日
本
悌
殺
事
協
命
日
年
報
第十一年
日
日
不
昭
本
十
一
一
仰
ー
一
年
教
度
事
協
合
年
報
第
十
一
年
聖 徳 皇 太 子 隼 影 土佐守藤原朝臣光字 康 隆 寺 所 蔵 謹拝察
日本悌教事協舎年報第十一年目次
観無量害経の二牢教に就いて:−
J
J
・ −
; :
: :
:
ji
− − :
・ 森
日
蓮
上
人
の
敬
皐
と
密
教
石
宋代浄土教に闘する一考察
ji
− − : ・
ji
− −
j
i
− −
j
i
− − − 高
戒
賢
建
、
﹁
悌
地
経
論
﹂
の
研
究
ji
− − ・ :
j
i
− −
j
i
− −
: :
: :
・ 両
慈質大師の員の誕生地に就て::
j
i
− − ・ ;
j
i
−
−
−
ji
− − − 田
員
律
と
主の
系
統
上
般若経に現れたる悌身観−
j
i
− −
j
i
− −
j
i
− − : ・
j
i
f
− − 那
道元蹄師の行列的思想の研究:
ji
− − : :
・
j
i
− −
: :
: :
: ・
神
英l
I E E , , 海雄
義
堅
尾 a z、
忠 一 I−
t メ 島 隆 純回
天
瑞
須 政 隆 保 如 天 純 〆e、、一
) 血 (一
一
一
一
) ︵ 一 ニ ︹ ︶ ︶ 雄 ︵ 四 一 一 一 ︶ ︵ 九 一 ニ ︶ ︵ 一 一 入 ︶ ︵ 一 四 四 ︶ ︵ 一 七 一 ︶陀
羅
尼
に
就
しEて
本
田 義 英現下特に強調すべき悌教思想︵討議曾速記録︶
i
t
− − −葉
報
昭 不日 十 年 度 曾 計 報告
日 本 悌 殺 事 協 曾 曾則
日本悌敬事協曾曾員名簿・. . . . . . .
目 今 ぇ 終︵ ニ の
五 ︶
(一
一
一
一
一
)︵ 一 一 五
回 ︶
( ヨ尺 ) ( フミτ =主 、、戸,︵ ニ 大 豆
︶
観
無
、
量
毒
経
の
一
等
教
に
就
い
て
森
英
半
世
浮七二一部粧の随一たる﹃観無量寄経﹄に封して、此れを二骨格款であると解糟せられたのは唐の善導である。然 して著導は此の観無量脊経冶特に﹁観経﹄と稽せられて居る。故に以下の記述に於いては観粧の稽を以てする。 0 0 0 閉経玄義分巻第一の巻頭に於ける十四行偶に﹁十方恒沙仰六通誼知我今来二章教庚開津土門﹂とあるのが 二章教の明文である。其の意を述べられに文としては、同玄義分の L 序題門に 婆 婆 化 主 因 其 請 故 郎 農 開 浮 土 之 要 門 、 安 楽 能 人 顕 彰 別 意 之 弘 願 、 ︵ 中 略 ︶ 仰 惟 稗 迦 此 方 護 遣 、 高 潮 陀 印 彼 闘 来 迎 、 彼喚此遺茸容不去也 とあり、叉同定善義には、艇の第七観の﹁説是語時無量寄悌佐立定中乃至不得矯比﹂の文沿稗して 婆婆化主矯物故住想西方、安楽慈章知情故則影臨東域、斯乃二章許膳無異 といひ、叉同散善義の三心稗の二河警を合法して 仰蒙蒋迦護遣指向両方、叉藷噸陀悲心招喚、 A 1 信順二隼之意、不顧水火二河念々無蓮莱彼願力之遁、捨命己後 得生彼園、奥悌相見慶喜何極也 I と も 言 は れ て 居 る 。 制僻無量害総のニ掌教に就いて日本係数拳協舎年報︵第十一年︶ 2 善 導 の 観 経 疏 に よ っ て 開 眼 し て 、 偏依善導一師を標接して浮土宗そ聞かれた法然房源空上人は﹃無量書経緯﹂に 其 の 大 意 ぞ 述 ぶ る と し て 、 ヂ 、 ヲ 4 一 玉 フ コ L ア リ ス ル ガ ヂ ヲ 〆 ヲ ン ト 蒋 迦 世 掌 捨 ニ 無 勝 浮 土 日 而 出 = 此 横 土 − 鴛 v欲 下 説 ニ 博 士 教 − 勤 斗 誘 衆 生 ﹁ 令 一 世 得 v生 ニ 浮 士 道 湖 陀 如 来 捨 ニ 此 機 土 − 而 出 ニ 彼 二 チ ザ ス ル u n y ノ ヲ ン ト 実 ル 守 ヲ エ レ チ ノ h γ ヲ h y 玉 フ − 津 土 日 矯 v欲 下 引 斗 導 楊 土 衆 生 司 令 h v 得 v生 ニ 浮 土 ﹁ 是 則 諸 悌 揺 司 取 津 土 − 出 司 興 磁 土 一 本 意 也 、 善 導 和 尚 一 五 煙 迦 斯 方 護 遣 噸 陀 彼 園 来 抽 出 彼 喚 此 遣 等 一 五 々 此 乃 此 経 大 意 也 ︵ 鰐 主 臥 一 拍 ︶ と言はれて居る。此の文によって、法然上人は無量需経印大粧の上にも亦二章教の意ありとせられたと見る人も 民 ソ 玉 7 あ る が 、 ﹁ 是 則 諸 傍 撞 4 4取 浮 土 一 出 斗 興 横 土 日 本 意 也 ﹂ と 結 ば れ て 居 る 動 か ら 見 て 、 此れは極めて一般的な叙述であっ て 、 教 義 的 に 深 く 立 入 っ て 、 一経の内容から二章教ぞ主張せられたとは見られない様である。法然上人には此の 外﹃元久法語﹄等の法語類に、醐押迦護遣婿陀来迎の意そ蓮べられたものは有るが、直接観経に就いて二傘教の意 義を定義せられた様な文は見出され令、従容として迫らぎる韓に用ひられて居るのである。彼の﹃一枚起請文﹄ の ﹁ 二 掌 の あ は れ み に は づ れ 本 願 に も れ 候 べ し 一 式 勾 ﹂ の 文 の 如 き も 亦 其 れ で あ る 。 法然門下に於て著導の観経疏が盛んに研究せられるに及んで、二章救の意義も亦教義的に考察論義せられるに 至った。就中西山波組善悪房誼空は、善導が削間経径二隼款であると解醐押せられに貼に深い閥心を持ち、これを以 て 諸 経 に 異 る 観 経 の 特 殊 性 冶 指 帯 す る 一 標 語 と 見 た の で あ る 。 今 制 慨 無 量 寄 経 の 二 骨 仏 教 に 就 い て 考 察 、 匂 試 み よ う と するのは、主として此の西山汲姐詮空並に其の門流に於ける二家教の教義的取扱に就いての護展沿跡づけて見よ
うとの意同に出づるものである。 岡山汲の二律款の⋮戎右見るに砂川って、北れと見解冶具にする諸沿も併せ見る必要がある。故に人 1 同じ法然門下 の鑓阿波組聖光の謡、並に異京厚者の此れに封する見解そ一瞥する Q 韻 一 内 汲 組 由 一 一 光 の ⋮ 戒 は 、 其 弟 子 良 忠 の ﹃ 停 泊 一 記 ﹄ に 組 述 す る と こ ろ に よ っ て 知 ら れ る 。 印 ち 浮 土 宗 全 書 二 、 一 頁 ︵ 寸 志 財
M
2
m
︶ に フ ト ノ エ ノ パ ス エ ノ 二 ノ ス パ ノ 二 f ノ 、 γ ム ル ニ 二 愈 教 者 先 師 云 稗 迦 如 来 設 ニ 靖 陀 事 − 能 所 合 論 故 一 予 一 二 傘 歌 刊 是 政 教 J T H 唯 嵐 − 一 躍 一 迦 二 段 化 儀 所 v標 教 言 偏 被 ユ 教 主 故 也 。 と述べて居る。此れによれば二傘教とはいふもの\教の言はky
教主仁る緯迦にのみ被らしむべきであるが、 精迦か他の偽記る漏陀の事や設かれにのであるから、立︵の詑設の人と所設の人と在合せて二食の橋治立てにまで Y あ る 。 従 っ て 二 骨 子 款 と は 二 家 一 一 款 で あ る 。 向 は っ き つ め て 一 一 白 へ ば 稗 迦 一 堂 款 で あ る と 見 ら れ て 居 る の で あ る 。 斯くの如き考方から見れば二隼教と言ふのは唯翻粧に限つに事ではない。故に吠下に ! ? リ レ テ 叉 二 命 救 一 一 首 可 v通 二 大 小 阿 噸 陀 経 一 海 東 阿 南 湖 陀 経 大 意 蒋 云 今 此 経 者 斯 乃 嗣 輩 出 位 大 京 間 輩 入 道 之 要 門 巳 上 此 以 エ 小 経 一 名 三 一 章 敬 4 3 と浮土三部粧が共に二章款と稿苧らるべ会事也管例謹し、更に 叉 二 章 教 言 非 ニ 但 三 粧 日 凡 諸 経 中 耕 迦 如 来 設 ニ 他 備 事 一 亦 名 ︼ 一 二 章 敬 一 薬 師 経 靖 逼 疏 云 此 解 二 章 教 也 己 上 観無量薄経のニ掌教に就いて日 本 偽 敬 且 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 四 4 と藤一迦が他悌の事そ設かれに経は綿て二章款と稽せられる例誼ぞ出して居る。斯くの如き見方は要するに朗経そ 別議の経典と見守、諸経通迭の経典の一部であるといふ考より出づるものと忠はれるのである。 向 ほ 俸 遁 記 の 共 下 の 文 に は 、 ト チ ノ − T リ ヂ ノ 二 ク ヲ ヌ ハ 有 一 五 二 章 二 敦 也 言 ニ 要 門 司 者 印 樺 迦 救 言 ニ 弘 願 一 者 削 減 陀 我 此 乃 法 戒 比 丘 於 = 龍 王 悌 所 − 読 ニ 四 十 八 願 − 知 輔 陀 救 印 弘 願 也 と官時の二章二款を主張する人の説ぞ出して、 デ ノ ヲ グ ル ノ ︸ 蓋 以 ユ 弘 願 行 一 名 ニ 嬬 陀 我 一 也 と 評 し て 居 る 。 