議員選挙や下院議員選挙および朴

I

知 事選挙や小1I議会議員選挙でも同じである。国の政治の成功か失敗かは経済的繁栄の程度 を基礎として判断される。 9州や市の政治さえも,全面的にではないとしても,同じ基準 によって判断される。二大政党は,その哲学の違いにもかかわらず,いずれも究極の目 的として米国の一般家族の経済的に良い生活をあげている。問題は,政府が,経済的繁 栄に責任を負うか否かではなく,この責任を果たすためどのような方法を選択するか,

(10) 

である。

今日まで,過去半世紀の間,政府はトリクルダウン理論によって経済の健康と繁栄に 対するその責任を果そうとしてきた。言い換えると,賃銀の操作,再分配を支持する税 制,仕事の創出や助成金支給のもたらすインフレ,および公然・非公然のすべての種類 の福祉によって,達成される再分配を通じて,その責任を果そうとしてきた。民主化さ れた資本主義の下では,政府は,経済,労働および企業について経済権力民主化の政策 を確立しその執行を監督することを通じて,経済に対する金融責任を実質的に引受ける だろう。この仕事のためのてこ台に相当するのが資本分散再保険公社である。二要素経 済の方法によって遂行される金融は専門的な幾層にもなる検脊に服する。つまり,まず 会社経営陣の,次には商業的な貸付機関の,さらに商業的な資本信用保険引受業者の,

そして最後にはだぶん資本分散再保険公社と連邦準備銀行のいずれかもしくは両方の検 査に服するであろう。検杏のポイントは,各々の金融が自らの資産形成費用ないし獲得 費用と,経済的に能力不足の者を資本作業者にする費用の両方を同時に清算できるか否 かにおかれるであろう。その全体構想はインフレを打ち消すよう計画されるであろう。

(II) 

なぜならばそれはインフレの主な原因つまり再分配を除去する。 ・

政府は企業の資本信用問題には取り組んでいるが,たいていの消費者の民主的に稼ぐ 力を回復する必要には取り組んでいないので,この一方に片寄った政策の下で,政府は 国民経済の健康と繁栄の保険者および保障者として働く際に現在諸困難に遭遇してい る。ここに提案している市場経済の民主化はこの諸困難の発生を防止することを目的と している。消費者の稼ぐ力の回復が必要であるのは,消費者による財貨とサービスの消 費が必要であるのと同じ程度に明白である。政府は,余りにも長い間,財貨とサービス

・‑・5  9 ‑‑4 ‑‑628 (香法'90)

/¥ 

(6)

米国従業員持株制度の理論と政策——ルイス・オー・ケルソーより -(5) (市川)

の市場から取り除かれた,稼ぎに基づく,「貯蓄」を促進するため, その課税権限その他 の権限を用いることを求められてきたが, その目的は,生産への大多数の参加とその結 果生じる消費能力の拡大によってのみ効率的に機能できる諸制度を救済することであっ た。

かくして,資本分散再保険公社を利用する金融と伝統的な金融と0),政府の機能に関 する限りでの,実際的な違いの

1

つは,同公社金融の下では,政府は当初からローンが 自ら清算するのを確実にするよう積極的に行為するのであって,生産されたものを消費 者が購人できるようにするために政府によって強制される再分配に依存しない,

(!~)

点である。

という

③  資本

1 1 ' 1

用の民主的利用に対する反論について

資本金融0)貸手は, 前以って十分な資本を有していない借手に資本伯用を与えないこ とを,従来,信頼性が証明されていないという理由で正当化してきた。商業的な資本信 用保険が(住屈資本所有制度を除く他の)二要素金融方法と共に用いられる場合,

はこの欠格事由を実質的に除去する。このことは,従業員持株制度金融が例ぷしている ように,真実である。なぜならば,同制度金融を投資銀行家が設叶する場合,そのポイ ントは,新たに購人する株式によって代表される資産が生み出す収益を同制度伯託へ,

それ

さらに同制度伯北からローン返済金として貸手へと手渡していく仕組みの創出にある。

これらの哭約内容は,返済の完(した株式についての配当をその株j:に分配することを また,特定の金融取引から生じた債務が清算 しかし,株式購入価格の支払は,それに伴う利子や手 数料の支払も含めて,金融を受けた株式購人者の個人的な介人なしに,なされる。(住居 資本所有制度を除く)各々のタイプの二要素金融において構想される見えない構造によ 認めることもあるし認めないこともある。

されないままに残ることもある。

れば,使用者会社の事業が成功している限り,その収益からローン返済を確保し,債務

(J:l) 

不腹行の発生した範囲では資本信用保険業者によるローン返済を確保する。

従業:員持株制度法についての

1 9 8 4

年修正は,使用者会社が同制度保有株式に対する配 胄を課税所得から控除することを特別に認めているが, その条件として,同制度信託が その配打を従業員株

i ! :

に支払うことを要求している。貸付喫約に反しない限りで, 会社 が同制度信託になす支払額を変えることによって通常利用叶能である大きな柔軟性がこ

一 三 七

の制限の実務

1

この意味を小さいものにする。同制度金融の二屯性つ

t

り会社の資産購入 と従業員の株式購人が,移り気な株式購人者がその株式購人ローンに返済する場合に生 じる危険をなくしている。 この特徴は,(住居資本所有制度金融を除いて)他の

