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香港広東語の研究 ―語彙と言語文化を中心に―

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香港広東語の研究 ―語彙と言語文化を中心に―

著者 千島 英一

著者別表示 Chishima Eiichi

雑誌名 金沢大学大学院社会環境研究科博士論文

ページ 505p.

学位名 博士(文学)

学位授与年月日 2007‑03‑22

URL http://hdl.handle.net/2297/3821

(2)

博 士 論 文

香 港 広 東 語 の 研 究

――語彙と言語文化を中心に――

金沢大学大学院人間社会環境研究科

千 島 英 一

(3)

第一部 序論

0.はじめに

本稿は、香港広東語語彙とその背景情報となる言語文化について、その特徴的なトピッ クを選び、記述的研究を行うものである。こうすることにしたのは、一見均質化されてい るかのように見られる香港広東語が、その実、以下で述べるように、複雑に織り成されて いる重層構造になっており、単に文法の一部を取り上げるといった平面的な記述であって はその全体像を描くことはできなく、したがって、その構成の重要なパーツとなる部分を 立体的に記述しようと意図したからである。

筆者は、昭和40年代後半から、まったくの手探り状態の中、広東語教育と研究に手を染 めて以来、毎年、香港に通ってフィールド調査を行い、自身の広東語運用能力の向上と、

当時はまだわが国にはほとんど見かけなかった広東語の語彙資料収集を行なってきた。

爾来、三十数年が経過したが、この間、1989年に当時はまだ珍しかった語学テキストの 書名に香港を冠した『香港広東語会話』(東方書店)を出版、引き続いて 1991 年に発音字 典である『標準広東語同音字表』(東方書店)を出版した。また、1997 年 7 月の香港返還 が世界的な関心を集めるようになったこともあって、その数年前からわが国にもひそやか ではあったが広東語ブームが起き、NHKラジオ中国語講座応用編において、本邦初の広東 語講座「初歩広東語」を開講し、2年間にわたりそのメイン講師を務めたりした。

また、数十度にわたるフィールド調査でこつこつと収集した語彙データはいつしか数万 語となり、パソコンが身近となったこともあって、そうしたデータをすべてパソコンに移 管し、ついには2005年7月に語彙数45000語の『東方広東語辞典』(東方書店)として結 実したが、香港で日本語を学んでいる広東語ネイティブから評価を受けたことは望外の喜 びであった。

しかしながら、ことばの世界は限りなく深く、こうした作業を通じて、いつしか広東語 のことばの構造およびそれをとりまく文化の構造にますます興味を引かれていった。

本稿は、こうした筆者のこれまでの広東語教学・研究を香港とその周辺地域で筆者が採 集した第一次資料を考察対象の中心に据えて集大成できればと思い、筆を執ったものでも ある。なお、本稿を記述するにあたり、本稿全体について新たにインフォーマント調査を 行なったことも付言しておく。

1.研究の背景 1.1.広東語とは

周知のとおり、中国語には広・狭の二義がある。すなわち、われわれが一般に言う「中 国語」とは狭義であって、中国で言う“漢語普通話”(現代中国の標準語)を指す。これに 対して広義の「中国語」とは、中国で言うところの“漢語”(“漢語”とみなされるすべて

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の言語・方言を含む)の総称である。これと同様に、広東語にも広・狭の二義がある。す なわち、広義の広東語とは粤(エツ)語1)と呼称される中国語の大方言2)の1つであり、下 位方言群を含んで粤語圏を形成している。「粤」とは、今日の両広(広東省・広西チワン族 自治区)の古い地名であり、「越」とも表記した。一方、狭義では古くからその「標準口語」

型たる地位と権威を保持している広東省の省都広州市で話されている言葉、すなわち粤語 広州方言を指す3)。われわれが一般に広東語と言う場合は、この狭義の広東語を指す。さら に,1970年代以降香港が自由貿易港として急速な経済成長を遂げ、世界に開かれた中国の 窓口として、またアジアの金融市場で重要な役割を担う国際都市へと高度な変貌を経て以 来、ヨーロッパ式の社会システムの発達および英語や日本語との接触により、香港で話さ れる広東語が社会的にきわめて洗練された言語に成長し、広州市で話されている広東語と ともに粤方言の代表の地位を担うに到っている。

1.2. 広東語の分布状況

図 1 広東省の漢語方言地図(Australian Academy of the Humanities and the Chinese Academy of Social Sciences.『中国语言地图集』,Longman,1987より)

広東語は内部グループの一致性が比較的高い方言とされているが4)、言語特色と地理分布 に基づき、いくつかのグループに分区される。分区については諸説あり、前掲図1の“广 东省的汉语方言”地図に見られる分区もその1つであるが、ここでは広東省内および香港、

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マカオについては表1に示した詹伯慧2002を参照した。

表1 広東省内における粤方言使用県市表5)

方言系 使用地区 代表方言

粤海系

(広府系)

広州,仏山,肇慶,深圳,南海,順徳,三水,高明,鶴山,懐集,広寧,

四会,高要,雲浮,封開,郁南,徳慶,羅定,陽山,清遠,仏岡,増城,

従化,連県,連山,恵州,韶関,博羅,恵陽,恵東,海豊,仁化,楽昌,

英徳,香港,マカオ

広州話

四邑系 台山,恩平,開平,新会,斗門,江門,鶴山部分地区 台山話

香山系 中山,珠海(斗門を除く) 石岐話

莞宝系 東莞,深圳宝安区,香港新界部分地区 莞城話

高雷系 湛江,茂名,陽江,陽春,高州,信宜,化州,呉川,電白,逐渓,廉江,

雷州,徐聞

代表方言は 未形成

この他、中国国内にあっては広西チワン族自治区の東南部の南寧,梧州,玉林,博白一帯 に粤語圏は広がっており、学術的には“桂南系”として一派を形成している。

1.3. 広東語の使用人口

粤方言の使用人口は広東省内にあっては約4000万6)、香港特別行政区,マカオ特別行政 区の2つを合わせて約700万4)、前述の広西粤語に約1300万7)、さらには海南島にも粤語 の通用地区があり、数十万人がいるとの報告もある8)。また、広東は多くの華僑の故郷でも ある。東南アジア各国(シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピンなど)

の粤僑(広東系華僑のこと)のみならず、アメリカ、カナダの北米大陸、オーストラリア、

ニュージーランドなどの華僑社会でも粤語すなわち広東語を母語とする人が多数である。

もちろん、各地の粤僑の話す粤語はそれぞれの出身地の方言であることは言うまでもない が、第一もしくは第二言語として標準広東語を解する人が多い。したがって、各地のチャ イナタウンで話されている中国語も、実際は広東語であることがほとんどのようである。

こうした世界各地に散らばっている在外華僑の粤方言使用人口は約 1500~2000 万と推定 されており9)、以上を総計すると全世界で粤方言を使用している人口は約8000万人10)とな る。

2.香港における広東語 2.1.香港における広東語

香港の広東語は、広東省以外のさまざまな土地からの移民によって成立した社会で話さ れ、政治的にはきわめて緩やかな規範しかなかったにもかかわらず、すぐれて標準的な均 質性を成立させ、しかも日本を含む漢字文化圏からのさまざまな情報を圧倒的な早さで消

