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歴代大管長の教え

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歴代大管長の教え

ジョセフ・フィールディング・スミス

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ジョセフ・フィールディング・スミス

発行

末日聖徒イエス・キリスト教会 ユタ州ソルトレーク・シティー

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『歴代大管長の教え 』 シリーズの書籍 『歴代大管長の教え ―ジョセフ・スミス』 (アイテム番号 36481 300) 『歴代大管長の教え ―ブリガム・ヤング』 ( 35554 300) 『歴代大管長の教え ―ジョン・テーラー』 ( 35969 300) 『歴代大管長の教え ―ウィルフォード・ウッドラフ』 ( 36315 300) 『歴代大管長の教え ―ロレンゾ・スノー』 ( 36787 300) 『歴代大管長の教え ―ジョセフ・F・スミス』 ( 35744 300) 『歴代大管長の教え ―ヒーバー・J・グラント』 ( 35970 300) 『歴代大管長の教え ―ジョージ・アルバート・スミス』 ( 36786 300) 『歴代大管長の教え ― デビッド・O・マッケイ』 ( 36492 300) 『歴代大管長の教え ―ジョセフ・フィールディング・スミス』 ( 36907 300) 『歴代大管長の教え ―ハロルド・B・リー』 ( 35892 300) 『歴代大管長の教え ―スペンサー・W・キンボール』 ( 36500 300)  これらの書籍を注文するには,地元の配送センターで購入するか,store.lds. org にアクセスしてください(訳注:store.lds.org での日本語版書籍の入手可 能時期は未定)。電子版の書籍は,LDS.org で利用できます。 本書に関するご意見,ご提案をお寄せください。あて先は以下のとおりで す。 Curriculum Development, 50 East North Temple Street, Salt Lake

City, UT 84150-0024 USA.

電子メール: [email protected]

お名前,ご住所,所属ステーク名,ワード名を明記してください。また本書の 題名も忘れずにお書きください。ご意見やご提案には,本書の良い点や改善で きると思われる点についてお書きください。

© 2013 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

印刷:日本 英語版承認:2003年8月

翻訳承認:2003年8月

原題:Teachings of Presidents of the Church: Joseph Fielding Smith Japanese

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序 . . . v 経歴のまとめ . . . .ix ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 . . . 1 1 天の御父 . . . 30 2 わたしたちの救い主イエス・キリスト . . . 43 3 救いの計画 . . . 53 4 家族を強め,守る . . . 65 5 信仰と悔い改め . . . 75 6 聖せい餐さんの大切さ . . . 87 7 ジョセフとハイラム・スミス ― キリストの証人 . . . 95 8 教会と神の王国 . . . 107 9 モルモン書の証人 . . . 117 10 真理の探究 . . . 127 11 ジョセフ・スミスによって回復された神権の鍵かぎを尊ぶ . . . 139 12 神権の誓詞と聖約 . . . 147 13 バプテスマ . . . 157 14 聖霊の賜たま物もの . . . 167 15 永遠の結婚 . . . 177 16 子供たちを光と真理の中で育てる . . . 187 17 結び固めの力と神殿の祝福 . . . 199 18 神の口から出る一つ一つの言ことばで生きる . . . 211 19 世にあって世のものではない . . . 221 20 御父のすべての子供たちに対する愛と関心 . . . 231 21 福音を世に宣言する . . . 241 22 祈り ― 戒めと祝福 . . . 253 23 個人の責任 . . . 263 24 末日聖徒の女性の業 ―「この栄光ある大義に対する無私の献身」 .. . . 273 25 イエス・キリストの降誕 ―「大きな喜びを,あなたがたに伝える」 . . . . 285 26 主の来臨に備える . . . 293 絵画・写真リスト . . . 305 索引 . . . 307

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管長会ならびに十二使徒定員会は,教会員が天の御父にさらに近づけるよ うに,またイエス・キリストの回復された福音への理解を深めるように,『歴代 大管長の教え 』シリーズを作成した。本シリーズに新たな書籍が追加されるに つれ,家庭で活用するための福音の参考図書のコレクションが増えるであろう。 本シリーズの書籍は,個人学習と日曜日のレッスンの両方における使用を目的と して作成されている。また,そのほかのレッスンや話を準備する際,および教会 の教義についての質問に答える際にも役立てることができる。 本書では,1970 年 1 月 23 日から 1972 年 7 月 2 日まで末日聖徒イエス・キ リスト教会の大管長を務めたジョセフ・フィールディング・スミス大管長の教え を採り上げている。 個人学習  ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の教えを研究するとき,よく祈って 御み霊たまの導きを求めるようにする。各章の最後に載っている質問は,スミス大管 長の教えを理解し,生活に応用する助けとなるであろう。これらの教えを研究 しながら,それを家族や友人と分かち合う方法について考えるとよい。そうす ることで,読んだ事柄についての理解が深まるであろう。 本書から教える  本書は家庭と教会で使用するために作成されたものである。大祭司グルー プ,長老定員会,扶助協会で,通常は毎月 2 回の日曜日のレッスンを本書から 教える。ただし,章の数は 12 か月で教えられる数より多いため,ワードおよび ステーク指導者は,地元の会員の必要を最も良く満たす章を選ぶとよい。 本書から教える際に,以下の指針が役立つであろう。 教える準備をする 教える準備をするときに聖霊の導きを求める。該当する章をよく祈って研究 し,スミス大管長の教えを理解できたという確信を持てるようにする。教師自

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序 身がスミス大管長の言葉から影響を受けるとき,よりいっそう心から力強く教え られるようになるであろう(教義と聖約 11:21 参照)。 メルキゼデク神権や扶助協会のレッスンを教える場合,本書を無視したり, 別の資料からレッスンを準備したりするべきではない。該当する章から,自分 が教える人々にとって最も役立つと感じる教えを,よく祈って選ぶ。章によって はクラスの時間内に十分話し合えない量の内容が含まれている。 参加者には,レッスンの前に該当する章を研究しておくように,また本書を 持って来るように勧める。そうするときに,話し合いに参加して互いに教化し合 う準備がさらによくできるであろう。 教える準備をする際には,各章の最後にある「研究とレッスンのための提案」 に特に注意を払う。この項には,質問,関連聖句,教える際のヒントが書かれ ている。質問と関連聖句は,各章の内容と具体的な関連がある。教える際の ヒントは,ほかの人々が福音を学び,福音に従って生活することに喜びを見いだ せるよう教師が働きかける際の指針となる。 レッスンの導入を行う 該当する章についての導入を行うとき,またレッスン全体を通じて,御み霊たまが参 加者の心と思いに触れることのできる雰囲気を作るように努める。レッスンを 始める際に,参加者がその章で採り上げられている教えに注意を向けるように 助ける。以下の方法を検討するとよい。 • 章の冒頭にある「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」の項を読 み,話し合う。 • 章に掲載されている写真や絵,引用されている聖句について話し合う。 • 関連のある賛美歌を歌う。 • テーマに関する個人的な経験を簡潔に述べる。 スミス大管長の教えについての話し合いを進める 本書から教えるときには,自分の考えを述べ,質問をし,互いに教え合うよう に人々に勧める。人は積極的に参加するとき,学び,個人的な啓示を受ける備 えがさらによくできるようになる。すべての教えを網羅しようとせずに,有意義 な話し合いを続けさせる。話し合いを促すために,章の最後にある質問を活用 する。また,レッスンを受ける人々のために特別に教師自身で質問を用意して もよい。 ほかにも以下のような方法が考えられる。 • 参加者に,その章について個人学習で学んだことを発表してもらう。その週 に数人の参加者に連絡を取り,学んだことを発表する準備をしておくように

