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E. Welty と The Natchez Trace A Story of The Natchez Trace : E. Welty and the South

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(1)

I

アメリカ人は、夢を抱いて新天地に移り住んできた移民の子孫であることを誇りとして国を 築いてきたが、今日、アメリカ第一主義を唱え、移民の流入を阻もうとするトランプ大統領の 出現によって、その姿は少しずつ変わってきているようにも思える。しかし、ヨーロッパから 海を渡りアメリカの大地に足を踏み入れてから、人々は夢を求めて、自国の拡大と共に新天地 を探して移動し開拓を行った。徒歩、幌馬車、鉄道、自動車とその手段を変えながらも、アメ リカ人は現状に常に疑問を持ち、その不利益や不平等に矛盾を抱き、過去はすべて現在の改革 の為に存在したかのように行動してきたと言っても過言ではない。マニフェストデスティニー の旗印のもと、西部開拓へと道をすすめたアメリカは、西へと広がり、国土を拡張していった。

夢の道はすなわち自由の追求であった。 “the sense or pursuit of an unanchored self who refused‘a fixed place’”

1)

という人々の想いが、アメリカの国民性と文化を作り上げたとも いえる。海路を進みアメリカ大陸にたどり着いた先祖の意志は、未開の土地にむかって道を作 り広げていく子孫へと受け継がれていく。「道」を作りたどっていくことは、 “the route to finding oneself” であり、同時に “national identity”

2)

ともなっていた。アメリカ全土に巡ら された「道」は、人々の自由の実現という夢を乗せて広がっていった。そして同時に道がたど り着いたところで、アメリカは世界でその活躍の場を広げていったのである。

20世紀に入り、第一次大戦前後の好景気により、アメリカは世界の強国として君臨しその力 を行使しはじめた。そして、大恐慌時代に突入する。先の見えないこの社会状況の中、人々の 生活は疲弊していった。さらに干ばつ・砂嵐の被害により住み慣れた土地を捨てなくてはなら なくなった。こうした人々の姿を、John Steinbeck は The Grapes of Wrath (1939)で描い ている。ルート66を一家で進んでいくジョード一家は、新天地を求めて西へと進んでいくアメ リカ移民の姿と同じである。Steinbeck は、 『チャーリーとの旅』において、 「人間が旅をする のではなく、旅が人間を連れ出すのだと悟る」

3)

と語っているが、オンボロ車でルート66を進

痕跡と境界の物語:

E. Welty と The Natchez Trace

A Story of The Natchez Trace : E. Welty and the South

太 田 直 子

OHTA Naoko

(2)

む人々の姿は、時代を経て Jack Kerouac の On the Road (1957)へとつながっていくので ある。

人々の道を行き交う姿は、時代背景と社会思想と共に物語を形成していった。 “ On the Road has often been heralded as the first American road novel,”

4)

といわれるように、Kerouac によってアメリカの Road Narrative が確立されたのである。

Road Narrative は, 「移動・定住・探求」というテーマを持っていると言われている。

5)

On the Road の主人公 Sal Paradise は、 洗練されて完全で退屈な知性的臭みが少しもない

“intellectualness”

6)

を備え、すねたところや嘲弄的なところがなく、アメリカ人の喜びを頭か ら肯定して熱狂的に爆発させるような “criminality” ( On the Road ,7)をもつ Dean を追いか け て 旅 に 出 た。サ ル に と っ て デ ィ ー ン は、 “Western, the west wind, an ode from the Plains, something new, long a-coming” ( On the Road ,7-8)であり、Sal は、

I was just somebody else, some stranger, and my whole life was a haunted life, the life of a ghost. I was halfway across America, at the dividing line between the East of my youth and the West of my future, and maybe that’s why it happened right there and then, that strange red afternoon.( On the Road ,15)

と、束縛から自由への道を、そして探求の道をたどろうとする胸中を語る。何かを求めて路上 に立つ若者達は、物語が進むにつれて、東部と西部を結ぶ道は単なる道でなく、また東部・西 部という対照的な場所を二者選択させる力を有しているわけでもないことを知る。道は物理的 に存在しながら、その上を行き来する人々の葛藤、模索、自己確立と自己探しの旅を継続させ る道標となっているが、結局、Dean の言葉“We know America, we’ re at home, I can go anywhere in America and get what I want because it’s the same in every corner, I know the people, I know what they do.” ( On the Road ,121)のように、自己と他 者、

東部と西部、過去と現在と相対するものはすべて境界をなくしていることに彼らは気がつく。

旅 の 終 わ り に Sal は、“nobody knows what’s going to happen to anybody besides the forlorn rags of growing old.”( On the Road ,307)と締めくくっている。

Kerouac が確立したと言われる road novel、つまり Road Narrative を C. Capewell は次の ように定義している。

Road narratives tell a personal story through physical moment.

