フィンランドにおける教育に関する研究‐現代社会に求められる「学力」をどう育成するか‐
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(2) 一目次一. 序章 問題の所在と研究の目的 1.問題の所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.1 2.先行研究の検討と本研究の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.1 3.研究の方法と手順・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.2 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… P.4. 第1章 学力問題とPISA 第1節 学力の辞書的定義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.6. 第2節. 戦後における学力論争. 1.. 戦後60年間の教育的背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.10. 2.. 戦後60年間における学力論争史・・・・・・・・・…. 3.. 戦後60年間における学力観の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・… p.17. 一一H H p.13. 第3節 PISAからみる日本とフィンランドの学力 1.. PISAの調査結果をめぐって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.23. 2.. PISA調査の目的・内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.26. 3,. PISAとTIMSSの比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.27. 4.. PISAが測った学力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.39. 5.. PISAにおける日本の学力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p41. 6.. PISAにおけるフィンランドの学力・・・・・・・・・・・・・・・… p.45. 第4節 DeSeCoが提示するこれからの学力 1.. PISA開発の背景・・・・・・・・… 二・・・・・・・・・・・・… p.48. 2.. DeSeCoの作業プログラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.49. 3.. キー・コンビチンシーにおける学力概念・・・・・・・・・・・・・… p,51. 4.. キー・コンビチンシーについての検討・・・・・・・・・・・・・・… p.54. 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… H・・… H’H・p.58 第2章福祉国家フィンランド. 第1節 第2節. フィンランド共和国の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.68 フィンランドの歴史と教育. 1.. スウェーデン領時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.71. 2.. 自治大公国時代・・・・・・・・・…. 3,. フィンランドの独立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 4.. 第二次世界大戦後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.78. 5.. フィンランドの教育改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. ’・・’。…. ’・’’.’’p.73 p・76 .p.80.
(3) 第3節. フィンランドの教育制度. 1.. フィンランドにおける学校教育制度の概要・・・・・・・・・・・・… p.82. 2.. 評価と進学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 3.. 平等な教育機会を保障する教育制度・・・・・・・… 一・・・・・… p.87. 4.. 藩ちこぽれを防ぐ教育制度・・・・・・・・・・・・・… ’・・…. 5.. フィンランドの教育制度における課題・・・・・・・・・・・・・・… p.89. ...p.86 ’p.88. 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… P.91. 第3章 フィンランドの教育環境 第1節 フィンランドの教師教育 1. フィンランドにおける教師の社会的地位・・・・・・・・・・・・・… p.99 2.. フィンランドの教員養成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.102. 3.. 「調査研究的思考」という教師の専門性・・・・・・・・・・・・… p.104. 4. ヘルシンキ大学における教員養成課程・・・・・・・・・・・・・… p.108 5. フィンランドの教師教育における成果と課題・・… ∵・・・・… p.112. 第2節 フィンランドの読解指導 1. PISAにおけるフィンランドの読解力・・・・・・・・・・・・・・・… p.114. 2. フィンランドの読解力・母国語低下間題・・・・・・・・・・・・… p.114 3.. 「ルグ・スオミ」プロジェクト・・・・・・・・・・・・・・・・… p.115. 4. フィンランドの読解指導における課題・・・・・・・・・・・・・… p.117 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.121. 第4軍フィンランドの学習理論とカリキュラム 第1節エーリア・エンケストロームの拡張的学習 11. フィンランドの教育思想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p,125. 2. エーリア・エンケストロームの軌跡・…. 一・・・・・・・・・・…. p.126. 3. 活動理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.126 4. 第一・第二世代の「活動理論」・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.127 5. 第三世代の「活動理論」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.130 6.. 「拡張的学習」理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.136. 7、 発達的ワークリサHチ(DWR)・・・・・・・・・・・・・・・・… p.140 第2節フィンランドのrナショナル・コア・カリキュラム」 1. フィンランドにおけるナショナル・コア・カリキュラムの歴史・・… p.148 2. ナショナル・コア・カリキュ」ラムの位置づけ・・・・・・・・・・…. p.149. 3. 2004年フィンランド・ナショナル・コア・カリキュラム・・・・… p.150 4. 2004年フィンランド・ナショナル・コア・カリキュラムの特徴・… p.157.
(4) 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 」・・p.158. 第5章 フィンランドの学校教育実践 第1節 異質生徒集団における非選別型の学校教育 1.. フィンランドの学校生活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 2. 子どもが自ら学ぶ教育・・・・・・・…. .・・・・・・・・・・…. p.168 p.169. 3. 異質生徒集団における非選別型の学校教育・・・・・・・・・・・… p.170 4. フィンランドの教室環境・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.171 5. フィンランドの教科書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p,171. 第2節 フィンランド・メソッド 1. 北川達夫のフィンランド・メソッド・・・・・・・・・・・・・・… p.175. 2. 発想力の育成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.178 3. 論理力の育成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.181 4. 表現力の育成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.185 5. 批判的思考力の育成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.189 6.. コミュニケーションカの育成・・・・・・・・・・・・・・・・・…. p.191. 7. フィンランドの教育方法の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・… p,196. 庄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… P.199 終章 現代社会に求められる「学力」をどう育成するか 1. 本論文のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ..・p.205. 2. 現代社会に求められる「学力」をどう育成するか・・・・・・・・… p.208 3. 今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.212 神論. 「活動理論」を応用した教育実践・NSプロジェクト. 1. CHAT・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. p.214. 2.CBATが提案する「ハイブリッド型教育」・・・・・・・・・・・・・… p.214 3,NSプロジェクトー食をテーマにしたプロジェクト学習一・・・… ∵… p.216. 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ’・・… ’… p.220 資料 フィンランド年表・・・・・・・… .・’・.’’.・’’.’’… p.222 引用・参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.225 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… p.238.
(5) 序章 問題の所在と研究の月内 1. 問題の所在 国際ずヒ、情報化、高齢化、価値の多元化など、急速に変化し続ける現代社会の中で、先. 進国の学力観は知識中心から思考力中心へ、つまり社会に出て実際に使える能力へと転換. してきている1。例えば、OECD(経済協力開発機構)が実施するPISA(生徒の学習到達 度調査)を見ると、義務教育修了段階である世界の15歳児を対象に、それまで学校や様々 な生活場面で学んできたことを、将来、社会生活で直面する課題に活用するカがどの程度 身に付いているかを測定している。今日、新しい時代に必要とされる知識を生涯にわたり 獲得し、仕事や地域社会、個人の生活等で活用していく能力・技能を身に付けることは、 知識基盤型社会に対応する上で鍵となるという考え方が国際的な共通認識となっており、. 各国はこうした中で、教育改革に取り組んでいる2.PISAにおいて、日本は読解カの低下 や学習意欲の衰弱、学力格差が問題となったが、一方フィンランドがPISA一において好成績 を収め、注目を浴びることとなった3.. PISAの結果については、一般的な評価として以下のようなものが挙げられる。例えば、 福田(2006)は「日本の算数・数学教育は、関数概念の把握という数学の本筋からそれセ しまい、計算力重視といった断片的・技能的な教育が行われているということであろう。 それに比べてフィンランドでは、教育の成果が学問の本質に迫れるだけの質の高いものと なっているといえるだろう。4」と両国の「学力」の質について分析し、さらに「落ちこぼ しのないことが高学力の秘訣である。それは平等な教育によって保障される。フィンラン ドでは、その実現のために、特別な手立てがいくつも打たれている。5」と述べるなど、フ ィンランドを高く評価している。. しかし、近年の研究では、ラッヘルマ(2003)のように、PISAの読解力分野においてジ. ェンダー格差が上位を示していた事実について徴育のなかにおける性差別的な雰囲気が 存在している6」と述べ、さらに教師中心性といった学校文化における否定的な側面など、 いくらかの問題点も指摘されている7。フィンランドでは本当に平等主義の基、特別な教育 的手立てが成されているのであろうか。. 2. 先行研究の検討と本研究の目的 こうしたPISAの調査結果を背景として、フィンランドの教育は、近年きまざまな人物に よって、その研究が試みられている。その中でも、福田と中嶋、北川の3名は、その代表 人物として挙げることが出来る。. 福田は、フィンランドの教育制度や教師教育、教育内容・方法など、フィンランドの教 育について幅広い視点から研究を行っており、その教育の特徴を紹介している8。一方中嶋 1.
