2015
年度
修士論文
J-PARC
ミューオン
g
−
2/EDM
実験に用いる
シリコンストリップ検出器読み出し
ASIC
の開発
九州大学大学院
理学府
物理学専攻
粒子物理学分野
素粒子実験研究室
長澤
翼
指導教員
吉岡
瑞樹
概要
素粒子の性質やその振るまいは標準模型(SM: Standard Model)により良く理解すること
ができる。2012年のヒッグス粒子の発見によりSMは完成した。しかし、1998年に観測さ
れたニュートリノ振動をはじめ、暗黒物質や暗黒エネルギーの存在などSMでは説明不可能
な物理現象がいくつか存在する。そのため、素粒子物理学においてSMの検証とSMを超え
た新しい物理の探索が非常に重要な課題である。
SMのほころびの一つとして、ミューオンの異常磁気モーメント(g−2)がある。2006年
にブルックへブン国立研究所で行われたE821実験においてミューオンのg−2が0.54 ppm
の精度で測定され、SMから予想される理論値と測定値との間に約3.3 σ のずれが確認され
た。我々はこのずれを先行実験とは全く異なる手法を用いて、0.14 ppmという高い精度で
測定することを目指す。さらに、ミューオンの電気双極子能率(EDM)も10−
21
e·cmの精
度で探索する。我々の実験は、大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質生命科学実験施設
(MLF)に新設されるビームラインで行う計画である。世界初のミューオン加速技術で極冷
ミューオンを300 MeV/c まで加速し、収束電場を用いずに貯蔵リング内に入射する。貯蔵
リング内には3 Tの一様磁場をかけ、ミューオンは歳差運動をしながら崩壊して陽電子を放
出する。この崩壊陽電子の飛跡と時間情報を放射状に設置したシリコンストリップ検出器を
用いて測定する。
我 々 は 、シ リ コ ン ス ト リ ッ プ 検 出 器 読 み 出 し ASIC(Application Specific Integrated
Circuit, 特定用途向け集積回路)の開発を進めている。読み出しASICは、アナログ・デジ タル混載回路である。アナログ部では、シリコンストリップセンサーから得られる崩壊陽電
子の信号を増幅・整形し、デジタル信号に変換する。デジタル部では、デジタル信号から得
られる時間情報を集積して読み出す。64チャンネルのアナログ部試作機として、SlitA2013
をSilterra CMOS 0.18 µmプロセスで製造した。SlitA2013単体の性能評価はすでに行われ
ている。そのため、厚さ320 µmの2種類のテストセンサーとSlitA2013を接続し、その検
出器試作機のビーム試験をJ-PARCのMLFと東北大学電子光理学研究センターで行った。
ビーム試験では、シリコンストリップ検出器試作機の信号雑音比(S/N)と陽電子の計数率変
化に対する時間分解能、検出効率を評価した。S/Nは15以上という要求性能を満たしてお
り、計数率変化に対する時間分解能の一様性も確認した。ストリップ間隔が100 µmと188
µmのテストセンサーに対して96%を超える検出効率が得られた。また、実機仕様のASIC
としてSliT128Aを開発した。SlitA2013ではタイムウォークの要求を満たしておらず、その
改善を図っている。SliT128Aは128チャンネルのアナログ・デジタル混載回路である。その
ため、アナログ部の1チャンネルのみを実装した評価用素子(TEG: Test Element Group)
も同時に製造した。TEGの評価基板へのアルミ線ワイヤーボンディング実装を九州大学で行
い、性能評価を行った。タイムウォークの改善は見られたが、5 ns以下という要求性能を満
がある。また、タイムウォークの要求性能は時間分解能の要求性能から制限されている。そ
こで、5 ns刻みで取得したTOT(Time-over-threshold)を用いたタイムウォークの補正を
目次
第1章 序論 1
1.1 研究背景 . . . 1
1.1.1 異常磁気モーメント(g−2). . . 2
1.1.2 電気双極子モーメント(EDM) . . . 3
1.2 先行実験 . . . 4
1.3 本論文の構成 . . . 7
第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験 8 2.1 測定手法 . . . 8
2.2 シリコンストリップ検出器 . . . 10
2.2.1 シリコンストリップセンサー . . . 13
2.2.2 シリコンストリップセンサー試作機 . . . 14
2.2.3 実機センサーの開発 . . . 15
第3章 シリコンストリップ検出器読み出し回路 20 3.1 読み出し回路 . . . 20
3.2 フロントエンドボードと読み出しASIC . . . 20
3.3 読み出しASICのアナログ部試作機 . . . 21
3.3.1 CMOS . . . 22
3.3.2 読み出しASICに対する要求 . . . 23
3.3.3 SlitA2013 . . . 24
第4章 ビーム試験 27 4.1 J-PARC 物質・生命科学実験施設におけるビーム試験 . . . 27
4.1.1 J-PARC 物質・生命科学実験施設 . . . 27
4.1.2 ビーム試験のセットアップ . . . 28
4.1.3 本実験環境下でのノイズの測定 . . . 32
4.1.4 陽電子の計数率変化に対する時間分解 . . . 33
4.2.1 東北大学電子光理学研究センター . . . 36
4.2.2 ビーム試験のセットアップ . . . 37
4.2.3 検出器試作機のS/N . . . 39
4.2.4 検出器試作機の検出効率 . . . 43
4.3 ビーム試験の考察 . . . 47
4.3.1 本実験環境下で測定したノイズとS/N . . . 47
4.3.2 陽電子の計数率変化に対する時間分解能 . . . 48
4.3.3 陽電子信号の電荷量 . . . 48
4.3.4 検出器試作機の位置分解能と検出効率 . . . 50
第5章 新バージョンの読み出しASIC 52 5.1 SliT128Aとアナログ部TEG . . . 52
5.1.1 SliT128A TEGの内部構成 . . . 53
5.1.2 SliT128A TEG評価基板 . . . 58
5.2 SliT128A TEGのアルミ線ワイヤーボンディング実装 . . . 59
5.2.1 ワイヤーボンディング実装の原理 . . . 62
5.2.2 ボンディングプロセスとボンディングパラメータ . . . 62
5.2.3 ボンディングパラメータの条件出し . . . 65
5.2.4 TEGチップのアルミ線ワイヤーボンディング実装の結果と考察 . . . 67
第6章 SliT128A TEGの性能評価 70 6.1 性能評価のセットアップ . . . 70
6.2 TEGのバイアス設定と出力波形. . . 70
6.3 ゲインとダイナミックレンジ . . . 71
6.4 等価雑音電荷(ENC)と信号雑音比(S/N) . . . 74
6.5 パルス幅 . . . 75
6.6 タイムウォーク . . . 75
6.7 DACの動作確認 . . . 78
6.8 TEG評価結果のまとめと考察 . . . 78
第7章 まとめと今後の課題 80 7.1 本研究のまとめ . . . 80
7.2 今後の課題 . . . 81
付録A Beam Defining Counterの開発 82
図目次
1.1 各相互作用に対応する最低次のファインマン図。 . . . 3
1.2 これまでに行われたミューオンのg−2の測定結果とSMから予想される理 論値の推移。 . . . 5
1.3 E821実験で用いたミューオン貯蔵リングの写真。 . . . 6
1.4 崩壊電子数の時間変化を100µsの時間幅でプロットした結果。 . . . 7
