第 Ⅳ 章 遺
1 工房 関係遺物
A 鋳造関係遺物
(PL。27〜 31,Tab。
5)十 四坪東北部 に密集す る土坑群 の周辺か ら
,靖
渦・ 輔 羽 口・ 鉱滓 な どの金属 加工 にかかわ る 遺物 が多量 に 出上 した。 これ らは後述 の よ うに,分
析 の結 果,銅
の鋳造 に関係 した ものであ る こ とが判 明 してい る。 井戸SE 1867な
どか らは,銅
製勢 帯金具 の未製 品が 出土 してお り,
鋳 造 工房 での製作 品の一 部を推定 で きる。本工房 の鋳造関係遺物 の うち,対
渦 と輔 羽 日は,き
わ め て特色 あ る内容を もち,奈
良時代 の鋳造 技 術や二 人 の系譜 な どを解 朔す る上 で,重
要 な手が か りを与 える。また
,十
三坪 の井戸SE 1315か
らも鉄9Llや鉄匙 な どの鋳造 工具 とともに,大
型砥 石 や銅 製 品 の未製 品が 出上 した。井戸 の構 築年代 か ら判断 して
,十
四坪 の鋳造工房 とは時 期 を異 にす る遺物 で あ るが,平
城京 で も初 出の資料 を含 み,奈
良時代 の鋳造技術を解 明す る上 で貴重 な遺物 といえる。 このほか坪境小路SF 2000上
や そ の近辺に も鋳造 関係遺物が集中す る が時期 の限定 は困難 であ る(別表6)。 以下 に鋳造関係遺物 を一括 し,種
別 ご とに説 粥を加 える。増 蝸 (PL。 27・ 28‑1〜
8)総
数 430点 が出上 した。細 片 が多 く,全
形 を知 りうるものは少 ない。る つ ぼ
口径
14cm前
後 の半球形 を基 本 とす る。溶融 した金属 を鋳 型 に移す「 と りべ」 との区別 が難 し いが,
ここでは,一
応姑捐 として記述をすすめ る。対鍋 の大部分 は,
日常什器 の上師器を転用 し,
内外面 に粘土 を塗 って 成形 した もので あ って,
通 有 の粘土製lH塙 の 出土 は,
わずか1点
にす ぎない。転用上師器の器種 は小型甕 と椀 に限定 され る。 この うち甕 の転用例が圧倒的に多く
,縦
方 向に半我 して頸部 の くびれを片 口に利用 した もの,上
半部 を打 ち欠 いて九底 を利用 し た ものな どがあ る。 いずれ も丁寧に打 ち欠 いて椀状に整 え,長
石 と石英粒 を多量 に混入 した粘 土 を 内外面 に厚 く塗 って仕上げ る。現状では,粘
上 の剣 落 した ものが多 い。すべて 口縁近 くは 火 熱に よって暗赤色に ガラス化 し,内
面 には黒 色 の カ ラ ミが アメ状 に 付着す る。1は
甕Cを
転用 した完形 の対鵜 であ る。甕 の体部 を椀 状 に整 え,
くびれ部を幅7.5cm,高
さlcmほ
ど残 して注 目に利用 し,底
面 には,打
ち欠かいた把手 の基部を残す。 内外両面に長石・石英粒 を含 む砂質味 の強 い粘土を厚 く塗 る。 内面 には少 な くとも
2層
の粘上 の重な りがあ り,再使用時に粘土 を塗 り直 し
,器
面 を整 えた状 況 を うかがわせ る。黒色 の カ ラ ミは内底面 か らロ 縁 下 0.5〜2.Ocmに
残 り,片
口付近は赤紫色に変色 して発泡す る。 日径 13〜13.5cm,深
さ2.8cm,器
壁 の最大厚3.6cm,重
量609g,量
大容量 50 cc前後 であ る。QT 50区
灰褐土か ら出上 した。 2・3は
甕 の丸底付近 を転用 した姑蝸 であ る。2tよ完形 品で 内面 にのみ粘土 を塗 る。外面 は火熱を うけて脆弱化 し,灰
黒色に変 色す る。口縁 部 は赤紫色に溶解 し,一
部 に小石 が 溶 着す る。 内面 全体 に カラ ミが付着 し,発
泡 に よる凹 凸が いち じる しい。注 目部 はないが,
日 縁 部外面 に付着 した カラ ミの状態 か ら溶銅 を注 いだ方 向がわ か る(矢 印)。 口径 12.8〜13.2cm, 深 さ4.6cm,最
大容量 150 ccで あ る。SK 2051か
ら 出土 した。3は 1に
似 た 浅めの対禍 で7=
ご ち い ぐ ふ は
内面に厚 く
,外
面に薄 く粕上を塗 るが,外
面の粘上の 大部分が剣落してい る。 推定 口径 13.5cm,高
さ3.6cm,深
さ2.Ocmで
ある。 口縁付近は暗赤色にガラス化 し,
内面の凹凸面 に灰 緑色の溶銅が付着する。SK1825か
ら出土 した。4は
浅 くやや大型の対渦で,体
部 1/4を 残す。粘上は内面にのみ
1.2cmの
厚 さで塗 られ る。 外面は火熱のため灰褐色に変色 し,
器面の一部 が象1落す る。復原 口径16.4cm,深
さ2.9cm,SD1440か
ら出土した。5は
底部を欠失す る が, 2に
似た深めの対禍で,甕
の顕部の くびれ部を利用 して片 口につ くる。粘土は内面にのみ 塗 られ, 2層
の重な りが粥瞭である。再使用面 は 口縁下内面1.5cmほ
どが暗赤色にガラス化し
,以
下に黒灰色のカラ ミが凹凸面を形成す る。当初の面にも黒色のカラ ミがみられ,lcm近
い厚 さで粘上の塗 り重ねがある。外面は火熱で灰白色に変色す る。 口径
13.8cm,復
原高 5,8cm,復
原深 さ4.4cm, PE 66区
包合層 (バラス層)か
ら出上 した。6は
土師器椀C転
用 の対 禍 である。粘土はlcm前
後の厚 さで内面に塗 られ,
日縁部を覆 うように外面の 口縁直下 に消 よが。外面に塗 られた粘上の多 くは象↓落す るが,火
熱に よる変色の状況か ら,
日縁を均―に覆 っていた ことがわかる。内面の 口縁付近 は赤紫色〜緑褐色に変色 し,以
下に カラ ミがアメ状に 付着す る。 口径13.6cm,深
さ3.6cm, SK1971か
ら出土した。7は
杯X転
用対禍であ る。粘土は内面にのみ残 るが
,
口縁部に突出 した粘土の状態か ら, 6と
同様に本来は 口縁を覆 って いた とみ られる。内面の粘土は口緑部が赤紫色に変色す る。 口縁下1.5cmで
段を生 じ,以
下 の黒色のカラ ミが鍬状の凹凸をなす。 復原 口径14.6cm,
深 さ3.2cm,SD 1594出
土破 片 とSD1496最
下層出土片が接合 した。PL.28‑8は 430点
中唯―の粘土製の靖塙 で,
口径12 cm,深
さ4cm前
後 の小型品に復原できる。内外面を平滑につ くり
,
口縁はやや丸味をおびる。内面には緑色味の強い暗灰色の溶銅 が付着す る。厚 さ1.5cm前
後あ り,SK2025か
ら出土 した。輔羽口 (PL.28‑9〜
15)総
数点141が
出上 した。細片が大部分を占め,全
形 のわかるものはき わめて少ない。十四坪に密集する土坑を中心に出上 したが,埋
土中に投棄 された状態で出上 し,使用時の原位置を とどめる例はない。すべて孔径
2.5cm前
後の小型品に限 られ る。元 口が ラ ッパ状に開 き,先
端に向かってすばまる通有の直線羽 口とともに,先
端が曲がった湾 曲羽 口がH点
ある。 直線羽 口の うちわけは,先
端部41点,筒
部78点,元
口部11点である。モヽずれ も長 石
,石
英粒を多量に混入 した砂質味の強い粘上でつ くる。9は
先端部を欠失するが完形に近 い羽 日である。 現存長14.Ocmあ
る。 通風了とは径が小 さ く不整円形で,内
面にシボ リロがみ られ る。外面は長軸方 向に刷毛 日を施 し,元