(6) は、PISA調査の実施以前からフィンランドの教育について研究を行っている数少ない人物 の一人であり、主にフィンランドの歴史について研究を行っている9。北川は、フィンラン ドの教育内容・方法を独自に分析し、「フィンランド・メソッド」と名付け、日本に紹介し. た。この「フィンランド・メソッド」は、その教育内容の面白さ、方法の珍しさから、近 年注目を集めている10。こうした福田・中嶋・北川の3名の他にも、フィンランドの教育 は、近年きまざまな人物によって研究が進められている状況である。. 例えば、佐藤や田中は、主にフィンランドの教師教育について研究を行っており、フィ ンランドにおける教師の専門性やその養成方法について紹介している11.12。また、庄井や山 住は、フィンランドの教育理論について研究を行っており13,14、教育内容・方法については、. 田中を挙げることが出来る王5。また、ヨウニ・ヴァリヤルヴィ(JouniVa1躯wi)など海外 の研究も紹介されている16。. このように、フィンランドの教育は、近年多くの人物によって研究されつつあるが、そ の研究は、具体的な教育実践について注胃されることが多いと考えられる。例えば、北川 の「フィンランド・メソッド」は、日本の教育実践にも適用されやすいことから、諸葛や 山根は、このメソッドをもとにドリル本寺を出版しており、日本の現場教師の良き教材と して扱われている17.18。このように、先行研究においては教育実践について注目が集まり、. その根拠となる理論についての理解が深められているとは言い難い状況である。. そこで、本研究では、福田のようにフィンランドの教育の特徴を幅広く取り上げながら も、学習理論に重点を置いて考察をする。エーリア・エンケストロームのr拡張的学習」. 及び、フィンランドの「ナショナル・コア・カリキュラム」を考察する中で、フィンラン ドの教育実践の根拠となる部分を探っていきたい。フィンランドにおける「学力の質」、ま. た、そうした「学力」はどのようにして育成されているのかを明らかにすることは、日本 の教育への示唆となると考えている。. 3. 研究の方法と手順 研究の方法としては、主にフィンランドの教育に関する文献と「学力」に関する文献を 基にして考察する。フィンランドの教育に関する文献については、上記のような先行研究 に加えて、これに関連する海外文献も幅広く取り上げ、フィンランドの教育についてより. 詳しく考察出来るようにする。また、従来の研究では扱われることのなかったフィンラン ドの「ナショナル・コア・カリキュラム」や「拡張的学習」に依拠する資料を取り上げ、. 重点的に分析・考察する。こうした作業を通じて、フィンランドの教育実践の根拠となる 学習理論を解明し、フィンランドの「学力の質」及びそうした「学力」はどのようにして 育成されているのかを明らかにする。. 考察の手順としては、まず、第1章において学力の概念について検討する。次に、第2 章では、フィンランドがどのような歴史を歩んできたのか、そして現在とのような教育制.
(7) 度を展開しているのかを考察する。続いて第3章では、教師教育、読解指導など「学力」. を支えるその教育環境を示していく。その後、第4章では、フィンランドではどのような 学習理論やカリキュラムに基づいているのかを検討し、その上で、第5章において、フィ ンランドの学校では具体的にどのような教育が行われているのかということを明一らかにす る。最後に、終章では、こうしたフィンラ・ンドの教育の特徴の中からフィンランドの学習. 理論を参考にして、フィンランドではどのような「学力」を重視し、そうした「学力」が どのようにして育成されているのかを明らかにしていく。.
(8) 注. 1福田誠治 『競争やめたら学力世界一一フィンランド教育の成功一』朝目新聞社2006,p.3. 2国立教育政策研究所編 『生きるための知識と技能3−0ECD生徒の学習到達度調査(PISA)2006年調査国際結果 報告書一』ぎょうせい2007,p.i. 3堀内都喜子 『フィンランド豊かさのメソッド』集英杜2008,p.5. 4福岡誠治 『競争やめたら学力世界一一フィンランド教育の成功一』朝日新聞社2006,p.29. 5同上、p,82 6ラッヘルマ,エリナ rフィンランドの子どもと教育」『人間と教育』39号旬報杜2003,p.102. 7関中孝彦 「フィンランドの基礎教育と教師教育」『なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高い か』国土杜2005,p.62. 8福田誠治 『競争しなくても世界一一フィンランドの教育一』アドバンテージサーバ]2005 『競争やめたら学力世界一一フィンランド教育の成功一』朝目新聞社2006 『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』亜紀書房2007. 『子どもたちに味来型学力」を』東海教育研究所2008 『フィンランドは教師の育て方がすごい』亜紀書房2009. 9中嶋博 「フィンランドの教育の歴史と現在」『なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか』 国土杜2005,p.6−22. rOECD〃ISA、教育大国フィンランドと日本の課題」日本プレスセンター2005(OECD 東京センター新春講演会).
(9) 10北川達夫 『図解フィンランド・メソッド入門』経済界2005. 11佐藤隆 「フィンランドの教師教育」『教育』56号国土杜2006,p.44−51. 『フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか』かもがわ出版2008. 12田中孝彦 「フィンランドの基礎教育と教師教育」『なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高い か』国土杜2005,p.55・66. 「教師教育の改革と教師像」『フィンランドに学ぶ教育と学力』明石書店2005,p.142・171. 13庄井良信 「コラボレーションの発達援助字」『フィンランドに学ぶ教育と学力』明石書店 2005,p.234−259. 「フィンランドにおける発達援助学の現在」『教育』55号国土杜2005,p.62・69. 14山住勝広 『活動理論と教育実践の創造一拡張的学習へ一関西大学出版部2004 『ノットワーキングー縞び合う人間活動の創造へ一新曜杜2008. 15田中博之 『フィンランド・メソッドの学力革命一その秘訣を授業に生かす30の方法一』明治図書. 2008 16 ヴァリヤルヴィ,ヨウニ(JomiV全1ijarvi). 「『質』と『公平』は対立する教育システムの原理か?一フィンランドの場合一」『京都教育. 大学教育実践研究紀要』第7号 京都教育大学2007,p141・149. 17諸葛正弥 『フィンランドメソッド実践ドリル』毎日コミュニケーションズ2008 『フィンランド教育 成功のメソッド』毎日コミュニケーションズ2009. 18山根道彦 『フィンランド式を応用した能力ドリル』メディアボーイ2007. 5.