2.1 J-PARC ミューオン g−2/EDM実験のビームラインの概略図。 . . . 10
2.2 ミューオンのスピン歳差運動の様子を示した模式図。 . . . 11
2.3 陽電子飛跡検出器の概念図。 . . . 11
2.4 検出器モジュールとシリコンストリップ検出器の外観図。 . . . 12
2.5 p型シリコンとn型シリコンの模式図。. . . 14
2.6 pn接合と印加電圧。 . . . 14
2.7 p-on-n型シリコンストリップセンサーの動作原理。 . . . 15
2.8 各センサーボードの写真。 . . . 16
2.9 テストセンサーの顕微鏡による写真。 . . . 17
2.10 実機センサーの外形。 . . . 17
2.11 実機センサーのデザイン。 . . . 18
3.1 シリコンストリップ検出器読み出し回路のブロック図。 . . . 21
3.2 読み出しASICのブロック図。 . . . 22
3.3 CMOSの概念図。 . . . 23
3.4 SlitA2013のとその評価基板の写真。 . . . 24
4.1 J-PARC MLF D2-lineで行ったビーム試験のセットアップ。 . . . 28
4.2 シリコンストリップ検出器試作機Rの写真。 . . . 31
4.3 J-PARCのビーム試験におけるデータ収集システムのブロック図。 . . . 32
4.6 J-PARCのビーム試験におけるタイミングカウンターと検出器試作機で得ら
れた立ち上がり時間の時間差分布。 . . . 35
4.7 J-PARCのビーム試験における検出器試作機の計数率変化に対する時間分解 能の変化。 . . . 35
4.8 東北大学電子光理学研究センターの各実験室のレイアウト。 . . . 36
4.9 東北大学電子光理学研究センターで行ったビーム試験のセットアップ。 . . . 37
4.10 東北大学電子光理学研究センターで行ったビーム試験におけるデータ収集シ ステムのブロック図。 . . . 38
4.11 東北大学のビーム試験における検出器試作機のch16で得られた典型的な陽 電子信号の波形。 . . . 39
4.12 東北大学のビーム試験における各検出器試作機のch16のノイズの波高分布。 40 4.13 東北大学のビーム試験におけるBDCで取得した陽電子信号のADC分布。 . 41 4.14 東北大学のビーム試験におけるBDCで取得した陽電子信号の光量分布。 . . 41
4.15 東北大学のビーム試験における検出器試作機のch16で得られた典型的な信 号の波高分布。 . . . 42
4.16 東北大学のビーム試験における各検出器試作機の各チャンネルの閾値分布。. 44 4.17 東北大学のビーム試験における検出器試作機のクラスター分布。 . . . 45
4.18 Residualの定義。 . . . 45
4.19 東北大学のビーム試験における各検出器試作機のResidual分布。 . . . 45
4.20 検出器試作機を通過したトラックを選択するための条件3と条件4を示した 模式図。 . . . 46
4.21 検出器試作機にヒットのあったイベントを選択する条件を示した模式図。 . . 47
4.22 東北大学のビーム試験における検出器試作機の検出効率の閾値スキャン。 . . 48
4.23 試作機Rに接続したSlitA2013のch16の入力電荷に対する波高のプロット の再測定の結果。 . . . 49
4.24 Geant4で得られた理想的なセットアップにおける検出器試作機のResidual 分布。 . . . 51
4.25 検出効率が悪化する原因となるトラックの模式図。 . . . 51
5.1 SliT128Aのアナログ部ブロック図。 . . . 54
5.2 プリアンプとPZC回路の簡略化した回路図。 . . . 55
5.3 回路シミュレーションで得られた入力電荷に対するプリアンプの出力電圧。. 55 5.4 回路シミュレーションで得られた入力電荷に対するPZC回路の出力電流。 . 56 5.5 回路シミュレーションで得られた入力電荷に対するシェイパーの出力電圧。. 56 5.6 回路シミュレーションで得られた入力電荷に対するアナログ出力波形。 . . . 57
5.8 SliT128A TEGチップとその評価基板の写真。 . . . 59
5.9 九州大学のシリコン検出器開発設備の写真。 . . . 61
5.10 ワークホルダーに固定した治具の写真。. . . 61
5.11 超音波圧着方式によるワイヤーボンディングの原理。 . . . 62
5.12 プロセスプログラムを実行したときのボンドツールの動き。 . . . 63
5.13 走査型電子顕微鏡で撮影した理想的なボンドの形状。 . . . 64
5.14 ワイヤーの破壊試験の概念図。 . . . 66
5.15 TEGチップのボンディング計画。 . . . 66
5.16 63本のワイヤーに対する破壊試験の結果。 . . . 67
5.17 光学顕微鏡によるNo.1ボードのTEGチップ全体の写真。 . . . 68
5.18 光学顕微鏡によるNo.1ボードの1stボンドの拡大写真。 . . . 68
5.19 光学顕微鏡による2ndボンドの拡大写真。 . . . 69
5.20 No2ボードで確認したボンド強度が低いと予想されるワイヤーの光学顕微鏡 による拡大写真。 . . . 69
6.1 TEGの性能評価のセットアップ。 . . . 71
6.2 3.84 fCの電荷を入力したときのアナログ出力波形。 . . . 72
6.3 3.84 fCの電荷を入力したときのデジタル出力波形。 . . . 73
6.4 入力電荷に対する波高のプロットと線形性。 . . . 73
6.5 入力電荷がない場合のアナログ出力波形。 . . . 74
6.6 入力電荷に対するパルス幅の変化。 . . . 75
6.7 入力電荷に対するパルス幅の変化。 . . . 76
6.8 タイムウォークの定義。 . . . 76
6.9 11.52 fCの電荷を入力したときのトリガー信号とデジタル出力波形。 . . . . 77
6.10 入力電荷に対するトリガー信号とデジタル出力波形の立ち上がり時間の差。. 77 6.11 DACのビット数に対する基準電圧の変化。 . . . 78
A.1 BDCのフレーム部分のデザイン。 . . . 83
A.2 ファイバー埋め込み板のデザイン。 . . . 84
A.3 ファイバー・MPPC固定治具のデザイン。 . . . 85
A.4 1.3 mm角MPPCを32個と温度センサーを実装した基板の写真。 . . . 85
A.5 ファイバー接着用パーツの図面。 . . . 86
A.6 基板マウント用(C)の図面。. . . 87
表目次
2.1 BNL E821実験とFNAL E989実験、本実験の比較。 . . . 9
2.2 テストセンサーの仕様。 . . . 16
2.3 実機センサーの仕様。 . . . 19
3.1 読み出しASICに対する各性能の要求値。 . . . 24
3.2 SlitA2013の各ビットの制御。 . . . 26
3.3 読み出しASICに対する要求性能とこれまでの試作機の測定結果。 . . . 26
4.1 DSSDの仕様。 . . . 29
4.2 BDCに用いたシンチレーションファイバーの仕様。 . . . 30
4.3 BDCに用いたMPPCの仕様。 . . . 31
4.4 J-PARCのビーム試験におけるSlitA2013の各バイアスの設定値。 . . . 31
4.5 J-PARCのビーム試験における検出器試作機の各ノイズの測定結果。 . . . . 33
4.6 東北大学のビーム試験における検出器試作機の各チャンネルのノイズの標準 偏差とENC。 . . . 40
4.7 東北大学のビーム試験における検出器試作機の各チャンネルの陽電子信号の 波高と電荷量。 . . . 43
4.8 東北大学のビーム試験におけるENCを用いた検出器試作機のS/N 評価結 果。. . . 43
