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『へえ、たったの・下・びき? うちの水そうには、百万ぴきはいるわよ。」
ユッシも負けずにじまんしました。
「だけど、ほくなんて、雨つぶを、なん百万個も舌でキャッチしたよ。」
サーラも話に加わってきました。
「たいしたことない1二やない。わたしはホースから1・億個は飲んだんだから。」
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「ああ! もちろん見えたよ。」 、 タルはくすくす笑いながら言いました。
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リんなが笑っているのか、よくわかりませんでしたが、いっしょに笑って。いま
した。
8時になりました。ラミが家に帰ろうと、みんなに提案しました。そのと き、カウノ先生が校庭に入ってきて、自転卓に乗ったまま叫んだのです。
ム{「ごめん、ごめん。遅くなって。だけど、みんなのほうが早すぎたんだ。
蟹乗は9時に始まるんだよ。」
引
」。・・
この語を腕んで、次の問いに答えなさい。
^1うそを言うことと、おおげさに言うことは、ど のように蓬うと思いますか。自分の意見を書き
な さい。
81文中の生徒の中で、おおげさに言うのがいちば んじょうずな生徒はだれだと思いますか。その 生徒を選んだ理由も■きなさい。
この図表5・3における物語文rまた会えたね」の設問4Aは、「うそを言うことと、おお げさに言うことは、どのように違うと思いますか。自分の意見を書きなさい」という設問 である。つまり、ここではrうそを言うこと」とrおおげさに言うこと」の違いを明らか にすること、そしてそれを自分の意見として、分かりやすく説明することが求められてい る。では、この設問にはどのようにして答えれば良いだろうか。
例えば、この問題の解き方の例として、辞書で・「うそをっく」と「大げさに言う」とい う言葉を調べてそれらの違いについて明らかにするという方法が考えられる。しかし、こ の問題では、単にこれらの違いを明らかにするだけではなく、それを自分の意見として分 かりやすく説明することも求められている。このことについては、例えば、辞書で調べた これらの違いについて自分の体験に結びつけて説明する、あるいは、身近な出来事に置き 換えて説明するといった方法が考えられる。さらに、こうして出来上がった説明文を友達 に見てもらい、分かりやすいかどうか見てもらうのも良い方法である19。こうして考えると、
答えに到達するまで非常に長い道のりである。
この問題が掲載されている国語教科書の出版社WOSY杜のリトバ・ランツ教育出版局長 は、「この問題に、答えはありません。国語教科書の最大の目的は『生徒に考えさせること』
であって、『答えを見つけ出すこと』ではないからです。フィンランドの国語教科書、特に 小学生用のものは、すべて『生徒に考えさせること』を第一に考えてつくられています」
と述べている。つまり、物語文「また会えたね」にあるこの問題においても、子どもたち に考えるきっかけ、あるいは話し合うきっかけを与えているものであり、たったひとつの
「正答」に到達させるものではないのである20。このように、フィンランドにおいて、教科 書は学習するためのひとつの資料、あるいは、学習へのきっかけを与えてくれるものでし かないのである。
1992年、フィンランドでは、教科書検定が廃止された。教科書は唯一正しい知識の集成 ではなく、一つの良質な資料・案内であると捉えられているため、公権力による検定は必 要なく、自由採択とされている21。フィンランドの教師たちは、自分の判断で教科書を選択 し、さらに教科書以外にもさまざまなテキストを活用している。学習は、教科書の申だけ で終わるものではなく、教師が提示する小説や新聞記事、写真、映画など、さまざまな物 を使うことによって行われる22。教科書が絶対ではなく、さまざまな学習教材を使っでどの ような学びをしていくのかということを教師と子どもたち自身が考えていくのである。
第2節においては、実際にこの教科書を分析しながら教師と子どもたちがどのような学 びを作り上げているのかということについて、詳しく考察していく。
第2飾 フィンランド・メソッド
フィンラシードのナショナル∵カリキュラムを考察することで、フィンランドの教育では、
全ての学年を通してコミュニケーションカの育成を重視しているということがわかった。
一では、フィンランドでは、このコミュニケーションカをどのようにして育成しているの だろうか。ここでは、第1節でも取り上げたフィンランドの国語教科書とフィンランドの 教育方法として紹介されている「フィンランド・メソッド」を参考にして、フィンランド が重視している「コミュニケーションカ」は、どのようにして育成されているのかを考察
する。
1.北川達夫のフィンランド・メソッド
