一
党 文 寿 経 一 党 文 一 寿 経 一 第 一 品 一 住 正 定 家 一 一 九 一 一 八 一 第 二 品 一 上 輩 一 一 八 一 一 九 一 第 三 品 十 グ 一 一 九 一 二
O
一第 四 品 一 中 輩 一 一 八 一 一 九 一 第 五 品 一 下 輩 一 一 九 一 一 八 一
一︑聞名信楽住正定緊
一九 の二 願︒
二四
その成就文を寿経は
二︑真仏臨終現前
︑真仏平生現前
四︑化仏臨終現前
五︑平生夢中現前
初品を除いた四品は見仏に於いて︑真仏と化仏︑臨終と平生︑正見と夢聞の区別がある︒見仏にかかわらない初品
は龍樹により次の一備となった︒
人能念是仏無量力功徳即時入必定
是故
我常
念︒
この必定︵正定褒︶を主眼と取る理由は前段の散文﹁若人念我
1
即時入必定︑得アノク菩提﹂との相望である︒見仏四品のうち︑最も一般的なものは伺の平生夢中見仏︑宗教に於いて夢の重視される例は甚だ多く﹁真宗研究﹂
の第二十輯に浅野教信氏の﹁親驚聖人と夢﹂には大ピバ沙︑智度論︑般舟三味経︑無量寿経︑観経四帖疏︑往生要集︑
夢感聖相記︑本典後序︑夢告讃と詳細な記事がある︒これらの諸文かねてより筆者の関心︑
特に宗師の呈証︑高祖の
夢告讃には襟を正した︒又法華経安楽行品の終結部は羅什の訳風を一示す一例として見逃せない︒
彼処に無漏法を宜ベ説きつ 多億の生類を浬繋せしめ
因尽き灯火滅するが如
彼が夢こそかくあらめ︵七二︶
これ
が 説無漏妙法︑度無量衆生︑後当入浬葉︑如煙尽灯滅︒
易行
ロ問
の無
量寿
経と
その
展開
二五
易行
品の
無量
寿経
とそ
の展
開
一 一 六
となって第四行が欠除しているのは若於夢中︑但見妙事︵六
O
︶開
法為
入説
︑
① 行詣於道場︵六九︶に重複をさけんがためであったと思われる︒ 常有是好夢︵六八︶又夢作国王J
高で
ある
︒
ω
と仰の臨終現前は所謂ご来迎往生にて浄土教徒の最大願望︑小経大経観経を貫く関門で︑宗教画の画題として最付
二
︑ 平 生 見 仏 と 浄 土 論 の 交 渉
党漢
対岡
山︵
下の
数字
は経
文の
次第
︶ 1
現生
に
欲於今世
2 2
彼無量光如来を無量寿仏
4 3
拝見せんと欲する
見
3 4
善家男子︑或は善家女子は其有衆生
1 5
無上なる正等覚に心を発し応発無上菩提之心
5 6
強き深心の相続を以て
願生彼国 ×
7 7
彼仏国に生るる為に
修行功徳 ×
6 8
念を
係け
︑ 且
ペ コ
× 9
諸善根を
大谷光瑞師訳には
ω
の前
に﹁
如何
にし
て﹂
E S
︑
ω
の﹁拝見せん﹂の次に﹁と言いて﹂正の語を加う︑10
回向すベし
﹁如
何に
し
て﹂の語は﹁云何﹂と論に七回継がれている︒
1
×
︒党支と浄土論の対照︵上の数字は党文︑下の数字は論文の次第︶
2
観彼安楽世界︑見阿弥陀仏
3
願見弥陀仏︵願生倍末章︶
4 若
離 善順 男
菩 子 提 善 門②女 人 6 5
云何回向J回向為首得成就大悲心故
﹁観 彼世 界相
﹂﹁ 観仏 本願 力﹂ 宮田 ヨヨ
B︒ 6
心常作願一心専念︵作願門︶
畢寛往生安楽園
7
,
,
8
× 9
修五念門行
10
ω ω
の﹁
観﹂
﹁見
﹂︑
ω
﹁常
﹂相 続目
g
白g u
B
1 2
