第 3 章 背景:熱電効果
3.3 酸化物熱電物質
3.3.4 Na x CoO 2 のバンド描像による解釈 ( 特異なバンド構造 )
黒木、有田は高温極限ではなく低温極限のバンド描像から、NaxCoO2の特異な ゼーベック係数の起源は特殊な「プリン型バンド」と呼ばれるバンド形状にある と主張した。ここではそれについて説明する。熱励起によって生じるキャリアに は必ず電子とホールが対で存在する。電子とホール2つの速度が同様ならばキャ リアは同方向に動くため電場が発生しない。しかしこの2つになんらかの形で速 度差が生まれた場合、大きな熱起電力が生まれることになる。つまり電子が励起 する前に存在した状態での速度と励起した後に存在する状態での速度に大きな差 がついていればよい。このことは化学ポテンシャルを挟んだ上側と下側の電子の 速度差が大きな状況を考えることに相当する(図3.2)。
例として、図3.5のような二種類のバンド構造を考える。一つはバンド上端が平 らなバンドで、もう一つがバンド上端が放物線上のバンド分散である。バンド上
#
B $
~k T~k T
B
#
$
WUWCNOGVCNU RWFFKPIOQNF
NCTIG(GTOKUWTHCEG
-4 -2 0 2 4
ε
/|t|1Γ
Γ Κ Μ
ε ε
k k
-2 0 2 4 6
ε
/|t|1Γ Κ Μ Γ
(a) (b)
(c) (d)
~k TB
~k T
B
図3.5: (a)プリン型バンドと(b)通常の金属のバンド構造の簡略図と、強束縛模型
による(c)NaxCoO2と(d)通常の金属のバンド構造[11]。
端が平らなバンド構造をこれから「プリン型バンド」と呼び、放物線上のバンド を金属バンドと呼ぶことにする。これらのバンドに多量のホールをドープする状 況を考える。プリン型バンドの場合はバンド上端が平らなため大きな状態密度が あることから化学ポテンシャルはバンド上端からほとんど下がらない。金属バン ドではバンド上端の状態密度は小さいため、同じドープ量でもバンドの中腹に化 学ポテンシャルがある。電子の群速度はバンドの傾きから与えられるため、電子 とホールに大きな速度差を持つためには化学ポテンシャルの上側が平らで下側が 急峻に傾いているほどよいことになる。この条件を大きなドープ量下で満たすバ ンドはプリン型バンドとなるため、このバンド構造はゼーベック効果に対して有 利に働くと考えられる。
今の議論を実際のNaxCoO2に対して考えると、NaxCoO2の第一原理バンド計算 はSinghによって行われている[69](図3.7)。t2g軌道はさらに対称性から二種類に
3.3. 酸化物熱電物質 73
S(µV/K)
0 100 200 300
0.6 0.7 0.8 0.9 1.0
x
without t , t2 3
0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4
0.6 0.7 0.8 0.9 1.0
x
2 S ρ N
1 10
ρ
Nwithout t , t2 3
図3.6: NaxCoO2のバンド構造を再現した強束縛模型からのゼーベック係数(左図:(赤 線)計算結果(青点)実験結果)、電力因子(右図)の計算結果[11]。
分離され、1つの軌道からなるa1g軌道と2つの軌道からなるe′g軌道とに分かれ る。フェルミ面は大きなフェルミ面と小さなポケットのフェルミ面から成り、大 きな方がa1g軌道、小さなポケットはe′g軌道起源となる。e′g軌道は第一原理バン ド計算から得られた結果と異なり、角度分解光電子分光(ARPES)ではフェルミエ ネルギー以下100meVに存在していることが知られている[70]。ゼーベック効果 にはフェルミエネルギーからkBT の数倍程度の範囲しか効かないため、a1g軌道が ゼーベック効果の主な役割を演じていると考えられる。このことから黒木らはa1g 軌道のみを考慮した強束縛近似を用いてゼーベック効果の計算を行った。a1g軌道 のみを取り出した強束縛模型のバンド構造は図3.5(c)のようになっており、Γ点の 周りに平らなプリン型の形をしたバンド構造となっていることがわかる。バンド 幅は第一原理バンド計算で得られた60%ほどとなることが角度分解光電子分光の 結果から得られており[70]、実験のバンド幅を再現する模型を用いている。ゼー ベック係数の計算結果は計算結果と整合し、一方で金属的なバンド構造(図3.6の without t2,t3)の場合大きく計算結果と異なることがわかった。電力因子は半導体と 大きく異なり大きなドープ量x= 0.8近傍で極大となり、これも金属的なバンド構 造と比較して10倍程度異なる。
