政治的経済的圧力と不干渉の原則(二)
著者 松田 竹男
雑誌名 靜岡大学法経研究
巻 26
号 1
ページ 71‑127
発行年 1977‑09‑20
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00008630
政治的経済的圧力と不干渉の原則
︵二︶松
田
竹
男
は じ め に
工 憲章第ご条四項にょる政治的経済的圧力の禁止
一 諸国家の基本的立場
二 隔oHo①の定義をめぐって
三 小括︵以上第二五巻一号︶
狂 政治的経済的圧力と不干渉の原則︵以下本号︶
一 友好関係宣言の規定
二 伝統的国際法における政治的経済的圧力の地位
三 ﹁米州国際法﹂と政治的経済的圧力
四 アラブ石油禁輸措置をめぐって
皿 結びにかえてll独立権の再検討
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七蝋
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵嵩︶七二
豆政治的経済的圧力と不干渉の原則
一 友好関係宣言の規定
友好関係宣言は︑アジア・アフリカ諸園の強い要求にもかかわらず︑政治的経済的圧力の禁止を不干渉の原則の項で規
定することとなった︒いま︑それらの規定のみを抜きだせば︑次の三っの規定があげられる︒
ω ︵総会は⁝⁝︶いかなる国家の政治的独立または領土保全にたいする軍事的︑政治的︑経済的またはその他のいか
なる形の強制をも︑その国際関係において慎む諸国家の義務︵を想起し︶︒
㈲ いかなる国家または国家の集団も︑直接または間接に︑理由のいかんを問わず︑他の国家の国内または対外の事項
に干渉する権利を有しない︒したがって︑国家の入格またはその政治的︑経済的および文化的要素にたいする︑武力
干渉およびその他すべての形の介入もしくは威嚇の試みは︑国際法に違反する︒
㈲ いかなる国家も︑他の国家の主権的権利の行使を自国に従属させ︑またその国家から何らかの利益を得るために︑
経済的︑政治的もしくはその他いかなる形であれ・他国を強剃する措置の使用または使用の奨励をしてはならな︵暁︒
ωは前文の第九パラグラフ︑働は不干渉原則の第⁝パラグラフ︑㈹は同原則第ニパラグラフの前半である︒ωの規定は
﹁政治的︑経済的またはその他のいかなる形の強制﹂という表現を憲章第二条四項の文章中に組みこむことによって︑政
治的経済的圧力の禁止を導捲暮oH蕊Φo諏o需Φ禁止の原則として規定せよというアジア・アフリカ諸国の主張と妥協を
ヘ ヘ へ も ヘ ヘ へ はかったものである︒また︑②の規定は﹁いかなる国家または国家の集団も﹂と傍点部分がつけ加えられ︑末尾の部分が
﹁非難される﹂から﹁国際法に違反する﹂と変更されたのを除けば︑⁝九六五年の 十渉宣言の本文第醐パラグラフと同
一であり︑㈲の規定も﹁⁝−自国に従属させ︑憲その国家から⁝∴の傍点部分が゜擁から騎・鼠に変更さ難以外は・
不干渉宣言の本文第ニパラグラフ前半部分と同一である︒そしてさらに︑㈲は若干の文章表現上の差異を除けば︑OAS
ヨリ慧章第一八条と同一であり︑㈲も﹁他の国の主権意思を強制し﹂という部分が﹁他の国家の主権的権利の行使を自国に従 な 属せしめ﹂と変った点以外は︑その第一九条と同一である︒ ヨ さて︑前記の三っの規定が生み出されてくる過程については︑すでに別の機会に検討した︒本稿に関係する限りでその
特徴を概略的に示すならば︑次のように要約されよう︒
すなわち︑最大の争点は政治的経済的圧力の違法性を認めるかどうかということであったが︑ 定の政治的経済的圧力
が不干渉原則の侵害となりうることについては︑︼応の合意が形成された︒問題は︑いかなる行為が違法な政治的経済的
圧力の行使に当るのか︑また︑それをいかなる基準によって通常の︵したがって合法な︶外交活動から区別するかという
点にあった︒この基準は︑抽象的には︑当該行為の強剃的性格に求められていた︒政治的経済的圧力の禁止を強く主張し
たアジア︒アフリカ諸国といえども︑不干渉原則の侵害となるのは政治的経済的圧力一般ではなく︑強制的性格をもった
政治的経済的圧力のみであることは認めていたからである︒それでは︑いかなる場合に︑政治的経済的圧力は強制的性格
を持つことになるのか︒この点に関して︑アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国と先進資・本主義諸国との間に︑アプロ
ーチのちがいが見られた︒先進資本主義諸国が︑武力干渉の場合と同じように︑行為の形態そのものの中に強制的性格を
求めようとしたのに対して︑アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国は︑行為の目的や状況などをも含めた総合的判断に
よって︑強制的性格を抽出しようとしたのである︒そこでは︑保護されるべき価値が明確にされれば︑それを侵害する行
為の形態は大した問題ではないと考えられたのである︒
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七三
激治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶ 七四
それでは・この点は友好関係宣言の文言ではどうなっているのであろうか︒ωでは︑他国の政治的独立又は領土保全に
対する政治的経済的強制が禁止されている︒したがって︑強制ではあっても︑他国の政治的独立や領土保全に対するもの
でない行為は︑少なくともωの規定においては禁止されていないコここでは︑ある行為が強制であるか否かをどのように
して判断するのかが︑米解決のまま残されている︒
㈲の前半部分は︑最も包括的な表現でもって干渉を禁止しているが︑干渉という概念の定義や構成要素については艸切
触れられていない︒後半部分は︑前半部分の鼠ハ体化として﹁国家の人格またはその政治的︑経済的および文化的要素﹂と
いう保護法益を示し︑それを侵害するすべての形の介入もしくは威嚇の試みを禁止している︒ここでは︑まず﹁国家の人
格またはその政治的︑経済的および文化的要素﹂が何を意味するのか︑とりわけ︑それが固定的絶対的な内容を有するの
か︑それとも国際法に対応して相対的な内容を有する機能的概念なのかが問題となる︒第二に︑ ﹁介入もしくは威嚇の試
み﹂がいかなる行為をさすのか︒とくに﹁介入﹂という場合に︑強制的な性格のものに隈られるのか否か明確ではない︒
かくして︑たとえば﹁自由意思﹂によって締結された条約で︑自国の政治経済体制に対する一定の制約︵例として︑外圏
