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博士論文 概要書
「 音声読書と し て の朗読研究」
-その文化的側面と 可能性-
Research on recitation as voice reading:
Its cultural aspects and possibilities
早稲田大学大学院社会科学研究科
地球社会論専攻 比較文化・ 比較基層文化論研究
小林良枝
2 1 研究の背景と 目的
本論の主眼は、朗読とは何か、 その本質を 問う こ と であ る 。 朗読の本質を 問う こ と を 通し て日本の文化や教育の中で、朗読や話し 言葉がど のよ う にと ら え ら れてき たのかを 探る 文化 論、 教育論を 横断する 試みでも あ る 。
筆者は長年テレ ビ 局でア ナウ ン サーを し て おり 、現在も フ リ ーのア ナウ ン サー・ 朗読家と し て活動を 行い、 ア ナウ ン ス ・ ナレ ーショ ン 技術の講師と し ても 教鞭を と る など 、 音声言語 活動に長く 関わっ ている 。 その経験的視点を 生かし ながら 、音声読書における読法としての 朗読という認識を提示し、朗読が行われてきた歴史を振り返ることで朗読のメディアとして の特質を多面的に捉え、朗読がコミュニケーションに果たす役割や、その可能性を考察して いきたいと考える。
朗読をめぐる状況として、2000 年代に入り 「 音読・ 朗読ブーム 」 が起こ っ た。 朗読を 行 う NPO団体や地域での学習グ ループが増え 、 性別や年齢を 超え 、 朗読を 聞いたり 、 行っ たり する 機会や場が提供さ れた。 ま た、2011年3月11日の東日本大震災以降、 放送メ ディ ア で は朗読の番組が急激に増え た。 主にラ ジオであ る が、 朗読番組が企画さ れ人気を 得ている の であ る 。
「 声を 出す」 と いう 読法であ る 朗読がなぜ注目さ れている のか、 人々の朗読への関心は何を 意味しているのであろうか。朗読というメディアの特質が、コミュニケーションにどのよう な働きかけをしているのであろうか。また、朗読はどのような可能性を秘めているのか、こ れらの問いの対する考察が求められている。
一般的に、 朗読は「 文章を 声に出し て朗々と 読む」 も ので、 「 音読にさ ら に表現技術を 加 え 芸術性を 目指す読み方」と いう 捉え 方を さ れている 。確かに朗読は文章を 読む行為であ る 。 し かし 、 筆者は朗読と は話し 言葉の範疇に入る も のと 考え ている 。 大石初太郎は話し こ と ば を 4つに分類し ている 。 大石の分類によ れば、 相手の存在があ り その相手に聞かせる 言葉と し ての原稿によ る 講演や式辞朗読、 あ る いは読ま せる 言葉と し ての作品の朗読は「 音声によ る表現伝達を一括して話しことばとする立場」からはこれら内容も話し言葉になると指摘し ている。筆者はこの立場に由り、朗読は話し 言葉の範疇に入る も のと 捉え 、 議論を 進めてい く こ と と する 。 し たがっ て、 朗読について論ずる こ と は、 読むこ と は勿論、 話すこ と を 論ず る 事にも 通じ る のであ る 。
朗読に関する 研究と し ては、文章を ど のよ う に読めば良いのかと いっ た方法論について多 く の研究がなさ れてき た。学校教育における 授業と し て朗読を ど のよ う に扱う かと いっ た研 究も 行われている 。 さ ら には、 演劇、 脳科学、 教育心理学等から の研究も みら れる 。 し かし 、 朗読の本質についての考察や、 時代において朗読がど のよ う に行われ、 ど のよ う に捉え ら れ てき たかと いう 歴史的、 体系的な 考察は明治時代以降ほと んど 行われていない。 そも そも 朗 読と いう 言葉はいつ頃から 使われだし たのか、 朗読は話芸なのか、 と いう こ と さ え も 確かで はないのであ る
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筆者は、 方法論と し ての朗読論を 展開する のではない。 音声言語によ る 文化史、 教育史を 朗読という切り口で結び、以上提示してきた問いを明らかにして朗読を体系的に示したいと 考える。
実用の上からも趣味の上からも朗読が見直されている今こそ、朗読の本質を問い、朗読を 話し言葉、パブリックスピーキングとの関係で捉えることが必要なのである。
2 構成