5.1 通常シミュレーションで設定した各バイアスの値。 . . . 53
5.2 SliT128Aのアナログ部1chの通常シミュレーションによる予想値。 . . . . 53
5.3 SliT128Aの各ビットの制御。 . . . 60
5.4 破壊試験の結果が平均荷重6.6 gのパラメータセット。 . . . 65
6.1 マルチテスターを用いて測定したTEG評価基板の電源電圧とその電流値。 . 71 6.2 TEG評価基板の各バイアスの測定値。 . . . 72
1
第
1
章
序論
1.1
研究背景
1922年、Otto SternとWalther Gerlachは電子が固有角運動量(スピン)を持つことを
発 見 し た [1]。1928年 、Paul Dirac は ス ピ ン1/2 の 粒 子 に 対 す る 相 対 論 的 量 子 力 学 の 方 程
式としてディラック方程式を提唱した[2]。ディラック方程式から、電子はスピに伴う磁気
モーメントを持ち、そのg因子が2であると予想された。その20年後の1947年、P. Kusch
は 電 子 の g 因 子 を 精 密 に 測 定 し 、2 か ら 僅 か に ず れ て い る こ と を 示 し た [3]。こ の ず れ を
異常磁気モーメント(g−2)と呼ぶ。相対論的量子力学では説明不可能な物理現象の発見
である。1948年、朝永、Schwinger、Feynman らによって量子電気力学(QED: Quantum
Electrodynamics)の繰り込み理論が提唱された[4, 5, 6]。この理論を用いることで、電子
のg因子が高精度に計算可能となり、Kusch らの測定結果をうまく説明することができた。
QEDは素粒子の振るまいをうまく説明する標準模型(SM: Standard Model)を支える柱の
一つであり、g−2はそのQEDの確立に大きく貢献した。2006年、ブルックへブン国立研
究所(BNL: Brookhaven National Laboratory)でミューオンのg−2の精密測定について
最終結果が発表され、SMから予想される理論値と測定値との間に約3.3σのずれがあること
が分かった[7]。この結果はSMを超えた新たな物理(BSM: Beyond the Standard Model)
の存在を示唆している。これらの経緯から、g−2の理論的・実験的研究がその時代における
素粒子物理学の発展に大きく貢献してきたことが分かる。
電気双極子モーメント(EDM: Electric Dipole Moment)は物質優勢宇宙を解明する手が
かりとしてその発見が期待される。これまで電子や中性子などのEDM探索実験が行われて
きた[8, 9]が、有限のEDMは未発見である。我々は、大強度陽子加速器施設(J-PARC)に
おいてミューオンのg−2とEDM を精密に測定する新たな実験を計画しており、SMの検
証とBSMの探索を同時に行う。本章では、g−2とEDM、そしてBNLで行われた先行実
2 第1章 序論
1.1.1
異常磁気モーメント(
g
−
2
)
電荷qを帯びた質量mの荷電粒子が速度⃗vで半径rの円運動をしているとき、軌道角運動
量L⃗ はL⃗ =⃗r× m⃗vと表される。また、円電流によって生じる磁気モーメント⃗µは、軌道角
運動量L⃗ を用いて次のように表すことができる。
⃗ µ= q¯h
2mL⃗ (1.1)
ここで、¯hはプランク定数である。
次に、ミューオンの磁気モーメントについて考える。ミューオンは電荷e、スピン1/2を
持った荷電粒子である。したがって、スピン角運動量⃗sによる磁気モーメントは(1.1)式と
同様の考え方で次のように表すことができる。
⃗
µ=g e¯h
2mµ
⃗s (1.2)
ここで、mµはミューオンの質量、gはランデのg因子と呼ばれる定数である。このg因子は
軌道角運動量に対しては、g= 1であるが、スピンに対してはディラック方程式からg= 2で
ある。SMの相互作用による量子補正を考慮すると、g因子は2から僅かにずれる。このずれ
を異常磁気モーメント(g−2)と呼び、次のように定義される。
aµ =
g−2
2 (1.3)
SMから予想されるミューオンの異常磁気モーメント(aµ)は、電磁相互作用(QED)、電弱
相互作用(EW: Electroweak)、ハドロンを介した相互作用(had)の寄与に大別される。
aµ =aµ(QED) +aµ(EW) +aµ(had) (1.4)
図1.1にそれぞれの相互作用に対応する最低次のファインマン図を示す。(1.4)式の第1項
は、光子と荷電レプトンで構成されたファインマン図から計算される。第2項は、少なくと
も一つのW ボソン、Z ボソン、ヒッグスボソンを介したファインマン図から計算される。第
3項は、電子・陽電子衝突実験でのハドロン生成過程の断面積を用いて計算される。これらの
相互作用の中でQEDに基づく寄与が支配的である[10]。SMから予想されるミューオンの
aµ(SM)は、2つの異なるグループ(HLMNT11[11], Davier[12])が計算した aµ(had)の結
果を用いてそれぞれ計算されている。
aµ(SM) = 11 659 184.4(4.9)×10−10, with aµ(had) in HLMNT11
aµ(SM) = 11 659 181.8(4.9)×10−10, with aµ(had) in Davier
BNLで測定されたaµ(exp)は、
1.1 研究背景 3
である[7]。したがって、理論値と測定値のずれ∆aµはそれぞれの理論値を用いて
∆aµ = 24.6(8.0)×10−10, with aµ(had) in HLMNT11
∆aµ= 27.2(8.0)×10−10, with aµ(had) in Davier
と計算される。この ∆aµ を説明する最も有力なBSMとして超対称性(SUSY:
Supersym-metry)模型がある。図1.1(d)は、SUSY模型で提唱される超対称性粒子を介した相互作用
のファインマン図である。このようにBNL E821実験における測定結果は理論値から有意な
ずれを示しており、先行実験とは異なる手法でミューオンのg−2をより高精度に測定し、
SMから予測される理論値とのずれを検証する必要がある。
■ 研究紹介
ミューオン
実験
素粒子原子核研究所
三 部 勉
理化学研究所 仁科加速器研究センター
石 田 勝 彦
超伝導低温工学センター
佐 々 木 憲 一
年 平成
年
月
日
はじめに
で行われた
実験
はミューオンの異常磁
気能率
を
という高精度で測定し,標準
理論の予想値よりも約
大きい値を報告した。これは
標準理論のほころびを示しているのだろうか。
ではまったく新しい実験手法を用いてミューオン
の値を精密測定するとともに,電子双極子能率
を世界最高感度で測定する実験を計画している。まった
く新しいアプローチであるがゆえに,実験技術の開発は
それぞれユニークである。本稿では,物理背景と実験概
要を述べるとともに,超低速ミューオン源,蓄積磁石,
磁場測定,陽電子検出器の領域について開発の現状と展
望について紹介したい。
物理背景
ミューオンの
および
はスピンの歳差運動を
用いて測定する。歳差運動と聞いてどのようなイメージ
をもたれるだろうか。多くの方は学生の頃,力学の授業
でコマの歳差運動について学ばれたと思う。角運動量を
もつ剛体にトルクを与えると,角運動量の回転軸がある
軸の周りに円をえがくように振れる現象である。ミュー
オンはスピン を持つ素粒子であるので,コマと同様
に歳差運動を考えることができる。ミューオンのスピン
に対して標準模型の相互作用や未知の相互作用によって
「トルク」が加わり,歳差運動をする。歳差運動を高精
度で測定して,標準模型からのズレを検証するのが本実
験の目的である。
(a)
(b)
γ µ µ γ hadron µ µ(c)
(d)
γ W ν W µ µ γ ˜ µ χ0 ˜ µ µ µ図
へ寄与する過程の例:
(
項)
ハドロンループを含む項
