とガラス鋳造用土製鋳型を中心に 一 田 庸 畏
I.は
じめ にⅡ
.調
査 お よび研 究 の現 況Ⅲ。 古 代 韓 日にお け る金 属,ガラス製 品 の生 産
Ⅳ
.ガ
ラス製 品 の生 産 を通 じて み た古代 韓 日の 文化 様相V。 今 後 の課 題
要
旨
青鋼器時代か ら金属、 ガラス製品や製品をつ くるための鉾籠が、墳墓や住居IIから時お り出 土する。ただこれまで、古代 の貴金属製品を生産するための工房はほとんど確認 されていなかった。そ のため古代の生産 と関連 した研究は遺物 を中心になされ、生産施設の構造的形態、お よび運営原理に対 す る研究はほとんどなされなかった。 しか し韓 国では、益山王宮里遺跡、扶餘官北里百済遺跡 と陵山里 寺址 をは じめ とする百済涸洸期の寺址や建物址か ら正房址が発見 され、金・銅・ガラスのltt蝸をはじめ と す る各種工房遺物 の出土事例が絶 え間な く増加 している。 また 日本では、7〜 8世 紀 の古代総合工房遺 跡である飛鳥池遺跡 をは じめ として、多様 な工房関連施設、お よび遺物が継続 して発見されている。 こ の ような調査成果 を通 じ、古代金属製品の生産を巡る多様な文化様相に対する理解が少 しずつ可能 とな ってきた。古代の技術文化 は周辺地域 との文化交流 を通 じて、さらに発展 してい く。 したがって、古代 における金属・ガラス製品の生産・流通 と関連 した資料の限界 を克服するためには、既に調査 された資 料 に対する徹底 した分析 。研究 と、新 たな資料 に対す る不断の調査のみならず、古代東アジアのなかで の金属・ガラス製品の生産 と文化交流 という大 きな枠の中で理解する概念体系 と調査研究が必要である。
同時に金属・ガラス製品の考古,自然科学的総合研究 を通 じた資料 に対す る徹底 した調査 とともに、金 属・ガラス製品に対する復元実験 を通 じて得 られた結果 を、比較分析する作業 も並行せねばならないだ ろう。
キーワー ド
金 属
ガラス製品
難 鋼
ガラス用上製鋳型
工 房
生 産
流 通
文化交流
復元実験
国立扶餘文化財研 究所
田 庸 具
はじめに
人類 は、古代か ら身体 を装い他人 に誇示す るために、金、銅、ガラスなど金属や ガラス 製の工芸品を製作・使用 して きた。初期 の金属工芸 品は、有力者の墳墓副葬品であった。仏 教が入 り、金属工芸品は仏像、光背 な どの仏教美術 品を彫刻 した り装飾す るために用 い ら れた。
青銅器時代か ら金属、ガラス製品や製品 を生産す るための鉾絶 は、墳墓や住居l■か ら時 お り出土す る。 しか し、貴金属 を生産す るための施設である工房 は、ほ とん ど確認 されて いない。そのため古代の生産 と関連 した研究は、遺物 を中心 になされ、生産施設の構 造的 形態や運営原理に対する研究はほとん どなされなかった。
韓国では、益 山王宮里遺跡、扶餘官北里百済遺跡 と陵山里寺址 をは じめ とす る百済酒洸 期 の寺址や建物址か ら工房地が発見 された り、金・銅・ガラスの対蝸 をは じめ とす る各種工 房遺物の出土事例が絶 え間な く増加 している。そ して 日本では、7〜
8世
紀の古代総合工房 遺跡である飛鳥池遺跡 をは じめ として多様 な工房関連施設、及び遺物が継続 して発見 され ている。特 に飛鳥池遺跡か らは多様 な金属・ガラス製品を製作 した工房 とともに、一般庶民 用ではない寺院内部、仏像の装飾、あるいは宮殿で使用 された一級品が大量 に確認 された。この ような調査成果を通 じて、古代金属製品の生産 を巡 る多様な文化様相 に対する理解が、
少 しずつ可能 となって きた。
本稿では、現在 までの金属 。ガラス製品の生産 と関連 した考古学的資料 を中心 に、古代韓 日の金属・ガラス製品の生産 と流通 を究明す るための基礎作業 として、研究現況 と今 後の 課題 について検討 したい。 なお本稿 では、生産施設か ら出土 した遺物の中で も、作業工程 と関連 した靖鍋や鋳型に特 に注 目したい。
Ⅱ。 調 査 お よび研 究 の現 況
1.金 製品製作関連工房
人類が最初 に使用 した金属 は銅で、以後、金・銀 をは じめ とする多様な金属 を使用す るよ うになった。金・銀・銅 な どの貴金属 は変化 しに くく、独特 な色彩 と光沢 を帯 び、そ の珍 貴 さゆえに古代か ら装身具、装飾品、工芸品の製作原料 として脚光を浴びてきた。
最近、益 山王宮里遺跡、扶餘官北里百済遺跡か ら金対鍋 な ど金生産関連遺物が 出土 し、
金製品の生産過程に対する理解がある程度可能 となった。
1)韓
国(1)益
山王宮里遣跡益 山王宮里遺跡 (史蹟第408号
)は
、百済武王代 (A D 600〜641)に 造成 された宮城遺跡 で、南北 約490m、 東西約
240mに
い た る百済時代 の長方形城壁、築 台 (堤)、 庭 園 、 瓦積 基壇建 物址 、工房l■な どの宮城 関連遺構 と、王宮里五重石塔周辺か ら金 堂l■、講 堂址 な どの統一 新羅 時代 の寺 院関連 遺構 が確 認 され、「王宮寺」・「大官官寺」銘銘文瓦、「首府 」 銘印章瓦、蓮華文軒丸瓦、金製暖 略、 ガ ラス玉 、後処 理用 の木製棒 、各種 土器、 お よび 中 国製青磁 片 な ど総3000余 点の主要遺物 が 出土 した。
西 北 辺地域 をは じめ と して三 つ の地点 か ら工 房 関連施設が確 認 され、そ の 内部 か らは各 種 ガ ラス・金属 製作用 の靖蝸 、 ガ ラス・金属 製 品片、鉱岸、砥石 、壁体 片、石 材 な どが大量 に出土 した。 ガラス製 品、金製 品、銅・青銅 製 品 を生産 し、宮廷 に供給 す るた め の大規模 な 百済工房が存在 した もの と推定 され る。
(2)扶
餘官北里 百済遺跡 の工房金 銅光背 が 出土 した扶餘 官北里 百 済遺跡 のナ地 区か ら工房l■が確 認 され た。 ここか らは 金オ禍 、「官」銘土製 品、深 鉢形土 製対渦 、 ガラスlr蝸 、鉱淳 な どの工 房 関連 遺 物 が 出土 し た。 ナ ー2ピッ ト南東辺 とナ ー1ピッ ト北東辺 には、小形炉施設
9基
と工 房 関連 遺物廃 棄用 の竪穴2基が ある。被 熟 した土坑 は直径30〜 60cm、 長 さ10〜15cm程
度 の 円形 で壁体 の厚 さ は3〜5cmで
あ る。 この地 域 か らは、官北里 百済遺跡 の他 の地点 か らは出土 してい ない深 鉢形 土器、三足土器、高杯 、蓋杯 な どが 出土 した。逆 円錐形 で底 部が尖 った金 対蝸 、石 を 丸 く彫 ってつ くった金対蝸 が 出上 していて、金 の熔解 と関連 した作業 が な され た もの と推 定 され る。 身 と蓋 に「官」とい う文字 が書 かれて い る底部が平 た くて広 い土 管 形 土製 品が発 見 されてお り、 この外面 に金粒 が付着 していた。(3)扶
餘双北里遺跡 の工房Ⅱ地点の
9号
建物l■か ら頭 部が失 われた金銅菩薩立像が 出土 していて、7。 11号建物llLか らガ ラス・銅対蝸が 出土 した。 この ような遺物 の 出土地点周辺か ら工房 と推 定 され る建物址 が発見 され た。 ガラス対蝸 の形態 は底 部が九底 の もの と尖底 の もの に区分 され 、注 目が備 わ った金属lH蝸 も発 見 され た。特 に砲弾形 の ガラス靖蝸 の内部 には、 ガ ラス沈 殿 物 が付 着 していた。共伴遺物 か らみて、遺跡 はおおむね6世紀 か ら7世紀前半代 と考 え られ る。(4)扶
餘宮南池扶餘宮南池 (史蹟第135号
)は
、百済武王代 (A D 600〜641)に造成 され た苑池 と推 定 され る。1990年 か ら度重 なる発掘 調査 がお こなわれてい る。現宮南池周辺 に対 す る調 査 の結果 、宮 南 池北辺 か らは道路 と水 路遺構 が、南辺 か らは井戸址 が、宮南池 内部か らは木 造貯水槽 な どが発掘 された。百済 時代 の車履 、木簡 な ど百済時代 の生活遺跡 と関連 した遺 構 と遺物 が 多 数確 認 された。工 房 と関連 した遺物 と して は対蝸 片、金糸が少量 出土 した。 特 に金 糸 は 薄 い金線 を捩 ってつ くってい る。
