1983年出土の木簡
資 滋
・ 東 光 寺 遺 跡
1 所在 地 滋賀 県 大津 市 大萱 二丁 目 2 調 査期 間 一九 八三 年
︵昭 58︶ 月一 を 八月 3 発 機掘 関 滋賀 県 教育 委 員会
囲・ 滋賀 県文 化財 保護 協会 4 調 査 担当 者 岡本 武憲 5 迫退 跡 の種 類 寺 院跡
︒官 衝跡 6 遺 跡 の年 代 白 鳳
?平 安時 代中 期 7 遺跡 及 び木 筒 出 土遺 構 の概 要 東光 寺 遺跡 は︑ 琵琶 湖 より 流 れ出 る頑 田 川 の左 岸 近︑ 江 国府 の北 辺 に近 接 し て位 置 す る︒ 遺跡
の中 心部 と考 え ら れ る大 萱 の集 落 は︑ 近 江国 府 域 と同 様 に正 方 位 の地 割 が現 存 し てお り︑ 今 回 の マン シ ンョ 建 設 に先 立 つ発 掘調 査 は︑ そ の南 端 の 丘陵 裾 部 低の 湿地 を対 象 に 行 たっ
︒ 調査
の結 果︑ 上 下 三時 期 遺の 構︑ 遺物 を検 出 し た︒ そ のう ち︑ 上 層 から は︑ 一
一世 紀 半後
の掘 立柱 建 物 二棟 と それ を画 す るよ う に人 工溝 が検 出 さ れ た︒ 建物
八は 間
︵以
︶上
×六 間 の総 柱 の南 北 棟 と︑ 四間
×三 間 の総 柱 の東 西棟 であ る︒ 呪符 木 簡が 出 上 たし
のは 前 者 の建 物 の北 東隅 に 位 置す る柱 穴 から で︑ 二段 掘 り なに
たっ 柱穴
の下 部 に直 立 てし ω が︑ そ の上 部 に二 つ折 れ にな
てっ
② が 出 上 たし
︒ 柱 穴 は直 径 四〇
cm︑ 深 さ四 七 伽で あ る︒ ま た︑ こ の建 物 の東 面 には 雨落 溝 が設 け られ て お り︑ 呪 符 の出 土 し た柱 穴 に近 い溝 内 より 桃 の果 核 が 三〇 数 個 ま まと てっ 出 土 し てい る︒ 他 に︑ 柱穴 や溝 を中 心 に︑ 多数
の上 師器 黒︑ 色 土器
︑ 木器
︵木 簡状 木製 品を 含む
︶な がど 出 上 し た︒ なお 下︑ 層 から も︑ 多数
の遺 物 とと も に木 簡状 木 製 品が 出 土し た が︑ 未 整 理 のた め︑ 発表 でき な か たっ
︒ 3 木簡
の釈 文
︒内 容
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② 天﹁ 足
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∞ 呪 符 木 簡 ω は下 端 部 が 腐 食 の た め変 色 し て おり ︑ 一時 期
︑ 土 中 に さ 立し て ら れ て い た も のと 思 わ れ る︒
② は 二 つ折 れ に な てっ お り
︑ 下 端 も 欠 損 し て い る︒ 9 関 係 文 献 滋 賀 県 教育 委 員 会
・ 醐滋 賀 県 文 化 財 保 護 協 会 大﹃ 津 市 東 光 寺 遺
(京都東南部)
跡 発 掘 調 査 現 地 説 明 会 資 料
﹄ 盆 九 八 三年
︶
吻 物 吻 物 吻 吻 塚 物 吻 吻 レ 吻 物 り 物 吻 物 擁 物 塚 物 物 豚
タ ︵岡本武憲︶