(1)「三通」の全面開放
08年5月、台湾の政権が国民党に代わり、
99年以来途絶えていた海基会(台湾)と海 協会(中国)の対話が再開した。両会が最初 に着手したのは、03年から春節(中国の旧 正月)に限って運行している台中間の航空機 の直接乗り入れを、毎週末に拡大することで ある。「三通」が制限されていた時、台湾と 中国の往来は香港等の第三地を経由しなけれ ばならなかった。しかし、両会の合意に基づ き、08年7月 よ り 毎 週 金 〜 翌 月 曜 日 に、 台 湾、中国大陸間を直接乗り入れるチャーター 便の運行が始まった。第1便となった中国南 方航空の広州発台北行きの飛行機は、劉紹 勇・中国南方航空会長自らが操縦した。中国 大陸籍の飛行機が正式に台湾に着陸したのは 約60年ぶりの出来事である。劉兆玄・行政院 長(首相)のコメントには、「本来80分で行 ける所に8時間も要したことは、省エネ、温 暖化ガス排出量削減の理念にも反する。」と の発言もあった。
次に両会が取り組んだのは「三通」の全面
開放である。08年11月に海協会の陳雲林会 長が台湾を訪問した。同氏は、それまで台湾 を訪れた中国要人の中では最高位の人物であ る。滞在中、陳会長は海基会の江丙坤理事長 らと会談を行い、「四項協議」について合意 文書に署名した。主な合意内容は以下のとお りである。
① 空運に関する協定:現在、週末に限って行 われている両岸間のチャーター便を平日に も運航し、週108便まで拡大する。
② 海運に関する協定:香港、沖縄等の第三地 を経由して行われている両岸の旅客・貨物 の運輸を直接運輸に切り替える。
③ 郵便業務に関する協定:旅客、貨物同様、
第三地を経由して行われている郵便物を直 接輸送に切り替える。
④ 食品安全管理に関する協定:中国製汚染粉 ミルク事件を背景に、食品安全問題が発生 した場合の連絡・協力体制を構築する。
以上の事項のうち、④は7日後に、①〜③ は40日後に発効した。
なお陳会長の台湾入り後、野党民進党の支 持者が中心となり抗議行動が続けられた。夜 には同氏が宿泊するホテル前で衝突事件が発 生し、少なくとも警察官42人が怪我をした。
抗議活動に参加した人達は、馬英九総統就任 後、急速に進む中国との関係改善に対し、台 湾の主権が損なわれるとして、以前にも増し てナショナリズムを強めた。馬総統と陳会長 の会談の中で、陳氏が馬氏を「䓟(あなた)」、
「馬先生(馬さん)」と呼び、「総統」という 呼称を用いなかったことに対し抗議すべきと
の報道もあった。「三通」の解禁は、必ずし も台湾住民すべてに望まれたものではないと みられる。
抗議行動は陳会長帰国後も、形を変えて続 けられた。陳会長が台湾を訪れた際の過剰な 警備体制が「言論の自由」を阻害したとし て、地元大学生を中心とした座り込み運動が 発生した。当初は行政院前で、その後は自由 広場に移り、12月上旬まで続けられた。台湾 では、90年3月に発生した学生の民主化要求 運動が「野百合学運」と呼ばれていることか ら、今回の抗議行動を「野草莓(野いちご)
学運」と呼んでいる。学生達の要求は、以下 の3点である。①馬総統と劉行政院長の公式 謝罪、②王卓均・警政署長、蔡朝明・国家安 全局長の解任、③集会の自由が定められた中 華民国憲法に違反する集会・デモ法の改正要 求である。また抗議行動後半には、李登輝元 総統が学生達を激励するため自由広場を訪れ ている。
台湾の集会・デモ法は、戒厳令解除後の 88年に制定された。同法は、社会秩序維持 のため、集会の開催やデモの実施に当たっ て、事前の許可が必要と定めている。台湾政 府は、学生達の集団による座り込み行動を重 く受け止め、08年12月4日、集会・デモ法改 正案を立法院に提出した。同法案が成立すれ ば、集会の開催等は事前許可制でなく集会・
デモ責任者が実施5日前までに管轄機関に届 出書を提出する届出制に変わることとなる。
しかし学生達は「事前許可制」から「強制届 出制」への変更を「言葉遊びに過ぎない。」
と批判し、その後も座り込み行動を続けた。
台湾独立運動家なども巻き込み、地方にも規 模を拡大させた野いちご学運であったが、報 道を見る限り、08年12月7日に行われた1,000 人を超す規模のデモを最後に収束したとみら れる。
(2)国際機関(WHO)へのオブザーバー復帰 09年5月19日、 葉 金 川・ 行 政 院 衛 生 署 長
