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第2節  フィンランドの歴史と教育

 フィンランドは1917年にロシアより独立し、フィンランド共和国として成立した国であ る。では、フィンランドは植民地時代から、現在まで、どのような歴史を歩んできたのだ ろうか。現在、福祉国家として医療費や教育費の無償など、手厚い社会福祉政策が行き届 いているが、かってはどうだったのだろうか。ここでは、フィンランドの社会と教育の歴 史について考察する。

 現在のフィンランドの土地に人が定住するようになったのは、わずか1万年前のことで ある。当時、フィンランドは、主に毛皮猟師と漁師が一時的に野営する場所であった呈6。そ れから現在まで、フィンランドの歴史は主に4つの時期に大別して考えることができる。

1.スウェーデン領時代

 第I期は、「スウェーデン領時代」である。フィンランドの人々は、自然豊かなこの土地 で狩漁などにいそしみながら生活を送っていたが、10世紀以後になると、この平和な生活 は一転することとなる。政治的にはスウェーデンと、のちのロシア、宗教的にはローマン カトリック教とギリシア正教とが、この自然豊かな土地とその住民の獲得に乗り出してき たのである。やがてこの争いは、政治的にはスウェーデン、宗教的にはローマンカトリッ ク教が勝利を収め、その後スウェーデンはフィンランド西海岸トゥルクを拠点に勢力を拡 大していった。1155年には、スウェーデンのエリク九世が十字軍を編成し、フィンランド のカトリック化、属領化を図っている。スウェーデンは、南西地区を占領した後、トゥル クをスウェーデン名であるrオーブー」と名付け、事実上フィンランドはスウェーデンの

」部となったのである17。そして、その後フィンランドは、スウェーデンの社会制度や宗教 などその文化に大きく影響を受けていくこととなる。

 当時、教育は教会が行っており、修道院付属学校や13世紀に建てられたオーブー(フィ ンランド名;トゥルク)大聖堂付属学校で授業が行われていた。授業は、ローマ・カトリ ック教会の礼拝用語であるラテン語で行われ、聖職者の育成が目的とされていた18。そして 15世紀に入ると、グラマー・スクールタイプの学校も急速に発展に遂げていく。しかし、

こうした学校に通うことができたのは、ごく一部の支配階級・知識階級の子どもたちだけ であり、宗教改革が訪れるまで、一般民衆の子どもたちは非識字の状態であったのである

19。

 こうした当時の状況を打破したのは、オーブーの大司教ミカエル・アグリコラ(岨kae1 Agrico1a1508−1557年頃)である。アグリコラは、r国民教育の父」、rフィンランド語の父」

として知られている。アグリコラは、フィンランド南部の農民の子として生まれ、ヴィー ボルイとオーブーの学校で学んだ後、1536年から39年までヴィッテンベルク大学に留学、

ルターとメランヒトンのもとで神学を学んだ。帰国後には、オーブー大聖堂付属学校の校

長となり、1550年には司教となっている。ルターに師事していたアグリコラには、福音は 母語によって教会のもとにある全ての人々に直接伝えられるべきものであり、そのために は全ての民衆が読方の能力を身につけるべきだという考えがあった。フィンランドにおい ては、19世紀半ばまで、スウェーデン語が支配階級・知識階級の言語であり、フィンラン ド語は一般民衆の日常言語ではあったが、書きことぱとしては16世紀にいたってもなお確 立されていなかった。アグリコラはこのような状況を打破すべく、全ての民衆に読方の能 力を推進していく。例えば、1542年には、フィンランド語で印刷された最初の著作物であ る『ABC読本(ABC ki匂a)』を刊行している。また、4畠年には、『フィン語新訳聖書』を 刊行し、フィンランド語で教理間答を教えることを可能にした。その後、アグリコラは1552 年までに計10冊もの著作物を刊行しており、民衆の読方といった初歩教育に大きく貢献し た。これが、アグリコラが咽民学校の父」、「フィンランド語の父」として知られる所以

である20.

 16世紀末には、現在の初等教育と中等教育の一一^部に相当する教育を行う三学学校

(thvia1sko1a)がオーブーとヴィーボルイに2校、それより程度が低く規模も小さい下級 学校(mi11dre sko1or)が5技あり、それぞれラウムー、ボルゴー、ヘルシングフォス、ビ ェルネボルイ、ノーデンダールに置かれていた。そして1627年、イーサク・ロトーヴィウ ス(IsakRothovius)がオーブーの監督になることで、フィンランドの教育はさらなる転機 を迎えることとなる。ロト」ヴィウスは、スウェーデンのヴェステロースに設立された新 しい学校形態のユムナーシウム(gymnaS1um)が従来の三学学校や大聖堂学校よりも高度 な教育を行っているのを見て、オーブーにもユムナーシウムを設立することを提案し、1630 年にそれを実現した。これはフィンランド最初のユムナーシウムであるが、スウェーデン 王国全体では4番目のものにあたる。ユムナーシウム設立によって、フィンランドの学校 形態は大きく変わっていく21。