此 れ は 何 人 の − 説 。 ゼ 出 し た も の で あ る か 明 か で 無 い が 、 若し西山流深草義そ指しにものとすれば甚 、 六 世 そ 得 な い 記 述 と 倫 一 員 は ね ば な ら ぬ 。 其 れ は ド に 深 草 一 戒 を 述 べ る 所 に 於 い て 白 か ら 明 か に 知 ら れ る で あ ら う o 共に民宗に於いては宗祖親驚に者導の観椛疏に就いての註樺令官といふべきものが無い。従って﹁数行信控﹄其 他の著週中に遁べられにものに就いて其義ぞ推定するの外は無い。故に後世の且宗事者の間に於いても推定の義 が多様に分れるのは無理も無い事である。今は本汲本願寺に胤する泰油院義殺の﹁制経問帖疏講録﹄と大谷汲に 局する香月院深働の﹁朗経玄一我分講義﹄によって其一斑や覗ふことよ 9 る 。 先 づ 義 教 の 設 や 見 る と 、 親 驚 の 立 に 依 れ ば 二 章 二 款 の 一 哉 と 二 章 一 一 款 の 義 と が あ る 。 又 一 章 一 款 と も 一 一 一 日 は る べ き 一 夜 も 有 る と 述 べ て 居 る 。 印 私 ノ 比 の ご 傘 二 一 政 の 義 と い ふ の は ﹃ 翻 訳 空 会 主 投 芭 在 一 ︵ 一 帯 陛 諸 問 廿 44 一 ︶ に 一 一 円 ふ 所 が 其 れ で あ る 。 北 九 の 要 d d 取 っ て す 一 ロ へ ば 、 十 四 行 の 備 に ﹁ 本 誓 願 ﹂ と い ふ の は 弘 願 念 悌 沿 指 す 。 日 記 れ は 陪 彰 の 宗 印
も 蒲 陀 教 で あ る 。 是 れ を 序 題 門 に は ﹁ 安 柴 能 人 顕 彰 別 立 弘 願 ﹂ と 一 一 J H は れ て 居 る 。 叉 備 に ﹁ 要 門 ﹂ と い ふ の は 定 散 の 法 ぞ 指 し た も の で 、 是 れ は 同 開 設 の 宗 印 ち 稗 迦 教 で あ る 。 H 記 れ そ 序 題 門 に は ﹁ ・ 婆 婆 化 十 七 炭 開 津 上 要 門 定 印 息 慮 凝 心 、 散印康悪修善﹂と言はれて居る。これによって見る時稗迦禰陀二軍に就いて各一款を示すが知念も、 軍 に 各 二 教 の 有 る こ と そ 示 す 。 何 と な れ ば 噸 陀 は 本 来 品 宜 と 方 便 一 と の 一 一 願 φ守護されて居る。異質の願とは第十八 願で是れが弘願殺である。方便の願とは第十九の願で是れが要門款である。伎に備に﹁強陀本誓願﹂といひ﹁極 其 賞 は 脚 本 之 要 門 ﹂ と い ふ 二 教 は 供 に 嫡 陀 の 所 旬 、 と い は な け れ ば な ら ぬ 。 叉 今 日 の 稗 迦 は 此 の 噸 陀 の 一 4 教を俸説し給ふに のである。印ち此の観経の上に彼の莫賓の願に由って隠に弘願軟骨不し、彼の方便の願に由って顕に要門教ぞ示 されにのである。斯く見来る時、理迦も亦二攻守一不すと言はねばならぬ。偶に﹁稗迦悌末法之遺跡﹂と言はれた の は 、 二 教 倶 に 耀 迦 の 蓮 法 大 る こ と や 示 す も の で あ る 。 親 驚 が ﹃ 敢 行 信 謹 ﹄ の 化 身 土 容 に ﹁ 今 操 ニ 大 経 − 超 斗 護 , 託 費 方 便 之 願 ﹁ 亦 割 経 顕 斗 彰 方 便 異 質 敬 一 ﹂ と 一 一 一 日 は れ に の は 、 二 隼 倶 に 二 教 ぞ 領 す る と 見 ら れ た 交 誼 で あ る と 。 此 の 義 款 の 設 に よ れ ば 二 章 二 款 と は 言 ふ も の 斗 二 章 が 各 二 設 や 示 す と い へ ば 寧 ろ 二 軍 同 教 と い ふ 方 が 安 品 目 聞 で は な か ら う か 。 且つ叉此れ沿観経一経の上に就いて見るならば、稗迦一傘の俸設の上に隠頴の二救がある。して見れば一章二教 とも言はるべきであらう。其れぞ故らに二傘二款といふのは﹃俸遁記﹄の所謂能所合論の義によって二金の稽を 立 て る と 言 ふ べ き か 。 共に二隼一敬の義は、同議録︵一号豆諸問杭頁︶に、機の樺賢に約してこそ法主女門教、弘願教と二款に分けるの であるが、直ちに法韓に就いて此れや論令るならば、定散は本是れ念悌艦内の善法である。故に弘願念仰の一教 に闘する。故に二章一教と言ふべきであると、観経の文、誘導の疏の文、親驚の行文類の交等 d q 列 曲 学 し て 一 一 章 一 5 観無量葬艇のニ館教に就いて 五
日本悌敬挙協舎年報︵第十一年︶ 占 J
、
,
6 款の義の誼明として居る。此慮に於て其の二章一款の一戒を、鎮西の﹃俸活記﹄の其れに封比して見る時、俸通記 が稗迦の言説に謝して款の名訟奥へ居るに異り、此れは絶封不二唯一の法離に就いて弘願一教の一義そ立てミ居る 事が知られるであらう。 一語教は更に究下に親驚の﹁敢行信謹﹄行巻じ薬厳経の﹁一切諸仰身唯是一一法身、一心、一智恵、力無長亦然﹂ の文そ引用せる意、並に﹃漏陀和讃﹂の﹁久遠賀成阿婿陀悌、五濁の凡愚をあはれみて、蒋迦牟尼悌としめしてぞ、 迦 耶 城 に は 膝 現 す る ﹂ の 文 ぞ 出 し て 、 親 驚 に は 一 章 一 款 と 謂 は る べ 品 川 、 読 も 存 す る と 述 、 べ て 居 る 。 但 し 此 れ は 観 経 に限って述べて居るのではないといふ事に注意する必要がある。 共 に 深 一 闘 の 二 隼 教 に 就 い て の 説 を 見 る o 彼 は 其 の ﹃ 玄 一 事 主 的 ⋮ 我 ﹄ ︵ 開 山 中 心γ
一 一 灯 悦 八 ︶ に 、 先 づ ﹁ 今 家 ノ 心 ハ 庚 略 ノ 丈類ヲ始メ一敬二教ノ名ナケレパ吾姐ノ所々ノ閉経ノ扱ヒヤウヲモテ相解ス何ヲ以テ末皐異解スルヤ﹂と、此 の問題は観粧の上に於いてのみ論ぜらるべきものなる事冶指摘して、・米阜の中に或は大観二絞に通じて二章款の 山訴を論じ、或は鑓凶の義に同十る者のある事そ難じて、﹁此ノ終始メニ約スレパ二章二教、終ニ約ス V パ二章一致 ナリしと断じて居る。然して二律二款の義沿解して、此の削椛には隠顕の二⋮識がある。此れに封して二軍二教が 別 れ る の で あ る 。 則 ち 回 酬 の 誌 は 牒 迦 救 印 ち 定 散 一 安 門 の 救 で 、 定 散 在 以 て 化 士 の 往 主 ぞ 詐 す 蒋 迦 釜 円 巧 の 設 で あ る 。 隠の義は、浦陀別立の弘願で、此粧の裏には弘願念仰に因って異土に往生することを顕す教がある。これが禰陀 教である。此れに就いて者導の制経疏の上でご傘款の名沿ボされにのは伺の文であるが、其の二傘殺とは漏陀別 立の弘願と蒋迦の定散要門とであるといふ事を明かにせられたのは序越円である。然して其の二教相分れる義は宗旨門に﹁今此観経印以観悌三昧嬬宗、亦以念仰コ一昧矯宗﹂と一経に雨宗そ立てられた慮で明かである。観経一 経に隠顕酬の二教があればこそ二宗が立てられるので、若し一教ならば雨宗の立つべき道理が無い。これを大経と 比 較 し て 見 れ ば 、 大 経 に は 漏 陀 の 廷 ・ 買 力 使 の 一 一 願 沿 説 か れ で あ る が 、 其 れ は 隠 顕 の 二 教 で は な い 。 L に Y 弘願且貰 k q 顕 す 教 で あ る 。 郎 ち 一 敬 一 宗 で あ る 。 制 経 に は 方 便 と 昆 賓 と の 一 一 教 が 隠 瀬 の 一 五 判 φ倍 以 て 設 か れ で あ る 。 ↑ 即 ち 去 には定散要門の稗迦教が頴はされ、その裏には弘願昆賢の漏陀教が隠されてゐる。斯くの如く此の観経は諸経に 異り表裏に要弘の分れる敢なるが故に、能設の耀迦教の外に所一部の噸陀救弘願がある。印ち二傘二教と判示べき で あ る と 親 驚 の ﹃ 救 行 信 詮 ﹄ の 文 、 ﹃ 愚 禿 紗 ﹄ の 文 等 冶 引 い て 其 の 一 議 そ 論 誼 し て 居 る 。 共 に ﹁ 終 − 一 約 ス レ パ 一 一 牢 一 致 ナ リ ﹂ と い ふ 義 に 就 い て は ﹁ モ シ 不 二 絶 針 門 ヲ モ チ テ 論 ゼ パ 結 蹄 ス ル 所 夕 、 千 弘 願 ノ一敬ナリ、要門ハ方便ナリ、方便ハ異質ニ入シメン矯ノ故−一旦賢ヲ開問ス方便ハ無クナルナリ。未ダ虞賓ヲ穎 サザル前ニコソ方便数アリ o 異 賓 ヲ 開 テ 後 チ ハ 方 便 ハ 鹿 拾 ス 、 此 ト キ ハ 一 一 章 一 致 テ リ 。 流 通 分 ノ 設 相 日 記 ナ リ ﹂ と 云ふて、此の粧の正宗分に於いては前蓮の如く異賓と方便の二教があるが、其の流通分に至つては、既に方便に よって示されに唯一絶封の弘願,昆置のご款のみが勤められる事を、善導の疏文、親驚の白稗の交に照して其の義 ぞ成立してゐる。深働が斯くの如く観粧の特異性に着眼して二章款の問題治取扱つにのは嘗然の事であるが、俸 遁記や義教の講録の設に封して見る時、一段と問題の核心に踊れて居ること沿思はしめる。 7 法然房源空の嫡弟として師の偏依善導一師の教に基いて、釜口導の観経疏の徹底的研究によって其の教義治構成 せられた西山汲組著書房謹寮は、善導の観経疏の示す慮によって、観経は他の諸経とは全く其の格調ぞ異にし、 蔵無量幕植の二隼教に就いて 七
