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ドキュメント内 日本佛教學協會年報 第11号(全) (ページ 152-161)

般 若 の 空 観

調ふまでもなく椴若の背撃は︑徹底的存定遣に依る絶針空そ悟らんとするものであるが︑一躍この本闘は如何

なる単由に因って設かる込ことよ仏ったか︑叉それが如何なる意味ぞ有ってゐるか︑五日人は少くともこれらの艶

について考察せんければならぬ︒由来根本側款の悟りの要諦は︑人間生活に於ける凡てに封して執着心身離れる

ことであった︒四諦十二因橡八正遣ないとの救一誌は︑つまり執はれ心冷遠離して白山の心境に住するがにめのもの

で︑謂はゾ解股への方俊一であったと観ることが可能る︒現買に封する迷見に因って生守る執着心のにめに所調人

間苦なるものが存在するのであるから︑人間苦から解脱せんとすれば︑勢ひその根源なる執若心を涼離しなけれ

ばならないのは理の常然である︒しかもこの遠離執広告や成就せんとすれば︑現賢に掛する正しき認識が必要と成

り︑そこに種々なる教説が開演さる込こと︑なったのである︒かくの如く根本側款が漆離執若やはて解脱への鍵

錨と した ので ある から

︑般 若哲 副学 もこ の詫 離執 若ル 一櫨 承し

︑盆

tその徹底冷期し六のであるが︑さて賢際に無執

者ぞ睦現せんとすれば︑勢ひ所執者の現宜守否定し︑所執若への意欲を超克せんければならぬ︒般若許壌が客観

の一切やば偲有としてこれ冶窓じ︑また椴有と観?る主観

hqも無質躍として不円定し去の︑更に謹んでは従来の悌

教が説いて来た五雑十二慮十八界等の諸概念をも空じて︑いはゆる人法二無我の索開や高調しにのである︒いっ

たい併殺の世界観は諸法縁起の思想で︑如何なる意味に於ても同定的賢花を絶叫別に詐さぬことよ仙つてゐるが︑

人聞は一般に諸法縁起の如相ぞ豊らす︑諸法の賢相冷地問ぜぎるがため︑諸訟がさも賢作するかの如く忠ひ州内向︑

そこに執若を生十るのであるnそれ古から諸法ぞ同定的存夜として執者することは︑もとノ︑k無明無知に悶るの

であって︑諸法そのものに何等の罪もないとせねばならぬc

・本 来織 起的 無白 性な る諸 法主 ば︑ 無明 のゆ ゑに 資在 と

偏計するのであるから︑人聞が自らの無知に因って勝手に宜化として諸法ぞ遁り出し︑而もそれに執山なして愈t

迷の雲深き結果そ招来するのである︒で人聞の閉する限りの一切諸法は︑白己の無明に因って勝手に賢在と偏計

したのであって︑所詮諸法は心の産物でしかないといふことになる︒きれば舵若に於ては諸法身心の所現として

その無自性空や諦め︑諸法に封する執若沿拾遣して大白十代の心境に逮法せんことか4

同る

ので

ある

︑︑

般若 が諸 法ゆ 管室

?る のは

︑諸 法の 資相 の如 く諸 法ゆ が一 観察 して すべ ての 執着 や捨 選せ ん

Jかためのものであるか

ら︑諸法管室といふ思想も亦空と錯し︑空なろ悟も本来不可得であるとするc

従っ て般 若で は世 間の 諸法 を本 一ホ ノ

るばかのでなく︑修行の徳目も更に謹んでは悌も菩提も不可得空であるとし︑人聞の心の上に表象せらるよ限り

の凡でや空じ去って徹属的宗守強調してゐる︒このことは彼の二十空に就て見ても明かであるが︑今一二の例文

ぞ掲けて般若の雲閣が如何に徹底してゐるかや知h

りに いと 思ふ

J

須菩 提言

︒若 はニ 名字 因縁 和合 等− 知ニ 諸法 刊日 記色 日記 韓香 味鮪 法日 店内 是外

H

有涜 法日 疋無 儒法

︒以 コ是 名字 相語

二一

日目

知ニ

諸法

寸日

記名

v

ニ諸 法相 寸如 ニ合 利粥 所世 間何 等日 記般 若波 羅蜜

︒渓 離故 是名

−一 椛若 波羅 蜜斗 何等 法浅 離

υ遺 品 一

離陰界入4