口には裾部を 広げた際の指頭痕が顕著に残 る。元 日外径6.9cm,内
径5.6cmで ,破
損部外径4,7cm,内
径 1.5〜
1.9cmで
ある。 本品は,
内面に シボ リロ,外
面に刷毛 目調整を もつ点で,他
の羽 口 と様相を異にす る。SD 1584か
ら出上 した。10。 11は先端部分である。10は先端の欠損後 も使 用 してお り,
破面が赤色のガラス質に 変質す る。 炉内で下面に位置 した とみ られ る 孔の内面 に,カ
ラ ミが付着す る。現存長8,7cm,孔
径1.5〜2.4cmで
ある。長石・ 石英粒を多 く含 んだ 胎土中に糎殻を混入する。筒部の色調は茶褐色で,先
端部が暗灰色に,中
ほ どが白色の帯状に 変色す る。その変色状態か ら,炉
内への挿入角度がが25度前後 と推定できる。SD 1584か
ら出 上 した。11は先端部が黒色に溶解 し変形 している。先端か ら2cmほ
どの位置に粘上が薄 く付 着 し,炉
内挿入角度は10度前後 とみ られ る。現存長6.lcm,孔
径2.3cmで
ある。孔は直線的72
で
,丸
棒 を抜 き取 った痕跡 が明瞭 に残 り,
子と径2.3cmで
あ る。SE 2070底
面 か ら出土 した 。 13と15は 元 口部分 で,
ともに裾部 の広 が りが小 さ く緩やかであ るが, 9と
異 な り裾部 を筒部 と 同 じ厚 さにつ くる。13の裾端部 は平坦面 をな し,乾
燥 時に垂直に立 てた状況を示す。筒部 に は 顕著 な稜 が あ り, 7〜 8面
体 に近 い。胎 土 に糎 殻 を混入す る。現存長8.lcm,元
日の外径7.2 C血,内
径4.5cmで
あ る。SD1495か
ら出上 した。 15の 端部 も平坦面 をなすが,裾
部 に指頭 痕 はみ えず,平
滑 なつ く りであ る。胎上 には長石 や石英粒 の混入量が多 く,わ
ず かに スサ と拠 の 混 入 を認 め る。現存長9.2cm,元
口の復原外径5.8cm,
内径4.3cm前
後 であ る。SE1385
井 戸粋 内か ら出上 した。
12・ 14は湾 曲羽 口で
,と
もに先端部分 であ るが,形
状 が若千異 な る。 12は 孔 径が1,7cm前
後 と細 く
,均
一 な肉厚で全体が弧状 に湾 由す る。外面 は平滑 なつ くりで,先
端部 の端面 は濃 緑 色 に ガ ラス化 し,周
囲が赤紫色か ら黒灰色に変 色す る。その変色状態か ら,通
風孔 を65度 前 後 の急角度 で下方 に向けて使用 した と推測す る。 先端部外径 3.4〜3.8cmで
あ る。QS 49区灰 褐土か ら出土 した。 14は 12に 比べ る と大型 品で
,
緩 や かに湾 曲 した 筒部 が 先端近 くで強 く屈 曲 し,通 風孔が頂部 をずれて下方 にあ く。筒部 外面 には,長
軸方 向に平行す る幅1.5cm前
後 の波 状 の凹 凸が顕著 に残 る。先端部 は粘土 を継 ぎ足 して成形す る。筒部 は橙褐色,先
端部 は黒色・赤紫色・ 緑褐 色に変 色。 変色の状態か ら通風孔先端が下面 に対 して 垂直に近 い状態
(85度
前 後 )で 使 用 した と推 定 され る。胎土 にわず か に狸 殻 を含む。先端部外径 5,4×4.5cm,内
径 2.1cm,SK 1819か
ら出上 した。他 に
,図
示 不可能 な破片が134点あ り,部
位 ご とに特徴 をま とめ る と次の よ うになる。先 端 部 は,火熟 に よ り溶 解 して変形 した ものが多 い。赤紫色,暗緑色 に ガ ラス化 した もの,黒色 に溶 解 した もの,表 面 が発泡 して気泡を生 じた ものな どがあ り,細 片化がいち じる しい。元 日部 は,裾 を指 で折 り曲げ る よ うに広 げてつ くるが
,そ
の屈 曲は さほ ど顕著 でな く,直
線的 にお さま る もの もあ る。端面 はすべて平担 ない しは丸 く処理 し,尖る ものはない。厚 さは体部 よ りもわず か に薄 く,1〜 1.5cmの
ものが多い。色調 は灰褐 色か ら橙褐色を基調 とす る。筒部 は,厚
さ 1.5cm前
後 の ものが多 く,最
も厚 い もので2.8cm,最
も薄 い もので1.Ocmで
あ る。通風孔 の径 は 2.4〜2.7cm前
後 に お さまる。色調 は先端側 が暗灰 色,元
口側が橙褐色 ない しは灰 白色を呈 し,そ の境 が帯状 に白 く変色 した ものが多 い。筒部破片 の中には;外 面 に曲率を もった材の圧痕 を残 す ものが 12点 あ る。多 くは この圧痕 をナデ調整 に よって消 し去 るが,13・14のよ うに稜状 にそ の 痕 跡 を残 す もの もあ る。同様 の圧痕や稜 を もつ羽 口は
,平
城京 出土 品 の中に も広 く認 め られ る。出土羽 口の胎土 を実体鏡下で観察 した ところ
,0.5〜 5.Omm大
の鉱物や岩石 の礫 が多数混 入 して い る。その種類 は,石
英や長石 を中心 に チ ャー トを含 む。石英 は火 山岩系の もの と,深
成 岩系 の ものが入 り混 じってお り,一
つ の岩石 を粉砕 して胎土中に混入 した と考 える よ り,長
石,石英粒 を多量 に合有す る川砂 な どを混入 した可能性が高い。長石はその表面が ガラス化 して い る ものが多 く
,900〜
1000°C程
度 の火熱 を うけ た と推定 で きる。輔 羽 口台
(PL.28‑16)坪
境小路北側溝SD 1499に
投棄 された汰化物層出土片 と,SD 1500最
下 層 出土片が接合 し
,ほ
ぼ全形を知 りうる状態 とな った。縦9.Ocm,横 7.4cmの
平 面方 形 で,上面 が傾斜す る粘土塊 の上面を長軸 にそ って弧状 に くばめた土製 品であ る。 くばみは深 さ 1.6
cm前
後 で,底
面 に対 して 15° 50′の傾 斜を もつ。高 い方 の端部 は強 い火熱を うけ,小
口面 を中7」
心に変形 し
,一
部 ガラス質に変質す る。傾斜の低い部分は縁部が丸 くおさま り,小
日の上端が くちば し状に突出す る。底面は平担 で,両
側面は外反気味に立ち上がる。胎上に長石・ 石英の 細粒を多 く含み,羽
口,靖
禍用の胎土に近い。現存高3.7〜 5.8cm。 弧状に くばむ溝 の最大幅は5cm強
で,羽
口の平均径に近 く,後
述す るように,羽
口の固定台 と考 え られ る。類似品が隣接1)
めす る十一坪の西一坊坊間路西側溝
SD920と ,左
京三条二坊七坪の鍛冶炉か ら出土 している。いずれ もほぼ同大のつ くりで
,凹
部の傾斜角度 も近似する(SD920出
土品は 16° 41′)。かなはし
鉄鉗 (PL。
33‑24)脚
部が大 きく開いた状態で銹化固着 した大型の鉄製鉗である。一方の脚端 を折損 し,鋏
の両先端を欠失す るが,全
体の残 りは良い。現存長36.Ocm,復
原長37.6cmで
ある。脚は角棒の角をお として丸め,要
部近 くで幅1.2〜1,3cmの
断面隅丸方形,
末端に向かって徐々に細 まるとともに九味を強め
,端
部で0.5cm前
後の九棒 となる。 要部は幅2.l cm, 厚 さ0.7〜0.9cmの
平坦面をつ くり,中
央に孔をあけ,鉄
鋲であそびをもたせて,か
しめる。鋏部は餃合部が うま く重 なるよう
