日本小児循環器学会雑誌 13巻4号 540〜543頁(1997年)
〈症 例〉
大動脈弁閉鎖不全を合併した左単冠動脈の一症例
(平成8年4月1H受付)
(平成9年6月16口受理)
滋賀医科大学小児科
成田 努 藤田 泰之 中川 雅生 近藤 雅典 奥野 昌彦 島田 司巳
key words:単冠動脈症,大動脈弁閉鎖不全,神経堤細胞
要 旨
左単冠動脈と大動脈弁閉鎖不全を伴った症例を報告した.症例は精神運動発達遅滞,顔貌異常を伴う 16歳の男子で,定期検診で心雑音を指摘されたのを契機に検査をすすめるうち,断層心エコー図でバル サルバ洞の拡大と壁の異常に気づかれた.Doppler心エコー図で軽度の大動脈弁逆流を認めた.大動脈弁 は三尖であった.大動脈造影を行ったところ左単冠動脈(Lipton L−1)と軽度の大動脈弁逆流を認めた.
大動脈弁逆流は先天的なものと考えられた.単冠動脈と大動脈弁閉鎖不全症,顔貌異常,および精神遅 滞を認める本症は発生初期における神経堤細胞の異常という同一の原因による可能性が考えられた.
緒 言
単冠動脈症])2)は1842年にHyrtle3)によって最初に 報告された比較的稀な先天性心血管奇形である.その 後,本疾患には二次的に心拡大や不整脈あるいは虚血 性心病変をきたすことが報告されている4).著者らは 大動脈造影により左単冠動脈(SCA)と大動脈弁閉鎖 不全(AR)を認めた症例を経験した. SCAとARの 合併における病因あるいは臨床的な問題について考察 を加えて報告する.
症 例
16歳の男子.主訴は心雑音の精査である.家族歴に は心疾患など特記すべきことはない.妊娠,分娩歴に は特記すべきことはなく,在胎35週,3,050g正常分娩 にて出生した.既往歴として5歳時に両側鼠径ヘルニ アの根治術をうけた.
現病歴:乳児期より精神運動発達遅滞がみられ,生 後6カ月頃より近くの診療所にて年に2同の定期検診 を受けていた.平成6年4月,精神発達遅滞者の施設 に入園し,そこでの定期検診にて初めて心雑音を指摘 された.その検査としての断層心エコー図(2DE)でバ
別刷請求先:(〒520−21)滋賀県大津市瀬田月輪町 滋賀医科大学小児科 成田 努
ルサルバ洞の異常が認められたため,精査目的で滋賀 医科大学小児科に紹介された.
身体所見:身長154.9cm(−1.6SD),体重49kg(−
1.1SD),血圧124/62mmHg,脈拍78/分であった.顔 は細長く,上眼瞼は肥厚し一重まぶたで,幅広い口唇 でありodd lookingであった.開放性鼻声を認めた.
耳介変形,口唇裂は認めなかった.チアノーゼ,ばち 指は認めなかった.胸部聴診で胸骨左縁第三肋間に Levine 1/6度の収縮期雑音が認められたが拡張期雑音
はなかった.呼吸音は清で,肝脾腫はなく,神経学的 な異常所見も認められなかった.
検査所見:血液一般,生化学検査,尿検査とも異常 所見は認められなかった.また血清カルシウムは9.6 mg/dlと正常範囲で免疫異常も認めなかった.染色体 は46,XYでN25DGCR(D22S75,0ncor社)のプロー べを用いたFISH法で22q11.2の欠失は認めなかっ た.胸部レントゲン写真では,心胸郭比51%で心拡大 はなく肺血管影の増強はみられなかった.心電図は洞 調律でQRS電気軸は+80度であった.ST−T変化はな かった(図1).2DEでバルサルバ洞の拡大とその後方 に通常はみられないエコーフリースペースを認めた
(図2A, B). Doppler心エコー検査にて大動脈弁逆流 を認めたが,バルサルバ洞後方のスペースには血流信
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日小循誌 ]3(4),1997
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図1 入院時12誘導心電図.
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図2 A,B:入院時断層心エコー図.左室長軸断面,
短軸断面図ではバルサルバ洞の拡大とその後方にエ コーフリースペースを認めた.LV;左室, LA;左 房,RV;右室, RA;右房, Ao;大動脈, PA;肺
動脈.