弱い相互作用
超対
称性模型。
静的な電磁場中ではミューオンのスピン( )は磁気
双極子
,電気双極子
として電磁場と相互作用す
る。すなわち,相互作用のハミルトニアンは
とかける。ここで
である。 はランデの 因子, は
の大きさを示
す無次元量である。 因子はディラック方程式の最低次
では正確に であるが,一般には 因子は量子補正を
受けるため からずれてくる。ここで, からのずれを
とし,量子補正の効果をあらわに示す量
として定義する。
■ 研究紹介
ミューオン
実験
素粒子原子核研究所
三 部 勉
理化学研究所 仁科加速器研究センター
石 田 勝 彦
超伝導低温工学センター
佐 々 木 憲 一
年 平成
年
月
日
はじめに
で行われた
実験
はミューオンの異常磁
気能率
を
という高精度で測定し,標準
理論の予想値よりも約
大きい値を報告した。これは
標準理論のほころびを示しているのだろうか。
ではまったく新しい実験手法を用いてミューオン
の値を精密測定するとともに,電子双極子能率
を世界最高感度で測定する実験を計画している。まった
く新しいアプローチであるがゆえに,実験技術の開発は
それぞれユニークである。本稿では,物理背景と実験概
要を述べるとともに,超低速ミューオン源,蓄積磁石,
磁場測定,陽電子検出器の領域について開発の現状と展
望について紹介したい。
物理背景
ミューオンの
および
はスピンの歳差運動を
用いて測定する。歳差運動と聞いてどのようなイメージ
をもたれるだろうか。多くの方は学生の頃,力学の授業
でコマの歳差運動について学ばれたと思う。角運動量を
もつ剛体にトルクを与えると,角運動量の回転軸がある
軸の周りに円をえがくように振れる現象である。ミュー
オンはスピン を持つ素粒子であるので,コマと同様
に歳差運動を考えることができる。ミューオンのスピン
に対して標準模型の相互作用や未知の相互作用によって
「トルク」が加わり,歳差運動をする。歳差運動を高精
度で測定して,標準模型からのズレを検証するのが本実
験の目的である。
(b)
γ
hadron
µ µ
図
へ寄与する過程の例:
(
項)
ハドロンループを含む項
弱い相互作用
超対
称性模型。
静的な電磁場中ではミューオンのスピン( )は磁気
双極子
,電気双極子
として電磁場と相互作用す
る。すなわち,相互作用のハミルトニアンは
とかける。ここで
である。 はランデの 因子, は
の大きさを示
す無次元量である。 因子はディラック方程式の最低次
では正確に であるが,一般には 因子は量子補正を
受けるため からずれてくる。ここで, からのずれを
とし,量子補正の効果をあらわに示す量
として定義する。
■ 研究紹介
ミューオン
実験
素粒子原子核研究所
三 部 勉
理化学研究所 仁科加速器研究センター
石 田 勝 彦
超伝導低温工学センター
佐 々 木 憲 一
年 平成
年
月
日
はじめに
で行われた
実験
はミューオンの異常磁
気能率
を
という高精度で測定し,標準
理論の予想値よりも約
大きい値を報告した。これは
標準理論のほころびを示しているのだろうか。
ではまったく新しい実験手法を用いてミューオン
の値を精密測定するとともに,電子双極子能率
を世界最高感度で測定する実験を計画している。まった
く新しいアプローチであるがゆえに,実験技術の開発は
それぞれユニークである。本稿では,物理背景と実験概
要を述べるとともに,超低速ミューオン源,蓄積磁石,
磁場測定,陽電子検出器の領域について開発の現状と展
望について紹介したい。
物理背景
ミューオンの
および
はスピンの歳差運動を
用いて測定する。歳差運動と聞いてどのようなイメージ
をもたれるだろうか。多くの方は学生の頃,力学の授業
でコマの歳差運動について学ばれたと思う。角運動量を
もつ剛体にトルクを与えると,角運動量の回転軸がある
軸の周りに円をえがくように振れる現象である。ミュー
オンはスピン を持つ素粒子であるので,コマと同様
に歳差運動を考えることができる。ミューオンのスピン
に対して標準模型の相互作用や未知の相互作用によって
「トルク」が加わり,歳差運動をする。歳差運動を高精
度で測定して,標準模型からのズレを検証するのが本実
験の目的である。
(c)
γ W ν W µ µ図
へ寄与する過程の例:
(
項)
ハドロンループを含む項
弱い相互作用
超対
称性模型。
静的な電磁場中ではミューオンのスピン( )は磁気
双極子
,電気双極子
として電磁場と相互作用す
る。すなわち,相互作用のハミルトニアンは
とかける。ここで
である。 はランデの 因子, は
の大きさを示
す無次元量である。 因子はディラック方程式の最低次
では正確に であるが,一般には 因子は量子補正を
受けるため からずれてくる。ここで, からのずれを
とし,量子補正の効果をあらわに示す量
として定義する。
a
c
b
d
W W
図1.1 各相互作用に対応する最低次のファインマン図[13]。(a) QED過程 (b) EW過
程 (c) ハドロンループを含む過程(d) 超対称性粒子を介した過程
1.1.2
電気双極子モーメント(
EDM
)
ミューオンが電荷の偏りに起因する有限の電気双極子モーメント(EDM)を持つとする
と、あるベクトル量を用いてEDMを表すことができるはずである。ミューオンがもつベク
トル量はスピン⃗sのみであるため、磁気モーメントと同様にEDMを次のように定義するこ
とができる。
⃗
d=η e¯h mµc
⃗s (1.5)
4 第1章 序論
あらゆる物理量は荷電共役変換(Charge conjugation)、パリティ変換(Parity
transfor-mation)、時間反転(Time reversal)の3つの同時変換に対して対称である(CPT定理)。 時間反転に対して電荷分布は変化しないが、スピンの向きは反転する。そのため、ミューオ
ンが有限のEDMを持つとすると、時間反転対称性が破れる。CPT定理から時間反転対称性
の破れはCP対称性の破れと等価である。したがって、EDMはCP対称性を破る物理量で
ある。1964年に K 中間子の崩壊においてCP対称性の破れが発見された [14]。SM におけ
るクォークセクターのCP対称性の破れはCabibbo-Kobayashi-Maskawa(CKM)理論[15]
の範囲内で説明することができる。しかし、1967年に提唱されたサハロフの条件[16]から
物質優勢宇宙、すなわちバリオンの非対称性を説明するのに十分な大きさのCP対称性の破
れではない。そのため、CP対称性の破れた物理量である有限のEDMの発見が期待される。
SM から予想されるEDMはdµ∼ 2×10−38 e·cmと非常に小さいが、BSMから予想され
るEDM はこの値よりも大きくなる。したがって、有限のEDMの探索はBSMの発見に繋
がる。
1.2
先行実験
1959年から欧州合同原子核研究機構(CERN)でg−2の直接測定が始まった[17]。そし
て、現在におけるg−2の世界最高感度の実験は、2006年に最終結果が発表されたブルック
へブン国立研究所で行われたE821実験[7]である。ミューオンのg−2を0.54 ppmという
高い精度で測定し、SMから予想される理論値と測定値との間に約3.3 σのずれがあることを
示した。また、ミューオンのEDMについても1.9× 10−
19
e·cmの上限値を与えた。図1.2
に、これまでに行われたミューオンのg−2の測定結果とSMから予想される理論値の推移
を示す。
E821実験では、1979年にCERNで行われた3度目のミューオンのg−2測定実験 [19]
と同じ手法を用いている。E821実験におけるミューオンのg−2 およびEDMの測定手法
について述べる。荷電粒子であるミューオンは一様磁場中でサイクロトロン運動をする。ま
た、磁場は磁気モーメントにトルクを与え、ミューオンのスピンも磁場に対して歳差運動を
する。g因子がg = 2であるなら、サイクロトロン運動とスピン歳差運動の周波数が等しく
なる。しかし、実際にはSMによる様々な相互作用の影響でg因子は2より大きい。そのた
