3.5 MewāṛīGG Folio 70
3.5.3 Śaṅkaramiśra による註釈
he sakhi, dhairyam avalambasva miliṣyaty eva tvāṃ harir ity āśvāsayantīṃ dūtīm eva tvarayitum āha ---dūrāloketi | he sakhi, stoko ’lpaḥ stabako guccho yasyā etādr̥śī yā navikātinavā ’śokalatikānukampyāśokaśākhā tasyā vikāsa udbodho durāloko duḥkhenālokayituṃ śakyaḥ | navikety atra hrasvaḥ | latikety atrānukampāyāṃ kaḥ | maddhastapālitā ’taevānukampyā212 ’śokalatikā durāloketi bhāvaḥ |
ねえサキー、落ち着きなさい。ハリはあなたとまさに結ばれるだろうと、慰めている使 いの者を急がせようと言う―――見難き云々と。〈ねえサキー〉、〈新しい〉〔すなわち〕
非常に若い〈アショーカ樹の巻きひげ〉〔すなわち〕ともに震えているアショーカ樹の 枝213、このようなそれから、〈小さな〉〔すなわち〕小さい〈花房〉〔すなわち〕花の房、
その〈開花〉〔すなわち〕現れたものは、〈見難い〉〔すなわち〕苦悩として見ようとす ることである。〈新しい〉とは、ここでは短い〔という意味である〕。〈巻きひげ〉とは、
ここではどのような震えにおいてか。私の手にあるのでそれゆえ震えて、〈アショーカ 樹の巻きひげ〉は〈見難い〉という意味である。
Śaṅkaramiśraはこの偈文を、クリシュナの元にサキーを急いで行かせようとしてラーダー
が言った言葉であるとしている。そしてŚaṅkaramiśraは、aśokalatikāを震えているアショー カ樹の枝と解釈している。この震えは、別離に苦悩しているラーダーの手にその枝があるた め、枝も共鳴して震えていると考えられる。さらに、durālokaを小さな花房の開花を苦悩と して見ることと解釈しているだけでなく、アショーカ樹の枝をラーダーが手にしているた め震えていて見難い、と二つの解釈を示している。このように、Kumbhāの解釈とは異なる 点が多く見られる。
kim aparam | kāsāraḥ saras tat saṃbandhi yad upavanaṃ tat saṃbandhī yaḥ pavano vāyuḥ so ’pi vyathayati | duḥkhaṃ dadātīty arthaḥ | kāsārapadena vāyoḥ śaityaṃ kathitam | upavanasaṃbandhitvena sasaugandhyaṃ māndyaṃ ca dhvanitam | yato vanavr̥kṣair upahatagatitvena manda eva vāyur bhavatīti | yadvā | stokety ādi vāyor eva viśeṣaṇam | tadā stokastabakanavakāśokalatikāṃ vikāsayatīty evaṃbhūtaḥ pavano vyathayatīty anvayaḥ | nanvabhimukham āgacchan pavanaś calanādinā nivāryatām ity ata āha ---durāloka iti | atīndriya
212 ataivānukampyāとして訳した。
213 anukampyaを「sympathize with」の意味で取り、別離しているラーダーの苦悩に共鳴するものと考え
た。
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ity arthaḥ | tathācākasmād evāsau na dr̥śyata iti bhāvaḥ |
他にはどのようか。〈池〉〔すなわち〕池、それと結びついている〈木立〉があり、それ と結びついている〈風〉〔すなわち〕風、それもまた〈苦しめる〉。苦悩を与えるという 意味である。〈池〉という言葉によって、風の冷たさが説明される。〈木立〉と結びつい ているので、香しさと、〔風の〕弱さが暗示される。そのため、木立の木々によって〔風 の〕動きが弱まるので、まさに弱い風があるという意味である。あるいはそれは。〈小 さな〉というものなどは、まさに風の形容詞である。その場合、〈アショーカ樹の新し い巻きひげの小さな花房〉を〈開花〉させるということになり、〈風〉が〈苦しめる〉
という文構造である214。まさしく、向かってくる風が、動きなどによって避けられるべ きであると、それゆえ言う―――〈見難い〉と。〔すなわち〕心においてという意味で ある。同様に、まさに不意にそれは見られないという意味である。
池の木立から吹く風について説明される。春の季節には、マラヤ山から白檀の香りを運ぶ風 が吹き、その匂いで人々は恋情を起こすと言われる。Śaṅkaramiśraは、池の木立を風が通過 することで、風の冷たさや白檀の匂いが掻き消される様子、そして風力の弱さが暗示されて いると解釈している。その場合、このような風というのは、別離している者をより苦しめる ものと考えられる。また、durālokaを、風そのものは目に見えないという意味でも解釈して いる。