田 庸 畏
2)日
本(1)飛
鳥池遺跡飛 鳥池 遺跡 は、緩 やか に傾斜 す る地形 の谷 を中心 に東西 に区分 され、東側 は鉄、西側 は 金・銀・ガラス、東・西側交差地点 は銅 を製作 す る工房 関連施設が分布 している。部分 的 に集 水施 設 が備 わ っていて、炉l■は30ケ 所余 りが確認 され、漆器 製作場 も確認 された。
飛 鳥池遺 跡 で 出土 した金対渦 は、低 い 臼形 の胴 に九底 で、 日縁 の端部 には使用過程 の高 熱 に耐 え るため に補強 した痕跡が確 認 され る。特 に高 さが
10cmで
、丸い胴 に丸底 を した精 質 の銀II蝸 が何 点 か 出土 した。胎 土 は、砂粒 が少量混入 した精 良 な もので、表面 には高 熱 に よって ガ ラス質化 した とみ られ るガラス膜が確 認 された。3)日
本 の 金 製 品 製 作 技 法 研 究 に 関 連 す る遺 跡(1)金
鈴塚 古墳I千 葉 県木更津市長須賀 に位 置す る
6世
紀 末 〜7世
紀初 に該 当す る前方後 円墳 であ る。全 長 95m、 後 円部径55m、 前方部幅約72mで
あ る。 出土遺 物 は金 製鈴、装 身具類 (ガラス小玉、金環、金銅製透彫金具、金糸、金鋼製飾履など)、 銅 鏡 、飾大刀 17振 、馬具類 (金銅製鞍金具、飾 金具、辻金具、馬鐸、雲珠、杏葉など)、 武器類 (桂甲)、 須 恵器 な どであ る。
(2)藤
ノ本古墳2奈 良県斑鳩町法隆寺字藤 ノ木 に位 置す る
6世
紀 後半 の円墳 である。直径 は48mで
、 高 さは 9m、 埋 葬主体部 は家形石棺 であ る。 出土遺物 には、装 身具類 (金銅製冠、筒形金銅製品、金銅 製大帯、金銅製飾履、剣菱形金銅製品、銀製垂飾、耳飾、空玉各種、玉各種)、 武器類 (飾大刀、飾剣)、馬具類 (金銅製透彫鞍金具、飾金具類
)な
どが あ る。前面 に亀 甲文装飾や、円形 と魚形 の歩揺 が取 り付 け られた もの な どの装飾製 品、龍・鳳凰 ・象 ・獅子 ・鬼 な どの文様 が鋳造 され た 金銅製鞍金具 は、6世紀 の東 アジア世界 との関連 を強 く示す。製作技法上、国産品が多 いが、その源流 は加耶、百済 な どの韓 国や、 中国 と関連す る もの と推定 される。
特 に、 王宮里遺跡か ら出土 した金蓮 珠 とは、大 きさや素材 、製作技法が異 なるが 、形 態 の類 似 した空玉や、金鋲 の使用方法 と関連 して注 目に値 す る遺物 であ る、銅板 と革 を結合 した銅 製道具 を使用 した鐙が 出土 した。 この ように類似 した製作技 法でつ くられた金属 製 品の比較 に よって、百済の金属製作技法 を復元す ることがで きる重要 な資料 である。
(3)新
沢千塚126号墳奈 良県橿 原市 川西 町 に所 在す る
5世
紀 後半の長方形墳 であ る。規模 は長 さ22m、 幅16mで
主体 部 は割竹形木棺 であ る。 出土遺物 と して は装 身具類 (金製方形冠飾、金製垂飾付耳飾、帯 金具)、 ガ ラス製碗 、皿 な どがあ る。耳飾 は新羅 ・加耶系 で、金製方形冠飾 は百済系 、 ガ ラ ス製容器 は南朝・百済系 の舶載 品 と推定 され る。藤 ノ木古墳 の鐙 とともに、王宮里遺跡 出土 金鋲 な ど金製 品の使用技法 や方式 を通 じて、百済 の金属 製作技 法 を推論す る こ との で きる
資料 として注 目に値 す る。
2.銅
製 品 製 作 関 連 工 房韓 国で は、青銅 器 時代 の銅 器製造 の直接 的 な証拠 であ る銅 の製錬炉 や熔解 炉 遺構 は もち ろん、銅 津 さえ発見 され てい ない。 た だ、 い くつ か の鉾範が発見 され るのみ で あ る。 しか し、三 国時代 に入 る と益 山王宮里 遺跡 を含 めた益 山、扶餘、慶州地域 か らは、青 銅 生 産 と 関連 した遺構 や遺物が多数発 見 されてい る。
1)韓
回(1)扶
餘 陵山里寺址 の工房百 済最大 の傑作 品 とい って も遜色 ない金銅大香 炉 を出土 した扶餘 陵 山里寺址 か ら、工房
l■が 2ヶ 所確 認 された。 陵 山里寺llLは、王 陵 と推定 され る陵 山里古墳群 と都 城 防御 の ための 羅城 の間に位 置す る。 第
1工
房址 で あ る第3建
物址 は、 回廊外 の大排水路周辺 に位 置す る。この 内部 か ら赤 い焼土層 と灰 層 が確 認 され、 中央 の部屋 に炉 の煙突施設 と炉 に付 設 された 貯水 施設、 ガラス玉、銅材 料 が溶解 した もの な どが一緒 に発見 された。 第
2工
房跡 で あ る第4建
物址 は、東西2室に分 かれてい る。施設か らは工房址 であるこ とを立証す る鉄 床 、砥石 と様 々な金銅製品が一緒 に発 見 され てい る。仏教儀礼用具 と飾 りを生産 。流 通す る手 工業工 房 の機 能 を呆 た していた と考 え られ る。 出土遺物 には鉄床、鉄製杵 、鉱津、砥 石 、 鋳造鍬、鉄基/鉄 斧、鉄鏃、耳飾、金釦装飾板 、金銅製花形装飾、金銅光背片がある。
(2)扶
餘扶蘇 山瓦積基壇建 物址扶 蘇 山城西 門址周辺地域 の発掘 調査 に よって、平積 式瓦積基壇建 物址 が確 認 され た。工 房 関連 遺物 と してII蝸 片
1点
が 出土 した。 回縁 部 は若干 内彎 し、 日唇 部の一 方 に注 目が付 いている。 内部 には旗体 の沈殿物 が残 っている。(3)扶
餘伝離宮址 出土品1986年 、扶餘宮南池東側 に位 置す る花枝 山西麓 の酒洸 時代推定離宮l■の発 掘調 査 で、対 鋼 の底 部片
1点
が 出土 した。 内部 には沸か した溶波 の沈殿物が残 っている。(4)扶
餘 旧衡里井戸址扶 餘警察署が あった ところで、1944年の庁舎新 築 時 に「天王」銘軒九瓦 が 出上 し、天王 寺 とい う寺址 の存在が知 られ る よ うにな った。 1992年 の学術調査 の結果、木材樋 で 互 い に 連結 された百済時代 の井戸
2基
と水路 な どが確認 され、寺院址 ではな く生活遺跡 と判 明 した。工房 関連遺物 として、少量 のlr蝸 片 と「一斤」銘 の鋒危が出土 した。
(5)慶
州皇南洞376番 地統一新羅時代遺跡慶 州皇南洞376番 地
Blグ
リ ッ ドか ら、洞対網片6点、 ガ ラス対蝸3点が 出土 した。 姑蝸 の 内面 に ガ ラス膜 が厚 く付着 していて光沢 を帯 びてい る。 ガラスは、PbOを 70%以
上 含 有 し たPbO― Si02系 鉛 ガラス と判 断 され、 ガラスの軟化点示差走査熱量計で測定 した結 果 、442℃田 庸 異
で、融点 は直接測 定 した結果、約650℃ で あ った。報告者 は
2号
井戸 の内部か ら出土 した鉄 斧 につ いて、 ガ ラスオ蝸 を使用 して鋳造 した もの とみてい る。(6)慶
州東川洞68卜 1番 地遺跡慶 北慶州市東川洞681‑1番地一 円で東西方 向、お よび南北方 向の道路遺構、根石 を もつ建 物JIL、 基 壇 建物l■、 お よび関連垣 (タムジャン
)遺
構 、 円形 また は楕 円形 の竪穴遺構 、廃 棄 場 、排 水路 と排水 溝、鎮壇 具 と推定 され る埋 納 遺物 、石組 施設、集水施設、窯、青銅生 産 炉址 、お よび工房l■な どの遺構 が確 認 された。青銅生 産 関連遺構 は炉が設置 された炉址 と、青銅 の生産 ない し製作 と関連 した作業 をお こなった工房l■と考 え られる。
炉l■は長 さ3m、 幅2,7m、 深 さ
30cmほ
どの方形竪穴 で、 この内部 に縦横60cm、 平面正 方 形 の炉が設 置 されてい る。特 にこの 中央 部分 に直径15cmの