,直
線的な脚を要部付近で内に曲げて,先
端を重ねる。先端 部は図示 した ように復原 され よう。SE1315か
ら出土した。鉄鋼 の出土は平城宮・ 京で初めてである。奈良時代の類例がな く比較はで きないが
,古
墳時 代の鉄鉗 とは,著
しい形態変化が認め られ る。すなわち,古
墳時代の鉄鉗 は要部のつ くり出し が不粥瞭で,脚
部か ら鋏部にかけて全体をゆるやかなS字
状につ くるのに対 し,本
例では直線 的な脚部,要
部,鋏
部を朔瞭につ くり出し,鋏
部を鋭い くちば し状につ くる。埼玉県台耕地遺 跡,福
島県松 ケ平A遺
跡出上の平安時代の鉄鉗の形態に近い。鉄杓子
(PL.33‑25)匙
形の鉄製品で銹化が進み遺存状態は悪い。柄の末端が中空につ くられて お り,袋
部に木柄を挿入 して使用 した と考 える。袋部の大半を欠失 し,本
来の長 さは不明であ る。現存長15。lcm,匙
面は周囲を大 き く欠失す るが,長
さ4.2cm,幅 2.7cm前
後の 卵形 も しくは木葉形に復原できる。匙面は柄に対 して75°近い急角度で と りつ く。鍛造品で,細
長い 鉄板の先端に匙面をつ くり,中
程か ら下半を折 り重ねて棒状に整 え,上
半部を袋状に丸めて作 る。形状は,佐
波理匙にも似 るが,鉄
製の杓子は奈良時代には類例のないものである。江戸時5)
代の『鼓鋼図録』の中に
,似
た形状の道具がみ られる。大 きさは本例 よりもはるかに大型であ るが,中
空の袋部に長い木柄を と りつけ,
鋼の精錬作業に使用 している。この道具は,『日本
6)
山海名物園會』に図示 された冶金器具の中にも見え
,「
どぶかき」,「
灰出 し」 な どと呼ばれて いる。本例は,こ
うした近世の絵図中にみえる工具に くらべると,き
わめて小型であるが,溶
銅の表面に浮いた不純物を除去す るための道具 と考え られ る。銅冶金工具の起源を知 る上で,
貴重な資料 といえよう。
SE1315か
ら出土した。砥石 (PL。29〜
311〜22)総
数44点が出上 した。多 くは,一
般的な形状の砥石であるが,数
量 が異常に多い点,特
殊な形態の砥石を含む点などか ら,こ
こでは一括 して鋳造関係遺物 として1)奈
良国立文化財研究所『 平城京右京 八条一坊十 一坪発掘調査報告書』1984,fig,36。2)奈
良国立文化財研究所『 昭和62年度平城概報』1988, p. 52。
3)埼
玉県埋蔵文化財調査 事業 団『 台耕地 (工)一
関越 自動車道関 係 埋 蔵文化財発掘調査報告XX』
1984,第46図 20。
77
4)福
島県文化センター『 真野 ダム関連遺跡発掘調 査報告Ⅵ』1984,図51。5)増
田綱・丹羽元国『 鼓銅図録』享和元年(1801)〜文化2年 (1805)ご ろ, 日本科学古典全書第九 巻所収 1942。
6)(『 図録山漁村生活史事典』1981,p.31,所収)。
あつか う。個々の寸法
,色
調,出
土遺構などは別表3を
参照されたい。石質か ら溶結凝灰岩系
,片
岩系,砂
岩系,流
紋岩系の4種
に分かれ,産
地の違い とともに用 途差の存在 した ことが推測できる。最 も数量の多いのは流紋岩系の砥石で,33点
を薮 える。責 褐色ないしは淡黄褐色を基調 とし,表
面に 1〜2mm大
の長石風化に よる空隙をもつ点に特徴 がある。奈良県耳成出や二上出産出の流紋岩 とは組成が異な り,産
地は不詳である。折損のた め本来の 大 きさは 不明であるが,
幅5〜7cm,厚
さ2〜5cm大
の 小型化 した砥石が 中心 とな る。その多 くは長軸方 向の四面を使用 し,中
央部が大 きく研 ぎ減 り,折
損にいたっている。 こ れ らの流紋岩系砥石には,小
口面に採石時のノ ミもしくは手斧状工具の削 り痕を とどめるもの が多い。1に
は幅2cm前
後の手斧の削 り痕が,2'3・
7・ 10には平行 した条線状の削 り痕が残 る。後者は櫛歯状の凹凸をな し,刃
幅が1.2cm前
後のノ ミ状工具に よる整形痕 とみ られ る。これ らの工具痕は
,他
の例では小 日の使用に より消失す るが,13の
ように研磨面の下に整形時 の工具のアタ リを残す ものもある。また流紋岩系砥石の多 くには,小
画面を中心に刃痕がみ ら れ, 4・ 6・ 9。 11・ 14では側面にも及ぶ。1は
断面が正方形に近い砥石で,上
下面の中央近くが浅 く溝状に研 ぎ減 る。10は短軸方 向にも凹 レンズ状に研 ぎ減 る。
8は
曲率のある製品の研 磨に用いた砥石で,上
面が幅3.Ocm,深
さ0.8cmの
断面半円状に くばむ。弧は半径1.7cm
の正円の一部に復原できる。15は小 日の両端を折損するが,折
損後に一端を再使用 している。11は研 ぎ減 りの状況か らみて
,一
辺8cm前
後の平面正方形の砥石になろ う。側面の使用が著 しく,大
きく磨滅 して湾曲する。13は流紋岩系砥石の中では最大のものである。二次的な火熱 を うけ,表
面は黒変 し象1離がすすむ。6面
を使用するが研 ぎ減 りが少な く,一
部に整形時の工 具痕を残す。12は小型の砥石で上端は折損後 も使用 している。流紋岩系砥石の中には,幅
2.9cm,厚
さ1.2〜1.7cmの
さらに小型品がある。16は花簡片麻岩製の砥石である。整形時の剖離面の凹凸が激 しいが
,両
側面を中心に使用 し てお り,湾
曲気味に研 ぎ減 る。下面は未使用である。上面の使用 もわずかで,長
軸方 向に多数 の研 ぎ傷がある。17から20の
4点
は雲母片岩を利用 した不定形の砥石である。17・ 18は厚 さlcm前
後の板状品で
,
ともに上面 と小 口の一端を使用す る。研磨に より,片
理面の凹凸がつぶれ平滑 となる。17の上面には刃痕が著しい。19・ 20は棒状砥石で
,
ともに一端を折損す る。19は長軸方向に全 体を使用す る。断面が半円形を呈 し,大
きく使用 した平坦面 と,稜
をもつ4〜 6面
体か らなる。20は
4面
をわずかに使用す る。一側面は研 ぎ減 りに よって平坦に近い。21は黒色片岩 (スレー ト)製
の痛平な砥石で全体に磨滅 して丸味をもち,
上面中央に幅0.4cm,
深 さ0.lCm前
後 の1条
の研 ぎ痕 を残す。22は流紋岩質溶結凝灰岩製の大型砥石である。両端を折損す るが
,幅 21 cm,厚
さ7〜9cm,
現存長
52,7cmで
ある。SE1315か
ら2片
に割れて出上した。折損後に火を うけ,全
体が変色 する。両側面は未使用で,整
形時のノ ミ痕 と敲打痕が残 る。表面の中央に節理の段が残存す る。段を境に下半部を中心に使用 し
,長
軸方 向に舌状に大 きく研 ぎ滅 る。段の上半部の使用は副次 的で,剣
離面の凹凸が全面に残 る。裏面 も大 きく全面を使用するが,先
端付近の使用はわずか で,元
に向かって大 きくくばむ。長軸方向に幅lmm前
後の研 ぎ痕が縞状に残 る。岩石中には 径が 1〜3mm大
の石英が多 く含 まれ,1〜 5mm大
の黒雲母が胡麻塩状に分布する。奈良県春 7J日山地獄谷石仏周辺に分布する溶結凝灰岩である。同質の砥石片が
2点
あるが,厚
さ4cm前
後の小破片である。
砥 石 に関す る奈良時代 の史料 は
,
正倉院文書に 造営資材 として散見す る。『 造金堂所 解』 に1)は雑鋼 を磨 き作 る料 の砥 とともに
,佐