api ca iyaṃ śikhariṇī govardhanagirau vartamānā cūtānām āmrāṇāṃ mukulaprasūtir api kuḍmalodgamo ’pi na sukhayati | vikāsadaśāyāṃ tu ko veda kiṃ kariṣyatīti kavinā dhvanitam | prasūtiḥ śikhariṇī | praśastāgrabhāgavatīty arthaḥ | śikhariṇīty atra praśaṃsāyāmin | yad vā iyaṃ śikhariṇī mallikā na sukhayatīty arthaḥ | kīdr̥śī | bhrāmyantīnāṃ bhramarāṅganānāṃ raṇitibhir guñjitai ramaṇīyā | śikhariṇīnāmakaṃ chanda ity api dhvanitam | tal lakṣaṇaṃ tu vr̥ttaratnākare |
‘stoko ’lpe cātake’ iti viśvaḥ | ‘syād gucchakas tu stabakaḥ’ ity amaraḥ | ‘latāṃ jyotiṣmatīvr̥kṣaśākhāvallipriyaṅguṣu’ iti viśvaḥ | ‘kāsāraḥ sarasī saraḥ’ ity amaraḥ | ‘strīratnaṃ mallikāyāṃ ca proktā śikhariṇī budhaiḥ’ iti viśvaḥ |
そして〈また〉、ゴーヴァルダナ山215に、かの先のとがったものがあり、〈マンゴーの木〉
〔すなわち〕マンゴーの木の〈つぼみが芽吹くこと〉も〔すなわち〕つぼみが出ること も喜ばせない。しかし、発芽の状況において誰が知って何をするのか、ということが詩 人によって暗示される。〈芽吹く〉ものは、〈先のとがった〉ものである。素晴らしい先 端を持っているという意味である。〈先のとがったもの〉とは、ここでは賞讃を控える
〔という意味である〕216。あるいは、この〈先のとがったもの〉は、マッリカー(ジャ
214 開花したアショーカ樹の花が、風で飛ばされてしまうということが考えられる。
215 ヴリンダーヴァナにある山の名前。インドラ神は大雨を降らせてこの土地を押し流そうとしたが、ク リシュナはゴーヴァルダナ山を小指で持ち上げて大雨をしのいだ。
216 praśaṃsāyāminはpraśaṃsāとāyāminもしくはyāminであるが、文法的解釈が不明瞭である。
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スミン)であり、喜ばせないという意味である217。どのようか。〈ぐるぐる旋回してい る〉メスの黒バチの〈ぶんぶん鳴る音〉によって〔すなわち〕ぶんぶんという低音によ って、〈愛らしい〉。śikhariṇīという名前の韻律も暗示される。さて、Vr̥ttaratnākara218に おいてその特徴が〔言われる〕。「チャータカ鳥が小さいので、stoka(小さな)」219と Viśvaprakāśaで〔言われる〕。「gucchaka(房)は、stabaka(花房)であるべし」220とAmarakośa で〔言われる〕。「priyaṅgu221の木の枝の光り輝く蔓草において、蔓草を」222とViśvaprakāśa で〔言われる〕。「kāsāra(池)、sarasī(池)、saras(池)」223とAmarakośaで〔言われる〕。
「そして優れた女性は、ジャスミンにおいて最も優れたもの(śikhariṇī)であると、賢 者によって言われる」224とViśvaprakāśaで〔言われる〕。
Śaṅkaramiśraは、マンゴーのつぼみはゴーヴァルダナ山にあると述べている。ここでは、ク
リシュナに所縁のあるゴーヴァルダナ山を示すことで、そこにあるマンゴーのつぼみが芽 吹くことは、クリシュナと別離しているラーダーにとっては喜ばしいものではない、という ことが推察できるだろう。
217 まだ蕾の状態のジャスミンは、香りがしないため人々を喜ばせないと考えられるが、意味は不明瞭で ある。
218 Kedārabhaṭṭa(11世紀頃)による詩論書。
219 Viśva. ka. 2.29[Maheśvara 1911: 4]
220 syādgutsakastu stabakaḥ …… | Amar 2.4.16[Dādhimatha 1915: 133]
221 粟、油菜、ヒハツの意味がある。
222 latā jyotiṣmatī spr̥kkā śākhāvallīpriyaṅguṣu …… | Viśva. ta. 2.42[Maheśvara 1911: 55]
223 kāsāraḥ sarasī saraḥ …… | Amar 1.10.28[Dādhimatha 1915: 103]
224 strīratne mallikāyāñ ca proktā śikhariṇī budhaiḥ …… | Viśva. ṇa. 4.103[Maheśvara 1911: 55]
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