2004年 出上の木簡
滋 賀
・ 加 茂 遺 跡
1 所 在地 賀滋 県近 江 八幡 市加 茂 町 2 調査 期 間 一九 九
〇年
︵平 2︶ 月六 1 一九 九 二年 月二 3 発 掘機 関 滋 賀 県教 育委 員会
・∽ 滋 賀県 文化 財保 護 協会 4 調査 担当 者 大 沼 芳幸 5 遺 跡 の種 類 集落 跡 6 遺 跡 の年 代 古墳 代時
︱江 戸時 代 7 遺 跡 及び 木簡 出 土遺 構 概の 要 加茂 遺跡 は︑ 元 の水
≧内 湖 の縁 辺部
の微 高地 上 に立 地 す る遺 跡 の つ一 あで る︒ 微高 地 の最 も高
い場 所 には 賀 茂神 社 が鎮 座 し︑ そ の南 を 中世 以来 の主 要街 道 であ る朝 鮮 人 街 道
︵県道 大津
・ 能 登川
・長 浜線
︶ が 通 っ て いる 加︒ 茂遺 跡 は︑ こ の微 高 地か ら舌 状 に南 に延 び る 部 分を 中心 に広 が るが 調︑ 期
査 前以 の考 古 学的 知見 は少 騨 くな
︑ わず か 弥に 生時 代︑ 古 墳時 代 の遺 物散 布 知が ら
れ て るい のみ あで
たっ
︒ また 周︑ 辺か らは 古 瓦 が採 集 され てお り︑ 奈 良 時 代 も くし は白 鳳 期 の古 代 寺 院
︵加 茂廃 寺︶ の存 在 が 予測 され て いた
︒ 今 回︑ 加 茂 の集 落 の南 を通 る イバ パ スエ 事 が計 画 さ れ︑ 試 掘 調査 を行 な たっ 結果 広︑
い範 囲 で古 墳 時代 らか 近 世 至に る遺 構 遺︑ 物 が 検 出 さ れた
︒ そ こで 遺︑ 構 の存 在 の予 想 さ れる 部 分約 二万 ポ に つい て発 掘 調査 を実 施す るこ とと な たっ
︒ 調査
の結 果︑ 自 然 流路 から 縄 文時 代後 期 の土 器︑ 古墳 代時 期前
の 土器 出が 土し たが
︑ 中心 とな る遺 構 と し て奈 良時 代 の竪 穴式 住居 群 と掘 立 柱建 物群 加︑ 茂 廃寺 に供 給 され た瓦
の原 料 の粘 土を 採 取 たし と考 え ら れ る土 坑 群 ︑ 三 一世 紀 か ら 一三 世 紀 にか け て の掘 立 柱建 物 中を 心 とす る遺 構 群 など を検 出 し た︒ 一 五世 紀 か ら 一六 紀世 にか け て のも のと 考 え ら るれ 洗 い場 状 の遺 構
・エ リ状 の遺 構 も検 出 さ れ て いる
︒ 木簡 が出 土 たし
のは 自 然 流路 S D 一四 から であ る︒ S D 一四 は︑ 近 世初 頭ま で少 ずし
つ位 置 を変 え な がら 流 たれ 自然 流路 であ る︒ 埋 土 は粘 質 土 砂と 層 の互 層 で︑ 流 れ の早
い時 期 と淀 んだ 時 期と が繰 り 返 し訪 たれ こと 窺が え る︒ ここ から 出 土 たし 大 量 の遺 物 は︑ 全 て溝 の南 西斜 面 の中
・下 層 か ら もの ので あ るが
︑ 層位 によ る時 期差 は認 めら れな い︒ 人世 紀 おを およ そ の上 と限 し︑ 九世 紀 から
一〇 世紀 ま で︑ 一 一世 紀 から
一二 世紀 ま での 二時 期 にピ ー クが 認 めら れ る︒ こ
れ ら の遺 物 は︑ いず れも 流上 から 流 下し てき たも ので あ るが 摩︑ 滅 を とほ んど 受 け て いな いこ と から 上︑ 流 部 の遠 か ら ぬ所 に先 の二 時 期 の大 集 落 存が 在 す ると 考 え られ る︒ 人 世 紀 か ら 一〇 世 紀 にか け て 遺の 物 はに
︑ 須 恵 器 杯
・蓋
・甕
・ 重
・鉢 灰︑ 釉 椀
・皿
・三
︑ 緑釉 皿︑ 緑 釉素 椀地 など あが り︑ 一 一世 紀 か ら 一二 世 紀 にか け て の遺 物 と し ては
︑ 回 転 台 成 形 土 師 杯器
・ 皿
・高 台 付 き 杯
・高 台 付 き 小 皿
︑ 土師 器椀
小・ 皿 黒︑ 色 土 椀器
・ 鉢
︒甕 土︑ 師 質 羽釜
・鋼 信︑ 楽甕 須︑ 恵質 曳網 系 土錐 土︑ 師質 曳網 系 土錐 など があ る︒ 転回 台成 形土 師器 杯 や黒 色土 椀器 の中 には 底︑ 部外 面 や内 面 に
﹁井
﹂ の線 刻 や墨 書 の施 され たも のが あ る︒ ま た︑ 金 属 品製 には 隆︑ 平 永宝
暦︵延 一五 年
︿七九 工◇
初鋳
︶と 昌寿 神宝
︵弘 仁九 年
︿人 一人 も
︒延 喜 通 宝
︵延喜 七年
︿九〇 七う
など の銅 銭 鉄︑ 鏃
︑ 刀子 など あが る︒ なお 木︑ 簡 が いず れ の時 期 属に す るか 不は 明 あで 2つ︒ こ のよ う に︑ 今 回 の調 査 にお いて は︑ 寺 自院 体 の遺 構 は検 出 さ れ なか
たっ が︑ 寺院 存の 在 を窺 わ せ る遺 構 遺︑ 物 検が 出 され てお り︑ こ の地 域 おに け る古 代 から 中 世 にか け て の中 核的 集落 の 部一 であ る とこ 明が ら か にな
たっ
︒
8 木簡 の釈 文
・内 容
⑪
・日 日日 日 日日 日国
・﹇日 日日日日 日日日 日日日日 日日日日 口
∞∞∞
×りヽ
×﹈ oω 伽 両端 部を 削 り 九︑ く仕 上 げ る︒ 二次 的 加 工 の可 能 性 が考 え ら れ る︒ 左 辺 の 一部 は欠 損 し て るい 表︒ 裏 多に 数 の文 字 ら きし も のが あ るが
︑ 赤外 線 テレ ビ カ メラ 装 置を 用 てい も 解読 でき なか
たっ
︒ 9 係関 文献 滋 賀県 教育 委 員会
・卸 滋 賀県 文化 財保 護 協会
﹃主 要地 方 道大 津
・ 能登 川
・長 浜線 改 良 工事 伴に う加 茂遺 跡
︒ ノ一 坪 遺 跡発 掘 調査 報 告 圭屋
︵一 九九 四年
︶
︵大橋 信弥
︿安土 城考 古博 物館 し