保 山か ら「運荒砥十材重一千十斤」を運送 した記事があ る。荒砥一材 の大 きさは不 明であるが,そ
の重量 は平均百一斤,約 23 kg(小
一斤=224g)前
後 であ り
,造
営現場 では運 んだ材を分割 して使用 した とみ られ る。SE 1315出土 の溶結凝灰岩 製 の荒砥 は,両
端 を折損す る とともに大 き く研 ぎ減 るが,現
状 で 13.8 kgも の重量 を もつ大型 砥 石 であ り,佐
保 山か ら切 り出 された荒砥一材 の姿に近 い もの と推測す る。産地 は,先
述 の よ うに地獄谷周辺 とみ られ,佐
保 山同様,運
搬 に便利 な平城京近郊か ら大型の砥石を切 り出 した2)
可能性 が あろ う。『造仏所作物 帳』には「砥三顆
,破
砥九十二顆,
青砥二十二顆,荒
砥 三十一 顆 」 の記事 をは じめ,銅
鉄工所 用物中に も雑物磨料 として破砥 。青砥 をみ る。砥 の粉 とみ られ る破砥 を除 くと,砥
・ 青砥・ 荒砥 の区別があ った ことがわか る。 さらに天平宝字4年
(760)のめ
「丈 六観世音菩薩」に は,『 延 喜式』に しば しば登場す る伊予砥 の名がみ え
,後
世 の よ うに産地 名 を冠 した砥 石 の名 称が確立 しつつ あ った ことが知 られ る。また
,『
和 名類乗抄』鍛冶具 の項 に,「砥 」 を細密 な砥石,「横」 をあ らい砥 石,「
青函 」 を青 い砥石 としてお り,奈
良時代 に既 に現在 の砥石 と同様,精
粗 の区分 が存在 したのであ る。今回の出土品を現在 の砥石 の基準で分 類す る と,流
紋 岩系砥石 が中砥,溶
結凝灰 岩 。片岩・ 砂岩系 の砥 石 が荒砥 となろ う。敲 石 (PL.30。 31‑25。
26)鉱
物や混和材 な どを敲 きつぶ した とみ られ る敲石が2点
出上 した。25は 細粒黒雲母花 闘岩 の九棒状 自然石 を利用 し
,一
端 を折 って平坦面 を使用す る。磨石 として も利用 してお り,
小 口には 敲 打 した痕 跡 ともに磨滅面 が残 る。 側面 も磨 石 として 利用 してお り,稜
を もつ平坦面 を形成す る。長 さ10.3cm,幅 4cm前
後,厚
さ3cmで ,手
の平に ち ょう どお さまる太 さであ る。SD 1500上
層か ら出上 した。26は 片岩 を棒状 に整 えた もので,小
日の一端が敲打に よ り平坦面 となる。長 さ16 cmであ る。灰褐土か ら出上 した。他に包含層か ら, 扁平 な河 原石 の側面 を使 用 した磨石 (細粒 片麻状黒雲母花 開岩)が出上 してい る。長 さ7.8cm, 幅
5,lcm,厚
さ2.4cmで , QE 61区
灰褐土か ら出土 した。銅製 未製 品 (PL.32‑1・ 2・
10)1は
餃 具 のC字
形外枠 の未製品で,SK1824か
ら出土 した。全 面鋳放 しの ままの粗面 を呈 し,軸
孔 も未穿 孔 であ る。革帯 を通 りやす くす るための内傾面 は,当初 か ら計画 され既 に表裏面 の区別 が あ る。 また軸棒 を受け る基 部 は
,穿
孔 に備 え,完
成 品 よ りも大 きめに作 られてい る。鋳バ リは内傾面 の中程 と,外
側 の稜 部 にわず かに認 め られ,鋳
型 の合 せ 日はほぼ 中央に位置す る。 表側 の上端部 には堰 の切断痕 が残 る。現長綻3.36 cm,
横1.64cm,基
部厚 0.4〜0.5cmあ
り,内
径長軸 か らみて,帯
幅9寸 (2.7cm)の
革帯 に付属す る 餃 具 の外枠 であろ う。2は
巡方 の表金具 の未製品で,
横 幅2.47 cm,縦
幅 1.89 cm, 厚 0。151)『
大 国木古文書』16,p.285及び福山敏男「奈 良朝末期に於ける某寺金堂の造営」『 日本建築史 の研究』1943。2)平
瀬 補世・蔀 関月『 日本山海名産図会』(寛政■年 (1799)刊
,『
日本庶民生活史料集成』第10 巻所収,1970)に
「 諺に砥は王城五里を離れす, 帝都に 随ひて産す と云 も,空
ことに もあらすか 7bし
,昔
和州春 日山 の換 より出せ し白色の物は 刀 剣の磨石な りしが,今
は掘 ことな く其跡のみ残れ り。」 とある。この春 日山の白色砥に 関 しては不 明な点が多い。
3)『 大 日本古文書』24,p.26。
4)『 大 日本古文書』24,p38。
5)『大 日本古文書』 4,p.420。
cm前
後ある。湯のまわ りが悪 く,下
端の一部に空隙を生 じ放棄 されたものである。 周縁にわ ずかなバ'が
あ り,上
半部両側縁に堰 のタガネ切断痕 (幅 0.4〜0.5cm)が
ある。 これか ら, 複数の金具を連結 して同時鋳造 した ことがわかる。下端の方形透 しや周縁の面取 りは,鋳
型段 階か ら計画 されている。鋳造後の鑢整形を最少限に とどめ,計
画寸法 と仕上 り寸法 との誤差を な くす配慮であろ う。裏面は上辺 と透 し孔上部の間の肉をわずかに落 とす。鋲足は現状で3隅
にしかみ られず,そ
の うち2鋲
を折損す る。仕上 り寸法は,横 2.lcm(7分 ),維 1.8cm(6
分)に計画した ものであろ う。鋳型の合わせは裏面側が極端に浅 く
,0.33 cmで
ある。SE1867
から出上した。10は隅丸の長方形金具の未製品。周囲に鋳バ リを残す。長辺の片側中央に
V字
状の切 り込み があるが性格は不明。黒色の 光沢をもち,鋳
型表面を ナデつけた 痕跡が 製品の表面にあ らわ れている。短辺の下半に堰 の切断痕が残 る。SE1305最
下層から出上した。増蝸・ 鉱滓等の非破壊分析
出土 した靖渦
,輔
羽 口,鉱
滓,金
属片について,蛍
光X線
分析法 を利用 した非破壊的な手法に よって,
どのような金属が含 まれているかを定性的に調査 した。その結果
,主
に銅,錫,鉛
が検出された (Tab。 5)。 鉱滓や金属片のなかには,錫
あるいは 鉛 がないものもあるが,銅
は,全
ての試料に含 まれている。 したがって,以
上の分析に よって, 銅 または銅合金の鋳造の行なわれていた ことが推定できた。SnKα
AgKα
PbLα AsKα BiLαCuKα FeKα
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
輪 羽 口 鉱
滓
銅
片
金 属 片
十 十
■ 十 十 十
++
―
十 十 一
十
+
―
十 十 一一 つ 一
十 十 十 十 一
つ 一
+++
―
+十
一
十 十 十 一
十 十 一
十 十
十 tr 十
つ
++
十 十 十 十
十 十 十 十 十+十十 十 十 ■ 十 十 十 十 十 十+十十 十 十
+
キ 十 十 十 十 十 十 十 十 十+十
十 十 十 十 十 十 十 十 十 十+十
十 十 十 十 十 十 十 十 十 ■ 十+十
+
+十十 十 十 十
+十
十 十
+十十 十
+十十 十 十 十 十 十 十 十
++
十+十十 十
++十
十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 キ 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 ■ 十
■ 十 ■ 十 十 十 十
+
十 十 十 十 十 十
++十
十 一一
一 一 一
?
?
