• 検索結果がありません。

山2

ドキュメント内 真宗研究23号全 (ページ 107-116)

勝土

ι

︑ 問 題

昨年の大会で︑平松令三氏が西方指南抄に関する問題点を総括された︒西方指南抄は親驚によって編集されたとす

る見方が優勢であるけれども︑またそれをくつがえすような事実も発見されているとして︑

親 親 驚 驚 編 編

述 と説 断

主 すを 定

張 るし

t

T t土

が①な

お障賭せざるをえない旨をのべられた︒わたしはかつて赤松博士の親驚転写説を批判して︑

平松氏の疑点提出をうけて再び親驚編述説を展開してみたいと思う︒

西方指南抄を親驚編とみなすために否定的材料となるものを指摘すると︑

︶ 4

︵ 1上巻︵本・末をふくむ︶中巻︵同︶の奥書がわずか一日ちがいであることの解明ができない 上巻の内題は後から訂正された痕跡があるが︑訂正前は﹁西方指南抄日Lであって︑親驚書写前に西方指南抄が (2) 

存在したことを物語っていること

︶ 内 ペ

υ︵ 法然に関する史料の︑雑然とした集成であって︑親鷺の編集とは考えられない

の三

点が

主な

もの

であ

ろう

一 一

上 巻 末 奥 書 は 追 記 で あ る

西方指南抄六巻は︑奥書に記された日付によれば︑その書写順序はきわめて不自然である︒この不自然な奥書を解

読したのは浅野教信氏の功績であった︒

それ

によ

ると

上巻・中巻・下巻本・下巻末と順次に書写され︑

つい

で上

巻・中巻がそれぞれ本巻・末巻に分冊されたとする︒この浅野説は︑原本を子細に点検した平松氏によって実証され

た︒ただ上巻︵二五

O

頁︶・中巻︵二五五頁︶が康一万元年十月十三日・同十四日とわずか一日ちがいで書写されたと

する不自然さはぬぐいえなかった︒氏は整理された史料があって︑上巻・中巻を併行して書写したであろうと推測し

ているが平松氏は疑問を同室しておられる︒親驚の上にそのような例をみないところからわたしも同様の疑問をもっと

ころ

であ

った

その後︑真蹟集成をなんどもくっているうちに気づいたことが︑不自然な日付の謎をとく手がかりとなった︒上巻

末の最終頁は︑二五

O

頁におよぶ法然上人説法事が終ったあと︑薗城寺長吏公胤夢告の記事四行を掲載している︒

かも最後の一行はいかにも小さく書かれている︒二五

O

頁もの長い説法を記し終って︑巻を改めないでなぜ説法と直

接関係のない公胤夢告の四行を加えて上巻を終ったのであろうか︒そう思って見るとこの最終頁は他の頁が六行書に

なっているのに七行である︒その前頁も七行であるが︑改めて全巻を当ってみると九二一頁の中︑七行の頁が九カ所

あった︒これはきわめて例外的といわねばならない︒いま上巻最終頁の場合七行としなければならなかった理由は何

か︒よく見ると公胤夢告を記した四行は︑説法事の部分と比べて墨色がちがう︒説法事の最後のあたりは︑数頁前か

ら墨がずい分とねばった様子で︑濃い墨色でありながら︑きわめてかすれが多い︒ところが︑公胤夢告および奥書は

再説

西方

指南

抄の

編者

につ

いて

再説

西方

指南

抄の

編者

につ

いて

あざやかな調子よい墨色を示しており説法事本文がかかれた時点で記されたものではなく︑後から追記されたこと

を物

語っ

てい

る︒

しかも濃くねばってかすれ多くなった墨色は説法事を終って筆をおくことなく︑中巻へと書きすすめられてい

る︒上巻末の奥書および中巻本の外題を記した用紙二枚を除いて︑説法事の最後の行に︑中巻の内題︑それに続く本 文を続けて一瞥するなら︑だれしも筆硯を洗うことなくそのまま書きすすめられたことを認めないではおれない明証

をみ

るで

あろ

う︒

すなわち︑その時点での親驚は二五

O

頁におよぶ長い説法事だけで上巻を結ぶつもりであった︒

また

︑上

巻を

幸一

日き

終えてその場で奥書をすることなく︑そのままの筆で中巻に書きすすんだ︒

﹂の

二点

は疑

いえ

ない

︒ そうすると︑上巻の奥書および公胤夢告はいつ︑どうして追記されたのであろうか︒奥書に十月十三日と明記され

てい

るの

だか

ら︑

日付を疑うことはないのであるが︑その日付が意味する情況はどういうものか︒二五五頁にわたる

中巻を書きおえて記した日付が十月十四日であることを起点とするならば︑中巻の書写の完了する前日のことである︒

後に詳しくのベるつもりであるが︑上巻は教義篇︑中巻は伝記篇とする構想であったと思われる︒伝記篇を二分し て︑前半は権化の人としての法然伝を︑後半には史上の法然を語る史料をかかげ︑最後に源空聖人私日記をおいて法