円形炉 が設置 され、 内面 で送風 日 と連結 され る。炉址 内部 には コ ップ形対蝸 片、青銅 の津 が付 い た砂利石、青銅塊 、青銅 の津が付 い た瓦片 と叩 き文短頸壺が 出土 した。青銅工 房址 の規模 は南北長5m、 東 西幅3m
であ る。 この内部か らは大量 の対鋼 とともに、鉾籠片や蝋石板彫刻 な どが 出土 した。
青銅ltr蝸は炉l■、 お よび工房址 か ら出土 し、全 て コ ップ形 であ る。 日縁 部 に
1個
の注 ぎ 日が付 いて いて、胴体 は中央が若干膨 らみ、底 部 は九 く処理 されてい る。青銅 の熔解や銅 の製錬過 程 に ともな う青銅 溶波 と鉱津 がlH蝸 の 内外 面 に付 着 して い る。銅オ蝸 の 日径 は、60〜
7.6cm、 高 さは70〜
8.5cmで ある。銅 の製錬 、精錬 、熔解 の三つ の作業が、一つ の工房内でお こなわれた もの と推定 され る。
(7)新
羅王京SlEl地
区遺跡新 羅 王京
SlEl地
区 は、条坊制度 に よって区画 され た1区域 に、独 立 した空 間 として区画 され た18軒 の家屋 と道路、垣根施設、排水路 な どが確 認 された。第
8家
屋 で確 認 され た第6建
物IIは 、青 銅 とガ ラス製 品 を生 産 した工房址 で、正 面3間
、 側 面1間
で あ る。建物 内部西狽I間の焼土遺構 か ら焼土 と木炭 、灰 、鉱津 な どが青銅対蝸 片とと もに出土 した。砲弾形尖底や 円筒形九底 の対渦 片 をは じめ と して、饗鋳造用 の鉾範 な どが 出土 した。
(8)慶
州 九責洞苑池遺跡募 皇寺東辺 の苑池遺跡 で、池 内部か らは 2ヶ 所 の人工 島 も確 認 されている。遺跡の北側 に 流 れ る北川 の河岸段丘地形 に沿 って、先史時代遺構 (青銅器時代住居址
)を
は じめ、新羅時代 の遺構 (道路遺構、六角形石造遺構、竪穴遺構)な
どが確 認 された。工 房 関連遺構 として は、築台 (堤
)南
辺 で確 認 され た3基
の竪穴遺構 がある。 これ らの遺 構 は銅 を製錬 した製錬炉 と廃 棄場 と推 定 され る。 内部か らは対蝸 片 、青銅 淳、焼土 や、六 葉蓮 華文軒丸瓦、碗 な どが出土 した。工房 の運営時期 は共伴遺物か ら、7世
紀 中葉 と推定 さ れ る。(9)慶
州皇南洞194‑11・ 12番 地遺跡慶 州 皇南 洞192‑4番地 、 194‑9。 10番 地遺跡 と連結 され る建物址 が確 認 された。特 に青銅 工房 と関連 した竪穴遺構
1基
が調査 された。 この内部か らは、木炭 や焼土 とともに青銅流 出 津が 出土 した。共伴 した両耳付短頸壼 な どの遺物か らみて、8世
紀前 半 〜 中葉 と推定 され る。(10)慶
州西部洞 19番 地遺跡新 羅 王京 の道路 遺構 と、工房 と推 定 され る
1基
の竪 穴遺構 が確 認 された。工房 と推 定 さ れ る竪穴34の 平面 形態 は不 整形 に近 い円形 で、その規模 は南北180cm、 東西164cm、 深 さ65cmで
あ る。 内部か らは、焼土 とともに汁絹 片が発見 された。 この竪穴の堆積土 は黒褐色 砂 質粘 土で、上部北側 に木炭 と焼土 を含 む赤色 の堆積 層が東西 130cm、 南北30cmほ
ど堆積 してい る。銅対渦 の ほか、皿や径 を製作 した と推定 され る勢 籠が 出土 してお り、青銅製錬 と関連 した施設 と推定 され る。(H)慶
州市北 門路王京遺跡統 一新羅 時代 の道路 遺構 と建物址 な どが確 認 され、 この時期 の道路 網構築 と規模 、変化 の様相 、定型化 した計 画性 のあ る道路 築造方法、道路 と関連 した個別住居 の形態、 当時の 治水方法、食生活文化 な ど多様 な古代 人の生活の面貌が明 らか になった。
青銅工房 と関連 した遺構 は86号 竪穴 で、その平面形態 は方形 に近 く、この内側南西部か ら 楕 円形 の小 形竪穴
1基
が確 認 された。内部か ら砲弾形や半球形 の青銅対蝸片4点
が 出土 した。(12)慶
州市皇吾洞消 防道路遺跡統 一新羅時代 の建物址 4ヶ 所 、掘立柱建物2ヶ所 、竪穴55基 、井戸 10基 な ど多 くの遺構 が 確 認 され た。 青銅工房 関連遺構 は27号 竪穴 で、青銅容器 を鋳 造す るための鉾 籠
1点
が 出土した。鉾籠 は経 を鋳造す るための もの と推定 され、漏斗形 の注 ぎ回がつ いている。
(13)伝
臨海殿th臨海殿 は、文武王十 四年 (AD.674)に完成 し月城北辺 に位 置す る。宮殿 に付属 した苑池で あ る。東宮 と呼 ばれた。池 を囲む護岸石築 と建物
I15棟
が確認 された。工房 と関連 した遺物 と しては、金属 を叩 く際 に使用す る金槌 とオ鋼 な どがあ る。(14)慶
州東川洞696‑2番地遺跡統一新羅時代 の建 物llL関連 遺構80ケ 所 、推 定道路遺構 10ヶ 所 、推 定工房址 と関連す る竪 穴遺構
2基
、焼 土遺構3基
、垣根石列 6ケ 所 と朝鮮時代 の建物llLが確 認 され た。青銅工 房 関 連施設 であ る不整形竪穴遺構 は、深 さ35cmほ
どで、 この内部か ら焼土 と木炭が確認 された。竪穴内部か ら、青銅容器 (終
)を
製作 した鉾絶片1点
が 出土 した。共伴 遺物 か ら遺跡 の中心 年代 は8〜9世
紀 と推定 され る。(15)慶
州東川洞764‑2番地遺跡青銅 工房 と関連 した敷石遺構 と井戸
3基
、竪穴住居址1基
、土娠1基
、積心石8個な どが田 庸 畏
確 認 され た。青銅 工房 と推 定 され る敷石 遺構 は、直径10〜
20cmほ
どの石 を二 〜三重 に敷 い ていて、幅 は4mほ
どと推 定 され る。敷石上か ら青銅鋳造 に使用 された銘籠 と焼 土 、 そ して 青銅 片 な どが確認 され、遺跡 の年代 は印花文土器か ら、8世
紀 と推 定 され る。(16)慶
州東川洞789‑10番 地遺跡慶州市東川洞791番 地遺跡 の南東側 に位 置す る統 一新羅時代 の生活遺跡 であ る。 タム ジャ ン基礎石列 2ヶ 所、井戸
2基
、 建物址2棟
、性格不 明の石椰形遺構 lヶ 所 と青銅 工房 と関連 した炉址 lヶ 所 、雑石集積地lヶ所 な どが確 認 され た。炉 の床面 には平瓦片が敷 い てあ り、炉 の規模 は横45cm、 縦
50cmほ
どの不整形や円形 と推定 され る。(17)慶
州東川洞791番 地遺跡慶 州市東川洞791番 地遺跡 で は、統 一新 羅時代 の青銅工房 関連施設 と建物址 の ほか、高麗 時代 の建 物址 と朝鮮 時代 の製鉄 関連 遺構 な どが調査 され た。青銅生産 と関連 した遺構 は垣 根 で 区画 され た正面3間の東西方 向の建物 で、 中央 の間か ら
2種
類 の青銅 生産施設 が確 認 さ れ た。幅3mの
長方形炉 で内部 は酸化焔 で焼成 された。赤褐色軟 質焼成 の鉾籠が多 数 出土 し た。直径40cmの
円形 竪穴 10余 基 が検 出 されてお り、 内部 か ら銅岸が確認 された。 青銅容器 を鋳造す るための銘範 鱈 鋳造)や
蓋 な どの工房 関連遺物が 出土 した。(18)慶
州東川洞793番 地遺跡統 一新羅時代 の建物址
4棟
と井戸2基
、 そ して竪穴式住居址2基
、野外炉址1基
、 南北方 向の大形排水路 な どが調査 された。青銅工房 は炉址 lヶ 所が確認 され、炉 の平面形態 は円形 で、断面形態 は緩慢 なU字
形 で、直径50cm、 深 さは10cmで
あ る。炉 の内部 には炭 を含 む黒 褐 色砂 質土が詰 まっていて少量 の青銅 片が確 認 され た。得鋳造用鉢範 、半球 形 と推 定 され る青銅lH蝸 、青銅片 な どが 出土 した。(19)慶
州西部洞4‑1番 地遺跡慶 州市西部洞4‑1呑 地遺跡 で は、統 一新羅時代 の建物址
6棟
と竪穴5基
、井戸4基
な どが調 査 された。青銅工房 と関連 した遺物 としては、廃棄場 と推定 される2号