十 十
+十
十 十 十 十 十 十 十 十
+十
十 十 十 十 十
十 十 十 十
十 十 tr tr 十 tr
+
十 tr
tr 十 十 十
十 十 憤
tr tr 十
+
キ十の数が多 いほ ど含有量が多い ことを示す。
1,SK2051 2・
6・ 7・10,SK1825 3,QT50区
灰褐±4;PE66区
バ ラス上5 16;SD1495 8,OC50区
灰褐±9;SK2036
■ 。13・14;SK1886 12;SK2026 17,SK2025 18;SK2001 19,SK2016
Tab.5
靖塙 。鉱滓 等の蛍光X線
に よる定性分析結果B 漆関係遺物 α L.34・ 35,Fig。 41〜
43)十四坪北区北寄 りの東辺で検出した土坑 SK 2001に は ,漆 ェに関係 したおびただ しい量の遺 物が埋没 していた。それ らは ,漆 が付着した土器 ,漆 の塊 ,漆 の膜に大きく区別されるが ,そ れぞれの内容は ,な お多岐にわたっている。
1 漆 容器 と して使 用 され た土 器
(PL。35,Fig.42)
SK 2001か
ら出上 した上器の多 くには,表
面に漆が付着 していた。後に第Ⅳ章‑4」
で述べ るように,須
恵器壷K,壷 L,重 P,壷 Xは ,漆
の生産地で,採
取 された漆液を入れて,平
城京Fig。
41
漆容器の栓 (1:2)に運搬す るために用 いら れた容器 と考 え られ る。
そ して当遺跡地 に運び こ
*
まれた後 に
,重
に入 った 漆液 は,広
口の容器であ る土師器の甕や須恵器 の 壷・ 甕 に移 し替 え られたもの と推定 され る。興味 単 深 い ことに
,運
搬容器 として使われた須恵器壷類 は
,二,三
を除 き,他
は すべて破片 とな って出土した。漆 は これ らの破片 * の 内面だけでな く
,割
れ口の断面 に も付着 してい る場合が少 な くない。 ま た
,内
面 の漆膜 に同 じ土 器 の破片が固着 してい る *1)
例 もみ うけ られ る。 さ ら に
,壷
類 の肩部付近 の割 れ 口断面の外表面縁辺 に,打撃 が加 え られ た ことを 示 す打瘤痕跡の残 るもの キ
もあ る。以上 の よ うな状
1)藤
原京左京八条二坊に所在する「 紀寺」跡の発 掘調査で, 7世紀後半代の寺院造営に関わる多 く の遺物が投棄 された土坑群がみつか っている。そ の うちの一つの上坑から,大
量の漆容器の董が出 上 している。 これには須恵器平瓶 。長頸董・短顕重・横瓶な ど多 くの器種が含 まれるが
,壷
類には いずれも,口
縁お よび体部上半で打 ち割 って,中
の漆をかき出した痕跡が明瞭に残 っている(奈良 国立文化財研究所『飛鳥・藤原官発掘調査概報18』 1988, p. 39, う828・ 29優4)。
0 5c r II B II II H H 劇 II II H 引 趾
⑬ 5
川耐 雌 國 ワ
H
況 か らみ る と
,壷 Pや
壷Xは ,中
に いれてある漆が 完全 に固化 して いない時点で打 ち割 られ た と判断 さ れ る。それは,お
そ らく日の狭 い重か ら,広
日の甕 な どの大 きな容器 に漆液 を いれ替 えた ときに,董
の中に残 ってい る漆液 を取 りだすために
,容
器 を打 ち 割 って,内
壁面 に付着 していた液をか き取 った ものと思われ る。
Fig.42に
示 した のは,須 恵器盤Aに
漆 が分厚 く付 着 した もの。 口縁 都 の断片が数片残 るだ1/jで,器
の口径
,深
さともに復原 しがたいが,口
径 は50cm前
後 にな る もの と推定 され る。漆 は主 として 口縁部 内
Fig.42漆
容器に使用された須恵器盤A(1:2)
面 と口縁 端部 に固着 してい る。厚 い部分 では12 mmを
はか り,数
十 層の層をな している。 日 縁部外面 では,端
部下2cmま
で しか付着せず,
しか も薄 い。 この須恵器盤Aは ,お
そ らく漆 を溜 めてお く器 として使われていた もので,漆
液 の出 し入れを幾度 とな く繰 り返 したために, 薄 い膜 が層状 に積 み重 な り,厚
く固着 したのであろ う。2 漆容器の栓 CL.34夕
Fig。 41・ 43)漆 の塊 の中には
,漆
を いれ た容器の 口の栓 であ った と考 え られ るものがあ り,16個
体分 が遺 存 していた。 そ の うちの7点
は,1〜
3,5・ 6の よ うな形状を とる もので,横
断面 は円形 を して い る。 内部には漆で固まった藁 の繊維が詰 ま り,表
面 に織 り目の粗 い布 の痕跡 が残 る。経 糸, 緯 糸 ともlcmあ
た り4〜 5本
の密度である。大 きさや形状 か らす ると,多
量 に出上 してい る 漆 容器 として使 われた須恵器重K,壷 L,壷 Pの
栓 として使 用 されて いた ものであ ろ う(Fig 41・43)。 東ね た藁 を粗布 で覆 って栓 としていた ものに,容 器の漆 が浸透 して固 まった もの と考 え られ る。藁束 を布 で覆 う場 合 に
,2〜 3mmの
厚 さに くるむ もの(劾や,厚
さ 5〜10 mmと ,か
な り分厚 く布 を巻 きつけた と考 え られ る もの(1)もあ る。 また先端部分
3cmだ
け の破片傷)では,中に藁 の形跡 はな く
,布
を 丸 くくるんで,そ
の表面 を 一枚 の粗布で覆 って消 り,その他に
,布
塊 を紙 で2〜
3重
に くるんで栓 とした も の もみ られ る。栓 と思わ れ る漆塊 には, そのほか
,分
厚 く折 りたた んだ粗布 を捩 っただけの も のが9点
出土 した(PL.34‑1・ 4・ 7)。 この表面 にみ ら れ る布 目の痕跡は
,織
り目か な り細 か く
, lcmあ
たFig.43
漆栓の装着復原図 (1:4)79
り
,経
糸が約24本,緯
糸が約14本の密度である。直径 1.2〜2.4cm程
度の棒状品であ り,か
な リロの狭い容器の栓 として使われていたことがわかる。上師器や須恵器の漆容器にはこれに 該当す る器種はない。
3
漆 膜(PL.35)
漆の膜には
,紙
が漆で固まったもの,布
が固まった もの,漆
だけが固まったものの3種
があ る。漆紙は,薄
くて平滑なものと,無
秩序に折 りたたまれて複雑なひだ状に固まったもの とが ある (2〜4)。 いずれ も容器にいれた漆の表面を覆 うために使われたものと考えられる。布が固まった漆膜 も
,漆
紙 と同 じように,表
面にいち じるしい級が生 じたもの と,比
較的平 たい膜 とがある。 また布は漆栓に使用されていたものと同様の粗い織 り日の素地で,布
目の痕 跡が膜の両面に残 る場合 と片面だけにみ られ るものがある。 この漆布膜 も,容
器にいれた漆の 表面に被せた布が漆で固化 したものであろ う。漆膜には
,そ
のほかに土器の内面の曲面を とどめたものが多 くある。 これは埋没中に漆容器 の上器か ら剣離 したもので,土
器に接す る面は当然なが ら平滑であるが,お
もて面は平滑な場 合 と,漆
が厚 く固って複雑な形に隆起 しているものもある。4 /」ヽ
結
以上の ように
,SK 2001に
は,漆
の運搬 と貯蔵にかかわ る多様な遺物が投棄 されていた。な かで も,漆
液の運搬に使用 された狭 日の壷類が打ち割 られた状態で出上 したことは,
