謙 公譲 共
主 義
我無
観 知 見
︵﹃
清沢
満之
全集
﹄第
七巻
七二
一貝
︶ ここ では
ハザキリと真如︑無我︑万物一体︑阿弥陀仏の平等無碍の正念に立脚した仏道の精神の顕現においての
批判 が一 亦さ れて いる
︒
つまり︑超越なる働きに向き合った自己における自己の体位︑
﹁破 析﹂ の精 神|
|︑
﹁無
明の
暗鬼﹂に対する根源的照明をくぐった大慈悲の宣揚︑公共主義こそ仏道の行証であることをいう︒
その意味では︑ここにおける﹁大慈悲を宣揚する﹂︵公共主義︶!︑清沢満之の精神主義のグルンドとなるものは
先に
述べ
たよ
うに
︑
たんなる物質に対する精神というこ元主義の位置ではない︒それはどこまでも垂直線上の︿迷
悟﹀のカテゴリーであると同時に︑その垂直線が水平線上に切り結ぶ︑︿個・類﹀のカテゴリーとしての公共主義を
発揚する精神の位相にて捉えられている︒
また
︑
そこに当時の社会思想に対する満之の鋭い批判もでてくる︒まだ︑
一︑
二の
問題
点は
残さ
れる
が︑
守的
閣扇
記﹄
では
以上
問題
にし
てき
た点
が次
のよ
うに
筆致
され
てい
る︒
真如の城を後にして無明の暗鬼に迷はされ︑昏々醸々として瞭劫以来の流転の結果︑五に人界の生活を得たると
共に︑霊妙なる観想思索の智力を獲得し︑宇宙の壮観に其の疑歎を発し︑沈思冥想︑反りて万化の本源を索め︑漸
く以て其の旧里に還らんと欲するの念を起すに至れり︒鳴呼︑瞬劫の流転も悲に初めて還誠の緒に就かんとするか︒
果して然らば︑万有の進化は人聞に至りて一段の極を結び︑形体的の進化は此より転じて精神的の進化に入らんと
する
か︒
噴劫の流転その歳月決して短少にあらざりき︒還滅の進路宣また容易なるを得んや︒然も路程の遠近︑歳月の多
少は吾人の費議するを必とせざる所︑要する所は此の還滅の大事を成就せしむべき素因は其れ何物なるや︑其の進
化は如何に成就すべきゃにあり︒
鳴呼︑吾人果して霊智を具へ︑妙用を備ふるものなりや如何︒果して還滅の素因を懐有するものなりや如何︒
人生の目的は何物なりや︑吾人の心性は何物なりや︒
吾人は流転を弁識し得たるや︑吾人は還滅を認識し得たるや︒吾人は蕗に人生に在り︑行立して反観顧望すべき
にあ
らず
や︒
吾人が周囲にある万象は︑吾人を駆りて内省の事に従はしむるにあらずや︒思難や︑苦労や︑悲哀や︑沸衰や︑
清沢
満之
の精
神主
義
四 七
清沢満之の精神主義
皆な
以て
吾人
の心
一一
に求
むる
所あ
るも
のな
らず
や︒
吾人の欲望は吾人を駆りて︑宇宙の源底を探らしずや︒
吾人は絶対無限を追求せずして満足し得るものなるや︒
註①村上陽一郎著﹃近代科学と聖俗革命﹂参照
四 八
︵﹃
清沢
満之
全集
﹄第
七巻
三七
三J
三七
四頁
︶
③
渡辺
正雄
著﹃
日本
人と
近代
科学
﹂︑
近代科学の歩み﹂参照 村上陽一郎著﹃日本