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化吸収し、中国語(標準話や他の方言)に浸透させていく、驚嘆すべき巨大な影響力を持 っている。地域共通語(lingua franca)としての現代香港広東語のありようは、中国の標準語 が歴史的に政治的な強い規範のもとに発展してきたのとは好対照を見せ、中国社会の言語 の様相と発展の分析にもさまざまな啓発を与えてくれる。香港が中国へ返還される前後の 一時期は、中国の標準語教育政策により広東語の将来を危惧する発言や動きも見られたも のの、返還後 8 年を経た今日も香港は安定した社会状態を継続し、香港社会および国際社 会における広東語の役割は強まりこそすれ、今後も標準語にとって代わられるという事態 は発生しえないであろう。年間 100 万人もの日本からの観光客が訪れ、常駐する日本人の 人口は 3 万人を超える、香港と日本の特に経済面における相互関係の重要性は言を俟たな いが、日本語で利用し得る広東語の教材や辞典は非常に限られている。

香港広東語は非常に早くから外国語、特に英語と接触したことで英語との対照辞典や教 材が作成されてきた。変貌著しい香港では言語の革新は驚異的なスピードで進行している ため、これらの教材も今日では香港の言語発展史における歴史的な記述として利用される ようになってきている。近年の現代広東語の記述研究の成果としては、中国で香港返還前 後に相次いで出版された各種の「方言辞典」があるけれども、いずれも標準中国語とは異 なる地域的色彩の強い口語語彙のみを重点的に採集したものである。それゆえ、これらの 研究成果を積極的に利用するには、記述の基準が英語または標準中国語に置かれているた め、いずれも日本語との対照からの再記述が必要であり、また文化的観点において香港社 会の歴史的発展と国際交流を軸とする視点が大きく欠けているものがほとんどである。香 港社会では近年雑誌などのメディアで増加している、広東語口語書写文という新しいスタ イルの書き言葉を発達させてきているが、正式な書き言葉は標準中国語の文法とスタイル に合わせたものであるために、これら広東口語書写文は俗なものと看做され 11)、十分な記 述研究が行われていない。しかし教育レベルの高い香港の一般の人々の、日常的に目にし ている文章が使用しているスタイルは口語との相互影響が著しく、ことに語彙については 英語からの借用と翻訳、日本語からの直輸入と意味変化、標準中国語の語彙との相互影響 など、社会言語学的にも興味深い現象が少なくない。

2.2.香港における言語状況

イギリスの植民地であった(1997年7月1日以前の)香港の言語状況については、中嶋 幹起1984や辻伸久1991に詳しく述べてあるので、本稿では中国返還後の香港の言語状況 について少しく述べておきたい。

香港は狭小な地域に後述のごとく 670 万人という人口が居住している。その出身地域は 広東省が他を圧して占めているとはいえ、香港は“五方雜處”(大きな都市の住民があらゆ る地方から来た人で、複雑であること)の地。狭い地域にもかかわらずまるで中国の言語 の縮図のように、多くの異なった言語を話す人々が居住しているのもまた事実である。

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以下に,参考に挙げた表2と表3はその実体をよく反映していると思われる。

表 2 1991、1996 および 2001 年における香港の 5 歳以上人口の日常使用言語の状況

1991 1996 2001 使用言語

人数 % 人数 % 人数 % 広州話 4583322 88.7 5196240 88.7 5726972 89.2 普通話 57577 1.1 65892 1.1 55410 0.9 その他の中国方言 364694 7.0 340222 5.8 352562 5.5 英語 114084 2.2 184308 3.1 203598 3.2 その他 49232 1.0 73879 1.3 79197 1.2 統計 5168909 100.0 5860541 100.0 6417739 100.0

*資料 Population Census 2001 Summary Results, pp.38-39 による.

表 3 1991、1996 および 2001 年における香港の 5 歳以上人口の使用可能言語/方言の割合い

言語/方言 Language/Dialect

第1言語 As the Usual

Language

第2言語 As Another Language/Dialect

計 Total

1991 1996 2001 1991 1996 2001 1991 1996 2001 広州話 88.7 88.7 89.2 7.1 6.6 6.8 95.8 95.2 96.1 英語 2.2 3.1 3.2 29.4 34.9 39.8 31.6 38.1 43.0 普通話 1.1 1.1 0.9 16.9 24.3 33.3 18.1 25.3 34.1

客家語 1.6 1.2 1.3 3.7 3.6 3.8 5.3 4.9 5.1

潮州話 1.4 1.1 1.0 4.0 3.9 3.8 5.4 5.0 4.8

福建話 (台湾語を含む)

1.9 1.9 1.7 1.7 2.0 2.3 3.6 3.9 3.9

フィリピン語 0.1 0.2 0.2 1.0 1.6 1.7 1.1 1.8 1.9

上海話 0.7 0.5 0.4 1.2 1.1 1.1 1.8 1.6 1.5

日本語 0.2 0.3 0.2 0.9 1.0 1.2 1.0 1.2 1.4

インドネシア語 0.1 0.2 0.2 0.6 0.7 1.2 0.7 0.9 1.3

*資料 Population Census 2001 Summary Results, pp.38-39 による.

上記表からも窺えるように、広東語は香港人口の約 95%を占める中国人の大多数の共通 口語となっていて、実質的には多言語・多方言文化から広東語社会に移行してしまってい

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ることがわかる。

2.3. 公用語と母語教育

1982年以降、英・中両政府の間で香港返還をめぐる交渉が開始され、84年9月に両国は 合意に達して、同年12月に調印を結んだ。その結果、中国は97年7月に香港島、九龍、

新界を含む全香港の主権を回復、ここに155年にわたるイギリスの支配は終焉を迎えた。

また、返還に先立つ1990年4月、中国の全国人民代表大会で、中華人民共和国香港特別 行政区基本法(以下基本法と略称する)が採択され、1997年7月1日から施行された。基 本法は香港の憲法ともいうべき性質のものであるが、言語に関する規定も2つ存在する。

その1つは、第1章・総則・第9条に見られる行政公用語についての規定である:

[香港特別行政區的行政機關、立法機關和司法機關,除使用中文外,還可以使用英文,

英文也是正式語文。]

(香港特別行政区の行政機関、立法機関と司法機関は、中国語のほか、英語も使用す ることができる。英語も公式言語である。)

もう1つは、第6章・教育、科学、文化、体育、宗教、労働、社会サービス・第136 条 に見られる教育言語についての規定である:

[香港特別行政區政府在原有教育制度的基礎上,自行制定有關教育的發展和改進的政 策,包括教育體制和管理、教學語言、經費分配、考試制度、學位制度和承認學歷等政 策。]

(香港特別行政区政府は従来の教育制度を基礎として、教育体制と管理、教育使用言 語、経費割当て、試験制度、学位制度、学歴承認などの政策を含む教育の発展と改善 の政策を自ら制定する。)

返還前の香港の行政公用語は英語と中国語であったが、返還後は順序は逆になったもの の、依然として、英語も公用語として認められている。ただし、ここで言う中国語・英語 とは実は「中文」と「英文」を指す。すなわち、香港特別行政区政府が言う行政公用語と は役所から市民への通知(納税通知など)は必ず中・英両文で行い、また役所へ書類を提 出したり、窓口で交渉するときは中国語か英語どちらでも受け付けるというものである。

そして、この「中国語」には広東語とか普通話とかの区別はなく、実際には、依然として 前述のごとく香港人の大多数が使用可能な言語である広東語がその地位を占めている。

教育について、基本法では“原有教育制度的基礎上……”(従来の教育制度を基礎として

……)とあるだけで、教育における媒介言語について何ら特定の言語は規定していない。

これまでの香港の中学 12)(ほぼ日本の中・高一貫校にあたる)には、すべての授業科目

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を英語で行う(但し,中文と中国歴史は除く)英文中学と、英語以外の授業は母語(広東 語)で行う中文中学とに分かれていた。

