【学位論文審査の要旨】
1 研究の目的
世界各地の中性〜弱アルカリ性の温泉水中には微生物被膜と呼ばれる複合微生物の固ま りがしばしば観察される。これら微生物被膜は緑や赤、オレンジ色などの鮮やかな色彩を 持つ層の重なりとして見えることが多い。これらは主に複数の光合成細菌により構成され ており、それらの持つクロロフィルやバクテリオクロロフィル、カロテノイド、フィコビ リンといった独特な光合成色素がその色合いの基となっているのである。微生物被膜の主 要構成者である光合成細菌が一次生産者となり、微生物被膜という複合微生物生態系を支 えているものと予想されている。このような微生物被膜は長野県中房温泉の温泉水中にも 見られ、様々な研究画行われて来た。しかし、光合成細菌及び混在する非光合成細菌の微 生物被膜内での垂直分布やその季節変動を詳細に研究した例はない。
本研究の第一の目的は、16S rRNA遺伝子アンプリコン解析法を用いて、微生物被膜を構 成する微生物の垂直分布を明らかにするとともに、それらの季節変動を解明することにあ る。また、微生物被膜から抽出した全DNAを用いたメタゲノム解析によって、主要な光合 成細菌と非光合成細菌それぞれのゲノム情報から明らかと成った生理学的な特徴とそれら の相互作用を検討することが第二の目的である。
2 研究の方法と結果
1)16S rRNA遺伝子アンプリコン解析による温泉光合成微生物被膜構成者の多様性と深度
依存
長野県中房温泉の微生物被膜を5月(日照時間が長く、日差しが強い)と11月(日照時 間が短く、日差しが弱い)に採取し、水平方向に5層に切断した。およそ1mm程度のそれ ぞれの層からDNAを抽出し、16S rRNA遺伝子アンプリコン解析を行った。なお、それぞ れのサンプルは別の時期に同一な場所から取られたものである。
解析の結果、微生物被膜の最上層に酸素発生型光合成細菌であるThermosynechococcus sp.が優先しており、その下の層には、酸素非発生型光合成を行うChloroflexus aggregans とRoseiflexus castenholziiが多数存在していることが明らかとなった。また、微好気性の 酸素非発生型光合成細菌と考えられるCa. Roseilinea sp.も中層に存在していた。また、非 光合成細菌と考えられる、未培養Acidobacterium sp.が表層近くに、Ca. Thermonerobacter sp.が底層付近に比較的多く存在していることが明らかとなった。
マイクロセンサーを用いた微生物被膜の深さごとの吸収スペクトルの解析から、可視光 領域(500−700nm)は表面から1mmの深さで1/100〜1/1000に減光するが、700nmより 長波長の赤外領域は充分に透過していることが明らかとなった。可視光領域の著しい減光 は表面付近に存在するシアノバクテリアである Thermosynechococcus sp.の有するクロロ フィルとフィコビリンによるものであるが、これら色素は赤外の吸収帯を有しないので、
赤外光は微生物被膜の深部まで透過し、その下層に存在する赤外域の光を利用する酸素非
発生型光合成細菌の生育を可能としていることが分かった。また、マイクロ酸素電極を用 いた酸素分圧の深度依存の試験では微生物被膜の表面から 2mm の深さまで酸素が供給さ れていることが分かり、上層部は好気的、下層部は嫌気的であることが示唆された。
なお、季節毎の比較により以下の事が明らかとなった。シアノバクテリアである Thermosynechococcus sp.は5月には表面付近から2mmの深さまで優占的に存在していた が、11 月には表面付近でのみ存在していることが明らかとなった。これは日照時間の長さ や日差しの強さが、本酸素発生型光合成細菌の優先度に影響しているものと考察した。ま た、酸素非発生型光合成を行うC. aggregansとR. castenholziiの存在深度が5月よ11月 で逆転していることが明らかとなった。これは、R. castenholziiとは異なり、C. aggregans がクロロゾームと呼ばれる弱行条件でも光を捕集出来る特別な器官を持っているため、11 月という日照時間が短く、日差しが弱い時期に光を求めて上層に移動した R. castenholzii の空間を埋めるが如く、C. aggregansが下層に移ったものと推論した。