日本悌数築協舎年報︵第十一年︶ i¥. 8 他の諸経が稗迦一章教であるのに封し、此の観経は一経中に稗迦漏陀二章の教ぞ揺め、高潮陀他力本願の箕賓ぞ未 来世の凡夫といはるミ吾人に瞳認貰謹せしめる聖典であると信奉したのである。 謹塞の観経並に善導の観経疏研究講錯乃至信仰記録とも栴すべきものに、事相部と教相部との二大別がある。 事相部にも醤厩蔓陀羅の槍相に托して善導の観経疏によって得大教義信仰そ語つに﹃嘗麻蔓陀羅註記﹄十巻と、 観粧疏の交相に就いて事相的解躍を試みに﹃観経秘決集﹄二十巻がある。この事相部の解耀は教相部の其れと頗 る格調の異るもので、教相部と同日に論じがたいから今は此れを摘いて教相部に就いて見る。教相部に於いても 其の主要なるものに﹃観門義﹄と﹃他筆紗﹄とがある。 A ーは先づ﹃他筆紗﹄によって其の二傘教設を見ること斗 す る 。 謹・空は観経を以て諸経と格調の異る経典としたとすれば其れを如何なる賠に認めにか冶概観して問題に入るが 順序であらう。﹃玄義分他護芭上ノ初丁︵一諸蛤語、︶に諸経と闘で一に十異を教へて居る o 凡 そ A 1 粧は諸艇に異也。所謂諸艇は議日々以て瑳起序と錦し今経は悪ぞ以て輩起序と錦す。諸経は同開衆を以て 謹信序と矯し今経は如是我聞や以て澄信序と錯す。ず経は詮信設起二序在京て今粧は詮信化前護起の二一序ぞ立 つ 。 明 柏 経 は 序 一 止 流 通 の コ 一 段 一 各 別 也 。 今 経 は 序 正 一 同 也 od 浦艇は正宗に得盆冶事け今経は正宗の外に得盆冷泉ぐ。 制的経は散善そ聞と名づけ十今粧は定散脅く観と名づく。新艇は阿難仰の在附に流通せ令今経は十代前に流通す。 諸経は在枇の常機を正機と錯し今艇は未来の凡夫そ正機と質す。諸椛は定散の上に稽名を立て令今粧は定散の 上に弘願の一行を立つ。諸経は在批滅後各別也 ο 人 1経は在欧滅後一同也。同異一に非ホ和向の解緯に委しぎ沿 譲 る 。
以上十異冶皐けに第九に﹁︿ 1 経は定散の上に弘願の一行そ立つ﹂といふに慮に一椛の中に定散と弘願との雨者 が並び存すること冶指摘しにのであるが、同舎の共下︵紅市左︶に﹁一艇に稗迦嬬陀の一説ぞ料簡することは諸師 通 迭 の 義 に は 非 示 、 是 れ 者 導 和 備 の み 今 艇 の 自 を 得 給 ふ 故 也 ﹂ と い っ て 、 観 椛 を 二 伶 県 教 と 畑 押 し た の は 者 導 の 卓 見 で あ る と し て 居 る が 其 の 丈 一 一 一 日 の 上 に 二 傘 教 と は 二 傘 二 救 で あ る と せ ら れ て 居 る 事 が 明 か で あ る o 叉 同 書 ︵ 一 品 一 一 ︶ に 定散二善治極柴の要門と錯す是れは稗迦数也。念悌一行を以て別意の弘願と矯す是れは禰陀教也。然るに A 1 経 は 此 の 二 傘 殺 を 一 説 く が 故 に 今 経 冶 二 章 教 と い ふ 也 。 と 言 へ る 言 葉 に よ れ ば 二 章 二 款 と 判 ぜ ら れ た 事 は 一 暦 明 か で あ る 。 然 ら ば 此 の 稗 迦 敬 介 一 一 一 一 日 は れ る 定 散 二 善 B F一 端 陀 款と言はれる念悌一行との闘係は如何といふに、其れは能設所詮の閥係に立つものであるといふ。其の説明は同 じく同書上七丁左五行
l
八 丁 左 四 行 ︵ 回 一 仙 川 尋 問 一 一 九 一 4 4 ト 史 的 ︶ に 述 べ ら れ て 居 る o 今 日 其 の 意 沿 取 っ て 蓮 べ る こ と 注 す る 。 定 散 二 善 が 能 詮 と な っ て 弘 願 念 仰 や ︸ 詮 す る こ と は 椛 の 序 分 に 於 け る 欣 浮 頴 行 示 観 の 一 一 品 仰 の 施 設 に 於 い て 知 ら れ ねばならぬ。先づ稗迦は牟提希の﹁我が矯めに麗く募情無き慮を説き給へ﹂の請に封して悌頂の光墓に十方諸仰 の浮土ぞ現じて掌提希をして選び取らしめられたのであるが、此の十方諸仰の浮土の中から特に西方の極脚本世界 を選び取るに就いて穎と密とのご意がある。其の顕の意からは、十方浄土の中に於いて西方楯脚本.が濁 h H 勝れて居 るが故に其れを取るといふのであるが、密の立からは、極楽は四十八願成就の土なるが故凡夫と雄も其の土に往 生する分があると謂ふて選び取るのである。従って此れ沿濯び取ったに就いて﹁我我思惟敬我正受﹂と別去行の 請冷したについても亦期間密の二意が無けねばならぬ。間酬の商からは諸備の浮土の中に於いても特に勝れにる津土 9 制僻無量薄経の二館教に就いて 7L日 本 悌 数 挙 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶
。
10 に往生を願ふからには、其の土に往生する矯めの行としては定散二善の中に於いても、勝れたる定善の行を修す ることによって往生が出来るであらうといふ心から﹁教我思惟救我正受﹂と定善の行や請しにと見るべきである。 此れに封して密に四十八願成就の土であるから凡夫も往生が出来ると見て極柴を濯び取った立場からは、此の四 十八願成就の土を顕はさんが矯めに、理迦が此れそ一説き出される護起となる意味に於いて定善ぞ請するのであ る 。 其 れ 故 に 、 稗 迦 は 其 の 請 に 針 し て 、 我 が 意 也 管 得 に h りと微笑し給ふのである。然るに直ちに其の請に答へ令し て﹁亦令未来世一切凡夫﹂と未来世の凡夫毎呼びかけて散議口三幅ぞ悌自ら詑き出されにのは、四十八願成就の阿 噸陀悌の極柴惟界には、定善の者も散善の者も等しく往生する謂れがある。其れは他力往生の土なの古からであ る。故に此の散善の白開によって定善のみ濁り牛一歩るに非守散善も同じく生十るといふ道理ぞ顕し給ふのであ る。然るに顕の画に於いては定散共に等しく往生し得るとまではわかっても未花其の何故かといふ遁理が顕れな ぃ 。 大 ゾ 修 同 感 果 の 道 珂 冷 許 す ば か の で あ る 。 井 、 の 後 に 定 善 一 不 観 縁 に 到 っ て ﹁ 如 来 A 1 者錦未来世一切衆生震傾惜 賊之所害者説清浮業﹂と説品川、給ふ事は、別願所成の土には凡夫に非すんば生令べからざる故に、牟提希が欣浮縁 に 於 い て 密 に 見 七 所 の 四 十 八 願 所 成 の 土 は 凡 夫 の 矯 め で あ る と 一 説 品 川 、 給 ふ の で あ る 。 何 故 に 故 ら に 牟 提 希 に 向 っ て 未来批の凡夫といふ事ぞ取立て二吊はれるのかといへば、悌在世の牟提希の位に於いて四十八願所成の謂れや説 き給ふ時は、其れが諸経所説の伏に同じて、定散の上の弘願の一行といふものぞ堀 μすことが出来ない。故に幸提 希に軒しでも﹁汝是凡夫﹂と説いに上に欣浮縁の綴盆 φイ 間 関 し て ﹁ は 働 力 故 見 彼 岡 土 ﹂ と 鎖 解 せ し め る の で あ る 。 是 く の 如 く 心 得 て 見 れ ば 、 4早提希か請しに定普と仰が白開し給ふた散善が無ければ痛の四十八願は願れない。掌提 希が定益口冶請したるに封して稗迦が反って散善や自問し給ふのは、諸経所説の定散の修同感果の遁理や打破して定散の卜一に弘願の一行があるといふことを顕さんが矯めである。止、れ伎に掌提希の定善の請に封して仰は之れぞ 微 笑 し 給 ひ 、 善 導 は 此 れ ぞ 珊 押 し て ﹁ 仰 の 本 心 に 稽 ひ 浦 陀 の 願 立 与 期 間 す ﹂ と 岬 科 さ れ た の で あ る 。 斯 く の 如 く 立 得 て 見 る と 、 欣津縁に於いて牟提希が請した定義口と顕行織に於いて仰が自問し給ふた散善、この定散二善が無ければ 密盆の四十八願は掘はれない。此の謂れぞ未来の凡夫の矯めに説、ぎ期間す正宗分十六割円であるからして定散が十 六 割 門 に 展 開 し て 一 説 か れ る の で あ る 。 故 に 此 の 十 六 制 の 一 一 の 闘 の 上 に ﹁ 四 十 八 願 協 受 衆 − 即 日 ﹂ の 謂 れ が 顕 れ る の である。