(10) 第1章 学力問題とPISA 第1節 学力の辞書的定義 近年、学力低下を危惧する議論が活発に展開されている。しかし、その論議は錯綜しが ちで、依然として解決するには至っていない。ゆとり教育は学力低下の元凶であり、現在 のままでは子どもたちの学力は危機的状況を迎え、日本は国際的競争力を失ってしまうの ではないかという主張もあれば、学力とは、読・書・算といったいわゆる知識や技能など の能力としてだけではなく、関心や意欲、」態度といったものも含めた広義のものであり、. 学力低下とは一概に言えないのではないかという主張もある。つまり、学力についての議 論が錯綜しがちなのは、学力という言葉が曖昧に使用されているためである。. では、学力とはどのように定義づけられるのだろうか。また、学力という言葉や概念が 日本において使用され、論じられるようになったのはいつなのだろうか。現代において問 題視されている学力低下、また絶えず展開されている学力論争、これらの状況を整理し、 解決するためには、まず学力の定義を明らかにすることが大切である。. 図表1’1は、教育学辞典に記載されている学力の定義を一覧表にしたものである。これら 教育学辞典は、大正期から現代まで、様々な人々によって執筆されてきた。そこでは勿論、. 学力も様々な人々によって定義され、論じられてきたのである。ここでは、この教育学辞 典での定義を参考に、学力というものを多面的に考察していく。 <図表1・1;学力の定義一覧>. 学力の定義. 年代. 1910. 学力についての記載なし。. ∼1940年代. 能才、能力なら存在1λ3,4。. 1950年代. 学力とは、生徒の学業成績としてあらわされる個人及び集団の能力であ る。一般に能力は仕事を成し遂げる力であって、仕事の性質によってそれに 要求される能力の性質や程度も違ってくる。学力は、学校教育で要求される 生徒の能力であって、その仕事は教育の目的によってきめられた教育の内容 である。教育の内容は教育に対する時代や社会の要求によってちがうから、. 学力の評価も時代や社会の要求によってちがうわけである。現在では、普通 教育の教科としては、国語、数学、社会科、理科、芸能、保健体育、職業、. 家庭がみとめられ、芸能や体育のほかに職業や家庭のような技能に関する教 養が重んせられるようになった。したがって、学力といっ.てもそれは単なる. 知識だけではなく、技能をもふくめた能力であり、広く学習能力を意味する ものである5。. 1960年代. 学力とは経験を通じて学習した能力という言葉に使われている。つまり、.
(11) 習得した能力ということである。学力という言葉は一般的に使われるとき、 必ずしも習得と同義には使われない6。. 1970年代. 学力とは学習によって獲得された能力のことである。学習の対象となる教 育の内容は、教育の目的に従って用意され、教育に対する社会や時代の要求 によって異なる7。. 学力の概念は一義的に規定されうるような教育学的なコンセンサスをま だ確立していない。それは学力の概念が教育の本質観・学校観・価値観等と. 不可分の関係にあり概念規定をする人の考え方によって規制されるからで ある。学力の一般的な概念規定としては「学習によって獲得された能力」「生. 徒の学業成績としてあらわされる個人および集団の能力」などと定義されて いる。しかし、これらの定義は形式的・操作的な定義であって学力の内実を 教育目的・内容・方法・評価などとのかかわりにおいて具体的・実践的に明 らかにしているとはいいがたい8。. 1980年代. 学校における学習で獲得した能力とされるが、より広く意図的、計画的な 学習によって達成された能力、特に認識能力のことをいう9。. 1990年代. [学力]①学間の力量。がくりき。②[教コ学習によって得られた能力。 学業成績として表わされる能力と説明している王O。. 経験を通じて学習した能力を意味して用いられることが多いが学力観の 相違を反映して定義には異論がある。学力を最も広義する立場によれば学力 とは個人の可能性とほぼ同義語に用いられ、操作的には発達と学習の成果と して獲得され、現時点において発揮できる能力と定義される。近年「新しい. 学力観」が唱えられ、知識、技能にとどまらず学習者の興味、関心を重視す. べきとの主張もなされているがそれを適切に評価することが可能かという ことについては問題が多い11。. 2000年代. 学力の概念については、一義的に定義づけられる教育学的なコンセンサス はいまだ成立していない。それは、学力の概念がすぐれて人間観や発達観、. 教育観や学校観等と深いかかわりをもち、教育や学校に対する時代や社会の 要請・要求によって規制されているからである。学力の一般的な定義として は、「学習によって得られた能力」とか、「学業成績として表わされる璋力」. とかの一応の定義がなされているが、操作的・形式的な定義であることは否 めない。そこには、人間の本質、人間の発達と教育との関係、教育実践との かかわりにおいて、その内実や課題が必ずしも明示されているとは言いがた い12。. 7.
(12) このように、学力は遥か昔から様々な著者によって定義され、論じられてきた。では、 学力とは一体どのように定義づけられるのだろうか。図表1−1の各年代における学力を比較 して、どのような共通点が見出されるだろうか。図表1−1から学力について考察したところ、. 以下2つの点を明らかにすることができた。. ①学力の登場時期 学力という言葉や概念が日本に登場したのは、1950年代頃であるということがわかる。 なぜなら、1910∼1940年代に出版された教育学辞典においては、「能才」「能力」という言. 葉の定義については記載されているものの、学力の記載は見られず、学力を発見すること が出来たのは、1950年代のものが初めてであったからである。つまり、学力が日本におい て使用され、論じられるようになったのは、第二次世界大戦が終結してしぱらく経た1950 年代頃であるということがわかる。. ②学力の定義 学力は、一般的に「学習によって獲得された能力」または「学業成績として表わされる 能力」と定義づけられるということがわかる。なぜなら、図表1−1における学力の定義とし て、共通して多いものはr学習によって獲得された能力」(1970.1980.1990.2000年代)ま たは「学業成績として表わされる能力」(1950.1970.1990.2000年代)であったからである。. つまり、学力とは個人及ぴ集団が教育場面において何かを獲得することが出来た能力を示 し、さらに、その能力は成績として見たり測ったり出来るものとして、一般的に定義づけ られる。. ただし、その定義については、大変広義なものであり一義的に定義づけることは困難で あるということに留意しでなければならない。なぜなら、学力は1950年代の登場時期から ギ生徒の学業成績としてあらわされる個人及び集団の能力である」と明確に定義づけられ ながらも、それと同時に「それは単なる知識だけではなく、技能をもふくめた能力であり、. 広く学習能力を意味するものである」と記載されている。その後、50年間を経た2000年 代においても「学力の概念については、」義的に定義づけられる教育学的なコンセンサス はいまだ成立していない」と記載されている。つまり、学力は知識だけにとどまらず技能 などを含めた広義なものであり、その定義については、登場時から絶えず論議が展開され ており、いまだ確立されていないということがわかる。. 現代においても、学力についてはあらゆる捉えられ方がされており、学力についての論 議や論争は絶えず行われている。こうした申、文部科学省は、変化の激しいこれからの時 代を生きる子どもたちには「生きる力」を育むことが重要であると述べ、この力の育成を 教育理念として掲げている。では、この「生きる力」とは一体どのような力を示すのか。 この「生きるカ」について、文部科学省は以下のように説明をしている13。.
(13) r生きるカ」とは、次の3つのカを総合的に備えたカを示す。 ○ 基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して、自ら考え、判断し、表現すること により、さまざまな問題に積極的に対応し、解決する力. ○ 自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな 人間性 ○ たくましく生きるための健康や体力 つまり、「生きるカ」とは、変化の激しいこれからの社会を生きる子どもたちに育むべき 力であり、「確かな学力」、「豊かな人間性」、「健康と体力」の3つの要素から成る力を示し. ている。文部科学省は、現代の子どもたちに育むべき力として「生きる力」を挙げており、. その中でも、子どもたちに育むべき学力として「確かな学力」というものを挙げているの である。. 9.
