この生存への不安の緩和のために北朝鮮は
NPT
脱退以後、自衛的措置であるという 自己認識の下段階的に核兵器開発を進めていった。まず2003
年4
月18
日北朝鮮外務 省代弁人は使用済み燃料8000
本の再処理過程に入ったことを公表、つづく同月23-24
日に行われた米朝中3
ヵ国協議の晩餐会の場では李根外務省副局長が当時のJ.
ケリー 米6
ヵ国協議代表に対し、北朝鮮はすでに核保有をし、核実験と核拡散の可能性もある 旨をほのめかす301。以後米朝直接接触を経て、同年8
月に第1
回6
ヵ国協議が開催さ れるものの、北朝鮮が提案した一括妥結方式と同時行動順序が米側によって拒否される や、北朝鮮は6
ヵ国協議の有効性への疑問と危機の増大をさらに認識することとなった。こうして同年
8
月30
日、朝鮮外務省代弁人は「…自主権を固守するため、自衛的措 置として核抑止力を引き続き強化していく以外に選択の余地がないということをさら に確信させている302」と言明、そしてこの「朝米間の核問題に関連した朝鮮民主主義人 民共和国外務省がとった対外的措置303」は同年9
月3
日の最高人民会議第11
期第1
次 会議にて満場一致で承認される。1年後の2004
年9
月、この北朝鮮外務省がとった対 外的措置は崔守憲元外務省副相が国連総会基調演説において米国の攻撃を抑制するた めに8000
個の核使用済み燃料棒を再処理し武器化したと公言することで、その進展が 確認されることとなった。総じてみると、ブッシュ政権では
ABC(Anything But Clinton)と揶揄されるほど
に対北朝鮮政策を全面的に見直した結果、北朝鮮の拡大的動機に対する疑念の矛先がネ オコン主導の下EUP
問題に向かったといえる。前出のようにこのEUP
問題に対する 疑念はクリントン政権時にすでに認識されており実際に金倉里地下核疑惑も提起され はしたものの、クリントン政権は枠組み合意と米朝共同コミュニケ等の協調政策を通じ て現状を維持しようという立場を堅持した。この一方で、ブッシュ政権においては同じEUP
問題を180
度異なる角度から見ることで強硬政策へと転換していった。このブッ シュ政権における強硬政策の採用に伴い北朝鮮側において米国対する不信が強まり、ケ リー訪朝を契機として米朝間の動機に対するギャップが拡大、危機が再来することとな300 ジャービスが設定した危機不安定性の度合いを表す4つの事象で言えば、ブッシュ政権の強硬関与アプ ローチによって、朝鮮半島をめぐる危機不安定性は第2事象から第1事象へと移行した。つまり危機不安 定性のレベルが高まったのである。Jervis (1978), op cit., p. 211.
301 조선중앙통신(2003年4月18日)「조선외무성대변인 조미회담이 열리게 되는것과 관련한 문제에 언급(朝鮮外務省代弁人 朝米会談が開かれることと関連した問題に言及)」、
http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/04/04-19/2003-04-19-001.html、アクセス日:2014年7月7日.
302 조선중앙통신(2003年8月30日)「朝鮮外務省代弁人 6者会談にはまたはいかなる興味や期待も持て ない(조선외무성대변인 6자회담에 더는 그 어떤 흥미나 기대도 가질수 없다)」、
http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/09/09-01/2003-09-01-001.html、アクセス日:2014年2月14日.
303 조선중앙통신(2003年9月4日)「最高人民会議第11期第1次会議 進行(최고인민회의 제11기 제1차회의 진행)」http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/09/09-04/2003-09-04-003.html、アクセス 日:2014年2月18日.