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図3 胸部核磁気共鳴画像.矢印はバルサルバ洞後方 あるいは洞内と思われる部位に死腔が存在すること を示している.
号は認めなかった.胸部核磁気共鳴画像では断層心エ コー図で得たものと同様の部位に血管と同じ信号強度 を呈する腔を認めた(図3).innominate veinの走行 異常の鑑別のために超高速造影CTを施行したが脈管 でないことが確認された.このバルサルバ洞後方のス
ペースは当初,Aortic−left ventricular tunne15) 7)が疑
われたが,Doppler心エコー検査,超高速CTで脈管で ないこと,臨床症状で心不全などが認められないこと から否定された.さらに大動脈弁逆流とバルサルバ洞 後方のスペースの診断を確定するため心臓カテーテル 検査を施行した.大動脈造影でバルサルバ洞の軽度の 拡大とそれに伴う大動脈弁逆流が明らかとなった(図 4A).また大動脈弓の高さ,分枝の異常は認めなかっ た.しかし,右冠動脈口は描出されなかった.そこで 選択的左冠動脈造影を行ったところ,拡張した左前下 行枝および回旋枝が認められた.回旋枝は肺動脈の後 方を房室間溝に沿い右心基部に至り,さらに右室に分 布する血管を分枝していた(図4B).以上よりARを
伴ったLipton L−1型4)8)9)の左単冠動脈症と診断した.
考 察
SCAに虚血性心疾患や心拡大,拡張型心筋症あるい は肥大型心筋症様の病態が伴うことは知られており,
ARを伴う症例も報告されている4)1°}〜12).本症例では 大動脈弁は三尖であり,また弁の石灰化,疵贅なども
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図4 A:大動脈造影.軽度のバルサルバ洞の拡大と 大動脈弁逆流を認めた(矢印),が右冠動脈は描出さ れなかった.B:選択的左冠動脈造影.拡張した左前 下降枝と回旋枝を認めた.回旋枝は肺動脈の後方を 房室間溝に沿い右心基部にいたり右室に分布する血 管を分枝していた(小矢印),またよく発達した前下 降枝が心尖部から右室に分布する血管を分枝してい た(大矢印).
認めず,先天性のバルサルバ洞の拡大とそれに伴う ARと考えられた.近年,心臓の発生において神経堤細 胞が深く関与していることが報告されている]3} v15).
HoodやPoelmani6)17)らは神経堤細胞が心筋層,大動 脈及び冠動脈の発生に関与している可能性を報告し た.この冠動脈の発生部位は phytogenic site と呼ば れ,まずこの部が大動脈側に貫入する.冠動脈に特異
的なα一アクチンの発現をみた研究の結果,
phytogenic site が大動脈側に貫入した後に適当な時 期に近位から遠位へと順次特異的α一アクチンが発現 することが示され,この順に冠動脈が形成されること
H本小児循環器学会雑誌 第13巻 第4号
が明らかにされた.またこの phytogenic site は正常な
心筋の発生に関与している心筋鞘(myocardial
sheath)により,その貫入が制御されていると推測さ れている.このことから発生における神経堤細胞の異 常は, phytogenic site および神経鞘の正常な発生を妨 げ,その結果として冠動脈,大動脈および心筋の解剖 学的,機能的異常を引き起こすと考えられる.一方,神経堤細胞は大動脈弁,肺動脈弁の形成に関与するこ とが証明されている18)19).単冠動脈にARが伴った症 例の報告は散見されるが4)1°)〜12),いずれもARは単冠 動脈による二次的なものとは考えられていないことか ら,発生初期の神経堤細胞の異常という同一の原因で 起こった可能性が考えられる.発生初期の神経堤細胞 の異常による症候群としてCATCH222°)〜22)が知られ ているが,本症例では免疫異常,血清カルシウム異常 などはなくN25GGCR(D22S75,0ncor社)のプロー ブを用いたFISH法では,22q11.2の欠失は認めな かった.しかし精神発達遅滞,顔貌異常を伴っていた 本症例において,証拠は不十分であり,一つの推測の 域を脱していないが,神経堤細胞の発生異常が関与し た可能性は否定しきれないと考えられた.
またSCAにARが合併した場合には,心拡大によ
る心筋虚血さらにSCAそのものによる心筋虚血をさ らに増悪する可能性があり,突然死に対して注意深く みていく必要があると考えられた.文 献
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