竪穴 内部か ら出土 し た鉾籠1点
(饗鋳造用)が
あ る。(20)慶
州城東洞386‑6番 地遺跡慶州市城東洞386‑6番地遺跡 は、統 一新 羅時代 (8〜 9世 紀
)と
朝鮮 時代後期 の生 活 遺跡 で あ る。 青銅工房 と関連 した遺構 は竪穴遺構 で、24号竪穴 か らは一方 に円形炉 を設 置 した痕 跡 が確 認 され、廃棄場 と推 定 され る34号 か らは大量 の鉢範片 と鉱淳 な どが 出土 した。(21)慶
州拝洞伝禅房寺址慶 州市 拝洞伝禅房寺址 に対 す る調査 の過程 で、統 一新 羅時代 の石塔址 と高麗 時代 の建物 址 が確認 された。 また、工房 と関連す る と考 え られるltr鍋1点が 出土 した。
2)日
本日本 で は、弥生時代 か ら銅 製 品の製錬 や熔解 と関連す る対蝸 や鋒 絶 な どの鋳 造 関連遺物 が、韓半 島 と近 い北 九州 の佐 賀県鳥栖市安永 田遺跡、福 岡県春 日市大 谷 遺跡、須玖尾花 町 遺跡 、須玖唐 梨遺跡 な どか ら出土 してい る。銅 製 品の鋳造 関連遺物 の 出土事例 は、比較 的 出土事例が多 い鋳型 を除 くと、北九州 の佐賀県鳥栖市安永 田遺跡、福 岡県春 日市大谷遺跡 、 須玖 尾花 町遺跡 、須玖唐 梨遺跡、福 岡市博 多区那珂遺跡群8次 調査 地点 が あ り、工房が確認
され た遺跡 としては佐 賀県三 田川 町吉野 ケ里遺跡、須玖坂本遺跡、須玖 岡本遺跡L地点、須 玖永 田遺跡、黒 田遺跡 な どが あ る3。 近 畿地 方周 辺の遺跡 と して は、兵庫 県北 山遺跡、今宿 丁 田遺跡 、平 方遺跡 、 東 奈 良遺跡 、鬼虎 川遺跡 、瓜生 堂遺跡 、唐 古 ・ 鍵 遺跡 な どが あ る。
lH蝸 と取 瓶の出土事 例 が少 ない。唐古 ・鍵 遺跡 には対鵜 がある可能性 が あ る。取瓶が出土 した代表的な事例 として は、須玖永 田遺跡がある。
また、紀元後
7〜 8世
紀代 の総合 工房遺跡 であ る飛鳥池遺跡 か らは、金属 製 品の生産や、加 工 と関連 した 金 属 対 蝸 、 お よび蓋 をは じめ と して、鉄 ・銅 津 、 送 風 日、鋒 絶 、砥 石 、 銅 。鉄製 品な どが大量 に出土 した。
(1)須
玖 五反 田遺跡4須 玖 岡本遺跡群 で は、須玖 永 田遺跡 の青銅器工房遺跡 の発 見以 来、特 に低 地帯 か ら青銅 器 とガ ラス製 品の工房 関連遺跡 、お よび遺物 が 出土 した。須玖五 反 田遺跡 は須玖永 田遺跡 か ら西側 に
200mほ
ど離 れていて、須玖五反 田遺跡 か ら南東側 に300m離
れ て須玖坂本遺跡が 位 置す る。須玖 永 田遺 跡 と須玖坂 本遺跡 は、弥生 時代後期 の青銅 器工房 遺 跡 であ る。 この 他 に も黒 田遺跡 、須玖 尾 花 田遺跡 か らは、鋳型 と一緒 に青銅器生 産 関連 遺物 が大量 に出土 した。須玖 岡本 遺跡 の北側低 地帯 は計画 的 に区画 されていて、工房 が機 能別 に整 然 と配置 され てい る。 この地域 には弥生 時代後期 の工房 関連遺跡 が密集 して存 在 してお り、発掘調 査 に よって鋳型、 中子、取瓶、銅津が発見 されている。(2)須
玖永 田A遺
跡5弥生 時代 中期 に入 って集落が統合、拡大 し、大規模 集落の形成が進行 した。那珂 川 と御 笠 川 の間の台地 と丘 陵上 に続 く比恵遺跡群、那珂遺跡群、井尻
B遺
跡 、須玖 遺跡群 が平野 に 位 置す る中期 の大規模 集 落遺跡 であ る。特 に、平野南部の春 日丘 陵周 辺 に位 置す る須玖遺 跡 群 が 中核 的 な集 落 とい え る。須玖 岡本 遺跡坂 本地 区、須玖 永 田A遺
跡 、 須 玖 黒 田遺 跡 、 須 玖尾花 町遺跡 と井尻B遺
跡 、那珂遺跡群 、比恵遺跡群か らは、青銅 器 の鋳型 と中子、対 鋼 と取瓶 な どの鋳造 関連遺物が大量 に出土 した。青銅 器鋳造 関連遺物 が多数 出土 した包含層 の出土土器か らみ て、弥生 時代後期 〜古墳 時 代初期 が 中心 で、弥生時代 後期後半〜末前後 の資料が多 い。青銅器鋳 型
7点
が 出土 した1号 掘立柱建物址 は、共伴す る土器か ら弥生時代後期末頃 と推定 され る。田 庸 畏
須玖永 田
A遺
跡 か らは対蝸 と取 瓶 の破 片 と推 定 され る遺物6片が、1。3号
掘 立柱 建 物址 、Ⅲ地 区遺物包含層か ら出土 した6。 外 面 は青灰 色 を呈 して い て、強い被熱 のため硬イとし、外 面 は黄褐色 を呈 している。
(3)比
恵遺 跡群7比 恵遺跡群 の30次 、42次 、43次、50次、57次調 査 で鋳 型 が、40次 調査 でltr蝸と取 瓶 、43 次調査 で銅津 が 出土 した。42次調査 で は広 形銅 矛 の連結式鋳型 の一部 の比較 的大 きな破 片 が確認 され た。 この鋳型 の破 片 は、古墳 時代 の住居址 内で砥 石 として使用 された もの で あ るが、弥生 時代 の鋳 造作業 と直接 関連 した もの と推 定 され る。43次調査 で は、 弥生 中期 後 半 〜後 期 初頭 とみ られ る住居l■か ら鋳 型 と銅 岸が 出土 した。42次 調査地点 に近 い
40次
調 査 か らは、15点 の対蝸 と取瓶 と推 定 され る破 片が 出土 した。 この中の1点
は全 体 的 な形 態が 復 元 され、 当時 の鋳造技術 を知 る こ との で きる貴重 な資料 と評価 され る。最近、87次調 査 で ガ ラス を鋳 型 に注 ぎ込 むための棒 の痕 跡 が認 め られ るltr鍋の完形 品が発見 された。 青銅 とガラスの加工 に共通 して使用 されていた可能性 がある。(4)那
珂遺跡群那珂遺跡群 は、比恵遺跡群 の南側 に続 く遺跡群 である8。 那珂遺跡
8次
調査 で は、 住 居llL と溝 か ら鋳型 と銅 矛の中子、lH蝸 の破 片5点
が 出土 した。共伴遺物 か ら弥生 時代 中期 後 半 末期 に比 定 され る。20次 調査 で は溝 内か ら中広形銅支 の鋳型片1点
、23次調査 で は 中細 形 銅曳 の鋳型片4点を含 む大量 の鋳型片が、9次
調査 で は取瓶が発見 された。(5)井
尻B遺
跡那I可遺 跡群9の南辺 に位置す る井尻
B遺
跡 か らは、多 くの青銅器製作 関連資料 が 出土 した。6次
調査 で は竪穴住居址 内の坑や廃坑 内か ら、鏡範 として転用 された鏃値 と、底部 に青 銅 成 分 が付 着 した土器が 出土 した。 17次 調査 で は多数 の青銅器製作 関連資料 が 出土 した。 竪穴 住 居址 であ るSC‑4063か ら広形銅支 の鋳型 片、SC‑4064か
らガ ラス製 の勾玉、住居l■か ら約5m東
側 の井戸SE‑4169か
らはオ蝸 の破 片が 出土 した。C地
区か らはlH鋼 片 とガラス勾 玉鋳 型 、青銅付着 土器が 出土 し、井尻B遺
跡 内 にお け る青銅器 とガラス製作 の 中心 的 な場 所 で あ る こ とが分 か る。(6)川
原寺寺域北限の調査Ю川原寺 の中金堂か ら北側 に
200m離
れ た地点 に位置 してい る。川原寺 の寺域北側境 界 施設 で、川原寺造営 時 に必要 な物 品 を製作 した金属工房 と瓦窯址 が確 認 された。川原寺 造 営 後 に停止 され、掘立柱建物 が計画 的 に配置 され てい る。 同時 に調査地域 の南半部 に鉄 釜 鋳 造 土坑が確認 され、大形鉄製品の鋳造が な された ことが わか った。ガ ラス製作 関連遺物 と して は、 ガ ラス小 玉鋳型
1点
が 、調査 地 中央 の炉址群付 近 か ら出 土 した。o.6cm間 隔で小 さい孔が約30個 穿 たれている。小 さい孔 は直径0.4cm、 深 さ0.25cmで、中央 に直径0.5cmの よ り小 さい孔 が 反対側 まで貫通 しない まま穿 たれてい る。 胎 土 は、雲母 を含有 した粘土 に砂粒 が含 まれてい る。表面 の色調 は黄褐色、内面 は橙褐色 を呈 している。
