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Folio 27 に描かれる意匠

ドキュメント内 学位の分野 文学 (ページ 69-72)

3.1 MewāṛīGG Folio 27

3.1.4 Folio 27 に描かれる意匠

MewāṛīGGはいくつかの場面で構成され、場面の境目はバナナの木や褥や丘のようなもの

で区切られる。ここでは、女性たちのいるところと、褥までの道が繋がっているため、明確

143 Amar 2.4.72[Dādhimatha 1915: 152]

144 Amar 2.1.17[Dādhimatha 1915: 115]

145 Amar 1.9.3[Dādhimatha 1915: 12]。すべて苦悩、苦痛、苦悶という意味。

図 16 Folio 27の場面番号

49

に場面が区切られているとは言い難いが、便宜上、図16に示したように、Folioを二つの場 面に分けて詳細に見ていくことにする。向かって左側の女性たちがいるところを場面1、褥 とカーマ神が描かれているところを場面2とする。

【場面1】

三人の女性が描かれている。向かって左側の女性は、手振りをしながら中央の女性と会話 をしている。中央の女性は、体を褥の方に向けたまま、顔だけを後ろに向け左側の女性と手 振りを交えて会話をしている。向かって右側の女性は、少し前屈みになり褥の方向を向いて、

足早に歩いているかのようである。

この場面は、ラーダーがクリシュナを追い求めて広い森を探しまわっているというもの である。そのため、絵画の中にはラーダーが描かれていると考えられ、このことは、ラージ ャスターニー語のキャプションからも推測できよう。では、一体どの人物がラーダーであろ うか。

Vatsyayanは、「画家は、偈文の最後の行から描き始める。つまりサキーがラーダーに話し

かけるところである。二人は生きているかのように会話をしている」146とし、さらに「その 後すぐに、明確なしきりなしに、すなわち場面が切り替わることなく、再びラーダーが見ら れる。この時彼女は不安にかられ、広い森の中を歩き回っている。カーマ神が彼女を矢で射 ようとしている」147と述べる。したがって、Vatsyayan は三人のうち中央と右側の女性をラ ーダーとしており、時間の経過が表現されたものと解釈している。確かに、偈文とラージャ スターニー語のキャプションにもあるように、ラーダーがクリシュナを求めて森の中をさ まよっているように見えるため、この中にラーダーが描かれていると考えることは可能で あろう。

しかし、他の Folioに描かれるラーダーの衣装に注目したい。図17は、ラーダーがクリ シュナを家に連れて帰る場面である。ラーダーは朱色のチョーリーを身に着け、オールニー をまとっている。スカートは、金色の下地に赤色の花柄がついており、前方部分は赤色の生 地がひだ状になっている。ここでは、複数のラーダーとクリシュナを描くことで時間の経過 を表しており、彼らはすべて同じ衣装で描かれている。

さらに、Folio 27に隣接する場面のラーダーの衣装も見ていきたい。まず図18は、パド マー(ラクシュミー)とマドゥ・スーダナ(クリシュナ)が戯れいてる場面である。ここで は、ラーダーとパドマーを同一視するもの148としてこのFolioを見ると、少なくとも、図17 のラーダーと同じ衣装でパドマーが描かれていると言える。次の図19は、クリシュナの様 子をサキーがラーダーに伝えている場面であり、向かって左がラーダー、右側がサキーであ る。色彩は確認できないものの、上述したラーダーと同じ衣装を身に着けていると考えられ る。そして、図20も同様に左側にラーダーが描かれており、他のFolio と同じ衣装が描か

146 [Vatsyayan 1987: 35]

147 [Vatsyayan 1987: 36]

148 クリシュナとラーダーの関係に関する解釈は様々ある。本論文の0. 0.3を参照されたい。

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れている。このように、ラーダーの衣装は一貫しているということが確認できる。

MewāṛīGGは、クリシュナと戯れる牛飼いの女性たちの描写も数多く見られる。そのため、

ラーダーの衣装だけでなく、クリシュナを取り囲む女性たちの衣装も確認しておきたい。図 22 は、乙女たちと戯れるクリシュナを見てしまったラーダーが、クリシュナの気持ちを自 分に取り戻したいとサキーに語る場面である。図22では、場面の右端にラーダーとサキー が描かれており、中央にはクリシュナを取り囲む女性たちがいる。そして、左端にはクリシ ュナの方へ向かう二人の女性が描かれている。図22には右端に座るラーダーを除いて十人 の女性が描かれている。この中で三人の女性に注目してみると(図22の拡大図)、Folio 27 の三人の女性と類似した衣装を身に着けている女性が見られる。しかしながら、ラーダーを 除く女性たちの衣装は一貫性がなく、Folio 27と図22の女性たちが同一人物であるかは不 明である。

したがって、このFolio 27の中にラーダーが描かれているとは考えにくく、三人の女性は 牛飼いの女性を描いていると言える。ラージプートの画家たちは、作画の際には詩の内容に 忠実で、言葉をどれほど絵画として表すかが腕の見せ所の一つであり、MewāṛīGGはそれが 顕著に表れている。では、なぜここにはラーダーが描かれていないか仮説を提案したい。

GG 1.1ではクリシュナとラーダーはヤムナー川のほとりで戯れているとされる。図17を

見ると、その戯れは褥の中で行われていることが分かる。先に述べたように、GG 1.27は実

質的にはGG 1.1の続きであるため、Folioもその続きであると考えると、Folio 27に描かれ

た空っぽの褥は、クリシュナとラーダーの交媾後の様子であると言える。そして、ラーダー を描かず、このような褥を描くことで二人が別離していることを想像させているのではな いかと考えられるだろう。また、ここに描かれている女性たちは、クリシュナと戯れたいと 森の中を探し回っていると考えられる。

【場面2】

カーマ神149と白い花で飾られたアーチ状の褥が描かれる。愛の神であるカーマ神は、恋愛 をテーマに描いたラージプート画の中で特に多く見られる。絵画におけるカーマ神の描写 は、神話にある通り、弦が蜂で作られているサトウキビの弓と、先端が花になった矢を持っ ており150、恋情を起こそうと人物に向かって矢を射ようとする描写で描かれる。この Folio では、褥の横の木の上で、カーマ神が女性たちに向かって花の矢を射ろうとしている。

次に、白い花と花輪で飾られた褥を見てみると、その内部は赤く塗られ、そこには枕のよ うなものが置かれている。褥の外側には、香を入れるための瓶や器が描かれている。ラージ プート画では、背景を不自然に赤く塗った作品が見られ、この場合、二つの要因が考えられ

149 プラーナ聖典では、彼の妻は愛情と性愛の歓びを表すラティ、あるいはレーヴァーで、息子の名前は アニルッダ、娘の名前はトリシュナーとされる。彼の従者はヴァサンタ(季節)で、愛のシーズンを表し ている[菅沼 1989: 111-112]

150 [Mani 1989: 378-379]

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る。一つは、背景を赤くすることで重要人物や重要な場面を示している151。もう一つは、建 物の内部を赤くすることで、部屋の明るさを表していると考えられる。ここではおそらく前 者の意味合いが強く、褥自体を強調していると言える。つまり、探し求めた先にクリシュナ はいないことを強調していると考えられる152

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