遠ユ 離陸 那波 羅蜜 乃手 一群 那波 羅蜜 イ遠 ニ離 内宅 一乃 至無 法有 法︷ 令斗 以

v

故名 ニ般 若波 羅蜜

4

復弐 遠コ 離

般若鰹に現はれたる偽身裁

一四

日本

品開

数挙

協合

同年

報︵

第十

一年

一四

六 3 

四念 慮刊 乃至 蓮ユ 一離 十八 不共 法− 蓮ニ 離一 切智 刊は ニ是 因縁 一故 蓮離 名ニ 般若 波羅 蜜−

︵大 口町 般若 粧無 生日 開二 十六

大正康八

o J

二七

O B L

何等諸法︒所v謂姪怒犠無明乃至大苦莱諸蓋結使纏︒我見人見衆生凡︒断見常見垢見浮見有見無見︒如v是一切諸

見︒樫貧犯戒嘆

V44山慨怠胤立無智︒常想柴想浮想我想︒如日

記等 愛行

︒著

v色

著エ 受想 行識

4

著= 一間 那波 羅蜜 戸羅 波

羅蜜鶴提波羅蜜毘梨耶波羅蜜樺那波羅蜜般若波羅蜜叫著=内定外市川内外本乃至無法有法宰叫著二四念慮乃至十八

不共法4

著二 切智 一切 種智

−費 一探 知市 刊是 一切 法君 臨守 一脱 出臨 消滅 不

v

一一

時官

記入

大口

問一

般若

⁝純

一械

調印

日間

三十

一一

治一

設︒

このやヲに諸法や片端から悉く主として否定・する般若の宏一観冶見ると︑恰も鹿無主義の如く考へられるかも知

れないが︑然しそれは大捷な誤解である︒般若の定観は雷に虚無を意味しないのみでなく︑更に積極的に一切諸

法そ一如として包括し︑諸法に持一遍的根操

t e

輿へるものである︒普通謂ふ所の空は有に封する室であって︑それ

は般若の空に似て非なるものである︒有に針する空は一往有沿否定し七ものであるから容であるには蓮ひない

が︑しかしその空は有に野立しに空で︑矢張定なる概念沿もつ宰であるから︑これ冶般若の盗観から見れば有と同

一に有所得とすべぎであって︑般若ではこれ

tq相待窓とか相似患とか呼んで且の般若的宰と匝別することになっ

てゐる︒般若の強調する且窓は勿論常識的有の観念冶否定するけれども︑にゾそれに止ら示室と否定するその主

観をも更に否定するのである︒古から般若の革本はあらゆる思惟分別そ超克しに無分別紺針のものである︒すで

に無分別と言はれる通り如何なる方法身以てするも表象し慨念化することの絹針に出来ないものなのである︒否

定に否定身重ねて械限まで抱ひつめ︑更にその柑限ぞ乗り越えにる絶針棋にして︑謂はY百尺竿頭挺に一歩冶越

え六る臨の境地である︑ざれば般若の本闘は極限慨念冶も乗り越えたる紺封京仁して︑そこ仁は全く思惟分別を

絶し一切の概念沿断かるから︑般若ではこれ在意味して一切法不受二一昧とか無評二一昧とか精してゐるο

この

や︑

に個々の存在在京じて絶封主にまで深めることは︑郎ち個々の特抹的立場ぞ超越して枇界の綿相に立つ普遍的立

場冶瞳認することであるから︑国洪水一の天地は虚無どころか却て諸法が一般的組相の意味に於て一見生してゐるので

ある︒今これや個人の修養的方而からするならば︑例措な否定して白己が絹針決なる北口﹄遍的綿相に立つことが印

ち般若の塑行であって︑そこでは個帳︑か皆普遍に立つから個は他と封立する個でなく︑任に匂みんuふ関係印ち綿

相一如に於である︑古から最早そこには執着がなく大虚空や遜舞するの慨がある︒それで般若の本行は自己がそ

の特殊的立場や超克して普遍的立場冶採り︑自己が衆生一一般と成り切ることである︒ネ闘の出穂鼎では諸法を一

度否定しにのであるが︑その到達貼では却て諸法冶普遍的なそして永恒的な意味に於て也前せしめてゐるのであ

る︒まことに般若の来観は︑諸法在ばその根源的意味に還元せしめる無上法であり︑まに諸法在ばその如貰相に

於て観照するところの大明呪である︒

以上の叙惑に依って︑般若の本一が軍なる虚無主義でなく寧ろ諸訟に不鐙不動の根操冶典へるものなること︑隠

