第
1
目 米国における政権交代第
2
次核危機の形成においては、まず米側の政権交代にともなう対北朝鮮政策の強硬 化とそれによる外交交渉上の対立の発生が観察される。オルブライト訪朝の
2
週間後行われた米国大統領選において共和党のG.
ブッシュ(子)がクリントン政権の副大統領であった A.
ゴアを破り当選を果たしたのであるが、ブッシュ共和党政権はクリントン政権の北朝鮮政策を全面的に見直していった。これは、
1990
年代における私的情報の交換とコミットメントを通じ積み上げてきた北朝鮮の動 機に対する信頼性を再検討することを意味しえた。そして結果として、第1
次ブッシュ 政権においては抑止モデルに分類可能な強硬政策が採られることとなり、北朝鮮はこの 強硬政策を米国が拡大的動機を具現化させようとしているというシグナルであると受 け止め、その生存の不安を刺激することとなった。具体的には第
1
期ブッシュ政権においていわゆる「ネオコン(The Neo-ConservativeGroup)
255」を中心とする強硬派が対北朝鮮政策の舵をとることとなったのであるが、2001
年6
月には強硬派主導による対北朝鮮政策の見直しが完了し、ブッシュ大統領が リアシュアランスを提供するための3
つの条件-①枠組み合意履行の改善、②ミサイル 開発計画に関する検証可能な輸出規制、③通常兵力の脅威削減-を提示しつつ、米国か らリアシュアランスを得るためにはまず北朝鮮が先に行動しなければならないと公言 する256。これと並行して、ブッシュ政権は北朝鮮の核開発疑惑を再提起していった。2001 年
4
月17
日には当時のマクローン副長官が北朝鮮による1~2
発程度の核保有の可能性に 言及したのを皮切りに、同年5
月にはIAEA
代表団が訪朝、枠組み合意で履行されてい た寧辺核施設の凍結措置に加え、他の核関連施設への追加査察を受け入れることを要求 したのであるが、これらは明確にクリントン政権時代の対北朝鮮政策とは一線を画すも のであった257。このブッシュ政権における対北朝鮮政策レビューは後にV.
チャによって
CVID (完全かつ検証可能かつ後戻りできない核を含めた WMD
の放棄:Complete,
Verifiable, Irreversible Dismantlement)を原則とし、この原則に北朝鮮が応じなけれ
ば体制転換も辞さない「強硬関与(Hawk Engagement)」として理論化されることと255 山本吉宣(2006)『「帝国」の国際政治学―冷戦後の国際システムとアメリカ』、東信堂、pp. 91‐93。山 本(2006)が指摘するようにネオコンの定義には諸説あるが、本論文においては以下の分類による:K. Lasn (2004), “Why won’t anyone say the are Jewish?”, (March/April), Adbusters Magazine.
256 Statement by The President (Jun. 6. 2001), http://reliefweb.int/report/democratic-peoples-republic- korea/ bush-statement-undertaking-talks-north-korea, accessed on Oct. 28, 2012.
257 中川雅彦(2001)「再び悪化した対米関係2001年の朝鮮民主主義人民共和国」、アジア経済研究所、
http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/2001/102/2001102TPC.html.standalone.html、アクセス日:2014年 7月7日。
112
なる258。このような第
1
期ブッシュ政権における対北朝鮮政策の強硬化に対し、米朝共同コミ ュニケ以後軟化していた北朝鮮は2001
年6
月18
日外務省代弁人談話を発表、武装解 除を前提条件とした敵対的な提案であるとして到底受け入れられないという立場を表 明する259。以後、米朝間には米国は北朝鮮に
CVID
を求め、北朝鮮はそれを拡大的だとして退け るという循環が継続的に生じていくこととなるのだが、このように米朝対立が深まる中、前述の
9.11
同時多発テロが起こりテロリズムとその支援国と目される国家に対する批 判が国際的に高まっていくこととなった。この時勢を駆って行われた一般教書演説(2002月
1
月29
日)において、当時のブッ シュ米大統領はイラク・イランとともに北朝鮮を「悪の枢軸(Axis of Evil)260」と名 指しし地域防衛の脅威であることを宣言、これらの脅威に対しては先制攻撃も辞さない ことを明言する。この悪の枢軸発言に至り、クリントン民主党政権と北朝鮮が築き上げ た枠組み合意および米朝共同コミュニケで確認された米朝双方は現状変更を目指す拡 大的動機を有していないという精神は実質的に崩壊したといってよい。また同年
3
月に米メディアにリークされたところによると、ブッシュ政権は2002
年 はじめに核態勢見直し(Nuclear Posture Review2002:NPR2002)に着手、核兵器を使 用しうるターゲットの1
つとして北朝鮮を含むと同時に、非核兵器による抑止力の強化 を打ち出した261。この非核兵器による抑止が打ち出されたことは、敵対関係にある米朝 間においては、危機安定性を高めるものとならざるをえないであろう。核兵器は道徳的 観点からその使用の敷居が高く防御的とならざるをえない反面、非核兵器であればその 使用の敷居は相対的に低いからである。この脅迫型コミットメントの信頼性は前述のイラク戦争の遂行によって一層高まっ ていった。またこれらと比例して、米朝共同コミュニケの米側の履行義務である食糧支 援は激減していく(前掲図
4-5
を参照)。これらの米国による対北朝鮮政策の転換に対し北朝鮮は反発を強める一方で、日本や
258 Cha(2002), op cit., pp. 76-78. または菱木 (2006)、前掲論文、pp. 45-49。
259 조선중앙통신(2001年6月18日)「朝鮮外務省代弁人声明 米行政府の対話再開提案に対する共和国の 立場」、http://www.kcna.co.jp/item2/2001/200106/news06/18.htm#4、アクセス日:2014年7月7日.