There is a definitive beginning and ending to both the physical and

emotional journey, and the parallel of the physical and personal journeys

is the compelling drive behind the story.

7)

(3)

「道」は“realm of possibility and promise”

8)

であり、移動することで創作された物語は、20 世紀以降に世界に認められるようになったアメリカ文学の題材の一つとなっていった。そし て、 「道」は“escape”“freedom”そして“discovery”

9)

を約束してくれる。文明の進歩に従 って、アメリカ人は国内を移動していった。東西南北、アメリカ全土に広がり、様々な背景を 持った人々が融合して独特の文化を構築していった。

アメリカを南北に流れる Mississippi 川は、人を運び、物資を運び、そして相対する北と南 を結びつけていった。Mark Twain は自然とともに流れる川に主人公を置くことで、アメリ カの原点を見つめ直した。人々が往来する「道」や「川」は、アメリカ社会の拡大とともに欠 く事のできないものになり、その存在がアメリカを作りあげたともいえる。 「道」は切り広げ られ人々の往来と共に整備され、位置付けられ文化と文化をつないできた。何もその上に備え 付けられていない「道」は、つまり空間“spatial character”

10)

である。その「道」がアメリ カに何をもたらし、そしてアメリカ文学の中でどのように表現されてきたのかは興味深いテー マである。

road, street, pathway, trace など、 「道」を表す単語は多いが、小論では、アメリカ南部 において重要な役割を担ってきた「道」の原点でもある“Trace”に注目し、その空間に込め られた意味を Eudora Welty の作品を通して考察する。

II

Mississippi 州 の Natchez か ら Tennessee 州 の Nashville ま で444マ イ ル 続 く The Natchez Trace Parkway は、1939年に国立公園として整備された。Mississippi 州の Tupelo や Jackson を通り、Alabama 州の Florence 近くの北西 部 を通 って Nashville ま で続 くこ の道 は、“Old Natchez Trace” を整備したものである。

8,000年ほど前からバッファローや鹿が通った獣道は、その地に住む Native American の Chickasaw 族や Choctaw 族に利用されて、狩猟や商品取引のための道となり、さらに種族間 の戦いのために利用された。Hernando De Soto は Native American の案内でこの道を通り、

アメリカ南部を探検し西に進み、Mississippi 川を発見したと言われている。 “This avoided excessive hill climbing and the danger of getting trapped in a low-lying valley.”

11)

と、丘を回避し、沼地を避けてできた獣道を Native American が往来し、そして商人、猟師、

宣教師、西部開拓者たちが危険を回避しながら踏みしめ、そして道となっていった。独立戦争

と 国 土 拡 大 の た め に 派 遣 さ れ た 軍 隊 は こ の 道 を 知 り、1801年 に General Wilkinson は

Chickasaw 族から彼らの土地に道路を建設することを認められた。こうして Tennessee 州から

Natchez までの道が完成した。そして、建国後、1803年、フランスから Louisiana Territory

が購入された頃に、恒久的な「道」 “Trace” として人々に使われるようになった。

(4)

18世紀後半から19世紀にかけて、この道は、 “Kaintucks”に利用されている。“Kaintucks”

とは、flatboat を建造して Pennsylvania, Ohio そして Kentucky から川を使って物資を運び 商売をした人々のことである。Ohio 川から Mississippi 川へと物資を運ぶことによって、彼ら は、北から南へとその勢力範囲を広げていった。流れの激しい川を舟で下っていき、帰りは舟 を売ってそこから北へ徒歩で帰って行く。当時の技術では川を遡っていくことはできず、また 費用もかさむことから、帰路は Trace を引き返すのである。

取引を終え、金を手にいれた人々が Trace を歩いて帰っていくのであるから、盗賊が出没し 略 奪 が おこる の も 道 理 で あ る。丘 や 沼 地 を 回 避 し て で き た 道 は 曲 が り く ね り、 “Worn, compacted and sunk deep into the soft Mississippi loess soil, some sections of the bank on each side of the roadbed are higher than a man’ s head.”