学校教育で英語が重視されたのは、1つは英国の植民地香港として、英語こそが香港で エリートになるための唯一の言語であり、もう1つは国際的な貿易・金融などの拠点でも ある香港で活躍できる人材の育成という実際面での要求でもあった。かくして“望子成龍”

(子どもの立身出世を望む)を願う親たちは、積極的にわが子に英文中学への進学を勧め ていた。

ところが“大部分英文學校的課程只不過是用英文教材,卻用廣東話上課。”13)(多くの英 文中学の課程では教科書は英語、説明は広東語)というものであったため、英語も中国語 も中途半端になりがちで、他の教科にあっても母語教育の方が非母語教育よりも成果が上 がっているということであった14。そこで香港教育署は400有余ある全香港の中学に対し、

1997 年 3 月下旬“中學教學語言強力指引”(中学教育言語強力指導)の諮問を提出し、同 年7月に同文書を公布した。これによれば、98年9月の新学期より香港の中学では「母語 教育」を強制的に推進し、従わない場合には数々の厳しい罰則を受けることになる、とい うものであった。結果、教員の能力審査などの厳しい審査を経て、98年9月より114校が 英語教育を継続し、従来約80校でしかなかった母語教育校が、300校にと増加した。

普通話については、香港中文大学が1998年度からすべての新入生に普通話の基礎科目の 履修を義務づけるようにした15ほか、各大学でもそれぞれ履修できるようになってきてい る。また、小・中学校でも週1~2回程度の授業を設けていて、中国経済の発展と交流の拡 大にともない徐々にではあるが浸透してきている。

(10)

4. 香港概説 4.1 地理

2 香港全図

中国本土南東部 にあたる香港は、

北緯 22°9′から 22°37′ , 東 経 113°52 ′ か ら 114°30′ に 位 置 する。北回帰線の すぐ南側にあたり,

この緯度はほぼハ ワイのホノルルと 同じで、九龍半島 と大小 235の島々 からなる。香港の 成立当初の陸地面 積は1010km2であ ったが、現在の陸 地 面 積 は 1101. 03km2 で、この面

積は東京都(2154km2)の約半分にあたり、淡路島(593km2)の約2倍ということになる。

陸地面積が増えたのは、この数十年間、営々として丘陵部を削って海岸部を埋め立ててき たからである。

表 4 最近5年間における香港の陸地面積の推移 (単位:平方 km)

1997 年 2001 年 2002 年 香港島 80.30 80.39 80.40 九龍 46.70 46.85 46.89 新界および離島 968.91 971.27 973.74 総計 1095.91 1098.51 1101.03

資料 http://www.info.gov.hk/censtatd/chinese/hkstat/hkinf/geog/geog4.htm に拠る。

地形的には、香港島と九龍半島の南東部は主として花崗岩でおおわれており、岩盤は固 く、地震がないことを前提に高層ビル群が立ち並び、東洋の真珠と謳われた香港の景観を

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形作っている。九龍半島の最高峰は大帽山で958mあり、真冬には霧氷ができる。香港島の 最高峰はビクトリア・ピークで553mあり、夜景見物の名所として知られる。中国の経済特 区で知られる深圳と境を接する九龍半島北部一帯は比較的平坦で、境界となっている深圳 河も流れている。しかし、香港では人口の需要に足る水資源は少なく、中国本土から水道 管を延伸させ、深刻な水不足に対処している。

香港島と九龍間のビクトリア湾は水深と底質に恵まれた、世界屈指の良港であり、自由 貿易港である香港を支えている。また、近年は海岸を埋め立て大型のコンテナヤ-ドを設 置し、世界の工場となった中国の物流の拠点ともなっている。

4.2. 気候

前述のように香港は北回帰線のすぐ南で、南シナ海に面する位置にあるため、気候区分 では亜熱帯モンスーン気候にあたる。年平均気温は22.6℃、年較差は10~12℃、年平均降

水量は2265mmで、5~9月に年間の80%が集中し、台風もよく襲来する。香港の気候の

特色について、三井田圭右1989は以下のように述べている。

「香港の気候はモンスーンに支配されている。熱帯圏にあっても、他の熱帯諸国とは 異なっている。アジア大陸との位置、すなわち中国のほぼ南端に位置していることの 影響が大きい。モンスーンは、ほぼこの中国大陸の冷え込みと夏の暑さに起因して生 ずるが、この影響が香港に現れていて、日本ほど明瞭ではないが、香港には季節の変 化がある。しかし、日々の天気については、熱帯と温帯の双方の影響がみられる」(p.13)

4.3. 交通

香港は、アジアではシンガポールとならぶ航空・海上交通の要衝で、1998年7月6日か らはそれまでの啓徳空港に代わって、ランタオ島北部の海上を埋め立てて造った赤鱲角新 機場(チェック・ラップ・コック空港)が使用されるようになった。同空港は3800m滑走 路を備えた本格的国際空港で、都心へのアクセスもきわめて便利にできている。

香港と広州など広東省各地を結ぶ高速道路も現在では物流の主流となっており、また 1997年5月には九龍と北京を結ぶ京九鉄道も開通している.

4.4 人口動態からみた香港小史

九龍の深水埗(Sham Shui Po)で、後漢時代の墳墓が発見された(1995年)。このこと から、すでに漢代には漢人が流入していたと考えられている。ただし、香港の位置する華 南の地はもともと「百粤」と総称される古代「粤」(「越」とも表記する)族の居住地であ った。ランタオ島石壁などには、漢人が定住する以前の先住民族が残したと思われる「石 刻」が発見されている。以上は、考古学的に管見したいわば香港前史であるが、それ以後 の香港は、13世紀に、元軍に敗退した宋朝の幼帝(南宋の皇帝益王)が短期間(1278年)

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九龍に住んだことや、元代からは海賊の根拠地として名が知られていたくらいで、清朝ま ではひっそりと広東省新安県(現在の宝安県)の一部としてその版図に組み込まれていた。

香港が Hong Kong として世界史の表舞台に本格的に登場してきたのは、アヘン戦争

(1840~42年)からである。中国進出に際し、早くから天然の良港である香港に目をつけ ていたイギリスは、数々の口実を設け、半ば掠奪するようにして香港の領有を正式に宣言

(1843年6月26日)した。爾来、150年もの間、一時的には日本軍の香港占領(1941年 12月~45年8月までの3年8ヶ月)ということがあったものの、イギリスは植民地として 香港を領有し続けた。

表 5 香港総人口の推移(1841~2001 年) (単位:人)

年 次 人 口 備 考 1841 7450 英国軍香港島上陸

1850 33292 大平天国の乱の影響を受ける 1860 94917 九龍割譲

1898 254400 英国新界租借 1911 456739 センサス 1921 625166 センサス 1931 840437 センサス

1941 1639337 防空監視員による非公式センサス 1945 650000 日本占領(1941~45)

1947 1800000 中国からの難民流入 1956 2614600 センサス

1961 3174700 センサス

1971 4045300 センサス 文革(1966~1976 年)による流入続く 1981 5430900 センサス

1991 5674000 センサス

1997 6516700 香港政府統計處資料による 1999 6637600 香港政府統計處資料による 2001 6708389 センサス

*香港は1881年以来、10年に一度センサス(“人口普査”)を行っている。本稿の統計資料はそれに基づくが、一 部 を 庄 义 逊 1994 な ど で 補 っ た 。 ま た 近 年 の デ ー タ は 香 港 政 府 統 計 處 の Web [http://www.info.gov.hk/censtatd/chinese/hkstat/fas/01c./ cd0012001c.htm]等を参照した。