この土坑 に近接 した場所に,漆
工の作業場があった ことを示唆する。ただ し,漆
容器だけであるので,もっと限定 して
,す
くな くとも,漆
液を精製 し,あ
るいは調合す る作業を行 う工房があった と 言 うべ きかもしれない。これ までの平城官・京の発掘を通 じて得 られた
,漆
工のェ房の存在を,
より直接的に示す遺 物 としては,数
箇所で出土 した漆塗布用の刷毛がある。 これは木製の小 さな柄の先に毛を植え 付けた もので,漆
が付着 している。出土 した場所は,平
城宮内の3箇
所 と,平
城京では,左
京 一条三坊十五坪の南北溝SD 485(8世
紀前半),
左京八条三坊十坪の 北の東西小路の 南側溝SD m55,右
京五条二坊の唐招提寺下層の東西溝(3世
紀前半)な
どである。いずれ も溝の中 に埋 っていた ものであ り
,漆
工の工房そのものの遺構は確認 されていない。今回報告す る地域か らは
,
この種の漆刷毛は出土 していないが,十
四坪に東接す る右京八条 一坊十一坪で,か
つて調査 された井戸SE 930か
ら,刷
毛置 きを しつ らえた漆容器の円形曲物 がみつかってぃる(Fig.3)。 またSK2001の
す ぐ西で検出した井戸SE2020か
ら出上 した円形 曲物 も漆容器 として使用 された ものである (PL.46‑35)。こうした遺物 も
,近
辺に漆工の工房が存在 していた ことの証左の一つにあげることができる だろ う。1)奈
良国立文化財研究所『 平城宮報告Ⅵ』1975,p.80,PL.85。
2)奈
良国立文化財研究所『 平城京左京八条三坊発 掘調査概報―東市周辺東北地 域 の調査』1976,p43。∂θ
3)奈
良県教育委員会『 国宝唐招提寺講堂等二棟修 理工事報告書』1972,挿 図第29図。4)奈
良国立文化財研究所『平城京右京八条一坊十 一坪発掘調査報告書』1984,ig.29。2 金 属製 品・ ガ ラス製 品・ 石製 品
A 金属製 品 (PL.32・
33)銅鋳
(PL.32‑3〜 6)朝
服 の腰帯 を飾 る鋒 帯金具が4点
出上 した 。ヽヽずれ も巡方 であ る。
3は
横
4.13cm,縦 3.81 cmの
表金具。表面 の黒漆 が良好 に残 る。下 辺 に沿 って長 さ2.96cm,幅 0.3cmの
透 しが あ く。高 さ0.9cmの
甲高 につ くり,上
面 で横3.86cm,縦 3.54cmの
面 をつ くる。 内面 は鋳放 し状態 の粗面 を呈 し,四
隅 に長 さ9mm,径 1.5mmの
鋲足 を鋳 出すが,
う ち2足
を折損す る。 完存す る鋲足 の先端 は九 くつぶれ,折
損 した2鋲
の根元には,径 0.2cm
の円孔 を
,ひ
とつ は深 さ0.5cm,ひ
とつ は浅 いあた り程度に穿 ち,補
修 を試 み て い る。黒漆 は 側面 か ら上面 に塗 り,透
し孔 の部分 では端面 か ら一部 内面 に及 ぶ。本品は従来知 られてい る巡 方 の うち,最
大 クラスの もので,平
城宮 内裏東方 官衝 出上 の 4.23×3.90cmに
次 ぐ。SE 1550 第4層
か ら出上 した。4は
横3.25cm,縦 3.1lcmの
表金 具 で,腐
欲 が進 み,外
縁 が痩 せ,表
面 が剣落す る。厚 さ0.12cm前
後 で,高
さ0.5cmの
甲高に作 るが,土
圧 に よ りわず かに変形す る。透孔 は 2.1lcm×0.68cmで ,
孔 の周縁 は,外
面 が斜 めに面 取 り,
内面 は縁 にそ って一段 盛 り上 が る。 内面 には斜 めに範傷 が残 る。 四隅に鋲足 が遺存す る。SK 2001か
ら出土 した。5 は厚 さ0.1lcmの
裏金 具 で,腐
蝕 に よ り周縁 を大 き く欠 失 し,透
し孔 の一部に旧状 を とどめ る。SK2001か
ら4の
表 金具 とともに 出土 した。4と
組 み合 う可能 性 が高 い。6は
厚 さ0。lc血前 後 の裏 金具 で,横 2.66 cm,縦
2.00 cm。 下半に横1,72cm,縦
0.8c血前後 の方形透 し穴があ く。下辺 に のみ面 取 りをす る。孔 は径 0。
15cm前
後 。SE 1305最
下層か ら出土 した。方形飾金具
(PL.32‑7)金
銅 製の方形板状の飾金兵。 タガネで上下を裁断 された細片で,鋼材 として回収 された ものか。遺存す るのは飾金具の下半部 で,方
形 の透 し穴を もち,表
面 に毛彫 り文様 が あ る。文様 は,外
縁 と透 し孔 に沿 って界線 をめ ぐらせ,短
辺側 では平行線 の間を直交 す る刻 み で あ る。周縁 部 は表裏面 か らの鑢 がけに よ り尖 る。 四隅 には裏金具を 固定 す るための 鋲孔 を穿 つ。鍍 金 は表 に のみ行 な う。厚 さ0.07 cm,横
3.2cm。 馬具 の飾金具 で あ ろ う。方形 飾 金具 の出土 は平 城京 で初例 で あ るが,セ
ッ トとな る毛彫 り文 様 を もつ飾鋲 が左 京九条 三坊 の1)
東堀河 か ら出土 してい る。井 戸
SE 1867か
ら出土 した。銅鍋
(PL.32‑3)大
刀の錮 とみ られ る破片。銹化が進み,遺
存 状 態 は悪 い。厚 0。15cm前
後 。は ば き
現存横 幅
2.75cm,現
存縦 幅2.4cmo SK 1908出
上。円環状銅製品
(PL,32‑9)外
径2.5cm,
内径1.5cmの
円環状鋼 製品。断面 は高 さ0.3cmの
山形 を呈 し
,下
面 は平 坦面 を なす。三孔 が穿 れ小 円頭 の銅 細鋲 が遺存す るが,す
べ て根元か ら 切損。鋲 は頭部 を叩いてか しめた後,鑢
がけに よって周 囲 と同一面 に山形に整 える。座金の一 種 か。SD1495出
土。銅人形
(PL.32‑11)銅
の薄板 を人形状 に裁 った もの。SE 1555下
層 の砂層か ら出土。鋼 材 を 叩いて幅 0。7cm前
後,厚
0,02〜0.05cmの
短冊形 の薄板 に展 延 し,上
部 の両側 面 を「 く」の字 に切 って顕部 を,下
端 をV字
状 に切 って足 を表現す る。上部 は用縁 の腐蝕 が進 み,頸
部 の切込1)奈
良国立文化財研究所『 平城京東堀河―左京九条三坊 の発掘調査』1983,ag.23。ど′
み部で折損する。 現存長 6.5cm。
銅人形はこれまでに
,
平城宮内の基幹水路や宮東南隅の外 濠か ら約30点が出上 してお り,京
内か らの出土は,左
京一条三坊SD 650に
次で2例
目である。1)
平 城官 出土 品に比べ
,や
や小型 で,胴
部 と脚部 を分 け る切込みを省略 した点 に差 がある。金銅讐 (PL。
32‑12)長
さ10。9cmの
銅 製答 であ る。頭部は径0.9cm,厚
0。lcmの
円形 で,周
縁 に 向か って尖 り気味 に厚 さを減 じる。脚 は断面 が丸 く,元
で径が0.25cm,先
端 に 向か って公 々に細 くな り,先
端近 くで径0.lcmと
な る。頭部 と脚部 の境 に径0.2cm,長
さ0.2cmの
くび れ部 を もつ。蛍光X線
分 析 の結 果,頭
部表面 に鍍 金 の痕跡 を検 出 した。SE1917か
ら出土 した。銅鈴
(PL.32‑13,14)球
形 の鈴が2点
出土 した 。13は周長6.3cm, 2寸 1分
の銅鈴で,井
戸SE 1867か