 大聖堂学校はペダゴーギウム(peaagogium)となり、ユムナーシウムヘの準備教育を行 う機関となった。ユムナーシウムの年限は4年であり、ここで生徒たちはラテン語による 討論や朗読、文章作成、聖歌などを学んだ。ペダゴーギウムの年限は6年であったため、

オーブーでは通算10年の教育が行われていたことになる。やがて1640年になると、オー ブーのユムナーシウムは大学(ak劔emi)に昇格し、ペダゴーギウムは三学学校となった。

この頃から、フィンランド各地では多数の三学学校やペタゴ』ギウムが設立されている。

例えば、40年にはビェルネボルイに、41年にはヘルシングフォスとウージカールレビュー に三学学校が設立されている。三学学校より程度の低いペダゴーギウムについては、39年 にオーランド島のサルトヴイクス、タ]ヴァステブース、ニュースロットにそれぞれ設立 されている。そして1600年代半ばには、ユムナーシウムが1校、三学学校が6校、ペダゴ ーギウムが10余校、さらに3校の庶民学校が設置された。こうして、多数の教育機関が設 立され、教育機会が広がるようになったが、農民など、一般大衆のための教育は不充分で あったとされている。ユムナーシウムや三学学校は、聖職者や行政官僚、上層市民のため

の教育機関として、ペダゴーギウムは小市民のための教育機関として機能していたため、

人口の圧倒的多数を占める農民は、教会において教理問答暗記の指導を受ける程度で、ほ ぼ組織的教育活動は受けることが出来ていなかったのである22。

 一般大衆の人々が組織的教育活動を受けることができるようになったのは、1600年代後 半からである。1686年、就学の義務を規定した「スウェーデン・フィンランド教育法」が 制定された。この法律では、全ての人が読むことを学び、宗教教科書を学ぶことなどが規 定され、教理間答説教、教理間答口頭試間に出席を怠る者に罰金を課すなど、強制就学の ための厳重な罰則も設けられている。しかし、その内容は暗語のみであり、朗読や読方の 知識については以後200年にわたって強制されなかった。当時、フィンランドでは何とか 詩篇と福音書を読むことができ、教理問答を暗記さえしていれぱ、初等民衆教育は充分で あると考えられていたのである23。

2.白治大公国時代

 長い間、スウェーデンの統治下にあったフィンランドであるが、19世紀になると、今度 はロシアに併合されるようになる。北欧長期戦争やナポレオン戦争を通じて、スウェーデ ンのいわゆるバルト帝国は完全に崩壊した。すると1808年、ロシアはフィンランドを攻撃、

同年7月には、フィンランドをロシア帝国領に併合すると宣言した。しかし、フィンラン ド人の農民や兵士の抵抗が大きく、ロシアはフィンランドに対する宥和政策をとらざるお えない形となった。1809年、ポルヴォーで開かれた議会において、フィンランドの支配階 層はロシア皇帝をフィンランド大公として推戴すること、一方ロシア皇帝はフィンランド に対し、スウェーデン領時代から国民が享有してきた諸法や諸権利を変更せずに保障する ことを確約した。こうして、フィンランドは自らの憲法や議会、行政組織、軍隊を持ち、

独自の教育、協会、通貨、関税、税制、郵便の制度を持つようになった。フィンランドは 初めて自治大公国として独自の道を歩み始めたのである24。

自治大公国となったフィンランドにおける教育は、ロシア語が教科として導入されたこと 以外、特に変更はなく、フィンランドは従来の教育形態を維持していく形となった。1843 年、フィンランドにおける最初の教育法規である「フィンランド大公国ユムナーシウム及 び学校規定」が裁可されている。フィンランドの中等学校には1724年のスウェーデンの学 校法が適用されていたが、約I20ぶりに新しい独自の規定が作られたのである。この法律 において、国費で維持される学校は、①初等中学校(e1emen±arsko}a)、②上級中学校(ho騨e e1ementarsko1a)、③ユムナーシウム(gymnas1um)、④女学校(血untImmerssko1a)の4 つにまとめられるようになった。なお、以前のペダゴーギウムや三学学校は、初級及び上 級の中学校に含まれるようになっている。この学校法における特色は、教育活動全般を通 じて言語教育に大きなウェイトをかけていることである。例えば、初等中学校は1学年ま たは2学年制であるが、第1学年からスウェーデン語、フィンランド語、ラテン語を学ぶ