(14) 第2節戦後における学力論争 日本の教育学辞典に学力という言葉や概念が登場したのは、第二次世界大戦後の1950年 代であるということがわかった。戦後は、占領軍アメリカのもと日本が大きな教育改革を 成し遂げた時期である。当一時、戦後新教育に対する批判から読・書・算といった基礎学力. の低下が問題となり、学力についての論議や論争が展開されていた。それからほぼ半世紀 を経た後の現代においても、再び学力低下が深刻な問題となっており、学力論争は絶えず 展開されている。. 戦後から現代までの60年間、日本ではどのような動向があったのか。また、学力はどの ように捉えられ、育まれてきたのだろうか。ここでは、戦後60年間の日本における教育的 背景を追いながら、学力論争の歴史、学力観の変遷について明らかにしていく。. 1.戦後60年間の教育的背景 1945年8月15目、日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏することで第二次世界大戦 終結を迎えた。そして、10月2目には、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置され、. 日本は事実上アメリカの占領下となった。戦時中、日本の学校教育活動はほぼ停止状態で あったといえる。1941年、小学校は国民学校と名を変えており、当時、学校では軍事訓練 や防災訓練が行われていた。また、空襲が激しく教室で授業することが難しいため、分散 授業を実施する学校もあった。戦後、アメリカはこのような日本の超国家主義、軍国主義 を一掃し、民主主義の教育へと変革を図る。日本の教育は、戦前の詰込主義、画一主義、 忠孝のように服従を強いる教授法を改め、アメリカの児童中心主義的な教育思想に基づき、. 子どもの自発的な学びを重視する民主主義の教育へと変革していった。つまり、戦後に変 革された民主主義の教育は、日本国民のカではなく、占領軍アメリカによる管理政策、間 接統治の影響を強く受けているとされる14.. 1946年11月3目、教育を受ける権利が定められた新憲法が公布され、全ての国民に平 等な教育機会が保障された。そして、1947年3月3日には教育基本法が公布され、その前 文及び第1条においては、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者 として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に 充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と教育の目的が規定 されている。これは、戦前の教育勅語に代わる新しい教育理念として、その後、受け継が. れていくこととなった。そして、このような戦後教育における民主化の中で、日本はあら ゆる教育改革を進めていく15。. 例えば、1947年4月、義務教育年限を3年延長し、学校制度を戦前の複線型から単線型 に改める6・3制が実施される。また48年には、国の教科用図書の編集、発行などの権限 について国定教科書から検定教科書へと転換、それと同時に教育委員会も発足された。こ 10.
(15) れにより、中・高等学校への進学機会が拡大され、教育水準の向上、教育行政の民主化、. 地方分権化などが進んでいくのだが、一方で、教育における競争主義が広がっていく動向 も見られた16。このように、日本の教育は戦前の権威主義の教育から民主主義の教育へと変. 革されていくのだが、戦後教育における民主化政策は、日本国民のカではなく占領軍アメ リカによる管理政策、間接統治の影響によるものであったという問題点が、1950年頃から の教育に徐々に影響を及ぼしていく17.. 1949年、中華人民共和国が成立、翌年50年には朝鮮戦争が勃発する。それに伴って、 文部省は学校における君が代、日の丸の復活、さらには、修身科の復活を提唱し、当時の 首相吉田茂は愛国心の再興を文教政策の筆頭に掲げた。そして58年、学習指導要領の全面 改訂が行われ、修身科に代わる新しい教科として、道徳の時間が特設された。この道徳の 特設については、当時、学校における道徳教育は有効か否かといった道徳論争が展開され ている王8。そして、その後55年から70年代半ばにかけて、日本は高度経済成長期を迎え ることとなる。背景としては、57年のスフ㎞トニクショックなどによる米ソ冷戦対立があ った。このように、世界が科学技術革新を進めていく時代の中で、日本は国際競争力を強 化し、経済発展を成し遂げていくことが求められた。経済界は、科学技術者の量的確保と 質的向上を求め、それに伴って、教育界も高度な知識・技能の育成を目指すこととなるの である19.. 1960年代、日本はアメリカのJ・S・ブルーナー『教育の過程』を参考にして、教育内容の. 現代化の実現を試みる。当時、小・中学校では従来とは大幅に異なる高度な学習内容が盛 り込まれ、分厚い教科書の内容を消化するために、新幹線授業とも呼ばれる早すぎる授業 が展開された。このような高度経済成長政策による能力主義の教育が推し進められる申、. 当時の首相池田勇人は国民所得倍増計画を提唱し、68年目本はついにアメリカに次ぐ世界. 第2位のGDP国となり、経済発展を成し遂げた。そして、経済水準の上昇に伴って、日本 では学歴志向が高まっていくこととなる。70年代においては、学歴志向が高まったことで、. 受験戦争が過熱化し、塾通いの子どもたちが増加した。また、高校進学率については、55. 年において約5p%だったのに対し、61年には60%、75年には90%となっており、ここか ら高校進学率の急上昇が明らかである20。このような能力主義の教育により、受験戦争が 過熱していく中で、様々な教育問題が生じていく。. 例えば、教育内容の現代化によって高度な教育内容が盛り込まれたため、授業にっいて いくことが出来ない「落ちこぼれ」の子どもたちが増加した。当時、学校の教育内容を理. 解している子どもは小学校において7割、中学校で5割、高等学校では3割であるといっ た、いわゆる七五三構造の状況であったと言われている。また、学校嫌いを理由とする長 期欠席者、不登校者が増加し、無気力・無関心・無感動といったやる気のない投げやりな 子どもたちの姿が見られた。そして、そのような教育問題を解決するために、教師も多忙 を強いられ、過労から精神的疾患を患い休職してしまったり退職してしまったりする燃え 尽き現象(バーンアウト現象)も問題となった21。このような教育荒廃現象から70年代後 11.
