4.1 はじめに
本章では従来から用いられてきているComplete case解析,LOCF,及びBOCFの性能について,論文等で取 り上げられている論説を紹介する.
欠測のあるデータに対して良く知られた一般的な解析アプローチとして,以下の3つがある.
1.完了例ではない被験者のデータを削除して,完了例のみのデータセット(完備データセット)に対して解 析を行う.
2.完了例ではない被験者の欠測値に対して補完を行い,補完されたデータセットに対して解析を行う.
3.完了例ではない被験者については,観測された全データを用いて,補完せずに解析を行う.
1.のように,完了例だけにデータを絞って行う解析はcomplete case解析と呼ばれている.2. の欠測値に対 する補完方法として最も良く知られている方法がLOCF (Last Observation Carried Forward)である.これは欠 測値に対して,欠測する直前に測定された値で補完する方法である.その他に,ベースライン値で欠測値を補 完するBOCF (Baseline Observation Carried Forward)も多く利用されている.また,3.の解析としては,最大尤 度,制限付き最大尤度といった尤度に基づく方法や,ベイズ統計に基づく方法,モーメントに基づく方法(GEE やそれらの応用的方法)などが含まれる.代表的な方法が本報告書の9章で述べられるMMRM (Mixed-effect Models for Repeated Measures)である.
本章ではこれらのアプローチのうち,まずcomplete case解析について述べ,その後,主としてNRC (2010),
EMA (2010),及びKenward and Molenberghs (2009)で述べられているLOCF,BOCFに対する論説を取り上 げる.
4.2 Complete case 解析
欠測値のあるデータに対する最も単純なアプローチは,complete case解析である.この手法は,完了例では ない被験者のデータを削除して,全評価時点の測定値が観測された被験者,つまり完了例に対して事前に規定 された解析方法を適用する方法である.このアプローチの優れた点としては,解析の実行が非常に容易である ことが挙げられる.
Complete case解析が,根拠のある妥当な推定結果を与えるという状況は,特に欠測メカニズムがMCARの
もとでは幾つか考えられるかもしれないが,一般的には不適切であることが多い.完了例ではない被験者のデー タを用いないまま解析を行うため,バイアスを引き起こす可能性があること,及び精度の低下の2点で問題が あると考えられる.たとえば,試験薬群で無効中止が多い場合に,完了例のデータのみを利用した解析では,
有効性を過大評価する事に繋がり,薬効評価において重大なバイアスを引き起こす可能性がある.また,ラン ダム化された被験者の中で完了例のみのデータを利用することで,例数が減少して,精度の低下に繋がると考 えられる.
ただし,欠測割合が非常に少ない臨床試験においては,complete case解析の結果は被験者全体の結果を反映 しており,complete case解析の適用の可能性があると考えられる.
4.3 補完に基づくアプローチ
欠測値を補完する方法は,complete case解析に比べて,完了例ではない被験者の情報を利用できるという長 所がある.そのため,適切な補完を行うことで,complete case解析で懸念されるバイアスや精度の低下を緩 和することが可能であると考えられる.一般的な臨床試験で得られるような反復測定経時データに対しては,
LOCFやBOCFといった手法が知られている.これらは完了例ではない被験者の欠測値をそれぞれ,その被験 者の欠測する直前に測定された値,またはその被験者のベースライン測定値で補完する手法である.これらは,
被験者ごとに,最後に測定された値,またはベースライン値といった単一の値で補完するため,NRC (2010)で
はsingle imputation method (以下,単一補完法)と呼ばれている.これらの単一補完法については,理論的に,
あるいは経験的に,多くの懸念点があることが知られている.また,NRC (2010, p77)では,LOCFやBOCF といった単一補完法は,前提となっている仮定が科学的に妥当でない限り,主要な方法として使うべきではな いと明記している.
4.3.1 LOCF について
単一補完の方法であるLOCFは単調な欠測,及び非単調な欠測の両者に対して適用可能である.NRC (2010,
p65-66)に記載されている通り,LOCFは,プロトコールで規定された時点で評価を行う試験において,被験者
の応答変数が脱落後に変化しないという強い仮定が成り立つ場合に,導かれる応答変数の推定量にバイアスが 入らないとされる補完法である.ただし,この仮定を満たすかどうかについて十分精査されることなく,広く 一般的に使用されている可能性がある.そのため,脱落以降は被験者の応答変数の値が変化しないことの妥当 性が疾患領域,薬剤の特徴や臨床現場の実情等と合致しているかについて十分考察を与えたもとで,適用を検 討しなければいけない.
慢性疾患の治療薬の治験などでは,脱落した被験者が存在する場合,その被験者の応答プロファイルが,脱落 後にすぐに変化するか,又は段々と初期症状に戻っていくのではと考えられるかもしれない.脱落後に応答変 数の値が一定であるというLOCFの仮定は,そのような場合には満たされないことが想定される.また,LOCF は補完した値を,あたかも測定値のように扱うため,complete case解析に比べて,データの情報量が増える.
このことによって,線形モデルを特徴づけるパラメータ(平均差,分散,相関など)のすべてに対して影響を与 えることを,理解しておく必要がある.