此の謂れ冶以て定散在能詮といひ弘願念悌与所持といふのである。 以 上 ﹃ 玄 義 分 他 筆 紗 ﹄ の 立 を 取 っ て 漣 ベ し に の で あ る が 、 此 の 能 設 所 詮 の 一 斑 明 か ら 見 る と 先 に 暴 け た 一 一 律 二 教 の 意味が不明瞭になって来大様である。其れに就いては次下に叉別な問答を設けて其の義が問ノされて居る。印ち 難云、今師定散の上の弘願を立て給ふ則んぱ定散は樺迦の直弘願は−嫡陀の設と見えにの。所調序題門には﹁婆 婆化主国其請故郎康開浮土之要門、安柴能人間関彰別立之弘願一不々﹂然るや今何ぞ耀迦の設に依て四十八願の密 盆冶顕すと云ふ耶 答 云 、 韓 章 一 一 の 説 護 ら や ん ば 嬬 陀 の 本 願 顕 る 、 べ か ら 令 。 何 て 首 題 に は 品 開 設 観 無 量 寄 経 と 一 五 ふ 。 其 の 無 且 一 需 を ば 稗 名 門 に は 南 無 阿 嬬 陀 仰 と 咽 押 し 給 ふ 。 耀 迦 の 詑 よ bりして噸陀の本願そ顕すといふ事疑ひ有るべからす。但し 弘 願 は 蒲 陀 敦 夫 一 一 去 へ ば 、 諸 経 に 替 て ん 1 粧 は 正 し く 二 一 章 窓 中 に 現 じ て 掘 削 れ 給 ふ 所 の 本 願 な る が 故 に 禰 陀 教 と い ふ 也。諸経には稗迦一仰の言一誌にて漏陀は正しく顕れ給は歩。的て西方沿勤むと雄も只随機の設に同じ、念悌守 護すと雄も還て定散を出で令。今定散二日習を失此法財と下して此の上に清津業冶設かんと一ぷひ給ふ。此の枕に て念備も定散の上に期間る込と臨も稗傘の読の位ぞ出です。第七割に苦情を除く法そ設かんと云ひて、此の言ば 11 観無量葬粧の二館教に就いて
日本係数皐協合年報︵第十一年︶ 12 に醸じて三掌現じ給ふ。此れ印ち別立の弘願ぞ回献す意也。此伎にて弘願は父稗迦の言説に非 A T と 意 得 べ し o 此 の 一 段 の 問 答 に よ っ て 嬬 陀 の 本 願 、 所 謂 る 弘 願 念 仰 の 一 行 は 、 稗 迦 の 定 散 の 諸 に よ っ て 同 期 れ る の で は あ る が 、 其の語に先在するものであり、別在するものである。然も其れは蒋迦の語に躍じて其の瞳巻現かる。 此盛に雨者 は別にして然も離れざる能詮所詮の関係にあるものなる事が知られるであらう。 詮空は前述の如く﹃他筆紗﹂に於いて二骨子二款を立て込居るのであるが叉同書の中には二愈一敬設と見られる 文 も あ る 。 郎 ち ﹁ 玄 義 分 他 筆 紗 ﹄ ︵ 比 一 二 世 吋 桂 一
m m
︶ に 於 け る 一 段 に ﹂ 嫡 陀 本 誓 願 控 訴 之 安 門 等 云 事 、 走 れ は 観 一 維 と は 印 ち 鶏 陀 の 本 誓 願 に て 稗 傘 所 一 況 の 定 散 二 門 な り と 云 ふ 事 身 頴 す ﹂ と い ひ 、 叉 ﹁ 此 二 何 は 一 不 問 開 悟 の 瞳 十 六 割 法 は 邸 ち二章救也といふ事ぞ顕す﹂といふが如きが其れで足れは能詮ぞ離れて所詮なしといふ立を明しにものである。 突に﹃観門義﹄の説を見る。観門義に於いても二章殺そ柁詮所詮の闘係と見る事に於いて仙筆紗と異る所は無 ぃ。然して此の中には二章二救二章一殺といふ文言は無いが其意は父共に見る事が出来る。其の二教説と見るべ き は ﹁ 玄 武 我 分 割 門 義 ﹄ ︵ ト よ 忠 一 五 一 一 ︶ 一 コU
訣︶の支が其れである o 瀬 陀 本 誓 傾 倒 山 梨 之 要 一 門 と は 此 の 二 何 は 出 離 の 正 門 に 過 へ る こ と を 搬 す 。 此 の 中 に 初 の 何 は 所 設 の 法 冷 顕 す 。 市 大 の 句 は 能 詮 の 教 岳 山 開 は す 。 所詮は印ち噸陀の本願、正しき弘願の酷也。意大椛冶指す。 一 代 に 顕 す 所 の 出 世 の 本懐是由。能詮は蒋迦の要門、強陀の功徳 h q 搬 す 。 議は一代に成く説くと離も支は正しく観粧の要門に在 hり 。 序 越 の 中 に ﹁ 婆 婆 化 主 因 企 八 請 故 剖 康 開 洋 十 . 之 M K 門、安楽能人顕彰別立之弘願﹂とは印ち此の意也。 其 の 二 軍 一 教 の 立 ム ー 一 見 る べ き は 究 下 に 定散ぞ観門として弘願ぞ顕せば観門に依って成令る所の行者の心身三心といふ。此のコ一心に依て弘願に師すれぱ定散二善的鰹ゴ一心に納りて悉く成示。日ぶれ右指して弘願に蹄すといふ也。然れば定散の躍は印ち弘願也、弘 願 と は 間 十 八 願 也 。 此の弘願成令る障は阿端陀仰也。然れば定散の聞く所の観門は二 一 一 心 は 弘 願 に 蹄 し 、 弘 願 は 阿 繍 陀 仰 に 蹄 す 。 此の睦成じぬれば市無阿鋪陀仰の名立つ也。かく心得つれば二−心に定散の誌協 せ ら る 。 放 に 能 婦 の 二 一 心 の 一 次 な 得 つ れ ば 定 散 の 諸 の 功 徳 勝 劣 無 く 等 く 禰 陀 の 功 徳 ぞ 説 品 川 、 問 問 す 也 o 井 一 一 品 は れ て 居 る の が 其 れ で あ る 。 こ れ は 能 設 は 所 設 に 院 す る と い ふ 説 明 で あ る 。 以 上 の 如 品 川 、 雨 様 の 説 明 は 削 門 一 戒 の 令 部 に 一 旦 っ て 各 所 じ 見 ら れ る と こ み で あ る が 、 要 す る に 酎 純 一 経 は 裸 迦 噸 陀 一一命の款にして副門弘願は械設所設として常に離れ令、或は能詮在所誌に倒め、或は所設必能諸井一聞く時二章 款 と 見 ら る べ く 、 能 設 所 設 な 別 一 読 す れ ば 二 傘 二 教 と 見 ら れ る 。 ﹃ 玄 ⋮ 我 分 一 制 門 店 我 ﹄ 二 ︵ 一 位 計 ︶ に ﹁ 日 開 門 に 依 れ ば 法 は 前倒は後也。副門の法より弘願に配して成仰すべき故也。弘臓に依れば備は前法は後也。 弘願より嗣門聞けて凡 夫皮る故也。観門弘願具足すれば前後無し、前無く後無くして前後沿論 J V 一 広 々 ﹂ と い ふ 説 明 。 管 見 れ ば 詮 本 一 の 二 軍 教に就いての所見は二敬一款は固執して論令、、へまで無く、護法来迎の二役常に許臆して凡夫守皮し給ふ観経なり と 領 す れ ば 其 の 何 れ な 語 る も 失 一 唯 一 し と い ふ の で あ ら う 。 究 に 世 に ﹃ 開 門 一 斑 草 案 ﹄ と い は れ 或 は 日 記 れ 詮 主 の 弟 千 萱 信 房 の ﹃ 積 率 紗 ﹄ 賊 と 一 一 誌 は れ る 坂 本 両 教 寺 所 戒 の 説 経 疏の末韓中より二隼款に就いての記述を一二抜抄して参考にせよう。 然れば定散二善文ことなりと雛も意は一同じく念悌三昧の一法を明せり。故に叉定散文中唯標専念名競得生と珊押 せり。然らば定散二者は一粧の本意として教ふる所の行に非示。此の定釜口散善の行冶能詮の丈として此の上に別 に教の本立にる漏陀弘願所詮の念悌三昧ありと心得らるゐ也。是れ凡夫出離の正行也。円疋等の道理治以てあき 13 相慨無量毒経の二鯵款に就いて
日 本 偽 教 問 牢 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 四 14 観の了宇は十六割にわたりて定散二善ぞかねて能詮の文となれば、一々の観の下に所詮の弘願の韓 を存せめ。能詮は蒋迦の救所詮は蒲陀の殺なればこれを二章の敦夫一いふ o ︵ 一 一 一 回 サ 功 ド ト 灯 位 七 ︶ 蹄依合掌躍とは︵肘︶此の一何は観門の中に必令弘願あること雪山はへたり o 知るへし o 究に世寧我一心己下の十 ら む れ ば 、 二行は時三貨の相を顕す。是れは弘願を本とすと雄も叉観門冷離れて宣主争無し。故に備の中にこの心や粂ね て 瀬 せ り o ︵ 聞 に 一 一 江 山 十 ︶ 今乗二章教等とは、二章敦夫一云ふは上の禰陀本誓願同楽之要門の文を指す。舗陀本誓願とは漏陀の敬、念悌三 昧 也 。 一 向 柴 之 要 門 と は 樟 迦 の 教 、 観 悌 三 昧 也 、 故 に 下 の 丈 に 云 、 婆 婆 化 主 因 抗 、 詰 故 印 成 開 、 浄 土 之 要 門 、 人 顕 彰 別 意 之 弘 願 文 ︵ 調 批 医 師 灯 一 間 ︶ 然婆婆化主以下は、此の一段に要門弘願の二一法を開きたで λ 此の二命救凡夫出離の詮要たりとのぶることは定 安柴能 菩 示 観 的 法 、 諸経一一仰の設にながくことにして濁此凡夫の同離にゾこの他力往生 の 謂 れ な り と 説 く 本 品 目 山 沿 得 定 め に ま へ る 故 也 。 ︵ 叫 ⋮ 一 併 問 八 ︶ 無量寄観と題するは弘願を而として其の下に間仰冶存せり。此れ則ちんーの一不観の睦は漏陀の願力稽議我名の願 散 善 . 嬬 行 の 上 に あ ら は れ て 、 成より護ると掘す也。間無量需と越するは間仰冶而として其中に弘願在期す出。此れ則ち願睦難忠なれ h と も 稗 骨 子 国 持 方 便 の 功 無 く ば 瀬 る べ か ら 示 。 大 悲 に よ っ て 今 の 観 成 、 ? と 顕 す 也 ︵ 程 ︺ 一 口 1 出 ︶ 以 上 の 諸 交 に よ っ て 、 本 書 も 亦 ﹁ 観 門 技 ﹄ や ﹁ 他 宅 紗 ﹄ と 同 じ く 、 此 の 制 経 は 搾 迦 救 に る 制 門 は 能 詮 と な り 、 目 前 陀 軟にる弘願は其の所設として一級の中に常に相離れや去裏して教盆そ施す二命救であると見て居ることが知られ る。然して其の二敬一教に就いては故らに論じ立て込居ないのである。
