俊 彷 と 道 元 ( 納 富 )
俊
栃
と
道
元
納
富
常
天
(一) 北 京 律 の 創 始 者 で、 南 都 に お け る 戒 律 復 興、 さ ら に は 法 然 ( 1) 門 下 に 大 き な 影 響 を 与 え た と い わ れ る 俊 花 律 師 と、 修 証 一 等 ・ 正 伝 の 仏 法 を 宗 旨 と し、 只 管 打 坐 ・ 全 一 の 仏 法 を 宣 揚 し て、 鎌 倉 新 仏 教 の 主 流 を 形 成 し た 道 元 禅 師 と の 関 係 は、 時 間 的 ・ 地 縁 的 に 充 分 可 能 性 を 含 み な が ら、 従 来 ま つ た く 知 ら れ て い な い。 し か し 数 年 前、 金 沢 文 庫 資 料 ﹃ 教 誠 儀 砂 ﹄ の 文 中 に、 両 者 の 相 見 を 明 か す ば か り か、 両 者 が 師 弟 の 関 係 に あ つ た こ と を 示 す 記 録 を 発 見 し た。 爾 来、 鋭 意 そ の 傍 証 資 料 を 道 元 お よ び 泉 涌 寺 関 係 資 料 に 求 め た が、 今 日 ま で 何 等 手 が か り を 掴 む に 到 つ て い な い。 し た が つ て こ の 際、 当 該 資 料 を 紹 介 し、 吟 味 を 加 え る と と も に、 そ の 宗 教 的 ・ 歴 史 的 意 義 を 考 察 し て み た い。 (二) の 金 沢 文 庫 資 料 ﹃ 教 誠 儀 抄 ﹄ 一 巻 一 軸 は 鎌 倉 時 代 の 典 型 的 な 巻 子 装 で、 三 十 四 通 の 消 息 ( し や う せ う ・入□・ねう□ 書 状 以 外 は す べ て 氏 名 未 詳 書 状 ) の 紙 背 を 料 紙 と し て、 三 十 六 紙 に 書 か れ た も の で あ る。 こ れ は 書 名 か ら も 伺 わ れ る よ う に、 南 山 道 宣 の ﹃ 教 誠 新 学 比 丘 行 護 律 儀 ﹄ の 注 釈 書 で あ る が、 そ の 成 立 に つ い て は、 三 つ か ら な る つ き の よ う な 奥 書 に よ つ て 詳 細 に 知 る こ と が で き る。 已 上 弘 安 八 年 二 月 五 日 聴 畢 永 仁 五 年 正 月 於 泉 涌 寺 推 講 次 更 添 削 矣 比 丘 源 智 誌 正 和 元 年 五 月 十 五 日 於 名 越 竹 鼻 清 涼 寺 書 写 了 小 比 丘 照 一 一 校 了 此 一 巻 者 入 円 老 子 円 寂 之 後 遺 弟 称 先 師 命 来 授 干 予 是 則 覚 園 寺 御 抄 也 兼 錐 令 所 持 為 彼 追 慕 故 以 此 本 今 度 談 講 了 柳 所 存 事 裏 注 之 了 干 時 ( 2) 正 中 二 年 後 正 月 十 三 日 記 之 沙 門 洞 明 こ れ に よ る と 鎌 倉 覚 園 寺 第 二 世 大 燈 源 智 が 永 仁 五 年 ( 一 二 九 七 ) 泉 涌 寺 に お け る 講 義 に 際 し、 去 る 弘 安 八 年 ( 一 二 八 五 ) の 受 講 ノ ー ト に 添 削 を 施 し 著 わ し た も の を、 正 和 五 年 ( 一 三一 二 ) 鎌 倉 名 越 清 涼 寺 に お い て 照 一 が 書 写 し、 さ ら に 洞 明 が 正 中 二 年 ( 一 三 二 五 ) 講 義 の 折 に 裏 注 を 施 し た も の で あ る こ と が 知 ら れ る。 ま た 内 容 的 に み た 場 合、 最 初 の 部 分 に 順 序 の 混 乱 が 少 し み ら れ る が、 注 釈 に あ た つ て は 俊 花 ・ 思 允 ・ 智 鏡 等 の 義、 す な わ ち 泉 涌 寺 の 伝 統 的 立 場 に よ り な が ら、 博 引 傍 証 余 す と こ ろ ( 3) が な い。 ま た こ れ は 三 浦 家 連 の 招 請 で 鎌 倉 へ 下 向 し た 俊 花 を は じ め と し て、 浄 因 ・ 憲 静 ・ 源 俊 等 そ の 門 流 が 相 つ い で 関 東 に 下 向 し、 覚 阿 ・ 心 恵 等 と と も に、 鎌 倉 無 量 寺 ・ 覚 園 寺 ・ 東 栄 寺、 相 州 飯 山 放 光 寺 ・ 金 剛 寺 等 を 拠 点 と し て、 当 時 東 国 一 ( 4) 円 に 展 開 し、 大 き な 影 響 を 与 え て い た 北 京 律 の 動 向 と 考 え あ わ せ た 場 合、 東 国 泉 涌 寺 関 係 の 貴 重 な 資 料 と し て 今 後 大 い に 究 明 を 要 す る も の で あ る ば か り か、 源 智 に お け る 戒 律 の 造 詣 を 如 実 に 示 す も の で あ る。 