124
ったといえよう。ただし、ブッシュ・ドクトリンが拡大的動機にのみによって形成されていたと断定で きないのも事実である。当時のブッシュ米大統領は
2002
年2
月20
日に行われた訪韓 に際しての演説や、2002
年10
月22
日のNATO
事務総長との会談の席で、北朝鮮に侵 略する意思はないと明言していた304。そして実際に2002
年に枠組み合意が破綻した前 後、ブッシュ政権は北朝鮮へのリアシュアランス提供へ向けた動きが観察される。かつ てラムズフェルド元国防長官が役員を務めていたABB
グループがブッシュ政権誕生後 の2001
年1
月に再訪朝し、具体的に合意書の履行について話し合い、同年6
月には平 壌代表部を設立、枠組み合意破綻後の2003
年5
月19
日には2000
年の合意を確認する 了解書を取り交わしている。これらの事実はブッシュ政権の対北朝鮮政策が拡大的動機 のみに基づき策定されていたという主張に疑問を投げかけるものであった。第
3
目MD
の推進しかしながら、米朝間の相手国の動機に対する認識のギャップはさらなる軍拡のシグ ナリングによって、その拡大に拍車がかかっていく。
1998-1999
年の危機を契機として 加速したMD
の導入が、ブッシュ政権の誕生とあいまってさらに促進されたのであっ た。実際に第2
次朝鮮半島危機に並行して、ネオコン主導の下、米国のMD
開発・配 備のための政策が強力に推進されたのであった。冷戦体制崩壊後ソ連に代わる仮想敵国を地域的脅威に定め、その
1
つに北朝鮮が含ま れたが、米国はこれらの地域的脅威に対してレーガン政権の戦略防衛構想(SDI)に起源 がある MDによる拒否的抑止力の構築を推進し、特に共和党・国防総省はMD
に強い 関心を示してきた305。前述のごとくこの米国によるMD
推進の転換点となったのが、1998
年である。1998
年にラムズフェルド報告が北朝鮮が米国本土に到達しうる弾道ミ サイルを2-3
年以内に配備する可能性があり、それに対処するためにMD
が必要であ ると主張するのであるが、その信憑性が同年8
月の北朝鮮による弾道ミサイル/人工衛 星発射によって急激に高まることでMD
の開発・配備に拍車がかかっていった。このラムズフェルドはブッシュ(子)政権時には国防長官を担うのであるが、
2001
年1
月にも宇宙委員会における報告書で「宇宙空間においてのパールハーバー(Space PearlHarbor)
306」が起きる可能性を指摘し、ブッシュ政権の国防長官に就任した後の同年5
304 Elisabeth Bumiller (Feb. 20. 2002), “BUSH SAYS THE U.S. PLANS NO ATTACK ON NORTH KOREA”, NY Times, http://www.nytimes.com/2002/02/20/world/ bush-says- the-us-plans-no-attack-on- north-korea.html, accessed on Sep. 16. 2014; (Oct. 22. 2002), “Bush Sees Korean Nuclear Effort as Different From Iraq's”, NY Times, http:/ /www. nytimes.com/2002/10/22/world/bush-sees-korean- nuclear-effort-as-different-from-iraq-s.html, accessed on Sep 16. 2014.
305 ブッシュ政権におけるネオコンと目されたほとんどはレーガン政権時代要職を担っていた。
306 Right Web (2007), “The Rumsfeld Space Commission”, pp. vii-viii, http://rightweb.irc-online.org/
profile/ Rumsfeld_Space_Commission (last updated Nov. 1. 2007), accessed on Oct 28, 2012.
125
月にはそれらに対処するために「国家安全保障のための宇宙管理と組織的イニシアティ ブ307」を打ち出している。宇宙空間における安全保障を管理・防衛する上で、必要とな るのが
MD
であった。同5
月、ブッシュ大統領は米国防大学における演説で、いわゆ るならず者国家からのWMD
および弾道ミサイルの脅威に対処するためにMD
の構築 が不可欠であるとし、クリントン政権時代に区別されていたTMD
とNMD
を統合する ことを宣言した。またブッシュ政権における強硬関与政策の理論構築を担ったチャは、強硬関与が最大 の効用を得るためには
MD
の推進が必要であるがゆえに、強硬関与とMD
は両立可能 であると指摘している308。また興味深いのは、同論文で北朝鮮のミサイル・モラトリア ムと経済制裁解除とのバーターに否定的見解を示し、MD
と強硬関与をつなぐことこそ が北朝鮮によるミサイル・モラトリアム撤回を防ぐものだと主張していることである。つまりチャの強硬関与の論理は、ギブ・アンド・テイクに則った協調的手段によって北 朝鮮の譲歩を引き出すのではなく、懲罰的手段によって北朝鮮の譲歩を引き出すことを 目的としているのであり、その懲罰的手段と強硬関与をつなぐツールが
MD
なのであ った。これらのブッシュ政権の
MD
に関する構想は着々と実行に移されていった。同年12
月にはMD
構築の妨げとなるABM
条約からの脱退を関係諸国に通告し、9.11 同時多 発テロ後、世論において非伝統的脅威に対する認識が高まる中で、既存の弾道ミサイル 防衛局(BMDO)がミサイル防衛庁(Missile Defense Agency:MDA)に改編され、日本と 韓国に対してもMD
開発・配備へのさらなる協力を要請する。このようにMD
開発・配備のための法的・行政的整備が進むとともに、MD への予算も急激に増加していく。
表
5-1
を見ると、クリントン政権末期の2000
予算年度以降MD
関連予算は増加傾向に あり、ブッシュ政権における2007
年には94
億ドルの予算が配分されている。これは2000
年と比較して約161%の増加にあたる。
FY00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
予算請求3.3 4.5 8.3 6.7 7.7 9.2 7.8 9.3 8.9 9.3
下院認可3.7 5.2 7.9 6.9 7.8 8.9 7.9 9.1 8.3 8.6
上院認可3.7 4.7 5.8 5.9 8.2 9.0 7.8 9.4 8.6 8.9
下院配分3.6 4.6 7.9 7.4 7.5 8.7 7.6 8.9 8.6 8.4
307 U.S.Department of Defense (May 2001), “Secretary Rumsfeld Announces Major National Security Space Management and Organizational Initiative”, vii-viii http://www.defense.gov/releases/release.