そ して、金属製 品の関連遺物 と して は鋳型、ltr蝸、輔羽 口・ 、砥石 、銅製 品 、鉄製 品、鉄 片、鉄 津が あ る。 日径 が復 元 で きる対蝸40点 、対蝸蓋2点が北灰層、区画溝 の 中心か ら出土 した。 そ して外径 の わか る送 風 口70点 も北灰 層 、 区画溝 か ら出土 してい る。 送風 回の全体 的 な形態 は小 さい裾形 を していて、残存す る先端部 は熔解 してガラス質化 し、 黒色 を呈 し、
白色 の ガ ラス物質が付着 してい る。 同時 に、砥石60点 以上が
SD605の
北西 を中心 に集 中 して 出土 していて、銅 製品 と鉄製 品が工房の北 区画、区画溝、土坑SX598、 北灰 層 か ら出土 した。寺 院造営 時期 の工房 は、 北 狽J調査 地域 に広 が る灰 層 に存在 し、西側丘 陵斜 面 に も存在 し た もの と推定 され る。工房 の立地 は丘 陵斜 面 で、飛 鳥池遺跡 と類似 し、鉄 ・ 銅 ・銀 ・ ガラ ス ・瓦 ・漆器製 品 とい った生 産 品 日にお いて も共通点が多 い反面、規模 は小 規模 で あ る。
全体 的 に同時期の飛鳥池遺跡 の工房 と類似 してお り、寺 院付属工房 と推定 され る。
(7)大
学府工房 関連 施設ワ大 学府 において銅器 製作 技 術 を示 す事例 は 4ケ 所 が知 られてい る。 回廊 西 南 隅か ら3.5×
20mの
正楕 円形の保土穴が15基 発 見 され、 この内部か らは直径30cm、 深 さ15cmの
lH蝸 と高 熱 に よって赤色 を呈 した銅 津が 出土 した。送風 日の挿入 口 と推 定で きる直径 10〜15cmに
復 元 され る円形 の孔が、両狽1にあ け られ てい る もの も多数確 認 された。輪鐙 の鋳 型 と銅 製鈴 帯 金具 も出土 してい る。 また、大 宰府政庁 か ら西側 に400m離
れ た舌状 台地 に、 来木西工房 址 が発見 された。第41次調査 で大 学府政庁 Ⅱ期 造営 時整 地層 か ら出土 したガ ラス寸鋼 は、 口径 が13.5cm、
高 さが
6cmで
薄 い形 態 で あ る。 内面全 面 に暗赤褐色 のガラス質成分が付 着 して い る。飛鳥 池 遺跡 か ら出土 した砲 弾形 ガ ラス対渦 と類似 した形態 の ガラスIH蝸 (第6次 調査)も
出土 し た。そ して、銅製品鋳造用の対蝸 も5点 出土 した。 このうち3点 は26次調査 の後面築地面か ら、2点 は回廊西端、お よび南端か ら出土 した。内面に黒色、あるいは緑青色 の銅残留物 と 推定 される物質が確認 された。特 に、日径13.4cm、 器高5 8cmの銅対捐 は、 日縁 部に注 目が つ くられている。日径が28cmに
復元 される工房関連の大形土製品 も確認 され た。最後 に送 風回は、孔の直径が2.3cmの 細身類、孔の直径が3 2cmの太身類、子との直径が4cmの
大身類 と大 きさによって3種
類 に区分 される。端部が強 く被熱 して灰〜青灰色 を呈 した り、緑青色 を呈 した物質が付着 した事例 もある。3.ガ
ラス 製 品 製 作 関 連 工 房韓半島出土のガラスのなかで、最古の扶餘合松里か ら発見 された青色の管 玉 をは じめ と する多様なガラス製品は、原三国時代や百済初期の墓か ら、少 ない場合で1・
2個
、多 けれ ば数百個出土する。 しか し、 国内でガラス製作址 は発見 されてお らず、三 国時代以前のガ田 庸 畏
ラス製作 関連 資料 は、原三国時代 住居址 や、貝塚 か ら出土 した ガラス鋳造用 土製鋳 型 数 点 のみであ る。
最 近、扶餘 官北里・訊北里遺跡、益 山弥勒 寺址 ・王宮里遺跡 な どの百済地域 と、慶 州 地 域 の 三 国〜統 一新 羅時代遺跡 か ら、多様 な形 態 の ガ ラス片 、 ガ ラス靖蝸 、 ガラス津 な どの ガ ラス製作工程 にかか わる遺物 や、 ガ ラスエ 房 が継続 して確 認 されてい る。特 に、益 山松 鶴洞遺跡 の原三国時代住居址か らは、長方形 の ガラス鋳造用土製鋳型
1点
が発見 された。1)韓
国(1)春
川 中島遺跡B中島遺跡 のCト レンチの発掘調査過程 で、 ガラス鉾範片
1点
が撹乱層か ら出土 した。粘 土 板 に直径5mmの
孔 を もうけ、 さ らに この子との 中心 に直径lmm、
深 さ3mmの
小了しを穿 ち、反対側 まで貫通 してい る。一連 の子Lは 整然 と配置 されてい る。色調 は黄褐色 を呈 していて、
胎 土 は良質の緻密 な粘土で、焼成度 は高い。
(2)海
南郡 谷里 貝塚W海 南 郡 谷里 貝塚 の
Dピ
ッ トV期
層 (2層)か
ら、 ガラス鋳 造用土製鋳 型が1点
出土 した。残存 長 は43cm、 残存 幅 は4.3cm、 厚 さは0.5cmであ る。粘土板 に直径
3mmの
孔 があ け られ、この子しの中心 に直径
lmmの
小孔 を穿 ち、反対恨Jまで貫通 している。ガラス小玉、土製勾 玉 、 勾 玉 、貝製管玉、水晶 な ども一緒 に出土 した。(3)河
南漢沙里遺跡い河 南 渓沙里遺跡 の高麗大学校調査地域 の10号 住居址 か ら、 ガラス鋳造用 の土製鋳 型
1点
が 出土 した。残存 幅 9cm、 厚 さは0,7〜0.9cmであ る。残存状態か らみて、平面形態 は長方形 と推定 され る。粘土板 をナデ、お よびケズ リ調整 した後 に、直径0.4cmの 孔が半分 ほ どあ け られ て い て、 この内部 に直径0.05cmの小 孔 が 反対 側 まで貫通 して穿 たれてい る。上面 は暗 褐色 、下面 には燃焼 に よる黒褐色斑点が確認 され る。
(4)羅
州玉谷里バ ンチ ュク遺物散布地お羅 州旺谷 面玉谷里バ ンチ ュクマ ウル ●す)とこ対す る地表調査 の過程 で、 ガラス鋳造用上製 鋳 型
1点
が 出土 した。厚 さが0.5cmの粘 土板 に直径0.6cmの孔 が あけ られ、 さ らに この内部に小 さい孔が反対側 まで貫通 してあけ られてい る。
(5)益
山松鶴洞遺跡'原 三 国時代
6‑1号
住 居址 か らガ ラス鋳 造用 上 製鋳型1点
が 、 内部 にガラス玉が付 着 した 状態 で 出土 した。全体 的な平面形態 は方形 と推定 される。(6)ソ
ウル風納土城 ガラス鋳造用土製鋳型 とガ ラス片おソウル風納土城慶堂地区9号遺構 か ら、 ガラス鋳造用土製鋳型や多種多彩 なガラス玉 と鉄 針 が確 認 された。鉄針が確認 されてい る唯― の遺跡 である。鉄針 は直径
01cm内
外 、 長 さが1.6〜1.8cmで 、 ガラス原料 を溶 か して鋳 型 に注 ぐとき、玉の孔 をつ くるため に鋳 型 に挿す も の と推 定 され る。 ガラス津 も出土 した。
(7)益
山弥勒寺址D大形 鉄 床 と20余 個体 分 の対蝸 片 、 お よび蓋が 出土 した。 同時 に、大 ・小 形 の鉛 ガ ラス破 片 が大 量 に出土 した。 寺 院 を維 持 す るため に必要 な瓦 や金属工芸 品、 ガラスエ 芸 品 な どを 生 産す る作 業施設が存 在 した もの と推 定 され る。弥勒寺址 の ような大規模寺 院 は、建物 の 維 持 や補 修 、各種仏教儀式 な どに必 要 な物 品 を自給 自足 で賄 った。工房 施設 は鉄 器類 を製 作 した もの とみ られ、北側 僧坊l■の西北方外狽1に位 置す る もの と推定 され る。
(8)慶
州隆城洞遺跡20慶 州 隆城洞遺跡か ら、 ガ ラス鋳造 用土製鋳型1点と勾 玉鋳造用上製鋳型
2点
、 ガ ラス玉 6 点 が 出土 した。勾 玉鋳 造 用 鋳 型 は、砂 岩 を長 さ47〜
6.05cm× 幅3.9〜4,7cm×