2)

と、窪 ん だ 地 に 通 る道の両側には、南部特有の木々や spanish moss が生い茂り、鬱蒼とした道はまさしく “land pirate” が 出 没 す る 場 所 に な っ た。そ し て John Murrell, Sam Mason, Joseph Thomas Hare, The Harpe Brothers と 悪名 を 褪 せ た 盗 賊 が 出 没 す る 最 も 危 険 な 道、 “the Devil’ s Backbone” と呼ばれるようになった。

危険な道ではあるが、通らなければ財を成すことはできない。500マイルにも及ぶ道程をお よそ35日(馬に乗って25日)かけて戻っていくことは、人々にとって命がけであった。危険回 避のために集団で行動し、 “stand” と呼ばれる宿泊・休憩所が5~6マイルごとに設置され た。 “stand” は Chickasaw 族や Choctaw 族の人々が運営しており、この地で Native American と彼らの地に侵略してきた白人が共存していたことは、注目される事実である。

“Kaintucks” のためだけではなく、この道は兵士たちの行軍の道ともなった。1812年戦争に おいて、Andrew Jackson は何度もこの道を往復して、Tupelo 近郊の “Witch Dance”

13)

につ いての言及を日記に残している。有名な探検家 Meriwether Lewis は、1809年に Grinder’ s Stand で死亡し、その逸話は今もなお語り継がれている。1825年まで Trace はこのように利用 されていくが、蒸気汽船 steamboat の登場によって衰退していく。Trace は近隣の人々か、貧 乏で船賃が払えない人々が利用する道となり、依然として盗賊が出没す危険な道であった。

1830年代から南北戦争勃発まで、Trace はプランテーションの労働者に利用され、そして西

部へと夢を抱いて移動する人々の道となった。南北戦争の勃発によって北軍に Mississippi 川

が統制されると、再度 Trace は南北を結ぶ重要経路となり、道沿いには数多くの戦いが繰り返

された。多くの人々が行き交い、多くの人々の命が奪われ、そして多くの人々がこの Trace に

よって財をなし夢を実現していった。そして今もなお、 “The Haunted Trace”

14)

として語り

継がれているのである。

(5)

III

The Natchez Trace を作品の中に取り入れたといえば、アメリカ南部作家の Eudora Welty であろう。彼女は、初期の短編集 A Curtain of Green and Other Stories (1941) 、 The Wide Net and Other Stories (1943) 、そ し て、中 編 小 説 The Robber Bridegroom (1942)で、

Natchez 周辺の地域を題材としている。

彼女は The Robber Bridegroom に、実在した Mike Fink を登場させている。Mike Fink を初めてとする “Devil’s Backbone” を登場させていることに対して、Welty が“Oh, I just made that up. But it is in the spirit. I mean, the whole thing was in the spirit of that extravagant time.”

15)

と述べているように、アメリカ南部、Natchez 周辺という特殊な 地域を描く際に、このような歴史を取り入れることを彼女は必然的なものとし考えていたこと がわかる。 “I read a lot of histories of the time. . . .”

16)

と語る Welty の作品を読み取る 際に、The Natchez Trace を重要視することは当然のことである。

The Robber’s Bridegroom では、

And at the foot of this ravine ran the Old Natchez Trace, that old buffalo tail where travelers passed along and were we upon by the bandits and the Indians and torn apart by the wild animals.

17)

と、昔から語り継がれている The Old Natchez Trace の様子が簡潔に描写されている。継母 にいじめられ、閉鎖的な環境の中ですごす Rosamond は、Trace が危険な場所であることは知 っている。継母もそこに義娘を送れば、何かが起こることを知っている。しかし、苺汁を顔に 塗り略奪をくり返す盗賊 Jamie Lockhart に出会ったその時から、恐ろしいその Trace は、

Rosamond の未知の世界への入り口となり、そして彼女の夢への道となった。 “On and on she went, deeper and deeper into the forest, and its sound was all around.” ( RB 391)

と、Rosamond は迷うことなく Trace を通り、森の中に進んでいく。

Rosamond の夫となる Jamie Lockhart は二つの顔をもち、Trace と人々が住む街を行き来 する。“Take first and ask afterward.” ( RB 86)をモットーとする Jamie Lockhart は、

裕福な商人になるという目標のために、Trace では苺汁を顔に塗り残忍な盗賊へと変身する。

苺汁を塗り Trace を往来する Jamie にとって、そこには治外法権があり、すべての彼の行動は 夢への実現のための手段として肯定されるのである。

Lockhart が Rosamond を 置 き 去 り に し た 後、彼 を 探 し て Trace を 一 人 で 彷 徨 い 歩 く

Rosamond は、伝説の人物 Mike Fink と出会う。Welty は Fink を郵便配達人として登場させ

ている。そして彼は自分が Lockhart を殺したと主張する。 “Jamie Lockhart the ghost?”