6

種類の 二要素金融方法に共通するものである。

家を買おうとする者はしばしば伯用貸しに値しないもしくは個人的な侶頼性の基準を

9 ‑‑4 ‑627 (香法'90)

‑ ‑ ‑ 6 

(7)

満たしていないという理由で貸付を拒否されろ。住居資本所有制度金融の場合には,そ のような考慮はたいして屯要性をもたないであろう。

1

つには,同制度金融に商業的な 資本信用保険を獲得するため必要ならば,頭金の支払が強制されえよう。(しかしながら,

資本金融における自己保険に反対する一般原則からの逸脱には,まさにやむにやまれぬ 理由が存すべきである)。また,住宅金融は,疑いもなく,抵当によって担保された取引 であり続けるだろう。家に対する熱烈な愛着は人間特イ

i

0)なわばり意識に根ざしている。

それ自体が高度の保証を与える。さらに言えば,住宅の所有者がその返済に失敗するこ とはまれであり,債務不囮行が生じる場合にも,それはほとんど常に所有者の稼ぐ力が 不足しているからである。しかし稼ぐ力の不足は

t

として現在の一要索経済政策によっ

( W  

て惹き起されている。

④  貯蓄神話の」[体

民主的で商業的に保険された資本信用金融0)論 理 が , 資 本 伯 用 の 利 用 に 対 す る 制 度

I :

の諸制限を除去する。これらの諸制限は,財貨の生産と消費に必要な物理的諸要索の不 足に基づくものを除くと,架空のものである。より効率的な金融方法によって費用が少 なくなるにつれて,金融そのものがしだいにより実行しやすくなる。物質的な牛活水準 を改善する必要があり,それを沼んでいる消費者の収人を引I:げることは,財貨とサー

(l;i) 

ビスの需要を拡大しそれによって生産を増加させる。

技 術 は , 実 践 に お い て 技 術 革 新 を 管 罪 し て , 収 入 を 稼 ぐ 力 を 引j̲げ,財貨とサービス を消費し享受する人々により楽でより豊かな生活を賠にしかし疑いようがなく約束して いる。だが一方で,ー要素経済学者は泊費節約を芙徳として称竹し,泊費しようとする 者に消費する代わりに貯蓄することを勧める。これらの貯岳に魅せられた経済学者たち は,我々に消費節約に献身する者は資本所有というアメリカン・ドリームを実現できる と保証する。しかし現実はまさにその反対である。米国人の心とその金融制度から貯荼 神話を一掃する必要がある。貯畜神話が経済をその物理的条件において体系的に考察す ることを妨げている。二要索金融技術と廂業的に保険された資本佑用を理解することは,

貯 蓄 神 話 を 一 掃 す る た め の 第

1

歩として重要である。

もちろん,労働収人からしぼり出したわずかな貯蓄を増やして大きな資本財産にでき る大オがいる。これはいつの時代にもありうる。しかし火オのするようには,一般消費 者はできないし,経済全体もできない。火オはおるし,いつの時代にもいたが,ごくわ ずかである。「自ら資本を創り出している」と見える現象の背後に明白ではないが重要な 事実がある。事実,天才が耐乏生活をするのは資本を求め始めた最初の段階だけである。

節倹ではなく,資本賃金から資本獲得に金融する彼の能力が彼のすばらしい財産のほと

(Hi) 

んどすべての秘密である。

7 ‑

9  ‑ 4  ‑626 

(香法

' 9 0 )

'  

/¥ 

(8)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーよりー (5)(市川)

⑤  時の経過と貧困の相対性

工業の発達につれて,品質のより良い財貨とサービスをより多く生産することがより 容易になる。社会的に受入れられる相当な生活水準は技術と共に進む。豊かさの諸特徴 の中で常に変わらないものはその定義だけである。豊かさは,人が必要とし欲するとこ

ろのものを不足なく購人するのに十分な収入を有すること,

ることを意味する。

つまり

competence

を有す

資本作業者としての高い収入のゆえに豊かさとレジャーを享受する人々と, しだいに 強くなる気違いじみた努力と労働によってのみ何とか貧困を上回る生活を確保している 人々との間には,個人的,階級的に見て大きな差がある。 これらの質的な差の経済的,

社会的,政治的意味は,現在の中間層が過去のある時点で豊かな生活とされた一定の基 本的な快適さを享受しているというだけでは,軽視したり無視したりできない。米国に おける経済権力のしだいに強まっている反民主的な分配は,貧困層が,強制されたトリ

クル・ダウンと不名背な福祉によって,過去のある時代に中間層が享受していたと同じ 快適さをどうにかこうにか獲得している,

ない。

という事実によって,非難を免がれるわけで

政治的権力であろうと,経済的権力であろうと,社会的権力の分配においては,

てが相対的である。経済的民主主義の核心は,経済的な機会の平•等,特に資本信用の平 すべ

等な利用の否定から生じる稼ぐ力の差を除去することにある。経済的機会を利用したう えで生じる経済的地位の差は自然かつ妥当であり,望ましくある。

不平等に起因するすべての差は,特に,前以って資本を所有する者は資本倍用を利用で きるが,資本を有しないかまたはわずかな資本しか有しない者は資本信用を利用できな

という差は,民主主義における市民の憲法上の権利の極めて悪質な違反である。

民主的金融が金権的金融と同じ程度に容易になると,民主国家は各々の資本金融が民 しかし経済的機会の

し)