って又後世言ふ所の同県安妙有なる術語がそのま込一般若の場合にも適合することなhpy

ぜ知

hり得仁積りである︒卸ち

般若は前掲の経文の如く一切諸法冶否定して絶針空を説くとともに︑その反面には宇一観の兵稽として諸法宜相・

諸法如・賢際・記繋・異性・法不捷性・同県知などと設く意味も自ら理解されることミ思ふ︒かや7に諸法が且主

なる妙法に照・りされて異知一貫相となるのであるから︑到って見れば諸法は固より不縛不解本来清浮であつにので

ある

︒こ の故 に経 に説 く︑

.,t 

須菩提υ

色本 際一 小縛 不解

︒何 以故

︒色 本際 無コ 所有 性−

HE

色︒受想行識乃至一切穣智本際不縛不解︒何以故︒本

般若絡に現はれたる偽身叡

一四

日本偽数準協令年報︵第十一年︶

一四

八 5 

際一

興一

所有

性−

是一

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智︒

︵大

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般十

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一一

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まに 一切 が本 来一 切智 々な るこ と去 就て 大般 若経 一一 一一 九初 分真 如口 間四 七之 二対 立捕 以︒

︶に

一切

知日

々郎

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受想

行識

一五

一五

︒ 諸天 子︒ 色郎 日記 一切 智々

一切智々印是色︒受想行識即是一切智々︒

と述

︑︑ へ︑ 以下 十二 庖十 八界 等も 本来 一切 智々 なる こと ぞ詳 説し てゐ る︒ まに 大般 若経 一九 九初 分難 信解 日間 二一 川一

N

一 八 詰

ν

にも一切諸法の本来清津なることや詳述してゐるが︑?とは特に皇警の本来清雪設け

る文冶掲け︑以て般芳の呉空が如何に徹底して煩悩凶菩提沿説くかや窺ふことにする︒

復究釜日現︒貧清浄郎色清津︒色清浮印食清津︒何以故︒是食清浄典色清浄無二無二分無別無断故︒食清浄郎受

想行 識清 揮︒ 受想 行誠 清浮 印食 清︑ 伊︒ 何以 故︒ 是貧 清浮 輿受 想行 誠清 津無 二無 二分 無別 無断 故一 五一 五︒

これに引き績き嘆焼の清浮伝説いてゐるが︑偽り長交の故に人ーは省略する︒かくの如く積極的に諸法の木来清

浄そ説くといへか﹂も︑それは諸法が各固定的存夜に於て清浄なる狂言つにものでなく︑般若の絶封空に照らされ

た場合のことや説いにものなることは一古川沿倹にないところであるが︑動もすれば兎角尭別見に陥り日勿き人間性冶

慮り︑般若の経典には諸法の本来清浄冶説くと同時に︑而もそれら市浮なる諸法は慢に照らさる込ものなれば︑

何虚までも無所有の立味に於て清ほげなるや忘れないやうじ誠めてゐる︒印ち大般若料四九初分厚詞薩日山一二一之三

大正歳五0

・ −

二七六

A I

若菩薩摩詞降︒以v臆二切符々心刊大悲錦ニ上背4

川ニ 無所 得一 而婿 ユ万 使− 如賢 削察

υ

昆如 何有 ニ恨 名目 施コ 設吉 説刊 昆如 不可 得故

︒法 界法 性法 定法 作離 血性 平等 性賢 際但 有三 仮名 一施 エ設 一一 円説 刊法 界乃 烹宮 際ぷ 吋得 故

υ

と遁べてゐる︒これはもとP

\諸 法不 可得 を説 ける 交で ある が︑ この 如く 一切 法泊

︑川 げと いへ

hともそれは印ち不可

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