(6)

( RB 174)と叫ぶ作品の中の Fink は、伝説として語られている残忍な Mike Fink 像よりも 滑稽な姿を見せている。彼は、 「未来からの知らせ」を夫から受け取ったと言う Rosamond の 言葉を聞くと、自分の正体を明かし、彼女の手助けを申し出るのである。

Trace ではすべてが現実社会の規範を逸脱している。混沌とする世界でありながら、自分の 欲望を手にいれるための行動は肯定されていく。その証拠に Welty は、未来からの知らせを 受けたと意味不明な主張をする Rosamond を Mink に助けさせ、彼の力をもって Rosamond に幸せと夢の実現を与えるという不可解な結末を描いている。

On the Road で、Sal は自分の人生への「道」を探っていった。しかし、結局、何も得る

ことはできなかった。道は西と東をつなぐ道でしかなかく、そこで引き起こされる出来事はそ の当事者のものであり、 「道」には何も意味がない。しかし、The Natchez Trace は Sal が往 来する「道」とは異なり、意味を持っているのである。Welty が描く出来事は、「道」のなか に刻まれ、まさしく人々が残していった痕跡“Trace”が常に時空と時代を超えて存在して、

現在と隔離された存在として実存していると考えられる。 “Trace”に込められた Welty の意 図が最もよく表現されているのが、彼女の短編“A Still Moment”である。

IV

“A Still Moment”(1942)は、The Natchez Trace で三人の男が出会い、そして何も言葉 を交わさず去っていくという不思議な話である。登場人物の三人の男、伝道師 Lorenzo Dow

(1777-1834) ,盗賊 James Murrell (1806-1844)そして植物学者 John James Audubon(1785 -1851)は、いずれも実存した人物である。彼らが同時代に生きていることから、偶然にも出 会っていたのかもしれないがその記録は残っていない。Welty は三人の伝記を巧みに利用して 作品を創作した。

伝道師 Lorenzo Dow は、インディアンの襲撃をくぐり抜けて、Trace の中に潜む悪魔や幻 影を倒しながら、神の意志に従って馬で疾走している。 “Turning half-beast and half-divine, dividing himself like a heathen Centaur, he had escaped his death once more. ”

18)

Jonathan Edward のように、Lorenzo の伝道は過激なものであった。その史実通り、作品の 中 で 描 か れ た Lorenzo は、 “ ‘I must have souls! And souls I must have!’ ” (SM 73)と すべての魂を救うのだという狂信的な欲望を自ら満たすために走り続けている。彼にとって、

Trace は、自らの主張を確認し、迷いを払拭する自己啓発の場所になっている。数々の目に見 えない試練を払拭することで、彼は自らの使命を再確認し、自らを奮い立たせていく。日没近 くの Trace を疾走する彼の姿は、穏やかな宗教人ではなく、悪を排斥し、人々の魂を自分がつ かさどっているという彼の自負を強調している。

疾 走 す る Lorenzo の 隣 り に 並 走 す る 男 が 登 場 す る。 “Great West Land Pirate” と The

Natchez Trace で そ の 悪 名 を 轟 か せ た James Murrell〔John Andrew Murrell (Murrel)〕

(7)

である。Lorenzo を標的と定めて追い詰めている Murrell を、Welty は次のように登場させて いる。

A dark man, who was James Murrell the outlaw, rode his horse out of a cane brake and began going along beside Lorenzo, . . . .He had alternately proud and aggrieved look of a man believing himself to be an instrument in the hands of a power, and when he was young he said at once to strangers that he was being used by Evil.(SM 78-79)

Murrell は奴隷を売り、売った奴隷を奪い返しそしてまた売って金を稼いでいた。何度も同 じ奴隷を売りさばき、それがばれると容赦なく奴隷を殺すという凶悪な悪党として有名であっ た。また、彼は、馬泥棒として逮捕され、体に“HT” (Horse Theft)の焼印を押され6年の 刑を受けるが、1829年に放免となっている。1835年には、彼は奴隷の暴動を指導したとして New Orleans でリンチにあっている。The Natchez Trace には Murrell に殺された亡霊が出没し、