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依頼するとよいであろう。 • 章の最後にある質問を幾つか選び,それを読むように参加者に割り当てる (個人または小さなグループで行わせる)。質問に関連のある教えを章の中 から探すように言う。その後,自分の考えや理解したことをグループの人た ちに話すように勧める。 • 章の中から選んだスミス大管長の言葉を一緒に読む。参加者に,スミス大 管長が教えていることを示している例を,聖文や自分自身の経験から話して もらう。 • 参加者に,一つの項を選んで黙読するように言う。同じ項を選んだ人同士で 2 ,3 人のグループを作り,学んだことを話し合うように勧める。 分かち合いと応用を促す スミス大管長の教えが最も大きな意味を持つのは,参加者がそれをほかの 人々に分かち合い,また自分の生活に応用するときである。以下の方法を検討 するとよい。 • 家庭や教会で責任を果たす際に,スミス大管長の教えをどのように応用でき るか参加者に尋ねる。例えば,夫や妻,親,息子や娘,ホームティーチャー や訪問教師として大管長の教えをどのように応用できるかについて深く考え, 話し合うよう助けるとよい。 • スミス大管長の教えの幾つかを家族や友人に分かち合うように,参加者に勧 める。 • 学んだことを応用し,その経験について次回のクラスの冒頭で話すように,参 加者に勧める。 話し合いを終える 教師がレッスンを簡単に要約するか,または一人か二人の参加者に要約して もらう。話し合ってきた教えについて証あかしする。また,証を述べるようにほかの 人に勧めてもよい。 本書で引用されている資料に関する情報  本書に収められている教えは,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の 説教,記事,著書,手紙,日記から直接引用したものである。出版物からの引 用文は,読みやすくするために編集上または印刷上必要な変更が加えられてい る場合を除いて,原文で使われている句読点,語のつづり,大文字の使用,段 落分けをそのまま使用している。このため,読者は本文に多少統一を欠く点が

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あることに気づくかもしれない。例えば,“gospel” という語は大文字で始まっ ている場合とそうでない場合とがある。 また,スミス大管長は度々,男性と女性の両方に対して“men”,“man”, “mankind”などの用語を使用している。また男女両方を指す代名詞として頻 繁に“he”,“his”,“him”を使用している。これは当時の言葉遣いにおいて 一般的なことであった。当時の言語慣習と現在の用法には相違があるものの, スミス大管長の教えは女性と男性の両方に当てはまるものである。 序

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経歴のまとめ

下の年表は,本書で紹介されているジョセフ・フィールディング・スミス大 管長の教えの歴史的な背景を簡単に紹介するものである。 1876 年7月 19 日 ユタ州ソルトレーク・シティーで,ジュリナ・ラ ムソン・スミスとジョセフ・F・スミスのもとに 誕生する。 1884 年 7 月 19 日 父親からバプテスマと確認の儀式を受ける。 父親から初めて個人用のモルモン書を受け取 る。 1893 年 4 月 6 日 ソルトレーク神殿の奉献式に出席する。 1896 年 メルキゼデク神権および神殿のエンダウメント を受ける。 1898 年 4 月 26 日 ルーイ・エミリー・シャートリフとソルトレーク 神殿で結婚する。 1899 年 5 月-1901 年 7 月 専任宣教師としてイングランドで伝道する。 1901-1910 年 神権定員会会長,青年男子相互発達協会中央 管理会会員,高等評議員,教会を擁護する資 料を作成する教会中央委員会委員など,教会 で多くの召しを果たす。 1901 年 10 月 教会歴史家事務局で勤務に就く。 1902 年 『マサチューセッツ州トプスフィールドのアサエ ル・スミス,スミス一家の話』(Asael Smith of Topsfield, Massachusetts, with Some Account of the Smith Family)と題する家 族歴史に関する小冊子を出版する。著書 25 冊をはじめ,教会機関誌や定期刊行物に掲載 された多数の記事があるが,その中でこれは 最初の刊行物である。

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経歴のまとめ 1906 年 4 月 8 日 教会歴史 家 補佐として総 大会で支 持され, 1921 年 3 月まで同職に就く。 1908 年 3 月 30 日 ルーイ・シャートリフ・スミスが 3 回目の妊娠 に関連した重病により死去する。 1908 年 11 月 2 日 エセル・ジョージーナ・レイノルズとソルトレー ク神殿で結婚する。 1910 年 4 月 7 日 父親により使徒に聖任される。 1918 年 10 月 当時,教会の大管長であった父親により口述さ れた死者の贖あがないに関する啓示を記録する。こ の記録は現在,教義と聖約第 138 章に収めら れている。 1919 年 1 月 6 日 ソルトレーク神殿会長 会 顧 問に任 命され, 1935 年まで同職に就く。 1921 年 3 月 17 日 教会歴史家に指名され,1970 年まで同職に就 く。 1934 年 ユタ州系図協会会長に指名され,1961 年まで 同職に就く。 1937 年 8 月 26 日 エセル・レイノルズ・スミスが 4 年間の闘病生 活の後,死去する。 1938 年 4 月 12 日 ジェシー・エラ・エバンズとソルトレーク神殿 で結婚する。 1939 年 5 月-11 月 イングランド,スコットランド,オランダ,ベル ギー,フランス,スイス,イタリア,スウェーデ ン,ノルウェー,デンマーク,チェコスロバキア, オーストリア,ドイツを訪問し,ジェシーととも にヨーロッパで特別な割り当てを果たす。第 二次世界大戦が勃ぼっ発ぱつした後,アメリカ人宣教 師全員のヨーロッパからの撤退を指揮する。 1945 年 6 月 8 日 ソルトレーク神殿会長に召され,1949 年まで 同職に就く。 1950 年 10 月 6 日 十二使徒定員会会長代理に任命される。 1951 年 4 月 9 日 十二使徒定員会会長として支持される。

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1955 年 7 月- 8 月 ジェシーとともにアジアで特別な割り当てを果 たす。福音を宣のべ伝えるためにグアム,韓国, 沖縄,フィリピンの地を奉献する。 1958 年 9 月 イギリス・ロンドン神殿の奉献式に出席する。 1960 年 10 月-1961 年 1 月 ジェシーとともに中央アメリカおよび南アメリ カの教会指導者と宣教師を訪問する。 1963 年 5 月 カリフォルニア州オークランド神殿の定礎式を 司式する。 1963 年 9 月 ミズーリ州カンザスシティーの開拓者記念碑, および同州リバティーでリバティーの監獄史跡 を奉献する。 1965 年 10 月 29 日 デビッド・O・マッケイ大管長の指示の下で大 管長会顧問を務めるように召される。 1970 年 1 月 18 日 デビッド・O・マッケイ大管長の死去に伴い, 先任使徒および教会を管理する指導者とな る。 1970 年 1 月 23 日 末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長に任命 される。 1970 年 4 月 6 日 総大会において教会の大管長として支持され る。 1971 年 8 月 3 日 ジェシー・エバンズ・スミスが死去する。 1971 年 8 月 27 日- 29 日 イギリスのマンチェスターで開かれた教会初の 地域大会を管理する。 1972 年 1 月 18 日 ユタ州オグデン神殿で奉献の祈りをささげる。 1972 年 2 月 9 日 ユタ州プロボ神殿の奉献式を管理する。奉献 の祈りを書き,ハロルド・B・リー管長に祈り を割り当てる。 1972 年 7 月 2 日 96 歳の誕生日を迎える 17 日前にユタ州ソルト レーク・シティーで死去。