究 に 誼 昼 の 弟 子 深 草 義 の 組 立 信 の 義 丸 信 見 る o ﹃ 玄 義 分 深 草 抄 ﹄ ︵ 研 一 日 嶋 一 時 伸 一 山 口 的 ︶ に ﹁ 事 云 、 二 章 殺 者 二 章 一 敬 賊 二章二教欺。或一一議云、二章一敦也、所謂念悌も制備も禰陀救ぞ受けて稗迦の教と説くが故に二章各別に二軍には 針 す べ か ら ぎ る 也 。 A U 義云、二章二教と分別して而も互に遁令る−訴を存すべし。故に下の序題の要門を耀迦救と し弘願を嫡陀教と定めたり o ﹂と述べて居る。これによると立抗の義は、﹁二章二教と分別して然も互に遁令る﹂ といふのが正義である。更に彼れは序一也門の下に於いて此の義ぞ詳説して居るから其の意冶取って言へば︵謹一紅 側 一 日 山 信 ︶ 序 題 門 に 於 け る ﹁ 警 官 化 主 因 其 請 故 − 即 成 開 浮 土 之 要 門 安 楽 能 人 翠 特 別 意 之 弘 樹 ﹂ の 交 を ﹁ 婆 婆 の 化 主 は 浄 土の要門を聞いて安楽の能人の弘願冶顕す Lar −諌んで二章一敬也と主張する一義があるが、此くの如きは文章を 知らない者の設である。若し丈の如く讃むならば安楽の能人は能期間で別意の弘願は所顕である。叉婆婆の化主は 能開で浮土の要門は所開である。故に A 1 の稗は二章二教の誠説である。障て戎下の丈﹁其要門者印此間経定散二 門 ﹂ と 云 ひ っ 一 百 弘 願 者 如 大 経 説 ﹂ さ 一 吊 っ て 二 教 の 所 依 も 各 別 と 見 ら れ る の で あ る 。 と 言 っ て 二 章 二 款 の 一 誌 を 主 張 し て居る。此慮に大粧を以て弘願の所依としたに就いては疑問無きぞ得ない。二章教は観経の上に於いて論ぜられ る事古からである。叉大粧の弘願と雌も稗迦の言一読によって崩酬はされるのであるから蒲陀そ能額といふのは雷ら ないと言はねばならぬ。此れに勤しては共の如く合稗されて居る。弘願の扶瞳は大経である。此鹿に﹁顕﹂と云ふ の は A 1 粧の中に漏陀自ら大経弘願の意ぞ頴彰し給ふのである。故に蒋迦は要門ぞ聞き蒲陀は弘願や顕すと云って 15 然も要門は此粧の定散二門、弘願とは大経に説くが如しさ一一日ふのは、此の経に顧す弘願は大経に説くが如しとい ふのであると。此慮に於いて然らば今粧の中に何庖に嫡陀自らが弘願ぞ顧すかゾ示されねばならぬ。此れに就い 観無量毒経のニ隼款に就いて 五
日 本 偽 教 思 平 協 命 百 年 報 ︿ 第 十 一 年 ︶ ー ム ノ 、 日ては欣浮縁に於ける光台現土と、第七観に於ける佐立空中の悌韓とが拳けられて居る。共に蒋迦嬬陀一一掌左大観 二経に配するに就いて耕じて云ふ。今二骨子二教といふのは報化﹄一身に雨三昧の宗を主とする時に各教主ぞ分別す る義である。日記くの如く教相冷地問守れば稗迦随他の教は本より随自の意密冶顕さんが矯めであるから且身観の観 側 三 昧 の 文 中 に も 念 悌 衆 生 田 陣 取 不 捨 と 説 品 川 、 、 善 導 の 稗 交 に も 、 定散文中唯標専念と判
C
て 居 る 。 叉 繍 陀 一 随 自 の 款に本ょの一随他の教門在起す謂れがあるから第十七願の諸悌の教に観悌の要門冶含んで居る。然しながら稗迦の 念悌そ説く時には蒲陀の意ぞ出掛し、漏陀の要門を越す願には諸仰の教と立てられて居る。故に二傘は互に通今 るが二章を主とする事は乱しではならない。と言ふのである。此くの如く二章二教冶判然と立て分ける立信の 義には説室に於いて見る様な二殺を能詮所詮ル一扱ふ義が形をかへて二教の撞盆も各別に論ぜられる。印ち同書 ︵ 十 川 一 川 一 日 ハ ︶ に ﹁ 嫡 陀 本 誓 願 は 漏 陀 救 也 、 叫 控 訴 之 要 門 は 稗 迦 敦 也 。 定 散 等 一 姐 向 は 要 門 の 盛 − 也 。 速 読 斜 地 抗 生 身 は 弘 願 の 盆 也 ﹂ と い ふ が 如 品 川 、 其 れ で あ る 。 立信の弟子回樹立は﹃梢定記﹄に於いて此の義を組遁し、二敬三重の扱を以て二傘二教の誌を強調して二傘一教 諭ぞ破して居るが、既ι
立 信 の 読 の 卜 L にも凡られるが如く叉紹封に二章一款の義ぞ許さないと云ふのではない。 ﹁問。若爾らば今の意終に一教の意有ること沿許さざる耶 o 答。此れ亦爾らや。二章二教は此粧の教相也 o ︵ 桝 ︶ 叉 今 椛 中 二 苧 伊 ︸ 立 っ と 蹴 も 稗 迦 要 門 の 第 二 重 の 義 に 亦 二 愈 一 教 の 一 議 有 る が 故 に 。 ︵ 桝 ︶ 叉 下 の 遺 喚 一 致 之 科 其 義 そ 標するが故に。此の一或沿許すと雄も他と同じから歩。之れぞ思ひて詳にす可し。有一義云 n ﹁ 此 事 は 一 一 一 重 六 義 の 宍 第に約して之れ沿決すべし。能諦所請は一一章二教。念傍観係各別に立するが故に。能説所説は二章一教。嗣仰能 く念仰の宗 ψ伊 註 す る が 故 に 。 能 将 刷 所 震 は 一 章 一 数 。 緯 迦 の 意 密 強 陀 に 同 十 る が 故 に ﹂ と 此 の 一 一 夜 如 何 。 答 。 若 し 能く通達すれば此れ蓮する所無し o 立 会 付 て 之 ぞ 談 ぜ よ 一 子 。 ﹂ ︵ 眠 時 一 郎 一 一 唯 一 一 二 一 七 一 一 正 当 一 時 出 ヂ 一 ハ
t
r
f
f
伺 ︶ と い ひ 、 叉﹁定散等廻向は一乗の誌や顕す。漣詮無生は頓殺の誌や示す。二教殊なめと雌も終に一致に邸す。惣じて日必れ 頓 敬 一 乗 の 故 也 。 叉 此 の 二 教 は 既 に 一 致 に 蹄 す 。 関 門 の 所 郎 は 願 力 の 一 遣 な り 。 ﹂ ︵ 胤 儲 にr
一 一 一 門 店 左 ︶ 、 と い ひ 叉 ﹃ 菩 薩 蔵 頓 敬 一 葉 山 小 説 要 訣 ﹄ ︵ 一 昨 日 世 住 ︶ に ﹁ 然 る に 此 の 二 敬 雨 京 の 安 立 は 互 に 相 開 通 し て 永 く 隔 別 な る に 非 示 。 謂 く 念 仰 よ り 要 門 冷 開 く . か 故 に 、 叉 観 悌 よ り 弘 願 に 遁 守 る が 故 に 、 所以何となれば化身の教は本報より起るが故に、 呉 川 仰 の 款 は 究 く 膳 よ り 入 る べ き が 故 に 。 亦 は 言 ふ べ し 漏 陀 救 中 に 一 苅 要 門 の 文 義 布 り 。 稗迦敦中に叉弘願の立や挟 む 一 五 々 ﹂ と い ふ 。 此等の交によって深草義必かしも一一章二殺のみ冶固執オるに非ざることを知ることが出来る。 北に西谷義に就いて見る。西谷義は讃需の弟子浮音ゆ信組とする。此の浮音には﹃愚要紗﹄と稽する者導の観経 疏に針する講義の手記身輯錯しにものがある。其中から本問題に関する一二ぞ拾って見る。正嘉一万年一一月の一段 序題門冶講歩る中に﹁婆婆化主等は正宗の位也。 H 記 印 ち 今 経 の 起 る 由 来 身 顕 す 也 。 A I 教 ︵ 経 ︶ の 就 か る え 故 に 安 山 梨 の能人も弘願穎彰の義は立る也。此の弘願の睦今経に設かる込と雄も、市立門の分には殊なる慮や顕さん矯めじ大 経観経一痢部に引分て要門ぞば婆婆の化主開き弘願ぞば能人顧す。要門は、今経の弘願は大経ぞと分別する也。此 の 能 人 と い ふ は 観 悌 三 昧 の 韓 由 。 是 れ ゆ 必 要 門 定 散 に 入 れ て 定 の 方 に は 所 観 の 境 と 一 瓦 ふ ・ 也 。 散 善 の 方 に は 来 迎 の 悌 と 間 搬 す 也 。 ﹂ と い ひ 、 M 人 建 長 三 年 十 月 稗 名 門 t q 講じに時の一節に﹁婆婆の化主ぷ要門左聞き安楽の能人は弘願 φ信 頼 す と 云 ふ て 然 も 偽 設 の 下 の 無 旦 墨 書 そ 南 無 阿 噸 陀 仰 と 一 瓦 時 は 、 能 人 身 要 門 の 位 に 入 れ て 三 一 楠 九 品 定 散 二 善 依 正 二 報 と説く。