そして、彼の幽霊も姿を表すという。Trace のいたるところで、Murrell の残虐な行為とその 犠牲になった人々にまつわる逸話が残っている。Harp Brothers とともに The Natchez Trace の闇の世界を代表する Murrell が、Welty の短編に史実に基づいて描がかれていることがわか る。

“ ‘Stop! I’ m the Devil!’ ” (SM 79)と叫びながら旅人を止め悪事を働 い てきた Murrell は、Lorenzo を捕まえ金を奪いそして殺すことを決めていた。減速して馬を止め二人は沼地で 馬を降りる。そしてそこに姿を現したのが三人目の登場人物 Audubon である。

John James Audubon は、アメリカに生息する鳥の研究者であり、 The Birds of America

(1827-1839)の著者として著名な人物である。鳥を観察し、その姿を忠実に絵で描き、そして 生態を記したと言われている。Welty は Murrell が Lorenzo を殺す寸前に Audubon を登場さ せ た。Audubon は、 “All life used this Trace,” (SM 82)と感 じて、こ の Trace には 見 た こ ともない素晴らしい鳥が多く生息していると一人きりでこの Trace にいた。

Lorenzo はこの突然の Audubon の出現を喜び、彼の姿の中に希望を見出した。悪意に満ち た Murrell が“One of my disguises was what you are.” (SM 85)という言 葉を 残し て彼 を殺そうと目論んでいることも知らずに、彼を神に仕える天使に自らの力で変えることができ るかもしれないと考えたのである。Murrell はわき目もふらず標的と定めた Lorenzo の命を狙 っているのであるが、その一方で Audubon は Murrell の中に“acquired sorrow” (SM 85)を 感じとった。

Lorenzo が言葉を駆使して自らの行動を肯定化しようとしている一方で、Audubon には発

する言葉は不要であった。観察に没頭する Audubon は何日も言葉を発していなかった。彼に

は 鳥 を 観察し て それを 記 録 する “words”の みが 必 要 で あ っ た。し か し、無 言 で 観 察 す る

(8)

Audubon は、Murrell の強靭な腱を見て直ちにその力を知り、目の動きでその行動を計りな がら様子を伺っていたのである。3人は観察することで、互いの姿を分析しながら、ひたすら 沈黙の中、次の一瞬を待っていた。Lorenzo が言葉を行使するその寸前に、彼らの目の前に一 羽の白サギが姿を見せる。

In that quiet moment a solitary snowy heron flew down not far away and began to feed beside the marsh water.(SM 86)

三人は白サギを見つめ、沈黙する。Lorenzo はこの白サギを観て神を崇め、そして神の祝福 を感じた。 Murrell は暗がりの中で光る白サギの白さに目を奪われて、 体に刻まれた刻印“HT”

を見つめる。白サギの純白は彼の闇と悪を浮き立たせ、 自らが行うべき“the Mystic Rebellion”

(SM87)の輝かしい全貌をみた。Lorenzo と Murrell が白サギの出現によって、自分の使命と 誇りを確信する一方で、Audubon はただ雪のように白い白サギだけを見つめる。白サギは無 防備にも一羽だけで彼らの目の前にいた。

But before them the white heron rested in the grasses with the evening all around it, lighter and more serene than evening, flight closed in its body, the circuit of its beauty closed, a bird seen and a bird still, its motion calm as if it were offered:(SM 88)

水辺の小さな生き物を食べている白サギと三人の間には、ほんのわずかなスペースしかな く、 彼らは白サギの姿に圧倒さ れ た。“To save all souls” と望む Lorenzo, “to destroy all men” と悪の王国を築こうとする Murrell、そして、 “to see and to record all life that filled this world”と考えている Audubon と、三人の男達はそれぞれの “all”を追求しているが、何 事もなかったかのように餌を啄ばむ白サギを目の前にして、一瞬の静寂に陥った。Murrell は 天を見上げる Lorenzo を見つめ、そして Audubon を見た。

Audubon は神秘的なその姿がどこから出現したものかと凝視した。そして突然、Audubon は、 “. . .he tightened his hand on the trigger of the gun and pulled it,” (SM 90)と目 をつぶりながら引き金をひいたのである。

All its whiteness could be seen from all sides at once, its pure feathers were as if counted and known and their array one upon the other would never be lost. But it was not from that memory that he could paint.