a1g a1g e’g
kz=π
kz=0
図3.7: Na0.5CoO2の第一原理バンド計算によるバンド構造とフェルミ面。[69]。
3.3.5 熱電物質の特異なバンド構造による解釈
バンド構造による大きなゼーベック係数の解釈は、一般的に様々な物質につい ても成り立つことから、NaxCoO2だけでなくその他の酸化物、有機物質に対して 適応されている。その例として、ロジウム酸化物と有機物質を紹介する。
SrRh2O4
β-Sr1−xRh2O4はNaxCoO2と同様の結晶構造を持ち、岡本、野原、高木らによっ て大きな熱起電力と金属的伝導性があることが確認された(図3.8)[71]。x = 0.22 で金属的電気伝導を示し、ゼーベック係数が室温で60µV/Kと大きな値を示す。
これに対してWilson-Short,Singhらによるβ-SrRh2O4のゼーベック係数の計算 が第一原理バンド計算により行われた (図3.9)[72]。バンド構造の計算結果はβ -SrRh2O4の計算がSrの価数がNaと合わないためNaxCoO2と同様の記述ができな いため同じ結晶構造でβ-Rb2Rh2O4のバンド構造を代わりに計算している。この結
3.3. 酸化物熱電物質 75
10-3 10-2 10-1 100 101
ρ (Ωcm)
1000 800
600 400 200 0
T (K)
Sr1- xRh2O4
x = 0.11
0.14 0.17
0.22 (#1) 0.22 (#2)
250
200
150
100
50
0
-50
S (µV/K)
1000 800
600 400 200
0
T (K) Sr1-xRh2O4
x = 0.11 x = 0.14 x = 0.17 x = 0.22 (#2)
0.3
0.2
0.1
0.0 S / T (µV/K2)
1000 500
0
T (K) x = 0.22 (#2)
図3.8: SrRh2O4の抵抗率(左)とゼーベック係数(右)[71]
晶構造から見ると、NaxCoO2とほぼ同様のバンド構造をしており、プリン型バン ドを形成している。いくつかのホール数でホールドープ量nh = xと仮定したとき のゼーベック係数の計算結果がされており、20%から30%程度大きめにでている が、高温ではほとんど一致している。この物質のゼーベック係数の起源について、
プリン型バンド構造から考えることができる。NaxCoO2よりも値が小さな原因と してはΓ点近傍のバンドのくぼみが大きいため、プリン形状が崩れていることか らゼーベック係数がNaxCoO2よりも小さくなった可能性や4d軌道による電子相 関効果の違いがその起源であろうと予測される。
LiRh2O4
LiRh2O4は、岡本・高木らによって発見されたスピネル型のロジウム酸化物(図 3.10)であり、300Kで40µV/K、800Kで80µV/Kと、金属的な伝導を示す物質と しては大きなゼーベック係数を示す(図3.12a)[73]。温度を下げていくと230K付 近で立方晶から正方晶へ構造相転移を起こし、それに伴ったゼーベック係数の低
図3.9: β-Rb2Rh2O4のバンド構造(左)とSrRh2O4のゼーベック係数の計算結果(右)。
[72]
下が観測されている。
有田らはこの物質の立方晶相に対してLinearized Muffin Tin Orbital(LMTO)基底 による第一原理バンド計算からワニエ軌道を構築し、強束縛模型を用いてゼーベッ ク係数を計算する手法をとった(図3.12)[74]。また、動的平均場近似の範囲内で電 子相関効果を扱った場合のゼーベック係数の計算を行った。その結果は、実験結 果と比較して20%程度ずれがあるが、傾向として一致し、電子相関を取り入れた 場合、さらに実験結果に近付くことがわかった。また、NaxCoO2よりもゼーベッ ク係数は小さい。
この結果をバンド構造(図3.13a)から理解すると、以下のようにまとめられる。