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ジョセフ・フィールディング・スミスの

生涯と教導の業

ョセフ・フィールディング・スミス大管長は忘れられないすばらしい言葉を 使ったと,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は回想している。それは「誠実で忠 実」という言葉である。スミス大管長は「人々の前で説教するときも,個人的 に人と話をするときも,主に祈りをささげるときも,わたしたちが誠実で忠実で あるように強く訴えました」とヒンクレー大管長は述べている。1トーマス・S・モ ンソン大管長も同じようにこう回想している。「高齢になっても,〔スミス大管 長は〕『わたしたちが最後まで誠実で忠実でいられますように』と常に祈ってい ました。」2 「誠実で忠実」というのは,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長にとっ て,しばしば繰り返された言葉以上のものであった。すべての人に対して大管 長が抱いていた望みを心から表現した言葉だったのである。また,幼年時代 から,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長として奉仕する晩年に至るまで, 彼の生涯を言い表す言葉でもある。 「約束の子」 ジョセフ・フィールディング・スミスは「約束の子として生まれた」と十二使徒 定員会のブルース・R・マッコンキー長老は述べている。スミス大管長の義理 の息子であるマッコンキー長老はこう説明している。ジュリナ・ラムソン・スミ スには「 3 人の娘があったが,息子が一人もいなかった。そこで,母親は主の前 に行き,昔ハンナがしたように『誓いを立て〔た〕』(サムエル上 1:11)。もし主 から男の子を賜るなら,主にとって,また父親にとって誇りとなるように全力を 尽くしてその子を助けると約束したのである。主は彼女の祈りを聞かれた。そ して,彼女も主に対する約束を守った。」3 1876 年 7 月 19 日,ジュリナと夫ジョ セフ・F・スミスのもとに息子が誕生し,父親の名をとって,ジョセフ・フィール ディング・スミス・ジュニアと名付けられた。 ジョセフ・フィールディング・スミスの生まれた一家の人々は,深い信仰と奉 仕の精神にあふれ,優れた指導力を備えていた。祖父のハイラム・スミスは預 言者ジョセフ・スミスの兄であり,福音の回復に対する雄々しい証人であった。

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ジョセフ・フィールディング・スミスの 生涯と教導の業

ジョセフ・フィールディング・スミスの両親, ジョセフ・F・スミス大管長とジュリナ・ラムソン・スミス

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主はハイラムを任命して「〔主の〕教会のために預言者,聖見者,啓示者」とし, ハイラムの名前は「世々とこしえにいつまでも尊敬を込めて覚えられる」と言わ れた(教義と聖約 124:94 ,96)。ハイラムは弟のジョセフとともに,1844 年 6 月 27 日,暴徒の犠牲となって殉教し,自らの証あかしを血で結び固めた(教義と聖 約 135 章参照)。 ジョセフ・フィールディング・スミスの父親ジョセフ・F・スミスは,子供のと きから重い責任を負ってきた。ハイラム・スミスとメアリー・フィールディング・ スミスの長子として生まれ,5 歳のときに父親が殉教し,9 歳のときには未亡 人の母親がイリノイ州ノーブーからソルトレーク盆地へ荷車を駆るのを助けた。 後に,宣教師として,また十二使徒定員会会員として奉仕した。そして,大管長 会顧問を務めていたとき,息子のジョセフが生まれた。その後,1901 年 10 月 17 日から 1918 年 11 月 19 日まで教会の大管長を務めた。 ジョセフ・フィールディング・スミスの母親ジュリナ・ラムソン・スミスは,ソ ルトレーク盆地に入植した初期の開拓者の家族の一員であった。 9 歳のとき からおじのジョージ・A・スミスの家庭で育てられた。おじは当時十二使徒定 員会会員であり,おばはバスシバ・W・スミスであった。(後にスミス長老はブ リガム・ヤング大管長の下で大管長会第一顧問を務め,スミス姉妹は中央扶 助協会会長を務めた。)ジュリナは成人すると,献身的な妻そして母親となり, 扶助協会で熱心に働いた。思いやりが深く,優れた助産師としても知られてい た。「 1,000 人近い赤ん坊」の誕生を助け,出産した母親の世話をした。4 また, 1910 年 10 月から 1921 年 4 月まで中央扶助協会会長会第二顧問を務めた。 少年時代の労働と遊び ジョセフは少年時代に働くことを学んだ。家族は家から約 10 マイル( 16 キ ロ)離れたユタ州テーラーズビルに農場を所有していた。そこできょうだいたち と一緒に畑に水を引き,牧草を刈り取り,家畜の世話をする手伝いをした。家 には広い野菜畑や数本の果樹,3 つの長いブドウ棚があり,多くのニワトリ, 3 頭の乳牛,数頭の馬を飼っていた。ジョセフ・F・スミス大管長は多妻結婚 を行っていたため,養うべき家族も働き手も多かった。ジョセフ・フィールディ ング・スミスは大家族の年長の息子の一人であったため,普通であれば大人に 任されるような責任が与えられた。こうした責任に加えて,常に学校の勉強に 遅れを取らないように努めた。 ジョセフが家や家族の農 場の外で行った最初の仕事は,母親の手伝い であった。しばしば馬車を駆って母親が助産師としての務めを果たすの を助けた。 10 代の後半には,シオン 協同組合商 事( Zion’s Cooperative

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 後にこう回想している。「小麦粉や砂糖,ハムやベーコンの大袋を担いで運び, 一日中馬車馬のように働き,夜になるとへとへとに疲れてしまいました。わたし の体重は 150 ポンド(約 68 キロ)でしたが,200 ポンド(約 91 キロ)もある 大袋を平気で肩に担ぎました。」5 重労働の仕事と釣り合いをとるため,ジョセフは少し遊ぶ時間も見つけた。 夜になるときょうだいと一緒に家の周りで,「特にブドウが熟すころ」ブドウの 木の間に隠れて遊んだ。6 また,野球が大好きだった。各ワードには野球チー ムが編成され,こうした友好的な競技を楽しんだ。 福音の研究と霊的な成長 少年ジョセフ・フィールディング・スミスにとって野球は大切であったが, 時々試合を早々に切り上げた。自分にとってもっと大切な関心事があったから である。そのようなときには「馬小屋の 2 階か,または木陰で読書に没頭し た。」モルモン書を読んだのである。7 後にこう語っている。「覚えているかぎ り,字が読めるようになったときから,聖文を勉強し,主イエス・キリストと預言 者ジョセフ・スミス,人の救いのために成し遂げられてきた業について読む以 上に大きな喜びと深い満足感を与えてくれたものは,世の中にほかには何もあ りません。」8 8 歳になって初めてモルモン書をもらったときに,福音を自分で 勉強する習慣を身に付けるようになり,標準聖典や教会の出版物を熱心に読ん だ。昼休みや ZCMI の仕事場の行き帰りに歩きながら読めるように,ポケット サイズの新約聖書を持ち歩いた。着実に,そして根気強く続け,回復された福 音に対する証あかしをますます強めた。 しかし,ジョセフの霊的な成長は,静かな個人学習にとどまらなかった。教 会の集会やクラスに忠実に参加し,また神権の儀式と祝福を受けた。特に神 殿に心が引かれた。ソルトレーク神殿はジョセフが生まれる 23 年前から建設 が始まっていた。「ジョセフは少年時代を通じて,この壮大な建造物の建設が 日々進行するのを深い関心をもって見ていた。巨大な花か崗こう岩の最後の石が石 切り場から貨車で運び込まれ,……荘厳な尖せん塔とうが建つのを目にした。……〔そ してこう言った。〕『神殿が完成するのを見るまで長く生きられるだろうかと思っ たものでした。』」9 1893 年 4 月 6 日,ジョセフはソルトレーク神殿の 1 回目の奉献式に出席し た。教会の第 4 代大管長であるウィルフォード・ウッドラフ大管長が奉献式を 管理し,奉献の祈りをささげた。壇上でウッドラフ大管長の隣に座っていたの は,第二顧問を務めていたジョセフ・F・スミス管長であった。

