2000+マイル (3400km
以上)低
TD-2
不明3400+マイル
(5500km
以上)低
Hwasong-13
(移動式 ICBM)
最低
6
基 低(表4-1) 北朝鮮の弾道ミサイル能力
(出典) 米国防総省国防長官室(2014年3月)「朝鮮民主主義人民共和国と関連する軍事・安保開発」を参照
として筆者作成
このように金倉里地下核施設疑惑から始まり、軍事演習、テポドン/光明星
1
号発射、そして作戦計画
5027
の改定に至る拡大的動機であるとは断定できない現状変更によっ て 米 朝間 の認 識の ギャッ プ が拡 大し 、 北 朝鮮側 に 合理 性の 変質 が生じ る こと で1998-1999
年危機が醸成されることとなった。しかし、この米朝間における緊張緩和をもたらしたのも、結局は協調政策であった点 は注目される。1999年
5
月に開始されたペリー・プロセスを経て米国は対北朝鮮制裁 を一部緩和、さらにペリー報告において設定された第1
の道は2000
年10
月に「米朝 共同コミュニケ」として具現化されることとなった。米朝共同コミュニケでは、まず双 方は他方に対し敵対的な意図を持たないこと、次に両国関係は相互の国家主権の尊重と 内政不干渉の原則に基づくべきであることを確認し、信頼醸成措置として平和条約やミ サイル・モラトリアムなど双方が履行すべき保証が明記されており、協調政策以外の何97
物でもないと考える。そして、この協調政策による緊張の緩和は抑止モデルの論理とは 合致しないのである。
第
4
項 米国による拒否的抑止力の導入:ミサイル防衛また
1998‐1999
年危機形成プロセスの特徴は、前述のテポドン/光明星1
号の発射により米国内で北朝鮮に対する脅威認識が高まることで、弾道ミサイル防衛(ballistic
missile defense、以下 MD)という拒否的抑止力を導入する動きが加速した点である。
冷戦体制期においても拒否的抑止(deterrence by denial)についての議論が存在してい たものの実現化されないままであったが、冷戦体制崩壊以後この導入が検討されはじめ、
1998
年の北朝鮮による飛翔体発射実験によってこれに拍車がかかったのである。いわば米朝間の抑止関係に新たな変数が浮上したのであったが、この米国の東アジア への
MD
導入において、北朝鮮による飛翔体発射を契機として生じた1998-1999
年 の危機が大きな転換点であったことは、テポドン/光明星1
号発射後、ある共和党議員 が「これでよかった。…NMD〔筆者注:national missile defense〕はいただいた211」 と述べたことからもうかがい知れる。歴史的に見ると、MD はレーガン政権において推進された戦略防衛構想(Strategic
Defense Initiative:以下 SDI)に端を発する。冷戦終焉後にはブッシュ(父)政権が SDI
を修正、GPALS(Global Protection Against Limited Strikes)として推進した。クリントン政権下においては
1994
年5
月国防総省は「核不拡散と不拡散防止活動と プログラム報告」を発表、地域的脅威に対応するため先制攻撃を可能とする拒否的抑止 力の構築を目指し、戦略防衛構想局(Strategic Defense Initiative Organization:SDIO)
が弾道ミサイル防衛局(Ballistic Missile Defense Organization:BMDO)に改編される こととなり212、これと並行して地域的脅威の1