(SM 90)

(9)

白サギの白さ、羽根、そして完璧なまでの美を記憶にとどめることは不可能であると考えた Audubon は、迷いもなく白サギを殺し、それを拾い上げると、雌鳥であったことを確認して 袋に入れ、彼はそのまま馬に乗ってその場を去った。

Audubon が立ち去る前に、すでに Lorenzo は馬に乗ってその場を立ち去っていた。あとに 残された Murrell はこの様子を見守り、 “Travelers were forever innocent,” であることを信 じ、これからも “the widest country” (SM 91)を自分の居場所として、自らの信念に基づい て野望を抱き追求することに満足を得る。

Plans of deeds made his thoughts, and they rolled and mingled About his ears as if he heard a dark voice that rose up to overcome The wilderness voice, or was one with it. The night would soon come ; and he had gone through the day. (SM 91)

殺した白サギのぬくもりを感じながら馬を走らせている Audubon は、 “the best he could make would be, . . .a dead thing and not a live thing, never the essence, only a sum of parts ; ” (SM 92)を実感し、白サギの完璧な姿は死のその瞬間にあったと確信した。

自らの完璧を求めるために白サギを殺すということに対して、疑念も後悔も感じることなく、

無常にもその死の瞬間に酔いしれている。

白サギが殺されたのを目の当たりにして何も言葉を発せずに馬を走らせた Lorenzo は、森の 中で寒さに手を震わせながら、次のように思う。

He could understand God's giving Separateness first and then giving Love to follow and heal in its wonder ; but God had reversed this, and give Love first and the Separateness、as though it did not matter to Him which came first.(SM 93)

魂を救い、愛を運ぶことが自分の使命だと考えていた Lorenzo は、 “Time did not occur to God.”と気がついた。そして、餌を啄ばむ白サギの姿が言葉で表現できない美であったのに対 して、自分の信仰が未だに真なるものでないことを実感し、思わず “ ‘Tempter!’ ” と叫ぶ。そ して “In that day all hearts shall be disclosed.” (SM 94)という説教をするために馬にの って Trace を進んでいく。

白サギの死を見届けたあと、三人は無言でそれぞれの気持ちを抱きながら別れ、そして、何 事も起こらなかったかのように日が沈み、西の空に月が出て物語が終わる。

Then the sun dropped below the trees, and the new

(10)

moon, slender and white, hung shyly in the west.” (SM 94)

三人の男に自らの言葉で語らせない代わりに、Welty は彼らの内なる言葉と行動を丁寧に描 写し、読者に不気味な何かが Trace でおこることを期待させている。作品全体には “stillness”

が不気味に覆っている。一方で、Lorenzo の激しい信仰心はその一途さと激しさゆえに滑稽さ を増し、そして Murrell は Trace に残る逸話と相まって悪人のステレオタイプと合致してい く。しかし、白サギの出現で時の流れが止まったことで、Lorenzo の滑稽さと Murrell の邪悪 な姿は、白サギの白さに吸い込まれていく。 「時間」に追われながら善と信じて突き進んでき た Lorenzo、非道な悪の道を走る Murrell の両者は、常に自らの行動を止めることなく Trace を進んでいたが、一瞬の静寂で善・悪それぞれの世界の人間である二人の姿はその勢いをなく してしまう。逆に、二人と対照的で寡黙な聖人を彷彿とさせる Audubon の行為は、皮肉にも 彼の非人間性が浮き彫りになり、彼を最も邪悪な者と読者に思わせてしまう。

夜になり静寂だけが漂い物語が終わった時に、読者は Trace の中に一人残されたような感覚 に陥る。説明のつかない戸惑いと非現実感を感じるのである。

V

「道」は異文化への通路であり、文化と文化をつなぐものである。 “A Still Moment”におい て、Trace は我々を異文化の世界に導いてくれた。しかし、同時に「道」はどちらの文化にも 帰属しない “spatial character”であることも理解できる。この“spatial character”を、折 口信夫の言う「空虚な土地」

19)

と考えることは拙速であろうか。折口は、 「空虚な土地」を「境 界」と考えている。民俗社会における境界は「村はずれの辻・橋や坂・峠などの境界が、内/

外・生/死・現世/他界という2つの世界のあわいを浮游する人やモノらの棲み処」 。

20)

である という。境界は空虚な場所でありながらそこは異なる文化、そしてその担い手の邂逅の場所と なりうる。さらに、折口は、境界のもつ無縁性・曖昧性により、神ないし異人との出会いと交 歓もその場で可能になると指摘している。

