1982年出上 の木簡
滋 賀
・ 野 畑 遺 跡
1 所 在 地 滋 賀 県 大 津 市 野郷 原 二 丁 目
・瀬 田 三 丁 目 2 調 査 期 間 一九 八 二年
︵昭 57︶
一 月一 i 一九 八 三年 七 月 3 発 掘 機 関 滋 賀 県 教 育 委 員 会
・側 滋賀 県文 化 財 保 護 協 会 4 調 査 担 当 者 林 博 通
︒三 宅 弘 5 遠退 跡 の種 類 集 落
︒官 衛 跡 6 退迫 跡 の時 代 五 世 紀 中 葉 i 一 一世 紀 7 遺 跡 及 び 木 簡 出 土 遺 構 の概 要 近 江 国 庁 の南 西 約 節一
︑ 堂 ノ上 遺 跡 の南 約 四 O O m の東 西 に延 び る低 丘 陵 上 にあ る
︒ 南 北 約 一八
〇 m︑ 東 西 約 六
〇 O m に わ た る広 大 な遺 跡 で︑ 一九 八 一年 のそ の西 端部 で の調 査 で 五は 世 紀 中棄 i 六世 紀初 頭 の竪 穴 住居 群 から な る集 落跡
︑ 八 世 紀前 葉︱ 九世 紀 の︑ 建 物 調
方 位が 近江 国庁 や堂
ノ上 遺 陳 跡 の主 要建 物 と同
一方 位 を
芝口
僚 も つ掘 柱立 建 物群 整や 斉 な 横 板 組 の井 戸 枠 を持 ち︑ 木
沓 や斎 串 など を出 土す る井 戸 など が 検 出 され た︒ この 遺跡 は方 八町 な いし 九町 の国 府 域外 にあ るが
︑ 近 江国 庁 と密 接 に関 連 たし 官衝 跡 であ る こと が確 認さ れ た︒ 本調 査 は遺 跡 の東 端部 の調 査 で︑ 央中
川に 跡 を はさ んだ 両側 に掘 柱立 建 物群 や井 戸︑ 瓦窯 溝︑ など が検 出 され た︒ いず れ も奈 良 平と 安 時代
遺の 構 で︑ 掘立 柱 建物 の多 く は近 江 国庁 や堂
ノ上 遺跡 の主 要 建 物 の方 位 と ほば 同 じ で︑ これ らと
一連 の官 衝 と 理解 され る︒ 瓦窯 近は 江 国庁 周や 辺 の官 行
・寺 院 で用 いら れ る流 雲文 系軒 瓦 焼を 成 し た平 窯 で︑ こ の 一画 は工 房 と し て の性 格 を も つか と思 われ る︒ 井 戸 は四 基 あ り︑ いず れ も整 然と し た横 板 組 の井 戸枠 が設 け られ て るい
︒ 木簡 は この う ち の 一つ の井 戸
︵四号 井戸 か︶ ら 一点 出 土 たし も ので
︑ 斎 串︑ 刀子 型製 品︑ 土 馬︑ 和 同開 弥
︑ 万年 通宝 など を伴 出 し︑ 八世 紀後 半 の時 期 が考 え られ る︒ 8 木筒 の釈 文
・内 容 短 冊型 の木 簡 の下 半 部 で︑ 中 央部 近く に横 に切 込り みを れ入
︑ 人 為 的 に折
てっ いる 片︒ 面 に墨 痕 は何 箇 所 か認 めら れ るが 判︑ 読 はで き な い︒ 下 端 は圭 顕 状 に切
てっ いる
︒ 9 関係 文 献 林 博通
栗・ 本 政志
﹁近 江国 府 関 連官 衛 跡 の調 査 大︱ 津市 瀬 田野 畑 遺跡
の調 査概 要︱
﹂ Q古 代文
﹄化 第三 五巻 第 号一 一九 八三 年︶
︵林 博通
︶