資産の国有化を行わないとか︑完全補償を支払うという制約︶を受け入れることが︑本規定に反するのか否か︑また︑そ
の際に﹁自由意思﹂によるものか否かをどのようにして判断するのか︒友好関係宣雷の文言だけでは不明瞭である︒
最後に︑③の規定では︑ ﹁他の国家の主権的権利の行使を自国に従属させ︑またその国家から何らかの利益を得る﹂こ
とを凶的としたあらゆる形の強制措置が禁止されている︒つまり︑それは禁止される行為をその閉的によって識別しよう
としたものであるが︑しかし︑ ﹁他の国家の主権的権利の行使を自国に従属させ﹂ることと︑㌔﹁その国家から何らかの利 ハさ ず益を得る﹂こととが別個独立の目的規定なのか︑それとも合せて一個の目的規定なのか︑さらにまた︑ ﹁その国家かち珂
らかの利益を得る﹂というのは︑違法な利益の追求に限られるのか否か︑解釈の余地が残されている︒
以上に見てきたように︑違法な政治的経済的圧力が具体的にどのような行為をさすのかは︑友好関係宣言の文言におい
ても必ずしも明確ではなかった︒また︑どのような行為が政治的経済的圧力の行使にあたるかは︑最終的には︑政治的経
済的圧力の行使に対する救済手続と関連する問題であるが︑そうした救済手続の検討はまったくと雷ってよいほど行われ
なかったのである︒それゆえ︑以下本章では︑これらの点を明らかにし︑さらに政治的経済的圧力の禁止を現実化するた
めの条件を明らかにするために︑O伝統的国際法において︑⇔前記の規定の祖型たるOAS憲章第一八・一九条を生み出
したいわゆる米州国際法の歴史において︑⇔第二次大戦後のプラクティスにおいて︑政治的経済的圧力がどのように扱わ
れてきたかを検討することにする︒ ︑ . ・
︵1︶ 訳文はいずれも田畑茂二郎他編﹃基本条約・資料集﹄ ︵有信堂︑ 一九七六年︶による︒
︵2︶ もっとも︑この変更は何らの意昧変化をも含むものではないとされている︵︾\◎︒鼠・︒悔も9︒量駒゜︒︒︒り︶︒
︵3︶改正前は第一五条︒
︵4︶ 改正前は第一六条︒
︵5︶ 拙稿﹁不干渉原則の新展踊ω・働﹂名古屡大学﹃法政論集﹄第五九︑六〇号︒
︵6︶ この点は︑すでに友好関係委員会の審議過程において問題とされていた︒6摩$跨\渉O°一誤\ω饗
跨\︾O鷺q\◎り即湊b9︒慈゜魁︵オーストラリア︶︒ お矧娼賃斜㎝︵フランス︶︑
二 伝統的国際法における政治的経済的圧力の地位
一
伝統的国際法の理論において政治的経済的圧力の行使がいかなる地位を占めていたのか︑それを確かめることはかなり
困難な作業である︒なぜなら︑不干渉原則に関する伝統的国際法の理論そのものが不確定であって︑およそ通説とみなし
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶ 七五
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七六
うるような見解さえ存在しないからである︒したがって︑ここでは︑学説の整理という形で︑伝統的国際法における政治
的経済的圧力の地位を検討することにしよう︒
伝統的な干渉理論で争われていたのは次の三点であった︒第一に︑干渉という概念を記述的な概念と考えるか︑それと
も法律的概念と考えるか︑という干渉概念の法的性格の問題︒第二に︑いかなる行為が干渉にあたるかという干渉概念の
定義の閥題︒第三は︑干渉はいかなる場合に正当化されるかという干渉の合法理由の問題である︒もちろん︑これら三つ
の争点は相互に密接に関連しており︑これまで干渉を論じてきた国際法学者ぽ︑これらの争点をさまざまに組合せること
によって︑多種多様な見解を表明してきたと言ってよいであろう︒本節では︑第二の争点に重点をおいて︑原則として違
法と考えられる干渉概念の申に︑政治的経済的圧力の行使が含まれていたのかどうかを検討することにしよう︒
それでは︑伝統的国際法においていかなる行為が干渉行為に当ると考えられていたのであろうか︒干渉行為の一般的な
定義としては︑ ﹁干渉とは︑現状を維持し又は変更するために︑国家が他国の闇題に対して行う命令的関与︵儀o冨8ユ9
貯藍の§8︶であぎとい裂オッペンハイム三ーターパクトの霧が薯である・あ霧はフィリモ^犯などごく
少数の例外を除いて受け入れられているが︑しかしまた︑この定義は︑干渉行為が命令的︵あるいは強制的︶な性格をも
つという以上のことを述べていない︒国際法学者の見解が対立したのは︑干渉行為が命令的性格をもつか否かということ
ではなく︑いかなる行為が命令的性格をもつと考えられるか︑また︑ある行為がいかなる場合に命令的性格をもつと考え
られるかという点だったのである︒この点に関しては︑通常二つのことが問題にされる︒第一は︑干渉行為の命令的性格
は︑武力による威嚇又は武力の行使によってしかもたらされえないのかどうかということであり︑第二は︑干渉行為が被
干渉国の要請又は同意に基いている場合には︑命令的性格が除去される︵したがって干渉ではない︶のか否かというζと
である︒
まず第㎝の点であるが︑伝統的国際法において干渉が論じられる場合︑しばしば干渉U武力干渉として扱われてきたこ
とは否定しえないであろう︒たとえばウィンフィールド穏︑ ﹁干渉を構成するのに必要な介入の程度については︑現実の
強制又はその威嚇が存在しなければならない︒そして威嚇︵という用語ー引用者︶によっては︑ある国が抗争中の他の
国家又は国家群に対して︑武力を背景として︑ある事をなし又はなさないよう直接又は聞接に要求すること︑が理解され ヨ るべきである﹂と述べており︑またロ!レンスも︑より簡潔に︑ ﹁干渉の本質は︑干渉国の命令が無視された場合におけ る る武力又は武力による威嚇である﹂と述べている︒このほか︑絶対的不干渉主義を唱えたカルナザ・アマリも︑干渉を ヨ ﹁暴力的介入︵ぎぴq働魯8誌oぢ馨o︶﹂と表現しなおしており︑干渉と武力干渉を同義語的に使用している例は少なくな
い︒ しかしながら︑これらの学者が千渉を武力干渉と同︷視していたことをもって︑彼らが干渉を意識的に武力干渉に限定
し︑非武力的干渉の存在を否定したものと解することはできない︒それは︑当時問題とされたのがもっぱら武力干渉であ
ったことの反映であり︑さらに言えば︑国家に対する強制が武力による威嚇又は武力の行使という形態以外にはありえな
いような国際関係のあり方を反険したものと言えよう︒干渉に関する伝統的国際法理論の素材となったのは︑主としてト
ルコに対するヨーロッパ列強の干渉であるが︑一九世紀前半までのトルコは未だ前近代的社会・経済構造を維持し︑ある