アメリカ文学においても、現実社会と隔てられた境界線の向こう側にあると思われる世界 が、作品に多く取り上げられてきた。Washington Irving(1783-1859)の Rip Van Winkle の謎も、そして超絶主義者達の求める人間の理想も、境界を超えた森の中に存在した。森は厳 しい現実社会に生きる人々の救いの場所となる一方で、人間の闇を表象する所でもある。何が 善で悪なのかを判断する必要のないこの空虚なそして曖昧な空間は、人々の住む地域との境界 を築いている。獣道が人々の往来によって繋がった The Natchez Trace も、まさしく周縁と の境界である森と同じ役割を担っている。

Trace の 始点で あ る Natchez の 街 は 絶 壁 の 上 に 作 ら れ て い た。 こ の 主 要 な 街 は “Fort

Rosalie” として社会・経済の中心としての機能を果たしていた。18世紀後半から、Kaintucks

(11)

が活躍し、絶壁の麓の平坦な場所に流れる Mississippi 川に多くの積荷が下されると、そこに は Natchez-Under-the-Hill と呼ばれる地域ができた。裕福な人々が住む崖の上から隔離され た地域は“gambler’ s paradise”と呼ばれる酒場が立ち並ぶ活気ある場所となった。しかし、

その退廃的な雰囲気と、荒くれ者が住むこの地域は、多くの人が欺かれ、殺され、奴隷のオー クションも開かれ、金と力を手に入れるために手段を選ばないいわゆる闇の世界でもあった。

残虐な Josepha Thompson Hare の殺人事件、召使の女性 Madeline が主人に殺害されて埋め られた King’ s Tavern など、おどおどしい話が今もなお語り継がれ、その幽霊が出没すると 信じられている。殺人の犯人は未だに特定されることもなく、謎を残している。丘の上に住む 人々は、断崖という境界を超えることを警戒し恐れていたが、そこから得られる金は彼らの生 活を支えた。何かが起こる地域であり、その曖昧な事件や出来事を人々は曖昧のまま放置して 暮らしていた。つまり必要な場所でありながら、その状態を知ることがない、または知ること を避けている場所である。

数多くのこうした曖昧な場所、つまりは空虚な土地が点となり、そして線となって、Nashville までの444マイルが繋がり出来上がったのが The Natchez Trace である。従って、この Trace に数え切れない程の曖昧な不可思議な逸話が存在するのは当然であろう。Haunted と形容さ れるこの Trace は、厳密に言えば、 「道」ではなく、あくまでも南部人が築きあげた “Trace”

「痕跡」である。

ジャック・デリダは、 「痕跡」 とは非知がもたらす効果を叙述することであると言っている。

21)

非知とは無知や知の否定ではない「知の限界の肯定」を示すこと、すなわち知の肯定である。

そして、死の気配、知が消滅する気配、そして聖なるものが誕生するとき、時が停止し、沈黙 となるという。

22)

白サギが登場するその瞬間、三人の男に襲った Stillness は、まさしく非知へ の開口であった。Lorenzo の非概念的な思想、Murrell の非理論的な思考,そして Audubon の非人間性は、非知であり、Trace の中に書き加えられていったのである。

近年の「道」は、 「交通手段と通信機器の加速的な発達によってそれぞれの土地の独自性が 失われ、ロードが通路というよりも単なる時間的ラグへと変質した現代においては、路上や目 的地に異文化を感知できる要素は極端に少なくなっている。 」

23)

と言われる。道の発展は空間の 拡大を意味するが、移動手段の時間的短縮による移動によって、空間と移動先の境界線は崩壊 している。すべての人が同じ環境のもとで生活することができる環境を目指して、目覚ましい 科学技術の発展により世界は動いている。その追求は、果たして人間に幸いするかは疑問であ るが、境界をなくしていくことはまさしく知の崩壊であり、境界によって守られてきた秩序の 崩壊を意味する。

南北戦争以降、アメリカ南部人は、北軍によって打ち砕かれた境界の決壊を最小限に止めよ

うとしてきた。物理的には持ちこたえることができなかったが、今もなおヤンキーと一線を画

す南部人気質はその土地に根づき、ある種の境界を作っている。Old Natchez Trace もその

用途がなくなると衰退したが、南部人によって The Natchez Trace Parkway とその姿を変

(12)

えて、現在は南部の歴史をたどる道として自動車が行き交っている。インディアンの土地を整 備し、南部の経済を潤した Trace は、南部再興を目指した南部人の想いを示している。漂う幽 霊と共に The Natchez Trace は「痕跡」として南部に存在し、そして今もその痕跡は、非知 への入り口として開口されている。空間としての「道」をたどる物語が Road Narrative とす るならば、Welty の作品がそれとは異なる視点で描かれていることは Trace のもつ特質からも 明らかである。なぜ Welty が作品の中に The Natchez Trace 用いたのかは想像の域を超えな いが、空間としての「道」ではなく、 “Trace”であることを認識しているからこそ、南部作 家 Eudora Welty の曖昧な物語そして世界が成立しているのである。

1) Anne Brigham, “Critical Meeting Places : Major Approaches to the American Road Narrative Genre” Critical Insights : American Road Literature ( Salem Press, 2013) ,p.18.