著 者 の 源 智 は 本 理 房 と 称 し、 俊 彷 の 孫 弟 子 浄 因 が 晩 年 関 東 に 下 向 し、 法 憧 を か か げ た 相 州 飯 山 寺 か ら、 覚 園 寺 二 世 と な り、 さ ら に 泉 涌 寺 九 世 に 出 世 し て い る が、 そ の 詳 細 な 行 実 に っ い て は 知 る こ と が で き な い。 わ ず か に 泉 涌 寺 長 老 俊 花-来 円 房 定 舜 -円 悟 房 浄 因-覚 二 房 覚 阿 i 素 道 房 知 元 -本 理 房 源 智 -空 二 房、 お よ び 俊 花 i 定 舜 -明 観 房 智 鏡 -願 行 房 憲 静 ー ( 5) 道 照 房 心 恵 -源 智 と 次 第 す る 北 京 律 の 系 譜 と、 覚 盛 -憲 静-( 6) 道 照 房 真 恵 -本 理 房 源 智-如 一 房 と 次 第 す る 南 京 律 の 系 譜 が 知 ら れ、 南 北 二 律 を う け て い る こ と、 栄 然 -覚 宗 -憲 静 -心 慧 -源 智-思 淳 と 系 譜 す る 勧 修 寺 流、 宗 意-実 厳 -実 円 -全 孝 -宥 祥 -心 慧 -源 智 -思 淳 と 次 第 す る 安 祥 寺 流、 さ ら に は ( 7) 金 剛 王 院 流 ・ 西 院 流 等 を 相 承 し た 密 匠 で あ つ た こ と、 弟 子 に 覚 園 寺 を 再 興 し た 朴 交 思 淳 が あ つ た こ と 等 が 知 ら れ る。 ま た 転 写 し た 名 越 清 涼 寺 の 照 一、 お よ び 裏 注 を 施 し た 洞 明 ( 8) の 行 実 に つ い て は、 わ ず か に 称 名 寺 第 三 代 湛 容 宛 の 洞 明 書 状 か ら、 洞 明 が 湛 容 と 関 係 が あ つ た こ と が 知 ら れ る 以 外、 殆 ん ど 知 る こ と が で き な い が、 い ず れ に し ろ 鎌 倉 を 中 心 に 活 躍 し た 律 僧 で あ つ た と 思 わ れ る。 以 上 の よ う に ﹃ 教 誠 儀 抄 ﹄ は、 北 京 律 の 伝 統 を 正 し く 伝 え た も の で あ る こ と が 知 ら れ る が、 さ て 俊 花 と 道 元 の 関 係 を 示 す 当 該 資 料 を 紹 介 す る と、 入 寺 法 第 一 の 項 の 合 掌 に つ い て の 注 釈 に、 つ ぎ の よ う な 記 録 が あ る。 ハ ノ ハ タ ニ ニ 合 掌 故 仏 法 房 伝 ヲ ト カ ヒ ノ 下 東 置 之 一云 ヒ ス ト ハ シ ト ナ ル 私 注 故 仏 法 房 者 師 云 法 師 御 弟 子 也 法 師 常 ヒ 合 掌 可 レ 如 仏 法 房 一 仰 セ ラ レ タ リ こ れ に よ り(1)故 仏 法 房 の 合 掌 の 方 法 は、 オ ト ガ イ=顎 の 下 に、 五 本 の 指 を 密 着 さ せ、 束 に し て お く 仕 方 で あ る こ と、(2) 故 仏 法 房 は 師 説 に よ る と、 不 可 棄 法 師 す な わ ち 俊 彷 の 弟 子 で あ る こ と、(3)俊 花 は 常 々、 合 掌 は 仏 法 房 の 如 く し な け れ ば な ら ぬ と 説 示 し た こ と が 知 ら れ る。 俊 彷 と 道 元 ( 納 富 )
-115-俊 彷 と 道 兀 ( 納 富 ) こ の 中 に 出 て く る 源 智 の 師 は、 先 に 挙 げ た 律 系 譜 に よ る か き り、 覚 園 寺 開 山 智 海 心 恵 と、 素 道 房 知 元 の い ず れ か と い う ( 9) こ と に な る が、 金 沢 文 庫 資 料 ﹃ 具 支 灌 頂 色 衆 請 定 事 ﹄ に よ る と、 弘 安 二 年 八 月、 場 所 は 明 ら か で な い が、 二 階 堂 道 照 房 心 恵 と と も に、 智 鏡 ・ 浄 因 の 資 で 飯 山 寺 長 老 の 覚 二 房 覚 阿 が 具 支 灌 頂 の 色 衆 と し て 活 躍 し て い る こ と か ら、 も し か す る と 覚 阿 で あ つ た か も 知 れ な い。 と く に 飯 山 寺-覚 園 寺-泉 涌 寺 の 源 智 の 行 動 を 考 え た 場 合、 飯 山 寺 覚 阿 の 可 能 性 が 非 常 に 強 い。 つ ぎ に 道 元 に お け る 合 掌 に つ い て は、 ﹃ 赴 粥 飯 法 ﹄ に、 合 掌 は 指 頭 当 に 鼻 端 に 対 す べ し。 頭 低 る れ ば 指 頭 も 低 れ、 頭 直 け れ ば 指 頭 も 直 く、 頭 若 し 少 し く 斜 な れ ば、 指 頭 も 亦 少 し く 斜 な り。 