つとして北朝鮮が、1993年9
月ボトム アップレビュー(Bottom-Up Review:BUR)と大統領指令13
号(Presidential DecisionDerective 13:PDD13)の中で数えられることとなった
213。しかし表
4-2
を参照すると、クリントン政権下においてMD
関連予算は削減傾向に あることがわかる。1994年からテポドン/光明星1
号の発射があった1998
年まで、ク リントン元大統領が要求したMD
関連予算は年々削減傾向にあり、過去最高であった1993
年予算(54億ドル)と1998
年(26億ドル)を比較すると約51%(28
億ドル)の削減と なっている。FY93 FY94 FY95 FY96 FY97 FY98 FY99 FY00
211 オーバードーファー(2007)、前掲書、p. 480。
212 S. Climbala(1996), Clinton and Post-Cold War Defense, Praeger, pp. 61-62.
213 Ibid.,p. 59.
98
予算請求
5.4 3.8 3.2 2.9 2.8 2.6 3.6 3.3
下院認可4.3 2.7 2.8 3.5 3.5 3.8 3.7 3.7
上院認可4.3 2.8 2.8 3.4 3.7 3.6 3.5 3.7
下院配分4.3 2.8 2.8 3.5 3.5 3.7 3.4 3.6
上院配分3.8 2.8 2.8 3.4 3.7 3.6 3.4 3.9
予算認可3.8 2.8 2.8 3.5 3.7 3.7 3.5 3.7
予算配分3.8 2.8 2.8 3.4 3.7 3.8 3.5 3.6
(表4-2) 米国ミサイル防衛関連予算資料 (単位:10億ドル) 出典: 米ミサイル防衛庁資料から筆者作成
このように第
1
期クリントン政権は当時議会の過半数を占めていた共和党が2003
年 を期限とするMD
開発を強力に推進していたこともありMD
自体について拒否はしな い も の の214、MD
計 画 を 本 土 防 衛 の た め の 国 家 ミ サ イ ル 防 衛(national missile defense:以下 NMD)と地域防衛を兼ねる戦域ミサイル防衛(theater missile defense:
以下
TMD)に分離し、 TMD
に力点を置いて推進することでMD
関連予算を極力抑制する傾向があった215。クリントン政権が
TMD
を優先したのは①ABM条約(Anti-BallisticMissile Treaty)
の破棄を必要としなかった点216、②CIA が作成した国家情報評価1995(以下 NIE-95)が米国本土を脅かしうる脅威の存在に懐疑的であった点、③中国と
ロシアなどの反対、④NMDと比較し開発が比較的容易、⑤クリントン政権の経済優先 志向、等が挙げられる。
しかしながら、1998年の北朝鮮による飛翔体発射によって
NIE-95
の脅威評価に疑 問符がつき始め、クリントン政権は共和党、国防総省に譲歩をせざるをえなくなってい く。1999
年2
月には当時のテネットCIA
長官が米上院軍事委員会にてテポドン2
が改 良されれば米本土も射程に入りうると証言し、これを受けてクリントン政権はNMD
計 画に対してより多くの予算を配分せざるをえなくなると同時に、前回拒否権を行使したNMD
法案が上下院を通過することとなった。上記の表
4-2
を見ると、テポドン/光明星1
号発射以後初めてとなった1999
年度予算 請求において、クリントン元大統領はMD
関連予算を前年比約38%増加させている。
加えて、1999年
1
月にはMD
に関する以後5
年分の予算配分に66
億ドルの追加予算 を計上、12月にも22
億ドルを追加計上した217。結局、クリントン政権は2000
年9
月214 リトワク(佐々木洋訳:2002)『アメリカ「ならず者国家」戦略』、窓社、pp. 73-74。当時共和党は96 年大統領選挙において2003年までのMD開発を訴えていた。
215 TMDは射程約3500kmまでの短・中距離弾道ミサイル迎撃を目的とする一方で、NMDは長距離弾道
ミサイルも含めた脅威からの米国本土防衛を目的としている。
216 TMDとABM条約の関係については、森本敏編(2002)『ミサイル防衛』、日本国際問題研究所、pp. 69-70、
小川伸一(2011)「ミサイル防衛と抑止」、防衛研究所紀要(4)2号、pp. 13-18に詳しい。
217 森本(2002)、前掲書、p. 112。
99
に
NMD
配備を次期政権に委ねると発表したものの、クリントン政権期におけるMD
開発・配備上の進展が、次期ブッシュ政権におけるMD
政策推進の有益な土台となっ ていく。またここで重要なのは、この
MD
推進問題は米国内にとどまるものではなく、冷戦 後のグローバル化に対応するための米国安保・同盟戦略の再編と密接に関係していたこ とである。北朝鮮の脅威を抑止するという目的の下、東アジアにMD
を構築・配備す るためには、同盟国、特に日本の協力が必要不可欠であった。つまり「…TMDはガイ ドラインと同じように、計画立案、装備調達、協議、運用などを 2 国間で行うことに よって、作戦レベルおよび支援のレベルで両国の行動を統合する効果を持つ218」のであ り、このMD
推進による同盟関係の強化によって、米国の同盟戦略上の懸念を緩和す る効果が期待できたといえる。実際に日本の米国MD
計画への協力もまた、1998年の 金倉里核疑惑・テポドン/光明星1
号発射騒動が契機となって拍車がかかっていった。日本はまず北朝鮮の飛翔体試射によって、同日予定していた