厚 さ1.9〜2 05cmの半 円形 に近 い板 に成 形 した後 に、勾 玉形 の溝 を彫 ってつ くってい る。 報 告者 に よ れ ば、表面 に結縛用 の溝 が な く、勾 玉形 の溝 内部 に何 も痕跡が ないため、鋳 型 が 土 製勾 玉 をつ くるための ものであ る可 能性 もあ る と考 え られ てい る。 ガラス鋳造用 上 製 鋳 型 の残存 長 は 5cm、 残存幅 は4.6cm、 厚 さは1 45cmであ る。残存状態が良 くな く全体 的 な形 態 はわか らない。色調 は黒褐色 を呈 して いて、胎 土 は粘 土 に雲母 を含 んだ細砂粒 が大量 に含 まれて い る。粘土板 に直径0.8cmの比 較 的大 きな孔 が、0,7cmの深 さであ け られ て い て 、 この孔 の 中央 に さ らに直径0.2cmの 小了しが反対側 まで貫通 している。
(9)慶
州皇南洞376番 地統一新羅時代遺跡払慶州皇南洞376番 地
Blグ
リ ッ ドか ら、銅汁鍋片6点、 ガ ラスIH鋼3点が 出土 した。オ蝸 の 内面 に ガ ラス膜 が 分厚 く付 着 して い て光 沢 が あ る。 この物 質 に対 す る成 分 分 析 の結 果 、PbOを 70%以
上含 んだPbO―Sio2系 鉛 ガ ラス と判断 され、 ガラスの軟化点示差 走査 熱量計 に よる測定結果 は442℃ で、融点 は直接測定 した結果、約650℃ であった。2)日
本日本 の ガラス と青銅器 ・鉄器 は、 いず れ も弥生 時代 に大 陸か ら導入 され、高 度 の工業技 術 を伴 い搬入 された工芸 品であ る22。 弥生 時代 中期 中葉頃に厚葬墓の副葬品 と して 出土す る。
中期 後 半 には、 ガ ラス製 品が 王墓 の副 葬 品 として用 い られ、 日本 国内 にお いて も生 産 され た。後期 には、 ガラス製 品が広 く普 及 し、墳墓 以外 の遺跡 か らもガラス製小 玉 な どが大量 に出土す る23。 ガラス製品の生産 を直接 的 に示す鋳型 は、主 に後期以 降の遺跡か ら出土す る。
ガ ラス製勾 玉鋳型が 出土 した弥生 時代 遺跡 として は、大阪府東奈良遺跡、 山口県 下七見遺 跡 、佐 賀県 中原町原古 賀三本 曲遺跡 、福 岡県夜須 町 ヒルハ タ遺跡、福 岡市 弥永 原 遺跡、春 日市赤井手遺跡、須玖五反 田遺跡 、須玖坂本遺跡 、平若遺跡 な どが あ る。 この うち、 中期 前半 の下七見遺跡 をのぞ けば、鋳 型 は後期 の遺構 か ら出土 している。
田 庸 畏
(1)須
玖 五反 田遺跡春 日市 地域 の ガ ラス靖蝸 は、須玖 五反 田遺跡 、須 玖坂本遺跡 、須玖永 田遺跡
B地
点 か ら 出土 した24。 須玖 五 反 田遺跡2Sは、須玖永 田遺跡 か ら西 に200m離
れていて、須玖五反 田遺跡 か ら南東側 に300m離
れ て須玖坂本遺跡 が位 置す る。1号
住居址 か らは、 ガ ラス管玉鋳 造用 土 製鋳型 、lH蝸 、 ガ ラス製玉、砥石 、 ガ ラス片 な どガラス鋳造 関連遺物が一括 出土 し、特 殊 な付属施設が確 認 された1号
住居l■は、 ガラスエ房 とみ る ことがで きる。1・
3号
住居址 と1号土坑、お よび溝状遺構 か らガ ラス製 品の鋳型が14点 出土 した26。 勾 玉 27と 異形 の丸玉 を製作す るための土製鋳型 であ る。細粒 質の砂粒 を含 む粘土板 で、高温の熟 を受 けて青灰色 を呈 してい る。残存状態 か ら1〜4個
の勾玉 を製作す るための鋳型 と考 え ら れ る。1号住居 lIの 東壁床 面か ら浮 いてい る状 態 で 出土 した勾 玉鋳型 は、全長29mm、 幅 は 12.7〜15.8mm、 最大厚 は14mmで
、頭部分 に直径2.5mm、 深 さ4.5mmの
孔 があけ られてい る。ガ ラスlH鍋28と推 定 され る遺物 も
9点
出土 した。石 製対蝸 片1点
以外 は土製対蝸片で、遺 物 の用途 は不 明確 で あ る。土製対渦 片 はガ ラス製作 用鋳型 とほぼ同一 の胎 土 で、強 く被 熱 し、 内部 にガ ラスが付 着 した ものが多 い。1号
住 居 址 か ら出土 したオ鍋 片 は底 部の外 形 は1/4残
存 し、底 径 は52mm、 日縁 部 の直径 は42mm、 高 さは27mmと
推 定 され る。全 体 的 な 形 態 は扁平 な底 部 に、器壁が直立 した形態 の小 形 の容器 と推 定 され る。特 に、底部の外面 に粘土 を補 った痕跡が確認 され る。1'3〜 4号
住 居l■か ら出土 した砥 石 はわず か に くぼむ溝 が あ り、玉 を磨研 す るため に用 い られた と推定 され る。岩質 は頁岩や細粒 質の砂岩 である。 また、製作過程で破損 した り、完成後 に廃棄 された ガラス勾玉未製 品が、
3号
住 居址 と1号
土坑か ら出土 した。(2)須
玖永 田A遺
跡20ガ ラス鋳造用勾 玉土製鋳型が 出土 した。残存 長3.3cm、 幅4.4cm、 厚 さ1,75cmであ る。胎 土 は細粒 質の砂 質粘土 に砂粒 が含 まれてい る。現存 す る鋳型 の幅 は3.2cmで 、円弧状 を呈 し ていて、鋳型 の深 さは1 0cmで ある。直径
5mm前
後 の孔 が 反対側 にあけ られていて、子しの 反対側 の直径 は最大1.2cmで ある。鋳型 内側 に暗赤褐色 の ガラスが付着 してお り、使用 時 に と もな う痕跡 と推 定 され る。後 面 は暗青灰 色 、責灰 色 、残 りの部分 は暗青灰色 を呈 してい る。大形 の勾玉 と推定 される。(3)井
尻B遺
跡ωガ ラス勾玉鋳型
1点
が、SC4064か
ら出土 した。残存長4.37cm、 I幅4 44cm、 厚 さ2.05cmで 勾 玉 の長 さは3.2cmであ る。鋳型 は2個以上 の型が並 んでつ くられていて、前面 の右側 中央 の下側左 端 に刻 目が あ る。色調 は茶褐 色 で、胎土 は粘土 に細粒 質の砂が含 まれている。頭 部 に孔用材 の芯棒 を刺 す ための小孔 はない。鋳 型 の左側 にガ ラス溶液 を注 ぐための構 が あ る。基本 的 にガ ラス勾 玉鋳 型 は鋳型1枚
を使用 す る片面型 で あ るの に対 し、今 回出土 した鋳型 は連鋳 式 で、頭 部 に孔 用材 の小 孔 が な く、側 面 に鋳型 を合 わせ るため に刻 んだ痕 跡 が 確認 され る こ とか ら、2イ固の型 を合 わせ て使用 した可 能性 がある。鋳型 を合 わせ た後 に周 囲 を粘上で 目張 りした痕跡が確認 され る。
(4)西
新 町遺跡飢ガ ラス勾 玉用土製鋳型
1点
と、小 玉用土 製鋳型2点
が 出土 した。 ガラス勾玉用土製 鋳 型 は 114号 住居l■か ら出土 した。 中央 に長 さ1.2cm、 幅0.5cm、 深 さ0,35cmの 勾 玉 の型 が彫 られ て い る。勾 玉形 の中央 には直径0 1cm、 深 さ0.6cmの小 孔が穿 け られてい る。小 玉用上 製鋳型 は、131号住 居址 と45号土 坑 か ら出土 した。131号住 居 址 か ら出土 した小 玉鋳 型 は 、 直径 0 5cmの孔 が あ け られていて、 この 中央 に直径0.lcmの小孔が反対側 に貫通 してい る。 前 ・ 後面 は使 用 に よって全 体 的 に黒 色 に変 色 して い る。45号 土坑 か ら出上 した ガ ラス製 小 玉用 上 製鋳 型 は、形態 的 に古墳 時代 出土 品 と類似 す る。平面形態 は端部 の形態 や孔 の配 列 か ら み て、 長 さ9cm、 幅7〜8cmの
長 方形 と推 定 され る。上面 に37個 の孔 が あ け られ て いて、さ らに この 中央 に直径0.lcmの よ り小 さい子とが反対側 に貫通 している。上面 は黒色 を呈 して いて、下面 は二次 的 な過熱 に よって変色 してい る。古墳 時代 の近畿 、 関東地 方か ら出土す る小玉用鋳型 は韓 国の河南湊 沙里 、 海南 郡谷里貝塚 出土 品 と類似 し、韓半 島の ガ ラス製小 玉製作技術 と関連す る と推定 され る。
(5)鶴
ヶ岡1号
墳鬱鶴 ヶ岡1・
2号
墳 は千葉県 木更津 市桜 井 字鶴 ヶ岡 に所在 し、北 に東京湾、東 に鳥 田川 の低 地帯、標高約35mの