これに先立ち、北朝鮮は5月3日①金正日訪韓は米国の態度如何であること、②2003年までミサイル・モ ラトリアムに応ずる用意があること、②ミサイル問題で米国と交渉する用意があることを表明している。
中川雅彦(2001)、前掲論文。
260 White House of the Press Secretary (Jan. 29. 2002), “President Delivers State of the Union Address”, http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2002/01/20020129-11.html, accessed on .Sep. 16. 2014.
261 W. Arkin (Mar. 10. 2002), “Secret Plan Outlines the Unthinkable”, LA Times, http://web.archive.
org/web/20020315070751/http://www.latimes.com/news/opinion/la-op-arkinmar10.story, accessed on Oct. 10. 2002. 当時のラムズフェルド国防長官が署名したNPR2002 前文は以下を参照:http://www.
defense.gov/news/jan2002/d20020109npr.pdf, accessed on Oct. 18. 2014.
113
韓国などの米国の同盟国との関係改善を進めていた。韓国とは
2000
年の南北共同宣言 に基づき協調的な関係を維持し、日本とは2002
年9
月に日朝平壌宣言を採択するに至 るのであるが、同年10
月J.
ケリー米国務次官補が訪朝したことで北朝鮮をめぐる状 況は一変することとなる。第
2
目 ウラン濃縮疑惑と枠組み合意の破綻訪朝から帰国した
J.
ケリー米国務次官補は姜錫柱第1
外務次官がHEU
開発を認め る発言をしたと報告、10
月16
日米国務省が報道発表を通じ、北朝鮮の核兵器用の濃縮 ウランプログラム(Enriched Uranium Program:以下EUP)が確認されたと公式的
に発表したことで朝鮮半島をめぐる緊張は再び強化されることとなった262。ケリー訪朝 によって北朝鮮のHEU
開発疑惑が浮上したことにより第1
期ブッシュ政権において主 導権を握っていたネオコンと国防総省等の強硬派は枠組み合意に対しての批判を強め、同年
11
月KEDO
による重油提供を停止・軽水炉建設の見直しに着手するとともに、北 朝鮮への先制攻撃を実行しうるという軍事思想-ブッシュ・ドクトリン-適用の可能性 に言及するに至った263。この
HEU
疑惑に対し北朝鮮は当初情報が錯綜するものの姜錫柱発言について完全否 定しながら、特に2002
年11
月14
日、前日の米の要請を受けてKEDO
執行委員会が 開催され、北朝鮮のHEU
を含む核開発の追求は枠組み合意履行義務、NPT、IAEAセ ーフガード措置、南北非核化宣言違反であると非難、枠組み合意に基づく重油供給の中 断を発表したのに際しては、即時に朝鮮外務省が非難声明を発表する264。この重油供給 中断に伴いKEDO
プロセスの実効性への信頼が薄れる中で、北朝鮮は12
月12
日寧辺 核施設の凍結の解除を発表265、同月22
日にはその実行のための具体的措置としてIAEA
の監視カメラ撤去を公表し266、同月28
日にはIAEA
査察官を追放、枠組み合意で定め262 US Departmnt of State of the Press Secretary (Oct. 16. 2002), “North Korean Nuclear Program”, http://2001-2009.state.gov/r/pa/prs/ps/2002/14432.htm, accessed on Sep. 16. 2014.