其 の 腕 は 胸 襟 に 近 づ か し む る こ と 莫 れ、 其 の 壁 は 脇 下 に 築 か し む ( 10) る こ と 莫 れ。 と 具 体 的 に そ の 方 法 を 明 示 し て お り、 非 常 に 厳 密 で あ つ た こ と が 知 ら れ る が、 こ れ は 入 宋 帰 朝 後、 永 平 寺 に お い て 著 わ し た も の で あ る か ら、 入 宋 前 の 俊 花 膝 下 に お け る 道 元 の 合 掌 と は、 た だ ち に 比 較 す る こ と は で き な い か も 知 れ な い。 し か し 道 元 が 入 宋 前 に 強 い 影 響 を 受 け た で あ ろ う 栄 西 の ﹃ 興 禅 護 国 論 ﹄ 禅 宗 支 目 門 に は、 ﹃ 禅 苑 清 規 ﹄ お よ び 中 国 の 見 行 式 に 基 づ く 十 項 目 の 規 定 が み ら れ る が、 そ の 第 六 威 儀 の 項 に ( 11) 互 い に 相 見 す る こ と に、 ま ず 合 掌 低 頭 し て、 深 く 和 敬 の 礼 を 致 す と あ り、 合 掌 を 非 常 に 重 ん じ て い る が、 こ の よ う な 建 仁 寺 の 強 い 影 響 を う け た 道 元 の 合 掌 に 対 し、 俊 花 は 模 範 と し て 賞 讃 し た の で は な か ろ う か。 ま た 道 元 の ﹃ 大 仏 寺 語 録 ﹄ 巻 二 に は 特 に 兄 弟 に 示 す、 若 し 堂 内、 廊 下、 鄭 辺、 樹 下、 相 見 の と こ ろ に 於 て、 互 い に 相 い 合 掌 低 頭 し て、 如 法 に 問 訊 し て、 然 る 後 に 説 話 ( 12) せ は、 永 く 恒 規 と 為 ん と。 と あ る が、 こ れ は 前 掲 の ﹃ 興 禅 護 国 論 ﹄ と 共 通 し て い る こ と が 知 ら れ る。 こ れ は 道 元 が 親 し く 中 国 禅 林 に 触 れ、 栄 西 と 同 じ よ う に 中 国 見 行 式 に 基 づ い た た め か も 知 れ な い が、 ﹃ 興 禅 護 国 論 ﹄ の 影 響 も 無 視 す る こ と は で き な い と 思 わ れ る。 ま た こ の よ う な ﹃ 興 禅 護 国 論 ﹄ と ﹃ 大 仏 寺 語 録 ﹄ の 共 通 性 は、 憶 測 を 逞 う す る な ら ば、 道 元 に お け る 合 掌 の 方 法 に お い て も、 あ る い は 建 仁 寺 止 住 以 後、 俊 花 膝 下 時 代 と、 入 宋 帰 朝 以 後 と で は 著 し い 変 化 は な か つ た と み る こ と は で き な い だ ろ う か。 ま た ﹁ ヲ ト カ ビ の 下 に 束 に 置 く ﹂ と す る ﹃ 教 誠 儀 砂 ﹄ と、 ﹁ 指 頭 は 鼻 端 に 対 す べ し ﹂ と す る ﹃ 赴 粥 飯 法 ﹄ は、 同 じ 儀 則 の 異 つ た 表 現 と み る こ と は で き な い だ ろ う か、 今 後 の 詳 細 な 研 究 に 侯 ち た い。 三 つ き に 道 元 が 俊 彷 に 対 し 相 見 参 学 す る 可 能 性 が あ つ た か ど う か、 両 者 の 行 動 の 上 か ら 考 察 し て み た い。 ま ず 最 初 に 俊 彷 と 栄 西 お よ び そ の 門 流 と の 密 接 な 関 係 に つ
い て 考 察 し て み る と、 栄 西 と 俊 砺 の 関 係 は、 南 渓 蔵 ( 大 津 市 坂 本 ) の ﹃ 伝 法 用 心 智 泉 流 ﹄ に 慈 覚-(六 伝 )-頼 昭 -行 厳 (仏 頂 房 律 師 ) 1 聖 昭 (穴 太 又 院 昭 弟 子 )-基 好 ( 伯 者 大 山 習 禅 坊 ) -栄 西 ( 建 仁 寺 葉 上 僧 正 )-俊 ( 13) 彷 ( 泉 涌 寺 我 禅 律 師 ) と あ り、 ま た 英 泉 の ﹃ 羅 敲 髄 章 ﹄ に も 留 宋 一 十 三 年、 嘉 定 四 年、 求 郷 舶 還、 至 建 仁 寺、 荷 与 西 公 有 師 資 ( 14 ) 契、 彷 曾 受 密 於 西 禅 師 と あ つ て、 師 弟 の 関 係 に あ つ た こ と が 知 ら れ る が、 栄 西 は 建 暦 元 年 ( 一 二一一 ) 俊 花 の 帰 朝 を 博 多 に 迎 え た ば か り か、 建 仁 寺 に 請 し て、 翌 年 十 月 俊 花 が 稲 荷 崇 福 寺 に 移 る ま で、 約 一 年 半 に わ た り 門 流 に 教 授 せ し め て い る。 