然の一代を概括する体裁をとっている︒

それらは年代順に配列されていて︑こまかな配慮のあることを知るのであるが︑さきの公胤夢告の記事はそのルl

ルを破っている︒公胤夢告は上人没後四年の建保四年のことであるから︑権化の人としての法然史料の最後︑国諸人

夢記の次下に配されるべきものである︒それを上巻最終頁の空白部分にやや無理をしながら追加記入しなければなら

なかったということは︑その史料が記されるべき妥当な場所が︑すでに他の史料でうめられていたことを示している︒

中巻は伝記篇という構怨であったと思うが︑伝記篇を書写し終って︑残余の史料を下巻一冊にまとめるにはややパ

ランスを失する観があって︑消息篇の一部を伝記篇に続いて中巻に収録することとしたと思われる︒おそらく消息篇

に筆をすすめ︑白二品比丘尼へ御返事を書き終えたころ︑あるいは伺名号の勝徳と本願の体用

の中

途あ

たり

で︑

公胤夢告を記した断簡が史料の中に紛れていたのを発見した︒その挿入の場所をきがしたが︑伝記篇のその年代を記

す場

所は

すで

にな

く︑

また伝記篇と消息篇との聞にも適当な空白がないので︑やむなく教義篇の末尾の空白に1

| そ

れは同時に伝記篇の官頭にもなりうる場所である||追記することとなったのであろう︒したがって一頁七行という

例外的つめこみとなったのである︒

書写は用紙を聞いたまましたであろうし︑また聞いたまま積み重ねていったであろう︒上巻から中巻へと書きすす

むときも︑書き終えた上巻をすぐ製本することなく中巻をほぼ書き終えるころまで積み重ねていたであろう︒公胤

夢告の断簡を発見追記し︑上巻に奥書していなかったことに気付いて奥書して上巻を製本したのが十月十三日であっ

たのではないか︒翌日︑中巻の白名号の勝徳:::の残りを書写︑奥書を施して製本したのではないか︑と考える︒

史料はあらかじめ分類し︑順序にしたがって配列していたであろうが︑公胤夢告の記事は一葉の断簡であるところ

から︑他の史料の聞にまぎれこんでいたのであろう︒公胤夢告が追記であること︑それを記したものが一葉の断簡で

あったというわたしの推理が支持されるなら︑転写説は大きく後退しないではおれないであろう︒

︑ 内 題 訂 正 の 問 題

上巻

内題

の﹁

上﹂

の字

が︑

はじめ﹁日﹂と書いたのを訂正したのであろうと平松氏はのべられる︒

日と

した

場合

すでに西方指南抄が存在していたこととなるが︑六巻にわたる編著を西方指南抄日として題号とすることは常識では

再説

西方

指南

抄の

編者

につ

いて

一 O

再説

西方

指南

抄の

編者

につ

いて

一 O

考えられない︒そういう疑念を残しながらも平松氏は日としか読みょうがないとのべられる︒

はた

して

そう

か︒

拡大写真でみるところでは日とした場合︑第二画の終りがはね上っていて不自然で︑むしろ﹇・向︑あるいは中の

字に思われてしかたがない︒覚信本の拡大写真では︑中のたて棒がうずくみえるようにも思えるが気のせいであろう

か︒元の字はけずりとられているそうだが︑念のため赤外線写真で確認したいものである︒

中であったとすれば説明できないことはない︒書写の順序は説法事から始めても︑構想上は伝記篇を上︑教義篇を

中としていたと考えられぬことはない︒

わたしは﹁甲しではないかとも思う︒序数甲乙丙丁の甲である︒はじめかかえた史料は個別的史料の集積されたも

ので

︑製

本さ

れた

もの

ひとまとめにくくったもの︑断簡などがあって︑かさとしては相当量のものであったと思う︒

したがって書写に入る段階では︑上中下三巻ではとても収録できる量ではなく︑少くとも五︑六巻には達するであろ

うと

予見

して

まず甲と記したのではなかろうか︒

説法事は︑漢語灯録所収の異本である逆修説法と比較してみると︑

② すでに論及したところであるから今はふれないが︑元の史料から約三分の一を省略して二五

O

頁で収録することがで かなり大巾な削除省略がある︒それについては

きた︒もし省略することなく説法の記録をすべて書写したとすると三八

O

頁から四

OO

頁くらいのものになったであ

ろ う

説法事を省略書写した時点で︑上中下で完結できそうな見通しがついて︑伝記篇は障雌附することなく中巻として書 ︒

写して行ったのではないであろうか︒

親驚が校了して二カ月の後に覚信は上巻を書写しているが︑そのとき上ではなく甲︑あるいは中の字のままであっ

たら

しい

しかしこのようなミスはありがちなのではないか︒また︑はじめ記したタイトルの一部を後から訂正しえ

ドキュメント内 真宗研究23号全 (ページ 107-116)

関連したドキュメント