まず、NaxCoO2よりもゼーベック係数の値が小さい理由は、群速度を3kBT 内で バンド図と同じような方向になぞって書いた図3.13bを見ると、大部分の領域で、
フェルミ準位以下の群速度が大きいが、ΓとXの間の領域において、群速度が拮抗 している領域があることによる。これは、バンド構造を簡略化して書くと、プリン 型バンドが複数重なっている(図3.13b右)ことに相当する。図3.13b右下段がその ときのフェルミ準位であるが、そのとき、一つ目のプリン型バンドが二つ目のプ リン型バンドの効果を打ち消してしまい、その効果が弱められているため、ゼー ベック係数がNaxCoO2ほど大きくない。バンド縮退がゼーベック効果に対して重 要なことを表している。
3.3. 酸化物熱電物質 77
図3.10: LiRh2O4の結晶構造 CuRhO2
CuRhO2は、RhO2層とCu層がc軸方向に交互に積み上げられたデラフォサイト 型の結晶構造を持つ物質である(図3.14)。RhをMg置換することで金属化し、大 きなゼーベック係数を得られることが栗山・野原・高木らによって発見され[75](図
3.15b)、芝崎・寺崎らによっても調べられた[76]。
有田らは、平面波基底による第一原理計算から最局在ワニエ関数を用いた強束 縛模型を構築し、ゼーベック係数を計算した。その結果、栗山らの実験結果と良 く一致をすることが確かめられた[77](図3.15b)。このバンド構造のL-Z面を見る と、やはりバンド上端が平らなプリン型バンドの構造をしていることがわかり(図 3.15a)、この物質の熱起電力もプリン型バンドが起源と考えられる。
有機物質
熱電物質は半導体だけでなく、有機物質でも調べられている。有機物質は安価で 作成でき、安全な物質であるなど、様々な面で無機物より優れているため、ZT > 1 の物質が発見された場合、一般的に普及することが考えられる。例として、τ型有
機導体(EDO-S,S -DMEDT-TTF)2(AuBr2)1+y (y≤0.875)が挙げられ、吉野らによっ てゼーベック効果の実験が行われた[78–80]。EDO-S,S -DMEDT-TTFは図3.16の ような構造をしており、EDO-S,S -DMEDT-TTFとAuBr2はab面内が伝導面とな るτ型配置をしているため、yを変化させることによってホールドープを行うこ とができ、この物質は2次元的な電気伝導を示す。ゼーベック係数の実験結果は 100Kから150Kで約-140µV/Kになり大きいが、電気伝導度が小さいため、ZT は 0.01程度である。
この物質に対して相澤らによってゼーベック効果の計算が行われた[81]。第一 原理バンド計算によって得られたバンド構造に合うように強束縛模型のパラメー タを調節し、ボルツマン輸送理論からゼーベック係数を計算した。y= 1ではフェ ルミエネルギーがバンドのギャップ付近に存在し、この上下のバンドはそれぞれプ リン型形状を持っている。1−yとホールドープ量を等しいと仮定し計算すると、
最大となるゼーベック係数の値は約-100µV/Kと実験よりもやや小さいが150K付 近で極大となり、実験結果と同様の結果を与えた。大きなゼーベック係数の起源 はプリン型バンド構造を有することが原因と考えられ、ある温度で極大値を得る 理由は、温度が上昇することで上のバンドの寄与が含まれてしまうことであると 考えられる。
バンド構造による解釈の発展
バンド構造による熱電効果の解釈は様々な物質において良い成果を収めている。
しかし、NaxCoO2が発見されてからまだ10年ほどしか経っていないため、プリン 型バンド形状以外にどのような要素がゼーベック効果にとって重要となるかはほ とんどわかっていない。例えば、バンド形状以外の点として多重縮退がある。半 導体においてはs軌道とp軌道が重要となるため、これらが混成した多重縮退の バンドトップは3次元的な自由電子近似によってよく近似できるが、d電子系は自 由電子で近似することは難しい。そのため、自由電子近似において重要とされて いるバンドの多重縮退などがd電子系においてどのような影響を与えるかについ ては第一原理バンド計算に基づいて考察されてはいない。
また、電子相関効果が重要となる強相関電子系において、今回紹介したLiRh2O4