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二   大悲と観世音菩薩の始原考

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印度學佛敎學硏究第六十九巻第二号  令和三年三月一七一

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大悲と観世音菩薩の結びつきについて ︱ 漢訳﹁入法界品﹂ と ﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄ を 中心として ︱ 陳     怡   安

はじめに

現在︑大悲を最も代表する菩薩は観音菩薩

はこの問題について論じたい︒ が結びつけられた時期はまだ明らかになっていない︒本稿で ︵大正四六・九七五︱九七六︶︒ただ︑﹁大悲﹂と﹁観世音菩薩﹂ 懺﹂の懺悔文でも何回も﹁南無大悲観世音﹂と唱えている 害陀羅尼呪経﹄などがある︒現在︑有名な法要である﹁大悲 する経典としては︑﹃観無量寿経﹄と﹃請観世音菩薩消伏毒 う呼び方がよく用いられている︒﹁大悲観世音菩薩﹂が登場 られている︒特に︑東アジアでは︑﹁大悲観世音菩薩﹂とい であることが知 1

大悲と観世音菩薩の始原考

観世音菩薩と言えば︑﹃法華経﹄﹁観世音菩薩普門品﹂を想起するのが一般的だろう︒しかし︑検証すると︑﹃法華経﹄ ﹁観世音菩薩普門品﹂の漢訳とサンスクリットのテキストには︑﹁大悲﹂の語が見られない︒羅什訳﹁観世音菩薩普門品﹂に﹁悲観及慈観︑常願常瞻仰︒﹂︵大正九・五八上一九行︶︵︹観音菩薩の︺悲によって観察してくださることと慈によって観察してくださることを︑常に願っており︑常に仰ぎ見ている︒︶というセンテンスがあるものの︑これは竺法護訳﹃正法華経﹄には対応するところがない︒﹃法華経﹄のサンスクリットのテキストでは︑﹁śubha-locana maitra-locanā prajñā-jñāna-viśiṣṭa-locanā/

kṛpa-locana śuddha-locanā premaṇīya sumukhā sulocanā//20//﹂ 2︵清らかな眼︑慈愛の眼︑智と慧のある最勝の眼︑哀れみの眼︑清澄な眼をもち︑うるわしい顔︑美しい眼をした深く愛されるものよ

maitrakaruṇā﹁慈﹂︵︶の語は見られるが︑﹁悲﹂︵︶は見られない ︒︶の 3

摂事で衆生を受けとめ︑衆生を様々な難から離れさせること は﹁大悲法門光明之行﹂であり︑この大悲の法門により︑四 ﹁入法界品﹂において︑観世音菩薩が成就した唯一の修行 ︒ 4

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一七二大悲と観世音菩薩の結びつきについて︵陳︶

が分かった︵大正九・七一八中︶︒従って︑現存するテキストにおいて︑最初に﹁大悲﹂という単語を観世音菩薩と結び付けたのは﹃法華経﹄ではなく︑﹁入法界品﹂と﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄の可能性が高いと思われる︒次に︑中国の注釈書を見ていきたい︒まず︑吉蔵﹃法華玄論﹄では︑﹁華厳云︑観音説大悲経光明之行︒悲者欲救也︒光明之行是智慧能救也︒﹂︵大正三四・四四八中一一︱一三行︶︑﹁華厳云︑観音菩薩説大悲経光明之行︒大悲即是功徳︑光明謂智慧︒則知光世音不失此意也︒﹂︵大正三四・四四九上三︱五行︶と述べられている︒このことから︑﹃華厳経﹄の﹁入法界品﹂における﹁大悲﹂と観世音菩薩の結びつきは︑吉蔵に意識されており︑注釈書に引用されていることが分かった︒次に︑円測︵六一三︱六九六︶の観音菩薩に関する解釈を見てみたい︒

言観自在菩薩者︑発問菩薩名也︒謂此菩薩︑内具智悲︑外観三業︒不作功用︑任運自在︒観自在︑或約智及境立名︒故華厳云︑観音菩薩︑住大悲門︒法華云︑観音妙智力︑能救世間苦︒︵円測﹃解深密経疏﹄巻八・新纂続蔵二一・三五六中︶