ま た 俊 花 は 在 宋 中、 師 北 峯 を 介 し た 官 人 周 氏 の 懇 請 に 応 じ、 病 気 平 癒 の た め 七 仏 薬 師 法 を 修 し て 験 あ り、 刺 繍 の 弥 陀 三 尊 像 を 贈 ら れ た が、 こ れ ( 15) を 栄 西 に 呈 し て い る こ と か ら も、 い か に 両 者 が 密 接 な 関 係 に あ つ た か が 知 ら れ る。 つ ぎ に 栄 西 の 門 人 一 乗 房 円 琳 お よ び 仏 樹 房 明 全 と の 関 係 を 考 察 し て み た い。、 ま ず 円 琳 は 後 に 建 仁 寺 七 世 に な つ て い る が、 そ の 著 ﹃ 菩 薩 戒 義 疏 ﹄ の 奥 書 に 今 此 戒 本 者。 仏 法 根 源 也。 是 以。 吾 祖 開 コ 講 文 義 叩 太 幽。 諸 師 作 レ 釈 弘 判 宣 各 盛 於 花 幻 円 琳 年 十 五 歳。 始 入 ご 叡 山 幻 登 壇 受 戒。 即 住 二 東 坊 殉 東 谷 仏 頂 庵 在 二 宝 地 房 謝 鄭 談 義 末 座 刈 見 コ 聞 天 台 章 疏 一之 中。 至 二十 七 歳。 腱 肱 既 年 承 二 此 戒 疏 ↓ 賜 二其 私 記。 及 授 戒 儀 幻 又 至 二 二 十 五 歳 刃 謎 服 に 年 奉 レ 値 二 渡 宋 上 人 叩 餓 榊 房 談 二天 台 宗 大 綱 要 儀 殉 兼 読 二 大 小 戒 律 一之 中。 亦 学 二 此 疏 ↓ 受 二 菩 薩 戒 幻 而 於 二 夢 中 幻 感 コ 得 戒 儀 殉 文 言 符 コ 合 経 疏 之 意 殉 韻 號 両 師 所 承。 前 後 補 接。 依 レ 次 編 集。 取 レ 綱 砂 記。 而 引 二 経 論 及 諸 師 説一。 且 補 レ 所 レ 聞。 且 示 二 同 異一。 大 小。 開 遮。 権 実。 通 局。 対 辮 難 レ 詳。 分 判 易 レ 濫。 錐 レ 顧 一﹁ 後 嘲 幻 専 思 二 伝 益 幻 謹 挙 二 一 致 幻 請 達 二 干 徹一。 若 生 レ 信 者。 定 准 二 執 レ 石 成 レ 実 之 喩 殉 設 有 二 殿 者 殉 必 結 二和 レ毒 資 レ 薬 之 縁 一。 嘉 禎 三 年 酊 正 月 日。 更 為 二 新 学 刈 粗 加 二 添 削 殉 以 二 前 草 本 幻 不 レ 可 レ 用 レ 之。 云 云 ( 16) 沙 門 円 琳 謹 疏 と あ る よ う に、 俊 花 に つ い て 天 台 お よ び 戒 律 を 研 究 し て い ( 17) る。 と く に 戒 律 に つ い て は ﹃ 菩 薩 戒 義 疏 ﹄ に 宝 地 房 証 真 の 説 と あ わ せ、 俊 花 の 説 を 随 所 に 引 文 し て 大 き な 影 響 を う け て い る こ と が 知 ら れ る が、 俊 花 の 場 合 は 約 四 十 回 以 上 に の ぼ つ て お り、 俊 花 に お け る 戒 律 研 究 の 貴 重 な 資 料 と さ れ て い る。 つ き に 道 元 の 師 明 全 は 在 宋 中 は や く に 没 し た こ と も あ り、 そ の 行 歴 に つ い て の 詳 細 な 文 献 が な い た め、 俊 花 と の 関 係 も 具 体 的 に は 知 る こ と が で き な い。 明 全 戒 牒 道 元 奥 書 ・ ﹃ 舎 利 相 伝 記 ﹄ 等 に よ れ ば、 明 全 は 八 歳 に し て 叡 山 に 登 り、 明 融 に 天 台 を 学 ん だ こ と、 十 六 歳 に し て 東 大 寺 戒 壇 院 に 登 り 具 足 戒 を う け た こ と、 そ の 後 叡 山 に 帰 り 円 頓 菩 薩 戒 を 稟 承 し た こ と ( 18) 等 が 知 ら れ て い る が、 栄 西 の 膝 下 に 何 時 帰 投 し た か 明 ら か で 俊 彷 と 道 元 ( 納 富 )
-117-俊 彷 と 道 元 ( 納 富 ) な い。 し か し ﹃ 正 法 眼 蔵 弁 道 話 ﹄ や ﹃ 伝 光 録 ﹄ に よ る と、 栄 西 の ( 19) 高 足 と し て ひ と り 明 全 だ け が 無 上 の 仏 法 を 付 嘱 さ れ て い る か ら、 明 全 が 栄 西 に 随 侍 し た 期 間 も 短 い も の で は な か つ た と 思 わ れ る。 と く に ﹃ 日 本 仏 法 中 興 願 文 ﹄ に ﹁ 日 本 国 六 十 六 州 に 小 比 丘 栄 西 の 門 徒 の 散 在 す る も の 二 干 人 に 及 び、 乃 至 孫 葉 一 ( 20) 万 に 及 ぶ か、 そ の 中 何 ぞ 随 順 修 行 の 者 一 千 人 な か ら ん や ﹂ と あ る よ う に、 栄 西 に は 多 く の 門 弟 が あ つ た が、 そ の な か か ら 明 全 だ け が 付 法 を 許 さ れ て い る こ と を 考 え る と、 少 く と も 数 年 は 随 侍 し た も の と 思 わ れ る。 