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ジョセフ・フィールディング・スミスは 19 歳のとき,祝福師の祝福を受けた。 当時教会の祝福師を務めていたおじのジョン・スミスから受けたこの祝福は, ジョセフの霊的な強さを増し加えた。ジョセフは次のように告げられた。 「高齢になるまで生き長らえ,イスラエルの勇士になるという主の御みこころ心に従う ことがあなたの特権です。 あなたの務めは幹部の兄弟たちとともに協議し,民の中で管理することで す。また,陸路や水路で国内外を旅し,教導の業に携わることもあなたの務め です。あなたに申します。頭を上げ,恐れることなく,また人を偏り見ることな く,主の御み霊たまが導くままに,声を上げてください。そうすれば,主の祝福があな たに注がれるでしょう。主の御霊があなたの思いを導き,言葉と情感を与え, その結果,悪人の知恵を混乱させ,不正な者の勧めを無視することができるで しょう。」10 ジョセフはその年の後半になって 20 歳の誕生日を迎えた後,奉仕と霊的な 成長のための新たな機会を受けた。メルキゼデク神権の長老の職に聖任され, 神殿でエンダウメントを受けたのである。晩年,教会の大管長であったときに ジョセフ・フィールディング・スミス少年は時々,野球の試合を早めに切り上げて, 家の馬小屋の 2 階でモルモン書を読んだ。

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 こう断言している。「聖なる神権を持っていることは何と感謝するべきことで しょう。わたしは生涯にわたり,その神権の召しを尊んで大いなるものとするよ うに努めてきました。現世の最後まで堪え忍び,来世で忠実な聖徒たちと交友 を深めたいと願っています。」11 求婚と結婚 若いジョセフ・フィールディング・スミスは,一家の生計を助け,福音を研究 し,神権の祝福に備えていた。その努力に気づいたのは,ルーイ・シャートリフ という名の若い女性であった。両親はユタ州オグデンに住んでおり,ルーイは ユタ大学に通えるようにスミス一家と一緒に生活するようになった。当時,ユタ 大学はスミス家の通りをはさんだ向かい側にあった。 最初のうち,ジョセフとルーイの関係は普通の友達にすぎなかったが,だんだ んと親しくなっていった。二人ともお金がなかったので,一緒に過ごすのはた いてい,家の居間で一緒に読書やおしゃべりをする,散歩をする,教会の社交 活動に参加するなどの機会に限られた。また,ジョセフはルーイがピアノを弾 くのを聴くのが好きだった。時には,地元の劇場で行われた演奏会へ行った。 ルーイが大学 2 年生の終わりごろには,二人の恋愛は深まり,学校が休みにな ると一度ならず,ジョセフは往復 100 マイル(約 160 キロ)離れたオグデンにい る彼女に会うために,自転車ででこぼこの泥道を走った。12 ついに,ルーイとジョセフは結婚について話し合った。しかし,二人の心に は疑問が残っていた。ジョセフが伝道に召されるのではないかという思いだっ た。当時,伝道に出ることを望む若い男性や女性は,伝道の召しの推薦を受 けるためにビショップと面接することはなかった。伝道の召しの手続きはすべ て,大管長の執務室を通して行われていた。若い男性は伝道の召しを告げる 郵便をいつ受け取るか,まったく分からなかった。 ルーイは 1897 年の春に大学を卒業し,オグデンの両親のもとへ戻った。 1 年後,伝道の召しが来ないようであったため,二人は結婚の計画を進めるこ とにした。後にジョセフはこう語っている。「彼女に住居を変えるように説得し ました。そして,1898 年 4 月 26 日にソルトレーク神殿へ行き,父のジョセフ・ F・スミス管長の司式で永遠の結婚をしました。」13 二人は一緒に生活を始め, スミス家の小さなアパートで暮らした。 伝道の召しにこたえる 教会の初期には,既婚男性が専任宣教師として召されることがよくあった。 そのためジョセフとルーイは,1899 年 3 月 17 日にロレンゾ・スノー大管長が

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署名した伝道の召しを郵便で受け取ったときに驚くことはなかった。しかし, ジョセフは任地については少し驚いたことであろう。召しを受ける前に,ジョセ フは十二使徒定員会会長であったフランクリン・D・リチャーズ会長と伝道の召 しを受ける可能性について話をしていた。後に,ジョセフはこう回想している。 「〔会長は〕わたしにどこへ行きたいかと尋ねました。特に希望はなく,遣わさ れる所へ行くだけですと答えました。すると会長はこう言いました。『行きた い所がきっとあるはずです。』わたしはこう言いました。『そうですね。ドイツ がいいですね。』それで,イギリスへ行くことになったのです。」14 ルーイはジョセフの留守中,自分の両親とともに暮らすことにした。そうすれ ば,夫から離れている寂しさに耐えられると思ったからである。また,父親の店 で働き,ジョセフの伝道費用を稼ごうと考えたのである。15 1899 年 5 月 12 日,伝道地へ出発する前日,スミス長老とそのほかの宣教師 は,ジョセフ・F・スミス管長と,十二使徒定員会のジョージ・ティーズデール長 老とヒーバー・J・グラント長老から指示を受けた。これは専任宣教師として出 発する前に受けた訓練であった。この集会で各宣教師は正式な宣教師証明書 を受け取った。スミス長老の証明書にはこう書かれていた。 「これは下記の事柄を証明するものです。所持者のジョセフ・F・スミス・ ジュニアは,末日聖徒イエス・キリスト教会の誠実な正会員であり,同教会の中 央幹部により,福音を宣のべ伝えるためにイギリスで伝道し,その職に付随する 福音のすべての儀式を執行する任務に正式に任命されました。 また,この人は命と救いに至る扉を開くために神から遣わされた神に仕える人 です。この人の教えと勧告に耳を傾けるように,また旅行中この人が必要とす るものは何でも支援するように,すべての方にお勧めします。 また,永遠の父なる神が,スミス長老,および長老を受け入れて助力を与える すべての方に,この世においても永遠にわたっても天と地の祝福を授けてくだ さるよう祈ります。イエス・キリストの御み名なにより,アーメン。 1899 年 5 月 12 日,ユタ州ソルトレーク・シティーにおいて同教会代表として 署名。大管長会ロレンゾ・スノー,ジョージ・Q・キャノン,ジョセフ・F・スミ ス」16 翌日,家族は家に集まり,ジョセフと,やはりイギリスで伝道するように召され た兄に別れを告げた。しかし,家族の一人が集まりに来なかった。ジョセフの 妹エミリーが,数年前に自分が行ったことについて恥ずかしく思い,姿を見せな かったのである。ジョセフとルーイが交際していたとき,ジョセフは時々,恋人 と二人だけで時間を過ごせるように,エミリーやほかの小さな子供たちを早く 寝かせた。これを不当だと感じて怒ったエミリーは,主が兄を伝道へ送ってく

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 ださるようにとしばしば祈ってきた。それが現実となった今になって,兄の出 発は自分のせいではないかと罪悪感を覚えたのである。17 ジョセフとルーイは,イギリスで伝道する召しは主から受けたものであると 分かっていた。ジョセフは自分の務めを果たすことを熱心に望み,ルーイは夫 が伝道に出ることを喜んでいた。しかし,二人とも,離れて生活することを考え るとつらかった。スミス長老が駅へ向かう時間になると,「ルーイは勇気を振 り絞り,涙を見せないように努めた。しかし,赤い目を隠すことは難しかった。 ジョセフは家を離れると考えただけでもうすでにホームシックになり,だれとも 話したくないという気持ちであった。……ジョセフはファーストノース通りの古 い家の玄関に立ち,愛する者一人一人に別れのキスをしたとき,胸が詰まって 何も言えなかった。お母さん,お父さん,弟や妹たち,おばたち,そして最後に ルーイ。『さようなら,いとしいルーイ。神の祝福があり,ぼくに代わって君を 無事に守ってくださるように。』」18 専任宣教師のジョセフ・フィールディング・スミス長老

