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72 第三項 行事食からみる地域食資源

ドキュメント内 年間献立の可視化(大山地区) (ページ 75-78)

(1) 行事食の地域性

第二項と同じ参加者・期間で,日常食

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と同じ時に,各地区の行事食について

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確認を行った。月ごと,地区ごとにあげられた行事食は末尾の参考資料1としてまと めた。まず同時期に何地区かで一斉に行われている行事の行事食について述べていく。

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月の行事食は正月には雑煮,おせちがあげられた。7日の七草は,鴨川市では,

七草粥ではなく雑煮の中に菜っぱを入れる菜雑煮やご飯に菜っぱを混ぜる菜飯が中心 であった。1月11日の鏡開きは,大山,吉尾,曽呂,東条,西条,太海江見,小湊 地区で汁粉があげられた。それに加えて大山地区ではかき餅,小豆粥があがった。1 5日の小正月では曽呂,東条,小湊地区で汁粉があげられ,吉尾,西条,小湊地区で は小豆粥があげられた。

2月の行事食は1日には西条,曽呂,太海,小湊地区で初午が行われている。名称 は異なるがお稲荷様という行事が大山地区でも行われている。この中で油揚げの料理 が行事食としてあがったのは,西条,小湊地区である。3日の節分は全地区で行って おり,豆が行事食としてあげられた。イワシ料理は吉尾,田原,東条,鴨川地区であ がった。大山,曽呂,吉尾,田原,東条,小湊地区では恵方巻きがあげられた。

3月の行事食は3日の雛祭りは各地区で行われており,ちらし寿司があがったのは 天津,小湊,西条,曽呂地区で,混ぜご飯は曽呂,吉尾,太海地区であげられた。吉 尾地区では五目寿司ご飯があげられ,吉尾,主基地区でお寿司,赤飯があげられた。

ハマグリのお吸い物があがったのは太海,西条,主基,吉尾,曽呂地区であった。ま た,海岸地域の小湊ではサザエで,サザエをお雛様供える。太海ではサザエの壺焼き があがった。桜餅は中山間地域の大山,曽呂,吉尾,主基,西条で挙げられた。また,

桜餅以外のお菓子として,吉尾,主基では菱餅,大山では,しんこ餅,曽呂ではおは ぎがあがった。太海の新屋敷では女の人の集まりがあり,寿司をとって行事を行って いる。ホテル,料理屋での会食を行うのは大山,主基であった。白酒は曽呂,太海で あがった。

5月の行事食は5日の節句には各地区で柏餅。天津はホテルで会食を行い,寿司が 行事食としてあがった。小湊では五目寿司があがり,鴨川ではちまきがあがった。東 条ではお寿司,生魚を入れた混ぜご飯があがり,大山では新茶,巻き寿司があがった。

お盆は,鴨川市の中で7月に行う地区と8月に行う地区がある。7月に行うのは,

天津,小湊,江見地区の海岸地域を除く大山,曽呂,吉尾,主基,田原,西条,東条,

鴨川,太海である。まず,7月に行われるお盆の行事食について見ていく。迎え火に は,そう麺が行事食として大山,曽呂,主基で出されている。また,主基では,ゴボ ウ料理があげられた。西条でおはぎがあげられ,東条では,天ぷら,奴豆腐,枝豆。

曽呂地区では,朝にカボチャやナスを煮て,ひょう菜,ご飯,昼にそう麺,夜にはお かず(トマト・キュウリを刻んだ物など)を折式の銘々膳に供えるそうだ。朝昼晩と 先祖に何を供えるか決まっており,それらが行事食なのだという意識があることがう かがえた。送り火には多くの地区で,おにぎりがあげられている。

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これは,先祖への供え物であるが,鴨川では送り火の日にはおにぎりを作って,先 祖にお弁当として持たせる風習がある。おにぎりの数は先祖の人数など家によって異 なる。また,形についても丸や三角などの違いがある。主基では,おにぎり以外に送 り火の行事食として寿司,ぼた餅があげられた。主基,西条では供えた後に焼きおに ぎりにする習慣がある。鴨川,東条,太海は海に隣接しているためか,以前はおにぎ りを海に流した。海の近くの地域では,海とあの世がつながっていると考えられてい る。

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日の土用丑の日は大山,吉尾,主基,西条,太海,天津,小湊地区でウナギ を食べている。ウナギは,川や田圃で捕まえていたが今は購入している。

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月のお盆は海岸地域の江見,天津,小湊地区で行われている。