(16) 半においては、能力主義による差別と選別の教育に対して批判や非難の声が相次ぎ、人間 的な教育の充実を求める運動が展開されていくこととなる。. 1977年、「ゆとりと充実」を掲げた学習指導要領が告示される。これは、70年代に顕在 化した落ちこぼれ、不登校、燃え尽き現象などの教育荒廃現象は、能力主義の教育によっ て塾や学校の勉強に追われ、ゆとりのない生活を送っていた子どもたちの生活が大きな理 由であると考えられたためである。新学習指導要領では、従来の授業時数を削減し、各教 科等の目標や内容を絞って、子どもたちにゆとりある充実した学校生活を与えることを目 指した。教育は高度な知識カよりも、知・徳・体の調和のとれた人間形成を目指一し、学間. 中心の教育から人間中心の教育へと変革していった。しかし、一方で私立学校は従来と変 わらず教育内容の削減を行わなかったため、公立学校と私立学校との学力差が生まれたと いう問題が起こっている22.. 1980年代になると、世界は国際化、情報化社会に突入していく。その背景の1つとして、. 61年から封鎖され続けていたベルリンの壁が89年に破壊されたことなどが挙げられる。日. 本も、このような世界の状況に応じて、80年代半ばから実用通信衛星を運用したりNHK による文字多重放送の実用化試験が行われたりするなど、情報化、国際化社会へと突入し ていった。そして、教育もこのような社会状況の変化に対応することが求められた。例と して、情報教育の導入、高等学校における世界史必修化、高等学校や大学でのカリキュラ. ム多様化などが挙げられる。情報化、国際化、それに伴う価値の多様化など、社会の各方 面における著しい変化に対応し、生涯にわたる学習の基盤を培うことが重要だとする生涯 学習体系への移行が図られていった。しかし、このような教育改革の一方で、受験戦争の 緩和やいじめ、登校拒否などの減少といった効果はあまり見られなかったという事実もあ る23。. このような教育荒廃現象への効果が見られなくとも、日本の教育はゆとり教育を教育理 念に掲げ続けた。1996年、「21世紀を展望したわが国の教育の在り方について」を審議し た中央教育審議会は、第1次答申r子どもに<生きる力>と<ゆとり>を」の中で、rこれ からの学校教育においては、これまでの知識を一方的に教え込むことになりがちであった 教育から、自ら学び自ら考える教育へと、その基調の転換を図り、子どもたちの個性を生 かしながら、学び方や問題解決などの能力の育成を重視するとともに、実生活との関連を 図った体験的な学習や問題解決的な学習にじっくりとゆとりをもって取り組むことが重婁 である」という改革構想を提言している24.98年には、学習指導要領が改訂され、基礎基 本の徹底という観点から従来の教育内容は3割も大幅に削減される。さらに、中・高等学 校における外国語、高等学校における情報科が必修科日とされ、完全学校週5日制を実施、. 総合的な学習の時間の新設など、日本は教育課程を多様化し、選択制を拡大するといった 教育改革の推進に取り組んでいく25。このように、日本は60年代からの知識偏重の教育か ら一転、70年代後半からはゆとりの中で生きるカを育むことを理念に、個性重視の教育を 進めてきた。しかし、2000年に入って、日本は初めてゆとり教育を見直すことになる。 12.
(17) 2004年12月、経済協力開発機構(0ECD)が03年に実施した「生徒の学習到達度調査」 (PISA;Programme危rIntemationa1StudentAssess㎜ent)の結果が発表された。この 世界的にも多規模な国際学力調査の結果によって、以前から論じられていたゆとり教育へ. の批判が本格化することとなる。日本は2000年に実施されたPISA結果に比べて、2003 年は国際的に大きく順位を下げた。特に読解力分野においては、2000年の8位から2003 年は14位と後退し、世間では学力低下が論じられた。また、PISAは学力だけではなく、 生活実態(学習の背景)についても調査しており、そこで日本の子どもたちの学習に対す る意欲や関心に課題が見られた。このような子どもたちの学力低下、勉強離れを脱却すべ く、日本はゆとり教育の見直しに突入していく26.. 2006年、教育基本法が改正され、さらに09年には学習指導要領が改訂される。新指導 要領においては、従来からの教育理念である「生きる力」をより一層育むことを目標とし、. 確かな学力、豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力といった3つの力を備え た学力の育成を掲げている27。このように、従来からの教育理念を引き継ぐ一方で、教科な. どの授業時数を増加し教育内容を改善することも試みている。このような教育改革につい て、文部科学省は60年代のような詰め込み教育への転換ではなく、基礎的基本的な知識・ 技能の習得、一定の教育水準を確保するためであると述べ、説明している28。. 2、戦後60年間における学力論争史 第二次世界大戦が終結してから現代までの60年間、日本は教育改革を絶えず繰り返して きた。当時の社会状況に対応して、教育も変化が求められたためである。そして、その教 育内容や教授法とともに、その教育理念ともなる学力観も変化してきた。例えば、高度経 済成長期において、日本は科学技術を支える高度な知識・技能の育成を目指していたが、. 70年代後半になって、教育荒廃現象が問題視されると、高度経済成長期の学力観とは一転 して人間力の育成を目指している。つまり、戦後60年間目本はその時々の社会状況、教育 問題から、学力とは何か、現代社会に求められる学力とは何かといった論議や論争を絶え ず展開し続けてきたのである。. では、このような長年に渡る学力論争は、どのように大きく区別することができるだろ うか。学力論争を、その社会状況に応じて大別して捉えることは、戦後から現代までの学. 力観の変遷を把握することに繋がる。このような戦後60年間における学力論争は、以下の ように3つの時期に大別して考えることができる。. ①第I期;基礎学力の低下をめぐる論争 第I期は、戦後1945年から1950年代半ば頃にあたる。この時期は、占領軍アメリカの もと、戦前の超国家主義、軍国主義が見直され、民主主義の教育へと変革が図られた時期 である。日本は、詰め込み教育といわれる教授法を改め、アメリカの児童中心主義に基づ 13.
(18) いた、子ども主体の教授法へと変革したのである。当時、戦前の教育において育まれてき た百科全書的、主知主義的な古い学力ではなく、これからの社会においては、生活単元学 習や問題解決学習を軸にして、生きて働く力、生活間題処理力としての学力、問題解決能 力といった新しい学力が育まれるべきであると主張された。しかし、戦後新教育は戦後の 混乱・復興期を背景としていたため、子どもたちの生活基盤、教育環境の劣悪さ、教育の 施設・設備の貧困といった悪条件が重なり、読・書・算といった基礎学力の低下という実 態を巻き起こしてしまうこととなった29。依田(1952)は、このような戦後における教育 動向について、次のように述べている。. 徽凌の新教浄にガず.る荷物として、学力の低下ということが多くのノし々によって擬 にされた。あ6ノしは、このごろの子ど邑たちは、あたクま差の漢字が読めなかったク、善ζ. げなかったク、また計算カなど邑剖こぐらべてひどぐ落ちでいると茅って、いわゆ6新教 浄を弟難している。こ力にガ乙、ま虐勉のλは、新教廓こよってげっして学力ぽ衡下して い在れ磨一騎から猫象され虐誘・書・算の力は、あるいは、芽の子ど邑よクいくらか劣っ. ているか邑劾れ伽1が、熾野を席次ナ6カや社会生盾の産力在とは、鞍砺の子ど色だちよ ク邑著しく進んでいるといって、新教浄を弁護している。ま虐、厨じく学力の抵アをψぷ ノし々のψ/こる、 だカ〕ら芽の劔主義葦の教浄で在/ゾれ〆ゴなら在いとレiラよラ/こ、 単ノ斑/こ織. 浄の進歩姓を抹殺しようとする主張邑あれば実カの抵ηこ新教浄の檀昂微佐を揚敏しよ うとナう議誇色ある。30ノ. 当時、このような基礎学力の低下の問題をめぐる混乱した状況を整理し、解決していく. ため、読み書き能力調査委員会による日目本人の読み書き能力調査」をはじめとして、多 くの学力調査が行われている。そこで、読・書・算の能力の低下はほぼ否定できないもの として、基礎学力の低下が明らかとされたが、「読・書・算の能力の低下をもって基礎学力 の低下といえるのか」、さらには「学力そのものの低下と断定できるのか」、などの疑問が. 新教育論者を筆頭として多方面から提起され、基礎学力の概念や性格、構造、さらにはそ の根底としての学力そのものをめぐっての論争が展開されていった31。戦後新教育におけ る基礎学力の低下間題は、学力とは何か、現代社会に求められる学力とは何かという論議 や論争の幕開けであったといえるだろう。. ②第皿期;教育内容の現代化をめぐる論争. 第皿期は、1950年代半ばから70年代後半、いわゆる高度経済成長期にあたる。この時 期は、57年のスプートニクショックなどによって米ソ冷戦対立が悪化、日本も先進諸国に 肩を並べ豊かな経済力を得ようと、科学技術の向上が目指された時期である。そして、学 校教育においても科学技術を支える高度な知識・技能の育成が目指されていったのである。. このような社会状況に伴って、数学教育協議会は、従来の戦後新教育に基づく生活単元 14.