程度まで自己完結的な経済圏をなしていた︒たしかに︑茜欧資本主義の存在は︑ティマール制とよばれる王朝的土地国有
制度に基いたトルコの伝統的社会経済構造を解体させつつあったが︑しかし︑それはあくまで﹁外圧﹂でしかなかったの
であって︑トルコとヨーロッパ諸国の︑それぞれの循環構造憲でも含み込んだ資本主義的相互依存関係は未だ形成されて ︵6︶いなかった︵資本主義世界体制そのものも未だ成立していない︶のである︒このような状況のもとで︑トルコを強制して
ある事をなさしめ︑又はなさしめないようにするためには︑武力を背景とせざるをえなかったと言えよう︒政治的経済的
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七七
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七八
圧力が干渉の手段となるための条件そのものが︑まだ成熟していなかったのである︒
ところで︑︑﹃九世紀の末から今世紀の初頭にかけて︑♂しだいに干渉が武力以外の方法によっても行われうることを明示
する見解が登場してくる︒たとえばフォーシーユは︑︾﹁干渉を特徴づけるのは介入行為が被干渉国に押しつけられ︑それ
を自由に受け入れたり拒否することができないということであ魏﹂乏述べて・干渉の本質を選択の自由の侵害に求める︒
そして︑この選択の自由は武力以外の方法によっても侵讐されうるのであって︑フォーシーユによれば︑策略や虚偽によ
る介入も遠た干渉となりうる︒なぜなら︑策略や虚偽による介入も選択の自由の侵害という点では武力干渉とかわりはな
いからである︒ポッターもまた︑干渉の本質を強制に求めつつ︑この強綱は︑国内的又は国際的な世論から経済的・政治 き 的な圧力を経て戦争に至る多様な形態をとりうること︑したがって︑たとえば外交的圧力についていえば︑﹁多くの場合︑
圧力を行使するという威嚇が存したか否かを決定するためには︑使われた言葉も含めてすべての状況を考慮に入れる必要
がある﹂ことを指摘していた︒
もちろん︑これらの論者が非軍事的干渉の可能性を肯定していたといっても︑それ程詳細な検討がなされていたわけで
はない︒とくに︑具体的にいかなる行為が非軍事的干渉にあたるかを例示したり︑非軍事的干渉の行使されたケースを紹
介しているのは極めて少数であり︑せいぜい︑ハイぎが集団的ボイコットや通商制限を違法な干渉と麹・フォーシーユ
が一八五六年の英仏両国によるナポリからの外交使節のひ碁あげを紹介してい麺のが爵につく程度である︒したがって・
非箪事的干渉の存在が肯定されていたといっても︑それは咽面では︑理論的抽象による子渉概念の︷般化という側面を否
定することはできないであろう︒しかし︑それにもかかわらず︑非軍事的干渉︵とりわけ政治的経済的手段による干渉︶
の存在が肯定されるに至るより︸般的な背景としては︑資本主義世界体制の成立にともない︑すべての国家が相互依存的
な経済連環の下におかれ︑そのなかで︑米英独仏といった帝国主義諸国と︑政治的には︸応独立していながら金融的経済
的にはそれら帝国主義諸国に従属した諸国︑あるいは半植民地諸国との関係において︑政治的経済的圧力の行使が有効な
強制手段となりえた︑という事情をあげることができようゆ事実︑政治的経済的圧力が干渉の手段としてまず使用された
のはラテンアメリカ諸国と合衆国との関係であり︑その前提として︑一九世紀末から今世紀初頭にかけてのラテンアメリ
カ諸国の半植民地化・−保護国化があったのである︒アメリヵ人ホッジスが︑武力の結果としての干渉と政治的その他の圧
力の結果としての干渉を区別し︑一九〇七年ドミニカ駐在の含衆国大使がドミニカ革命派指導者に︑新政府の不承認と新
政府に対する関税収入の引渡し拒否を通告することによって革命を阻止するという︑生々しいケースを例示することがで
︵鴛︶量たのは決して偶然ではなかったのである︒
6︵1︶ 劉Oやや窪冨帥ヨ;騨ピ碧3愚9︒o財戸囲暮①ヨ餌鉱自鎗炉函ぎくoド鮒︒︒轡o縣・讐陣89︾いO軌・ ︵2︶ 沁゜℃鐵韓ヨ霞POo臼§Φ馨霞冨の偉娼o潟回韓o讐鋤鉱o麺鉱ピ嚢︒響ω議の蜘ご一〇︒﹃O勉くo野甜や$ゆは︑単なる見解の表明をも干渉
になりうるものとしているように思われる︒ ︑
︵3︶ 轡国ゆ≦ぎ艶鮎9臼び①縛ぱ8擁団◎暁ぢ帯黛①馨ざめ欝圃馨o鑓9Ω嵩o口鉱U鋤牽¢ご嵩謡゜ゆ財鴫Φ9︒魯8貯o痛H馨︑一ピM<9°日︵ド露ω︶
o°ばO爵
︵4︶ 目︒卸﹃鋤閤騰窪oP弓冨艶貯6帯冷ωo暁囲導㊦導難鉱o揖母轡鋤嬉㌦ひ爵⑦qご︸潔跡や這q°ここで﹁武力﹂と訳した原講は︑繭o欝o等
であるが︑前後の文脈上それが象鋒鑓8h自8︒と同義語であることは明白である︒
︵5︶Φ゜O葭9鵠簿出器節昌2︒呈阻①巷︒器含賢圃琴言o留き午旨欝讐窪銘︒欝響く器留紆︒凶二馨霞器馨富同①轡傷Φ綜o喩㌣
珍鋤礁O欝OOヨ娼嚢Ω描ρ8籍Φ嫡唱6朝雛゜
︵6︶ 護雅夫・林武﹁オスマン帝国の改革運動﹂岩波講座輪世界歴史﹄第二一巻︵一九七一年︶三八六−四二七頁︑および永閏雄三
﹁トルコにおける前資本主義社会と﹃近代化﹄﹂︑大塚久雄編﹃後進資本主義の展囎過程﹄︵アジア経済研究所︑ 一九七三年︶ 一三
九−一八七頁参照︒ちなみに︑トルコ経済が世界資本主義体制にくみ込まれるのは︑一九世紀中葉のタンジマ⁝トと呼ばれる﹁近
代化﹂改革を通してであり︑とりわけ︑ 一八三八年の英土通商条約および・一八五八︒六七年の土地法によって︑トルコ経済は綿花
・タバコ等の植民地型農作物輸出経済に再編成されるのである︒.かくして︑︑一九世紀後半においてトルコ財政は完全に借款に依存
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶七九
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶八〇
するようになり︑ 一八五四年以降一七回にわたり計一・九億ポンドの借款︑利患支払は年一二〇〇万ポンドに達し︑関税・家蕎税
・一〇分の一税などの租税収入の大部分は︑その牝めの担保として外国の手に握られることになったのである︒政治的経済的圧力
は︑こうした状態を前提として始めて可能であると言うことができよう︑︵7︶即周碧魯慈ρ摩聾伽伽①母︒瞥営護岩鉱8鍍讐藻ρ゜︒Φ琶¢︒傷ご¢N一賢8露¢鮒霧昌﹂も゜総ド
︵8︶ 即勺o簿①おド.凶馨Φ黛o導凶oけo昌臼o騨凶切富鷺働鉱o鋤毘鑓o傷¢§o潟①⇔器燦畠霧Oo賃9嶺ωOー魁掌ひミリ
︵9︶凄峯も轡無4︒㊨