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イギリスで福音の種をまく たばこの煙が充満した不快な列車が速度を上げて故郷を後にしたときから, スミス長老は自分の務めを献身的に果たした。長老が書いた日記や往復書簡 には,宣教師として直面した困難とそれを乗り越えるために行使した信仰と献 身が表れている。 イギリスで伝道した最初の日の終わりに,長老は日記にこう書いている。 「今きょう日はわたしの短い人生の中で非常に重要な日であった。主の福音を宣のべ伝 えるために家を離れてからまだ 1 か月足らずだ。…… 今日は戸別訪問をして, 25 冊のパンフレットを渡した。このような仕事は今までしたことがなく,あまり 簡単ではなかった。…… 今日初めて世の人々に自分の証あかしを述べたが,これから はもっとよくできるようになるだろう。主の助けにより,召しに従って何としても 主の御みこころ心を行うつもりだ。」19 生活必需品を買うようにと数ドル送ってきた父親に,こう返事を書いている。 「送ってくれたお金の使い方には十分注意します。もっともな理由がないかぎり 使いません。」また,福音を学び教える決意についても父親に書いている。「自 分がここにいるのは福音を宣べ伝えるためであり,それをよくできるようになる ことを望んでいます。……人生で何か重要なことのために常に役立つように, ここにいる間に自分の知性と才能を磨きたいと思います。……すべてのことに ついて正しくありたいと思います。福音について学ぶこと以上に大きな喜びを 与えてくれるものはありません。わたしの願いは福音に精通し,知恵を得ること です。」20 ジョセフ・F・スミス大管長は,ジョセフ・フィールディング・スミス長老にあ てた手紙の中で次のような称賛の言葉を書いている。「わたしはあなたの態度 を好ましく思い,あなたの誠実さを信頼しています。あなたのことを喜び,満足 しています。聖なる御み霊たまの導きを受け,神を愛するとともに,知恵を身に付け, 思慮深い判断力と忍耐力を養ってほしいと思います。」21 ルーイの父親ルイス・ シャートリフも,スミス長老への信頼を表している。「あなたは立派に務めを 果たし,将来就くことになる高い地位にふさわしい経験をするだろうといつも感 じています。」22 ルーイにあてた手紙の中で,ジョセフはいつも彼女への愛を伝えていた。 「温かい愛情にあふれた手紙」の中に押し花を同封したこともよくあった。23 ま た,自分が直面した困難についても書いた。「この国には,わたしたちが教え る福音が真実だと分かっていても,この世の生活から離れて福音を受け入れる 勇気を持たない人がたくさんいます。」24

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 ルーイは少なくとも週に 1 度,手紙を送った。あるとき,このように書いた。 「忘れないでください。わたしはここにいて,あなたを愛し,あなたのために 祈っています。一瞬たりともあなたを忘れたことはありません。……わたしの 大切な夫であるあなたに祝福があるようにいつも祈っています。」25 ルーイは夫 を深く愛していることをはっきりと述べた。また,主と主の業に対する献身につ いても同様に明言した。ホームシックのために奉仕する決意が弱まらないよう にすることを絶えずジョセフに思い起こさせたのであった。 スミス長老はそのような励ましを必要としていた。なぜなら,回復された福 音のメッセージを受け入れようとする人はめったにいなかったからである。後 年長老は,「状況は非常に悪く,人々はひどく無関心であったため,もう続ける ことができないと考えるほどになっていたと息子のジョセフに語った。ある晩, 眠れずに,家へ帰るためのお金を稼ぐ必要があると考えていた。」26 しかし,愛 する人々からの励ましに鼓舞され,また彼らの祈りと奉仕を望む自分自身の願 いによって強められ,そのような考えを退けた。主から召されたことを知ってお り,また自分が仕える人々と自分の家族のために勤勉に働く必要があることを 知っていた。彼はこう書いている。「名誉ある記録を作って解任されるのでな ければ,家へ帰るよりむしろここに永久にとどまる方を選ぶ。……福音の精神 と同はら胞からに対する愛を抱き,立派に務めを果たして解任されるまでここにとどま ることができるように祈っている。自分の祈りだけでなく,家族がわたしのた めにささげてくれる多くの祈りがなければ,成功することはできないに違いな い。」27 1901 年 6 月 20 日,ジョセフ・フィールディング・スミス長老は,立派に務め を果たして解任された。勤勉に奉仕した 2 年間に,「彼は一人も改宗に導けな かった。一人の改宗者の確認を行ったが,バプテスマを執行する機会は一つも なかった。」28 しかし,長老と同僚は福音の種をまき,多くの人がさらに深い平 安と知恵を見いだすのを助けた。また,福音を学ぶ者,教える者として,また神 権指導者として個人的に成長した。 新しい家庭と新しい責任 1901 年 7 月 9 日,ジョセフはソルトレーク・シティーに到着した。オグデン でルーイの家族と数日を過ごした後,ジョセフとルーイはスミス一家のいる故郷 へ戻り,再び一緒に生活した。二人は信仰と勤勉,奉仕の結婚生活を送り,家 庭と家族を築き,教会で奉仕した。 ジョセフは帰郷してから間もなく,家族を養えるように仕事を探し始めた。そ して,家族の助けにより,ソルトレーク郡事務局で臨時の仕事を得た。約 5 週 間後,教会歴史家事務局に就職した。教会の歴史について学べば学ぶほど,

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教会とその指導者の信用を傷つけようとする人々がいることに気づいた。そこ で,教会を擁護する情報を提供するために不断の努力を続けた。このような奉 仕の努力が実って,その後長年にわたり教会に祝福をもたらすこととなった。 1902 年の春,ルーイは妊娠した。ルーイもジョセフも小さなアパートに住 めることに感謝していたが,自分たちの家を建てることを楽しみにしていた。 ジョセフが安定した仕事に就いたので,その計画を立てることができるように なった。二人は建築業者に頼み,ジョセフが自分で多くの建築作業ができる ように手配してもらった。こうして費用を節約したのである。 1902 年 9 月, ジョセフィンと名付けた長女が生まれ,約 10 か月後,新しい家へ引っ越した。 1906 年,ルーイは困難な妊娠で苦しんだが,もう一人の娘を家族に迎え,ジュ リナと名づけた。 ジョセフは常に主の救いの業に進んで参加し,多くの機 会に恵まれた。 1902 年,七十人第 24 定員会会長として奉仕するよう召され,定員会教師など の務めを果たした。(当時,教会には 100 を超える七十人定員会があり,定員 会の会員は中央幹部ではなかった。)また,青年男子相互発達協会の中央管理 会とソルトレークステークの高等評議会で奉仕するように召された。そして,十 二使徒定員会会員であった兄のハイラムにより大祭司に聖任された。 1906 年 4 月の総大会で,教会歴史家補佐として支持され,翌年の 1 月,「教会の敵によ る非難に対して教会を擁護するための情報の作成」を目的とする特別委員会 で働くよう任命された。29 ルーイ・シャートリフ・スミス