も し そ う だ と す る と 栄 西 の 示 寂 が 建 保 三 年 ( 一二一 五 ) 七 月 で あ る か ら、 栄 西 が 入 宋 帰 朝 の 俊 彷 を 建 仁 寺 に 招 請 し、 そ の 門 下 に 教 授 せ し め た 建 暦 元 年 (一二一一 ) 四 月 か ら 翌 二 年 十 月 の 時 期 に は、 す で に 栄 西 の 膝 下 に あ り、 そ の 講 席 に も 当 然 列 し て い た と 思 わ れ る。 ま た 俊 彷 は 建 暦 二 年 ( 一 二 一 二 ) 後 高 倉 院 御 落 飾 に お け る 受 戒 師 を 勤 め て い る と と も に、 承 久 二 年 ( 一 二 二 〇 ) に は ﹃ 泉 涌 寺 勧 進 疏 ﹄ ﹃ 十 六 観 堂 勧 進 疏 ﹄ ﹃ 殿 堂 房 寮 色 目 ﹄ を 叡 覧 に 供 ( 21) し、 絹 一 万 五 千 匹 を 賜 わ つ て い る が、 大 小 二 戒 を 兼 備 し、 持 律 堅 固 で あ つ た 明 全 も、 承 久 三 年 後 高 倉 院 に 菩 薩 戒 を 授 け て い る ば か り か、 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) 渡 海 に あ た つ て 後 高 倉 院 の 院 宣 を う け て い る こ と 等 を 考 え る と き、 俊 莇 と 明 全 は、 栄 西 お よ び 後 高 倉 院 を 接 点 と し て、 何 等 か の 関 係 に あ つ た こ と が 推 知 さ れ る。 以 上 の よ う に 俊 彷 と 栄 西 お よ び そ の 門 流 と に は、 と く に 戒 律 を 通 じ 深 い 関 係 が 知 ら れ る が、 こ れ は ﹃ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 ﹄ に み ら れ る 初 期 建 仁 寺 に お け る 持 戒 持 律 主 義 が、 独 り 栄 西 の 指 導 ・ 影 響 に 止 ま ら ず、 コ ニ 学 の 中 戒 は 惟 れ 地 な り。 若 し 精 ( 22) 持 す る に あ ら ず ん ば、 堂 に 仏 儀 た ら ん や ﹂ と す る 俊 彷 の 影 響 も 多 分 に あ つ た こ と を 暗 示 す る も の で あ る。 ま た こ の よ う な 環 境 下 に あ る 建 仁 寺 に 止 住 し た 道 元 は、 必 然 的 に 俊 茄 に 対 し 強 い 関 心 を 抱 い た と 思 わ れ る。 道 元 は 竹 内 ( 23) 道 雄 氏 の 研 究 に よ る と、 建 仁 二 年 (一二 一 四 ) 公 胤 の 指 示 を う け 栄 西 に 参 じ て い る が、 実 質 的 に 建 仁 寺 に 止 住 し た の は 建 保 五 年 ( 一 二 一 七 ) 八 月 以 降 と さ れ て い る。 ま た 俊 彷 は 嘉 禄 三 年 (一二二 七 ) 道 元 入 宋 中 に 没 し て い る か ら、 道 元 が 建 仁 寺 に 止 住 し、 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) 二 月 入 宋 の 途 に つ く ま で、 そ の 間 約 五 年 半 の 歳 月 が 俊 花 に 相 見 参 学 可 能 の 時 間 と し て あ つ た こ と が 知 ら れ る。 ま た 建 仁 寺 と 泉 涌 寺 は 地 理 的 に も 至 近 距 離 に あ り、 そ の 往 来 は 非 常 に 容 易 で あ つ た。 し た が つ て 時 間 的 に も 地 理 的 に も 両 者 相 見 の 可 能 性 は 十 分 且 ハ 備 さ れ て い た こ と が わ か る。 つ き に 道 元 が 俊 花 に 相 見 参 学 し な け れ ば な ら な か つ た 思 想 的 ・ 宗 教 的 必 然 性 の 有 無 に つ い て 吟 昧 す る と、 つ ぎ の よ う な 事 が 考 え ら れ る。