⑭︶ ρP鱗冠①簿麺傷劉炉≦¢ぽo悔↓犀o切畠8菖貯団oお蒔類﹀幡雷跨φ9諺ヨ゜智例算︑一ピごくoピミ︵おωω︶噂唱や一ー一P
︵11︶ ℃°司導ゆ仁o寓躍ρoや魚幡ごや緯N︒
︵12︶ 即ρ綴o伽晦oρ肩冨d8㌶貯oo囲回9巽く⑦導ざP6一跡やb°典嵩゜ ︑
二
次に︑被干渉国の要請又は同意の存在が干渉行為の命令的性格を阻却するか否かという点であるが︑この点について
は︑干渉概念の法的性格と絡んだ論理構成上の差異を残しながらも︑要講又は岡意に基く干渉が合法であることは︑ほぼ
通説的な地位をしめていたと考えていいだろう︒たとえばフォーシ1ユは︑ω介入行為が利害関係国によって要請された
場合︑②介入行為が被介入国によって同意され︑あるいは自由に受入れられた場合︑㈹介入行為が条約上の根拠を有する エ 場合には︑介入行為はその命令的性格を阻却され︑したがって﹁干渉﹂には該当しないと主張している︒もっとも︑フォ
ーシーユによれば︑こうした要請又は同意は﹁主権的権力の真の所有者﹂によってなされなければならず︑したがって︑
たとえば叛徒による要請又は同意は︑当該行為の命令的性格を阻却するものではない︒ ︵2> これに対してポッターは︑ ﹁同意は︑それ自身では当該行為の性格を修正するものとは思われない﹂と述べ︑同意に基
く介入行為を干渉概念に含めないのは理由がないとする︒しかし︑このことは︑要講による干渉や条約規定による干渉が
達法であるということを意味するわけではない︒ポッターは︑条約に基く干渉を干渉の合法理由の一つに数え︑のみなら
ず︑条約に基く干渉の一例として︑国際連盟による干渉を積極的に肯定するのである︒
これらの見解は︑要請又は同意に基く介入行為を干渉概念に含めるかどうかという点では対立しながらも︑それが違法
ではないという結論においては変りはなかった︒しかし︽他方で︑要請又は同意に基く介入行為の合法性を部分的にでは
あれ︑否定する見解も存在していた︒ウィンフィールドは︑条約︵規定の存在︶が干渉を合法化するとかしないとかいう
粗雑な議論によっては何事も明らかにされないのであって︑条約が締結される状況や締約国の明確な認識を考慮する必要 ︵3︶があると主張する︒かくして︑彼によれば︑将来︼定の紛争が生じた場合に干渉することを認める条約︵したがって︑ま
たこうした条約に基く干渉︶は合法であるが︑国内紛争の一当事者が他の当事者に対抗するために外国と結ぶ条約は無効
である︒なぜなら﹁国際的実行や過去の法学者の見解がどうであれ︑この種の条約は今日では合法でありえない︒何とな バく れば︑それは当該紛争事項に関して市民のかなりの部分の黙示的同意さえ得ることなしに締結されるからである︒﹂ これ
に対して︑特定の王朝又は政体を保証するために干渉することを認める条約は︑政治的に好ましくないとはいえ︑法的に
無効とはいえないとされるのである︒
カルナザ.アマリは︑より一般豹に︑同意に基く干渉および条約上の権利に基く干渉も違法であると主張する︒彼が念
頭においているのは︑叛乱︵革命︶が発生した場合にその鎖圧のために介入することを約した条約であるが︑彼はそうし
た条約が無効であると主張する︒すなわち﹁根拠とされる条約は決して状況を変るものではない︒なぜなら︑こうした条
約は︑他の国家の国家自治の譲渡をもたらし︑まさにそれゆえに︑それは無効であり法的効力を持たないからである︒国
家孟権が不可譲であること︑そして︑自国の自治に関して同意したすべての制限は︑不可譲なものの部分的譲渡を含むも き めとして無効であるということは︑事実上は︑すでに周知の原則である︒﹂ こうした見解は︑いわゆる絶対的不干渉の立
政治的経済的圧力と不午渉の原則︵エ︶ 八一
政治的経済的努と不干渉の原則︵ご︶ 八二
場にたっ人々によって支持されているが︑しかし︑伝統的国際法において︑それはかなり特殊な立場であったと言っても
よいであろう◎ ・.⁝︐
さて・以上紹介したように︑伝統的国際法における状況は︑論理構成を異にしながらも要請又は同意に基く干渉は合法
であるという見解が通説的地位をしめ︑他方で︑絶対的不干渉の立場からする反論が根強く存続するという状況であった
が・しかし︑いずれの見解も要請又は同意の有無という關題を︑もっぱら武力干渉︑それも内乱に対する干渉を念頭にお
いて考えていたという点では︑共通していたように思われる︒たしかに︑フォーシーユやポッターの場含には︑干渉概念
を武力干渉に限定してはいなかったから︑要請又は同意に基く干渉が合法であるとか︑干渉行為に該当しないという叙述
は・論理的には非武力的干渉にもそのまま適用されることになろう︒しかし︑たとえばフォーシーユが﹁主権的権力の真
の所有者﹂かどうかを正統政府か叛徒かという形で考えていたことから判断すれば︑彼の主要な関心が内乱に対する干渉
におかれていたことは疑いないであろう︒そうだとすれば︑・被干渉国の要請又は同意の存在が干渉行為の命令的性格を阻
却するかという問題は︑少なくとも政治的経済的圧力に関しては︑従来まったく検討されなかった問題と言わなければな
るまい︒要講又は同意に基いて行われる内乱への干渉が︑近時︑再検討の対象となっていることはよく知られているが︑
政治的経済的圧力の場合には︑そもそも要請又は同意そのものが︑武力干渉の場合と同じ形態をとって現れるものかどう
か︑そこから検討しなければならないであろう︒
︵1︶ 団゜団9ρ億oぼ鷺Φ︾oサ9紬ごや︒匁ピ彼によれば︑要請に基く介入は援助︒救援︒同盟行為であって︑干渉ではない︒
︵2︶ 即娼o嘗oがo㍗鼠粋4唱゜鶏゜︒職なお臼く︑﹁干渉の本質的かつ特徴的な要素は干渉国の強制的行動であって︑被干渉国の抵抗では
.ない︒﹂︵回び凶幽3や゜ひい9︶ ︵3︶や郎≦貯謙の鉾8冨O肖o呂侮ψ◎簡ぎ富讐窪賦8営H匿⑦昌簿臨自無冨誇切鼻δび鴫Φ癖︒筈oo騨oh回蓉︑一ド・<︒ド<︵6濾︶・
緊一鐙゜
︵4・︶ Hび誌こや錺◎◎°
︵5︶ O°O黛◎触⇔鋤蟄9きー︾§幾馳oや島↓こや駿Sなお︑ぎ謬箭筏こ電・q拐i巽O・
三 ﹁米州国際法しと政治的経済的圧力
劇
不干渉宣言および友好関係宣言における不干渉原則のフォーミュレーションが︑OAS憲章第一八・一九条をモデルに
していたことはすでに述べた︒そして︑OAS憲章のこれらの規定は︑前世紀以来の米州における不干渉原則の発展を集
大成したものと考えられている︒それゆえ本節では︑米州における不干渉原則の発展の中で政治的経済的圧力がどのよう
に位置付けられてきたかを検討することにする︒