ら出土 した。遺存状態 が悪 く,接
合部 が腐 蝕 し,上
・ 下 に分離 して出土 した。表面 に塗 られた黒漆 がわずかに残 る。下半部 を大 きめにつ くり
,上
半部 に重 ね て接 合 した もの であろ う。 球頂部 も腐蝕 し,
錘 を欠失す る。 下半部 内面 には タガネに よって切断 された鉄片 (0.5×0.4cm,厚 0.25 cm)が
銹 着 す る。14は 周長6.9cm, 2寸 3分
の銅 鈴下半部 で,下
面 に 一文字 の切 口があ く。井 戸SE 1315か
ら出土 した。海獣葡萄鏡
(PL.3218)井
戸SE 1305の
底 か ら出土 した もの。5.0×4.7cm大
の破片であ る が,鏡
面 の径 が12.6cmの
中型鏡 に復原で きる。保存状態は良 く,銀
色 の光沢 を とどめ る。全 体 に鋳上 りが良 く,鏡
背 文様 も鮮 刀であ るが,文
様細 部 の鋳 出 しには一部甘 さがみ られ る。鏡 面 は平坦 で,外
縁 付近 でわず かに反 りを もつ。鏡背文様 は,連
珠文 を配 した突界圏に よって 内 区 と外区を分 け,外
縁 部 の 内傾面 には雲花文帯をめ ぐらす。外区文様 は葡萄 唐 草文 を下地に,そ の上 に両翼 を広げて飛 ぶ
aを
連続 して配す。鳥 は俯視形 で表現 し,嘴
鋭 く流麗 で燕 の姿 に似 る。下地 の葡萄唐草 は,葡
萄 の実 と, 4箇
所 に切 り込みのあ る葉 の正方形 を交互 に配 し,そ
の間に風にそ よぐ葉 の側面形
,螺
旋 状 に巻 いた蔓 の先端 な どを充填す る。 内区文様 は,突
界圏寄 りに葡萄唐草文が展開す る。俊況 ≧み られ る獣 を主文様 にお くが,右
前肢 を残 す のみで,全
体 の構成 は不 明。背面径12,4cm,内
区径7.Ocm,縁
厚1.27cm,突
界 圏厚0,7 1cm,最
薄部厚 0.13cm。本鏡 の同籠・ 同型鏡 は今 の ところない。様式的 には奈 良県高松塚 出土鏡 に近 いが
,鏡
径 に差 2) 3)があ る。大 きさや文様構成 は
,愛
知 県西幡豆や福 岡県真名子 出土鏡 に似 る。 製作年代 は,面
径 の縮小化 と外区銘文帯 の消失,連
珠文 に よる界圏,鳥
の俯祝形表現 な どの特徴 か ら,盛
唐初期 の7世
紀末 ない しは8世
紀初頭 に位 置づけ られ よ う。銅儀鏡 (PL。
3219)SD1495下
層 出上 の鋼 製素文小鏡 であ る。腐蝕が進 み,周
縁 と鉦 の上半を 欠失す る。鏡縁 をつ くらない薄 い平板状 の素文小鏡Aで ,鋳
造後 に館 が け に よ り面形を整 えた もので,隣
接す る右京 八条一坊十一 坪 の西一坊坊 間路西側溝 か ら,類
品が2点
出上 して いる。鏡面 はわず かに凸面 を呈 し
,面
中央部 で厚 さ0.12cm,鉦
は鋳造後 の鑢 がけ で薄 い板状 に整 え られ,径 0.2cmほ
どの鉦孔 を穿 つ。現存径 2.84× 2.密cm,現
高 0.32 cmであ る。右京八条1)奈
良国立文化財研究所『年報1984』 p.63。2)奈
良県立橿原考古学研究所『壁画古墳高松塚』1972。 高松塚 出土鏡は鏡面径
16.8cmで
ある。3)中
野政樹「奈良時代における出上・伝世唐式鏡 の基礎資料および同範鏡の分布 とその鋳造技術」∂
『東京国立博物館紀要3』 1973。
4)秋
山進年「海獣葡萄鏡 と走獣葡萄鏡」『 富山大 学人支学部紀要7』 1982。5)奈
良目立文化財研究所『平城京右京八条一坊十 一坪発掘調査報告書』1984,ig。 33。一坊十一坪
SD920出
上 の素文小鏡Aは , 2点
ともに面径が1寸 1分
の規格 品であ るが,本
鏡 も面径1寸 1分 ,
もし くは一 回 り小型 の1寸
鏡 に復 原で き よ う。他 に,東
三坊大路東側溝SD
l) 2)
650や ,三
重県斎宮跡出土品に も類例をみ るが,本
鏡 よりも一回 り大 きい, 1寸 3分 , 1寸
4 分鏡である。銅不明製品
(PL.3215。
16・17)15は
叩 き潰 された銅製品で,軸
頭状金具 または鈴の未製品 か。厚 さ0.02 cmあ
り変形が著 しい。 鋼材 としての回収品か。SE 1530か
ら出上 した。 16は 幅1.7cm,厚
さ0.05 cm,現
長1.6cmの
銅板片である。 上下を裁ち切 った帯状製品の一部 で,一
端には切断痕が,
他端にはネ ジ切 った痕跡がある。SE 1315掘
形か ら出土 した。17は
幅1.3cm,厚
さ0,08 cmの
帯状金具である。 周縁は鑢がけで角を落 とす。3.Ocm離
れて,径
0.4cmの
孔が2箇
あ く。一端は孔の部分でネジ切 るが,他
端は直線に切 った当初の姿を留め る。工具の 口金か。「 の」字状に丸ま り,現
長3.6cmあ
る。SE 1530底
面直上から出土 した。鎌 (PL。
33‑20)全
長20.9cm,刃
渡 り18cm前
後の完形の鎌である。基部か ら先端に向かっ て徐々に身幅を狭めた細身の鎌で,棟
厚 は 0.2〜0.3cmと
薄い。先端近 くで強 く内湾 し,基
端部には着柄のための折 り返 しをもつ。刃元幅は
3.Ocmあ
る。QB67区
灰褐土か ら出土 した。刀子 (PL。
33‑21)刃
部 と茎を大 きく切損 した刀子で,現
長4.6cm,刃
元の身幅1.2cm,棟
厚0.27cmで
ある。 棟関 と刃関を明瞭につ くり出 した平造 り角棟の一般的な刀子である。茎は厚さ
0,21cmで
背方 向に反 りを もつ。SE 1550か
ら出土 した。錐
(PL.33‑22)現
長6.lcmの
鉄製の錐である。 断面は中央の最大部で0.48×0.42cmの
方 形をなし,両
端に向かって尖 るが,
ともに先端を折損す る。身 と茎の銹化に差があ り,木
柄ヘ の挿入長 (約3.Ocm)が
わかる。茎 は断面がやや痛平である。PC 57区
灰褐土か ら出上 した。鉄斧
(PL.33‑23)鍛
造の無肩式袋状鉄斧である。全長9.6cm,刃
幅4,4cmと
細身である。袋部に木柄の斧台の先端部がを残す。袋部 は厚 さ
0.3cm前
後の鉄板を折 り曲げて,内
寸2.7×1.2cmの
中空につ くり,袋
部は全長の 1/3を 占める。X線
写真に よって,斧
台の形状は,基
部 幅3.Ocm,高
さ1.3cmの
断面蒲鉾形で,着
装部を一段薄 く削 って鉄斧を装着 していることが わかる。着装部の基部は,幅 2.7cm,厚
さ1.lcmで ,先
端に向かって厚 さと幅を減 じ,先
端をElkA状におさめる。柚の長 さ3.3cm。 斧台の形状か ら
,横
斧である う。SE1305か
ら出土 した。鉄鏃 (PL.33‑26・
27)2点
出土 した。26は比較的小型の斧矢式鉄鏃 で,刃
部を欠損 し,現
長10.6cm,茎
長6.6cm,身
部現存最大幅1.80cmで
ある。茎の表面の銹化面に,竹
とみ られ る 緻密な繊維痕が付着す る。 茎元には,
糸巻の痕跡があ り黒漆が遺存す る。 糸巻の幅は0,7cm
である。矢柄への装着状況がわか る貴重 な資料である。SE 2070か
ら出土 した。27は大型の鉄 鏃 の身部破片で,身
の周辺お よび茎を欠失す る。鏑のない両九造で,逆
刺の基部が残 る。正倉 院に伝世す る広根式鉄鏃に類似す るか。現存長4.8cm,最
大幅2.7cmで
ある。茎は基部で幅0.77cm,厚