, 

t

的に組み立てられるのを確保しようとするであろう。経済が一度民主化されると,企 業と個人は経済がよリ‑屑金権化することを許さないであろうし,彼らのかっての慣行 えば,貯蓄を基礎とする金融は金権主義 を促進するが,一方適正に設計され用いられる商業的に保険された資本信用金融は民主

(17) 

主義を促進する。

を取り戻すことを許さないであろう。簡単に

一 三 五

6  株式会社の民主化

①  序

が続く。

実務の世界では,通常,新制度が理論に先行する。まず行動があって,その後に言葉 これは株式会社については確かに真実であった。数世紀にわたって,株式会社 は主として様々な経済的刺激に応じて発展してきた。 その創始者たちは原理や理論に関

9 ‑‑4~625 (香法'90) 8 

(9)

心をもっていなかったし, 会社活動の長期的な結果にも関心をもっていなかった。

ゆえ,株式会社は,技術的進歩に合ったより複雑な種類の企業に適応するための理論モ それ

デルを決して開発しなかった。

その社会的に平凡なご都合主義にもかかわらず,疑いもなく株式会社は人類最大の社 それは,欠陥のある会社戦略が多く作り出してきたまさにその

(18) 

経済問題を解決する,未開発の,本当に想像もされていない,能力を有する。

会的発明の 1つである。

一度,産業革命が,富梨の富でさえも企業の資金需要に答えるには十分でなく, 予想 される損失の危険が余りにも大きくて小さな家族グループでは引受けられない点にまで 到達すると, 工業生産の諸要素と適当な有限責任を結びつける組織が必要となる。 その 諸要素とは次のとおりである。

・十分な運転資本を有し,必要な労働作業者に確実に賃金や給料を支払うため信用を 利用できる使用者

・各々の特定の企業にとって必要な土地,建物,機械および無形資本つまり物理的も しくは物質的な投人のための資金源

・組織への特定の拠出者の責任を特別に投資した資本および特別に引受た債務に限定 する手段

• 財貨とサービスの生産と販売を最も効果的にし,持続する成長に資金を供給し,企 業を所有し支配する人々に受け人れられる方法によって生産から生じる収入を割当 てるよう,事業上の諸要素を処理する機構

株式会社は法律ど慣習によって作られ認riJされた法人であり,私的・公的部門が消費 するかまたは消費することを望む財貨とサービスの生産を組織し遂行する。一但紀をゆ うに超える,実業界,

J

1と連邦の議会および裁判制度における経験から,株式会社が現 在では,全体として民主的経済の制度

l

ごの建築基材たるのに必要な機能的諸特徴のほと んどすべてを備えていることは,疑いようもなく明らかとなった。株式会社を通じて,

現在および将来の,国民経済活動のすべてが合理的にかつ満足のいくように行われるこ

(19) 

とができる。

②  混合経済における株式会社

(1)  労働制的分配の促進

現代の会社は(技術者や経営者も含めた)作業者の生産力と資本の生産力を結合する 類いまれな方法である。 このことは,巨大で複雑であり最も生産的な企業のほとんどが

一 三 四

会社形態によって営まれていることによって明瞭に証明されている。

民主資本主義の観点からすれば, 会社は多数の所帯の所有する資本を結集して,最も 効率的かつ労役の最も少ない方法で生産を遂行できる規模のものにする理想的な手段で

︐ 

4~624 (香法'90)

(10)

米国従業員持株制度の理論と政策 ルイス・オー・ケルソーより -~(5) (市川)

ある。単独の会社内において,多数の株主によって所有される資本と,技術的に最も進

(20) 

歩した方法で生産を遂行するのに必要な経営的,技術的,機械的技能とが結合される。

しかしながら,混合資本

t

義は会社の用い方を誤っている。所帯の間に資本の私的所 有を分散するため会社を用いる代わりに,混合資本主義は資本を所有するべきであるが 資本を所有していない人々に資本の生産した窮を分散するため会社を用いる。 その分散 方法を支配しているのは慈善と便宜の原理である。

資本制的に生産された富の労働制的分配は,確かに, 会社事業に限られない。 たとえ ば,団体交渉は賃金をその競争によるレベルよりはるかに閥くり

1

上げるものであるが,

それは,会社に限らず,会社でなし)企業においても一般的となってし)る。にもかかわら ず,富の労働制的分配を遂行するための会社の利用によって,米国の混合経済での再分

(21) 

配機関のうちでは会社が最も

1 n

要なものとなっている。

会社は次の3つの方法において労働制的分配を促進している。

1 . 会社は資本の生み出しだ畠にのみ課される累進所得税に服する。連邦政府および たいていの小卜

I

は各々の境界内で事業を行っている会社にそのような税を課している。

れらの税は連邦政府の歳人の約半分に達している。これらは,割合的にはより小さいが,

それでも小l•IO) 歳人の rfi:要な部分を構成している。 それゆえ, それらは, 限界以下の農業 企惚への補助金や完全雇用を促進するための多数の叶画のような,')廿が直接に行ってい

る再分配叶Ql1jO)ため0)駐本的な資金源である。

2. 会社は組織された労働の最大の使川者である。 •連の連邦法および州法が賃金決 定に及ばす自由競侑の力を大きく削減しており,賃金はそれが支払われるべき作業の経 済的価値をはるかに!‑.回る翡さにまで引上げられている。 これが, おそらく,資本の所 打者に属すべき収人を労働の所有者に振り阿ける最も面接的な方法である。