め、スピン歳差運動の振動数の方がサイクロトロン運動の振動数よりも僅かに大きい。この
ような運動を異常歳差運動と呼ぶ。異常歳差運動の振動数 ω⃗aは、スピン歳差運動の振動数
⃗
ωs とサイクロトロン運動の振動数ω⃗c の差で表される。電場による効果も加えると異常歳差
運動の振動数は次の式で表される。
⃗
ωa =ω⃗s−ω⃗c =−
e mµ
[
aµB⃗ −
(
aµ−
1
γ2−1 ) ⃗
β×E⃗ c
]
(1.6)
1.2 先行実験 5
図1.2 これまでに行われたミューオンのg−2の測定結果とSMから予想される理論値
の推移[18]。CERNで行われた3番目の測定結果とBNLの測定結果の推移、世界平均、
実験が参照したSMから予測される理論値の推移がプロットされている。
ローレンツ因子、E⃗ は電場を示す。さらにミューオンがEDM を持つとすると、(1.6)式に
EDMによるスピンの回転の振動数ω⃗η が加わり、歳差運動の振動数⃗ω は次の式で表される。
⃗
ω=ω⃗a+ω⃗η =−
e mµ
[
aµB⃗ −
(
aµ−
1
γ2−1 ) ⃗
β ×E⃗ c +
η
2
(
⃗
β×B⃗ + E⃗ c
)]
(1.7)
aµ の リ ー デ ィ ン グ オ ー ダ ー の 項 を 考 え る と 、aµ ∼ α
2π と な る 。α は 微 細 構 造 定 数 で あ り 、
α ∼ 1
137 で あ る 。E821 実 験 で は 、ミ ュ ー オ ン の 運 動 量 を 魔 法 運 動 量(p = 3.094 GeV/c,
γ = 29.3)に設定することで、第2項目の係数aµ−
1
γ2−1 ≈0とした。さらに、EDMの大
きさηが微小であるなら、(1.7)式の第3項目も無視でき、⃗ωは次の簡単な式で表される。
⃗
ω =− e mµ
aµB⃗ (1.8)
したがって、ミューオンの歳差運動の振動数⃗ωと磁場B⃗ を精密に測定することで、aµ を求
めることができる。歳差運動の振動数⃗ωはミューオンの崩壊(ミッシェル崩壊)を用いて測
定する。正ミューオンは弱い相互作用によりおよそ2.2×10−6 sの寿命で、陽電子と2つの
ニュートリノに3体崩壊する。
µ+ →e++νe+ ¯νµ (1.9)
スピンの回転は電子ニュートリノが左巻きで、反ミューニュートリノが右巻きである。その
ため、 ミューオンの静止系において崩壊陽電子はミューオンのスピンの方向に放出されやす
6 第1章 序論
した陽電子数の時間変化が計測可能である。崩壊陽電子数の時間変化は、ミューオンの運動
方向に対するスピンの回転の時間変化に対応しているため、歳差運動の周波数が得られる。
図1.3 E821実験で用いたミューオン貯蔵リングの写真[20]。直径14 mの貯蔵リング内
に1.45 Tの一様磁場がかけられている。ビームパイプの内径は90 mmである。
E821 実 験 の ビ ー ム ラ イ ン を 簡 単 に 説 明 す る 。BNL に あ るAlternating Gradient
Syn-chrotron(AGS)で運動量24 GeV/cまで加速した陽子をニッケル標的に照射し、パイオンを
生成する。パイオンは輸送中にミューオンに崩壊する。魔法運動量3.094 GeV/cをもつ崩壊
ミューオンを選別し、収束電場を用いて直径 14 mのミューオン貯蔵リング内に入射する。
貯蔵リング内には1.45 Tの一様磁場がかけられている。図1.3にこの実験で用いた貯蔵リ
ングの写真を示す。ミューオンは貯蔵リング内を歳差運動をしながら周回し、陽電子に崩壊
する。貯蔵リングの内周に沿って設置された24台のカロリメータで、崩壊陽電子の時間情
報とエネルギーを測定する。高いエネルギーをもった崩壊陽電子だけを選択することで、前
方方向に放出された崩壊陽電子数を計測できる。図1.4に崩壊電子数の時間変化のプロット
を示す。崩壊電子の時間変化の周期と磁場の大きさからaµを測定する。E821実験における
ミューオンのg−2の最終的な測定結果は、aµ=11 659 208.9 × 10−
10
であり、EDM につ
いても1.9 × 10−
19 e·cm
の上限値を与えている。BNL E821実験では(1.7)式のEDMに
よる寄与の項を無視しているが、この実験のEDMの測定感度では、g−2の約3.3 σのずれ
がEDMによる寄与である可能性を排除することができなかった。そのため、EDM をより
1.3 本論文の構成 7
図1.4 崩壊電子数の時間変化を100 µsの時間幅でプロットした結果[7]。
1.3
本論文の構成
本 論 文 で は 、第 2 章 で J-PARC ミ ュ ー オ ン g−2/EDM 実 験 の 概 要 と 本 実 験 で 用 い る
シ リ コ ン ス ト リ ッ プ 検 出 器 に つ い て 、第3 章 で シ リ コ ン ス ト リ ッ プ 検 出 器 読 み 出 し ASIC
(Application Specific Integrated Circuit, 特 定 用 途 向 け 集 積 回 路 )に つ い て 取 り 扱 う 。シ
リコンストリップセンサーの試作機として厚さ 320 µm の 2 種類のテストセンサーを開発
し 、読 み 出 しASIC の ア ナ ロ グ 部 試 作 機 と し て SlitA2013を 開 発 し た 。第 4章 で は 、こ の
テストセンサーとSlitA2013を接続して行った、検出器試作機のビーム試験のセットアップ
と そ の 結 果 に つ い て 述 べ る 。第 5章 で は 実 機 仕 様 の 新 バ ー ジ ョ ン の 読 み 出 し ASICで あ る
SliT128Aの開発とそのアナログ部評価用素子の評価基板へのワイヤーボンディング実装を
取り扱う。第6章ではアナログ部評価用素子の性能評価のセットアップとその結果について
8
第
2
章
J-PARC
ミューオン
g
−
2
/EDM
実験
J-PARC ミ ュ ー オ ン g−2/EDM 実 験 は 、茨 城 県 東 海 村 に あ る 大 強 度 陽 子 加 速 器 施 設 (J-PARC)の物質生命科学研究施設(MLF)に新設するビームライン(H-Line)で行う計
画である。本実験は、先行実験とは全く異なる手法で、ミューオンのg−2を0.14 ppmの
精度で測定し、EDM を10−21 e·cmの感度で探索することを目指す。表2.1にBNL E821
実験とフェルミ国立加速器研究所(FNAL: Fermi National Accelarator Laboratory)で行
われる計画のE989実験、本実験の測定手法の比較を示す。本章では、J-PARC ミューオン
g−2/EDM実験の概要と陽電子飛跡検出器について述べる。
2.1
測定手法
本実験では、先行実験と同様に磁場中でのスピン歳差運動を用いてミューオンのg−2と
EDMを同時に測定する。(1.7)式で述べたようにミューオンの歳差運動の振動数は次の式で
表される。
⃗
ω=ω⃗a+ω⃗η =−
q mµ
[
aµB⃗ −
(
aµ−
1
γ2−1 ) ⃗
β ×E⃗ c +
η
2
(
⃗
β×B⃗ + E⃗ c
)]
(2.1)
先行実験では第2項の係数をゼロにし、EDMの大きさを無視することで(1.8)式を得た
が、本実験では電場を一切用いずに測定することで次の式が得られる。
⃗
ω =− e mµ
aµB⃗ +
η
2
(
⃗ β×B⃗
)
(2.2)
g−2による寄与とEDMによる寄与を独立に分離して測定可能な非常に有効な手法である。
ま た 、先 行 実 験 の よ う に 魔 法 運 動 量 ま で ミ ュ ー オ ン を 加 速 す る 必 要 が な く 、非 常 に 小 さ な
貯蔵リングで実験が行えるため、磁場の一様性の精度を∼ 0.1 ppmまで上げることができ
2.1 測定手法 9
表2.1 BNL E821実験とFNAL E989実験、本実験の比較[21]。FNAL E989実験は