(1) 俊 彷 は 在 宋 十 二 年、 ひ ろ く 禅 ・ 教 ・ 律 を 究 め て い た。 (2) 泉 涌 寺 は ﹃ 泉 涌 寺 不 可 棄 法 師 伝 ﹄ に ﹁ 教 禅 二 宗 の 法 門 を 講 じ て、 堂 内 の 進 退 ・ 法 座 の 昇 降 等、 親 し く 大 宋 の 儀 則 を 模 す る は、 唯 こ の 一 寺 の み ﹂ と あ る こ と、 さ ら に は 今 日 も な お 伝 承 さ れ て い る 宋 音 の 金 光 明 戯 法 ・ 弥 陀 戯 法 等 か ら も わ か る よ う に、 月 例 ・ 年 中 行 事 の 法 会 や、 仏 教 儀 礼 に 至 る ま で、 す べ て 中 国 の と お り 経 営 さ れ て い た。 し た が つ て 道 元 は、 泉 涌 寺 俊 花 に 親 し く 禅 ・ 教 ・ 律 を 習 学 す る と と も に、 大 宋 の 儀 則 に も 触 れ た い と 思 い、 そ の 膝 下 に あ る 期 間 参 じ た も の と 考 え ら れ る。 最 後 に 道 元 が 俊 花 に 相 見 し 参 学 し た 結 果 と し て、 つ ぎ の よ う な こ と が 考 え ら れ る。 ま ず 第 一 に 道 元 は 建 仁 寺 止 住 以 来、 中 国 の 正 法 に 対 し 強 い 憧 憬 を 抱 い て い た が、 俊 花 膝 下 に お け る 参 学 の 間 に、 さ ら に 親 し く 申 国 の 事 情 を 聴 聞 し、 入 宋 求 法 の 念 を い よ い よ 高 め た と 思 わ れ る。 あ る い は こ の 時 期 に 渡 海 の 決 意 を 固 め た か も 知 れ な い。 従 来 道 元 の 入 宋 は ﹃ 建 衡 記 ﹄ に ﹁ 千 光 禅 師 の 室 に 入 り て、 初 め て 臨 済 の 宗 風 を 聞 き、 今、 全 法 師 に 随 つ て、 炎 宋 に 入 る ﹂ と あ り、 後 高 倉 院 の 院 宣 に ﹁建 仁 寺 住 侶 明 全、 両 三 の 門 弟 を 相 伴 な い ﹂ と あ り、 ま た 六 波 羅 探 題 下 知 状 に も ﹁ 建 仁 寺 住 侶 明 全 ・ 道 元 ・ 廓 然 ・ 高 照 等 ﹂ と あ る こ と か ら、 明 全 に 随 伴 し た も の と さ れ、 い か に も 他 主 的 の 感 を 免 れ な い が、 そ れ は 明 全 が 道 元 の 師 に あ た る と こ ろ か ら、 そ の よ う な 表 現 に な つ た も の で、 実 際 に は 俊 花 と の 相 見 に よ り、 早 く か ら 入 宋 求 法 の 念 が 固 ま つ て い た か ら、 そ の 入 宋 は あ く ま で 自 主 的 な も の で あ つ た と し な け れ ば な ら な い。 第 二 に 道 元 は 俊 花 か ら 戒 律 ・ 禅 ・ 天 台 等 ・を 学 ん だ が、 と く に 戒 律 面 に お い て は 大 小 二 戒 を 兼 学 し、 大 宋 の 儀 則 を 習 学 し た と 思 わ れ る。 ま た そ れ ば か り か、 俊 彷 膝 下 に お け る ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ の 参 究 が、 あ る い は 寛 元 二 年 ( 一 二 四 四 ) の ﹃ 対 大 己 五 夏 闇 梨 法 ﹄ 撰 述 に 大 き な 影 響 を 与 え た の で は な い か と 思 わ れ る。 道 元 の 戒 律 観 は 中 国 禅 に 触 れ る こ と に よ つ て 完 成 し、 禅 戒 不 二 の 立 場 で 理 解 し な け れ ば な ら な い こ と は い う ま で も な い ( 24) が、 平 川 彰 博 士 の 研 究 に よ る と、 道 元 は 菩 薩 戒 に よ り な が ら も ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ ﹃ 知 事 清 規 ﹄ 等 に、 十 諦 律 一 回、 僧 舐 律 四 回、 ﹃ 大 比 丘 三 千 威 儀 経 ﹄ 十 五 回 を 引 用 し、 ﹃ 対 大 己 五 夏 闇 梨 法 ﹄ を 撰 述 す る 等、 小 乗 律 も 受 容 し て い る こ と が 知 ら れ る。 こ れ は ﹃ 吉 祥 山 永 平 寺 衆 寮 箴 規 ﹄ に ﹁ 寮 中 の 儀 は、 ま さ に 仏 祖 の 戒 律 を 敬 遵 し、 兼 て 大 小 乗 の 威 儀 に 依 随 し、 百 丈 清 規 に 一 如 す べ し。 清 規 に 曰 く、 事 大 小 と な く 並 び に 箴 規 に 合 せ よ と。 ( 25) 然 れ ば す な わ ち 梵 網 経 ・ 理 路 経 ・ 三 千 威 儀 経 等 を 看 よ ﹂ と あ り、 ま た ﹃ 対 大 己 五 夏 闇 梨 法 ﹄ に ﹁ 右、 対 大 己 五 夏 十 夏 法 は、 こ れ す な わ ち 諸 仏 ・ 諸 祖 の 身 心 な り。 学 せ ず ん ば あ る べ か ら 俊 彷 と 道 元 ( 納 富 )