本論は、「序章」「終章」と以下「 朗読と 声」 「 『 読む』 と いう 行為に関する 考察」 「 『 聞 く 』 と いう 行為に関する 考察」 「 芸能の系譜における 朗読」 「 坪内逍遥と 森鴎外によ る 朗読 論争」 「 朗読論の推移」 「 国語教育と 朗読」 「 朗読に関する 脳科学・ 教育心理学の実験考察」
の8章から 成る 。
朗読を研究するにあたり、アプローチの視点が必要になるが、本論では、帰納的方法で朗 読と は何か、 その本質を 問う こ と を 目指す。 し たがっ て、 それぞれの章での問いかけ自体が 朗読を 構成する 要素そのも のであ る と 考え る 。
ま ず、 音声読書と いう 視点から 朗読を 位置付ける ために、 音声と 読書と いう 二つの観点か ら 朗読と は何か、 と いう 問いを 考え ていく こ と と する 。 繰り 返すが、 こ れが本論を 貫く 大き な問いかけであ る 。 大き な問いかけの答え を 求めて行く に当たり 、 朗読を 巡る 様々な視点を 挙げていこ う 。
第一に朗読する と はど う いう 行為であ る のか。 行為そのも のについて の考察が必要であ る 。 次に、 なんのために朗読を 行う のか。 朗読の目的や意味合いに関する 考察であ る 。 そし て、 朗読はど のよ う に行われてき たのか。 ど のよ う に考え ら れていたのか。 歴史を たど り 、 問題点や可能性を 明ら かにし ていく 考察につながる 。 さ ら には、 朗読を 聞く と いう 行為につ いても 触れていく こ と も 必要になっ てこ よ う 。
そこ で、 朗読の本質、 特質を 明ら かにし ていく 上で、 ま ず、 朗読を する 行為そのも のにつ いて論ずる こ と と する 。こ こ で言う 朗読を する 行為と は、すなわち、声に出し て作品を 読む、
と いう 行動を 指す。 こ の行為は、 「 声そのも の」 、 「 声を 出すプロ セス 」 、 文字を 「 読むと いう こ と 」 、 そし て「 何を 読むか」 、 つま り 「 作品の選択」 と いう 要素に分解でき る 。 こ れ ら が揃っ て朗読を する と いう こ と になる 。
以上の観点から 、第1章から 第3章においては、朗読における 基礎的な論考と し て「 音声」
「 読む」 「 聞く 」 と いう キ ーワ ード に基づいて論を 展開する こ と にし た。 第 4 章から 第 7 章ま では朗読の目的や意味合い、 歴史性を 共通テーマと し て、 音声言語で行われてき た芸能 やそこ での語り 口、 朗読と いう 読法の誕生、 教育と の関連を 述べ、 第8章で脳科学や教育心 理学の実験結果から 朗読の及ぼす作用を 考察する こ と と し た。
4 3 章別概要
第1章では、 朗読においての最重要要素であ る 声について、 声の生態から 論を 起こ し 、 息 と 霊性、 正し い発声と 日本語の構造の関係を 論じ 、 音質の観点であ る「 倍音」 から みた声を 論じ ていく 。 声の重要性を 意識化でき る 読法と し て、 朗読を 提示する 。
第2章では、 「 読む」 と いう 行為を 言霊や文字の誕生から 述べ、 文字を 読む脳のプロ セス を 確認し ながら 、 音読と 黙読と の関係性や、 読む行為が生体に与え た影響を 提示する 。 第2 章の最後は、ヨ ーロ ッ パにおいてギリ シャ ・ ロ ーマ時代から 行われてき た自作朗読について その行われ方と 意味を 述べ、 日本の読法の捉え 方を 照射する 。
第2章で論じ た「 読む」 こ と が対象へ向かっ ての行為と なる と 、 こ こ に読ま れる 相手と し ての聞き 手の存在を みる 。
第3章では、 「 聞く 」 こ と を 考察する 。 聴覚のメ カ ニズム を 明ら かにし ながら 、 聴覚と 触 覚の同質性、 朗読会と いう ラ イ ブ会場で形成さ れる 場と 空間と 聴衆の関係、 さ ら に聞く こ と の美と 快についての考察を 通し て、 「 朗読とは、聴く・語る・読む喜びであり、それに伴う 感動する心を発見する喜びである。その喜びとは、声を媒体とした作品を通して想像力を駆 使しながら、自らの心の奥深くに刻まれている記憶と向き合う瞬間の快である」という一つ の朗読の定義を 提示する 。
第4章のテーマは、日本における 語り 口の歴史と 芸能の系譜のなかに見る 朗読の位置付け であ る 。 「 朗読」 と いう 言葉が現在のよ う な使われ方を する よ う になっ たのは、 明治二十年 代こ ろ なのか、 ラ ジオ放送の登場と 共にあ る も のなのか、 はっ き り と 規定はでき ない。
音声言語で表現する 芸で「 話芸」 「 舌耕芸」 と いう 分類があ る が、 「 朗読」 」 は果たし て
「 話芸」 なのであ ろ う か。 その話芸を 形成し 確立し ていっ た源流はど こ に求めら れる のか。