印ち此の依正二報の腫印ち能人也。此弘願や顕彰する能人必要門に入つる故に要門卸弘願訟顧す也。﹂と 17 桐 僻 加 熱 量 害 総 の こ 律 教 に 就 い て 士:日本偽数拳協舎年報︵第十一年︶ i¥ 18 いふ。叉年共不明の分に﹁先勤大衆護願時三蜜事﹂の傑下に﹁禰陀本誓願極楽之要門と一古ふは第十七願に依て今 顕 る λ 極 柴 之 要 門 な る 也 。 ︵ 桝 ︶ 今 一 来 二 傘 款 と い ふ は 極 脚 本 之 要 門 と い ふ 身 指 す 也 。 此 れ 要 門 の 霊 口 山 な る 故 也 o 此 教 に依て極柴の門聞けて一切善悪の凡夫入るべき故に廃聞といふ也﹂と。此等の支によって浮音が二章一教ぞ主張 し た 趣 が 覗 は れ る 。 浮音の弟子了音には善導観経疏の註樺として﹃了音紗﹄八巻がある。了音は京都大宮六角の本願寺に於いて講席 を張つに故に六角義の稽がある。今﹃了音捗﹄によってその二章教設や見る。﹁叉二隼教に就て一門に二義有り。一 には二章二敬、こには二章一敦也。二章二款と云は念悌は嬬陀敬、定散は稗迦款と云ふ。文詮には序題門に要門弘 願二章雨部に分けて糟するに依る也。一教といふ意は念悌定散共に設かれたり。此の設は蒋迦の説也。きれば定散 も念悌も輝迦之れや説く。此観経在日来の稗迦の智慧より山山にる一隼教の定散には替て、噸陀の願より出にる観 経ぞといふ時は、輝迦の智恵より出で守して禰陀の設かるべしと願ひ給へる誓の果し七る定散沿稗迦之在説き給 ふ。然れば観粧の一一款の中に置いて、本願の主に持せて禰陀教といひ、能設の悌に持せて稗迦我といへば是れ二 章 一 一 款 の 姿 也 o ﹂と一門中のご義今出し、有下に此の二義の得失ぞ論じて、﹁二章二教は唯々一章敬在二つ寄せ合せ て二章の教といへば是れは日来の一律款の迭には替らす。一門家教の時は禰陀の他カは顕れす。他力と雌も此は諸 悌加すべきに加する他力沿ば出づべからす。何れにも禰陀の他力は必十二章して頴すべし。叉定散を以て他力の功 能ぞば説き顧す也。然るに弘願そば繍陀に持せて蒋迦之沿説き給は予定散をば稗迦に限って輔陀に持にせ?とは、 定散も念悌も倶に一章教に成て蒲陀他力は失る也。何となれば念仰も定散より顕 3 4 T ば 何 ゆ 倍 以 て か 他 力 の 色 沿 ば 知るべき。定散も粥陀の教に非 A Tぱ何治以てか割粧の定散他力の款に成るべき。若し爾らば八高四千の一軍随縁
の 教 に 降 車 く 迷 深 寺 d c d − 故 ら に 漏 に る 衆 生 の 矯 め に 説 か れ に る 関 経 の 徳 は 何 点 倍 以 て 分 て 知 る 吋 品 川 、 ゃ 。 放 に 二 倍 千 二 教 の時は鋪陀の他力が顕れ示。障多き衆生の山要の得分も無き也。但し此は我家に息へる白山の義也。主そ寺て刀人 間く可し。左右なく是非すへかりか﹂︵詞培一骨川即日一︶と υ 此 の
f
背 の 一 一 律 二 教 に 針 す る 批 評 が 若 し 深 草 の 一 一 律 二 款 に 封 す る も の で あ る Eと す る な ら ば 、 抗 日 川 が 一 一 章 一 秋 説 に 封 し て 下 し た 非 難 が 西 符 義 の そ れ に 古 っ て 居 な いと同様に蛍って居ないと思ふ。然し彼は説家から見ての自由な批汗であるが、井、の国成立は其れ冶主張する人か ら直接聞くべきで無闇に是非すべきでは無いと云ふてゐるのは如何にも謙虚な態度である。 浮 立 円 の 弟 子 制 問 符 に は 著 廿 一 は が 俸 は っ て ゐ な い っ 其 弟 子 行 制 聞 は 浮 A H、 間 刊 行 の 義 、 そ 求 け て 西 谷 請 を 大 成 し 善 導 の 闘 終 疏 並 に 具 疏 等 に 封 す る 多 く の 註 稗 だ ﹁ 私 記 ﹄ 冷 遣 し た 。 人 l ﹃ 玄 一 義 分 私 記 ﹂ に よ っ て 其 の 二 倍 県 教 説 沿 見 ょ う o ﹃ 私 記 ﹄ の 中 に は 二 章 二 敬 、 ↓ 一 軍 雨 部 、 二 章 一 致 の 語 が あ る 。 其 の 一 一 愈 一 一 致 と は 深 草 義 で 云 ふ 二 傘 二 教 と は 所 針 が 異 り 、 所 謂 る 難 易 二 遁 ふ 管 理 迦 嬬 陀 一 一 骨 子 に 配 し に も の で 、 此 の 場 合 間 押 迦 は 一 代 能 設 の 教 主 と ・ 一 月 は れ 、 諸 経 の 面 ゆ 倍 以 て 其 の 本意とし、浮土教の面を嬬陀の本意として二傘の本立母立て分けるのそいふ 0 ︵ 沼 崎 一 間 丘 一 一 一 一r
t
ニ 訂 ︶ 一 一 軍 雨 部 の 名 目 は 前 に 引 い に 浮 立 れ やf
−
H の交の上にも見えてゐる遁わ序題門の然婆婆化主因其請故印度開浄土 之 要 門 、 安 楽 能 人 間 鰍 彰 別 意 之 弘 願 の 交 に 就 い て 縛 迦 浦 陀 二 章 一 v q 閉経大経の雨部に配して、間経定散要門の位ぞば護 願の位とし大粧の弘願ほば符生の行の仕に樺し分けられにに就いて立てられに名目である︵出現一百五芝r
主計︶ 0 此れは深草一義に於いて二骨子二教として取扱はれる慮である。此の二命両部の分別の上に、理名門の稗意から二軍 一 教 の 義 が 立 て ら れ る 。 邸 ち 一 深 草 に 於 い て 一 一 金 二 教 沿 論 守 る 立 場 と 西 谷 に 於 い て 二 章 一 教 在 論 令 る 立 場 と の 異 る 19 ものであることそ知らねばならぬ。﹁此観経は菊陀の本願の中に第十七願の杏嵯といふ願に答へて別して観経冶設 調慨無差毒絡の二軍教に就いて 九日 本 偽 救 挙 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二 O 20 いて瑳遣来迎の二軍の力にて衆生が他力往生することを説く故に此義ぞ顕して故ら此経巻取分け二軍教と揮し給 ふ也。同じく浮土三部経と雌も大芋主宰款と一三べから?。此故に西谷には此観粧そ二傘一教といふ也﹂︵位崎 一 一 一 ト ぃ 一 お 右 ︶ ﹁ 浮 土 宗 建 立 の 時 は 諸 悌 一 端 陀 二 躍 に 置 い て 間 土 と 披 土 と 能 議 所 讃 の 二 に て 過 の 諸 傍 は 能 讃 別 の 溺 陀 は所讃といふ費遣米辿の二章として観粧の定散二門冷説く故に二寧教といふ。日記れ φ信仰瞳倒語と云ふて、二章の 障が漏陀は所讃の悌龍、諸仰は能讃の語じよって観経伝説く故に、西谷には此粧を二章一款と云ふ也。此の意な 定 散 文 中 唯 一 際 専 念 名 競 得 生 と 糟 す o 目 耳 ⋮ 仰 睦 側 諸 の 法 門 也 、 ﹂ ︵ 百 一 訪 問 団 一 区 一 九 恒 一 一 ︶ と 。 要するに観経の定散二善十六観門は稗迦の説であるが、其れは漏陀の第十七願に酬いて設かれるのであって、 此の定散の語によって弘願の樫が顕彰されるのである。此底に第十七願に酬いてといふも、同願に於て、︶そ四十八 願は各別の本顕であるが、果上からは四十八願ぞ全うじた第十七顕であり、四十八願を全うじに第十八願であり、 四十八願ぞ全うじに第十九願である。第十七願に酬いて樺迦の言論に浦陀の依正二報、来迎の相が設品川、出される と 言 へ ば 、 凡 夫 は 此 れ を 聞 い て 往 生 ぞ 誼 得 し ︵ 第 十 八 願 、 念 悌 ﹀ 、 − 端 陀 は 住 立 空 中 の 仰 瞳 そ 現 す る o ︵ 第 十 九 願 、 ・ 米 迎﹀悌語ゆが♂離れて悌館現ぜ示、悌睦冶外にして仰諾聞け示、この仰睦側諸や離れて凡夫は往生の往冷成じないの で あ る 。 遊 山 中 一 の 孫 弟 子 玄 観 の 法 服 を 受 け 、 読 本 一 の ﹃ 観 門 義 ﹄ ﹁ 他 準 紗 ﹄ 賢 信 房 の ﹃ 積 撃 紗 ﹄ を 研 究 し て 組 師 誼 定 の 敬 語 冷 酷 符し、所前本山一哉の組となつにといふ康率示導の弟子に仁空貫導がある。この仁主賓導の観締疏講錯に﹃弘深紗﹂ ︵ 野 生 時 間 一 ︶ が あ る 。 今 ﹃ 弘 深 紗 ﹂ に よ っ て 本 山 義 の 一 盃 教 に 就 い て の 手 足 る n
