初期G・ウィンスタンリの宗教思想
ー イ ギ リ ス 革 命 期 に お け る 急 進 主 義 へ の 一 考 察 ‑ ‑ー
栗原淑江
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一はじめに
一七世紀のイギリス革命期に数多くみられた民衆的急進思想のなかで︑ディガー(U茜oq興)運動の指導者ウィンスタソ
リ(O臼冨巳芝ヨω貯巳ΦざH①O㊤山O♂)の思想が注目されるようになつたのは︑一九世紀末以来のことである︒死後二世
紀以上にわたって﹁忘れられた思想家﹂にとどまったウィソスタソリのトラクトがブリティッシュ・ミュージアムのトマソ
ソ・コレクショソのなかから発見されたのは︑一八九五年のことであった︒発見者ベルソシュタイソは︑ウィンスタソリ
(1)の思想がもつ社会的・歴史的意義を評価し︑かれを近代社会主義の先駆者とみた︒ウィソスタソリを近代社会主義史のな
(2)かに位置づけようとするこうした試みは︑のちグーチ︑ペティゴースキー︑スィージーらに継承されている︒他方︑そう
した研究と並行して︑ウィンスタソリの宗教思想に注目し︑その神秘主義的要素を強調するビアレソズ︑ジョーンズ︑シ
(3)エンク︑セイパイソなどの研究もあらわれた︒さらに︑二つに分離したウィソスタソリ像を統合しようとする試みがザゴ
リソによっておこなわ幾・その間にはウィソスタソリの著作象続毒・新たなトラクトも発見さ砦な羅ウィソス
タソリ研究はますます盛んになってきており︑とくに一九六〇年以降の研究の進展はめざましい︒
本稿では︑そうした従来の研究成果をふまえながら︑ウィソスタソリがディガi運動を開始する以前︑すなわち一六四
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九年四月以前のトラクトに即してかれの宗教思想を検討するが︑その際︑とくに近年注目されている千年王国論との関連
で考察したい︒千年王国論(竃臣8巴四巳ω日)は︑聖書の黙示録(およびダニエル書)に由来し︑メシアが地上に再来し
て王国を千年にわたって統治するという信仰である︒歴史的・地域的制約をこえて広義に解釈され︑ある種の宗教運動を
(7)あらわす理念型として用いられるぽあいもあるが︑キリスト教史の上では︑二︑三世紀の古代教父に起源をもつ︒その後
は長い間キリスト教における異端的教義とされてきたが︑民衆の間で生き続け︑一七世紀のイギリスにおいて﹁再生﹂し
た︒.
イギリズ革命期における千年王国論は︑従来︑第五王国派(国一臨巳ρ寓O旨餌﹃Oゴ唄寓¢口)を中心とする狂信的セク下に限定
して検討され︑非合理的な神秘主義として否定的に取り上げられていた︒それが︑一九六〇年前後の研究に端を発し︑ナ
トール︑ソールト︑ラモソト︑キャップ︑ウィルソンらによって︑千年王国論は周辺的な位置から革命期思想の中心的な
テ←にひきあげら魅・とくに・三ソト旺キャヅプ馨を通じて・コ七世紀イギリスの時代精神としての千年王国
(9)論﹂という問題が提起され︑今日まセ引き続き活発な研究が展開されている︒こうした動向のなかで︑ウィソスタンリの
(10)思想にみられる千年王国論に関しても若干の研究がなされている︒千年王国論については︑多様な解釈が可能で︑かなら
ずしも一義的な定義ができないこともあり︑具体的に論ずるばあいには困難な問題も残る︒しかし︑近年の千年王国論を
中心とした再検討の試みは︑イギリス革命研究に新たな局面を開いたといえよう︒
本稿では︑初期ウィンスタンリのトラクトに即して︑かれの宗教思想を神観念︑歴史観︑担い手論の諸観点から考察