さて︑ラテンアメリカ諸国が︑米州諸国間において︑あるいはまた彼らとヨーロッパ諸国との関係において適用される ︵1︶国際法として︑ ﹁米州国際法﹂を主張してきたこと︑そして︑いわゆる絶対的不干渉の原則が﹁米州国際法﹂の大きな柱
であったことは︑周知のとおりである︒むしろ︑絶対的不干渉の原則を認めさせるためにこそ︑ ﹁米州国際法﹂という概
念が提起されたと言っても過言ではあるまい︒べーミスによれば︑こうした絶対的不干渉の主張はカルボによって始めら
︵2︶
れたものであるが︑カルボという名前が﹁カルボ条項﹂によって有名であることからもわかるように︑今世紀初頭に至るまでは︑絶対的不干渉という形での不干渉原則自身の入念化よりも︑カルボ・ドクトリンあるいはドラゴ・ドクトリンと
いう個別的な原則の受諾を迫ることに重点がおかれていた︒
カルボ・ドクトリンおよびドラゴ・ドクトリンという主張が︑一九世紀半ば以降ラテンアメリカ諸国に対して頻繁に行
われたヨーロッパ諸国の干渉に対抗するものであったことは言うまでもない︒このヨーロッパ諸国の干渉については︑さ
・政治的経済的圧力と不干渉の原則⁝︵二︶ 八三
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶八四
し当り次の二点が指摘されなければならない︒第一に︑これらの干渉は契約上の債務の回収又は自国民のこうむった生命
・身体・財産上の損害についての賠償の取りたてを理由としてーもっとも︑国内救済完了の原則が適用される結果︑形
式的には裁判拒否に対する外交的保護権の行使となるーー行われたことである︒大部分のラテンアメリヵ諸国においては
独立直後から革命やクーデターが頻発し︑その過程でしばしば外国入︵とくにヨーロッパ人︶の生命や身体・財産が侵害
されていたし︑他方でまた︑これら諸国は︑反乱鎮圧のための軍費を調達するため︑ヨーロッパ金融市場で公債を発行し
た︒こうした公債の多くは︑反乱鎮圧という非生産的圏的で消費されたため︑一九世紀の末以降相ついで償還不能に陥っ ︵3︶ていったのである︒
第二に︑合衆国のモンロー主義は︑一九枇紀段階においては未だ限定的な意味しかもっていなかった︒すなわち︑その
適用地域は主として中米およびカリブ海諸国に限られており︑また内容的にも︑ヨーロッパ諸国による領土的・政治的拡
張をチェックしつつも︑前に述べたような債務回収のための干渉やそのための一時的な領土の占領をチェックしてはいな ︵4︶かったのである︒ヨーロッパ諸国の干渉が︑以上に述べたような限定的・孤立的な性格のものにとどまるかぎり︑それに
対するラテンアメリカ諸国の対癒は︑契約上の債務回収のための兵力の使用を禁止し︵ドラゴ・ドクトリン︶︑外国人の
取扱いに関する国内標準主義を撤底する︵カルボ・ドクトリン︶ことで十分であったのである︒
もちろん︑これら二っのドクトリンが意図されたような効果をおさめなかったことは︑今日では周知のことである︒第
二園ハーグ平和会議で採択されたいわゆるポータ⁝条約は︑ドラゴ・ドクトリンを条約化したものと言われるが︑しかし
それは︑ドラゴ・ドクトリンそのものとは異なって︑﹁債務国力仲裁々判ノ申出ヲ拒絶スルカ︑之二対シテ回答ヲ与ヘサル
カ︑之ヲ受諾スルモ仲裁契約ノ作成ヲ不能ナラシムルカ︑又ハ仲裁々判ノ後其ノ判決二遵ハサル場合﹂には︑兵力不使用
の義務が解除されるものとしていたため︑多くのラテンアメリヵ諸国はそれに参加しなかったのである︒ちなみにラテン
アメリカ萬のうちで本条約窺准したのは︑グァテマラ︑勇ラグア︑ハイチ︑エルサルバドル︑パナマ︑メキシコの六
ケ国のみでどのうちメキシコとパナマを除く四ケ国は︑前記の仲裁々判の規定を覆していた.覆をつけなかった︵鱗
シコも充三年には本条約を廃棄し︑第八璽米会議二九三八年︶では︑他の締約国にも廃棄を呼びかけたのである︒
他方・カルボ゜ドクト塾ξいても︑ラテンアメリカ諸国はそれを畠の憲法や国内法で規定したり︑あるいは条約
やコンセッション協定中にカルボ条項を挿入して︑その実現をはかってきた︒しかし︑憲法や国内法の規定が外国を拘束
しないこと讐うまでもないし︑カルボ・ドクーンを約した条約も︑一フアンアメリカ轟相蕎においては繕された
が・現に干渉を行ってきたヨーロッパ諸国や合衆国を締約国とするものは締結されなかった︒最も閥題になったのは︑コ
ンセッション協定中のカルボ条項の効力であるが︑合衆国やイギリスを始めとするヨーロッパ諸国は︑国家の権利である ゐお 外交的保護権を私人が放棄することはできないとして︑カルボ条項の無効を主張してきたし︑有名な乞︒瞬聾︾欝o吋紳︒鎖郎
d繕甚・・§邑碧においても︑仲馨員会は︑カルボ翁の勢豊は認めなが藪国際法の違反に対して畠
民を保護する政府の権利は︑それによって何ら影響されるものではないと判示したのである︒
それでは︑カルボ・ドクトリンやドラゴ・ドクトリンは︑不干渉原則の発展にとってどのような位置を占めるのであろ
うか︒一言で言えば︑それらは干渉の合法理由を制限しようという主張であったと言えよう︒ここでは干渉概念自身の拡
大は未だ行われていない︒不干渉原則の対抗物が︑債務回収や賠償取立を目的とした限定的.孤立的な武力干渉であるか
ぎり︑その必要もなかったと言ってもよいであろう︒たしかに︑カルボ自身は 十渉を武力干渉に限定してはいなかった
が︑彼が武力によらない干渉として考えていたのは外交的干渉であって︑それは武力干渉の前段階︑すなわち︑カルボド れ ク下リンに反するような請求の提出そのものを予定したものであった︒政治的経済的圧力をも含めるような形での干渉概
念の拡大は︑まだ行われていなかったのである︒
政治的経済的圧↑カと不干渉の原則︵二︶ 八五
政治的経済的圧力と不干渉の原鋼︵二︶八六
さて︑債務回収や賠償取立を目的としたヨーロッパ諸国の干渉は︑今億紀の初頭以来︑政治的に排除されることになっ
た︒なぜなら︑合衆国はそのモンロー主義の解釈をかえ︑ヨ!ロッパ諸国がたとえ債務回収のためであれ︑ラテンアメリガ
諸国の領域を占領することはモンロー主義に反すると見なすようになったからである︒しかし︑モンロi主義のルーズベ
ルト︒コロラリーと呼ばれるこの解釈は︑同時に︑ヨーロッパ諸国による干渉を排除するため︑合衆国自身が予防的に干 が 渉することを予定していた︒かくして︑今世紀に入ってからは︑ラテンアメリヵ諸国の対処すべき干渉は︑﹁北方の巨入﹂
ー1合衆国のそれであったのであるが︑この合衆国による干渉は︑ヨーロッパ諸国による子渉とは異なったいくつかの特徴
を持っていた︒
第一に︑ヨーロッパ諸国による干渉が債務回収・賠償取立を目的とした隈定的・孤立的なものであったのに対して︑合