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イギリスが香港を占領する前の居住人口は 4000 人であったとされる。アヘン戦争中の 1841年1月、イギリス軍は香港に強行上陸し、同年5月に公報を発布し、当時の香港島の 人口を7450 人と称した。1842 年の南京条約によって清朝が香港島をイギリスに割譲した 時の香港島の人口は約 20000 人で、1860 年に九龍が割譲された時の香港人口は早くも

94917人と増加している。さらに、1898年に新界を租借しイギリス領香港に組み入れた時

には約254400人を数えている。その後、1941年には1639337人と増加したが、日本の香 港占領時には600000人(1945年8月)と一時的に減少。しかし、戦後すぐの1947年に

は1800000人となり、以来、国共内戦、中華人民共和国の成立、文化大革命と激動が続い

た中国国内からその都度難民が大量に流入。1997年をピークに大量のベトナム難民も受け 入れた。かくして、香港はさまざまな土地からの移民を絶えず受け入れ、人口は今日に至 るまで増え続け、1997年6月の香港返還時には約6400000人、さらに2001年のセンサス によると、香港の人口は6708389人となっていて、これに約200000 人といわれている流 動人口が加わっている。

5. 香港の多言語多文化状況 5.1香港の住民

下表は前述した2001年のセンサスに基づく香港の国籍別人口統計である。

表 6 香港の国籍別人口統計

国籍別 人口 パーセンテー ジ

華人 6364439 94.9 フィリピン人 142556 2.1 インドネシア人 50494 0.8 イギリス人 18909 0.3 インド人 18543 0.3 タイ人 14342 0.2 日本人 14180 0.2 ネパール人 12564 0.2 パキスタン人 11017 0.2 その他 61345 0.9 総計 6708389 100.0

資料 http://info.gov.hk/censtad/chinese/hkstat/fas/01c/cd0052001c.htm に拠る。

(14)

上記表からもわかるように、香港全住民のうち中国系住民が約95%を占めている。旧宗 主国であったイギリス人は、約2万人とわずか0.3%を占めるにすぎない。中国系住民では、

当然のことながら隣接する広東出身者(客家系、潮州系も含める)が圧倒的に多い。

外国籍で多いのがフィリピン人で、その多くは香港人家庭のメイドとして雇われている。

また近年ではインドネシアからもメイドとして雇傭される人が多くなってきており、統計 数字にも現れてきている。

居住人口のうち、1337800人(19.9%)が香港島に、九龍は2025800人(30.2%)、残り の新界(離島を含む)には3345600人(49.8%)が居住している。この他に、依然として 5900人の水上居民が入り江や海岸近くの家船で生活している16)

5.2. 香港のバイリンガル(bilingualism)文化としての特殊性

2.3.で述べたように、香港は行政レベルにおいても中・英両言語を公用語として認め、公 文書なども 2 つの言語で表記することが義務づけられている。また、個人のレベルにあっ ても、表2、表3及び表6からわかるように、2つあるいはそれ以上の言語を使用して日常 生活を営んでいる多言語(方言も含む)使用地域でもある。より具体的に言えば、中国人 家庭にあっては、親が香港への移民(鄒嘉彥等2003.p.82でも指摘しているように、中国で は伝統的に香港は「海外」と見なされていた)1世ならば、家庭内では親の出自に応じ、表 2、表3に見られるような漢語諸方言を使用し、学校教育では英語ないしは広東語を使用す るといった具合にある種の機能分業が行われている。こうしたことから、極狭小地域であ りながら、文化の面においても多分野にわたって異種混交が行なわれている。例えば、祝 祭行事である。中国固有の伝統的なものから旧宗主国である英国の慣習による西洋的なフ ェスティバルまで数多くある。また、こうした行事は暦的にあっても新旧入り混じり、ま た曜日によって日にちが決まるものもあり(“復活祭”Easter がそうである)、香港の公休 日の日付は年によって違ってもくる。以下に主な香港の祝祭行事を挙げておくが、*印の あるものが公休日である。

7 香港の祝祭日

公休日 新暦 旧暦 祭りの名称 * 1月1日 元旦 * 1月1~3日 春節

1月15日 元宵節

2月2日 土地公誕(土地神様)

2月13日 洪聖誕(水上居民の神様)

春分後最初の 満月のあとの 日曜日

復活祭(Easter).会社は休みとなる

(15)

春分から15

清明節

* 4月20日 北帝誕 * 5月1日 メーデー

3月23日 天后誕(海神様)

* 4月8日 仏祖誕(釈迦仏誕生日)

* 5月5日 端午節 5月13日 関帝節

* 7月1日 香港特別行政区成立記念日 6月13日 魯班誕(建築の神様)

7月7日 七姐節(七夕)

7月14日 盂蘭節(お盆)

8月15日 中秋節

* 8月16日 中秋節の翌日休み * 10月1日 国慶節

9月9日 重陽節 * 12月25日 クリスマス

* 12月26日 ボクシングデー(Boxing Day) 12月24日 灶君節(かまどの神様)

公休日は、1997年の返還以前には新暦6月11日の英女王陛下誕生日も公休日であった が、返還後はなくなり、それに代わって返還前にはなかった10 月1日の国慶節が加わり、

中国回帰への意識づけ、ことばを代えて言うならば「再領土化」を図っているかのようで ある。

上述したように、香港の歳時記は、香港のバイリンガル(bilingualism)文化としての特殊 性の一端を示しており、英国式の新暦とトラディッショナルな中国式の旧暦が並存してい て、国際都市香港というモダンな外観の中に生きている伝統や文化の奥深さが感じられる 一面でもある。また、こうした特殊性は伝統行事を盛大に祝う慣習として香港居民の文化 的アイデンティティーを共有させ、言語(方言)の枠を超えた香港居民共同体としてのイ メージを構築するに寄与していると言えよう。すなわち、人民共和国中国が成立して以来、

中国国内にあってはこうした中国の伝統行事の多くが「迷信」として排除の対象となって いたものである。香港居民は、逆にこれらを盛大に祝うことによって他の地域の中国人と は明らかに違うということを意識づけている。さらに、この意識は言語面においても通じ ていて、中国国内で強力に進められてきた普通話や簡体字の普及といった中国語規範化の 動きにはまったく同調せず、繁体字を使用し、方言字を造り、広東語語彙や英語語彙を書

TV

(16)

通語として定着させ、脱領土化した自由な空間を享受せしむといったあたかもベネディク ト ・ ア ン ダ ー ソ ン(Anderson,B.,1983)が 言 う と こ ろ の 「 想 像 の 共 同 体 」(Imagined Communities)へと連なっているかのようである。

6. 香港広東語における先行研究 6.1 近 20 年来の香港広東語研究

20世紀の80年代以前の広東語研究に関しては、中嶋幹起1994に「粤語の研究史」とし て簡にして要を得た紹介がなされているほか、詹伯慧2002にも詳細な記述があるので、こ こでは広東語研究がその質・量とも飛躍的に発展した80年代以降の広東語研究についてそ のあらましを紹介しておきたい。