:~. 会社はその資本の生み出した富を無制限に再投資することを認められているだけ でない。 会社はその大株t が受取る配 ~'i に対する忍勾面で累進する個人所得税によって そうすることを強

i

要されている。株じによるこの不本意な投資の利益は,

あるが, ある程度まで,株f~保有株式の市場価値の増加に反映されるが,

あし'まいでは これは,株主

物である。

がその資本の報酬全部を受取ることに比べると,部分的なかつしばしば消えやすい代替 もし株式賓本における株じの財産権が!・分に咋粗さ この留保された配

= 1 j

は,

れていたとすれば,株主のものとなったはずのものであるが, それは事業資本形成の主 このようにして新たに形成された賓本によって生)布に投人された手段 は,次には,政府監督のドで,混合資本主義の再分配政策によって処分される新たな収

(22) 

人の源泉となる。

たる源泉である。

部分的に資本制的かつ部分的に労働制的な経済において, かくして,現代の会社は嶺

︐ 

4・623 (香法'90) --~10

(11)

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん どその所有者から財産を切り離す方策となる。会社が出現した初期の頃は,それは株主 の有効な所有を集中する理想的な手段であった。しかし何度かの不況によって集中が大 きくなるにつれて,資本が生産した窪を全部その所有者に支払うことは不可能となった。

T. 業社会での資本の私有財産権はその所有が広く分散されない限りついには擁護できな くなるということを認識できなかったので,米国の混合経済は別の選択に洛ちついた。

それは,そのような資本の生み出した富を,資本を所釘する株

t

から,寮を必要とする 多数の作業者に分散することによって,集中した資本保有における私有財産権の侵食を

(23) 

もたらした。

(2)  産業組織の破壊

株 式 会 社 は 過 去 半 間 紀 の 間 に 生 じ た 米 国 経 済 で の 産 業 組 織 の 破 壊 (deindustrialza‑ tion)に対しても相打に責任がある。転換、点は1932年である。この時,「貧困の効果に対 する戦い」が,市民の稼ぐ})の民じ的な経済的成長とはかけ離れた国民経済の成長によ って国の繁栄を[口

l

復した。]い換えると,この時,米国は民じじ義的な資本じ義的解決 よりもむしろ再分配的な社会セ義的解決を選んだ。

会社レベルでは,この政策転換は株式会社の福祉機構への巧妙な変換を含んでいた。

経営陣は労働連動指導者や経済芹者と共に,白動化や合併が常に押し

L

げる,神秘的な

「労働牛産性」の上昇について消費者に宣伝した。これが,なぜ働く人々がますます減少 する働きに対してますます増加する支払を受けられるか,を説明した。しかし実際には,

賃金と給料は,市場の力によってではなく,団体交渉を通じて市務屋によって,「生叶費 相当額」に決定されており,これは泊費者がより多く必要としているがゆえにより多く

(2l) 

支払うということの婉曲的表現である。

労働作業者として誰をどれだけ多く使用するかおよび資本作業者として誰をどれだけ 多く企業に参加させるか,を決定するのは

t

として経営陣であるが,会社経営陣は,会 社が生産し販売することを望む財貨やサービスを泊費者が購人できるように,消費者の 稼ぎを一般的に増やすことについては責任を否認した。彼らはあらゆる機会を捕えて労 働作業者の仕事を減らした。科学者,経営者および原価計算者が費用を切りドげる能力 ゆえに求められた。同時に,従業員持株制度を組込んでいない合併,資産獲得,レバレ ッジド・バイアウトおよび会社金融によって,一般に,既に集中している資本所有をよ り一層集中させ,資本の賃金を富袋の賓を妍やす経済成長に振り向けるよう,あらゆる

(25) 

努力がなされた。

(3)  株式会社の欠点

株式会社は次のような 2つの順要な欠、点を布する。

11  ‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑ 4 ‑‑622 (香法'90)

(12)

~

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより一(5)(市川)

1 . 会社は財貨とサービスの生産と分配のための支配的な制度であるけれども,ー要 素・完全雇用経済政策の下で,会社は,国の経済制度が合理的で良好なライフスタイル を支えるのに十分な収入を稼ぐため必要な範囲においてあらゆる消費者単位を (現在の 技術と両立する手段によって)生産に参加させるべきであるという要請を満たすことが できない。前工業的な

( p r e i n d u s t r i a l )

完全雇用作業機会は, 会社が仮にそれを提供でき たとしても, この要請を満たさないし, 会社はそれを提供できない。

2  . 

株式会社は公的に用いられている資本を支配していない。かくして会社は国の資 本の直要な部分を活用できないでいるが, もしそれを活用できるならば,会社は消費者 のために数百万の資本作業者の仕事

( c a p i t a lworker j o b s )  

を与えることができ, むき だしの一要素経済論による公的金融の高い費用と,低い利回りの流通証券に投資する公

(26) 

的年金制度のために納税者および消費者に課される負担は回避できるであろう。

③  (1) 

株式会社と民主資本主義 株式会社と国民経済政策

経済制度の建築基材として,会社は国民経済政策の強化を目的とすべきである。 1776 年にアダム・スミスが,私有財産制自由市場民主経済を国是とする国家の基本目的を明

らかにした。効率を最も良くし,国家の富の成長とその消費市民の幸福に最大限寄与す るために,国家は自由市場経済を維持すべきである。そこでは,魔法の「見えざる手」

(27) 