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 ジョセフの父親が教会の大管長を務めていたとき,ジョセフは通信業務や その他の管理業務をよく手伝った。時には教会の責任を果たす父親に同行し た。スミス大管長の代理で訪問をしたこともあった。ジョセフはこう記してい る。「父から依頼されて〔ユタ州〕ブリガム・シティーへ行き,同市の第二ワー ドの集会所を奉献した。会員たちは大管長が奉献の祈りをするよう強く望ん でいたが,父は風邪をこじらせていたため,代理としてわたしを送った。」駅で ジョセフを出迎えたステーク会長とビショップはうれしそうではなかった。30 ス テーク会長はこう言ったそうである。「泣きたい気持ちでした。大管長にお会 いできると期待していたのに,迎えたのは代わりの息子さんでした。」その話に は続きがあり,ジョセフはそれに応じてこう言った。「わたしも泣きたい気持ち でした。」31 教会で多くの務めを果たしていたジョセフは,家を留守にすることがよくあっ た。それでもジョセフとルーイは,一緒に奉仕したり一緒に過ごしたりする時 間を見つけた。 1907 年 11 月 1 日の日記にはこう書かれている。「ルーイと一 緒にソルトレーク神殿で一日の大半を過ごした。人生で最も幸せな日々の一日 であり,二人にとって最も有益な時間であった。」32 試練と祝福 1908 年 3 月,ジョセフはできるだけルーイと一緒に家で過ごすことの必要 性を感じて,教会の責任の多くから離れた。ルーイは 3 度目の妊娠の初期症 状に関連した重い病気を患っていた。祈りや神権の祝福,心配する夫による 世話,医師の入念な手当てにもかかわらず,病状は悪化し続けた。そして,3 月 30 日に亡くなった。 悲しみの中で,ジョセフはこう書いている。「わたしはこの 1 か月間ずっと 不安と心配に明け暮れ,最も深く大きな苦痛に満ちた試練と経験をくぐり抜け た。その間中,主に頼り,強さと慰めを求めた。 2 か月近くにわたる闘病の末, 3 週間から 4 週間の最も激しい苦痛の後,愛する妻は苦しみから解放された。 ……わたしと愛する子供たちのもとを去り,より良い世界へ旅立った。悲しみ の中で忍耐するならば,来世ではこの上なく輝かしい再会が待っている。」妻は 「固い信仰を持ち,福音のすべての原則に忠実な生涯を終えた」とジョセフは 語っている。33 ジョセフは間もなく,母親のいない家庭で二人の幼い娘を育てるという務め を果たすのが困難になった。そこで両親から一緒に住むように勧められた。こ のような助けがあっても,幼い子供たちには愛情ある母親の世話が必要だとい うことが分かった。

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ジョセフは重要な決断をするときにいつでもそうしてきたように,この問題に ついても熱烈に祈った。教会歴史家事務局の事務員エセル・ジョージーナ・レ イノルズが祈りの答えとなった。 1908 年 7 月 6 日,ジョセフは娘たちを公園へ 散歩に連れて行くときに彼女を誘った。この散歩はうまくいき,4 人は皆,一緒 に過ごす時間を楽しんだ。 10 日後,ジョセフとエセルは二人だけのデートを楽 しみ,それから間もなく婚約した。 1908 年 11 月 2 日,エセルとジョセフはソルトレーク神殿で結び固められた。 数年後,エセルにあてた手紙の中で,ジョセフはこう書いている。「わたしが伴はん 侶 りょ を必要としていたときに間違った選択をしなかったことで何度も主に感謝し たことを御存じないでしょう。」34 エセルはジョセフにとって愛情に満ちた伴侶 となっただけでなく,すぐにジョセフィンとジュリナにとって第二の母親となっ た。 十二使徒定員会会員としての奉仕 1910 年 4 月の総大会の直前に,大管長会第一顧問のジョン・R・ワインダー 管長が逝去した。そこで,十二使徒定員会で奉仕してきたジョン・ヘンリー・ スミス長老が大管長会で奉仕するように召された。その結果,十二使徒定員 会に空席が生じた。大管長会と十二使徒定員会はソルトレーク神殿で会合し, エセル・レイノルズ・スミス

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 その空席を埋めるのにふさわしい人はだれかについて話し合った。およそ 1 時 間の協議の後,その件について全員が同じ気持ちになることはなかった。そこ で,ジョセフ・F・スミス大管長は独りで別室に移り,導きを祈り求めた。大管 長は戻って来ると,多少ためらいながら,自分の息子のジョセフ・フィールディ ング・スミス・ジュニアがその職に就くことについて検討する意思があるかど うか,ほかの 13 人の兄弟たちに尋ねた。また,そのような提案をするのをため らった理由について,すでに息子のハイラムが十二使徒定員会の会員であり, 息子のデビッドが管理ビショップリックの顧問を務めていたためであると述べ た。また,教会員たちはさらにもう一人の息子が中央幹部に任命されることを 快く思わないだろうと危き惧ぐした。それにもかかわらず,ジョセフの名前の検討 を提議するように霊感を受けたのである。ほかの兄弟たちはその提議を即座 に受け入れたようで,その件についてスミス大管長を支持した。 「スミス大管長はジョセフを選ぶことを総大会の発表の前に,ジョセフの母 親に明らかに打ち明けていた。ジョセフの妹イーディス・S・パトリックはこう 述べている。『 1910 年に父が神殿での評議会から帰宅したとき,非常に心配 そうにしていたと,母が言ったのを覚えています。何を悩んでいるのかと聞く と,ジョセフが十二使徒会の一員に選ばれたと言い,兄弟たちは全員一致で選 んだけれども,自分の息子を使徒に選んだことで,自分は大管長として厳しい 批判を受けるのではないだろうかと言うのです。母は,人々が何を言おうと心 配しないようにと父に言いました。主がジョセフを選んだことを知っており,そ の召しにふさわしい働きをすると分かっていると言ったのです。』 ……当時の慣習は,選ばれた人に前もって通知することはなく,大会で名前 が読み上げられて支持されるときに自分が任命されたことを知るというもので あった。したがって,1910 年 4 月 6 日にジョセフ・フィールディング・スミスが 大会へ向かったときには,自分が選ばれたことは知らなかった。」タバナクルに 入ろうとしたとき,会場の案内係に聞かれた。「ジョセフ,だれが新しい使徒に なるのでしょうね。」ジョセフはこう答えた。「さあね。でもあなたではないし, わたしでもないでしょうね。」 十二使徒定員会の新しい会員の名前が読み上げられる直前に,ジョセフは自 分の名前かもしれないという御み霊たまの促しを受けた。それでも,自分の名前が 発表されたとき,「あまりの驚きに口も利けなかった」と後に語っている。 その日遅く,帰宅したジョセフは,大会に出席できなかったエセルにその知ら せを伝えた。こう言って話を切り出した。「牛を売らないといけないようだ。も う牛の世話をする時間がない。」35 十二使徒定員会会員としての 60 年間,ジョセフ・フィールディング・スミスは 世の中の多くの変化を目にした。例えば,使徒に召されたとき,おもな交通手

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段として多くの人はまだ馬や馬車を使っていた。定員会での奉仕を終えるころ には,責任を果たすためにジェット機で旅をすることが多かった。 スミス長老は十二使徒定員会会員を務めながら,義務と責任を伴う多くの職 に就いた。使徒として教導の業に携わった最初の 8 年間,父親の秘書として 非公式に務めを果たした。 1918 年 11 月に父親が亡くなるまでこの仕事を続 けた。この役割の中で,父親が死者の贖あがないの示現を口述したときに筆記者を 務めた。この示現は現在,教義と聖約第 138 章に収められている。 スミス長老は次のような職を歴任した。教会歴史家補佐,教会歴史家(約 50 年間),ソルトレーク神殿会長会顧問,ソルトレーク神殿会長,ユタ系図歴 史 協 会 会 長,『ユタ系 図 歴 史 機 関 誌』(Utah Genealogical and Historical