さ0。4cmの
断面方形である。SE1555下
層から出土 した。棒状不明品
(PL.33‑28)現
長13.9cmの
鉄製品で,角
棒の角を丸め,断
面は隅九方形である。両端を折損 し
,一
端で方0.6cm,中
央で方0.5cm,他
端が0.7×0.6cmと ,中
央部が若千細 ま1)奈
良国立文化財研究所『 平城宮報告Ⅵ 』1975,p.105, PL.103。
2)三
重県斎官跡調査事務所『三重県斎宮跡調査事 務所年報1983』 1984,p.44。る。断面形 か らみて
,鏃
や工 具 の茎 とは考 えがたい。 現状 でわず かに湾 曲す る。SE 1315出土。鉄釘 (PL.33‑29〜
36)11点
出土。銹 化 が進 む が,10点
は頭部 の形状 がわか る。 方頭釘4点
,円頭釘
1点 ,折
頭釘5点
が あ る。29・ 30は 井戸SE 1555出
土 品で,
ともに脚部 の先端 を欠失す るが,寸
法・ 形 状 が近似 し,同
一規格 に よる方頭釘 とみ られ る。方1.6cm,厚
さ0.5cmの
頭部 に
,0,6cm角
の脚 がつ く。30の 脚 は頭部 の一方 に偏在す る。 現存長 は12.lcmと 12.4cm
で,本
来 は4寸
半 規格 の釘 か。31はQM 67区
灰褐土か ら出土 した もの で,方 1,7cmの
方形 の頭部 か ら0.9cm角
の脚 がのび るが,脚
を大 き く折損す る。32はSE 1555出
土 の 円頭釘 で,径
2.3cmの
円形 笠形 の頭部 の心 をず れ て, 0.4cm角
の細身 の脚 がつ く。 現長 5.Ocm。 折頭 釘 は脚の上端 を叩 きのば し,ほ
ぼ直角 に曲げて釘頭 とした もの。脚 の断面形が長方形 の33・ 34 と正方形 の35・ 36が あ る。33はPC 63区
灰褐土か ら出上 した。頭部 の痛平 な形状か ら,中
世 の 折 頭釘 であ ろ う。復 原長 11.9cm。 34は現長5.9cmの
小 型 品 で,
くび れ部 か ら先 を欠 く。井 戸SE 1530底
か ら出上 した。35は
幅1.Ocm,長
さ1.5cmの
大 きめ の頭部 を もち,現
長 3.7cmあ
る。SE 1555灰
色粘土層か ら出上 した。36は
折 り曲げた頭部 を欠 き,現
長13.Ocm,井
戸
SE 1555か
ら出上 した。B ガ ラス製 品 (PL.32,Tab.6)
ガ ラス小玉 (PL。 32‑39〜
42)ガ
ラス製 の 小玉が十四坪 の井戸SE 1555の
下 層砂 と井戸SE 1560の
埋 土 か ら各2点
出土 した。他 に土器埋納遺構SX 1400か
ら12点 が 出上 してい る。 いず れ も鉛 ガラスで,銀
化 が進 み 白色 に変 質 して痩 せ る。右京 八条 の西一 坊 坊 間大路西側 溝SD 9201)
出上 の ガ ラス小 玉 に近似 し
,本
来 は濃 緑 色を基調 とした ガ ラス玉 であ ろ う。遺 構 直径
(cm)
高 さ (cm) 孔径 (cm) PL. 32‑3940 41 42
0.77×0.73 0.64×0.62 0.58×0.56 0.60×0.55
0。37 0.36 0.22
0。34
0.33
0。30
0。37
0。22
Tab.6
ガラス小玉法量表ガ ラス増蝸 (PL。32‑37・
38)ガ
ラスを溶解 した姑渦 の小片が2点
あ り,そ
れ ぞれ別 個体 であ2)
る。右京二条二坊十六坪の井戸
SE 0540出
上の完形の対覇に近似す る。37は 2.7×3.5cm大
の 口縁部破片で
,厚
さ1.lcm,日
縁端部を外傾面につ くる。外面に暗赤色,口 唇部か ら内面に かけて濃緑色の釉がかかる。胎上に長石・石英の小粒を多量に含み,堅
く焼 きしまる。表面に 通有の敲 き目はない。SD 1499上
層から出土 した。38は厚 さ1.Ocmの
体部か ら厚さ1.7cmの
底部にかけての破片で,表
面 には格子の敲 き日を密に施す。内面 は平滑で,全
体に淡緑色の釉 がかか り,厚
い白色の釉が流下す る。37に比べ大泣の石英・長石粒を密に合む。SD1495上
層3)
のか ら出土 した。 ガ ラス対渦 は,こ の他 に
,平
城京東市近 くの東堀 河,平
城京 左京 三条二坊 七坪,1)p.82註 5)前
掲書,ig,33。3)p.80註 2)前
掲書,p.43。2)奈
良国立文化財冴究所『 平城京右京二条二坊+ 4)奈
良国立文化財研究所『昭和57年度平城概報』六坪発掘調査概報』1982,■g.24。
1983。
∂7
1)
平城京左京八条一坊三坪の池
SG 3500か
らも出土 している。すべて砲弾形の器形で,内
面 に緑 色の釉がかかる。 これ らは分析の結果,銅
で着色 した鉛 ガラス溶解用の対蝸 と判明している。C石 製 品 tPL.32)
石錆 (PL.32‑43・
44)2点
出土 した。 43は 黒色粘板岩製の完形の九輛である。 表面および側 面は平滑に磨かれ るが光沢はない。裏面は, 2方
向の顕著な擦痕が残 る粗い仕上げで,裏
面周 縁は角を落 とし,わ
ずかな傾斜面 をつ くる。最大幅は横4.23cm,縦 2.55cm,弦
長3,4cm,厚
さ0.6cm前
後である。潜 り穴は3箇
所に縦方 向に配置 される。SK 2108か
ら出上 した。44は 両端が大 きく打ち欠かれ,上
辺 と下辺の一部を残す小片で,破
面には放射状に穿 った潜 り穴が2個
認め られ,そ
の配置か ら巡方 とみ られ る。表面の平坦面お よび傾斜面は,丁
寧に磨かれて ガラス質の光沢をもつ。潜 り穴は径0.2cm,深
さ0.3cmの
子しを対 に穿ち,先
端部を連結 させ た もの。石質は出雲地方産出の緑色溶結凝灰岩(碧玉)で ,濃
緑色地に緑褐色の縞模様を もつ。和名抄にい う出雲石にあたるものか。縦
3.28cm,厚
さ0,75cmo SK 1373か
ら出土 した。軽石
(PL.29‑23)SK2006下
層出土の軽石である。一端を欠損す るが,よ く磨滅 し,現
長4.3cm,
幅4.6cmの
隅丸方形を呈す る。 最大厚2.4cm,
現重量19.9gで
ある。 軽石は他にSK 1886と
包含層か らも小片が出土 してお り,い
ずれも磨滅 した平坦面を もつ。紡輪
(PL.30‑24)細
粒の片床状黒雲母花蘭岩を 径 4.7〜5.Ocm,
高 さ3.4cmの
半球状に整 形 した もの。頂部中央に径0.6cm,深
さ0.45cmの
浅い円錐形の子とを もつ。側面には対称位 置にわずかな平坦面が残 る。形状か ら紡輪 の未製品 とみ られ,敲
打に よってあ らか じめ概形を 整 えた後に,研
磨整形す る工程がわかる。重量120.3gあ
り,SD 1495か
ら出土 した。本例の ように側面の対称位置に平坦面を残す石製紡輸は,左
京九条三坊の東堀河に も出土例がある。琥珀
SK 2036か
ら赤褐色の琥珀 の小塊が出上 した。十数片に細片化 し,原
形は不明である。風化 した貝殻状破面や原石面を とどめてお り
,製
品の原材 とみ られ る。総重量2.2gあ
る。水晶
SE 1560埋
土か ら無色透 男な水晶の小片が出上 した。1)奈
良目立文化財研究所『 平 城 京 左 京 八 条一坊 三・ 六坪発掘調査報告書』1985,五g,45。2)奈
良国立文化財研究所『 平城京東堀河―左京九 条三坊の発掘調査』1983,こg。 21。ま る と も
じゅんぽ う