が国家の経済成長を生産へのすべての参加者の収入総計に結びつける。 これはどの一家 の稼ぎ手も全力をつくすよう鼓舞する。市場での生産者の競争は価格を引き下げ,生産 者は最も多くの顧客を引き付けることによって報われる。

市場経済における生産の目的はそれ自身の消費者による財貨とサービスの消費であ る。『国富論』を綿密に読めば, スミスが生産への参加者による消費を意味しているので あって,生産物を誰に, どのように, なぜ分配するかに関係なしに, 目的をあいまいに

(28) 

したままの生産だけを意味していないことは明らかである。

それだから,私有財産制の民主的市場経済においては, 合理的な経済政策の中心課題 は個人の消費者単位でなければならない。 それは現行のやり方で生産に参加する用意と 意欲があり,参加することの可能なすべての個人を含まねばならない。 それは消費者が 購入を望む財貨とサービスの量と質を最適にするよう努めねばならないが, 一方,現行 の技術が必要とするより以上の労役を消費者に課してはならない。 それはまた民主的で なければならない, つまりあらゆる個人ないし家族に生産と消費に参加する合理的な機

(29) 

会を確保しなければならない。

会社は生産に参加する消費者の数を最適にすることによって国民経済政策を実行しな ければならない。米国では会社が財貨とサービスの総計の約90パーセントを生産して

9 ‑ 4 ‑621 (香法'90) ‑ 12  ‑‑

(13)

(30) 

いる。会社は労働作業を資本作業に取り替える技術的進歩の大部分を創始し,監督して いる。会社重役は政府にとって経済についての真の助言者である。それゆえ,実際問題 として,彼らもあらゆる消費者単位にその憲法上のかつ天賦の権利を確保する機会を,

すなわち,あらゆる消費者単位に労働作業者と共に資本作業者として生産に参加し,

れによって合理的な生活水準を支えるのに必要な収人を稼ぎ,その過程で,経済の産出

(:Jl) 

物を購人する購買力を入手する機会を分ち与える責任を引受けなければならない。

私的事業会社の活動領域拡大

高速道路,輸送システム,建物,競技場,港および公園のような,公的 に用いられている資本手段は,私的所有の事業会社が普通に所有している資産と全く同

(2) 

歩道,街路,

じ意味において,資本手段である,ということが二要素経済論によって明らかとなった。

公的に利用されているこれらの資産は,現在経済的に能力不足の人々ないし労働作業者 としての雇用に対し適当な収入を与えるために過大に支払われている人々の手に置かれ るならば,

産を私的に所有される資産にすることによって再資本化することは,私的部門を拡大し その過程においてすべての消費者のために終身雇用の機会を大 きく拡大するであろう。同時に,政府は経済力の行使から次第に離脱するであろう。消 費者および納税者の費用負担が減少するのみならず,一般公衆および(以前は公務であ

ったが現在では私事に従事する)従業員は,

より一層役に立つものとなるであろう。公的に所有または利用されている資

民主化するであろうし,

今では経済的利益を有する資本資産をより 良く管理するであろう。放火,破壊,軽率のような疎外の徴候は減少し,

的設備を快適に維持する費用が減少し,

かくして,公 これは市民の誇りを高めるであろう。公的年金

家の利益となっているが,

は低い利回りの流通証券に投資しており,

その結果として納税者が負担する厖大な費用も削除されるだ その究極的な効果は公的設備の改良と快適さの復活であり,

これは主としてウォール・ストリートの投機

ろう。 これは活発な成長に

よって米国経済の基幹施設が回復するにつれて起きるであろう。二要素経済政策は新し

(32) 

い基幹施設が古いものと同じ運命になるののを阻止すべきである。

資本主義を民主化する立法政策 (3) 

疑いもなく,健全な国民経済政策が健全な会社政策にとってのかなめである。連邦政 府および州政府は健全な国民経済政策を採用する義務を負う。経済権力を再民主化する 政策を解釈し,管理し,実施する主要な責任を負うのも政府である。若干の会社が,連 邦議会および州議会の重要な援助を受けて,従業員持株制度を用い始めているが,資本 所有のより少数者の手への集中が今日なお米国経済における支配的で加速している傾向

一 三

もし米国民が経済権力の再民主化を欲するならば,米国民は新しい二要素国民

(33) 

経済政策によってそれをしなければならない。

である。

― ‑

13~ 9~4~620 (香法'90)

(14)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーよりー(5)(市川)

幸いにも,米国には必要な政策立法が既に存在する。その一部は誤って解釈されてい る国民経済政策立法の中に見い出される。必要なことは解釈と運用を正すことだけであ る。 1946年雇用法

(TheEmployment Act o f  

1946, 15 

U . S . C .  