丘 陵地帯 に位 置 してい る。1号
墳 の墳 丘 は円形 で、復元径 は23〜24mで
あ る。 共伴 した土器か ら、 この古墳 は
4世
紀 中棄前後 に築造 された もの と推定 され る。墳 丘 構 築土 内か ら、 ガ ラス小 玉用 土 製鋳 型 と靖 蝸 が、埋 葬施設 内か ら各種 玉類 と刀子 が 、 周溝 内か ら大形 の板状鉄斧 と多数の土器が 出土 した。ガ ラス小 玉用土製鋳型
1は
、墳 丘残存 部分 の中央、 旧地表面か ら約40cm上
で 出上 した。残存 長 は45,Omm、 残存 幅 は
250mm、
最 大厚 は110mm、
残存重量 は855gで
あ る。 一 方 の面 に22個 の孔 が残 っていて、孔 の 中央 に孔用材 が残 っている。孔用材 は断面五角形 の芯 材 で、泥 質 の離型 剤 に覆 われ てい る。孔 の 中央 にガ ラスが付 着 してい る。 この ガラス成分 に対す る蛍光
X線
分析 の結果、埋葬施設 か ら出土 したガラス成分 と同一であった。ガラス小玉用土製鋳型21よ、墳 丘南側 の破壊 された部分か ら出土 し、本来は墳 丘構 築 土 内 に含 まれていた もの と推定 され る。残存 長 は36.Omm、 残存幅 は27.Omm、 最大厚 は13.Omm、
残存重量 は7.84gで あ る。孔 の数 は19個 であ る。胎土 は微細 な白色粒 で骨針が含 まれ 、緻密 で あ る。上 面 は全体 的 に淡褐色 を呈 してい るが、部分 的 に灰青色 を呈す る。特 に、 下 面 で 灰 青色 を呈す る部分 は熱 を直接 受 けて変色 した もの と推定 され る。破 片の部位 、厚 さ、表 面 の色調 は、川戸下、豊 島馬場遺跡 出土土製鋳型 と類似す る。
田 庸 異
lr禍 片 も、ガラス小 玉用土製鋳型2点と同 じ位 置か ら出土 した。
1/5以
下 の胴部片であ る。外面 は高熟 に よって硬化 していて、部分 的 に赤色 と灰 色 に変色 してい る。残存長 は32.Omm、
残存 幅 は25.Omm、 器壁 の厚 さは6.5mm、 残存重量 は8.51gで あ る。 このltr鋼片 はガ ラス製作 用 lH鍋 と推 測 され るが、富津市下谷、草加市東 地総 田遺跡 出土難堀 と比較す る と、青銅 製 品の鋳造 との関連 もうかがわせ る。
埋 葬施設 出土 の濃紺色 ガラス小玉 は、墳 丘構 築土 出土土 製鋳 型 を使 用 して製作 された と 推 定 され る。 この ガラス小 玉 は生前 に被 葬者 の使 用 した装 飾 品か、被 葬者 に対 す る祭祀 の 後 に急 ご し らえで製作 された葬送用具 と推 定 され る。孔用材 の残存状 態 か らみ て、連玉 と して使用 され た可 能性 が あ る。土 製鋳 型 は墳 丘構 築 過程 にお いて金属 製 品、玉 と共伴 し、
構 築土 内 に封入 された特殊 な行為 の象徴物 とみ られ る。
(6)川
戸下遺跡33鹿 島川支流 の鹿 島支谷 の北側 に接 した台地 の先端 部 に位置 してい る。 ガラス小玉鋳型 は、
2号
住 居址 か ら出土 した。2号
住居址 の平 面形態 は不規則 な長方形 で、幅 は2.63mと小規 模 で、 ガラス小玉 を製作 した特殊 な空 間 と推定 され る。土 製鋳型 は、住居址床面 に散 らばった状態 で発 見 され た。全体 の
1/2が
残 ってい て、 長 さ と幅 に合 わせ て同 じ数 の孔が あ る とみ た とき、平 面形態 は方形、一辺 の長 さは17.5cmに な り、約700点 以上 のガ ラス小玉 を製作 した もの と推 定 され る。上面の中央部 に強 く被熱 し て黒色 に変色 した部分 が確 認 され る。下面 は全 体 的 に黒色 を呈 してい るが、 これは熟源 に 直接 的 に接 していたため と推 定 され る。孔 内部 か ら孔 用材 の痕跡 が確 認 され、孔用材 の芯 材 には泥質 の離型剤が塗 られている。芯材 の断面形 は、鶴 ヶ丘1号
墳 出土 の五 角形 とは異 な り円形 であ る。(7)下
谷遺跡34小 糸川の旧河道北岸 に位置 している。ltr禍
4点
が 出土 している。底 部 は先 の尖 った砲碑形 を していて、外 面 に指頭痕が確 認 され る。色調 は全体 的 に変色 に よって青灰 色 を呈 して い て、 部分 的 に赤色 ガラス質の 自然釉 が確 認 され る。 内面 には、胴 部 の中間以下か ら赤色 に 変色 した部分 が確 認 され、緑青色 の付着物 が観 察 され る。 この ような内部 の付着物 は青銅 と推定 され、完形 の対渦2点と、後述す る東地総 田遺跡 出土lr蝸 は青鋼製 品の鋳造用対鋼 と 推 定 され る。孔 の直径 は3.9cm、 器 高 は5,25cm、 重 量 は36.67gで ある。本体 の2/3程
度が残 って いて、外 面 には熔解 した 自然釉が残 ってい る。器 面 の くばんだ部分 に青緑色物質が付 着 してお り、底部 の内面付近 に も青緑色物 質が付 着 してい る。残存 長 は3.4cm、 残存 重量 は 10.67gで ある。対鋼 は2・ 5号住居址 か ら出土 し、S字
状 回縁 台付 器が 出土 していて、外来系 集 団の鋳造技術 と関連 した もの と推定 され る。(8)東
地総 田遺跡35毛長川 の北岸 に位 置 してい る。 この遺跡 の対岸 に祭祀遺跡 であ る伊興遺跡 が位 置 してい る。lll渦片
1点
が 出土 した。 日径5.2cm、 高 さ4.4cmであ る。 器面 には、全 面 に自然釉 がか か ってい る。鶴 ヶ岡1号
墳 ・下 谷遺 跡 出土ltr蝸とほ ぼ類似 す る。 内面 に緑青色物 質が付着 して い て、銅 製 品の鋳 造 と関連 した もの と推 定 され る。外 来系 土 器 の比率が 高 く、奏形土 器 の大 部分がS字
状 口縁 台付奏 である点か ら、青銅製 品の鋳 造 は東海西 部 を中心 とす る外来 系集 団 と関連 した もの と推 定 され る。(9)豊
島馬場 遺跡36豊 島馬場遺跡 は、東京低 地帯 の西 隅 にあ る田川右岸 の 自然堤 防上 に位置す る。標 高 は遺 構確認面が約1.30m、 現 地表面が約2.5mほどで ある。周辺 には上流 に志茂遺跡、宮堀北遺跡、
下流 に都民 ゴル フ場遺跡 、 豊 島青光館 跡 が位置 してい る。志 茂遺跡 は、弥生 時代 後期後半 頃の可能性 が高 い円形周溝墓が密集 している遺跡 で、
4基
の方形周溝 墓 も確 認 された。 この 遺跡 は、立地環境 や方形墓 とい う形態か らみて豊島馬場遺跡 と高い共通性 をみせてい る。ガ ラス小玉用 土製鋳 型 は、
SHol方
形周溝墓 か ら2点、SH03方
形周溝墓か ら1点
、SH18周
溝墓 か ら3点、SH19周
溝墓 か ら2点な ど計10点 が出土 した。土製鋳型 は、方形周溝墓 の南東 方 向軸 の 中央 陸橋 か らのみ 出土 した。粘土板 に半球状 の小 形孔 が整 然 とあ け られ ていて、この孔 の中央 に ガ ラス製小 玉 の芯棒 のための よ り小 さな孔 が、 さ らに反対側 まで貫通 して い る。上面 は滑 らか に調整 されていて、下面 と断面 は淡灰色 を呈 してい る。本来、土製鋳 型 は褐色 を呈 してい るが、二次 的 な加熱 や高熟 によって変色 し淡灰 色 を呈 す るにいた った
と推定 される。孔 の内部 にはガラス質が付着 している。
千葉県、東京都 か ら出土 した
4世
紀前 半の ガラス小玉用土製鋳 型 は、共通 して孔 の直径が3.5〜
40mmで
、孔 の 中の小孔 が反対側 まで貫通す る もの と しない ものがあ り、外形 は直線的 な方形 と推 定 され る。 出土遺構 は住居址 、古墳 、方形周溝 墓 で、 直接 的 な鋳造 関連遺構 は検 出 されてい ない。
(10)難