BNL E821実験の後継実験であり、本実験の競合実験である。本実験は、BNL E821実験
とは全く異なる手法でミューオンのg−2とEDMをより高精度に測定することを目指す。
項目 E821(BNL) E989(FNAL) 本実験(J-PARC)
ミューオンの運動量 3.09 GeV/c 0.3 GeV/c
スピン偏極 100 % 50 % → 100 %
磁場 1.45 T 3.0 T
貯蔵リングの直径 14 m 66 cm
ビームの収束 収束電場 微小磁場
陽電子検出器 カロリメータ シリコンストリップ検出器
陽電子数 5.0 ×109 1.8 × 1011 8.7 × 1011 →1.5 × 1012
サイクロトロン運動の周期 149 ns 7.4 ns
スピン歳差運動の周期 4.37 µs 2.11 µs
aµの統計精度 0.46 ppm 0.14 ppm 0.14 ppm
EDMの測定感度 0.9 × 10−19 e·cm 10−21 e·cm 10−21 e·cm
ある。そこで、非常に指向性の良い極冷ミューオンを用いる。図2.1にJ-PARC ミューオン
g−2/EDM 実験のビームラインの概略図を示す。J-PARCの陽子シンクロトロン(Rapid
Cycling Synchrotron, RCS)で3 GeVまで加速した陽子ビームをMLFに輸送する。MLF
内に設置したミューオン生成標的(炭化ケイ素, SiC)に陽子ビームを照射することで、パイ
オンを生成する。生成したパイオンは標的で静止し、ミューオンに崩壊する。このような崩
壊で生じ、また標的表面から放出される高強度でスピン偏極したミューオンを表面ミューオ
ンと呼ぶ。運動量28 MeV/cの表面ミューオンをミューオニウム生成標的(エアロゲル)で
静止させる。ミューオンは標的内で電子を捕縛し、ミューオニウムが生成される。標的から
放出されたミューオニウムに高強度の真空紫外レーザーを照射することで電子を乖離し、非
常に指向性の良いスピン偏極を保った極冷ミューオンが得られる。この極冷ミューオンを世
界初のミューオン加速技術で運動量300 MeV/cまで加速し、収束電場を用いずに貯蔵リング
内へ螺旋軌道で入射する。貯蔵リング内にはソレノイド磁石により3 Tの一様磁場をかけ、
ミューオンは螺旋軌道を描きながら進む。ミューオンが蓄積領域まで進むと、キッカー磁石
により垂直方向にキックされ、蓄積領域内を33 cmの軌道半径で周回運動する。サイクロト
ロン運動の周期は7.4 ns、異常歳差運動の周期は2.2 µsであるため、ミューオンが300回軌
道を周回する間にミューオンのスピンは運動量方向を軸として1周回転する。周回運動して
10 第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験
1
SiC target (20 mm)
3 GeV proton beam ( 333 uA)
Surface muon beam (28 MeV/c, 4x108/s)
Muonium ProducDon (300 K ~ 25 meV⇒2.3 keV/c)
66 cm
magnet iron yoke beam pipe
positron detector
magnet main coils muon storage
region
図 2.1 J-PARC ミ ュ ー オ ン g-2/EDM実 験 の ビ ー ム ラ イ ン の 概 略 図 。左 下 図 は 極 冷
ミューオンの生成過程を示しており、右上図はミューオン貯蔵リングの外観を示している。
れやすい。蓄積領域内には陽電子飛跡検出器が放射状に設置されており、崩壊陽電子の飛跡
と時間を測定する。再構成した飛跡から運動量200 MeV/c以上の陽電子を選択することで、
運動方向に対するミューオンのスピンの向きの時間変化を測定することができる。ミューオ
ンのg−2は先行実験と同様にスピン歳差運動の周期を測定することで得られる。ミューオ
ンがEDM をもつとすると、図2.2のようにスピンの回転軸が磁場に対して僅かに傾く。そ
のため、崩壊陽電子の上下非対称度の時間変化を測定することで、その振幅がEDMの大き
さに比例する。
2.2
シリコンストリップ検出器
2.1で述べたように、我々の実験ではミューオンからの崩壊陽電子の飛跡と時間を陽電子飛
跡検出器を用いて測定する。図2.3に陽電子飛跡検出器の概念図を示す。陽電子飛跡検出器
には以下の要求が課せられている。
• 直径66 cmのミューオン貯蔵リング内に設置可能である。
• 崩壊陽電子に対する高計数率耐性があり、高い計数率変化にも耐性がある。
• ミューオン貯蔵リング内に設置するため、3 Tの磁場中で安定して動作する。また、検
2.2 シリコンストリップ検出器 11
B
ω
aω
ηβ
x
y
ω
z
図2.2 ミューオンのスピン歳差運動の様子を示した模式図。ミューオンがEDMをもつ
とすると、スピン歳差運動の回転軸は磁場に対して僅かに傾く。ω⃗a は異常歳差運動による
振動数、ω⃗η はEDMによるスピン回転の振動数を示している。
図
陽電子飛跡検出器 左 および検出器モジュール 右 概念図
図
片面
型センサーの概念図
図2.3 陽電子飛跡検出器の概念図。ミューオン軌道から内側へ放出された陽電子を放射
12 第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験
• 検出器の構成部品がミューオン蓄積領域内に電場を生じてはならない。
(E ≪ 10 mV/cm)
• 200 MeVから300 MeVのエネルギー領域の陽電子に対して感度を持つ。
• 高い位置分解能と優れた飛跡再構成性能をもつ。
これらの要求から、陽電子飛跡検出器としてシリコンストリップ検出器を用いることにした。
シリコンストリップ検出器では、軸方向にストリップが張られたシリコンセンサーと動径方
向にストリップが張られたシリコンセンサーを交互に配置することで、荷電粒子の通過位置
を2次元情報として取得することができる。図2.4にシリコンストリップ検出器の概略図を
示す。陽電子飛跡検出器は、検出器モジュールを放射状に48枚並べた構造をしている。各検
出器モジュールには、シリコンストリップセンサーと後述するフロントエンドボードが実装
されている。図2.4に検出器モジュールの構造を示す。片面に軸方向センサーを8枚、もう
片面に動径方向センサーを8枚並べ、1つの検出器モジュールに16枚のシリコンストリップ
センサーを並べる。上下に最大32枚ずつ実装した後述するASICでセンサーからの信号を
読み出す。以下、各構成要素について詳しく説明する。
a b c
図2.4 検出器モジュールとシリコンストリップ検出器の外観図。(a)軸方向にストリッ
プが張られたシリコンセンサーを実装した検出器モジュール面。(b)動径方向にストリッ
プが張られたシリコンセンサーを実装した検出器モジュール面。(c)シリコンストリップ
2.2 シリコンストリップ検出器 13
2.2.1
シリコンストリップセンサー
シリコンの特性とpn接合
シリコンは価電子数4の元素である。シリコン結晶中の原子は互いに電子を介して共有結
合しており、電流は流れにくい。しかし、純粋なシリコン結晶中に不純物を僅かに加えるこ
とで、導体としての性質を示すようになる。純粋なシリコン結晶にホウ素(B)などの価電子
数3の原子を混ぜたものをp型シリコンと呼ぶ。また、純粋なシリコン結晶にリン(P)など
の価電子5の原子を混ぜるたものをn型シリコンと呼ぶ。p型シリコンは共有結合を行うた
めに必要な電子が1つ足りない状態である。このような電子の穴のことを正孔(ホール)と
呼ぶ。p型シリコンに電圧をかけると、正孔がキャリアとして働き電流が流れる。逆に、n型
シリコンは電子が1つ余った状態である。そのため、電圧をかけると電子がキャリアとして
働き電流が流れる。図2.5にp型シリコンとn型シリコンの模式図を示す。p型シリコンと
n型シリコンを接合したpn接合を考えてみる。拡散現象により p型シリコンのホールがn