し︑その特性を当時の社会・思想状況のなかで明らかにするとともに︑そこにみられる千年王国論的傾向を指摘したい︒
二宗教思想の形成
個々のトラクトの検討に入る前に︑一六四九年のディガー運動開始前のウィソスタソリの宗教思想の形成過程と︑その
初 期G・ ウ ィ ソ ス タ ン リの 宗 教 思 想 73
背景となった当時の政治的・宗教的状況を検討しよケ︒
茶ギリス革命に先行する時代は︑封建国家の最終形態としての絶対王政期であった︒中世封建社会の危機への対応とし
て生まれたこの中央集権体制は︑一七世紀に入るころにはあらゆる面で矛盾を露呈してきていた︒農村においては︑封建
的土地所有関係が根底から揺らいで農民層の分解が進み︑都市においても︑ギルドなどの封建的諸制度が攻撃されるな
ど︑封建体制を突き破って登場してくる新しい社会層にとっては︑絶対王政は障壁と思われるようになっていた︒
それとともに︑宗教的対立も深まっていた︒この当時︑宗教は今日よりもずっと広い外延をもつものであった︒当時の
(11)人々にとっては︑﹁宗教は現実であり︑宗教的信念は彼らの生の主要な原動力であった﹂︒絶対王政においては︑国王が世
俗の最高の統治者であると同時に︑イギリス国教会の首長でもあった︒政治的権力と宗教的権威は不可分の関係にあり︑
教会組織は行政機構でもあった︒当時︑ピューリタソによる説教運動の着実な浸透によって国教会の基礎は大きく揺らい
でいた︒一六三三年には︑国教会の危機を打開する使命を担ってウィリアム・ロードがカソタベリ大司教となり︑いわゆ
るロード体制が幕を開げた︒かれは︑国教会と司教制度は神の定めによるものであるとの立場から︑チャールズ一世の命
をうけて﹁徹底政策﹂を断行し︑これに反抗するものたちに厳しい弾圧を加えていた︒
王政への反抗が強まるなか︑革命の舞台となる長期議会が一六四〇年一一月に開催された︒議会では冒頭から国王への
不満が爆発し︑国王の抵抗にもかかわらず議会の圧倒的多数の結束でロードは逮捕され︑ロード体制も崩壊する︒一六四
二年には第一次内乱が勃発し︑議会軍が勝利をおさめる︒その後︑議会と軍隊の対立が表面化し︑一六四八年には︑第二
次内乱が開始される︒ウィソスタソリの最初の神学的パソフレット﹃神の不思議﹄(§鳴さ無ミ暗ミ︒OミO§もミミ轟ミ恥
噸§o貯9§職§増ミ暫碁§§︑ω層ぼαq℃H①薩︒︒)が出版されたのは︑このように沸き立っていた一六四入年春のことであっ
た︒
ウィンスタソリは︑一六〇九年ランカシャーのヴ河ガンに生まれ︑洗礼を受けている︒父エドワードは織物商で︑この
ノ
ノ
地区における有力者であったらしい︒かれが生まれる数年前に︑両親がピューリタソ・ノソコソフォーミストの秘密集会
(12)への参加をめぐって地方教会当局ともめたことが知られている︒ウィソスタソリの二〇歳以前の経歴についてはさだかで
はなく︑どのような教育を受けたかも不明であるが︑父の社会的な地位から考えても︑グラマー・スクールに通ったこと
が想定される︒しかし︑それ以上の正式な神学的教育を受けたとは考えられない︒当時の大学教育を受けたものの特徴で
(13)あるラテソ語の引用が彼の著作にはみられないからである︒一六三〇年頃にはすでにロソドソに居住しており︑織物商の
もとで徒弟生活を送り︑のち独立して織物業に従事するが︑内乱による不況が原因で一六三七年には破産する︒一六四〇
年にはロンボソの外科医の娘スーザンと結婚し︑一六四三年頃︑妻の家族がいたサリー州コバムに移ったことが知られて