6.2 香港における広東語研究

中国の改革・開放が進展するにつれ、学術交流においても大いに国際的な広がりをみせ るようになってきた。広東語研究の上で特筆されるのは、第1回が1987年7月に香港中文 大学で開催された“國際粤語研討会”(国際粤語学会)の成立である。2 年に一度開かれる この学会は、会場を広東語方言区の香港・広州・マカオの 3 地区を持ち回りとし、これま で 10 回の開催を数え、その都度成果を学術論文集として公刊してきている。余談ながら、

内外の広東語研究者が集うこの学会に筆者は広州で開かれた第 5 回大会より参加している が、論文でしか令名を存じていなかった研究者たちと直に接し、意見を交換できることは 一研究者としてまたとない喜びの場であり、大いに刺激を受ける場でもあった。該学会で は毎回約60編の論文が発表されており、論文総数はこれまでのところ約500編を数え、広 東語研究の上で欠かせない論文も多く発表されている。

また“國際粤語研討会”の間の年には香港・広州の研究者が中心となって“今日粤語研 討会”が開かれ(これまで4回開催されている)、その成果を鄭定歐博士が主編となって『广 州话研究与教学』(中山大学出版社、1993)と題して出版、現在、第3集までが出版されて おり、計100編の論文が収録されている。

一方、香港単独では香港語言學學會(LINGUISTIC SOCIETY OF HONG KONG)が広東語研究 においても注目すべき論文を多く発表している。中でも1993年に発表された、同学会の“粵 語拼音方案工作組”による広東語音のRomanization(ローマ字表記)は、従来の多くの広 東語音の Romanization が情報機器への入力といったことなどまったく顧慮していない状 況下で設計されているのに対し、後にもう一度触れることになるが、情報機器への対応も 踏まえた設計となっており、また音韻解釈にも「変化を引き起こす構造的要因を内包した 音韻体系を動的な構造体としてとらえ,変化の萌芽的存在である音声変異もその体系のな かに含めて考え,それが将来,体系の構造を担う音素として定着した場合をも想定してい る点で,非常に周到に設計された表記法だという印象を持つ」(池田巧1995、p.130)ものと して評価されている。

(17)

ともあれ、こうした学術交流の広がりは個々にあっても豊かな研究成果を生み出しても きている。次にそうした中を代表するもののいくつかを時間軸に沿って紹介することとす る。

6.3. 広東語研究の深化と広がり

先ず80年代初頭に、高華年の『廣州方言研究』(香港商務印書館、1980)、饒秉才等の『廣 州話方言詞典』(香港商務印書館、1981)が相次いで出版された。前者は広東語の音韻・語 彙・語法に関してその特色を全面的に記述したものであり、後者はそれまで中国で出版さ れた多くの辞書類が単なる漢字の字音書(字典)にとどまっていたことから脱皮し、広東 語特有の語彙をその豊富な用例とともに記述した辞典であり、わが国の広東語学習者にと っても、語彙数は少ないものの(約4500語)初めて手にする本格的な広東語の辞典でもあ った。また、この時期にわが国の故辻伸久先生が『廣西粤語比較音韻論』(風間書房、1980) を著し、粤語祖語の再構問題に大きな一石を投じて内外の学者に大きな影響を与えたこと は特筆されよう。さらに、曾子凡の『廣州話―普通話口語詞對訳手册』(三聯書店香港分店、

1982)も出版された。該書では単語・熟語のほか少数ながらも歇後語・俗諺なども取り上 げられており、かなり充実した広東語口語語彙集であり、普通話との対照語彙研究の嚆矢 ともなった。

80 年代中期以降には、中国の著名な言語学者である詹伯慧・張日昇の両氏が率いるグル ープによる大部の3部作『珠江三角洲方言字音對照』(廣東人民出版社、新世紀出版社、1987)、

『珠江三角洲方言詞彙對照』(廣東人民出版社、新世紀出版社、1988)、『珠江三角洲方言字 音綜述』(廣東人民出版社、新世紀出版社、1990)が出版された。この3部作は有史以来広 東語の中心となってきた珠江デルタ一帯を全面的に調査記述したもので、その豊富な材料 と相俟って今日では広東語研究の重要資料となっている。

90 年代に入るといよいよ香港の中国回帰も指呼の間となっていたこともあって、香港が 世界的にも注目されるようになり、広東語研究も一段と深化と広がりを見せるようになっ た。この時期の代表的な研究としては李新魁等による『廣州方言研究』(廣東人民出版社、

1995)がある。該書は中国・中山大学の研究者たちが協力して編纂し、粤語広州方言の音 韻・語彙・語法に関して詳細な記述を行い、広州地区のみならず広州近郊の二十数個の粤 方言地点も併せて調査し、さらには共時的な記述のみならず通時的研究も行い、広州方言 の形成と発展に関して詳細な報告がなされている。李新魁氏は『廣州方言研究』とほぼ同 時に『廣東的方言』(廣東人民出版社、1994)も著し、広東の3大方言である粤・閩・客家 方言について論述し、粤語が広東の方言の中の“大哥大”(兄貴格)であるとし、さらには 広東各地の粤語の内的差異に着目して粤語の形成と分布といった面での興味深い報告を行 っている。

また、前述の詹伯慧・張日昇の両氏が率いるグループは今度は一転北上し、さらには西 にも向かってそれぞれフィールド調査を行い、『粵北十縣市粵方言調查報告』(暨南大學出

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版社、1994)、『粵西十縣市粵方言調查報告』(暨南大學出版社、1998)として出版した。こ の両著にはそれぞれ広東語の標準形とされている粤語広州方言と音韻比較が行われており、

共に今後の粤語研究には欠かせない重要資料となっている。

さらに、80 年代以降には比較・対照といった研究方法を用いての優れた研究が陸続とし て出版された。まず注目されるのはアメリカ在住の余靄芹氏が著した《Comparative Chinese Dialectal grammar》( EHESS, Paris, 1993)が挙げられよう。該書は書名の とおり中国語方言語法比較がその核心となっているものであるが、その用例の多くは広東 語であり、広東語の語法研究の上でもたいへん示唆に富むものである。香港では広東語の 語彙研究で業績のある曾子凡氏の『廣州話・普通話詞語對比研究』(香港普通話研習社・1995)

が出版された。このほか、Stephen Matthews and Virginia Yip 著《CANTONESE: A COMPREHENSIVE GRAMMAR》(Routledge,1994)は、英語で書かれた広東語文法書 であるが、張洪年氏が書評で「本書の重要性は言語の選択にあるのではない。……それよ りむしろ20世紀末に香港で話されている広東語の変種を記述していることにより、本書が 社会言語学的にも通時的にとっても有用なレファランスになっていることである」(『国際 中国語言学評論』vol.1,1996)と指摘しているとおり、広東語文法を学んだり研究する者に とっては必読書となっている。また、Robert S. Bauer and Paul K. Benedict 著の

《Modern Cantonese Phonology 摩登廣州話語音學》(Mouton de Gruyter,1997)は、

Robert S. Bauer氏のそれまでの研究のいわば集大成として出版されたものであり、いわゆ る香港広東語の新興韻母17)について豊富な用例を挙げて記述している。

