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4 . 「国際的風波」に影響されない日中関係の構築

ドキュメント内 WICCD no.5色付き_1 (ページ 153-160)

 1980年代初頭における中国の外交戦略の転換を扱った先行研究は、中 国がいかに米ソとの関係調整を進めたのかについて重点的に分析してきた が、日本をプレーヤーとして扱うことはあまりなかった。しかし、先に述 べたように、米中関係と日中関係とは連動しており、米中日疑似同盟と言 われるほどに日本は重要なアクターであった。中国が対米ソ戦略を調整す る場合、日本との関係調整も自ずと必要になるというわけである。

 しかし、米中間の戦略的提携関係とは異なり、日本はソ連と向きあうた めに中国と戦略的関係をもつことを極力回避してきた。1972年の日中共 同声明に反覇権条項は入ったものの、そのとき締結を約束していた日中平 和友好条約の交渉過程において、日本は反覇権条項を盛り込むことに反対 してきたのである。それでも何とか締結できたのは、日本が「第三国条項」

の挿入を提案し、中国から同意を取り付けたからである。1970年代を通 して、中国はたとえ日本に接近したとしても、日本の「中ソバランス外交」57

に直面してしまうため、ソ連に向ける日本との戦略的関係を思い通りに構 築できないことが分かったであろう。こうした状況を前にして、中国は戦 略的調整のための第一歩として、「国際的風波」(国際情勢の変動)に影響 されない両国関係の構築を日本に呼びかけた。いわば、別の意味での「第 三国条項」に体現されることを日本に求めようとしたのである。

 趙紫陽首相は1982年5月31日から6月初めにかけて訪日して、第一回 の首脳会談で国際情勢について、以下の3点を日本側に伝え、意見交換を 行った58。第一に、対ソ関係の緊密化を急がないことを鈴木善幸首相と確 認しあった。このとき趙首相は「ソ連の覇権主義に、われわれが連合して 対抗すべきだという状況に変わりはない」として、あくまでも厳しい対ソ 姿勢を示した。また彼は、中国との関係改善を呼びかけたソ連の平和攻勢 の背後にはソ連の経済不振があるだけでなく、米国と同盟国との離反を図 ろうという意図があると指摘したうえで、「中ソ関係には基本的に変化は

ない。ソ連の指導者が中ソ関係の改善を願っていることには留意している

が、国境紛争などについてソ連が行動で示さない限り、言葉だけでは信用 できない」と述べた。これに対し、鈴木首相は「日ソ間には北方領土問題 という制約があり、関係改善は容易ではない」と述べた59。日中両国首脳 は両国の対ソ政策を確認しあった。

 第二に、米中関係と中ソ関係を切り離して対処することを日本側に伝え た。趙首相は米中関係については「多くの難しい問題が存在している」と 表現し、米国の対台湾武器売却に反発したが、「米中関係が変われば中ソ 関係が変わるわけではない」とも指摘した60

 第三に、趙は日中関係を発展させる必要性を強調しながら、「中米関係 がどう進展しようとも、中国が日本との友好協力関係を発展させていくと の方針については少しの変更もない」61という決意を再三にわたり表明し た。対台湾武器売却問題をめぐって米中関係が悪化しても、日本との関係 は重視していくという考えを明確にし、米中関係に影響されない日中関係 の構築を呼びかけたのである。6月1日、鈴木首相との会談で、趙紫陽は 日中関係が「長期的、安定的、国際的風波に影響されない」ものであるべ きだと提起した62

 当時、中国はソ連の拡張主義に対する警戒心が解けず、依然として厳し い対ソ認識をもっており、米国とも「台湾問題」という主権にかかわる問 題をめぐって真正面から対立していた。このように複雑に展開する大国間 ゲームの中におかれた中国は、対日関係を最も安定的に発展させたいと期 待したことだろう。中国は米中関係と中ソ関係の連動を切り離すだけでな く、米中関係と日中関係の連動もまた切り離そうとする姿勢を、国際社会 に向けて明示したのである。

独立自主政策と「不結盟」

IV

 中国は対米依存からの脱却、ソ連を主要敵とする桎梏からの解放、そし て日本との安定的な関係の構築などそれぞれ戦略的調整を行ってきた。こ のような調整を経て、胡耀邦総書記は、1982年9月に開かれた第12回党 大会の政治報告の第5部で「独立自主の対外政策を堅持する」という報告 を行った。1984年5月、鄧小平はこの独立自主外交政策を正真正銘の「不 結盟」であるとまとめた63。その後、独立自主の「不結盟」政策は今日に