いる︒サリー州は︑のちにかれがディガー運動の第一歩を始めたところである︒‑
この間のウィソスタソリの宗教的立場については︑明らかではない︒当時︑ロード体制の没落ののち︑事実上の検閲の
廃止により︑パソフレットや説教に︑さまざまな急進的理論がみられるようになっていた︒さらに︑独立派のスポークス
マソたちや長老派教会の支持者たちは︑古い敵である監督教会主義者よりも急進的な異端者と逸脱者に悩まされるように
なっていた︒セパラティスト(ωob母碧一ωけ)︑シーカーズ(ω①Φ犀臼ω)︑パプティスト(留讐一鴇)などの動きが目立ち始め
たのである︒革命前夜の緊迫した雰囲気のなか︑千年王国論的思想も広まりはじめていた︒こうしたなか︑ウィソスタソ
リは︑事業の失敗による落胆などから︑さまざまな宗教運動に目をむけていったと考えられる︒そして︑多分かれは︑シ
ーカーズを経由して神秘主義的聖霊主義者になっていったと思われる︒
トラクトにあらわれるウィソスタソリの宗教思想の端緒は︑啓示の体験である︒すなわち︑﹁⁝⁝私の心は楽しい考えで
(14)満たされた︒かつて本で読んだことも︑誰の口から聞いたこともない多くのことが私に啓示された﹂と︒その神秘的体験
を軸にかれの宗教思想を展開したのが︑一六四八年の春から秋にかけて出版された著作︑すなわち﹃神の不思議﹄︑﹃神の
日の曙﹄(§恥専§建薦ミ帖ぎbミミOミ竃昌b︒O"目①心︒︒)︑﹃聖人の楽園﹄(§鳴⑦ミミ︑始寒ミミ郵諺葺信日Pμ罐︒︒)︑
﹃真理の台頭﹄(辱ミ評トミ軌薦9画計寒ミ︾伽oミ砺ミミ§ず090びΦJH象︒︒)であり︑翌=ハ四九年一月にはさらに﹃正
(15)義の新しき法﹄(§笥さミ冒ミミミ窓§婁ミ防恥︑匂き奉受レ①お)が出版された︒
ウィソスタンリはその生涯において︑現在わかっているだけで一=冊の著作を公けにしているが︑ディガー運動以前の
この五冊は︑それ以降のものと区別されて︑どくに神学的なものといえる︒運動期と運動敗退後め竜めは︑一冊をのぞい
(16)て︑おもに社会的・経済的諸問題を扱ったものであり︑初期の神学的傾向はかげをひそめている︒そこで︑本稿では︑こ
れら初期のトラクトを中心に︑ウィンスタンリの宗教思想の特性を明らかにしたい︒個別的にみると︑それぞれに強調点
の若干の相違や理論の展開のあとがみられる︒とくに﹃正義の新しき法﹄においては︑神学的な面とともに︑ディガー運
動への転換点ともみられるような具体的な社会理論的側面が強調されている︒しかし︑一方ではこのトラクトはかれの千
(17)年王国論的思想の集大成ともいえるのであり︑ここでまとめて検討する必要があると思われる︒
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三ウィソスタンリの宗⁝教論の諸相
①神観念
ウィソスタンレの神は︑当然のことながぢキリスト教の神であり︑世界と人間を創造した神である︒しかし︑そのアプ
ロ,ーチの仕方や把握の仕方には独自のものがある︒すでにみたように︑ウィソスタンリの宗教思想は︑その神秘的な原体
験たる啓示からはじまる︒﹃神の不思議﹄によると︑その体験で得たものは︑自己の内部にはたらく神の力の存在であっ
た︒それ以前のかれは﹁蛇の束縛のもとにあったトが︑神の啓示により蛇と闘い︑苦しみ︑最後に内なる神によってその
(18)束縛から解放されたという︒
﹁私は心から神をあがめてはいたが︑神がどういうものであり︑またどこにかれがあるのかを︑少しも知ることができ
ず︑⁝⁝ただ憶測していたにすぎなかった︒悪魔をあがめて︑それを神だと信じこんでいた︒﹂ところが︑いまでは︑神