香港の中国回帰につれて、いわゆる広東語の工具書が大量に出版されたこともこの時期 の大きな特徴かもしれない。これは中国国内のみならず国際的にも広東語学習人口が増加 したことに呼応する側面もあると思われる。90 年代以降に出版された各種辞典類だけに限 ってもたちどころに十数冊を数えるほどである。例えば,頼玉華『日広辞典』(オイスカ文 化中心、1992)、何國祥『常用字廣州話異讀分類整理』(香港・語文教育学院、1994)、蘇翰 翀『實用廣州音字典』(中山大学出版社、1994)、陳慧英『實用廣州話詞典』(漢語大詞典出 版社、1994)、香港語言學學會『粵語拼音字表』(香港語言學學會、1997)、呉開斌『香港話 詞典』(花城出版社、1997)、麥耘等『實用廣州話分類詞典』(廣東人民出版社、1997)、鄭 定歐『香港粤語詞典』(江蘇教育出版社、1997)、等『廣州話詞典』(廣東人民出版社、1997)、

朱永鍇『香港話普通話對照詞典』(漢語大詞典出版社、1997)、魏偉新『粤港俗語諺語歇後 語詞典』(廣州出版社、1997)、白宛如『廣州方言詞典』(江蘇教育出版社、1998)、張勵妍 等『港式廣州話詞典』(香港・萬里機構・萬里書店出版、1999)、何文匯等『粤音正讀字彙』

(香港教育圖書公司、1999)、詹伯慧主編『廣州話正音字典』(廣東人民出版社、2002)、蘇 紹興『英譯廣州話常用口語詞匯』(香港中文大学、2002)、曾子凡『广州话・普通话速查字 典』(广东世界图书出版公司、2003)などが挙げられよう。

また、2005年に入ってChristopher HuttonとKingsley Boltonによる≪A Dictionary Cantones Slang≫(2005.Singapore University Press)が出版された。該書は、香港映画な

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どでしばしば使われているスラングを中心に収集し、それに英訳を付したものである。

こうした工具書にはいわゆる広東語の方言文字も収録されている。口語広東語で書かれ た文献をあたっていると、当て字や異体字等の使用例が多く、悩ましいことこの上ないの であるが、こうした書写上の問題を取り扱った専著として張羣顯・Robert S. Bauer(包睿 舜)著《The Representation of Cantonese with Chinese Characters 以漢字寫粵語》

(JOURNAL OF CHINESE LINGUISTICS. 中 国 語 言 学报 Monogragh Series Number 18, Berkeley, UC,2002)が出版されている。前述した饒秉才等『廣州話方言詞典』

では「廣州話特殊字表」として約 300 字挙げていたが、該書では香港広東語の方言用字と して1095字の多くを挙げている。その数が果たして妥当であるか、あるいはもっと規範化 するべきなのか、今後の課題として議論されよう。

また、2003年10月に張雙慶・莊初昇著『香港新界方言』(商務印書館、2003)が出版さ れた。該書は香港・新界における粤語・客家語・閩語が混在している集落を中心にそれぞ れ丹念に調査した大著で、英国の植民地として分断される以前の、すなわち広東省の一部 としての香港・新界が歴史的にも非常に緊密な地縁的関係に位置していたことがよくわか る貴重な研究となっている。

一方、わが国でもその数は少ないながら、千島英一『標準広東語同音字表』(東方書店、

1991)、藤塚將一『粤京日注音 漢日字典』(東方書店、1993)、中嶋幹起『現代廣東語辭典』

(大学書林、1994)、香港・萬里機構出版有限公司+東方書店編『広東語辞典 ポケット版』

(東方書店、1996)、孔碧儀等『日本語広東語辞典』(東方書店、2001)、吉川雅之『広東語 入門教材 香港粤語 [発音]』(白帝社、2001)、さらには2005年7月に千島英一が『東方 広東語辞典』(東方書店、2005)を出版した。

こうした大量の工具書が短期間のうちに出版されたことは、当然、その後ろ盾としてこ れまでの厖大な広東語研究の蓄積があったことであることは論を俟たないであろう。本稿 では残念ながら一々それらを紹介する余裕はないが、幸いにも粤語研究の資料索引ともい うべき以下に紹介する2冊が出版されているので、それを紹介しこの稿の締めとしたい。

1册は張日昇・甘于恩編『粤方言研究書目』(香港語言學學會、1993)で、もう1冊は鄭定 歐『廣州話研究論著索引』(香港文化教育出版社、1993)である。さらに先年出版された詹 伯慧主編『廣東粤方言概要』(暨南大學出版社、2002)の巻末にも最新の論文索引が付され ている。該書は書名に「概要」とあるが、約百万字にも及ぶ大著で、粤方言の音韻・語彙・

語法にわたってそれぞれ最新の研究成果が取り入れられており、今後の粤語研究の上で重 要な資料の1つとなるものである。

広東語研究も 90 年代後半からはいわゆる“語料庫”(corpus)を利用した研究が目立っ てきた。その代表的なものに汤志祥著『当代汉语词语的共时状况及其嬗变:90 年代中国大 陆、香港、台湾汉语词语现状研究』(复旦大学出版社・2001)がある。該書は香港理工大学 中文與雙語學系が1990年に創建した“兩岸三地區漢語語料庫”が基となっている。また香 港城市大学では、1995年7月より香港政府の巨額な援助を受けて“全球首個華語共時語料

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庫”を立ち上げ、2003年2月の時点で1億1千万字(語彙数は55万個)になるcorpusを 築いている(その一部がインターネット上で公開されている;

http://www.rcl.cityu.edu.hk/chinese/livac/search/livac.asp?language=ch)。

さらに、香港大学では陸鏡光教授を中心に広東語による談話corpusが作られていて、同 大学の大学院生による研究などに利用されている。広東語研究も他の言語研究同様、今後 はこうしたcorpusによる言語研究が主流となるであろうが、残念ながらわが国では、目下 のところ共同利用できる大規模な広東語corpusは築かれてはいない。

7. 千島式音声表記の成立 7.1 成立までの経緯

広東語の発音表記については、広東語教材の著者の数だけあるといっても過言ではない くらいである。池田巧1995はこの事情を以下のように的確に説明している;

広東語は中国語の一方言と位置付けられるが,中国国内の広東省はもとより東南 アジアをはじめとする国外の華僑の間でも広く使用されている有力な言語であって,

話し手の人口は約 5 千万人と推定されている。歴史的にも社会的にも重要な地位を 占める言語であり,その国際性も高いことから,今日までさまざまなローマ字表記 法が考案されて使われてきている。北京語を基礎とする中国の標準語(普通話)が,

国家が認めた公式のローマ字表記法(漢語拼音方案)を持つのとは異なり,広東語 には公認のスタンダードなローマ字表記法はない。現行のいくつかのローマ字表記 法はいずれも一長一短があって,社会的な要求によってさまざまな使われ方をして いるのが実情である。しかしこの不統一のために教育現場での混乱を招いたり,情 報処理などの現代的要求に対応するのが難しいという弊害も指摘されてきた。

(p.122)

因みに、筆者の広東語学習暦からその「不統一」の一端を紹介してみよう。筆者が広東 語に初めて接したのは1967年の4月であった。学部3年生だったその時、恩師清水元助先 生から手ほどきを受けたのは19世紀末から20世紀初めにかけてすぐれた広東語研究なし えたJ.Dyer Ballの著作で用いられた広東語発音表記システム(以下BALL式と略称)で あった。この広東語発音表記は、それまで習っていた普通話のピンインに比べてとにかく 複雑で、さらにその当時は清水先生のテキストのみで発音字典もなく、自分の名前を調べ るのもテキストをひっくり返しながら探すといった状態であった。その年の夏、幸いにも 香港へ行くことができ、書店をぶらついた折、喬硯農の『廣州音國音對照 中文字典』(香 港華僑語文出版社、1963)を入手。初めて BALL 式以外の広東語発音表記があることを知っ た。しかし、無知な学生だったゆえ、広東語の学習意欲もないまま帰国後は積ん読だけで あった。その後、縁あって広東語を教える立場となり、幸い1973年には清水先生の『簡易