263 ブッシュ政権の強硬政策の詳細については、中川雅彦(2002)「価格・賃金改革に踏み切る2002年の朝 鮮民主主義人民共和国」、アジア経済研究所、http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/2002/102/2002102 TPC.html.standalone.html、アクセス日:2014年7月7日。
264 KEDOの重油供給停止決定に関する声明についてはKEDO’s Exective Board(Nov. 14. 2002),
“KEDO’s Exective Board Statement”, http://www.kedo.org/news_detail.asp?NewsID =23, accessed on Jul. 7. 2014. これに対する朝鮮外務省の批難声明については朝鮮中央通信(2002年11月22日)「미국의 중유제공중단결정은 조미기본합의문 위반/조선외무성 대변인 담화(米国の重油提供中断決定は 朝米基本合意文違反/朝鮮外務省代弁人談話)」、http://www.kcna.co.jp/calendar/2002/11/11-22/2002-11- 22-001.htm、アクセス日:2014年7月7日. 2002年11月14日に開催されたKEDO執行委員会への米 国の関与に関しては中川(2002)、前掲論文を参照。
265 조선중앙통신(2002年12月12日)「조선외무성 대변인 <핵시설들의 가동과 건설을 즉시 재개>(朝鮮外務省代弁人〈核施設の稼働と建設を即時再開〉)」、http://www.kcna.co.jp/calendar/
2002/12/12-13/2002-12-13-002.htm、アクセス日:2014年7月7日.
266 조선중앙통신(2002年12月22日)「조선중앙통신사 보도 핵시설봉인과 감시카메라제거작업을 즉시개시(朝鮮中央通信社報道 核施設封印と監視カメラ除去作業を即時開始)」、http://www.kcna.
114
られた核施設の凍結解除作業が完了した旨を宣言した。
そしてついには、2003 年
1
月朝鮮外務省代弁人談話を通じNPT
からの脱退を宣言 するに至る267。枠組み合意の破綻であった。以後、北朝鮮は同年
2
月に朝鮮戦争休戦協定の義務履行放棄宣言や地対艦ミサイル発 射実験を行い、つづく3
月にはミグ29
戦闘機など4
機が米国のRC-135
電子偵察機に 接近、強制着陸を試みるなど米国側からは挑発行為としかみなされない行動をとってい く268。上記の緊張スパイラルの形成過程においては、北朝鮮側に合理性の変質が生じている ことが観察される。前述のように、米国は自らに優位な構造―1極構造―を揺らがしか ねない核拡散の脅威について非常に敏感であり、先の第
1
次核危機時には核ドミノを引 き起こしかねない北朝鮮の核保有を防ぐため、寧辺の核施設に対する先制攻撃をも具体 的に検討した。加えて、9.11
以後米国はテロ支援国家の動向に非常に敏感となっており、その行動如何によっては先制攻撃も辞さない旨を宣言していた点も北朝鮮の合理性の 変質を助長したといえる。
HEU
疑惑が米国によって提起された以後北朝鮮が見せた一連の挑発的行動は、上記 の核拡散とテロに対する米国の懸念を煽り米国側の先制攻撃誘因を高めるものであっ た点を勘案すると、元来非合理的な選択肢であったものの、この過程においては結果と してその非合理的選択が採られたのであった。上記のように第
2
次朝鮮半島核危機(以下第2
次核危機)の直接的始点は、2002年10
月に訪朝したJ.
ケリー米国務次官補の報告によって北朝鮮によるHEUP
という核と 密接に関連した変数が浮上し、それが国務省報道発表によって公表されたことに求める ことができる。要するに、米国側はケリー証言や国務省報道発表を通じて、北朝鮮によ るHEUP
はその拡大的動機の表面化に他ならず、それによって第2
次核危機が発生し たという論理を公式的に示したのであった269。しかしながら、ケリー報告に関しては米国と北朝鮮の間で食い違いが存在する。
2004
年7
月15
日に行われたJ.
ケリー米国務次官補による米上院外交委員会での証co.jp/calendar/2002/12/12-23/2002-12-23-001.htm、アクセス日:2014年7月7日.これに際し、IAEA 査察官の追放もなされた。これに関しては中川(2002)を参照。
267 조선중앙통신(2003年1月10日)「조선정부성명 핵무기전파방지조약에서 탈퇴(朝鮮政府声明 核 武器伝播防止条約から脱退)」、http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/01/01-11/ 2003-01-11-001.htm、ア クセス日:2014年3月8日.このNPT脱退声明の中で、北朝鮮はブッシュ政権の悪の枢軸発言に始まる 敵視政策と米国主導のIAEAによる策動によって、「国家の最高利益が極度に脅かされている厳重なる状態」
にあるという認識を明確に示す。NPT第10条にあるように、NPT加盟国は自国の至高の利益を危うくす ると認められる場合脱退できる。ただしNPTから脱退する際には、3ヶ月前に事前通告をする必要がある。
北朝鮮はNPT脱退の初めてのケースとなった。
268 日本防衛省防衛研究所、「東アジア戦略外観2004」、p. 9、http://www.nids.go.jp/publication/east-asian/
j2004.html、アクセス日:2014年12月18日。
269 Cha & Kang(2003), op cit., p. 156.