7 4
3 5
﹁一 心専 念﹂ は︑ 包﹃ 吉田 昌白
﹁作
願﹂
u w g
− s g
小経 の発 願は
︑同
V H S
三
EE
官民
4
同3 5
建章﹁我一心﹂の一心と同語︒
易行 口聞 の無 量寿 経と その 展開
小経の一心不乱︵不散乱心︶ミ符己主
R Z
同法華経序品の一心除乱開宮田
m E
丘三
曲目
に簡びまたこのアドヒヤ
二七
易行
品の
無量
寿経
とそ
の展
開
二八
シャ
にプ
ラサ
ダを
加え
て初
日間
の信
心歓
喜︑
論註
の淳
︑
て相続の三心︑
一向
専念
︒ 経には﹁諸善根を回向すベし﹂とあるものを論には能所を混じて回向も所修と見るから﹁礼拝等︑
五種
修行
︑ 切
功徳善根﹂と一括した︒
経の諸善根を聞いて前四念としこれに回向を加えて五念としたが初めの三念は論註指示の如く建章備に見られ︑経 は見仏の過程にある往生を論は見仏の目的に振り替えた︒
経には唯一回使用の﹁云何﹂の徴を五念の一一にかむらせ︑
また云何観に礼拝讃歎観察の三門を︑云何生信心に作
願回向の二門を統摂した︒
五念︵仏︶門はたしかに浄土の行であるが︑
その所修の目的は礼拝門のほかは一般仏教の行目なれば
礼拝︵身業︶為生安楽国意故
讃歎︵口業︶如実修行相応故
作願︵意業︶如実修行シヤマタ故
観察︵智業︶如実修行ピパシヤナ故
回向︵方便智業︶得大悲心故
と対配され︑讃歎門の相応はユガの訳名であるから﹁如実にユガを修行するが故に﹂と訓じ︑
かく
て次
のシ
ヤマ
夕︑
ピパシヤナと比肩される︒但し﹁如実修行相応は︑
信心ひとつにさだめたり﹂は論註相承の宗釈の訓である︒
驚師が成上起下と称す︑第二行備の﹁与仏教相応﹂も﹁仏教ユガのために﹂
の訓
とな
る︒
したがって
﹁我
依修
多
羅﹂の修多羅も三部経以外に亘り︑
現に国土荘厳十七句の摂大乗論の十八円浄を模したことは既に鎌倉の良忠定善義 伝通記に照合し︑今の五念門もユガ論の巻一八の修学七法に基きて止観中心とするのは工藤成性氏の﹁世親教学の体
系的研究﹂の主張︑氏によればユガ論の少分観察の法討が今の云付観に︑少分観察の信行が云何生信心に相当し︑浄 土論の上には法行のみを説きて信行は有標無釈なりと決断したQ経が修行の目的とした平生見仏の具象は二十四行の 願生偽中︑第三行より第二十三行に至る二十一行中に明かされる三種二十九種山政にありと雌も二十九旬がすべての
怪文即ち真実功徳相と一致せざるのみならず︑かの大義門功徳の二乗程不生は経と背反しているのはユガ論の相承に
難功
徳︑
よる︒しかし一荘厳句毎に﹁荘厳何々功徳成就者﹂と冠するは小経の結章句﹁成就如是功徳荘厳﹂の形であり︑無所
一切所求満足功徳の如きは功徳名と内容と経文に符合している︒
触功徳の﹁カセンリンダに過ぎたり﹂のカ1チリンデイカは究文に存し︑現存の植物名である︒
小経閲章の﹁号阿弥陀今現在説法﹂︑
寸今 現に 住持 し日 を送 り︑
且つ法を説く﹂より主功徳﹁正覚阿弥陀︑
王
法住持﹂が作られ︑不虚作住持功徳の意にもつながるのであろう︒
一︑観無量寿経の請出
い︑前訳の誤りを伝えた部分
この一極血︿の中国撰述に就いての詳細は月輪賢龍先生の﹁仏政︿の批判的研究
L
中 ︑
﹁仏典の始終﹂の第六節﹁観無量