LOCFを用いた解析は,一時的に治療群間で治療効果に差がある場合,最終時点における治療効果に対して 誤った結論を導く可能性が高いと考えられている.Molenberghs et al. (2004)では論文中の全てのケースにお いて,LOCFは真の,ただし未知である治療効果に依存したバイアスを持つことを示している.Kenward and
Molenberghs (2009)に記載されている一つの例として,治療効果の差が試験期間の初期は時間と共に増加する
場合で,試験期間の中盤で効果の差が最大になる状況を考えよう.その後効果の差が減少していき,治療期間
の最後(評価時点)には効果の差が完全に消失しているとする.さらに脱落の大部分は試験の中盤で起こってい
るとする.このとき,LOCFに基づく解析では,群間差が開いている中盤での値が補完されてしまうため,治療 効果の差が無いという帰無仮説を誤って棄却する可能性が高くなってしまうだろう.このため,LOCFを用い るときは,自然経過で改善を示す疾患かどうかについて留意しておくことが必要である.また,治療の目的が 疾患の症状を維持させることで,放置しておくと悪化するような疾患の場合(アルツハイマー病など)にLOCF を適用すると,誤って治療効果を過大評価してしまう.LOCFの性質については12章のシミュレーションでも 取り上げているため,参照されたい.
最後に,NRC (2010, p65-66)に基づき,欠測メカニズムとの関係における注意点を述べる.LOCFは欠測メ カニズムがMCARのもとか,又はMARのもとでは,妥当な方法であると誤って理解されていることがある が,LOCFを妥当とする仮定は,MNARの仮定であることを強調したい.ここで,n個の予定評価時点があり,
最終評価時点nの欠測値に制限して考える.欠測メカニズムがMARであることの仮定は,以下のようになる.
なお,被験者iの添え字を省略している.
P(Yn|X,Yo, R= 1) =P(Yn|X,Yo, R= 0) (4.1)
ここで,Rは時点nの欠測識別変数で,R= 0であれば欠測であること,R= 1であれば測定されていること を意味する.つまり,式(4.1)はデザイン行列Xと観測データYo= (Y1, ..., Yn−1)に基づいたYnの予測分布 が,欠測した場合と観測された場合で同じであることを示している.一方,LOCFを用いた推定量にバイアス が入らないための(十分)条件は,欠測値Ynは,確率1でYn−1と等しい.式で表すと,それは以下のように なる.
P(Yn=Yn−1|X,Yo) = 1
ゆえに,一般的にP(Yn|X,Yo, R= 0)̸=P(Yn|X,Yo, R= 1)であり,LOCFはMCAR,及びMARのときに 妥当な手法であることを保証していない.
なお,ここまでは主にNRC (2010),及びKenward and Molenberghs (2009)で論じられている内容を中心に取 り上げてきた.一方,EMA (2010)においては,具体的な状況については明記されていないが,規制上の見地 から,明らかに保守的な解析(試験治療の効果を過小評価する解析)に基づく結論は,説得力のあるエビデンス となりうると述べられている.そのため,保守的な推定値を与えると考えられる状況下では,LOCF適用につ いて,検討の余地があると考えられる.
4.3.2 BOCF について
LOCFと同じく単一補完の手法としてBOCFがある.この方法は完了例ではない被験者の欠測値をその被験 者のベースライン測定値で補完する手法である.つまり,ベースラインからの変化量をエンドポイントとする 場合には,欠測値は全て0で置き換えられる.
BOCFは,慢性疼痛のような疾患で,脱落後には薬剤の効果が消えて,治療前の状態に戻ると想定すること が妥当な場合においては,BOCFの選択が可能と考えられる旨がEMA (2010)に記載されている.
一方で,これまで述べてきたようなLOCFに対する論説はBOCFに対しても同様にあてはまる.特に,ある 被験者が試験の途中で急激な悪化症状を示して脱落となった場合,BOCFはこの症状が悪化したという事実を 完全に無視してしまう.この面においてはLOCFよりも顕著であり,BOCFを利用する際には十分考慮してお くことが必要である.
また,LOCF,及びBOCFといった単一補完の方法は,本来持つであろうデータの不確実性を,単一の値で 補完することで無視することに繋がり,真のデータの複雑さとは異なるものになってしまうと考えられる.
4.3.3 Estimand と LOCF ,及び BOCF
LOCF,BOCFは,今まで見てきたような側面があるが,解析結果が妥当となる状況,もしくは明らかに保
守的な推定値を与える状況下では,主要なestimandに対する解析として利用可能である.具体的には,NRC (2010), 及びAyele et al. (2014)において,LOCF,BOCFはそれぞれefficacy,及びeffectivenessのestimand に対する解析に対して,アプローチの一つとなり得る旨が記載されている.
LOCFは治療が中止されるまでの期間に計画通りに投与された薬剤の効果を反映していることからefficacyと して,BOCFは治療が中止された後は治療開始時の元の状態になるという仮定が妥当であるときに,effectiveness として適切となり得ると考えられる.具体的には,Ayele et al. (2014)に基づけば,estimand 3に対してLOCF の適用が,estimand 6に対してBOCFの適用が考えられ得る.
ただし,これ以外のestimandにおいても,解析結果が妥当となること,もしくは明らかに保守的な推定値を与 えることといった,LOCF,BOCFを妥当とする仮定を十分検討したうえであれば,両手法はそれぞれefficacy,
及びeffectivenessに対する解析の方法として,臨床試験で適用していくことが考えられる.これらも踏まえた
感度分析については本報告書の10章以降を参照されたい.
4.3.4 その他の補完方法
本章ではcomplete case解析,及び単一補完の方法としてLOCFとBOCFを取り上げた.今まで述べてきた
ように,これらの適用は容易であり,また,妥当な仮定のもとでは,適切な場合があり得る一方で,多くの懸