(2)メタゲノム解析による温泉光合成微生物被膜の主要構成者の生理学的性質と微生物 間相互作用の推定
メタゲノム解析により、16S rRNA遺伝子アンプリコン解析で得られた1%以上の占有率 を持つ主要構成細菌のゲノム情報が明らかとなった。アセンブルされたメタゲノム情報か ら9つの分別ゲノム(bin)を得ることができた。このうち、光合成細菌由来のゲノムは四 種類あり、それぞれシアノバクテリアであるThermosynechococcus sp.とChloroflexi門に 属するC. aggregansとR. castenholziiおよびCa. Roseilinea sp.であった。それぞれのゲ ノム上には光合成細菌であることを示す光化学反応中心タンパク質遺伝子やクロロフィ ル・バクテリオクロロフィル合成系が認められた。これらの中でもCa. Roseilinea sp.は最 近縁株のCa. Roseilinea gracileとは16S rRNA遺伝子配列の相同性が96%しかなく、新規 性の高い光合成細菌であると考えられる。なお、この分別ゲノムを詳細に解析したところ、
この細菌の炭酸固定経路がこのグループで広く用いられている 3-hydroxypropionate
bi-cycleに係わる遺伝子は発見できなかった。また、酸素呼吸に係わる遺伝子を持っている
だけでなく、硫化水素の還元酵素まで有していた。このことは、この細菌が有機物を利用 した呼吸や光合成だけでなく、無機物(硫化水素)を用いた光独立栄養や化学独立栄養で 生育し得る可能性をも示唆する。
そ の 他 の 分 別 ゲ ノ ム は す べ て 非 光 合 成 細 菌 由 来 で あ り 、Acidobacteria 門 、 Armatimonadetes門及びChlorobi門に属するものであった。その中でもAcidobacteria門 細菌である未培養 Acidobacterium sp.は新規性の高いものであり、分別ゲノム情報の解析 から、主に呼吸で生育するが、硫化水素酸化酵素を持つことから、好気条件下で単に従属 栄養だけではなく、無機物を利用した呼吸によって生育できる可能性も示唆された。また、
先 の 16S rRNA ア ン プ リ コ ン 解 析 で 、 微 生 物 被 膜 の 底 層 に 多 く 見 ら れ た Ca.
Thermonerobacter sp.由来の分別ゲノムからは硫酸還元に関わる遺伝子が見つかっており、
微生物被膜底層の嫌気条件下で硫酸呼吸(硫酸還元)により生育しているものと考えた。
3 審査の結果
本論文は、温泉水中に発達した主に光合成細菌により形成される微生物被膜の構成微生 物の垂直分布およびその季節による変動を16S rRNA遺伝子アンプリコン解析で解明した ばかりでなく、メタゲノム解析によって含まれる光合成・非光合成微生物の生理学的性質 を明らかにしたものである。特に、微生物被膜の構成微生物の垂直分布を水平方向に1mm 毎に切断した層をそれぞれ解析し、且つ、季節によって光合成微生物の存在比率や垂直分 布が変わることを報告した例は中房温泉のものでは初めてのことであり、評価できる報告 であると言える。季節(日照変動)によって二種類の酸素非発生型光合成細菌の垂直分布 が入れ替わるという発見は微生物被膜の形成の解明に関して重要な意味を持つものと言え よう。また、メタゲノム解析によって共存する非光合成細菌の分別ゲノム中に炭酸固定に 関わる酵素遺伝子が発見されたことは興味深い事実である。微生物被膜中のこれら非光合 成細菌が、光独立栄養的に生育する光合成細菌の提供する有機物に主に依存指定来ている だけではなく、温泉水中の硫化水素がこれら非光合成細菌の有用なエネルギー源になって いる可能性が示唆されたことは大変意義深いことである。なお、本論文の内容の前半部分
(第一章)は、すでに英文学術雑誌に審査のうえ受理されており、後段の第二章も、今後 公表されるに十分値する内容を含んでいると判断できる。よって、本論文は博士(理学)
の学位に十分値すると判定した。
4 最終試験の結果
本学の学位規則および生命科学専攻内の申し合わせに従って最終試験を行った。公開の 席上で論文内容を発表し、生命科学専攻教員による質疑応答をもって論文内容および関連 分野についての最終試験とし、合格と判定した。