寿町桂の検討﹂に論ぜられ﹁ここに観経作者は党文を知らぬと云う難点を留めるであろう︿一四六頁︶﹁先きには調達と
云い後には提婆達多と云うJ由来シナの作経には斯かる混用が故意にされる傾向がある︒それは一には其作経者の知
識の該博さが顕われると共に︑これは幾分その博覧を街い誇るが如き点がある︒それが逆効果となって問題化されて
来るのであるこ四七頁︶と述べてある︒
作経者には整文家も包含されるものとすれば無量寿経の訳者とてその分に洩れやす︑
平等覚経との対照は之を証して
易行 ロ聞 の無 量寿 経と その 展開
九
易行
ロ聞
の無
量寿
経と
その
展開
。
充分
であ
る︒
阿弥陀経の七宝池段に上有楼閣と云うに就いて﹁上﹂は無論﹁ほとり﹂の訓として﹁楼閣﹂を党文経は﹁宝樹﹂で
③
あっ
た︒
﹁池の岸には宝樹が生じている﹂︵チベγト訳︶にて﹁有﹂は生えている程の義である︒
かく解せば観経第六観の﹁衆宝国土一一界上︑有五百億宝楼﹂の界と上と有の関係は不可解となった︒
寿経の宝樹段に﹁諸樹の根︑茎︑枝︑条︑葉︑華︑果実は触るるに柔軟にして好呑あり︑諸樹は風の吹くとき又は
ゆるがさるる時︑微妙悦意の音を出し︑厭足なく︑聞くに不快を感ぜざるなり︒﹂が
﹁此
諸宝
樹︑
行々
相値
︑茎
々相
望︑
枝々
相準
︑葉
んベ
相向
︑華
々相
順︑
実々
相当
︑
栄色
光降
︑
不可
勝視
︑清
風時
発︑
出五音声︑微妙宮商︑自然相和﹂
と潤色された︒就中﹁行々﹂は﹁木々﹂とすべきが覚経の相承により不統一の訳語となったものである︒この不明確
がそのまま観経には
﹁此諸宝樹︑行々相当︑葉々相次︑於衆葉問︑生諸抄華︑華上自然︑有七宝果﹂
とな
った
︒
ろ︑維摩経より取材
一︑
教輿
病床に臥す維摩居士への問疾
玉城に幽閉された后井提への慰問
二︑共通の法数経句
五百
︑
八万四千
ボサツ三万二千︒文殊師利法王子
唯願世尊︒説諸ボサツ浄土之行
仏言
︑諦
聴々
三一
音思
念之
作是観者名為正観︑若他観者︑名為邪観︵見アシユグ仏日間︶
略説
法要
︑謂
無常
︑苦
無我
︑寂
滅義
︵弟
子口
問︶
念作
仏声
︑演
出無
常︑
苦空
︑無
我之
本日
︵不
思議
口問
︶
︵観
経は
水想
と宝
池と
中上
ロ聞
の三
所に
︶
︵浄
土の
体十
六心
のう
ち︶
一直心︑二深心︑三︑回向心U
至誠
心︑
深心
︑
回向
発一
願心
︒
︑サブタイトル
経の宗とすべき不思議品の旨帰は雑想観に取り入れた︒
阿弥陀仏︑神通如意︑於十方国︑変現自在︑或現大身︑満虚空中︑或現小身丈六八尺︒高楠博士の英訳の﹁十六
又は十八﹂は丈六丈八の義となる︒
印度では人身の丈を八尺とし︑仏身は尊高のあらわれとして倍数の一丈六尺︑奈良の大仏さまも始め行基ボサツ等
執行部は更にその十倍の十六丈の案を立てたが︑財力と技術の上から十丈の半数の五丈と六丈の二十分一の三尺に決
着せ
るも
のと
云う
︒
寿経
の五
悪段
﹁壁
一如
大火
焚焼
人身
J獲其福徳度世長寿泥一担之道﹂のうち﹁独作諸善﹂が
﹁名
為正
観﹂
﹁不
為衆
悪﹂
が﹁名為邪観﹂となり︑善悪正邪相対︒小経は﹁成就如是功徳荘厳﹂﹁当信是称讃不可思議功徳﹂と正と善のだけの
易行
品の
無量
寿経
とそ
の展
開