禦 婆 化 主 安 脚 本 能 人 と 一 石 へ る は 設 備 に 今 来 二 骨 件 数 成 開 浮 土 門 と 云 ひ に り し 二 傘 の 款 の 姿 沿 咽 押 せ ら れ た る 也 。 婆 婆 の 化 主 の 掌 提 の 詰 に 依 っ て 山 崎 く 浮 七 の 門 沿 聞 き に h り と 一 五 ふ は 稗 迦 の 救 出 。 此 の 教 下 一 蒋 傘 も 蒲 陀 の 第 十 七 の 願 よ h り出でたる名競を栴讃する障なりと見る時は、蒋迦の設と思ひつるが別願の成じ七る荊より外には無く成りぬ るぞ噸陀の教とは巾也。鰐迦嬬陀の教と式ふは印観仰念仰の耐宗能詮所詮の二の口口口と費へにれいとも、嫡陀 の教と云ふも向ほ観悌二一昧の能詮の睦にて、所設の名競ぞぱ尚も別に之れそ置く可しと見被れにり oAI も安柴 能 人 顕 彰 別 立 之 弘 願 と 云 ふ 故 に ・ 嬬 陀 も 向 ほ 弘 願 冶 一 瀬 彰 す る 能 一 搬 の 人 な る 様 に 稗 成 せ ら れ た り 。 ︵ 榊 ︶ 今 云 所 の 要門弘願と云ふは、此れは正しき一椛の能詮所詮也。要門とは削閉経の定散と縛する故に十六削聞は悉く能詮の観 門也と見えたに h り。唯此観円建越生死の故に此艇の観が正しぎ浮土の要門にてはありと云也。此十六観の要門に 説頴さる為法の瞳冶弘願とは立てられにる也。此仰と云ふこそ栴我名披の睦にてはあれ︵桝︶されば要門の弘願 にてはある故に十六閉じ瓦りて悉く名披得阜の謂れぞと大師は慮々に蒋せられにる也。故
ι
一 経 に 一 旦 り て 名 競 の能詮と一五はるすは要門、其の所設は弘願の一法にてこそと意得べき也。︵堅議議球注目刊士清側各︶ 此の一文にて本山義のご傘款に艶する見解は十分に知られる。剖ち蒋迦教要門は嬬陀の第十七願の開設であっ て見れば其れが其の僅弘願を顧彰する蒲陀教である。要門弘願は一一艇の雨両能詮所詮の掬係である。其慮には二 章一敬二教の語は無いが、文中﹁漏陀の教と云ふも備は観悌コ一昧の能詮の障にて所詮の名競をぱ尚も別に之れを 置く可しと見られにり。今も安禦能人間糊彰別立之弘願と云ふ故に漏陀も尚ほ弘願ぞ期間彰する能瀬の人なる様に稗 成せられにわ﹂と云ふ所に二隼二教説と解せられる一面もあるが﹁此の一経に一旦りて名競の能誌と云はるよ ρ は 要 門、其の所詮は弘願の一法じてこそと意得ベき也﹂と云ふ所に到つては二章一教に設支部めたものと見られるで 21 叡無量霧経のニ隼教に就いて日 本 悌 教 挙 協 合 周 年 報 へ 第 十 一 年 ︶ 22 あ ら 、 フ 。 以上法然門下じ於ける、鑓西、島宗、西山の三汲に一只って観粧の二律教読を見来ったのであるが、既に観経観 主物に就いて鎮西は諸経漣迭の経典と見、国奥宗は第十八第十九回具貫方便雨願の隠嬬倶説の経典と見、西山は四十 八 願 成 就 の 上 の 第 十 七 願 の 展 開 と 見 る 放 に 、 其 上 に 論 ぜ ら れ る 二 一 軍 款 の 義 に 於 て も 、 二 章 一 敬 、 一 一 一 律 二 款 と い ふ 言葉の上こそ同一でも其の意味する慮は一致しないのが官然である。従って其れを比較して論中る事は暴克其の 観経観の比較に闘し、然も宗我見に堕する倶れが多分にある故に A 1 は 其 れ な 差 控 へ る 。 西山波に就いては汲組謹空の詑ぞ始め深草義、両谷義、本山義の設を見来ったのであるが、或は二家二教とい ひ或は二傘一款といふも闘椛に就いての根本的見万に於いては共に波組の義に一致するもので、互に他家冶批評 する言葉の上には誤解より生令る異見もあって常らないが、皐覚は了立 H が ﹁ 一 門 の 一 五 五 叫 な 句 主 を 尋 ね て 聞 く べ し 左右無く是非すべから十﹂と公った如く、其れ人、の説じ就いて深く領解すれば、一粧中の要門弘願能詮所設の 二款の関係在、且く別諭して二律一一教といひ、或は能詮は所詮に械まり、所設は能詮と開かれる不離の所を二章 一教といふものであって、共に此の間粧は諸椛に異句、浦陀の別願成就せる果上の法門として、耀迦漏陀の鷺遣 来迎暫くも相離れ守、一一律詐躍して凡夫そして他力往生身誼得せしめる経典なる一品今閤明せんとするに外ならな い 事 が 知 ら れ る 。 ︵ 終 ︶
日蓮聖人
ω
殺
事
と
密
教
石
川
海
l
t
l
t
緒"
"
日蓮聖人の教壌の理想が法華経中心の仰教統一の完成にあったことは一五ふまでもない。法華経中心の偽教統一 は支那に於いては陳陪の天台大師、日本に於いては卒安朝の惇教大師によって企闘されに事であって各々其の時 代教壊界に一異彩を放ってゐることは史賓の詮明する所であるが、日蓮聖人はその後ぞうけて之、か完成に全力を 傾注され、その理想ゆ佐賀現された唯一人であるといふのが聖人門下の見解である。印ち法華中心の悌教統一が天 台俸教の理想であり、日蓮聖人がその後を承けられたといふ貼から考へて天台撃と聖人の救閥単との聞に至大の関 係ぞ持つことは多言そ要しない。是を以て古来聖人の教墜に指沿染める程の蘭学者は、皆脅しく天台阜の研舗を先 決問題としてゐ六事も明かであり、終には天台三大部本末六十巻の中に陪首して以て聖人教壌の玄底に蓮せりと なすやの捧害さへ生十るに至った。徳川時代の壊匠一妙院日導は日蓮聖人の遺文そ中心とする組織宗撃の門戸を 聞 か れ に 篤 壌 の 主 で あ る が 、 師 は 深 く 天 台 曲 学 づ り の 日 蓮 教 撃 界 ぞ 慨 嘆 し 其 名 著 ﹁ 組 書 綱 要 ﹄ 二 十 三 巻 六 十 四 章 の 第 一に撃者鑓仰必有弐第の一章を設けて戎のやうに遁べられに υ 1 日 蓮 聖 一 人 の 数 拳 と 密 教2 二 四 h y 当 日 リ タ ル ト 宅 レ パ ク ク y ル ニ ン ヅ ン ノ エ ハ エ 高組日日蓮法門似 v挟 甚 深 天 台 俸 数 等 一 重 立 入 故 也 ︵ 四 係 書 八 五 二 ︶ 有 非 = 篤 信 熟 練 一 安 到 ニ 丈 底 耐 属 一 乎 、 或 希 有 v 叉 ル 寸 ヲ モ 又 ト ス テ ヲ ロ ニ ス ル ヲ ヱ テ ハ フ ヲ ト 〆 ヂ グ レ ハ ル ト ノ ノ エ キ ハ ト 〆 フ 信 ニ 組 訓 − 者 久 習 未 v除 必 事 一 向 精 v彼 苦 曾 ニ ム 日 此 一 其 得 ニ 合 者 一 欣 然 乃 言 此 操 エ 彼 丈 彼 義 一 其 無 ニ 本 操 − 帳 然 而 A 一 三 未 考 一 古 セ レ ヲ モ ヲ ジ ヂ ハ が ジ 干 ニ ヲ グ ノ ム T リ ト ス ル ノ セ ノ 今 注 コ 解 組 書 − 者 大 抵 不 v出 ニ 此 情 識 − 也 若 及 = 其 太 一 則 以 鋳 遁 時 施 設 也 失 − 一 事 之 中 川 一 其 弊 一 期 v此 率 不 ニ 痛 突 − 耶 、 州 山 一 五 ニ 〆 ヒ ヲ ス 凡 吾 宗 皐 者 幼 習 一 名 目 、 四 教 儀 一 拍 渉 ニ 教 観 一 階 ニ 首 六 十 巻 中 − 云 々 日 本 偽 致 事 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 師は天台風一を以て日蓮救壊の正門とすることは宛も日々に西行して東極冶測らんとするが如き類であるとして 事 則 の 弊 を 指 摘 し 、 講撃をして正しき軌道に復卸せしむべく更に先習組害後車台数の一章ぞ開設して苦言を呈し て ゐ る 。 凡 そ 是 の 如 き は 日 蓮 教 塵 界 に 於 い て 天 台 風 ナ が h と の 程 度 に 重 ん ぜ ら れ て ゐ に か 、 ま仁他の反面に於いて天 台撃が如何に日蓮聖人の教事に甘拡大なる交渉を持っかそ物語るものと云へょう。 日蓮聖人の教壌が天台撃に至大の闘聯や持つことは一五ふまでもないが、それと同時に程度の差はあるにしても 密教との聞にもまに密接なる関係のあることは、聖人の遺交を通覧しに、にけでも直に首肯される事置である。大 Y 古来日蓮教壊界に於いて台風ナに陪首する事者は枚奉に理一ないが、密敬についてそれ程の関心や持つ者が少なか った貼は頗る遺憾な事と云ふベ品。である。而して之が皐的検討は一朝一夕の小問題ではなく猶幾多の究明すべき 諸種の方面があるので他の機舎に譲り、月下の小論は聖人の密教観の一端そ特に雨部三部と十住心とのご動に限 定 し て 之 ぞ 考 察 し 、 聖 人 の 密 救 観 い か 束 密 よ り も 寧 ろ ム 口 密 に あ つ に と い ふ 事 ぞ 明 か に し に い と 思 ふ の で あ る 。 雨 部 コ 一 部 仁 つ い ・ て 先づ耐部三部について見ると束密は術部立、台密は三部立である。肱永大成の宗皐者として東密殊にお野に於