衆国による干渉は︑税関の接収や公債発行の管理︑関税管理︑財政監督などの措置を通じて︑被干渉国の金融的・財政的
従属化を意図していた︒たしかに︑税関の接収等はヨーロッパ諸国の干渉に際しても行われており︑その隈りで程度の差
と言えないこともないが︑ヨーロッパ諸国の場合にはあくまで金銭債務の担保という色彩が濃いのに反して︑合衆国の場
合には︑当該国の経済体制全体を掌握するための一手段という性格が強い︒第二に︑こうした恒常的な︑したがって︑ま
たしばしば非武力的な干渉を正当化するために︑法的根拠が用意されている︒一九〇三年の合衆国聾キューバ条約がその
代表例であることは言うまでもないが︑前記の税関の接収や関税管理等も︸応は条約上の﹁同意﹂を得たうえで行われて
いる︒もちろん︑こうした﹁同意﹂自身が合衆国によるさまざまな圧力によって︑あるいはヨーロッパ諸国による武力干
渉との二者択一として押しつけられたものであることは︑雷うまでもないことであるが︒第三に︑こうした恒常的干渉11
従属状態を維持するために︑親米的政権の存続および樹立が重視され︑そのためにさまざまな政治的経済的圧力が行使さ
れている︒
こうした干渉形態の差異をもたらした理由は︑いくつかあげられるであろう︒債務回収のための干渉を予防しようとす
れば︑償還能力をこえた公債発行を停止し︑既存債務の支払いを保証せざるをえないし︑そのためには必然的に︑国家財
政全体を問題にせざるをえないであろう︒しかし︑ここτはとくに︑合衆国とヨーロッパ諸国による対ラテンアメリカ資
本投資の投資形態の相異に注目しておきたい︒ラテンアメリカに対するヨーロッパ諸国の資本投資が証券投資形態を中心
としていたことはよく知られているが︑これに対して合衆国のラテンアメリカ投資は︑当初から直接投資形態を圧倒的な ハゆ 特微とし︑当該国の生産過程そのものの掌握を至向していたのである︒
今世紀に入ってからの︑とりわけ第一次世界大戦後のラテンアメリカ諸国の主張が︑カルボ・ドクトリンやドラゴ・ド
クトリンという形での︑国際法規則の個別的修正にとどまることなく︑より一般的に︑あらゆる干渉の全面的且つ絶対的
禁止へと拡大されたのは︑対抗物としての合衆国による干渉の以上のような性格と無関係ではない︒
︵1︶ 門米州国際法﹂の主張については︑ωΦo︾冨冨β山8︾冒霞¢斜ピ鯨貯︾導oユo伽9︒潟麟H箕の導鋤鉾oゆ既U獅≦鳩掛日゜8回暮一ピご
くOピω︵H8ゆ︶り唱やNひ⑩ーω朝ω︒ ︵2︶ω弩琶搾切①巳9謬のu鋤音︾馨膏農摺&畠︒暁汁冨誓密傷ω競︒︒・レ逡ω矯や゜§・
︵3︶ ⇔O群象o冠切6ω酎O僧日げ¢O舞Ω一くOO冨g6aρお絵矯やO⁝ま゜
︵4︶ 一九世紀におけるモンロi主義の展⁝開については︑さしあたり切oB富℃oウ島酔凱娼やゆ︒︒lH旨を参照︒ ︵5︶08茜︒≦ω8罫欝ぴq器6自ぎ鼠露肉婁嵩9冒ひq爵・d器9ぎ械8ぎ寄8く霞908壼999φ旨¢︾ヨ・︸・H馨︑一
ピニ<9°N︵¢◎Q︒︶堵郊サ刈◎︒ー虞゜ω一ヨΦo昌即切鶏畠≦沖P8げoピ一ヨ潔のoh掛9冒oH類8H<①ロヰoμび矯9βω欝富8ωφo環毒酵醐③
国麟一h識ヨΦロけO隔Oo口嘗簿O駐凶羅司9ゆ40賃暁◎楠悼切○ミ昌O騨齢①鴇60凋舞↓O同Φ鳥凶雛帥oげ嘱↓醇Φ︼冒芝饗げO紳認①塊ω轡9Ω汁06α讐図OけO詳O繍円︾の
録導︵︶o頃隔霞op60◎隔日げoH馨oヨ碧ざ質9ピ釦嬉︾°ゆωoo冨菖oPおOゴ噂賢トc︒Oー一〇︒︒︒を参照︒
︵6︶望ヨβ︒や鼻もサ器゜︒ーNNゆ聯塚酔︒響ぴ魯りぎ富糟く窪識︒P6ひど唱゜ま甲奮・ ︵7︶ω冨斜oや鼻ご窓日INト
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵ご︶八七
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵ご︶八八
︵8︶ 同げ筏ご℃や愚ωωiひヒ ︑
︵9︶ U°90暦ooP囲暮③讐餌誌o賞鮭ピ鋤毒8響o鐸σ9財弓財ΦO顛器゜︒這鋒矯娼やq︒︒N−q◎︒ゆおよびωけo辞oや9緯こや娼・塔躰ーNωP
愈︶ カルボは︑武力干渉の外に貯港目くΦ馨ざPo津一9窪゜︒o︵干渉国の大使による要求の提出︶︑坤導角くΦ⇔寓§o楠鋤o一色一¢︵公開書簡
による要求︶︑葺審譲窪鉱o口や碧聾ρ麟o︵国際会議において行われるような仲介的工作︶をあげている︒<o胃ρ09︒言ρピΦ
α種◎騨貯酔臼捧舞凶o昌巴紳けσo鉱ぬ誤o簿b暴怠ρ郎や8ヨoどお○︒メやまメ
(噌
[⁝王︶ じq¢日陣ρ◎や9轡ごやや雛Nーま刈および立作太郎﹃米国外交上の諸主義﹄︵呂本評論社︑ 一九四ご年・︶︑三一ー五六頁参照︒
︵12︶ 外山忠﹁アメリカの対外政策と経済的進出﹂﹃経済学研究﹄第二五巻嚇号︑六八ー八八頁︒
二
いわゆる絶対的不干渉の原則を条約化しようという試みは︑主として全米会議を舞台としてくりひろげられ︑また︑絶
対的不干渉の原則自身そこでの議論を通して︑しだいに具体化されてきた︒とりわけ︑一九二八年にハバナで開かれた第
六回金米会議は︑干渉の問題を最大の争点としていたことで有名である︒
第六回全米会議で干渉の問題を最大の争点たらしめたきっかけは︑その第二委員会に提出された﹁国家の権利および義
務に関する米州諸国の宣言﹂草案であった︒同草案は︑第一条で﹁すべての国家は存在し︑その存在を保護し維持する権
利を有する︒但し︑この権利は︑国家がその存在を保護し維持するために︑無垢の国家に対して不正な行為を犯す権限を
含み︑あるいはそれを正当化するものではない﹂と規定し︑第二条で﹁すべての国家は︑他国の権利に影響を与え︑また
はそれを侵害しない限りで︑他国の介入や支配をうけることなく︑その福祉を探求し︑自由に発展する権利を有する︑と ユ いう意味で独立である﹂と規定していた︒
この草案は多くのラテンアメリカ諸国の強い反対に出合ったのであるが︑それは次のような経過があったからである︒
すなわち︑第六回全米会議で法典化されることを予定して︑前年にリオデジャネイロで第二回全米法律家委員会が開か
ハヨ れ︑全部で一蝸⁝個の条約案が用意されていたのである︒そこでは︑不干渉原則は﹁いずれの国も他国の内部問題に介入す ハヨ る権利を有しない﹂とだけ規定されていた︒この規定は﹁いずれの国も︑他国の国内問題に介入することはできず︑また
その対外事項にも介入することはできない﹂というアルゼンチン提案や︑ ﹁今日以後︑いずれの国も︑直接又は間接に︑
理由のいかんを問わず︑他国の領域の一部を︑たとえ一時的にであれ︑占領することはできない︒当該国が占領国に与え