(健保担当大臣)は、ジュネーブで行われた WHO(世界保健機関)総会の一般討論会場 で、約5分間の演説を行った。台湾政府の代 表が国際機関の会合で演説を行うのは、国連 脱退以来38年ぶりである。新型の豚インフ ルエンザが世界的拡大をみせるなか、葉署長 は演説で「台湾がWHOと正式に情報共有で きることは、台湾住民2,300万人にとって有 益であるばかりではなく、全世界67億の人々 に対しても貢献できる。」と述べ、スピーチ が終了後、英語、北京語、台湾語で「ありが とう」と締め括った。ジュネーブ滞在中、野 党民進党系の台湾人留学生が、「中華台北」
(チャイニーズ・タイペイ)名義でWHOに参 加したことは、台湾を矮小化させる行為だと して、レストランに押しかけ葉署長に抗議す る一幕があった。しかし、台湾のテレビ局が 台湾住民1,236人に対して行った世論調査で は、48%の人が葉署長の演説に満足してお り、38年ぶりに国際舞台で台湾の存在をア ピールしたWHOへのオブザーバー参加は、
多くの住民に受け入れられたようだ。
台湾は91年から国連、97年からWHOへの
復帰活動を毎年続けている。国際社会が中華 人民共和国を中国の正統政府とみなし、台湾 が国として国際機関に参加することを中国が 認めなかったため、加盟申請は毎年門前払い の状態であった。しかし、政権交代後、台湾 の外交姿勢に対する中国の態度が軟化した。
中国の胡錦濤国家主席は、08年12月に行われ た「台湾同胞に告げる書」発表30周年記念座 談会の演説の中で、「台湾の国際組織活動へ の参加」に関して、「2つの中国」「1中1台」
をつくらない前提で、「両岸の実務的協議を 通じ、実情に合った処理ができる。」と述べ ている。台湾の外交部関係者は、IHRに参加 できたことに関して「中国の意向が働いた」
と指摘している。他方、中国側の報道では、
台湾のIHR(国際保健規則)参加は、「三通」
の全面開放に伴い、台湾住民が中国大陸で発 生した新型ウイルスに感染する危険性がこれ まで以上に高まったことに対応するため、と 伝えている。
(参考)最近の日台交流
①王貞治氏の受勲について
09年2月5日、馬総統は台湾を訪問中の王貞治氏に「二等景星勲章」を授与した。王氏は以前、
台湾政府から特定の任務を持たない無任所大使に任命されていたことから、今回の受賞につな がった。王氏の父は、浙江省青田県出身で、中国が「中華民国」であった時代に日本に移り住ん だ。61年に巨人軍が初の海外キャンプを実施した時、外国人登録選手であった王氏は外国人登録 法により「中華人民共和国」、「中華民国」のいずれかの国籍の選択を迫られた。当時、日本と中 華人民共和国は国交がなかったことから、王氏は「中華民国」の国籍を選択し、以来現在も王氏 は「中華民国」籍となっている。64年、本塁打日本新記録を達成した王氏は翌年、台湾に招待さ れ当時の蒋介石総統と面会している。中華民国が国際社会で地位を低下させるなか、「祖国を愛す る好青年、王貞治」と国威発揚に利用されたともいわれている。65年に結婚した日本人の夫人も
「中華民国」籍に変え、息女3人も中華民国籍となっている。台湾総統府で馬総統から直接、勲章 を授与された王氏は「無上の光栄です」と喜びを語った。王氏は早稲田実業野球部が国体の高校 野球に選抜された時、日本国籍を有していないという理由で出場を拒否された。
②台湾映画「海角七号」について
台湾では08年夏に公開された台湾映画、「海角七号」が大きな話題を呼んだ。日本統治が行われ ていた40年代、台湾最南の「高雄州恆春郡海角七番地」に住む台湾人女性と恋に落ちた日本人教 師は、敗戦によりやむなく日本に帰国する。物語は帰国後、彼女へ7通の恋文を送ることから展開 する。当初中国大陸では、台湾の日本統治を美化するものとして、公開が見送られたとみられる。
馬総統は08年末、ラジオのインタビューで、「台湾は日本に50年間統治されたが、人と人との恋愛 感情の発生を排除することはできない。映画はフィクションだが、中国大陸の東北地区が日本に 統治されていた時期に、同様な物語があったはずだ。たとえ戦争中であっても、評価に値するよ うな人間関係はある。台湾と日本には数多くの恩情と恨みが入り混じった感情があるが、それは 台湾と大陸の間にも存在する。大陸と60年間隔てられた社会を理解するつもりで、大陸同胞にも 楽しんで、包容力をもって『海角七号』を観てもらいたい。」との考えを述べた。09年1月、中国 最大の国営映画会社・中国電影集団の翁立氏は、09年2月14日より「海角七号」を中国国内で公開 することを発表した。なお同映画の日本公開は未定である。