1021)第2条の基調とな る節は「雇用

(employment)

」に言及しているが,それはその言葉の伝統的な意味にお いてのみである。しかし,もちろん,それは,個人が私的に所有する労働力の使用によ ってのみならず,私的に所有する資本の使用によっても,生産に参加し収人を稼ぐこと

(:l4) 

ができるという現実に矛盾する。

この非常に項要な政策の宣言を正すために必要なことは,法文中の言葉を

1

ダース余 り変更し,解釈を変えるだけであるとして,ケルソー達は次のような改正案文を提案す る。太字の部分がケルソー達によって挿人または改正された部分であり,他は1946年雇 用法第

2

条をそのまま引用している。

AMENDED DECLARATION OF POLICY 

S e c t i o n  2 .   The Congress hereby d e c l a r e s  t h a t  i t   i s   t h e  c o n t i n u i n g  p o l i c y   and r e s p o n s i b i l i t y  o f  t h e  F e d e r a l  Government t o  u s e  a l l  p r a c t i c a b l e  means  c o n s i s t e n t  w i t h  i t s  n e e d s  and o b l i g a t i o n s  and o t h e r  e s s e n t i a l  c o n s i d e r a t i o n s   o f  n a t i o n a l  p o l i c y ,  w i t h  t h e  a s s i s t a n c e  and c o o p e r a t i o n  o f  i n d u s t r y ,  a g r i c u l ‑ t u r e ,  banking, f i n a n c e ,  l a b o r ,  and S t a t e  and l o c a l  governments, t o  c o o r d i ‑ n a t e  and u t i l i z e  a l l   i t s   p l a n s ,  f u n c t i o n s ,  and r e s o u r c e s  f o r  t h e  purpose o f   c r e a t i n g  and m a i n t a i n i n g ,  i n   a  manner c a l c u l a t e d  t o  f o s t e r  and promote  f r e e  c o m p e t i t i v e  e n t e r p r i s e  and t h e  g e n e r a l  w e l f a r e ,  c o n d i t i o n s  under which  t h e r e   w i l l   be a f f o r d e d   u s e f u l   employment o p p o r t u n i t i e s ,   i n c l u d i n g   s e l f ‑ employment, a s  l a b o r  workers and a s  c a p i t a l  workers, f o r  a l l  consumers  d e s i r i n g  economic autonomy and s e l f ‑ s u f f i c i e n c y ,  and t o  promote maxi‑

mum concurrent employment a s  l a b o r  workers and c a p i t a l  workers, and 

(:~;,)

maximum p r o d u c t i o n  and p u r c h a s i n g  power. 

これを訳すと次のようになろう。ケルソー達が挿人もしくは修正した部分(上記英文 中の太字部分)は下線を引いて示すことにする。

政策修正宣言

2

条 議会は次のように宣言する。自由競争企業と一般的福祉を助成し促 進するのに適した方法において,経済的自立と自活を望むすべての消費者に,

労働作業者としておよび資本作業者としての,自営業も含めた,有益な雇用機 会を供給するような諸条件を創出し維持する

H

的のために,連邦政府のすべて の計画,機能および財源を統合し利用するため,ならびに労働作業者と資本作

9-4~619 (香法'90) 14  ‑‑

(15)

業者との両方を合わせた雇用の最大化を促進し,生産力と購買力の最大化を促 進するために,工業,農業,銀行業,金融業,労働組合および小卜1と地方自治体 の援助と協力を得て,連邦政府の必要と責務およびその他の国家政策の基本理 念と両立するすべての実行可能な手段を利用することは,連邦政府の不変の政 策であり責任である。

作業 (work)と雇用 (employment)という言葉は,合理的に用いられるならば,労 働作業者としてであれ,資本作業者としてであれ,もしくはその両方としてであれ,財 貨とサービスの生産に参加し収人を稼ぐことを意味する言葉である。もし各人が生産に 従事し収人を稼ぐことのできる

2

つの方法があるとすれば,その場合,当然,我々は労 働作業と資本作業の両方を有益で販売可能な財貨とサービスを生産する同じ作業として 認めねばならない。そして我々は労働作業と資本作業の両方を同じ雇用として認めねば

(36) 

ならない。

米国経済を民主化するもう 1つの立法政策は私有財産についてのコモン・ローに見い 出される。それは,疑いもなく,所有者の財産権が他者もしくは他者の財産を侵害する ような方法において所有物を使用する権利を含まない,と主張している。財産権は,ま た,公共の福祉を害するような方法において財産を用いる権利をその所有者に与えるも のでない。これらの積極的な制約は米国憲法とその前触れである独立宣言によって裏付

(:l7) 

けられている。

(4)  終身雇用

生産に従事し収入を稼ぐ

2

つの方法があるという事実は退職後の収入に関して重要な 意味をもつ。米国民が米国の制度を賢明かつ適切に,米国憲法に従って運用するならば,

人々は労働作業の世界から適当な時に引退できるし,いなむしろ引退しなければならな い。しかし人々は資本作業者として生産に参加し収入を稼ぐことから決して引退すべき でない。労働作業はその性質自体からして一生続く状態 (lifelongcondition)ではない しそうであってはならない。資本作業はその発端から一生続くはずのものである。収人 の必要は命が尽きるまで続く。老年者が正当に収入を稼ぐことは,より若い者が正当に 自活し扶養者を養うのと全く同じように,個人と経済の両方にとって重要である。もし 米国民が1930年代以来誤って企ててきた社会主義的経験を止め,私有財産制,自由市場 経済民主主義を回復するならば,その場合,終身雇用はすべての人々の個人的な経済的 目的であるべきであり,また,すべての関係ある制度,つまり,政府,事業および金融

(38) 

は家族および個人がその目的を達成するのを助けるべきである。

④  株式会社の民主化と株主 (1)  株主財産権の機能

~15~ 9 ‑ 4 ‑618 (香法'90)

} ¥  

(16)

米国従業員持株制度の理論と政策 ルイス・オー・ケルソーより (5)  (市川)