(19) 一学習や問題解決学習を否定し、科学の理論的体系と子どもの認識発達に即した系統的教育 の必要性を主張した32.J・S・ブルーナーの『教育の過程』に倣い、自らの研究・実践活動 について「数学教育の現代化」と呼称を与え、「水道方式」と名づけられた教授法を発表し. た。この水道方式について、生活教育連盟のリーダーである梅根悟は、その論文「水道方 式は一般化できるか」(『生活教育』昭和37年3月号)において、「水道方式は何ら革新的 なものでないばかりか、詰め込み的教え込み主義である」と批判している33。. このように、学校教育における教授法や教育の在り方について論議が展開される中で、. 1960年、当時の首相池田勇人は国民所得倍増計画を提唱、それに伴って、経済審議会は答 申「経済発展における人的能力開発の課題と対策」において、「教育においても、社会にお いても能力主義を徹底する」と発表した34。. つまり、日本は経済成長に向けて、高度な科学技術を支える科学技術者の量的確保と質的 向上を目指したのである。こうして、教育は戦後新教育における民主主義の教育から一転、. 科学技術を支える高度な知識・技能の育成、英才の開発を目指した能力主義の教育へと変 革していく。. 1968年、「現代化カリキュラム」とも呼ばれる学習指導要領が改訂される。この指導要領. は、科学技術の向上という観点に立って、数学教育を中心に教育課程が根本的に改造され た。教育課程においては、従来とは異なる高度な学習内容が盛り込まれ、授業においては、. 主に画一主義、詰め込み主義的な教授法が展開された。また、能力別クラス編成や飛び級 などを含めた学校制度の変革も行われた。61年には、英才の発見、能力の測定の場として、. 文部省が「全国一斉学力テスト」を実施している。このような能力主義の教育成果もあっ て、日本はめまぐるしく経済成長を遂げ、先進諸国と同等の経済力得るようになるのだが、 能力主義への批判や非難の声も多くあった35。. 能力主義による能力別クラス編成や飛び級など、学校制度体系の多様化は、平等主義に 反しているという非難や批判の声である。さらには、能力主義の教育は、選別すること、 すなわち差別することであるといった批判もあった36。つまり、能力主義の教育においては、. テストなどを行うことによって、差別感情が生まれてしまうのではないかという危険性が 指摘された。それに対し、能力による区別は差別ではないとの反論も多くあった。当時、 中央教育審議会は、能力主義への批判を退けるべく、次のように論じている。. 傭筈学校への進学率が80%をご左、生徒の麓カ、遊姓、適跨筈が多厳に分化している 男次でな、斎筈学校の教納呑/こついて遊奴な多康佐を行ない、数奇の蕨をあげて、傲 λのη窮僅を最大解/こ箸揮させるよ〃こし伽フカばなクま甘ん。これば、ひとクひとクの 圭φ着の確佐6ク催メ…をβざブ’邑ので享あク、 倣入0筋クや切碧燈を、無慮した形崩ク平く箏/こよ. る厨一佐教浄の弊穿を除去しようとする邑ので充 したがって、いわゆる学力ψ心の湖4 教浄を打つだク、ま虐一つのコーヌに生徒を励じ込め、その威麦の可碧姓の芽をつ邑5と ナる邑ので色炭してあクません。37」. 15.
(20) さらに、中教審はエリ}ト教育問題についても「調和のとれた人間形成を阻害すること にならないよう、じゅうぶん注意」し、「また、教育の現場で飛び級の対象となるような生 徒の教育を重視し、その他の生徒の教育を軽視するようなことはもちろん許されません」 と述べ、反論している38。. ③第皿期;ゆとり教育をめぐる論争(1970年代後半∼2000年代) 第皿期は1970年代後半から2000年代にあたる。この時期は、落ちこぼれや不登校、燃 え尽き現象などの教育荒廃現象が顕在化し、能力主義の教育からゆとり教育へと変革が図 られた時期である。当時、このような教育荒廃現象は、受験戦争の過熱化によって子ども. たちがゆとりのない生活を送ってしまっていることが大きな原因であると考えられたため である。. 1977年、「ゆとりと充実」を掲げた学習指導要領が告示され、そこでは教育内容が削減さ. れ、子どもたちにゆとりある学校生活を与えることを実現させた。従来の能力主義の教育 は、偏差値偏重、知識偏重教育であると否定され、1987年の臨時教育審議会の第4次答申 においてF個性の重視」「教育個性化」が教育理念として掲げられるなど、これからの教育. においては、個性を重視するべきであるとの考えが主張された39.90年代に入ると、文部 科学省は、r自ら学ぶ意欲や、思考カ、判断力、表現力などを学力の基本」とする噺しい 学力観」を提唱、知識や技能よりも、関心・意欲・態度を重視する評価方法を導入し、高 校入試においては、学力よりも内中を重視する政策を推進した40。さらに、96年には中央 教育審議会が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第 1次答申において、「白ら課題を見つけ、白ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、 よりよく問題を解決する能力」であり、「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思 いやる心や感動する心など、豊かな人間性」であり、「たくましく生きるための健康や体力」. である「生きるカJを提唱、変化の激しい社会に対応して、学力を幅広く捉えた。そして、. 98年に改訂された学習指導要領では、小・中学校の教育内容を3割大幅に削減し、同年に 完全学校週5日制も実施された41。こうして、日本は能力主義の教育から、ゆとり教育へ と変革を遂げるのだが、一方で90年代後半頃から学力低下が論じられるようになる。 1999年、戸瀬・西村が『分数が出来ない大学生』、01年には『算数が出来ない大学生』. という著書を出版しており、そこでは、1O人に2人の割合で当時の大学生は分数計算する ことが出来ないという調査結果(1998)が明らかとされた。このような大学生の学力低下 間題は、その後、ゆとり教育批判、さらには学力低下論争を巻き起こすこととなった。戸. 瀬・西村は、この著書において、このような大学生の学力低下は、A0(一芸)入試の導入 や入試科目数の削減などによって、生物を高校で学ばずに医学部に進学できたり、数学を 学ばずとも経済学部に進学出来たりできる現状があると述べており、ゆとり教育による教 育と学校の多様化、弾力化などの問題点を指摘している42.43。 このように、大学生の学力. 低下問題を発端として、日本では再び、知識重視か個性重視か、ゆとりか詰め込みかとい 16.