このように︑円測は︑観世音でなく﹁観自在菩薩﹂という新訳を用いた上で︑観自在菩薩は﹁智﹂と﹁悲﹂をともに持つと主張している︒ 注意すべきなのは︑﹁故華厳云︑観音菩薩︑住大悲門︒法華云︑観音妙智力︑能救世間苦︒﹂という表現から見て︑円測の解釈は︑観音菩薩が唐代になって﹁大悲﹂というイメージでとられるようになったことを示す点だ︒何故なら︑羅什訳﹃法華経﹄﹁観世音菩薩普門品﹂では︑﹁大悲﹂の語が見られないが︑﹁観音妙智力﹂とあるように観音は﹁智﹂を持つことが述べられている︒一方︑﹃華厳経﹄の観音菩薩の記述では︑﹁大悲﹂と何回も言われているため︑﹁大悲﹂という特徴が強調されていると思われる︒以上から︑吉蔵と円測は﹁大悲﹂と観世音菩薩の結びつきを﹃華厳経﹄の﹁入法界品﹂に見出していたことが明らかになった︒

  ﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄

の場合

次に︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄の内容を見ておきたい︒東晋難提訳﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄では︑﹁去此不遠正主西方︑有仏世尊名無量寿︒彼有菩薩名観世音及大勢至︑恒以大悲憐愍一切救済苦厄︒⁝︵中略︶⁝大悲観世音︑憐愍救護一切衆生﹂︵大正二〇・三四下︶と述べられている︒﹁大悲﹂と﹁観世音﹂を結び付け︑﹁大悲観世音﹂という表現を用いた経典は︑筆者が見た範囲ではこの経が最も早い︒

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(3)

一七三大悲と観世音菩薩の結びつきについて︵陳︶ しかし︑経録の場合︑梁僧祐﹃出三蔵記集﹄では︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄は﹁失訳﹂と定義されている︒一方︑﹃法経録﹄では︑﹁請観世音消伏毒害陀羅尼経一巻︵宋世外国舶主竺難提訳︶﹂︵大正五五・一一六下︶となっている︒竺難提について︑﹃高僧伝﹄に﹁以元嘉元年︵四二四年︶九月︑面啓文帝︑求迎請跋摩⁝⁝跋摩以聖化宜広︑不憚遊方︑先已随商人竺難提舶欲向一小国︑会值便風遂至広州︒﹂︵大正五〇・三四〇下︶という記述かある︒﹃法経録﹄と﹃高僧伝﹄を併せると︑両方に記録されている竺難提は同一人物である可能性は高いと考えられる︒次に︑﹃開元録﹄では﹁居士竺難提︒晋翻云喜︒西域人︒志道無倦履遠能安︑解悟幽旨言通晋俗︒以恭帝元熙元年己未︑爰暨宋世訳大乗方便経等三部︒﹂︵大正五五上︶などとなっている︒ところが︑大塚伸夫氏は﹃開元録﹄の記述を引用し︑﹁﹃開元録﹄にも承認されているため︑現時点では本経の竺難提の訳を認め︑訳出年代をA.D.419としたい

難提が訳出した経としても︑訳出年代を確認することは困難 以上から︑もし﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄は竺 う︒ 年︶年から︑︹劉︺宋の頃までに翻訳したという意味であろ 元熙元年歲次己未︑爰暨宋世訳﹂は︑晋恭帝元熙元︵四一九 いるが︑再考する必要があると思われる︒理由は︑﹁晋恭帝 ﹂と言って 5 年訳出 世音菩薩を結び付けたことから︑﹁入法界品﹂︵四一九︱四二一 である︒言えることとして︑最初に﹁大悲﹂という言葉と観