Magazine)の初代編集長兼営業部長,教会教育管理会の教育理事会理事 長。また,教会出版委員会委員長も務め,レッスン手引きやその他の教会出版 物が作成される前に何千ページもの原稿を読むことが求められた。 1950 年 10 月 6 日,十二使徒定員会会長代理に任命された。 1951 年 4 月ま でその職にあり,同月,十二使徒定員会会長に任命された。 1951 年 4 月から 1970 年 1 月まで会長を務め,1970 年 1 月に大管長に就任した。また 1965 年 から 1970 年まで,十二使徒定員会会長の責任を果たし続けながら,大管長会 顧問も務めた。 1921 年の十二使徒定員会。後方いちばん左に立つジョセフ・フィールディング・スミス長老

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 厳しい警告と優しい赦ゆるし 総大会の初めての説教の中で,ジョセフ・フィールディング・スミス長老は, 「教会を管理する権能を持つ人々の行動を批判」しようとする人に率直に語り かけた。そして,次のように厳しく言明したのである。「教会員としての資格を 持つそのような人々に警告したいと思います。悔い改めて主に立ち返るように 申し上げます。さもないと主の裁きが下されます。また信仰を失って,真理の 道からそれることでしょう。」36 教導の業を通して,長老は警告の声を上げ続けた。かつて次のように述べ た。「わたしは自分には次のような使命があると考えてきました。シオンのス テークを巡りながら,主の御み霊たまの導きを受けてそのように感じてきたのです。 すなわち,わたしの使命は人々に向かって今が悔い改めの時であると言うこと です。…… 悔い改めを叫び,主に仕えるよう人々に呼びかけることがわたしの 務めであると思っています。」37 この冷徹で率直な教え方を和らげるかのように,もう一方では人々に優しく 親切であった。あるとき,ボイド・K・パッカー長老はこのような場面に居合わ せた。ジョセフ・フィールディング・スミスが教会伝道委員会の会長を務めて いたときのある会合でのことであった。「二人の宣教師が教会所有の車を運転 中に遭った事故に関する報告書が提出された。ある高齢の野菜販売業者のト ラックが一時停止標識を無視し,宣教師の車が側面をぶつけられて大破した。 トラックの運転手は警察に呼び出された。保険には入っていなかった。幸いに も,宣教師は大したけがをしなかった。 委員会の委員たちがその件について検討している間,スミス長老は黙って 座っていた。委員たちはしばらく話し合った後,宣教師管理部の実務運営ディ レクターに,弁護士を雇い,裁判にかけるよう指示した。 そのときに初めて,スミス会長は,その処置に同意するかと聞かれた。会長 は穏やかに答えた。『ええ,そうすることもできますね。強力に推し進めれば, その気の毒な人からトラックを取り上げることもできるでしょう。でも,そうなっ たら,どうやって生計を立てるのでしょうか。』 『わたしたちは少し恥ずかしくなり,互いに顔を見合わせました 』とパッカー 長老は述べている。『そこで,教会が宣教師用の車をもう1 台購入し,伝道を 続け,この問題にはもう関与しないことにしました。』」38

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「思いやりと愛にあふれた夫であり父親」 スミス長老が使徒に召されたとき,ジョセフィンとジュリナ,そしてエセルの最 初の子供エミリーの 3 人の子供がいた。 7 か月後,もう一人の娘が誕生した。 エセルとジョセフはナオミと命名した。難産であったため,ナオミは生育が困難 で,長く生きられないのではないかと家族は心配した。しかし,後に父親が述 べたように,彼女は「呼吸ができないように思われたが,祈りと癒いやしの祝福の おかげで救われた。」39 その後エセルは,ロイス,アメリア,ジョセフ,ルイス,レ イノルズ,ダグラス,ミルトンの 7 人の子供を産んだ。 スミス長老は使徒の責任を果たすため長期間家を留守にすることが多かっ た。しかし,家にいるときは,家族に心を向けた。妻のエセルは夫をこう描写し ている。「思いやりと愛にあふれた夫であり父親です。人生最大の望みは家族 を幸せにすることであり,そのために努力することに我を忘れて没頭しました。」40 スミス家の子供たちは,ある人々が父親について抱いている印象を聞くと, 笑いをこらえられなかった。とても厳格な人という印象を持たれていたのであ る。「あるとき,……彼が子供を正しくしつけることの重要性についてかなり 厳しい説教を述べた後,ある女性が心配して,彼の二人の幼い娘たちに近づ いて来て,同情心を示してこう言った。『きっとお父さんはあなたたちをぶつの ね。』」この非難の言葉を聞いて,娘たちはくすくす笑った。その女性よりも娘 たちの方が父親のことをずっとよく知っていた。父親が子供を傷つけるような ことは一度もなかった。長い旅から帰って来ると,「子供たちは喜び勇んで駅 へ迎えに行くときから,数日後にまた悲しい別れを告げるときまで,ずっと楽し い時間を過ごした。」ゲーム,パイやアイスクリーム作り,ピクニックを楽しみ,列 車に乗り,近くの渓谷や湖へ行った。世界各地の教会を訪問した話を聞いて楽 しんだ。41 また一緒に働き,家事をこなすのに忙しい日々を送った。42 スミス長老の息子たちはスポーツをしていたので,子供たちの試合をできる だけ見に行った。43 一緒にスポーツを楽しむこともあり,特にハンドボールをし た。子供たちと一緒に楽しんだが,競争心も旺おう盛せいであった。息子のレイノルズ とルイスは,二人がチームを組んで父親と対抗試合をしたときのことを覚えて いる。父親は試合中に自分がどちらの手を使ってよいかを子供たちに選ばせ た。そして,片手を背中に回しながらも,いつも「二人に圧勝した。」44 悲しみと希望 スミス長老が責任のために家を留守することは,エセルと子供たちにとってつ らいことだった。また長老にとっても,数週間も離れていることは苦痛だった。 1924 年 4 月 18 日,長老はあるステーク大会を管理するために列車で旅をして

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業

いた。エセルは当時妊娠 7 か月で,家で子供たちの世話をするのに精一杯だっ た。妻への手紙の中で,長老はこう述べている。「あなたのことを思っている。 これから数週間,いつもあなたのそばにいて,世話をすることができればどんな にいいだろう。」45家のことを思いながら,手紙の最後に自分が作った詩を書い た。その詩の一部は,「旅は長く思えるか」( Does the Journey Seem Long?) という題名が付けられ,教会の多くの賛美歌集(英文)に収められている。 旅は長く思えるか 道は険しいか いばらやとげにふさがれて とがった石で足を切る 苦しい登り道 昼の日差しは暑く 気力を失い,悲しみに暮れ 心は疲れ果てる 労苦を背負い 重荷に耐えかねて 荷を下ろさざるを得ないか 重荷を分かつ人はいないのか くじけずに進もう 旅は始まったばかり 手招きする御方を 喜んで見上げよう 差し出される手を取って 新しい高みへと導かれよう 汚れなく清い地では あらゆる悩みは消え 罪のない生活 涙を流すこともなく 悲しみがない世界 主の手を取ってともに行こう46 1933 年から,スミス家の幸福は時々,スミス長老が 9 年前に詩に書いたよう に「労苦の重荷」により遮られた。エセルは「理解し難い恐ろしい病気」を患 い始めた。「時には深いうつ状態に落ち込むかと思うと,時には精神を制御で きなくなり,消耗した身体をさらに駆り立てた。家族の優しい愛と支え,祈りと 祝福,入院治療さえも役立たないようだった。」47 4 年間の闘病後,1937 年 8 月 26 日にこの世を去った。妻の死について,傷心の夫はこう記している。「これ 以上に良い女性,また誠実な妻そして母親はほかにはいない。」48 深い悲しみ