現代の会社は,株

t

としての財産権を通じて,牛産の非人間的要素つまり資本の生産 力と各個人とをつなぐための申し分のない手段である。それは,行本をもたない個人が 苫痛なしに未来の貯蓄の所有者になることができるよう,侵しく強制するのに申し分の ない手段である。会社は,個人が資本所打を購人し,購人したそ0)資本の生み出す貨か らその購人村を支払うことを

r 1 J

能にする。したがって,個人が資本所有を購入しても,

彼の現在の収人による現在の梢費水準はそのまま維持できる。要するに,会社は,適切 にJfjいられるならば,現代の最も屯要な

2

つの問題を解くほどんど魔術的な力を行する。

その

2

つの問類とは, (1)どのようにすれば財産のない個人が生産的資本の所有を獲得で きるのか, と(2)経済をどのような構造にすれば全体としての大衆0)財貨とサービスを購

C:l9) 

人する力が生産力の拡大と共に成長するようになるのか,である。

(2)  株

t

財産権の復活

混 合 賓 本

f :

義から民じ資本

t

義への移行を遂行するためには,会社資本における株

t

の財産権を牛き返らせることが必要である。被所有物の生み出したすべての純収入を受 取る所有者,つまり株

t

の権利は私有財産権の核心である。会社資本の生み出したすべ ての貨を株主に分配すべきである。資本賃金の社内留保は労働賃金の社内留保と同じく :ir;rj化されない。富の生産に従事する人々への購買力の流れは,もし労働賃金の社内留 保があったとすればそれによって中断されるのと全く同じように,資本賃金(会社の純

(40) 

収益)の社内留保によって中断される。

生産的窪における財産権の核心はその生産物を受取る権利である。この権利を法的に 是認すれば,成熟した会社の純所得はすべて各決算期閉鎖後ただちに配当としてその株 じに支払われるべきであるということが法律上の要請となるであろう。比較的に新しい 未発達の新会社においては生き残るため資本を再投資する必要があるので,またどのよ うな事業においても運転資本や偶発事に備える必要があるので,それへの手当は認めら れねばならないであろう。

株主が彼の資本の全生産物を受取り,そして,彼自身の積極的な行為によって,その ような収益0)一部を追加的な資本投資として会社に返すか否かを決定しない限り,株主 の発言は有効なものでない。他のいかなる取り決めによっても,会社経営陣はその日々 の行いを株主の前において正当化できない。しかし政治職の保有者がその日々の行いを 選挙民の前において正当化しなければならないのと全く同じように,会社経営陣はその

(41) 

[i々の行いを株主の前においてJE当化しなければならない。

被統治者の同意のない政府は専制政治である。被統治者の利益に対する博愛主義的な または温情

t

義的な配慮は専制政治を変えるものでない。被統治者が成人であり,子供 でないとすれば,彼らは彼ら自身の問題に発言することによって同意を表明するという

9 ‑‑4 ‑‑617 (香法'90) ‑‑16  ‑‑

(17)

自 己 統 治 の 過 程 を 通 じ て 彼 ら 自 身 に 配 慮 す る 権 利 を 有 す る 。 人 に は 所 有 財 産 の 処 分 を 上 回るような問題はない。会社企業の経営陣が正当に株主に属するものを株主の自由な,

現 在 の , 積 極 的 に 表 明 さ れ た 同 意 な し に 処 分 す る こ と は 専 制 政 治 で あ る 。 た と え 博 愛 的 な ま た は 賢 明 な 経 営 陣 が そ の 株 主 の 最 上 の 利 益 を 考 慮 し て 行 為 す る と し て も , そ れ が 専 制政治であることに変わりはない。

政 治 の 領 域 に お い て は , 公 職 に 選 出 さ れ た 者 が 政 府 権 力 を 行 使 す る こ と を 予 期 さ れ て お り , 彼 ら は 選 挙 民 の 干 渉 な し に そ う す る こ と を 許 さ れ る べ き で あ る 。 代 表 制 民 主

t

義 に お い て は , 市 民 は こ の 権 力 を 直 接 に は 行 使 し な い 。 市 民 は こ の 権 力 を 彼 ら が 選 出 し た 者 に ゆ だ ね る 。 し か し 市 民 は 政 治 の 技 術 的 な 仕 事 を 自 ら 遂 行 し な い け れ ど も , 市 民 は 代 表 者 の 選 択 を 通 じ て お よ び 市 民 の 意 思 に よ っ て 職 に つ く 公 務 員 の 政 策 と 行 状 を 承 認 も し

くは否認する憲法上の行為を通じて究極的な政府権力を保持する。

同 様 に , 大 企 業 の 経 営 職 に あ る 者 は , 少 な く と も 理 論 的 に は , 経 営 業 務 に つ い て の そ の 技 術 的 能 力 ゆ え に 選 出 さ れ て き た 。 そ れ ゆ え , 彼 ら は 株

t

か ら の

r

渉 な し に こ の 業 務 の 遂 行 を 予 期 さ れ 許 さ れ る べ き で あ る 。 会 社 経 営 陣 は 会 社 事 業 の 日 々 の 遂 行 に 対 し て の み な ら ず , 会 社 の 長 期 的 な 政 策 や 未 来 の 資 本 需 要 に 関 す る 計 画 に つ い て も 責 任 を 負 わ ね ば な ら な い 。 し か し 会 社 の 究 極 的 支 配 は そ れ を 単 に 経 営 す る 者 に で は な く , そ れ を 所 有

(12) 