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粵音字汇』(広池学園事業部)が出版され、教える側も学ぶ側もたいへん重宝な書となった。

1976 年、機会あって香港中文大学新亜語言研修所に留学、その際出会ったテキストがイ

エール(Yale)式広東語発音表記であった。漢字表記が一切なく、イエール式で表された広東

語の会話文に英語訳がついているテキストになんともなじめず、鬱々としていた折に、香 港政庁のブックセンターで劉錫祥(Sidney Lau)1972の『初級粤語課本』(その後、相次い で中級、高級と出版され、体系化された全 6 冊となり、1977 年には『實用 粵英詞典』と いう辞典まで出版された)を入手、発音表記もわかりやすく、主として広東語の学習はこ の本に拠ることとなった。

広東語の学習を進めるにつれ、さらに数種の広東語のローマ字発音表記に親しむことに なるのであるが、呉智勳1976では、その当時すでに発表されていた前述の劉錫祥1972で 用いられた発音表記を含まずして22種の異なった方式を紹介している。

1977 年から麗澤大学にて広東語を担当することとなった。当初は習い覚えたBALL式に より手書きのテキストを作成、授業に臨んだ。結果、学生諸君のブーイングを浴びること になった。ブーイングの一番は普通話の4声調から広東語の9声調(BALL式は入声を独 立させ 9 声調に区分している)に戸惑っていたことと、同じ声母(語頭子音)であっても 複数に書き分けてある(後で紹介することとなるが、例えば、BALL 式では歯茎音の系列 で母音-iで終わるときはsz、tsz、ts’zと表記し、それ以外の場合にはsing、tsing、ts’ing のようにiで表記する)ことなどであった。また、前記清水先生の『簡易 粵音字』も品 切れとなり、出版元も再版しないということで、広東語の教学を続けるためには自ら何ら かの手を打たねばならなくなった状況に追い込まれもした(70 年代後半では、まだわが国 の書店では広東語の字典類を探すことは難しい状況であった)。

そこで、自らのそれまでの学習経験を活かし、わが国の広東語を学ぼうとする人が親し めるような発音表記システムを創ろうと考え始めた。

そんな矢先、台湾の国立師範大学大学院に留学することとなり、恩師丁邦新先生につい て漢語方言学を、陳新雄先生からは漢語音韻学の指導を受け、それまでの実学一辺倒の視 点からはまったく異なった視点を持つことができるようになった。

1983年、2年半の留学を経て帰国、再び広東語教学の現場に立つようになった。そこで、

それまで続けていた香港人インフォーマント調査を基に、7.2.に示す新たなローマ字発音表 記システムの考案に着手した。

インフォーマント調査を基にしたのは、BALL 式で学んでいたとき、韻母に-am/-om の対 立が記述されていたが、調査時点では、すでに多くの話者が-am に合流しておったり、声調 も、従来、多くの表記システムが陰平調に高平調(55調)と高下り調(53調)の2つの調 値を認め記述しているのに対し、文末に用いられるごく一部の助詞を除いて、すでに高平 調(55調)に合流しており、区分する必要性がないと認められたこと等による。

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7.2 広東語の音韻体系と千島式ローマ字表記法

広東語の音韻体系については千島 1983(現在は千島 2002 に所収)で記述したものに拠っ ている。また、[ ]内の IPA 表記に拠る音価も同様である。

(1) 声母(Initials)

発音方式 破裂音 歯擦音 鼻 辺 摩 半 擦 母 発音部位 無気 有気 無気 有気 音 音 音 音

両唇音 b p m [p] [ph] [m]

唇歯音 f [f]

歯 音 d t n l [t] [th] [n] [l]

硬口蓋歯茎音 zh ch s

(歯茎音) [ʧ/ts] [ʧh/tsh] [∫]

硬口蓋音 y [j]

軟口蓋音 g k ng [k] [kh] [ŋ]

唇軟口蓋音 gw kw w [kw] [kwh] [w]

声母門 h [w]

(2) 韻母(Finals)

長 短 長 短 長 短 長 短 長 短 長 短 長 単

韻 母

a [a:]

e [ε:]

ö [œ:]

o [ɔ:]

i [i:]

u [u:]

ü [y:]

複 韻

āi  [a:i]

ai [ɐi]

ei [ei]

öü [Øy]

oi [ɔ:i]

ui [u:i]

(23)

母 āu  [a:u]

au [ɐu]

ou [ou]

iu [i:u]

ām  [a:m] 

am [ɐm]

im [i:m]

ān  [a:n] 

an [ɐn]

ön [Øn]

on [ɔ:n]

in [i:n]

un [u:n]

ün [y:n]

鼻 韻 母

āng  [a:ŋ] 

ang [ɐŋ]

eng [ε:ŋ]

öng [œ:ŋ]

ong [ɔ:ŋ]

ing [ıŋ]

ung [Uŋ] āp 

[a:p] 

ap [ɐp]

ip [i:p]

āt  [a:t] 

at [ɐt]

öt [Øt]

ot [ɔ:t]

it [i:t]

ut [u:t]

üt [y:t]

塞 韻 母

āk  [a:k] 

ak [ɐk]

ek [ε:k]

ök [œ:k]

ok [ɔ:k]

ik [ık]

uk [Uk] 鼻

m ng [m] [ŋ]  

  (3) 声調

声調は以下に示すように 6 声調に統一した。伝統的な広東語の声調システムに拠れば、9 つの弁別的な声調を持っているとされていた。これは塞韻母で終わる音節(-p、-t、-k で終 わる音節で、一般に「入声」として知られる)を独立した声調とみなす考え方からきている。

しかし、実際のピッチ(pitch)は相応する舒声(滑音調)と同じ高さである。従って、香港 広東語ではただ 6 つの声調が明瞭に弁別されるだけであると認め、6 声調に統一し、音節末 尾に 1~6 までの数字でもって示した。

声調表示 調 型 調 類 調 値 例 字 表記例 1 高平調 陰平/上陰入 55/5 詩/識 si1/sik1

2 高昇調 陰上 35 史 si2 3 中平調 陰去/下陰去 33/3 試/泄 si3/sit3 4 低降調 陽平 21 時 si4 5 低昇調 陽上 23 市 si5 6 低平調 陽去/陽入 22/2 事/食 si6/sik6 以上を図示すると次のようになる。

(24)

ピッチ

高い: 1 2

中間: 3 5 低い 6

4

上図からもわかるように、ピッチを普通話の声調と比較すると広東語の第 1 声は普通話 の第 1 声と同じ高さであり、広東語の第 2 声は普通話の第 2 声と同じ高さであり、広東語 の第 4 声は普通話の第 3 声の前半部分(半 3 声)と同じである。普通話の既習者ならば、

広東語の 6 つの声調のうちすでに 3 種は学ぶ必要のないものとなる。このように指導する ことによって、広東語の声調マスターのスピードに拍車がかかるようになった。

かくして再び手書きのテキストを作成し、毎年少しずつ手直ししながら使用していたと ころ、思いがけなく 1989 年に『香港広東語会話』(東方書店)として出版できた(後に、「何 で売れない広東語の本なんか出版するのか?」と、経営サイドからかなり強硬な反対があ ったのを、担当編集者が無理やり押し切っての出版であったと聞く)。さらに、引き続いて、