至るまで正式な外交政策の基本路線として表明されることになる。

 なぜ、中国はいかなる国家あるいは国家集団とも同盟を結ぼうとしない のか。本論の分析から、以下の点が明らかになった。第一に、バンドワゴ ン論理に基づいて同盟を結んだ場合は、弱者が強者に不平等感を強いられ る恐れがある。第二に、勢力均衡論理に基づいて同盟あるいは戦略的提携 関係を結んだ場合は、弱者が強者のカードにされてしまう恐れがある。第 三に、上述のいずれの場合においても、主要敵を立てることが前提となる ため、かえって自国の外交的余地が狭められてしまう恐れがある。

 ここで、中国の外交戦略的調整の結果打ち出された「独立自主政策」が 何を意味するのかについてもう一度確認しておきたい。

 第一に、大国に依存しない政策である。胡耀邦総書記は政治報告のなか で、次のように語った。「建国以来33年間、中国はいかなる大国あるいは 国家集団にも決して依存せず、またいかなる大国の圧力にも決して屈服し ないということを、われわれは実際の行動で全世界に示してきた」64と。

鄧小平は党大会の開会式で次のように述べた。「独立自主、自力更生は、

過去、現在、将来を問わずわれわれの立脚点そのものである」、「いかなる 外国であっても中国を従属させようと望んではならないし、中国が自身の 利益を犠牲にするような要求をのむと期待してもならない」)」と65。これ らの発言は、今後中国の外交戦略として、米ソのような大国と同盟を締結 したり、戦略的提携関係を作り上げたりすることは基本的にないという決 意表明に近いものだろう。

 第二に、諸外国をカードとして利用することもなければ、彼らからその ように利用されることもないという政策でもある。中ソ同盟では経済・技 術分野から軍事方面に至るまでソ連に大きく依存していたために、ソ連に カードとして利用され、国内政治にまで干渉されたと中国は認識した。ま た米国との間に作り上げた戦略的提携関係においても、弱みを握られ、対 ソ戦略をカードとして切られ、さらには台湾問題をめぐって中国の利益が 脅かされたと中国は考えた。1982年8月21日、鄧小平は、訪中した国連 事務総長ペレス・デクエヤル(Javier Perez de Cuellar)を前に、冗談交 じりに「私個人はブリッジをやるのが好きですが、中国は政治のトランプ をする[カードをする]のが好きではない」と述べた。翌日、黄華外相は 会見で、「中国はいかなる大国にも従属しない。中国は米国カードを切っ てソ連に対応することもなく、ソ連カードを切って米国に対応することも

なく、誰からもカードとして利用されることを決して許さない」と述べ

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 第三に、主要敵を立てずに外交を展開するという特徴がある。従来の対 外戦略は、中ソ同盟の時代であっても、米中戦略的提携の時代であっても、

主要敵を立てて、それに対応するために第三国との関係を構築してきた。

ここには、敵の友は敵であるという論理が働いており、一方の陣営に組み すれば、他の陣営もしくは他の国家との対立もまた不可避になるのである。

1982年の戦略的調整によって、米中関係の調整が中ソ関係の進展を引き 起こし、さらに中ソ関係の調整が、米中関係に進展をもたらすという循環 がみられた。主要敵を立てないことによって、相対立するはずの超大国を 相手に同時に関係改善をはかることが可能となったのである。それは冷戦 に対する認識の昇華であり、二極構造のなかで、中国は独立自主的行動を とることのできるある種超然とした外交上の地位を獲得したといえるだろ う67。独立自主外交は、1980年代末の中ソ関係の正常化をもたらすこと にもなったし、ポスト冷戦期における外交の起点にもなった。

 確かに、中国は独立自主「不結盟」政策に依拠することで、大国に翻弄 される状況からうまく脱出したかにみえる。しかし、これは同時に大国間 政治から身を引くことでもあった。1980年代の中国は大国といえるほど の地位にはおらず、あくまでも発展途上国として経済発展をひたすら重視 する姿勢を貫いてきたのである。

 しかし、中国は経済発展に伴い、大国化していく。このような状況を前 にして、国際社会の認識が変化し、中国脅威論が登場したのは1990年代 前半のことである。このころから中国は外交政策の中心に、国家及び国家 集団とのパートナーシップ関係の構築を位置づけるようになる。パート ナーシップは「疑いなく、同盟でも敵対でもない提携関係として定義され る新たな国家間関係であり、冷戦終結以前の同盟・敵対・対立といった関 係と区別される」といわれる68。だが、これは細かな内容までを含めた定 義としては不十分だろう。中国政府はパートナーシップ関係について、「四 不一全」、即ち、「不結盟、不孤立、不対抗、不針対第三国[同盟を結ばず、

孤立せず、対抗せず、第三国に向けられるものでもない]、全方位外交を 行う」という表現を公式に使うことが多い。

 言い換えれば、現在の中国外交は、依然として同盟の教訓を生かしてお り、他の国とは、明らかに同盟と異なる、あくまでもゆるやかな友好関係

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