型シリコンへ移動し、n型シリコンの電子がp型シリコンへ移動する。接合部付近では、移
動してきた電子と正孔は再結合して電子正孔対を形成し消滅する。電子正孔対の消滅により
ホウ素とリンはイオン化し、接合部付近に電場勾配が生じる。このような領域を空乏層と呼
ぶ。空乏層はキャリアのほとんど存在しない領域である。図2.6にその様子を示す。次にpn
接合に電圧をかけた場合を考えてみる。順電圧をかけると、空乏層内の電場が弱められる。
そして、p型シリコンからn型シリコンへホールが拡散し、n型シリコンからp型シリコン
へ電子が拡散することで拡散電流が流れる。その結果、空乏層の厚さは狭くなる。逆電圧を
かけると、空乏層内の電場が強められる。そして、p型シリコンの正孔は負電極側へ移動し、
n型シリコンの電子は正電極側へ移動するため、電流は流れない。その結果、空乏層の厚さが
広くなる。空乏層が完全に広がった状態を完全空乏化と呼ぶ。
p-on-n型シリコンストリップセンサーの動作原理
シリコンストリップセンサーは、荷電粒子の飛跡検出器として広く用いられている。図2.7
にp-on-n型シリコンストリップセンサーの動作原理を示す。p
+
型、n
+
型シリコンは、p型、
n型シリコンの中でも特に不純物の濃度が高いものを指す。シリコンストリップセンサーに
逆電圧を印加すると、nバルク層は完全空乏層化する。荷電粒子がnバルク層を通過すると、
その飛跡に沿って電子正孔対が生成される。最小電離損失粒子(MIP: Minimum Ionization
Particle)がシリコン中で落とすエネルギーはBethe-Blochの式から1.664 MeV·cm2/g [22]
と求まる。シリコンの密度は2.329 g/cm3であるから、厚さ320 µmのシリコン中で落とす
エネルギーの平均値は124 keVとなる。しかし、薄いシリコン中を通過したMIPが落とす
エネルギーの分布は高エネルギー領域にテールを引いたランダウ分布を示す。そのため、ラ
14 第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験
Si
Si
Si
Si
B
Si
Si
Si
Si
Si
Si
Si
Si
P
Si
Si
Si
Si
図2.5 p型シリコンとn型シリコンの模式図。青丸はシリコン(Si)の価電子、赤丸はホ
ウ素(B)の価電子、緑丸はリン(P)の価電子を表している。p型シリコンのキャリアは
ホールであり、n型シリコンのキャリアは余剰電子である。
図2.6 pn接合の様子と印加電圧をかけたときのpn接合の様子。順電圧を印加すると空
乏層が狭まり、拡散電流が流れる。逆電圧を印加すると空乏層が広がり、電流は流れない。
では、ランダウ分布の最頻値をおよそ87 keVと推定した。電子正孔対を1対生成するのに
必要なエネルギーは3.62 eVあるため、厚さ320 µmのシリコン中で生成される電子正孔対
は24000対となる。したがって、MIPが落とすエネルギーを電荷量に換算すると3.84 fCで ある。
2.2.2
シリコンストリップセンサー試作機
p-on-n型 シ リ コ ン ス ト リ ッ プ セ ン サ ー の 試 作 機 と し て 軸 方 向(A)セ ン サ ー と 動 径 方 向
(R)センサーを製作した[23]。今後、それぞれのテストセンサーをAセンサー、Rセンサー
2.2 シリコンストリップ検出器 15
(*!' $
&
%)$
#"
図2.7 p-on-n型シリコンストリップセンサーの動作原理。nバルク層を荷電粒子が通過
すると、その飛跡に沿って電子正孔対が生成される。ホールはp
+
型シリコンストリップ
側へ、電子はn
+
型シリコン側へドリフトされ、収集した信号をそれぞれのAl電極から読
み出す。
による写真を示す。各テストセンサーのストリップ間隔はシミュレーションを用いた計数率
耐性から最適化されている[23]。また、ストリップの幅はストリップ間隔との比が一般的に
用いられるシリコンストリップセンサーの比と近い0.27に設定されている。テストセンサー
と読み出しASICを接続して信号を読み出すためのセンサーボードも製作した。センサーか
らの信号は、AC結合で接続されたアルミ読み出し電極から読み出す。テストセンサーをセ
ンサーボード上に貼り付け、センサーの読み出しパッドとボード上のパッドをアルミ線ワイ
ヤーボンディングで接続している。64本全てのストリップから信号を読み出すことができ
る。また、センサーへの電圧は裏面のアルミ電極を通して印加される。センサーボード上に
はテストセンサーへ電圧を供給するためのLEMOコネクタが実装されている。図2.8に各
センサーボードの写真を示す。テストセンサーと3.3.3節で述べる読み出しASIC試作機の
接続試験を行った。第4章で接続試験の詳細を述べる。
2.2.3
実機センサーの開発
実機として用いるセンサーの開発も進めている。図2.10に実機センサーの外形を示す。ま
た、図2.11に実機センサーの詳細なデザインを示す。 実機センサーの仕様はテストセンサー
の仕様から大きく変更しているが、ノイズに影響するストリップの長さやストリップ間隔は
テストセンサーと近い値にした。まず、軸方向と動径方向のセンサーとして共通のデザイン
の セ ン サ ー を 用 い る こ と に し た 。シ リ コ ン ス ト リ ッ プ セ ン サ ー は 6 イ ン チ の シ リ コ ン ウ ェ
16 第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験
表2.2 テストセンサーの仕様。
仕様 動径方向センサー 軸方向センサー
センサーの厚さ 320 µm
ストリップ数 64
読み出しストリップ 純アルミニウム
読み出しストリップの厚さ 1.5 µm
ストリップの間隔 188 µm 100 µm
ストリップの長さ 102 mm 72 mm
ストリップの幅 50 µm 27 µm
完全空乏化電圧 93 V 73 V
ストリップ間容量 7.4 pF 6.2 pF
検出器容量 23.4 pF 15.9 pF
図
特性
センサー
104.13 mm
1
4
.1
3
mm
図
動径方向
センサー
74.13 mm
8
.5
3
mm
図
軸方向
センサー
図2.8 各センサーボードの写真[23]。Rセンサーボードの写真(左)。Aセンサーボード
の写真(右)。
ため、検出器として用いる総センサー数を減らすることができ、コスト削減に繋がる。また、
読み出しを2層配線(Double Metal Layer)にすることで、ストリップの方向に対して水平
な方向と垂直な方向への読み出しを可能にした。センサーの外形が正方形であるため、セン
サーを90度傾けることで軸方向・動径方向のどちらのセンサーとしても使用可能である。こ
れにより、センサーを実装する基板のデザインが1種類で済む。表2.3に実機センサーの仕
様をまとめる。ストリップ間隔を軸方向・動径方向ともに190 µmに共通化し、ストリップ
の本数を512本に変更した。ストリップ間隔とストリップの長さは計数率に対する要求を十
分に満たしている。計数率に対する要求は、パイルアップによる平均的な時間の変動が十分
小さくなるように決められている。複数の陽電子がほぼ同時にセンサーを通過すると、セン
2.2 シリコンストリップ検出器 17
図 センサー目視確認に用いた顕微鏡
図 顕微鏡で見たセンサーの表面
図2.9 テストセンサーの顕微鏡による写真[23]。
図2.10 実 機 セ ン サ ー の 外 形 。セ ン サ ー サ イ ズ は98.77 mm×98.77 mm で あ る 。ス ト
リップは中心付近で2分割されており、各ストリップの長さは48.575 mmである。2分
割されたストリップはワイヤーボンディングによって接続し、1本のストリップとして読
み出すことも可能である。水色の配線はストリップに対して垂直方向に引き出されたアル
18 第2章 J-PARC ミューオンg−2/EDM実験 ■
z ± ±