する者に存すべきである。

財産権によって株主に属する会社:0)究 極 的 支 配 に は , 株

t

が 会 社 の 取 締 役 の 決 定 に 発 言するだけでは十分でない。株主がその財産に対する究極的支配を行使するためには,

株 主 は そ の 財 産 の 生 み 出 し た す べ て の 富 を 処 分 す る 方 法 に つ い て も 発 言 で き な け れ ば な ら な い 。 正 当 に 株 主 の も の で あ る は ず の そ の よ う な 支 配 を 株

t

に与えることは,経営陣 の 専 門 的 ま た は 技 術 的 領 域 を 侵 害 し な い で あ ろ う 。 そ れ は 経 営 陣 が そ の 主 人 つ ま り 所 有 者 に 責 任 を 負 う よ う に す る だ け で あ り , そ れ は 政 府 役 員 が そ の

t

人つまり市民に責任を 負 う の と 同 じ で あ る 。 そ れ は 憲 法 上 の 政 府 の イ メ ー ジ に お い て 会 社 を 創 造 す る こ と に よ っ て 会 社 を 再 構 成 す る 。 被 統 治 者 の 同 意 に よ っ て 政 府 が 人 民

t

権を有効にし権力のあら ゆ る 独 裁 的 な 奪 取 を 阻 止 す る の と 丁 度 同 じ よ う に , 所 有 者 の 同 意 に よ っ て 経 営 陣 は 会 社

(4:l) 

における私有財産を有効にし財産のあらゆる不当な流用を阻止するであろう。

一 度 , 私 有 財 産 の 法 則 が 株 主 の 財 産 権 に 適 用 さ れ る と , 会 社 問 題 で の 株 主 発 言 の も っ 力 と 有 効 性 が 株 主 の 有 す べ き 支 配 を 株 主 に 与 え る だ ろ う 。 株 主 に 長 期 的 な 計 画 を 説 明 し 納 得 を 得 る 責 任 は 経 営 陣 に あ る 。 会 社 の 問 題 に つ い て 株

t

を教育する什事は資本制社会 で は 不 可 欠 で あ る が , こ れ は 経 営 陣 の 仕 事 に な る だ ろ う 。 株 主 は 会 社 の 活 動 に つ い て 知 りたいとの意欲をもつだろう。会社情報に対する株主の現在の無関心は,株主が会社梢 報 を 細 部 ま で 検 討 し よ う と 全 く 無 視 し よ う と 彼 へ の 経 済 的 効 果 に お い て 同 じ で あ る と 感

‑‑17~ 9 ‑‑4 ‑‑‑616 (香法'90)

"'

(18)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより (5) (市川)

じている限り克服されえない。しかしもし株主の手に会社の経済的な絞り弁 (throttle)

(44) 

が回復されれば,株主の決定が彼の資本の報酬に影響し,株主は関心をもつであろう。

(3)  新資金源としての民主的な金融方法

会社資本の生み出した富をすべて株主に分配するとすれば,企業成長のための新たな 資金源が必要となる。今日,西側世界の株式会社の大部分はその成長のための資金を社 内留保によって得ている。富を集中する最も効果的な仕組みが会社の新たな資本形成資 金を内部から調達するこの方法である。たとえば,米国では,新資本形成のうちの

9 5

パ ーセントが社内から資金を得ている。かくして,所有構造の固定が確保される。社内か ら資金を得ていない 5パーセントのうち,4.5パーセントは債務証券によって資金を調達 しており,これは社内に生じるキャッシュ・フローから返済されねばならない。残る0. 5パーセントが新株発行によるものであるが,その多くは公益事業のものである。公益事 業では成長資金の一部を新株発行によって調達することが管轄当局によって強制されて

(45) 

い る 。

民主的な金融方法が会社の新資本形成に新たな資金源を与える。そのまず第

1

のもの は従業員持株制度であり,これによって会社の従業員は課税前の会社収益から会社の新 発行株を購入できる。第

2

のものは会社の従業員でない者が会社の新発行株を購入し,

(46) 

その購人された会社株式の課税前収益からそのため支払うことを可能にする。

(4)  従業員持株制度と既存株主の権利

従業員持株制度において,新発行株はその時の公正な市場価格で売却されるので,会 社の既存株主持分の経済的な希釈化は生じない。実際にはその逆がむしろ真実である。

というのは,会社が従業員持株制度によって課税後の会社収入よりはむしろ課税前の会 社収入から新資本形成の資金を調達できるので,すべての株主持分の価値が高まる。従 業員持株制度が数年後に{言託から従業員に持株を分配し,従業員が株式の議決権を行使

(47) 

できるようにする限りでは,現在の株主持分の政治的な希釈化が生じる。

もし,民主資本主義の理論が健全であり,すべての所帯および個人がその収入の一部 を資本所有によって生み出すことができるように資本持分の所有者になることが望まし いとすれば,全体としての大衆の経済的参加権付与に対する障害は受入れられない。い わゆる株主の新株引受権が現在の会社実務において認められることはまれであるが,ど のような場合でも,そのような新株引受権は,広範な資本所有と,それゆえ私有財産制

(48) 

経済と両立しない。

⑤  株式会社の民主化と経営者

今日の企業経営者は消費者の消費する経済力の創出には直接的な関心をほとんどもっ ていない。事実,経営陣の基本的な戦略はまさにその逆である。経営能力の判断基準と

9  ‑ 4  ‑615 

(香法

' 9 0 ) 1 8   ‑

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