KEDO
推進のための分 担金10
億ドルの拠出を確約する署名を見送ると同時に、人道的食糧支援、そして日朝 国交正常化交渉を取りやめる。そして1993
年のノドン発射を契機として発足させたも のの、あまり前進が見られていなかったMD
開発のための日米共同研究への参加を決 定する219。具体的には1998
年9
月、日米安全保障協議委員会(2プラス2)において日米
が合同でMD
に関する技術研究を行っていくことを発表し、翌日には海上配備型上層 システム(Navy Theater Wide Defense:以下NTWD)に関する合同研究を始めることで
合意、同年12
月には4
基の情報収集衛星を2002
年度までに導入することを閣議決定 した。さらに
1999
年4
月には米国防総省は東アジアTMD
構想に関する報告書を発表、日 本のTMD
協力に対し4
つの選択肢が示され、これを受けて日本は海上発射型迎撃ミサ イルを装備可能なイージス艦の導入を決定することとなった220。また1999
年には朝鮮 半島有事に対処するために制定された新ガイドラインに基づいて周辺事態法を含む新 ガイドライン関連法案が可決され、日本がMD
開発・配備に参入する法的基盤が整備 されるに至った221。この一連の日米間におけるMD
推進に関する動きでは、朝鮮半島 有事がその大義名分として一貫して掲げられている。ただし、MD 導入は米国とその同盟関係を深化させるものの、実際の運用段階では
MD
のシステム上、米国の早期警戒衛星などの装備に頼らざるをえないことは特筆すべ218 M.グリーン、P.クローニン編(1999)『日米同盟-米国の戦略』、勁草書房、p. 177。
219 オーバードーファー(2007)、前掲書、pp. 479-480。またクリントン政権においては93年10月にア スピン元国務長官が訪日の際、初めてTMDへの参加を要請した。グリーン・クローニン(1999)、前掲書、
p. 178。
220 神保謙(2002)「弾道ミサイル防衛(BMD)と日米同盟」、日本国際問題研究所、pp. 7-8、
http://www.jiia.or.jp/pdf/asia_centre/jimbo_bmd.pdf、アクセス日:2012年11月8日。
221 山内敏弘(1999)『日米新ガイドラインと周辺事態法』、法律文化社。
100
きであろう。つまり、
MD
自体は北朝鮮のミサイルなどの潜在的脅威を低減しうる手段 を日本と韓国に提供するが、それは自主的な国防体制の構築とはなりえず、米国との同 盟関係が維持されて初めて機能するものなのである222。またここで注目すべきは、これら一連の措置を通じて、米国が日本の自主国防を促す 核保有の動きを予防することにも成功したことである。元来、北朝鮮の核の脅威が現実 化すればするほど核ドミノが生じる可能性が大きいが、日本においては米国から
MD
という相互確証破壊に代わる代替策が早期に示されることで、核保有による懲罰的抑止 あるいは相互確証破壊の構築によって北朝鮮の核の脅威に対処するという議論が非効 率的なものとしてみなされるようになった223。一方でこの
MD
は米国の対中戦略においても非常に重要な位置を占めていた。共和 党を中心としたMD
推進派は中国の核ミサイルの老朽化などに起因する誤射に対応す るためにも、MD
が必要であると指摘する中で224、前述のようにクリントン政権はMD
導入が中国との抑止関係に大きな変化をもたらすがゆえに、①中国からの激しい反発が 予想されるNMD
ではなくTMD
のみを推進する、②台湾が求めるパトリオットミサイ ル(PAC3)とイージス艦の供与を見送るなどの配慮を示すことで、できる限り中国との 摩擦を避けようとした225。しかし、一方の中国は米国による
MD
配備に対しては一貫して懸念を示している。なぜならば、第
1
にMD
は中国の核ミサイルに依拠した最小限抑止戦略の効果の低下 をもたらす恐れがあったからである。ちなみに、米国がNMD
ではなくTMD
のみを導 入したとしてもNTWD
が追加的に諸条件を満たせば中国の戦略ミサイルも迎撃可能で あることを踏まえると、中国側の疑念が晴れることはなかった226。また第
2
にTMD
は中国にとって核心的利益である台湾との統一問題に不利益をもた らす可能性があり227、最後に軍拡競争を招来する可能性が高く、中国の経済戦略の遂行 を妨げるのが明白であった228。これらを鑑みると、当時米国が自らの国益のみを考慮し て強引にMD
を推進すれば、米中間の軋轢が拡大するのは不可避であったといえる229。いかに中国を刺激しないかたちで、対中抑止態勢の整備を進めるか。結果として、米
222 グリーン・クローニン(1999)、前掲書、pp. 191-192。
223 日本の核保有論については日下公人、伊藤貫(2011)『自主防衛を急げ!』、李白社。実際に2006年以降 北朝鮮は公式的に3度の核実験を行ったが、それらを機に日本へのMD開発および導入が推進された反面、
日本の核保有の論議は表面化しなかった。
224 森本(2002)、前掲書、p. 109。
225 同上、p. 170。
226 小川(2001)、前掲論文、p. 29。
227 実は中国側は台湾の独立的志向を促すTMDをより懸念していた。S. シャーク(2008)『中国~危うい 超大国』、日本放送出版協会、pp. 406-410。
228 同上、pp. 152-153。
229 例えば唐家璇元外相は米国の北朝鮮の脅威を口実としたMDの標的が、中国であるということを示唆 する発言をしている。林(2008)、前掲書、p. 245。