フィンランドの授業において」番広く使用されているWOSY杜の国語教科書を見てみる と、その教育内容や方法について検討することが出来る。低学年においては、一斉授業が 多く、しっかりと文章を読み、言葉の意味や綴り、発音等を徹底して学習させるなど、基 礎学力の育成に重点を置いている。ただし、その授業自体は、教え込むのではなく、歌い ながら、あるいは物語のキャラクターを動かしながら楽しんで予習することが出来るよう に、教育方法が工夫されている23。
中学年以降になると、グループ学習が主体となり、低学年における基礎学力に加え、問 題解決的な要素が加わってくる。例えば、子どもたちに物語文を読ませた後に「自分で物 語を書きましょう」「影絵劇を作ろう」といった課題を取り入れるなど、日本では「総合的 な学習の時間」以外では取り組めないような、多様な学習活動が取り入れられている24。
フィンランドの教育方法は、一般的にこの中学年以降の教育方法が注目されることが多 い。例えば、北川達夫は、この中学年以降における教育方法を取り上げ一「ラインラント・
メソッド」として紹介をしている。
北川は、1991年から98年の7年間、外交官としてフィンランドに滞在していた人物で ある。現在では、外交官を辞し、北欧文化教育総合研究所の所長及びフィンランド・メソ ッド普及会の会長を務めている25。北川がフィンランドの教育方法を分析し、rフィンラン
ド・メソッド」として紹介するに至ったのには、以下のような経緯がある。
フィンランドから帰国後、北川は外交官から英語の教育者に転身した。当初ビジネスパ
』ソンを相手とした企業研修など、主に英語を使用した交渉及び議論の方法などについて 指導を行っていたが、北川はその中で、日本人のある問題点に直面することとなる26。
その問題点とは、日本人は例え英語熟練者であっても、相手が外国人であると相手に自 分の意思を上手に伝えることが出来ないということ、さらに相手が何を言っているのか理 解することが出来ないということである。こうした問題点から、北川がいくら英語指導を 行っても、交渉・議論が上手く行かないということがたびたびあったのである27。
では、なぜこのような問題が生じてしまうのだろうか。北川は、日本人には英語能力以 前に根本的な能力が欠けてしまっていると述べている。その能力とは、相手がどこの誰で あろうと自分の言いたいことを理解させる能力、さらに、相手が言っていることを理解す ることが出来る能力であり、このような能力を北川は「グローバルコミ三二ケーション能 力」として捉えている。そして北川は、フィンランドを含め世界各国では、小学校段階か ら主に国語科の授業においてこの能力を育成しているが、日本ではこの能力を育成するよ うな授業が行われていないと述べている28。
では、北川が述べているこの「グローバルコミュニケーション能力」とは、具体的にど のような能力のことを示しているのか。この「グローバルコミュニケーション能力」につ いては、第1章にて紹介した2000年PISAの「落書きに関する問題」(図表1・17)から説 明することが出来る。
この「落書きに関する問題」は、落書き」という行為について全く異なる見解を持った ベルガとソフィアという2人の主張を基にして「落書き」に対する自分の考えを論じたり、
説明したりすることが求められていた。つまり、こうしたPISAの問題とは、一般的に落書 きはいけないことだと捉えられている日本のような国にとっては、いわば普段から当たり 前だと思っていることを疑うことから始めなければならないものであった。北川は、こう したPISAの問題について、「間われたのは、主としてグローバルコミュニケーションカの 有無」であり、一般的に落書きはいけないことだとされている「日本人の感覚からすると、
分かりきったことを、いちいち説明しなければならないテスト」であったと述べている29。
例えば、この問題例のように「落書き」という行為一つを取ってみても、日本人のように
「絶対にいけないこと」だとする意見もあれば、一方でギ落書きも芸術の一つである」と する意見も世界には存在する。自分の物差しで物事を捉え、それを当り前のことだと決め つけてはならず、何事にも疑問を持って考え.ることが大切なのである。
勿論このことは、日本人のコミュニケーションカが他国に比べて劣っているということ を意味しているのではない。むしろ、世界的に見ても、日本ほどコミュニケーションを取 るプロセスにおいて細かい心配りが出来る国はないと考えられる。日本人は、自分の言葉 で説明したり主張したりしなくても、周囲の表情や空気などから互いに分り合える部分が 多い。しかし、このような日本独特のコミュニケーションは、日本人同士の場合でしか通 用しないものである。世界には、.さまざまな文化や習慣を持つ人々が存在しており、その 内のほとんどは日本人にとって当たり前だと考えることであっても、分かりやすく説明す ることをしなければ、理解してもら.えないのである。これからの国際社会において、日本 人がこうした人々と円滑にコミュニケーションを図っていくためには、早い段階から「グ
ローバルコミュニケーション能力」を育成していく必要がある30。
しかし、先述の通り日本の授業では、この能力の育成が成されているとは言い難い状況 である。一方、PISAの読解力分野においてトップに位置していたフィンランドや他の国々 は、小学校段階からこの能力の育成が成されていたのだと考えられる31。