ま た、 西洋から 伝え ら れた演説と 日本における 雄弁術と の比較においてその話し 方、 構成の 仕方はど のよ う な差異があ る のか。 朗読はど のよ う に捉え ら れていたのか。
こ の章では、 朗読と 話芸の関係性を 述べ、 話芸の系譜を 概観し ながら 、 「 日本の話芸の主 流を 占める も の」 であ り 、 「 日本人に最も 適し た話し 方を 研究し 樹立さ れた」 [関山 1992]
も のであ る 説教と 、 江戸時代に起こ っ た心学道話を 中心に日本の雄弁術の形成過程を 述べ、
明治期に取り 入れら れた演説と の比較を 試みる 。 こ こ では「 マス ロ ーグ 」 いう 「 ス ピ ーチに 代表さ れる よ う な 一方方向かつ、 一度限り のメ ッ セージ と し て 送り ださ れる 講話形態であ り 、 共同体を 解体、 細分化さ せていく 機能を も っ ている 」 [後藤 1989]語り 口を 通し て演説 や話芸と パブリ ッ ク ス ピ ーキ ン グ と の比較を 論じ 朗読の本質を 考察する 。
第5章では、 東京専門学校で1891年( 明治24年) に開催さ れた「 脚本朗読会」 を 取り 上 げ、 こ の朗読会を めぐ っ て坪内逍遥と 森鴎外によ り 展開さ れた朗読論争について論じ てい く 。 坪内逍遥と 森鴎外によ る 論争と いえ ば、 理想の意義を めぐ り 交わさ れた「 没理想論争」
が知ら れている が、1891年( 明治24年) の2月から 9月にかけて二人の間で朗読法のあ り 方に関する 論争が没理想論争と ほぼ時を 同じ く し て繰り 広げら れていた。 こ の論争は、 朗読
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の本質や問題点を 浮き 彫り にし たこ と から 、 朗読を 考え る 上で大き な出来事であ る と 考え る 。
こ の章では、 朗読論争と はど のよ う な論争であ っ たのか。 なぜ朗読法を めぐ る 論争が起こ っ たのか。 時系列に添っ てそれぞれの読法を 精査し 、 朗読論争が与え た読法における 意味を 考察する 。
第6章は、 逍遥が開催し た「 脚本朗読会」 以後に刊行さ れた朗読論・ 読法に関する 主だっ た著作から 、 朗読に対する 考え 方、 ま たそれら の著作から 窺い知る こ と ができ る 当時の朗読 の行われ方を 述べる 。 時代によ り 朗読に対する 考え 方が明ら かに違う こ と を 提示し ながら 、 朗読の目的や目指し たも のの推移を 論ずる 。
第7章は、 国語教育と 朗読について、 音声言語教育の行われ方と いう 視点から 論ずる 。 ま ず、2000 年の朗読ブーム が提示する 声と 身体性、 声と 文体の具体的な問題から 論を 興し 、 明治時代から 現在ま での音声言語教育史を ふり かえ る こ と で現出する 朗読が包含し て いる 問題点を すく いあ げ考察し ていく こ と と する 。国語教育において朗読がど のよ う に位置づけ ら れ、 行われてき たのかを 明ら かにする こ と は、 朗読だけでなく 日本人の話し 言葉への視座 を 照射する こ と になる のではないかと 考え る 。
さ ら に朗読と 読解の関係を 実際の国語科の授業のあ り 方を 通し て、 各論的に述べていく 。 読解ができ れば朗読も 自然にでき る よ う になる のか、と いう 読解と 表現力と の関係を 実験的 授業から 示し 、 こ れから の朗読の行われ方の一つの例を 提示する 。
第8章では、 朗読を 聞く 、 あ る いは朗読を 行う と いう こ と は身体的にはど う いう こ と なの か。 脳科学や教育心理学の実験検証を も と に、 朗読の活かさ れ方を 考察する 。
「 音読ほど 脳全体を 活性化する 作業を みたこ と がない」 と 指摘し ている 川島隆太の実験、
読み聞かせが幼児に生き 抜く 力を 与え る と いう 効果を 示し た 泰羅雅登の実験、朗読は耳から の読書であ り 、読書の一形態であ る と 分析し た藪中征代の児童を 対象にし た朗読聴取の実験 を 取り 上げる 。
それら の結果やこ れま での論考を 通し て「 朗読と は、 読み手が文字を 読む時の視覚と 声と いう 身体、 そし てその声を 聞く 聞き 手の聴覚を 循環する 運動であ る 」 と 朗読を 定義付けし 、 本論の問いかけを 整理し ていく 。
終章では、各章ご と に朗読と は何かを 問う こ と で見え てき た日本の基層文化と 朗読と の関 わり を 述べながら 朗読の可能性を 示し ま と めと する 。