1991 年にはこれまた千島 1983 の中の字表を基に、手書きして作成して学生に配布していた 発音字典が『標準広東語同音字表』(東方書店)として出版できた。該書について黄奇芳 2000 に、以下のような記述がある;

本文搜集得到的双语语音字典只有三本。…中略…,其中一本是千岛英一编著的《标 准广东语同音字表》,收字约六千多。最主要的部分是一个同音字表,把同音的汉字列 在一起。正文後附部首笔画检字表,按部首笔画查字的读音。至于另一个检字表,则按 日语读音把常用的汉字列出,指出它们的粤语读音。本字表至 1996 年为止共印刷了四 次,足见其流传甚为广泛。(p.354)

(訳:本論文で集めえた 2ヶ国語の発音字典は3冊のみである。…中略…、その中 の1冊が千島英一編著の『標準広東語同音字表』で、約 6千余字収録されている。

その最も主要な部分が同音字表であり、同音の漢字を一緒に配列してある。本文の 後に部首筆画による検字表が附され、部首筆画により求める字音を調べることがで きるようになっている。もう1つの検字表は、日本語の漢字音から常用の漢字を配 列し、その広東語の字音を指し示している。本書は1996年現在で4刷りとなってい て、広く流布されていることがわかる。)

当該論文では、千島式ローマ字発音発音表記システムについて何ら言及がなかったが、

(25)

わが国の広東語学習者から広く受け入れられたことは、筆者の意図が通じたことでもあり、

望外の喜びとなった。

7.3. 千島式表記法とその他の広東語ローマ字発音表記システム対照表

ここで、近年香港等で比較的有力とされる広東語のローマ字発音発音表記システムのい くつかと千島式との対照表を附しておく。下表に用いた千島式以外の表記法は、①1993年 に発表された香港語言学会が設計した≪粵語拼音方案≫(略称“粵拼”)システム、②欧米 で主流とされるイエール(Yale)システム、③前述した劉錫祥のシステム、④1981 年に出版 された『廣州話方言詞典』で用いられている饒秉才等が設計した≪廣州話拼音方案≫(略 称“饒秉才式”)システム、⑤1940年代に出版されて以来、今に至るまで版を重ねている国 際音標を基に設計した黄錫凌編著の『粤音韻彙』(略称“黄錫凌式”)のシステム、⑥1990 年に発表された香港教育署語文教育学院中文系の設計によるシステム(略称“教院式”)で ある。なお、前述した Ball式やその他の発音表記については千島1991でも対照してある ので、そちらを参照していただきたい。

(1) 声母

IPA 千島式 粵拼式 イエール式 劉錫祥式 饒秉才式 黄錫凌式 教院式

p b b b b b b b

ph p p p p p p p

m m m m m m m m f f f f f f f f t d d d d d d d

th t t t t t t t

n n n n n n n n l l l l l l l l k g g g g g g g

kh k k k k k k k

ŋ ng ng ng ng ng ŋ ng

h h h h h h h h

kw gw gw gw gw gu gw gw

kwh kw kw kw kw ku kw kw

w w w w w w w w

ts~t∫ zh z j j z, j (1) dz dz

tsh~t∫ ch c ch ch c, q (2) ts ts

s s s s s s, x (3) s s

j y j y y y j j

(26)

[説明]

①網掛けの部分が他のシステムと異なっているところである(以下同じ)。

②饒秉才式の(1)(2)(3)については、同システムのj-、q-、x-は主母音が[i][I][y]の場合に用い られ、それ以外の場合はz-、c-、s-を用いることを示す。

(2) 韻腹(Nuclei)

IPA 千島式 粵拼式 イエール式 劉錫祥式 饒秉才式 黄錫凌式 教院式

[a:] ā, a Aa aa, a aa, a a a aa, a

[i:], [I] i  I i i i i I

[u:], [U] u  U u oo, u u u u

[ε:], [e] e  E e e é ε, e e

[ɔ:], [o]  o  O o oh,o o ɔ:, o o

[y:] ü  Yu yu ue ü y y

[œ:] ö  Oe eu euh, eu ê  œ oe

[

ɐ

] a  A a a e

ɐ

a

[Ø] ö  Eo eu u ê œ oe

[説明]

①[a:]は千島式では、aは開尾韻(韻尾をもたない韻母)の場合のみで、それ以外ではāと なる。また、イエール式、劉錫祥式、教院式の aa、a の区別も同様の理由である。これ は、前述した音節表からわかるように開尾韻の場合、広東語の母音はいずれも長母音で 発音されることから、省略しても差し支えないことからきている。

②劉錫祥式ではooとuの区別があるが、ooは[u:]を、uは[U]を代表させている。

③IPA の[e]は、二重母音の[ei]のみに用いられるが、黄錫凌式の e もまた二重母音の[ei]の みに用いられる。

④IPA の[o]は、二重母音の[ou]のみに用いられるが、黄錫凌式の o もまた二重母音の[ou]

のみに用いられる。

⑤劉錫祥式のohは開尾韻の場合のみで、それ以外ではoとなる。

⑥饒秉才式のüは、声母のj-,q-,x-に後続する場合はウムラウトが省略されuとなる。

⑦劉錫祥式のeuhは、開尾韻の場合のみで、それ以外ではeuとなる。

(3) 韻尾(Codas)

IPA 千島式 粵拼式 イエール式 劉錫祥式 饒秉才式 黄錫凌式 教院式

[-i],[-y] i, ü i i i i, u i, y i, y

[-u] u u u u o, u u u

[-m] m m m m m m m

(27)

[-n] n n n n n n n

[-ŋ] ng ng ng ng ng ŋ ng

[-p] p p p p b p p

[-t] t t t t d t t

[-k] k k k k g k k

[説明]

①IPAの[-y]は、[Ø y]の[y]を表し、千島式ではü、饒秉才式ではu、黄錫凌式、教院式ではy で代表させている。

②饒秉才式のoは、複韻母の[a:u]及び[

ɐ

u]のみで用いられる。

(4) 鼻音韻母(Syllabic nasals)

IPA 千島式 粵拼式 イエール式 劉錫祥式 饒秉才式 黄錫凌式 教院式

m m m m m m m m

ŋ ng ng ng ng ng ŋ ng

(5) 声調

IPA 千島式 粵拼式 イエール式 劉錫祥式 饒秉才式 黄錫凌式 教院式 55/5 1 1 ā、à 1,1 1 ╵☐ 1, 7

35 2 2 á 2 2 ʹ☐ 2

33/3 3 3 a 3 3 ☐ 3, 8

21 4 4 àh 4 4 ╷☐ 4

23 5 5 áh 5 5 ͵☐ 5

22/2 6 6 ah 6 6 ☐ 6, 9

[説明]

①イエール式は第1声に高平調(ā)と高降調(à)の2つの調値を認め7声調としている。

②劉錫祥式も第1声に高平調(1)と高降調(1)の2つの調値を認め7声調としている。

③教院式は入声を区分し、9声調としている。

④イエール式の母音の後の h は陽調類(すなわち、陽平、陽上、陽去、陽入)を表してい る。

7.4 千島式の評価と千島式システムの一部改定

前述した池田1995に、他の広東語ローマ字発音方式と比較した一文があるので少し長い が引用することとする;

声母については,千島式では歯茎音の系列をzh ch s Jyutping

参照

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