aspx?releaseid=2908, accessed on May 22. 2014.
308 Cha (2002), op cit., pp. 73-74.
126
上院配分
3.9 4.8 6.3 6.2 8.2 9.2 7.9 9.4 8.7 9.0
予算認可3.7 4.8 8.4 6.6 7.7 8.9 7.8 9.3 8.5 8.9
予算配分3.6 4.8 7.8 7.4 7.7 9.0 7.8 9.4 8.7 9.0
(表5-1) 米国ミサイル防衛関連予算資料(単位:10億ドル)
出典:米ミサイル防衛庁資料から筆者作成
このようにブッシュ政権においては第
2
次核危機と並行して、ブッシュ・ドクトリン の遂行の核としてMD
開発・配備が積極的に推進されたのであるが、北朝鮮の脅威が この促進剤の役割をなしたといえる。要するにMD
推進派、特にネオコンからすれば、MD
の仮想敵である北朝鮮の脅威が消滅する可能性がある枠組み合意・朝米共同コミュ ニケが前進することは、米国益に反することであったとすらいえよう。ただしここで重要なのは、この
MD
を通じての防衛には米国本土だけでなく、在外 米軍基地などの米国が保持する余分の安全が含まれるということであった。M.グリー ンが指摘するようにMD
には第1
に同盟国との相互運用性・防衛協力の強化を促し、第
2
に米国の拡大抑止を補強し、同盟国の独自の核武装をする必要をなくす効果がある309。つまり米国が冷戦終焉以後、同盟維持・強化を通じて余分の安全の確保をしていく 上においても、MDは必要不可欠なツールなのであった。
また前章で述べたように抑止理論の観点では、
MD
の導入は先制攻撃の可能性の増加 をもたらす。つまりはその損害限定効果がゆえに、先制攻撃を助長するものと認識され、相手国の対抗措置としての軍拡を喚起することで、攻撃優位局面が出現する可能性を高 めるのであった。とりわけ第
2
次核危機においては、ブッシュ大統領がブッシュドクト リンにおいて先制攻撃を辞さない旨を宣言し、かつABM
条約からの脱退を宣言したこ とにより310、その先制攻撃のターゲットである悪の枢軸の1
つに名指しされた北朝鮮の 観点からは米国の先制攻撃誘因の増加を認識せざるをえなかった。事実、北朝鮮は
2000
年7
月の時点で朝露首脳会談にともない出された朝露共同宣言 の第6
項で、ABM条約の意義を強調し、MD配備を非難した311。これが結局、北朝鮮 から言えば自衛的であり、米国からは拡大的であるとみなしうる北朝鮮の核兵器開発の 前進をもたらす要因の1
つをなしたといえる。ただここで注意が必要なのは、
MD
はその損害限定効果により先制攻撃を促進する効 果があるがゆえに北朝鮮に危機不安定性の増加を認識させるに至ったにせよ、米国の拡309 M.グリーン(神保謙訳:1997)『TMDの導入と中国との戦略的関係』、日米同盟プロジェクト論文集(8)、
http://www1.r3.rosenet.jp/nb3hoshu/tmdchinamik.html、アクセス日:2014年7月7日.
310 ブッシュ政権におけるABM条約破棄については、古関・豊下(2014)、前掲書、pp. 70‐73。
311 조선중앙통신(2000년7월19일)「조로공동선언」、http://www.kcna.co.jp/munkon/m-2000-07-19.htm、
アクセス日:2014年10月18日.これは2001年8月に出された朝露モスクワ宣言においても踏襲されて いる。