-119-俊 祷 と 道 元 (納 富 ) ず。 若 し 学 せ ず ん ば、 祖 師 の 道 廃 し、 甘 露 の 法 滅 せ ん。 法 界 虚 空、 希 有 に し て 遇 い 難 し。 宿 殖 善 根 の 人 す な わ ち 聞 く こ と ( 26) を 得、 実 に こ れ 大 乗 の 極 致 な り﹂ と し て い る こ と か ら も、 戒 律 に 関 す る 限 り 大 小 乗 の 区 別 が な い こ と が 知 ら れ る。 こ の よ う な 戒 観 に た つ 道 元 の ﹃ 対 大 己 五 夏 闊 梨 法 ﹄ の 成 立 に つ い て は、 著 書 中 に 四 分 律 の 引 用 が 皆 無 で あ る こ と、 入 宋 中 道 元 は 比 丘 戒 を う け た 形 跡 が な く、 四 分 律 宗 と 無 関 係 で あ つ た ら し い ご と、 さ ら に は 道 宣 の ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ と 全 同 で な い こ と 等 か ら、 あ る い は 道 宣 の ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ に 類 似 の 他 の 文 献 ( 27) か ら 引 用 し た も の で は な い か と さ れ て い る。 し か し 多 く の 小 乗 律 の 中 か ら、 道 元 が と く に ﹃ 対 大 己 五 夏 闊 梨 法 ﹄ を 引 用 し な け れ ば な ら な か つ た 必 然 性 は 明 ら か で な い。 こ れ に つ い て は 宋 代 の 禅 宗 と 律 蔵 と の 関 係 に つ い て の 詳 細 な 研 究 が 必 要 で あ る が、 一 つ の 手 が か り と し て、 道 元 の 俊 彷 膝 下 に お け る ﹃教 誠 律 儀 ﹄ の 参 究 が 考 え ら れ る。 道 元 は 俊 彷 の 膝 下 に 投 じ 戒 律 の 研 究 に 励 ん だ こ と は、 資 料 に よ つ て 明 ら か で あ る が、 ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ の 参 究 を 示 す 直 接 的 ・ 具 体 的 資 料 は な い。 し か し ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ は 戒 律 研 究 に お け る 基 本 的 な も の で、 泉 涌 寺 で は 非 常 に 重 視 さ れ て い る こ と、 ま た 泉 涌 寺 系 ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ の 注 釈 書 に 道 元 に つ い て の 記 録 が あ る こ と 等 か ら、 当 然 道 元 も そ の 研 究 に 励 ん で い る ば か り か、 俊 花 を 通 じ 強 い 影 響 を う け た も の と 思 わ れ る。 こ の よ う な 俊 花 お よ び 泉 涌 寺 を 通 じ て の ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ 研 究 に お け る、 若 き 道 元 の 感 激 が、 後 年 ﹃ 対 大 己 五 夏 闇 梨 法 ﹄ -そ れ が 道 宣 の ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ か ら の 引 用 で あ ろ う と、 あ る い は ﹃ 教 誠 律 儀 ﹄ に 類 似 の 他 の 文 献 か ら の 引 用 で あ ろ う と、 い ず れ に し ろ-の 撰 述 に 直 結 し た も の と 思 わ れ る。 第 三 に は 俊 彷 に つ い て 中 国 語 を 習 得 し、 あ る 程 度 自 由 に 駆 使 で き る よ う に な つ て い た と 思 わ れ る。 道 元 は 建 保 五 年 八 月 建 仁 寺 に 止 住 し て か ら、 語 学 の 研 究 に も 努 め、 来 た る べ き 時 に 備 え て い た と 思 わ れ る が、 在 宋 十 二 年 の 俊 彷 膝 下 に 投 じ て か ら は、 さ ら に 拍 車 を 加 え、 本 格 的 な 会 話 の 練 習 を し た と 思 わ れ る。 ま た 泉 涌 寺 に お け る 大 宋 の 儀 則、 さ ら に は ﹃ 金 光 明 ま 臓 法 ﹄ ﹃ 弥 陀 俄 法 ﹄ 等 を は じ め と す る 宋 音 に よ る 法 会 等 も、 中 国 語 の 習 得 に プ ラ ス す る も の で あ つ た。 