2) Anne Brigham, “Critical Meeting Places : Major Approaches to the American Road Narrative Genre,”p.19.

3) John Steinbeck, Travels with Charley 『チャーリーとの旅』大前正臣(訳)

(弘文堂,昭和51年) ,p.4.

4) Anne Brigham, American Road Narratives (Charlottesville : Univ. of Virginia Press, 2015) ,p.13.

5) 大須賀寿子, 「ロード・ナラティブとしての『怒りの葡萄』 」 『アメリカン・ロード の物語学』松本昇,中垣恒太郎,馬場智(編)(金星堂,2015) ,p.13.

6) Jack Kerouac, On the Road (New York : Penguin Books, 2016) ,p.7.

7 ) Cassandra Capewell,“ The American Road Narrative : A Brief History ” Emmanuel College, Department of English Writing and Literature , 2015, p.3.

8) Anne Brigham, “Critical Meeting Places : Major Approaches to the American Road Narrative Genre,”p.15.

9) Anne Brigham, “Critical Meeting Places : Major Approaches to the American Road Narrative Genre,”p.16.

10) Anne Brigham, “Critical Meeting Places : Major Approaches to the American

Road Narrative Genre,”p.15..

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11) Larry Hillhouse, Ghosts of the Natchez Trace (Iowa : Quixote Press, 2010),

p.18.

12) Bud Steed, The Haunted Natchez Trace ( Charleston : The History Press, 2012) ,p.35.

13) Mississippi 州 Tupelo の近郊(現在の The Natchez Trace のマイルポスト233.2地 点)に Tombigbee National Forest があるが、その端に高い木に囲まれているが、まったく 草も生えていない空き地がある。Trace ができた頃からこの状況であることから、魔女が集ま りダンスをして、魔女が地面に触れてすべての草木が枯れて永久に生えてこないと逸話になっ た。The Harpe Brothers の兄 Big Harpe がこの逸話を聞きあざけ笑い、自らこの地に来て 裸足で踊って魔女に出てこいと挑発したという。自分は魔女よりも危険な人物であると強調し た 出 来 事 で あ る と 記 録 さ れ て い る。 cf. Bud Steed, The Haunted Natchez Trace ,

(Charleston : The History Press, 2012) .

14) 多くの人々が盗賊や略奪の犠牲になり、戦争や行き倒れでその地に葬られた無縁仏 など、死にまつわる出来事が数多く残っている。こうした人々にまつわる話が幽霊物語になっ ている。街道沿いに建設された stand や建物は、その所有者がかわるたびに新しい物語が出来 上がり、一種の神話のように語り継がれている。その話は、インディアン、白人、黒人すべて の人種に及び、 さらに成功した者の子孫の悲劇なども加わり、 Trace にまつわる話が “Haunted”

と形容されていることは興味深い。

15) Jan Nordby Gretlund, Eudora Welty’s Aesthetics of Place (Columbia : Univ.

of South Carolina Press, 1994) ,p.264.

16) Jan Nordby Gretlund, Eudora Welty’s Aesthetics of Place , p.264.

17) Eudora Welty, The Robber Bridegroom in The Complete Works of Eudora Welty , I Tanabe (ed. ) , (Kyoto : Rinsen Book Co., 1988),pp. 357-8.

18) Eudora Welty,“A Still Moment” The Wide Net and Other Stories (New York : Harcourt, Brace & World, 1943) ,p.75.

19) 赤坂憲雄, 『境界の発生』 (講談社学術文庫,2003) ,p.43.

20) 赤坂憲雄, 『境界の発生』 ,p.45.

21) 上利博規, 『デリダ』 (清水書院、2014) ,p.51.

22) cf . Georges Bataille, Le non-Savoir 『非―知』西谷修(訳) (平凡社,1999) , p.20.

23) 井村俊義, 「ポストレイス時代におけるロードとコミュニティ」 『アメリカン・ロー

ドの物語学』 ,p.300.

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