︶は相当早いことが明らかになった︒ 6

﹁入 品﹂ と﹃請 呪経﹄ における大悲

ここでは︑両者の﹁大悲﹂を検討したい︒﹁入法界品﹂では︑﹁大悲﹂は観世音菩薩が成就した唯一の修行である﹁大悲法門光明の行﹂を指す︒この﹁光明﹂について︑﹁放大光網︑除滅衆生諸煩悩熱︒﹂︵大正九・七一八中一三︱一四︶という記述が参考になる︒次に︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄では︑﹁去此不遠正主西方︑有仏世尊名無量寿︒彼有菩薩名観世音及大勢︑恒以大悲憐愍一切︑救済苦厄︒﹂︵大正二〇・三四下五︱七行︶と述べられており︑﹁大悲﹂は具体的に説明されている︒以上から︑両方の﹁大悲﹂の意味はほぼ一致していることが確認された︒ところが︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄は晋訳﹁入法界品﹂を明らかに引用した跡が見られない︒ただ︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄の﹁願救我苦厄︑大悲覆一切︑普放浄光明︑滅除癡暗冥﹂︵大正二〇・三四下二二︱二三行︶という部分と︑﹁入法界品﹂の﹁大光網︑除滅衆生諸煩悩熱︒﹂という部分はよく似ている︒

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(4)

一七四大悲と観世音菩薩の結びつきについて︵陳︶

結論

以上の検討の結果︑最初に﹁大悲﹂という言葉と観世音菩薩を結び付けたことから︑﹁入法界品﹂は相当早いことが明らかになった︒さらに︑内容から見れば︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄の﹁観世音菩薩﹂は︑﹁入法界品﹂で述べられている観世音菩薩の﹁大悲法門光明の行﹂の﹁大悲﹂に対応すると考えられる︒また︑吉蔵と円測は﹁大悲﹂と観世音菩薩の結びつきを﹃華厳経﹄の﹁入法界品﹂に見出していた︒注意すべきことは︑円測が﹁故華厳云︑観音菩薩︑住大悲門︒法華云︑観音妙智力︑能救世間苦︒﹂という例を挙げていることだ︒羅什訳﹃法華経﹄﹁観世音菩薩普門品﹂では︑﹁大悲﹂の語が見られないが︑﹁観音妙智力﹂とあって︑﹁智﹂を持つことが述べられている︒一方︑﹃華厳経﹄の観音菩薩の記述では︑﹁大悲﹂と何回も言われているため︑﹁大悲﹂という特徴が強調されていると思われる︒これが︑以後の観音菩薩のイメージの違いとなったのではなかろうか︒﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄は﹁大悲﹂と﹁観世音菩薩﹂を﹁大悲観世音菩薩﹂に結びつけ︑後に広まった︒華厳系統の観音菩薩の研究は︑密教などの面からも考察を行っていく必要があるため︑稿を改めて行いたい︒

 1以下は﹁観音菩薩﹂を﹁観世音菩薩﹂と称す︒

仏書林︑一九九四︑三六九頁三︱四行︒  2荻原雲来・土田勝弥編﹃改訂梵文法華経﹄︹第三版︺山喜房

頁︒  3中村瑞隆﹃現代語訳法華経﹄下︑春秋社︑一九九八︑一九三

paʼi spyan/ D113, ja 168b7–8. P116, 266b7–267a1︵︶ D113, ja 168b2–3. P116, 266b2 sems can kun la snying rje byams ︵︶ snying rjeʼi spyan dang byams paʼi spyan dang ldan// 見られる︒  snying rje4チベット語訳﹃法華経﹄﹁普門品﹂では﹁悲﹂︵︶が

頁︒ 野山大学密教文化研究所紀要﹄第二一号︑二〇〇八︑一八八 期密教の特徴︱︱ウパセーナ比丘説話を中心として︱︱﹂﹃高  5大塚伸夫﹁﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄における初

  ﹁入6

法界品﹂は唐代になって編纂されたが︑この観音菩薩の記述は吉蔵が引いているから古い︒

一回のみ言及され︑それがこの段落にある︒  7大勢至菩薩は﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄において

︵令和一年度仏教学術振興会研究助成金による研究成果の一部︶

︿キーワード﹀  大悲︑観音菩薩︑﹁入法界品﹂︑﹁観世音菩薩普門品﹂︑﹃請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経﹄︵駒澤大学大学院︶ 

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参照

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