い て 八 1 猶至賓と仰がれてゐる受性院の宥快法印は弐のやうに蓮ベてゐる。 自 宗 月 二 六 大 一 錦 ニ 諸 法 本 源 一 六 大 者 色 心 印 刷 部 也 。 仰 府 部 外 、 別 無 二 一 所 卸 法 酷 一 此 色 心 雨 部 一 法 就 誠 二 . 1 小 一 一 義 一 只 日 正 義 t コ 一 ァ 、 用 也 。 賢 色 心 外 無 二 決 睦 − 依 v之 大 師 御 相 ポ 耐 部 錦 ユ 阿 佐 − 他 門 ︵ ム 口 密 ︶ 相 反 再 三 中 山 − 一 雨 部 一 知 ニ 而 二 日 此 外 立 コ 蘇 悉 ヲ ヤ 玉 フ ト 地 − 鴛 コ . 7 小 二 制 位 − 猶 是 郎 順 常 建 一 夜 建 一 小 v出 ニ 瀬 網 域 一 也 。 大 師 時 三 日 号 一 4 日 常 敬 一 府 部 秘 競 一 此 立 也 ︵ 大 疏 快 抄 一 ・ 一 ユ ︶ 東密によれば台密は封機遮情の殺であるから而一一隔慌の迷情。ぞ遮遣するところの遮情門沿去とする。印ち台密 は遮二詮一の教であり一心の利刀冶弄ぶものである。 之に針して束密は郎事而且の荊理や談じ、一貫の如く賢相を 開示するところの表徳門の款である。この貼ぞ特に強調されにのが弘法大師の昨字義一やである。同より東山治家 にあって而二不二郎離不謬とは説くけれども雨者の中には而一一門沿表とし、 而 二 の 蛍 成 に 不 二 を 見 て 、 而二の外 に 不 二 の 一 章 一 ぞ 別 立 し な い の が 束 密 の 規 模 で あ り 特 色 で あ る 。 東密の雨部立に封して台密は二一部立である。元来願款は不一一の一重冷特に重んホる傾向が願著である。法華経 中心の叡山に護法し大台密が而二門の外に不二門の一重吾別立
ι
にことは蓋し常然の事に属する。 東 密 は 一 前 部 立 であるから金剛、大日雨部秘奥につきてゐるのであるが、台密は雨部の外に蘇悉地沿立てふ小二の一重とし、之 を 一 胸 部 の 上 位 に 安 く 。 蘇 悉 地 経 請 同 日 開 第 一 に 、 於 ニ 三 部 中 − 此 経 錦 v王 と い ふ 文 ゆ 管 轄 し て 台 密 の 組 慈 費 大 師 は 、 ガ ニ ヲ ヤ ト 何故今云 i 於 一 一 − 部 中 此 経 矯 王 h答 今 此 文 中 随 コ 所 説 法 是 長 殊 勝 一 故 云 ニ 嬬 王 二 五 々 3 叉 云 く 、 日蓮聖人の数拳と密教 五4 日 本 係 数 且 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 蘇 悉 地 掲 羅 経 者 日 正 三 部 経 王 、 諸 章 肝 心 也 。 緒 ニ 棉 異 J一 月 之 秘 旨 一 該 ニ 貫 大 教 之 要 妙 − ︵ 蘇 悉 地 経 疏 了 一 ︶ と、束密に於いて律部の中に揮してさして重視せぎる蘇悉地経そ台密に於いては民言二一部の一に教へ、剰へ之に 特勝の位置身奥へて雨部の上に置き、二宇部の経王、諸掌の肝心なりと断じた慈胞寛大師は、明かに不二門中心の思 ーム ノ、 想に立ってゐるのである。勿論二一部建立の振は慈望大師より以前に俸教大師を数へることが出来る。 ﹃ 叡 山 大 師 俸 ﹄ ︵ 時 誠 一 読 陪 ︶ に よ れ ば 俸 教 大 師 が 三 部 の 大 苧 伊 ︸ 俸 へ さ ︶ と が 記 さ れ て あ る ば か り で な く 、 ま た ﹃ 叡 山 大師俸﹄所載の治部省の公験にも俸教大師がさ部悉地の法や受けた事が明記されてある。随って二一部建立は慈直寛 大師の創見とは云∼ないが、何れにしても大口の理、金剛の知日の上に理智不二の蘇悉地経や置いて之在中心とし た事は台密に異る特色の一つである。また密教に於いて俸法の儀式として重ん十るところの濯頂について観ても 東密では財部の外に不二ぞ立てないのに台密に於いては、最極深耐の濯頂一・として財部不二の慌頂ぞ行ふが如きも 賓
L
蘇悉地経王の思想に由来するのである。 一 乗 仁 忠 の さて台東雨密と一嗣部二一部の闘係は略日右の如きものであるが、此の財部三部に射する日蓮聖人の態度は、常に 品言三部と一五はれであるので、聖人の密救観は東密でなくて台密中心であると云ふことが出来る。共に聖人の遺 文 中 か ら 二 二 一 の 丈 謹 を あ け て 説 明 に 代 へ ょ う 。 同 僚 書 に 云 く 、 同 県 ↓ 吉 宗 と 申 す は 大 日 経 、 金 剛 頂 続 、 蘇 悉 地 経 に よ る o こ れ を 大 口 の 一 一 一 部 と 披 す ︵ 哨 酬 明 文 ︶ 星 名 主 に 云 く 、 一 一 部 艇 の 中 に 於 い て 蘇 志 地 仰 が が は て 一 上 と な す ム ﹂ 見 え に り 。 ︵ 甜 九 一 叫 ︶ 間 信 五 円 問 紗 に 云 く 、 弘 法 、 慈 費 、 特 設 の 二 一 大 師 、 子 ぞ 漢 土 に 寄 せ て 大 け の 一 一 一 部 は 法 華 経 に 勝 る と 謂 ひ : ・ ・ ・ ・ ︵ 詔 一 一 一 、 ︶ 此 の 類 の 文 献 は 他 の 法 文 に も 見 出 、 に ・ す こ と が 出 来 る が 、 そ れ 等 は 山 内 悉 く 呉 言 二 企 部 と あ っ て 胸 部 と は な い 。 聖 人の門葉に属する壊者も亦:−部なであって−嗣部そ云はない。即ち型人の滋敢闘は東密よりも寧ろ台宮中心であった と見るのが安常である ο この耐部一一却附の思想はと沿救康的に観る時、そこに多彩な場函や展開してゐることや容易に者取することが出 米るばかりでなく、極めて興味ある諸種の問題に闘聯沿持ってゐるのであるが、こ込には之ぞ符略して共に十作 心 の 教 判 に つ い て 蓮 べ て 兄 ょ う 。 十住心について 弘 法 大 師 。 か 大 口 艇 と 菩 提 心 論 と そ 依 擁 と し 、 ﹁ 十 住 心 論 ﹂ ﹁ 雌 戒 管 鎗 ﹄ じ 於 い て 所 謂 十 仲 代 心 必 開 設 さ れ た 意 義 は 大 瞳に於いて一一つの方面から観ることが出来る。その第一は虞言行者菩提心韓日升の究第沿示す矯でありその第二は 顕 密 二 款 の 浅 深 先 別 を 表 は す 矯 で あ る 。 ﹁ 十 住 心 論 ﹄ 第 一 に 、 ス 一 ノ ラ ノ ニ 顕 ユ 且 言 行 者 住 心 次 第 一 顕 密 二 教 差 別 亦 在 ニ 此 中 − とあるのは、その立意に正と粂との二方面のあることぞ説示されに明文である。この開立二意の中、第一の暴 言行者住心の失策冷顕はすといふのが正意であって第二の頴密二教の来別といふのは傍意であることも亦説明を またない。がしかし其傍立の場合が古来願密二款の竪浅深を判別する所謂十住心の教判として教壌界に高丈の波 澗を捲起したことは教皐史の誼明する所であり、著明なる事賓である。 さて十住心ぞ竪の教判と見る立場から九顕一宿願密合論の十位心について考察すると四家大乗古けについて見 その順位は第六法相、第七三論、第八天台、第九華厳となり、法相三論の二宗は三莱敬、天台華厳の一一宗 る 時 、 5 日蓮翠人の教準と密教 Fじ
日 本 偽 数 挙 協 合 百 年 報 ︵ 策 十 一 年 ︶ 八白 6 は一乗教といふのが弘法大師十性心の判定である。そして昆言密教は第十の最高最勝の位に居。、金剛一一来と稽 して天台華厳の隔一乗家と之や匝別されてある。 この十住心の教判に封して台密の皐庇が執った態度は全面的な反針であった。智誼大師はその著﹃大日経指蹄﹂ − ︸ 、 ー 或 立 二 十 位 心 一 判 二 代 救 − 未 v合 ニ 此 疏 一 不 v足 v震 v論 耳 ︵ 智 設 大 師 全 集 中 六 七 二 ︶ と説いて明かに不満の意思ぞ表はした。台密教判の大成者五大院安然は其者﹃教時義引い第二に各方面から之や詳 設 し 批 判 し て 五 失 を 教 へ て ゐ る 。 一 石 く 、 有 − 一 五 失 − 故 不 v用 三 十 位 心 究 第 一 其 失 何 一 者 蓮 コ 大 日 経 及 義 韓 − K 八 、 二 者 蓮 司 一 A A M 剛 頂 一 失 、 三 者 逮 ニ 守 護 純 一 失 、 四 者 逮 エ 菩 提 心 論 一 失 、 五 品 作 蓮 − 一 衆 師 説 一 失 ・安然は各項目の下に於いて其の所はや詳論し、十作心のすん隙の縦論の文に遣する貼ぞ指摘し、隠って十位心の 共第は弘法大師の一私見に池‘ぎないと断じて不求総の立味守強調し大 υ また平安末期になって県南耐流の法水そ 和曾すべく企固しに賓地房誼呉は、十作心に封して五失冷泉けてゐるけれどもリセれは前じあけに阿管大師安然の 所 一 説 と 全 狭 山 同 一 の も の で あ る ︵ 上 時 州 ︶ 0 日 蓮 聖 人 は 十 杭 心 の 救 判 沿 否 認 す る 貼 に 於 い て ま ー に 台 浴 車 匠 と 一 致 す る 。 豆 一 一 日 天 台 勝 劣 事 ︵ 六 六 一 ︶ や 旦 一 一 川 宗 私 見 聞 ︵ 鵬 一 議