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救いの計画

ドキュメント内 歴代大管長の教え (ページ 66-78)

「天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立てて くださいました。この計画の目的は,霊の子供たちが進

歩成長して永遠の命を得られるようにすることです。」

ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から

1

901 年 4 月 29 日,ジョセフ・フィールディング・スミスの妹アリスが長く患っ た後,18 歳で亡くなった。ジョセフはちょうどイングランドで専任宣教師の務 めを終えるところだった。アリスが亡くなったという知らせに対するジョセフの 言葉から,家族への愛と救いの計画に対する証あかしが伝わってくる。ジョセフは日 記にこう書いている。「わたしたちは皆,大きな衝撃を受けた。妹が病気だと いうことは知っていたが,それほど重い病気だとは分からなかった。 2 ,3 週 間後には家族にも妹にもまた必ず会えるものと思っていた。しかし,神の御こころ心が 行われることを望む。このようなときにこそ,福音が与えてくれる希望が何より 必要だ。わたしたちは皆,幕のかなたで再会し,一緒にいられる喜びと祝福に あずかる。そこでは家族のきずなはもはや絶たれることはなく,皆が一緒に生 活して祝福を受け,天の御父の深い憐あわれみがどのようなものかを悟る。自分が 常に真理の道を歩み,与えられた名を尊び,親族との再会が自分にとって最も 麗しく,とこしえに続くものとなるように,謙虚に祈るばかりである。」1

使徒として,また後には大管長として,ジョセフ・フィールディング・スミス大 管長は,福音を理解することによって得られる希望について繰り返し証した。

大管長はこのように教えている。「わたしたちには救いの計画があります。わ たしたちは福音をつかさどります。そして福音は世の唯一の希望であり,あら ゆる国々にある不正を正し,地に平和をもたらす唯一の道です。」2

ジョセフ・フィールディング・スミスの教え

1

前世でわたしたちは天の御父の救いの計画を知って喜んだ

わたしたちは皆,天の御父の家族の一員です。この地の基が据えられる 前に天の御父とともに住んでいました。御父の顔を見て,御父の愛を感じ,

第 3 章

御父の教えを聞きました。御父は律法を定め,それに従うことによりわたした ちが進歩成長して,それぞれが永遠の家族を得ることができるようにしてくだ さいました。3

天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立ててくださいました。この 計画の目的は,霊の子供たちが進歩成長して永遠の命を得られるようにするこ とです。永遠の命とは,天の御父が送っておられるような生活を指します。こ の計画により,神の子供たちは神のようになり,神が持っておられる力と知恵と 知識を持てるようになります。4

高価な真珠から次のことが分かります。天で会議が開かれ,主は霊の子供 たちを招集し,一つの計画を提示されました。その計画とは,霊の子供たちが この地上に来て,肉体を得て現世の生活を通して試しの生涯を送り,その後,

御父の独り子イエス・キリストの贖しょくざいを通してもたらされる復活を通じてより 高い昇栄に進むという計画です〔モーセ 4:1- 2;アブラハム 3:22 - 28 参 照〕。死すべき生涯を送り,地上の人生の浮き沈みを乗り越え,現世における喜 びだけでなく苦痛や苦悩,悲しみ,誘惑,苦難を通して経験を得た後に,もし忠 実であれば,復活して神の王国で永遠の命を得,神に似た者となるのです〔 1 ヨハネ 3:2 参照〕。この考えを聞いて,霊の子供たちは喜びに満たされ,「喜 び呼ばわった」のです〔 ヨブ 38:4 - 7 参照〕。この死すべき生涯で得られる 経験と知識は,決してほかの方法では得られないものでした。また,肉体を得 ることは昇栄に不可欠なことでした。5

2

アダムとエバの堕落は天の御父の計画の一部であった

救いの計画は,現在イエス・キリストの福音として知られている律法の大系 であり,世の基が据えられる前に天で採択されたものです。そこでは,わたした ちの父祖アダムがこの地上へ来て全人類の頭かしらとなるよう任命されました。アダ ムが禁断の実を食べて堕落し,その結果として苦痛と死を世にもたらし,最終 的にはアダムの子孫のためになるようにとの計らいも,この偉大な計画の一部 だったのです。6

堕落は人が死すべき生涯で試しに遭うために不可欠でした。……もしアダム とエバが木の実を食べなかったとしたら,死すべき生涯という大いなる賜たまものを 得ることはなかったはずです。さらに,子孫を持つこともなく,主から与えられ た大いなる戒めが守られることもなかったでしょう。7