た同意は占領を正当化するものではなく︑占領国は︑被占領国に関するものであれ︑第三国に関するものであれ︑占領か
ら生じるすべての事実に対して責任を負う﹂というドミニカ・メキシコ共同提案の否決のうえに採択されたことからもわ
かるように︑多くのラテンアメリヵ諸国にとっては十分に満足すべきものではなかったが︑それにもかかわらず︑ともか ︵4︸くもそれが採択されたのは︑それが干渉の禁止に何らの条件もつけていなかったからであった︒
第六回全米会議は︑以上のような第二回全米法律家委員会の作業を素材として︑その法典化をはかることが予定されて
いたのであるが︑提出されたのは︑そうした経過を無視したまったく新しい草案だったのである︒それは二つの点で強く
批判された︒第一は︑条約ではなく︑拘束力を持たない﹁宣言﹂として採択されることを予定している点︑第二は︑国家 ハヨ の独立・存在を国際法上の義務の履行に依存させることによって︑事実上干渉の許される場合を想定している点である︒
第六回全米会議は︑間題を特別小委員会に付託して審議したが何らの結論もえられず︑結局︑全米法律家委員会で一層
の検討をかさね︑その結果を次回の全米会議で審議することとしたのであるが︑以上の経過の中から︑絶対的不干渉原則
についてのいくつかの特徴を引き出すことができよう︒第一に︑たとえ違法行為に対する救済としてであっても干渉は許
されないこと︑換言すれば︑干渉の禁止は義務の履行に依存するものではなく︑その意味で︑絶対的かつ無条件的なもの
である︒この点は︑通常の法的思考からすればかなり奇異に感じられるかもしれないが︑ラテンアメリカ諸国に言わせれ
ば︑権利救済手段としてであっても︑干渉は大国の権利が小国によって侵害された場合には行使されるが︑逆の場合には
政治的経済的圧力と不千渉の原則︵二︶八九
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶ 九〇
行使されえないのであるから︑一部の国しか利用しえない干渉を合法的な権利救済手段とするのは︑国家平等に反すると
いうことになろう︒第二に︑ドミニカ・メキシコ共同提案という形でではあるが︑同意の存在は干渉を正当化するもので
はないという主張が行われている︒第三に︑非武力的干渉については︑それほど意識されておらず︑主要な関心は武力干
渉・とりわけ︑ドミニカ・メキシコ共同提案が述べていたような領土の占領に向けられていたように思われる︒
さて・一九三三年にモンテビデオで開かれた第七回全米会議は︑合衆国も含めた全会一致で︑ ﹁国家の権利および義務
に関する条約しを採択した︒同条約は︑第八条で﹁国家は︑他国の国内および対外の事項に干渉する権利を有しない﹂と
規定するほか︑第三条で︑国家の政治的存在は︑他国の承認に依存するものではなく︑国家は承認される以前においてさ
え独立を擁護する権利を有することを︑また第九条で︑外国人は内国昆と同一の法的保護下におかれ︑内国罠のそれ以外
の・又は以上の権利を轟しえないことを規定して搬︒で・・スは︑本条約の成立を暴認︑平等︑権利の不動性︑不
干渉・カルボ・ドクトリン︑領土の不可侵︑武力によってもたらされた成果の不承認という枢要な問題に関する︑ラテン
アメリカの法学および外交の全面的勝糀﹂と評しているが︑たしかにそれは︑ラテンアメリヵ諸国のそれまでの護に合
衆国が一応の同意を与えたという意味で︑画期的なものであったろう︒
もっとも・合衆国による本条約の受諾は︑二般に承認され︑受入れられている国際法﹂上の諸権利を害しないという
留保付きでなされたもので為から・法解釈上は︑合衆国が従来行ってきたような干渉がどれだけ禁止されたのか矯で
はある︒しかし︑それにもかかわらず︑合衆国による本条約の受諾は︑合衆国自身の干渉政策の修正を反映するものであ
った︒ルーズベルトは︑すでに大統領就任前の一九二八年に︑ ﹁他国の国内問題に対する我々の単独の干渉は終了しなけ
ればならない・我々は︑他の諸国との協力によって︑西半球において一属の秩序を持つことになり︑無秩序はより少なく
なるであろ苑﹂と述べていたが・今やそれは﹁善隣外交﹂の名の下で実施に移されようとしていた︒一九三四年にハイチ
からの米軍撤退が完了し︑プラット修正が廃止されたのを手始めとして︑以後︸連の 十渉条約の廃止・修正と米軍の撤退
が行われたのである︒要するに﹁いずれかの米州国の平和︑安定︑統合︵貯審鋤晦嵩矯︶︑独立は︑合衆国だけでなく︑他のす ハれ べての国の利益である﹂という理念を制度化することによって︑合衆国による単独の武力干渉は全米的機構的干渉によっ
ておきかえられようとしたのである︒
﹁国家の権利および義務に関する条約﹂は︑以上のような合衆国による単独の武力干渉の放棄を確認し︑それを将来に
わたる法的義務として確立するものであった︒ちなみに︑同条約第八条は20ω欝のと単数形で規定しており︑集団的
干渉には言及していない︒
このような文脈にてらしてみれば︑同条約第八条が何よりもまず武力干渉を対象としていたことは疑いない︒しかし︑
同条にいうコ十渉﹂という用語がもっぱら武力干渉を指す言葉として使われたと言うことはできないであろう︒同条に︑
他国の国内聞題と並べて﹁対外の事項﹂という文言が挿入されたのは︑チャコ戦争に対する合衆国の仲介工作を干渉とし ︵11>て非難していたアルゼンチンの主張によるものと言われているが︑もしそうであるとすれば︑少なくともアルゼンチンの
解釈においては︑同条に言う﹁干渉﹂には一定の政治的経済的圧力の行使も含まれていると考えられよう︒なぜなら︑チ
ャコ戦争に対する合衆国の仲介工作は︑武力ではなく︑まさに合衆国の政治的経済的影響力を背景として行われたものだ
からである︒
一九三六年の全米平和会議︵ブエノスアイレス︶は︑ ﹁不干渉に関する追加議定書﹂を採択したが︑それは︑第二次大
戦前の米州における不干渉原則の発展の到達点を示すものであった︒第一に︑本議定書は︑﹁締約国は︑締約国の一︵き団
80◎臨葭①ヨ︶による他の締約国の国内又は対外の事項に対する︑直接又は間接の︑理由のいかんにかかわらず︑干渉を ︵12︶許されざるものと宣言する﹂︵第一条︶と︑かつてない程包括的な形で不干渉原則を規定し︑絶対的不干渉の原則を定式
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶ 九一
政治的経済的圧力と不干渉の原則︵二︶九ご
化した︒第二に︑本議定書は批准によって条約としての効力を生じるのであるが︑合衆国は何らの留保も付することなく