±
I ■ ℃
V V V Ω %
Id V
V
±
±
P I
P I
P P
P
P P
±
±
P
Bias Resistance Bias Ring
Alignment Mark
図2.11 実機センサーのデザイン。ストリップ間隔は190µmである。ストリップに対し
て水平方向と垂直方向に読み出しパッドが配置されている。読み出しパッドの間隔は190
µm、パッドの寸法は165µm×100µmである。また、2分割されたストリップを接続す
るためのパッド寸法は175µm×160µmである。
くして陽電子のヒット占有率を減らすことで、この影響による飛跡再構成効率の低下を抑制
することができる。そのため、各ストリップを中心付近で2分割し、最大512 × 2 本のスト
リップからの読み出しを可能にした。ストリップを2分割したことで生じるセンサー中心部
の不感領域の幅は500 µmである。信号の読み出し電極は純アルミニウムで、p
+
型シリコン
ストリップとの間に絶縁層を挟んだAC結合構造をしている。各ストリップはバイアス抵抗
によってバイアスリングと接続している。バイアスリングは有感領域を囲うように配置され
ており、バイアスリングの四隅にはバイアスパッドが接続されている。センサーの裏面はア
ルミニウムで表面加工しており、バイアスパッドを接地してセンサー裏面のアルミニウム電
極にプラス電圧を印加することで、nバルク層を空乏化することができる。また、センサーの
四隅にはアライメント用のFマークを配置している。現在、実機センサーの製作が進められ
2.2 シリコンストリップ検出器 19
表2.3 実機センサーの仕様。
仕様 実機センサー
センサーの厚さ 320 µm
センサーサイズ 98.77 mm × 98.77 mm
有感面積 97.28 mm × 97.28 mm
エッジの不感領域の幅 745 µm
中心部の不感領域の幅 500 µm
ストリップ数 512× 2 block
読み出しストリップ 純アルミニウム
ストリップの間隔 190 µm
ストリップの長さ 48.575 mm
20
第
3
章
シリコンストリップ検出器読み出し
回路
3.1
読み出し回路
図3.1にシリコンストリップ検出器読み出し回路のブロック図を示す。シリコンストリッ
プセンサーからの信号はフロントエンドボードで読み出され、VME規格の読み出しボード
へ送られる。集積された各センサーの時間情報とID情報は、ギガビットイーサネットスイッ
チ(GbES: Gigabit Ethernet Switch)を通してPCヘ送られる。また、クロック信号や書
き込み開始信号、読み出し開始信号などはVME規格の時間制御ボードを通してフロントエ
ンドボードや読み出しボードへ入力される。ミューオンビームの取り出し時間(スピル)は
J-PARCのパルスビームに同期した40 ms間隔(25 Hz)である。1スピルあたり4×104の ミューオンが含まれている。シリコンストリップ検出器は、ミューオンスピルを貯蔵領域内
にキックした直後から崩壊陽電子の測定を始める。測定は時間の遅れを考慮したミューオン
の寿命(6.6 µs)の5倍、すなわち33 µsの間続く。測定したデータの処理や転送は残りの
39 msの間に行う必要がある。
3.2
フロントエンドボードと読み出し
ASIC
フロントエンドボードには、特定用途向け集積回路(ASIC: Application Specific Integrated
Circuit)と書き換え可能な集積回路(FPGA: Field Programmable Gate Array)が実装さ
れ て い る 。図 3.2 に 読 み 出 し ASIC の ブ ロ ッ ク 図 を 示 す 。読 み 出 し ASIC は 、ASD 回 路
(Amplifier-Shaper-Discriminator)で構成されたアナログ部と時間-デジタル変換器(TDC:
Time-to-Digital Converter)、メ モ リ 読 み 出 し 制 御 、プ ロ セ ッ サ ー で 構 成 さ れ た デ ジ タ ル
部 を 混 載 し た 回 路 で あ る 。シ リ コ ン ス ト リ ッ プ セ ン サ ー か ら の 信 号 は ASIC内 の プ リ ア ン
3.3 読み出しASICのアナログ部試作機 21
図3.1 シリコンストリップ検出器読み出し回路の概略図。
し て 基 準 電 圧 と 比 較 さ れ 、バ イ ナ リ 信 号 と し て 出 力 さ れ る 。1つ の ASICは128 チ ャ ン ネ
ルのバイナリ出力が可能で、各チャンネルの基準電圧をデジタル-アナログ変換回路(DAC:
Digital-to-analog converter)で詳細に設定することができる。出力されたバイナリ信号は
TDCによって5 nsごとにサンプリングされ、バッファメモリに40.98 µsの間保存される。
メモリ読み出し制御は、読み出し開始信号を受け取るとバッファメモリからデータの読み出
しを開始する。プロセッサーは読み出されたデータからヒットのあった時間情報のみを取り
出し、データ量を削減する(ゼロサプレス)。ヒットのあったチャンネル番号とその時間情報
に圧縮されたデータは集積され、チップの ID番号やビームのスピルID番号などを加えて
シリアルデータとして後段の読み出しボードへ転送される。デジタル部への200 MHzのク
ロック信号は時間制御ボードの遠隔較正機能付きルビジウム原子時計を用いて生成される。
200 MHzのクロック信号は位相の異なる100 MHzの2相クロック信号に変換され、信号処
理を遅らせる。位相の異なる2つの100 MHzのクロック信号を使って2つのメモリブロッ
クに10 ns刻みで書き込みを行うことで、5 nsごとに時間情報をサンプリングすることがで きる。
3.3
読み出し
ASIC
のアナログ部試作機
本 実 験 で 使 用 す るASICは 、相 補 型 金 属 酸 化 膜 半 導 体(CMOS: Complementary Metal
22 第3章 シリコンストリップ検出器読み出し回路
DAC
プ アンプ
イパー コンパ ータ
外部参照電圧
アナログ部分 信号
コン
ト ップ ン ー
TDC
読み出し
制御 プ ッ ー
読み出し開始
ア 出力
ー コント ー
デジタル部分
プ ッ 検出
ア イ CLK
書き込み開始
設定 ニタ
図3.2 読み出しASICのブロック図。
までに、読み出しASICのアナログ部試作機を2種類開発した。1番目の試作機としてSlitA
をUMC社の 0.25 µm CMOSプロセスで、2番目の試作機としてSlitA2013をSilterra社 の0.18 µm CMOSプロセスでそれぞれ製造した。
3.3.1
CMOS
CMOSはMOS 構造のp型トランジスタ(PMOS)とn型トランジスタ(NMOS)を相
補的 に 組 み 合 わ せ て 作 る 。図3.3 にCMOSの 概 念 図 を 示 す 。MOS は、電 界 効 果 ト ラ ン ジ
スタ(FET: Field Effect Transistor)の一種である。CMOS の特徴として、消費電力が少
ない、動作速度が速い、微細な配線が可能である点が挙げられる。PMOSは、n型シリコン
上に 2つのp型拡散層を形成し、ソース電極とドレイン電極を引き出した構造をしている。
ソース電極とドレイン電極の間にはSiO2の酸化皮膜が積載され、ゲート電極を引き出してい
る。ゲート電極に印可する電圧を変えることで、ソース電極とドレイン電極の間に流れる電
流を制御することができる。PMOSの場合、ゲート電極にある閾値以下のマイナスの電圧を
印可するとゲート直下のn型拡散層に正孔が集まり、キャリアの通り道(チャンネル)を形
成する。そのため、正孔がキャリアとして働き電流が流れる。NMOSもPMOSと同様の構
造をしている。NMMOSの場合、ゲート電極にある閾値以上のプラスの電圧を印可すること
で、電子がキャリアとして働き電流が流れる。CMOSは、p型シリコン基板上にn-wellと呼