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に暮れる中で,自分とエセル・レイノルズ・スミスは神聖な結び固めの聖約によ り永遠に結ばれているという知識に慰めを見いだした。 新たな友情から結婚へ エセルが亡くなった後も,スミス家にはまだ 5 人の子供たちが住んでいた。 二人は間もなく家を出ることになっていた。アメリアは婚約し,ルイスは専任宣 教師になる準備をしていた。そこで,16 歳のレイノルズ,13 歳のダグラス,10 歳のミルトンが残ることになる。母親を亡くしたこの息子たちのことを心配した ジョセフ・フィールディング・スミスは,再婚することを考えた。 このようなことを考えていたスミス長老は,間もなくジェシー・エラ・エバン ズに目を留めた。モルモンタバナクル合唱団の著名なソリストであった。スミス 長老はエセルの葬儀で独唱したジェシーに感謝の手紙を送り,それがきっかけ で,電話で会話を交わすようになった。それ以前には互いを知らなかったが, 二人はすぐに良い友達になった。 スミス長老は数日間,ジェシーに求婚することが可能かどうかについて考え, 祈った。そしてついに手紙を書き,二人の友情をさらに深めたいという気持ち をそれとなく伝えた。 4 日後,勇気を出してその手紙を自分で届けることにし た。彼女が郡の記録官として働いている役所へ持って行った。後に日記にこ ピアノの前で,ジョセフ・フィールディング・スミスとジェシー・エバンズ・スミス

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ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業 う書いている。「郡記録官の事務所へ行った。……重要な職である記録官と 面談し,自分が書いた手紙を彼女に渡した。」49 翌週,ステーク大会に出席する ため列車で旅をした後,スミス長老は帰宅して,再びジェシーに会いに行った。 スミス長老はいつものように率直に日記に書いている。「ジェシー・エバン ズ嬢に会い,重要な面談をした。」二人は互いを称賛する気持ちから,長老が ジェシーの母親に会い,ジェシーが長老の子供たちに会う機会を計画した。そ れから 1 か月足らずの 1937 年 11 月 21 日,ジェシーは婚約指輪を受け取った。 1938 年 4 月 12 日,二人はソルトレーク神殿で,第 7 代大管長であるヒーバー・ J・グラント大管長により結び固められた。50 スミス長老が大管長であったときに大管長会の秘書を務めていたフランシ ス・M・ギボンズ長老は,ジョセフ・フィールディング・スミスとジェシー・エバ ンズ・スミスの関係を次のように描写している。「 26 歳の年齢差をはじめ,気 質や背景,教育訓練などの違いにかかわらず,非常に相性のよい二人であっ た。ジェシーは外交的で活力にあふれ,明るく陽気で,脚光を浴びるのが好き であった。それに対して,ジョセフは物静かで内向的,威厳があり超然としてお り,公衆の面前に出ることがあまり心地よさそうではなく,自分に注目を引こうと は決してしなかった。この二人のまったく異なる性格の大きな違いを埋めるもの は,互いへの真心からの愛と敬意であった。」51 この愛と敬意は,ジェシーが結 婚するまで一緒に暮らしていた母親ジャネット・ブキャナン・エバンズにも及ん だ。エバンズ姉妹は娘とともにスミス家へ移り住み,子供たちの世話を助けた。 動乱の世の人々を教え導く 新しいスミス姉妹はスミス長老の子供たちや孫たちからジェシーおばさんと 呼ばれていたが,しばしば夫に同行してステーク大会へ行った。地元の指導者 は集会で歌うようによくスミス姉妹を招いた。また,時には,姉妹が夫を説得し て,二人でデュエットした。 1939 年,ヒーバー・J・グラント大管長はスミス長 老夫妻にヨーロッパのすべての伝道部を視察するように割り当てた。 スミス夫妻がヨーロッパへ到着したときには,まだ第二次世界大戦は始まっ ていなかったが,国々の緊張は高まっていた。 8 月 24 日,二人がドイツに滞 在中,大管長会はドイツにいる宣教師全員を中立国へ移動させるようにスミス 長老に指示した。長老はこの移動の調整をデンマークのコペンハーゲンから 行った。宣教師の移動の間,チェコスロバキアの伝道部会長のウォーレス・ト ロント会長は妻のマーサと子供たちを安全のためにコペンハーゲンへ送ること が必要であると考えた。しかし,残っている 4 人の宣教師が安全に避難するよ う図るために,自分は後に残った。数日が過ぎたが,伝道部会長一行から何の 連絡もなかった。マーサは後にこう回想している。

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「ついに,ドイツを出発するすべての列車,フェリー,船の最終便が出る日が来 ました。ウォーリー〔トロント会長〕と 4 人の若い宣教師がフェリーの最終便に 乗って自国の港へ向かうように祈りました。刻一刻と心配と不安の度合いを増 していくわたしの様子を見て,スミス会長はわたしのところへ来て,優しくわた しの肩に腕を回して言いました。『トロント姉妹,トロント兄弟と宣教師たちが このデンマークの地に到着するまでは,この戦争は始まりません。』夕方近くに なって,電話が鳴りました。……ウォーリーからでした。 5 人ともイギリス公使 館員一行と一緒に,一行のために手配された特別列車でチェコスロバキアを出 て,最後のフェリーに乗ってドイツを出て,今〔 デンマークの〕海岸にいて,コ ペンハーゲンに向かう船を待っているとのことでした。伝道本部の人々と 350 名の宣教師が感じた安あん堵ど感と喜びは,黒雲が去って陽光が差すようなものでし た。」52 スミス長老は,避難してきた非常に多くの宣教師を入国させてくれたデン マークの国民に感謝した。そうした寛大さゆえに,デンマーク人は戦争中に食 料不足で苦しむことはないと,スミス長老は戦争が始まったときに預言した。 数年後,「デンマーク国民は恐らくヨーロッパの他のどの国民よりもうまく戦争 を切り抜けた。デンマークの聖徒たちは,オランダやノルウェーの困窮した聖 徒たちに救援物資を送ることさえできた。会員数は着実に増え,デンマーク伝 道部の什じゅう分ぶんの一の額は 2 倍以上に達した。……デンマークの聖徒たちは,自 分たちの状況はジョセフ・フィールディング・スミス長老の預言がまさに成就し た結果であると考えた。」53 戦争が始まると,スミス長老は,ヨーロッパで奉仕していた 697 名のアメリカ 人宣教師の避難を進めた。宣教師の中には地方部や支部の指導者を務めて いた者がいたため,スミス長老はこれらの指導者の責任を地元の会員へ移行 させた。この任務を果たした後,スミス長老はジェシーと一緒に船で故国へ向 かった。ニューヨークから列車に乗り,7 か月ぶりに家に着いた。 スミス長老は,アメリカ人宣教師たちが無事に故郷へ帰ることができたのを 喜んだが,母国で戦禍に見舞われている罪のない人々について心配した。長老 はこう書いている。「伝道部を閉鎖したときに集会を開いて人々と握手する度 に,胸が痛んだ。皆,温かいあいさつを交わしてくれた。人々の〔友情〕はわた しにとって,恐らく彼らには分からないほど大きな意味を持っていた。中には, 涙を流し,大きな苦難が差し迫っており,もうこの世で再び会うことはできない だろうと言う人もいた。今でも気の毒に思い,この恐ろしいときにあって主が彼 らを守ってくださるように毎日祈っている。」54 スミス長老の息子のルイスは,第二次大戦が始まったときにイギリスにおり, 故国へ帰る宣教師の最後のグループにいた。55 約 2 年半後,ルイスは大西洋 を再び渡った。今度は兵役に就くためである。スミス長老はこう書いている。

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