こ の よ う な 道 元 の 俊 花 膝 下 に お け る 中 国 語 の 習 得 が、 や が て 渡 海 入 宋 し、 阿 育 王 山 の 典 座 と の 会 話 を は じ め と し て、 明 師 を 求 め て の 諸 山 へ の 巡 錫、 さ ら に は 正 師 如 浄 と の 相 見 得 脱 に 大 き な 原 動 力 と な つ た こ と は 非 常 に 注 目 し な け れ ば な ら な い。 む す び 以 上 金 沢 文 庫 資 料 ﹃ 教 誠 儀 抄 ﹄ の 一 記 録 を 中 心 に、 俊 彷 と 栄 西 お よ び そ の 門 流 と の 密 接 な 関 係、 俊 彷 に 対 す る 道 元 の 相 見 参 学 の 時 間 的 ・ 地 理 的 可 能 性、 さ ら に は 思 想 的 ・ 宗 教 的 必
然 性 の 有 無 等 か ら、 多 少 強 弁 に 過 ぎ た 嫌 い が あ る が、 俊 花 は 公 円 ・ 公 胤 ・ 栄 西 ・ 明 全 等 の 諸 師 と と も に、 道 元 の 禅 教 双 修 時 代 に お け る 参 学 の 師 で あ つ た こ と が 知 ら れ る。 ま た 俊 花 は 十 二 年 間 も 在 宋 し、 中 国 の 事 情 に 精 通 し て い た こ と か ら、 道 元 の 泉 涌 寺 に お け る 教 学 研 究 が、 直 接 入 宋 求 法 に 連 続 す る こ と を 思 う と き、 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ を は じ め と す る 道 元 関 係 資 料 に そ の 名 を み る こ と は で き な い が、 道 元 の 宗 教 形 成 に お け る 俊 花 の 地 位 は 非 常 に 重 要 で あ る。 1 石 田 充 之 氏 編 ﹁ 鎌 倉 仏 教 成 立 の 研 究 ・ 俊 彷 律 師 ﹂ 参 照。 2 金 沢 文 庫 古 文 書 識 語 篇 二 五 五 号 参 照。 3 泉 涌 寺 不 可 棄 法 師 伝 参 照。 4 本 朝 高 僧 伝 ・ 律 苑 僧 宝 伝 の 浄 因 ・ 憲 静 ・ 源 俊 の 項 参 照。 5 関 東 往 還 記 裏 書 律 系 譜 (西 大 寺 叡 尊 伝 記 集 成 九 三 頁 ) お よ び 鎌 倉 市 史 社 寺 編 参 照。 6 関 東 往 還 記 裏 書 律 系 譜 ( 西 大 寺 叡 尊 伝 記 集 成 一 〇 三 頁 ) 参 照 7 鎌 倉 鷲 峰 法 流 伝 来 記 参 照。 8 金 沢 文 庫 古 文 書 二 〇 〇 五 号 参 照。 9 前 同 五 八 五 六 号 参 照。 10 道 元 禅 師 清 規 ( 岩 波 文 庫 本 六 七 頁 ) 参 照。 11 大 正 八〇 ・ 一 四 ・ 下、 日 本 思 想 大 系 ﹁ 申 世 禅 家 の 思 想 ﹂ 八 二 頁 参 照。 12 永 平 広 録 注 解 全 書 上 巻 二 八〇 頁 参 照。 13 多 賀 宗 隼 氏 ﹁覚 守 に 関 す る 一 資 料 ﹂ ( 金 沢 文 庫 研 究 一 〇 九 号 ) 参 照。 14 大 日 本 史 料 第 五 編 之 三、 七 三 三 頁 参 照。 15 泉 涌 寺 不 可 棄 法 師 伝 参 照。 16 大 日 本 仏 教 全 書 七 一 ・ 一 四 八 上-下 参 照。 17 小 寺 文 頴 氏 ﹁ 天 台 戒 疏 の 成 立 に 関 す る 一 考 察 ﹂ ( 仏 教 学 研 究 第 三 〇 号 ) 参 照。 18 大 久 保 道 舟 氏 編 ﹁ 道 元 禅 師 全 集 ﹂ 下、 三 九 五 ・ 三 九 七 頁 参 照 19 正 法 眼 蔵 ( 岩 波 文 庫 本 上 ・ 五 五 頁 )、 伝 光 録 ( 岩 波 文 庫 本 二 三 二 頁 ) 参 照。 20 大 日 本 史 料 第 四 編 之 十 三、 七 二 二 頁 参 照。 21 泉 涌 寺 不 可 棄 法 師 伝 参 照。 22 元 亨 釈 書 ( 新 訂 増 補 国 史 大 系 第 計 一 巻 一 九 七 頁 ) 参 照。 23 竹 内 道 雄 氏 ﹁道 元 ﹂ 参 照。 24 平 川 彰 氏 ﹁ 道 元 の 戒 観 と 律 蔵 ﹂ ( 道 元 禅 の 思 想 的 研 究 所 収 ) 参 照。 25 道 元 禅 師 清 規 ( 岩 波 文 庫 本 九 五 頁 ) 参 照。 26 前 同 ( 岩 波 文 庫 本 一 一 五 頁 ) 参 照。 27 平 川 彰 氏 ﹁ 道 元 の 戒 観 と 律 蔵 ﹂ (道 元 禅 の 思 想 的 研 究 所 収 ) 参 照。 28 佐 藤 哲 英 氏 ﹁ 俊 彷 律 師 将 来 の 天 台 文 献-宋 音 金 光 明 繊 法 と 宋 音 弥 陀 臓 法 を 中 心 に-(鎌 倉 新 仏 教 成 立 の 研 究 俊 彷 律 師 所 収 ) 参 照。 俊 粉 と 道 元 ( 納 富 )