アダムの堕落は,死すべき生涯でのあらゆる浮き沈み,すなわち苦痛や悲し み,死をもたらしました。しかし,同時に祝福をもたらしたという事実を見逃し

てはなりません。…… 知識と理解力,また死すべき生涯という祝福をもたらし たのです。8

3

イエス・キリストはわたしたちを堕落と個人の罪から救うために 犠牲として御自身をささげられた

アダムの背きは霊の死と肉体の死という二つの死をもたらしました。すなわ ち,人は神の前から追放され,また死すべき状態となって肉体に伴うあらゆる 病気にかかる身になりました。人が再び元の所に戻るためには,破られた律法 が償われなければなりませんでした。正義がそれを要求したのです。9

過ちを犯した人がその代価を払うのはごく当然の正しいことです。これが罪 を償うということです。したがって,アダムが律法に背いたとき,正義の要求と して,ほかのだれでもなくアダム本人が罪に対する責任を取り,自分の命をもっ てその代価を払う必要がありました。しかし,アダムは律法を破ることによっ て,自分自身がのろいの下に置かれ,自分が行ったことを償うこと,または取り 消すことはできませんでした。それはアダムの子孫もできませんでした。子孫 もまたそののろいの下にあったからです。原罪を償うためには,のろいを受け ていない人が償う必要がありました。さらに,わたしたちは皆,のろいの下にあ るので,自分自身の罪を償う力もありませんでした。そこで,アダムの背きだけ

アダムとエバの堕落は,「苦痛や悲しみ,死をもたらしました。

しかし……同時に祝福をもたらし〔ました〕。」

第 3 章

でなくわたしたちの罪をも贖あがなうために,御父は罪のない独り子をお送りになる 必要がありました。この贖いを行うことは正義が要求するものでした。こうし て,主は罪を贖うために犠牲として御自身をささげられたのです。十字架上の 死によって,アダムの背きとわたしたち個人の罪の両方を身に負い,悔い改めを 条件としてわたしたちをアダムの堕落と個人の罪から贖ってくださったのです。10 イエス・キリストの使命を教えることはわたしたちの務めです。主はなぜ来 られたのでしょうか。主はわたしたちのために何をされたのでしょうか。わた したちはどのような恵みを受けているのでしょうか。それを行うために主はど のような犠牲を払われたのでしょうか。主が命を,実際には命以上のものを犠 牲にされたのは,なぜでしょうか。主は十字架にはりつけにされたほかに何を されたでしょうか。なぜ十字架にはりつけにされたのでしょうか。それは血を 流すことによって,神の前から追放されるというこの最も恐ろしい罰からわたし たちを贖うためでした。主が十字架上で亡くなられたのは,わたしたちを再び 元に戻してわたしたちの肉体と霊を再結合させるためでした。そのような特権 をわたしたちに与えてくださったのです。もしわたしたちが主を信じ,主の戒め を守りさえすれば,自分の罪の赦ゆるしを受けられ,罪の代価を払うように求めら れることはありません。主がわたしたちのために亡くなられたからです。主が 代価を払ってくださったのです。……

……主がわたしたちのために行ってくださったことは,ほかのだれもできな いことでした。主は亡くなる必要はなく,拒むこともおできになりました。しか し,主は自ら進んでなさったのです。そうなさったのは,御父から命じられたか らです。どのような苦しみを味わうかを御存じでした。それにもかかわらず,わ たしたちを愛しておられたので,進んで行ってくださったのです。……

手足に釘くぎを打ち込まれることは,救い主の苦しみのごく一端にすぎませんで した。主の大きな苦しみは釘で十字架につけられ,はりつけにされたことだ と,わたしたちは思いがちではないでしょうか。世界史の中でもあの時代には,

何千もの人がそのような苦しい刑を受けました。ですから,はりつけに関する かぎり,主の苦しみは同じ十字架の刑を受けたほかの人々の苦しみ以上のもの ではありませんでした。では,主の大きな苦しみとは,どういうものだったので しょうか。主の大きな苦しみは十字架に向かう前に受けられたものです。この 事実をこの教会の会員一人一人の心に印象づけることができたらどんなによい でしょう。聖文にあるように,主の体のあらゆる毛穴から血が滴り落ちたのは ゲツセマネの園でのことでした。そして,主は苦しみもだえ,御父に叫ばれまし た。手足に打ち込まれた釘による痛みからではありません。それがどのように して行われたのかわたしに聞かないでください。わたしには分からないからで す。だれにも分かりません。ただ分かるのは,主が何らかの方法であのきわめ

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