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二つの期待

ドキュメント内 WICCD no.5色付き_1 (ページ 93-96)

―中国革命と戦争をめぐる秩序設計―

5. 二つの期待

 なぜ、中共はこれほどまでにモスクワへの接近をアピールしたのだろう か。彼らがソ連から得ようとしたものを、ここでも大きく二つに分けて考 察してみよう。

 第一は、経済援助である。劉少奇は、ミコヤンに次のように話している。

「我々にとっての移行期は新民主主義諸国よりも長く、ソ連と新民主主義 諸国からの援助があってはじめて、我が国はうまく社会主義に変容できる。

この援助には、三種類ありうる」。そこで劉があげたものは、まず「経験 の伝達」、次に「文献、教科書、技術的情報の提供」、最後は「設備設置の ための借款と金銭的融資の提供、経済的相互援助の実現」だった45。彼は「解

放中国における産業基盤の形成は、ソ連邦と新民主主義諸国からの援助な

しでは考えられない。この援助は、我々にとって決定的な役割を果たすは ずである」とも語っている46。このように、中共にとって経済建設の分野 でソ連からの援助を引き出すことは、重大な目標であった。ただし、毛沢 東は3億ドルの借款が必要だとしながらも、無償援助ではなく「将来中国 が支払うことのできる利子に見合って、返済する借款を求めている」とい う但し書きをつけていた47

 彼らにとっては、ソ連や東欧諸国と通商関係をつくり上げることもまた 重要な課題であった。毛はいう。「我々[将来の連合政府]は、ソ連邦、

新民主主義諸国と[通商]条約を締結した」い。「最初、通商はソ連、人 民民主主義諸国とのあいだで実施されるが、当該諸国に不要な場合に限っ て、資本主義諸国にも輸出をする」48。任弼時もまたミコヤンにこう語っ た。「解放区はすべての輸出商品をソ連と人民民主主義諸国に送るが、自 分たちの必需品と引き換えにして、資本主義諸国に提供するつもりはな い」49

 第二に、中共がソ連から得ようとしたものは、新しい戦争にそなえた軍 事プレゼンスであった。ここでは、その論理を順序だてて、整理していこ う。まず、毛沢東は対外政策の諸原則を13項目かかげたが、最初に「諸 大国を挑発しないようにして、独立の方針をとる」ことを挙げた。そして、

第10項目で「米国人に占拠されている青島基地を包囲し、彼らと周辺領 土との関係を一切断絶し、軍事行動をとらずして米国人を退去させる」と しながらも、つづけて「米国人が秩序を乱したり、軍や当局に抵抗したり、

それらを鎮圧するときには、いかなる場合でも武力行使は不可欠である」

と断言した50

 慎重な姿勢をとりながらも、毛は最終的な反撃の余地だけは残していた。

実際、彼は「満洲」を攻撃されて、新しい戦争が起こるというシナリオを 描いていたようである。会談記録をみよう。「新疆を経由して、中国の鉄 道とソビエトの鉄道を統合する鉄道は建設すべきかどうかという問題点を 毛沢東が取り上げ、任弼時はそれを強く支持した。これは新しい戦争が起 こったときに共同防衛をするのに大きな意味を持つだろう」。「そのような 戦争においては、当然中国はソ連と同じ側に立つだろう。もし満洲が攻撃 されたときには、戦闘に立っている中国軍への物資供給にとって、その鉄 道が重要な通路となるだろう」51

 毛はこのように語りながら、日本や米国との新たな戦争にそなえて、ソ 連軍のプレゼンスが大きな意味をもつことを確認した。「中国は、ソ連か らの援助なしに自力で自衛するには弱いため、ソ連邦が日本ファシズムか ら中国を防衛するために旅順口に来たのである。ソ連は帝国主義的勢力と してではなく、全般的な利益を擁護する社会主義勢力として中長鉄道と旅 順口に来たのであ」る。「米帝国主義は、抑圧するために中国にいる……。

中国が強くなり、日本の危険に対して自衛できるようになれば、そのとき には旅順口の基地にソ連邦がいる必要はなくなる」52。さらに「毛沢東と[中 共]政治局員は、ほぼ同時にこう話した。いまソビエト軍は遼東から撤退 すべきではないし、旅順軍港を廃止すべきでもない。というのは、そうす ることで我々は米国を増長させることになるだけだからだ」53

 毛は、新しい中ソ同盟を急いでつくろうとしたわけではなかった。むし ろ既存の中ソ同盟を部分的にせよ、評価していた。彼はこう語る。「彼ら[中 共]は、蔣介石の条約を全廃することは求めていない。なぜなら、そのな かには愛国主義的性格をもったものも含まれているからである」。例えば、

「中長鉄道と旅順口に関する中ソ協定」などである54。毛は、旅順口に関 する協定が「不平等な」ものだとは考えておらず、当面この条約を維持し てもよいと表明していた。「中国国内で政治的抵抗がなくなり、人民が外 国資本を没収するための攻撃に動員されるようになってから、またソビエ ト連邦からの援助を《我々がきちんと受けるようになって》はじめて条約 は改正できる」。「中国人民はこの条約に関してソ連邦に感謝している。我々 が強くなれば、そのときに《貴殿は中国から去り》、我々はソビエト−ポー ランド条約と同様の相互援助条約を中ソ間で締結することになる」55。  ソ連軍のプレゼンスを期待する毛にとって、アジアの革命をヨーロッパ から切りはなすことは望ましくなかった。彼は、「インドシナ、タイ、フィ リピン、インドネシア、ビルマ、インド、マレー、朝鮮の各共産党とは関 係を維持している」ものの、「インドシナ・朝鮮の両共産党との関係が最 も緊密であり、残りのものとの関係はかなり弱い」と語った。また「日本 共産党とは、総じて無関係である」から、「このような条件下にヨーロッ パの共産党情報局[コミンフォルム]と同様のアジア諸国の共産党情報局 を組織するのは時期尚早である」。「我が軍が華南を制しはじめ、我々[中共]

の立場が強化されたときに、この問題を再びとり上げることができよ」う。

「最初は、すべてのアジア諸国の代表ではなく、一部の国、例えば、中国、

朝鮮、インドシナ、フィリピンの共産党代表から情報局を構成するのが目

的にかなっている」56。毛はこのように語り、ヨーロッパとアジアで革命 を分業することに消極的な姿勢をみせた。

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