1984年出上 の木簡
お の え
滋 賀 ・ 尾 上 遺 跡
1 所在 地 滋 賀 県 東浅 井郡 北湖 町尾 上 2 調査 期間 一九 八四 年
︵昭 59︶ 月七 を九 月 3 発 掘機 関 滋 賀 県教 育 員委 会
・働 滋賀 県文 化財 保護 場 会 4 調 査担 当 者 兼康 保 明
・奈 良 俊哉 5 退迫 跡 の種 類 湖 底 遺跡 6 遺跡 の年 代 平安 時 代前 期 7 退迫 跡 及 び木 簡 出土 遺 構 の概 要 尾 上遺 跡 は︑ 余呉 湖 に源 を発 南し 流 す る余 呉 川が 神︑ 奈備 山 で知 ら れ る山 本山
の裾 野 大で き く西
方へ 向 を変 え て琵 琶湖
に注 河ぐ 田部 の南 側 に位 置 てし いる 付︒ 近 には 肩籠 尾崎 湖底 遺跡 や 尾 上浜 遺 跡︑ 今 西湖 底 遺跡
︑ 延 勝寺 湖底 遺跡 など の湖 底 遺 跡が 集中 てし 存 在 し て い ると ころ あで る︒ 調 査 は水 資源 開発 公団 によ る湖 岸 堤 管 用理 道路 建 設 に伴 う事 前 発 掘調 査 と てし 実 施 し た︒
今 回 の調 査 は︑ 前年 度 に湖 北 町教 育委 員 会が 調 査 を行
たっ 地 区 の 西側 あで る︒ 調査
の結 果︑ 琵琶 湖 の水 面 より 約三 低m い︑ 標高 八 一
・五 mの 高 さ で︑ 平 安時 代 前 期 の遺 物包 含層 を検 出 たし
︒ こ の遺 物 包含 層 から は︑ 人形 八点
・斎 串九 点
・折 敷 一点 等 が出 上 たし
︒ 遺物 は木 製品 が ほと んど で︑ 土 器 はご く わず かし か出 上 なし か たっ
︒ な お︑ 木製 品 散は 乱 たし 状態 で出 土 し た︒ ま た︑ 今 回報 告 す る こと に な たっ 幅 の狭 板い 状 の木 簡 と墨 書 され た馬 形代 も こ の包 含層 より 出 土 たし も ので あ る︒ 3 木簡
の釈 文
︒内 容 ω
□﹁ 黒 毛
□
﹂ Pヽ露
§ Y O 馬 形代
のほ ば中 央 に
□﹁ 黒 毛□
﹂ の四 文字 が書 かれ て いる こと が︑ 赤外 線 写真 によ
てっ 判 明 たし
︒ 二
︒三 文字 目 は読 める が︑ 一
︒四 文 字 目 は判 読 し ねか るも ので あ たっ
︒ な お︑ 頭 部 と考 えら れ る部 分 に は馬 絵の が描 かれ て いた
︒ 幅 の狭 い板 状 の木 簡 に つい て は現 地 で は墨 の残 がり あ る様 に思 え たた め︑ 奈 良国 立文 化財 研究 所 に鑑 定 を依 頼 し たと ころ 墨︑ 痕 はあ るが 判読 出来 な か たっ と うい こと であ
たっ
︒
︵奈良 俊哉
︶ (竹生島)