(21) った論議や論争が展開された。. 2001年8月、学力低下への危機的状況を受けて、文部科学省は「学力向上フロンティア・ スクール」を打ち出した。そこでは、基礎的基本的な確かな学力の向上に向けて、教科担. 任制や少人数学級、習熟度別授業などが導入されている。さらに翌年1月には、アピール 「学びのすすめ」を提出、そこでは、確かな学力の向上を図るために、宿題や補習を奨励 するなど、一見これまでのゆとり教育見直しともとれる見解が含まれている44。 日本は、. 生きるカの育成という教育理念を引き継ぎながらも、ゆとりだけではなく、基礎・基本の 知識といった確かな学力の習得を重要とした。そして、これらの学力向上政策や現在の学 力論争に対して、文部科学省は、ゆとりか、詰め込みかではなく、基礎的な知識・技能の 習得と思考力・判断力・表現力の育成の両方が大切であると述べている45。. 3.戦後60年間における学力観の変遷 戦後60年間、学力についてはあらゆる捉えられ方、論じられ方がされてきた。当時の社 会状況に対応して、育成される学力も変化し続けてきたのである。. では、このような戦後60年間における学力観はどのように変化してきたのだろうか。ま た、そうした学ヵ観はどのような教育的背景によるものだろうか。. 図表1−2は、戦後から現代までの間に出版されているものであり、さらに学力について論 じている著書の」部を一覧表にしたものである46。学力は、その登場時期から様々な人々に より、その著書の中で論じられてきた。この図表1・2における著書題目を参考に、学力観の 変遷を考察していく。. <図表1−2;学力に関する著書一覧> 出版年. 著者. 著書題目. 発行元. 1950. 『学力の問題』. 大田秦. 日本教育学会. 1950. 『学力について』. 沢田慶輔. 日本教育学会. 1951. 『基礎学習の性格と問題』. 海後勝雄. 誠文堂新光杜. 1952. 『算数學カー學力低下とその責験』. 久保舜一. 東京大学出版会. 1952. 『基礎学力の防衛』. 国分一太郎. 新教育協会. 1953. 『拡大された基礎学力』. 広岡亮蔵. 金子書房. 1956. 『子どもの能力と知能』. 坂本一郎. 岩崎書店. 1957. 『基礎学力』. 広岡亮. 金子書房. 1957. 『基礎学力論』. 城丸章夫. 千葉教育センター. 1958. 『算数・数学の学力』. 黒田孝郎. 明治図書. 1962. 『腕の中の技術と生活字カ』. 国民教育研. 日本教職員組合. 究所 17.
(22) 1963. 『人間の能力政策の必要性』. 経済審議会. 大蔵省印刷局. 1964. 『学力、基礎学力とは何か一高い学力、生きた. 広岡亮蔵. 明治図書. 学力一』. 1964. 『能力の定義』. 勝田守一. 国土杜. 1964. 『受験一能力と学カー』. 海老原治. 三一書房. 佐藤興文. 1967. 『創造学力の開発』. 扇田博元. 明治図書. 1971. 『教育の能力主義的再編批判一教育的価値の. 堀尾輝久. 労働旬報杜. 観点から一』. 1974. 『生きた学力の形成』. 吉岡昇. 国土杜. 1976. 『子どもの能力と学力』. 坂元忠芳. 青木書店. 1978. 『テストで能力がわかるか』. 池田央. 日本経済新聞社. 1979. 『能力・学力・人格』 『能力’学力’人格』. 坂野登. 東京出版. 1981. 『見える学力、見えない学力』. 庫本裕史. 大月書店. 1983. 『学力遅滞一落ちこぼれ一』. 米川秀樹. 福村出版. 1984. 『知力と学カー学校で何を学ぶか一』. 波多野誼史. 岩波書店. 1987. 『低学力の克服とことばの力』. 日本作文の. 民衆杜. 会. 1989. 『遊ぶカと生きる力一伸びる芽をどう育てる. 高橋敷. 朱鷺書房. 加藤幸次. ぎようせい. か一』. 1989. 『学力と個性の間一個性を育てる学校教育の 創造一』. 1992. r家庭でのばす見えない学力』. 岸本裕史. 小学館. 1993. 『噺しい学力観」の読みかた』. 坂元忠芳. 労働旬報杜. 1994. 『新学力観を乗り越える』. 教育科学研. 国土杜. 究会. 1995. 赤旗教育取. r意欲と学力』. 新日本出版社. 材班. 1996. 『新学力観と基礎学カー何が間われているか. 安彦忠彦. 明治図書. 一』. 1996. 『大きな学力』. 寺内義和. 労働旬報杜. 1999. 『新しい学力観と解放の学力』. 中村拡三. 明治図書. 2000. 『基礎基本の徹底一教育内容の厳選と新学力. 高田喜久司. 教育開発研究所. 加藤幸次. 契明書房. の育成一』. 2001. 『学力低下批判一子どもが「生きる」学力とは. 高浦勝義. 何か一』. 18.
(23) 2002. 『育てよう人間力』. 梅原利夫. ふきのとう書房. 2003. 『基礎学力を育てる』. 人間教育研. 金子書房. 究協議会. 2003. 『希望としての学力一豊かなことばと表現が. 村山士郎. 桐書房. 人間教育研. 金子書房. 学力の土台』. 2004. 『「確かな学力」を育てる』. 究協議会. 2004. 『協同学力一知の創造とこれからの学び一』. 梶浦真. 教育報道出版社. 2005. 『基礎学力がつくワークショップ型授業』. 土佐彰. 学陽書房. 2006. 『学力一いま、そしてこれから一』. 山森光陽. ミネルヴァ書房. 荘島宏二郎. 2006. 『キー・コンビチンシー一国際標準の学力をめ ざして』. ドミニク・ 川. 一. h. 明石書店. ’. 刀Eフイテ エン ローラ・S・. サルガニク. 2007. 『権カミな学力と豊かな学カー各国教育改革の. 原田信之. ミネルヴァ書房. 汐見稔幸. 旬報杜. 実態と学力モデルー』. 2008. 『子どもの学力の基本は好奇心です一汐見先. 生の素敵な子育て■. 2008. 『学力とは何か』. 諏訪哲二. 洋泉杜. 2008. 『消える学力、消えない学カー算数で一生消え. 田中保成. ディスカヴアート. ない論理的思考力を育てる方法一』. 2008. ウエンテイワン. 『活用型学力が育つ授業デザインー事例から. 吉崎静夫. ぎようせい. 学ぶ一』. このように、学力はその登場時期から様々な人々により、その著書の中で論じられてき た。そして、その著書においては、当時の学力についての問題を提起するものもあれば、 学力そのものの捉え方を論じているものもあった。 では、この図表1・2における著書題目から、どのような違いや共通点が見出されるだろう. か。また、学力観はどのように変化しているだろうか。図表1−2から学力観の変遷について 分析したところ、学力観の変遷は大きく3つに区別して考えることができる。. ①学力観I;基礎学力 学力観Iは、基礎学力としての学力観である。図表1’2によると、およそ1950代に出版 19.