波宮跡80‑9次87難波宮 跡 の東側 で玉造稲荷神社 の北西 に
500m離
れ た地点か ら、 ガ ラス小玉用土製鋳型が 出土 した。一方 の面 には多数 の孔 があけ られてい る。『 日本書紀』仁 賢天皇六 年の 「難波玉 作 部卸 魚 女」 の文献記録 か らみて、5〜6世
紀 に玉製作 に従事 した工 人が、付 近 に居住 して い た可能性 が あ る。土製 円板形 で、復元径 は12.9cmであ る。孔 は35イ固が残 っていて、直径 4.5mm、 深 さ3.Ommで
あ る。芯の孔 は反対側 まで達 してお り、直径 は0.5〜1.Ommで
あ る。(11)布
留遺跡38布留遺跡柚 之 内 (樋ノ下、 ドウドウ
)地
区か ら、 ガラス小玉用土製鋳 型が出土 した。古墳 時 代 中期 〜後期 の掘 立柱建 物 10棟 以上、溝4条、井戸2基
、土坑5基
、 竪 穴住居址 17棟 が確認日 庸 畏
され た。 ガラス小玉用土製鋳型 は、溝
1の 5世
紀 末 頃の遺物 が含 まれ る層か ら出土 した。第1次
調査 で 出土 した土 製鋳型1は
残 存 長3.9cm、 残存 幅3.Ocm、 厚 さ1.7〜1,9cmで あ る。上面 に直径3.5〜4.Ommの
半球形孔 が35イ固あ け られてい る。 この孔 の中に、直径0.5mmの
よ り小 さい孔 が反対側 まで貫通 してい る。上 、下面 は二及 的 に熱 を受 けて変色 し、灰 青色 を呈 し てい る。特 に中心部分 は赤茶 色 を して い る。胎 土 は比較 的精選 され ていて、大小 の砂粒 が 混入 され てい る。 土製鋳型2は
残存 長2.8cm、 残存 幅2.2cm、 厚 さ13cmで
あ る。 上 面 に直径 3.5〜4,Ommの
半球形 の孔11イ固が 、 反対側 まで貫通 してあけ られてい る。上、下面 は熱 を受 けて灰色 を呈 してお り、 中心部分 は茶褐色 を呈 している。(12)上
之宮遺跡89上之宮遺跡 の7世紀 の遺物 包 含層 か ら、 ガラス小 玉用土製鋳型6点が 出土 した。土製鋳型 は厚 さが1 5cm前 後 の粘土板 でつ くられていて、直径7〜
8mmの
比較 的大 きい子との中央 に よ り小 さい孔 が反対側 まで貫 通 して あ け られ てい る。部分 的 に ガラス溶 波 が付 着 して い る。全体 的な形態 は円形 と推定 され る。
(13)谷
遺跡 シ ヨブ地 区40谷遺跡 シヨブ地 区の
7世
紀 頃 と推 定 され る遺物包含層か ら、 ガラス製小玉用土製鋳型1点
が 出土 した。残存 長2 2cm、 残 存 幅1.8cm、 厚 さ1.lcmであ る。 上 面 には直径5mmの
孔 が4mm間
隔で12個 あけ られてい る。孔 の中央 には小 さい子とが反対側 まで貫通 してい る。(14)四
條 大 田中遺跡・四條 大 田中遺跡 出上 の ガ ラス小 玉用 土 製鋳型 は、奈 良時代 の遺物 とともに出土 した。残 存 長4.3cm、 厚 さ1.Ocmで 、平面形態 を円形 とみ る と復元長
9cmと
推 定 され る。上面 に直径3〜
4mmの
半球形 の子とが あけ られていて、 この中央 によ り小 さい孔が反対 側 まで貫通 してい る。上面 の一部 にガ ラス質が付 着 してい る。 この鋳型 に ともなって送風 日、鉄 淳 、 ガラス 津、青銅 製品が 出土 した。(15)讃
良郡条里遺跡42讃 良郡 条里遺跡 出上 の ガ ラス小 玉用 土 製鋳型 は、古墳 時代 中期 〜後期 と推 定 され、布留 遺跡 出土 の土製鋳型 と類似す る。残存 長 は5.Ocm、 残存 幅 は3.9cm、 厚 さは1.6cmであ る。外 形 は壺 と類似 す る。前面 に直径
8mm、
深 さ8mmの
円筒形 の孔 が10個 あ け られ て いて、 こ の中央 に直径1,7mmの
よ り小 さい子しが反対狽Iまで貫通 している。外形 の断面 は正 方形 を して い る。(16)平
城京左京一条三坊431969年 に調査 された平城京左 京一条三坊十五 ・十六坪 の溝
SD485か
ら、 ガ ラス小 玉用土製 鋳 型 が 出土 した。平城京左 京一条 三坊 十五 ・十六坪 は、奈 良時代 の長屋 工 の作 宝宮候補 地 とされている場所 であ る。SD485の
平城 宮土器 Ⅱ期 の溝か ら、工房 関連遺跡 の存在 を示す遺物 が 出土 した。 残 存 長 は7.6cm、 残 存 幅 は5.2cm、 厚 さは0。7〜
0,9cmで
あ る。 上 面 に直径5mmの
半球形 の孔 が25個 あ いて いて、 この中央 に直径lmmの
よ り小 さい孔 が反対側 まで 貫 通せ ず に中程 まであ いて い る。下面 に格 子 ロタタキの痕跡 が確 認 され る。二 次的 な焼成 に よって変色 し赤色 を呈 した部分が確認 され、 ガラス も付着 している。(17)柏
原市遺跡群44柏 原市大県4‑369、 4‑359‑1番地一 円に対 す る1994年 度の第93‑2、 93‑4次発掘調査 に よっ て ガ ラス小 玉用 土製鋳 型
2点
が 出土 した。 第93‑2次調査 出土 の ガ ラス小 玉用 土 製鋳 型 は、残存 長5,7cm、 残 存 幅3.6cm、 厚 さ1.5cmであ る。色 調 は赤褐 色 を呈 して い る。上 面 に直径 5.5mm、 深 さ
25mmの
半球形 の子とがあけ られていて、 この中央 に直径1,Ommの
よ り小 さい子し が反対狽Jまで貫通 して い る。 第93‑4次調査 出土 の ガ ラス小玉用 土製鋳 型 は、遺物 包含層 から発見 された。残存 長 は4.Ocm、 残存幅 は38cm、 厚 さは1.3cmで あ る。色調 は赤褐色 を呈 し て い る。 上面 に直径
4mm、
深 さ3mmの
半 球形 の孔 が あ け られ て い て、 この 中央 に直径lmmの
よ り小 さい子とが反対 側 まで貫通 している。残 ってい る部分か らみて、全体的な平面 形態 は円形 と推 定 され る。(18)平
城京左 京七条一坊十五・十六坪巧平城京左 京七条一坊 十五・ 十六坪 に対す る調査 で、東一坊 大路 西側溝
SD6400の
奈良 時代 の層 か ら、 ガラス小玉1点
と と もに、 ガラス小玉用土製鋳型5点
とガ ラスII鋼 片6点が 出土 した。土製鋳型 は粘 土板 に多 数 の小 さい孔 が あけ られていて、 この孔 の中央 に直径lmm、
深 さ
2mmの
よ り小 さい孔が反対側 まで貫通 しない ようにあけ られてい る。胎土 は、粘土 に 長石 の粒 が含有 されてい る。土製鋳型1の
外 形 はなだ らか な曲線形 を して いる。直径3mm
の子しが21個 あけ られてい る。 下面 には布 目痕が確認 される。土製鋳型
2は
直径4mmの
子しが 13個 あけ られてい る。 下面 には同 じく布 目痕が確 認 され る。土製鋳型3は直径4mmの
子とが 22個 あけ られていて、 同 じ く布 目痕が確認 され る。土製鋳型4は
直径4mmの
子しが 11個 あ けられていて、下面 には同 じく布 目痕が確認 され、側面 は丁寧 に調整 されている。
ガ ラス対渦 は日縁 、 お よび底 部 の一部分 だ けが残 っている。胴体部か ら口縁部 にい くほ ど、 ほぼ垂 直 に近 く緩慢 に広 が ってい る。砲弾形 と推定 され る。胎土 は、粘土 に長石 の粒 が 含 まれ てい る。器壁外 面 に は格 子 ロタタキが鮮 明 に確 認 され る。 ガ ラス膜が 内面全面、
お よび外面の一部 にみ られ る。器壁 の厚 さは0.9〜
15cmで
あ る。(19)飛
鳥池遺跡の ガ ラス小玉用土製鋳型46ガラス小玉用土製鋳型 は、粘 土板 の一方の面 に直径
5mmの
半球形 の子とが整然 とあけ られ ていて、 この子との中央 に直径lmm未
満 の よ り小 さい孔が反対側 まで貫通 してい る。(20)石
神遺跡47石 神 遺跡 は飛 鳥寺 の西北側 に位 置 してい る。遺構 は大 き く