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日の送り火には,

天津小湊では積み団子,そうめん,にぎり寿司,野菜の煮物(おひら),野菜の天ぷら,

煮物,冷奴が行事食としてあがり,江見ではサザエ,アワビ,そうめん(油揚げ,し いたけ),天ぷらが行事食としてあがった。15 日の送り火の日には天津,小湊で,そ うめん,天ぷら,おにぎり3個(里芋の葉・蓮の葉)があがった。江見ではおにぎりがあ がった。7月のお盆と8月のお盆の行事食に目立った違いは見られなかった。

9月の彼岸にはどの地区でもおはぎがあがっている。太海江見,天津,小湊,吉尾 で積団子が挙がった。東条,曽呂,西条地区では団子が挙がった。天津,鴨川,西条,

主基,曽呂地区で混ぜご飯が挙がった。田原,鴨川,主基,西条地区では赤飯があが った。おこわは太海江見,田原,西条地区。稲荷寿司は西条,曽呂地区であがった。

五目寿司は天津,小湊,鴨川,西条(天津地区のちらし寿司も五目寿司として入れた。),

寿司(生寿司)は東条,鴨川,吉尾であがった。田原では煮しめ,太海,江見では酢 の物,西条では栗ご飯があげられた。

10月の行事食は3日の十五夜には団子が,多くの地区であがった。その中でも,

小湊,太海,西条,大山では団子の数が

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個と決まっており,小湊,太海,大山地区 ではその団子を積み団子にしている。また,小湊,東条,大山では里芋も行事食とし てあげられており,より伝統的なスタイルが残っていることが分かる。団子,里芋以 外であげられている物は季節の果物や野菜が挙げられた。また,以前は子供が団子を 突いていたという声は,天津,小湊,主基,西条,太海地区であがった。太海地区の 7・8・9番組では,十五夜の日に八幡様に集まり茶話会が地域の集まりとして行わ れている。

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日の十三夜には,十五夜同様,団子が多くの地区で行事食としてあがった。大山,

太海では

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個の団子を作り,積み団子にする。十五夜同様,小湊,大山,東条では里 芋も行事食としてあげられている。団子,里芋以外に十五夜同様,季節の野菜,果物 が供えられている。天津,小湊,太海地区では十五夜と同様に前には子供が団子をつ いた。大山地区では,子供が団子を取りに来ると良いことがあると言われていた。

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月の行事食は

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日の七五三で,千歳飴,紅白餅などが各地区であげられた。赤 飯は大山,曽呂,主基,田原,西条で挙げられた。すあまは大山,小湊であげられた。

曽呂では野菜の煮物。田原,吉尾でケーキがあがった。主基,田原,鴨川,小湊地区 で寿司があがった。曽呂,西条,東条,鴨川,太海,天津で外食やホテルでの外食が あがった。

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月下旬に行われる新嘗祭での行事食は小湊,東条,大山地区で赤飯があげられた。

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月の行事食は冬至には小湊,天津,太海,東条,西条,曽呂,大山で冬至カボチ ャがあげられた。31日の大晦日には各地区で年越しソバが行事食として出された。甘 酒は主基,鴨川であがっており,これは寺で振舞われる物である。この様な主要行事 の行事食の中で,細かな地域性が一部見られ,どの程度行事食の伝統性を重んじてい るかが垣間見られた。

(2) 神仏行事や講

小湊地区は日蓮宗開宗の日蓮の生誕地であるため,日蓮宗の寺社が多く,日蓮宗を 信仰している人も多い。そのため,小湊地区では日蓮宗の行事が現在でもそれぞれの 寺社で様々な行事が行われている。施餓鬼は各寺で行われているが,仕出しをとるよ うになった寺と,今でも檀家が食事を作っている寺に分かれる。小湊,東条の日蓮宗 の寺で行われる法難の行事では,日蓮に由来するいわれのある胡麻おはぎが行事食と してあげられた。

十五夜講や庚申講,子安講,念仏講などが今でも残っている地区もあり,それぞれ の講では行事食が決まっている。山神講は,太海では寿司があがり,昔は手作りのぼ た餅やおはぎを作っていた。西条地区打墨では仕出し,御神酒,漬け物,豆腐半丁で,

昔は出来るだけ手をかけないようにからなますを作っている。吉尾では,おはぎ,混 ぜご飯,からなます,サバと野菜の煮物,どぶろく,提げ重があげられた。

春祈祷行事(ヒヤリ)は各地区で1,2月に行われている各集落の行事である寺の 住職に新年の祈祷してもらい,その後集落の人々で直会をする。この直会で食べられ る行事食は,現在では仕出しや外食が多い。

しかし,行事食として,主基地区南小町の天王様行事で男性が作る行事食ドジョウ そうめん(図

45)と,太海地区香指神社の御祷行事の行事食であるヒジキと煮干し(図 46)などのように,現在でも地域特有の行事食が各地区の行事食の中で確認できる。

45 ドジョウそうめん 46 ヒジキと煮干し

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