それを批准する︒かくして︑絶対的不干渉の原則は︑ラテンアメリカ諸国の一方的主張にとゼまることなく︑ ﹁北方の巨
人﹂をも拘束する法的義務になったのである︒
以上のような発展過程を本稿の視角から総括すれば︑第二次大戦以前の定式化においては︑一貫してつ干渉﹂という用
語が維持されており︑それを意識的に拡大する試みはなされなかったと言うことができよう︒武力干渉が干渉の主要な形
態であり︑しかも︑一定の場合にそれが権利として主張される状況においては︑﹁干渉﹂概念の拡大ではなく︑﹁干渉﹂の
禁止の確立こそが主要な課題であった︒しかし︑他方で﹁干渉﹂という用語が厳格に定義されていたわけではなかったか
ら︑それが一定の非武力的強制を含むものと解釈することは十分に可能であった︒じっさい︑いくつかのラテンアメリカ
諸国がそのように解釈していたであろうことはすでに述べたが︑カルボを始めとするラテンアメリガの国際法学者の用語 ほ 例においては︑ ﹁干渉﹂という語は︑多くの場合︑外交的干渉等の非武力的干渉も含めた意味で使用されていることを考
えれば︑そうした可能性は一魍大きいと言わなければなるまい︒次に述べるような︑OAS憲章における政治的経済的圧
力の明示的禁止が︑大した議論もなく承認されたことも︑以上のような状況を抜きにしては理解されえないであろう︒
︵−︶ 切袋oげΦ冨りOやo牌゜やはメ
戸2︶ ここに至るまでの経過については︑◎︒8匂⇔ヨoω切90Doo詳り6げoO触食︒α偉訟ゆ一蝉μ繕℃8噴oの訟くΦOo黛類8鉱o類o楠H馨禽昌糞一〇潟鶉◎一 い鋤評掛置し9囲馨︑一ピ゜︾<9留噂甥9ω︵冒ぎ︸ゆミソ暑゜蕗刈i覇O舞︒口傷筏︒日こ↓冨Oa蓬B臨魯oh回郡δ§9︒餓§鉱冨≦
︾醤嚇卜H9.一ピごく2°一゜︒触属9N︵箆賢゜這濾︶℃やNひ◎ーいc︒O°
︵3︶ごつΦ感9︒や鼻娼﹄癖︒︒° ︑
︵4︶ 3箆ニサ鳶◎昌o富ま゜︵5︶諄げ爵uβ暴も娼゜蕊よ芦繁o霧欝く︒o器§β冨臼︒ω識§鳥巴.馨Φ§豊§鉱9︒<H¢8融働窪8醤轟琴
伽騰曽麟貯①・肉oぐ・Φ軌炉U﹄・即・↓o臼oUρも㌻駆Oー胆3凶雛偽切o営一〇ひ℃o㌻o騨ご篭゜N摯ーい鱗も窃
︵6︶ b凶く擁看自凶︒鷺◎h囚昌什︒触自餌鉱︒灘潜回ピ鋤≦9昏①09︒ヨ¢趣q君図濤傷o≦資¢9眺自ぼ審鑓暮ざβ韓一娼09︒8臼ぴoH暮o呂舞δ雛帥囲O◎時マ
壇O鄭O①Q唯O腕勘密㊦ユO鋤捧穐σ幡9Ω紳Oψ型騎oo紳ω賃娼や寄日O掲許一ゆ蒔Pも゜一NN°
︵7︶ ⇔¢O臼坤QoりOや゜O騨ごや゜﹄刈9
︵8︶ 8酎︒固捧け2潟鶴ゆ論o⇔9Ω一◎o賢瀞器捧6$oh︸ヨoユo伽ρω冨富后︒¢蒔ρ℃や網蕊ω⁝お蒔゜
︵9︶国§慈⇒劉男◎︒ω¢<︒拝9目周§誉雲§︾ご§︒触きく葺ぎ屠算鹸伸β冒泣ゆN°・冠乞゜・蜘纏
︵工G︶ 桝ぴ樋鳥ごや︒軌G◎A°
貧︶ 切¢臼沖ooりO°O富こも゜N↓熱ゆ
︵鶏︶ 8ぴぐわ周灘結触濤舞ご瓢巴O◎類臨①捲憶oooo馬b韓①ユ6鋤pω仲舞oの惣一濠ρ娼゜一痺◆︵13︶先に触れたカルボのほかに︑臼・鍔ぎ︒ωレΦω寒幕稼Φ・・隔︒暴§鍵舞曾婁裁︒濃§⑦慧幕ユρ昼男§⑦繍翁
◎︒償醜弓疹・↓◎津o禽ρ8傘Hy鳴窟$ーざおよび蟹鋤げo貯oやo一紳ごややまi一b︒Oを参照︒
三 ︑
充四八年にボ︒コタで開かれた第九回全米会議の最大の課題は︑それまでの全米連合︵︾鴛︾8①瓢o器d巳§︶を改組
して米州機構︵o茜き凶§凶自gきa︒鶉・けω糞¢ω℃O︾ω︶護立することであっ縫が・その過程で争われ窒辮点の;
は︑採択されるOAS憲章の申に︑国家の渠的権利義務ξいての規定を含めるか否かということであった・この点
に関して︑全米連合執行委員会︵O︒<の導貯σqじUo鶏傷︶の作成した草案は何らの規定もおいていなかったし︑また︑審議過
程では︑別個の条約又は付属2・蕎の形で規定すべきだという主張も馨れたが︑会議は︑結局︑・AS憲章の第三章
︵改正後の第四章︶で﹁国家の基本的権利及び義務﹂を規定することにしたのであ︵勧︶︒
︒AS憲章第三章︵整後の第四章︶で規定された権利及び義務の多くは︑第七回全米会議で採択された薗家の葉
的権利および霧に関する条約﹂中の規定をそのまま︐裂写したにすぎないが︑不干渉矯については・一九三六年の
政治的経済的圧力と不午渉の原則︵ご︶ 九⁝二
政治的経済的圧力と不干渉の︸原則︵ご︶九臨
﹁不干渉に関する追加議定書﹂に依拠しつっ︑若干の前進がはかられている︒まず︑第一八条︵改正前の第一五条︶前段
は﹁不干渉に関する追加議定書﹂の第一条をくりかえしだものであるが︑干渉の主体を﹁国又は国の集団﹂とすることに
よって集団的干渉の禁止を明記することになった︒次に︑第晶八条後段として﹁この原則は︑国の人格又はその政治的︑
経済的及び文化的要素に対する武力のみでなく︑他のいかなる形式による干渉又は威嚇の試みも禁止するものである﹂と
いう文章が挿入され︑さらに︑第︸九条︵改正前の第一六条︶として︑﹁国家は︑他の国の主権意思を強制し︑それによ
って何らかの利益を得るため︑経済的若しくは政治的性質を有する強謝手段を用い又は用いることを奨励してはならな
い﹂旨規定されたのである︒総じて︑政治的経済的圧力の禁止が明記されたと言ってよいであろう︒
以上のような政治的経済的圧力の明示的禁止は︑本稿の視角からすれば特筆すべきことであるが︑OAS憲章の起草過
程においては︑それほどの議論ilたとえば後の友好関係委員会におけるようなーーが行われたわけではなかった︒むし
ろ︑政治的経済的圧力の禁止は︑ ﹁不干渉に関する追加議定書﹂の中に黙示的に含まれていたものであり︑OAS憲章は
それを明文化したにすぎないという理解が一般的であったように恩われる︒もちろん︑こうした理解については︑説明の
ための論理という側面を否定することはできないであろうが︑合衆国自身︑政治的経済的圧力の禁止を正面から争うとい
う立場をとっていなかったこともたしかである︒ちなみに︑第一九条の審議において︑合衆国は︑政治的経済圧力の問題
が第 八条によって適切にカバーされており︑別箇の条文を設ける必要はないと主張しつつ︑政治的経済的圧力の禁止そ ヨ のものには反対していなかったのである︒ ・ .
ところで︑サンダースは︑第一八条後段は﹁東ヨーロッパ諸国がこうむってきたような一定のタイプの聞接侵略に対す
る対抗物﹂であり︑ ﹁したがって︑この原則は︑政治的その他の目的を達成するため外国政府によって破壊活動が煽動さ く れ︑指揮されるという形での︑共産主義による陰険な形の干渉を罪難することを藏的としている﹂と述べ︑非難の対象を