(24) されたとの著書においても、この基礎学力という言葉が共通して多くみられるからでる。. 1950年代は、第二次世界大戦が終結し、アメリカの児童中心主義のもと、日本が教育改 革を進めた時期である。当時、戦後新教育については、「新教育によって、子どもたちの読・. 書・算といった基礎学力が低下してしまった」という批判、非難の声が多くあった。r2. 学力論争史」で紹介した、いわゆる基礎学力論争の時期である。. このような教育的背景にあったため、当時は基礎学力について論じられている著書が多 いということがわかる。そして、1950年代の学力観は、読・書・算といった基礎学力とし て、一般的に捉えられていたということがわかる。. ②学力観∬;能力 学力観皿は、能力としての学力観である。図表1−2によると、1950年代では基礎学力と. いう言葉が多く見つけられたのに対して、1960年から70年代に入ると、この能力という 言葉を多く見つけることができる。. 1960年から70年代は、日本ではちょうど高度経済成長期にあたる。科学技術者の量的 確保と質的向上が求められ、それに伴って、教育においては、高度な知識・技能を育むた めに教育内容の現代化が図られた時期である。当時、このような能力主義の教育は、「受験 戦争の過熱化を巻き起こす」「能力主義の教育は、選別すること、すなわち差別することで あり、平等主義に反する」といった批判、非難の声が多くあった。「2.学力論争史」で紹 介した、いわゆる教育内容の現代化論争の時期である。. このような教育的背景にあったため、当時は能力主義の教育について論じられている著. 書が多いということがわかる。そして、1960年から70年代においては、能力としての学 力として学力を捉え、さらに83年に米川が出版した著書題目を見ると、落ちこぼれなどの 問題があったことも明らかである。. ③学力観皿;新しい学力観と基礎学力(もしくは、確かな学力). 学力観巫は、新しい学力、基礎学力としての学力観である。図表1−2によると、1950年 代、1960年から70年代に出版された著書題目に比べて、80年代以降のものは、学力は様々 な表現によって論じられている。その表現は、生きる力、新しい学力、個性、意欲、人間 力、ことば・表現、基礎学力、確かな学力、論理的思考力、などなど、さまざまである。. その中でも、新しい学力と基礎学力(確かな学力にも対応)が比較的多く見つけることが できたため、一学力観皿は、新しい学力観と基礎学力とした。. 1980年代以降は、落ちこぼれや不登校、燃え尽き現象などの教育荒廃現象が顕在化し、 能力主義の教育からゆとり教育へと教育が大きく変革した時期である。白ら学ぶ意欲や、. 思考力、判断力、表現力などを学力の基本」とする「新しい学力観」が提唱されたが、当 時、ゆとり教育については、「子どもたちの基礎学力が低下した」という批判、非難の声が 多くあった。「2.学力論争史」で紹介した、いわゆるゆとり教育論争の時期である。. 20.
(25) このような教育的背景にあったため、当時は新しい学力や基礎学力について論じられて いる著書が多いということがわかる。また、1980年代の学力観は、新しい学力や基礎学力 に限らず、あらゆる捉え方がされているため、「学力とは何か」といった学力論議が激化し ていることがわかる。. このように、図表1・2における著書・論文の題目を分析することで、戦後から60年間の 学力観を、大きく3つに区別して考えることができた。図表1−3は、図表1・2において明ら. かにすることができた学力観と、今まで論じてきた教育的背景、学力論争を対応させ、ま とめたものである。. <図表1・3;学力観の変遷〉. 教育的背景. 学力観. 年代 戦後から. O 「読・書・算」といった. ○ 第二次世界大戦終結. 1950年代. 基礎学力. ○ 軍国主義から民主主義へ. ○ 算数(数学)学力. ○ 画一主義、詰込主義から、児童中心主義. ○生きて働くカ. に基づいた民主主義の教育へ. ○生活問題処理能力. ○ 平等な教育機会の保障. 基礎学力 論争期. o. ○ 読・書・算といった基礎学力の低下間題. 1960年代か. ○ 知識の系続性. ○ スプートニクショックなど米ソ冷戦対. ら70年代. ○ 高い学力(高度な知識・. 立. 技能). ○ 科学技術革新時代. 「教育内容. ○ 能力としての学力. ○ 教育内容の現代化. 現代化」. ○ 知能. ○ 民主主義から能力主義の教育へ. ○ 生活学力. ○池田内閣による「国民所得倍増計画」. ○ 創造学力. ○ 日本の経済発展、世界第2位のGDP国. 論争期. ○ 生きた学力. ¢. ○学歴志向の高まり、受験戦争の過熱化 ○落ちこぼれ、不登校、燃え尽き現象 ○能力主義の教育に対する批判. 1980年代か. ○新しい学力観. ○国際化、情報化社会. ら2000年代. ○生きるカ. ○生涯学習体系への移行. ○個性. ○詰め込み教育からゆとり教育へ. ○人間カ. ○教育内容の3割削減 21.
(26) ゆとり教育 論争期. ○ことばのカ、表現. ○完全週5日制の導入. ○協同学力. O 「総合的な学習の時間」の新設. ○キ]・コンビチンシー. ¢. ○確かな学力、基礎学力. ○大学生の学力低下間題. ○意欲、好奇心. O PISA結果による学力低下問題と子ども. ○論理的思考カ. たちの勉強離れ. ○活用型学力 図表1−2,1.3から、日本の学力観はその各時代の教育的背景に対応して、絶えず変化し. てきたということがわかる。そして、時代とともに学力の概念はより広義なものとして捉 えられているということがわかる。. 現代、子どもたちの学力低下が大きな問題として叫ばれている。「このままでは、子ども たちの学力が危ない」「ゆとり教育のままでいいのか」といった学力をめぐる論争が繰り返 されている。. では、子どもたちの学力は本当に下がっているのだろうか。学力の概念が不明確なため、. もしかしたら一概に低下しているとは言えないのではないか。また、学力は各時代の教育 的背景に対応して変化してきた。各時代において求められる人間像、学力像は変化するた めである。では、現代社会において求められる学力とは何なのであろうか。戦後1950年代、. 60年代、70年代などとは異なった学力観が求められるはずである。. 第3節、第4節では、このようなことについて論じていく。. 22.
(27) 第3節PISAからみる日本とフィンランドの学力 1.PISAの調査結果をめぐって 戦後から、絶えず学力はその捉え方や在り方について論議や論争の対象とされてきた。. そして、現代においてもrこのままでは子どもたちの学力が危ない」rゆとり教育のままで いいのか」といった学力をめぐる論争は活発に展開されている。 このような現代における学力論議が本格的に話題に上りはじめたのは、「総合的な学習の. 時間」や完全学校週5日制の導入をうたった学習指導要領が本格実施された2002年頃から であると言えるだろう。そして、近年この議論をさらに加速させたものとして、経済協力. 開発機構(0ECD)が実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA;Pm距amme血r Intemat1oa1StudentAssessment)の結果を挙げることが出来る47.. 2004年12月、03年に実施されたPISAの調査結果が発表された。本調査の数学的リテ ラシー、読解力、科学的リテラシーといった全ての分野において、日本の順位は低下した。. 特に、読解力分野においては、日本の順位は8位(2000年)から14位(2003年)と大き く低下しており、学力低下が叫ばれるようになった48。つまり、PISAは現代における学力 論争、学力低下間題の発端であるといえる。. 図表1−4,1−5,1・6を見てもらいたい。これは、それぞれ2000年、2003年、2006年に おけるPISA結果である側5q51。 く図表1・4;PISA2000年調査における平均得点の国際比較49> 順位. 数学的リテラシー. 得点. 読解力. 得点. 科学的リテラシー. 得点. 1. 日本. 557. フィンランド. 546. 韓国. 552. 2. 韓国. 547. カナダ. 534. 日本. 550. 3. ニュージーランド. 537. ニュージーランド. 529. フィンランド. 538. 4. フィンランド. 536. オーストラリア. 528. イギリス. 532. 5. オーストラリア. 533. アイルランド. 527. カナダ. 529. 6. カナダ. 533. 韓国. 525. ニュージーランド. 528. 7. スイス. 529. イギリス. 523. オーストラリア. 528. 8. イギリス. 529. 日本. 522. オーストリア. 519. 9. ベルギー. 520. スウェーデン. 516. アイルランド. 513. 10. 一 tフンス. 517. オーストリア. 507. スウェーデン. 512. 11. オーストリア. 515. ベルギー. 507. チェコ. 511. 12. デンマーク. 514. アイスランド. 507. 一 tフンス. 500. 13. アイスランド. 514. ノルウェー. 505. ノルウェー. 500. 14. リヒテンシュタイン. 514. フランス. 505. アメリカ. 499. 23.
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