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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報13 (ページ 197-200)

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武家屋敷跡第4地 5(54)

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越基鷲 り

21 四谷一丁 目遺跡 D14号遺構

26 南町遺跡21号遺構

図113 武家屋敷跡 第4地点 出土玩具 と各地 の玩具 Fig l13 Clay ottectS frOm BK4 and other sites

お面 としては顔 の左右端部 に穿孔 を施 し、紐 を通せ るようにした形 の もの もあ り、 こち らは実際かぶせ ることの 可能 な形態であるが、本例 の場合 は、かぶせ るとい うより飾 り物的 に何かに括 りつけることを目的 とした もので あろう。

西行法師 は土人形の元祖 とも考 えられている京都 の伏見人形の初期か らみ られ るモチーフで、腰痛封 じや盗難 除 けとして用い られた とい う。他地域 での西行法師の例 をみると(図

112‑16〜

18)、 座 るもの と立つ ものがあ り、

傘 をかぶ るもの とはず して持つ ものがある。18は首 を別 に作 り体部 にはめ込んでいるものである。本遺跡 の出土 例では、座形 の もののみである。堤焼 の伝世品に西行法師 を象った瓦質の香炉や鉄釉の水滴があるが (東北歴史

資料館1995)、 それ らも座形であ り、仙台周辺では座形が卓越す る傾向が指摘で きよう。

88‑17に

み られ る「庄子」の文字 は、堤人形 との関連 を示す もの として注 目され る。庄子姓 は18世紀後半の 堤人形の二人 にみ られ、伝世す る型 の外側 に姓名 を刻んだ例が知 られている。17の文字 は型の内側 に陰刻 した も の とみ られ、仙台市博物館蔵の本出保治郎 コレクシ ョンのなかに収 め られている堤人形 の伝世品「和藤内」の背 面 に、同様 の方法 による良 く似 た字形の「庄子や」の文字がある (杉山晋作 ほか1996p43の76)。

 

土製玩具

土製玩具では、 うつわ もの以外で実際遊 んだ と推定で きるのは、鈴、碁石 と面子、箱庭道具の多層塔・ 民家 。 屋根、可能性 のあるもの として石垣か もしれない方形囲

Aや

、竃か もしれない方形囲

Bや

C、 水滴か もしれない 額縁?く らいの もので、鈴 を除 けば各々

1点

のみか多 くて も

4点

しか出上 していない。今回の調査 区でみる限 り では、土製玩具の主体 はうつわ もの と鈴であるといえる。

うつわ ものには多様 な器種が認 め られた。 白色胎上で西 日本産 とみ られる図

88‑77は

型作 りの うつわの可能性 があ り、図

113‑7も

型作 りとみ られ るほかは、すべて椛幅 を用いて作 られている。京都 。大阪や江戸 の遺跡で は、

小型の碗皿や茶釜な どに型 を用いた もの (図123‑23・ 24・ 29・32・33など

)が

一定量認 め られ るの とは異 なった 様相 を示 している。

碗類 は高台 を環状ではな く中実の円柱状 に作 っている。 このような形態の ものはい まの ところ他地域での例 を 知 らない。二 の丸跡第

9地

点15号土坑の出土例 には高台のない もの と円柱状 の ものがあ り、高台 は作 らないか中 実円柱状 に作 るのが地域的な特徴 と言 えそうである。

器台

Bは

類例 を知 らないが、器台

Aに

類す るものは江戸で も数遺跡 に見出す ことがで きる。図■3に

2点

の例 を 示 した (25。

26)が

、法量や細部形態 には多様性があ り、その性格 について も盃台・ 器台や花器 な どとされてお り、い まだ定説 と呼べ るものはない ようである。江戸遺跡の出土例では、 これ らは白色 の胎土で陶器質、施釉で 緑釉 による文様が施 されてお り、京都系 とされるものが多いが、本遺跡の例 は白色胎上ではな く褐色の もののみ で、それ らを模 した在地産であると考 えられ る。

また、壼や茶釜 に鉄釉で円形文や楓文 な どを施文するものが数点出上 してお り、 これ まで仙台城では出土例 の ない もので注 目され る。

5b層

18号土坑、

2号

池埋±

3b層

の出土で、概ね18世紀後葉以降の もの と考 えられる。

釉薬で草花や円形文の施文 された例 としては、先述 の器台 (図■3‑25。

26)や

図113‑28の皿、29の銚子 な どが あ り、 それ らとの関連が想定で きる。当地点の例 は形態やカキメを多用す る点な どで特徴的であ り、胎土か らみ て も在地産の可能性が高い と考 えられ ることか ら、上記の ような緑釉 の製品 を意識 して在地で生産 された ものな のであろう。

最 も多 く出土 した鈴 は、二の丸跡で も比較的 よ く出土す るものである。比較的整 った球形の ものが多 く、法量 は多様であるが形態 は斉一的である。鈴 は各地の例 をみると意外 と多様性があるものであ り、森瀬雅介 ほか1977 には堤人形の現代 の製品 として玉鈴 と呼 ばれ る整 った球形の ものが紹介 されてお り、仙台では比較的球形 を志向 す る伝統があるかのようである。

その他の玩具で は、先述のようにいわゆる面子の類がほ とん ど無 く、江戸で流行 した円柱状で各種 の文様 を型

打ち した泥面子 は全 く認 められない ことが特徴的である。箱庭道具の多層塔の出土 は仙台城周辺で は初 めてでカ リ、19世紀 には箱庭遊びが行われていた ことを示す もの として注 目される。

 

小結

以上大雑把で はあるが本遺跡出上の上人形 。土製玩具 について検討 してみた。二 の丸地 区にはみ られない多様 性 と出土量が武家屋敷 としての本地点の第一の特徴である。各地の もの と比較 してみる と、意匠や器種 には流行 が反映 されているとみえて共通す るものが多い ことに気づ く。明 らかに西 日本的である白色胎上の ものもわずか に含 まれ るが、表現のスタイルや器形 においては地域的な特徴 を有するものが多 く認 められることも明 らかであ る。江戸中期か らの人形産地 として知 られ る堤人形 と関連付 けられる要素 も有 してお り、今後仙台周辺での生産 の様相 を明 らかにしてい くうえで重要な資料 となるものである。

8。 ま とめ

今 回の調査では、二の丸北方の武家屋敷地1143m2の発掘が行われ、仙台藩の武家屋敷の考古学的な解明が進ル だ。調査の結果、建物跡、柱列、溝、池、土坑、畑の耕作跡 な ど多様 な遺構が多数、複雑 に重な りあって検出さ れた。 また、整地、盛土 などの基礎地業 も度々行われてお り、遺構相互の関係 はきわめて複雑 になっていた。調 査資料 を整理 し、遺構 と検出層、検 出面の関係、建物遺構 の配置、方位、建物の柱間、重複遺構の新旧関係 を詐 細 に検討 し、 また、陶磁器 な ど出土遺物 の年代 な どを入念 に検討 した結果、多数の検 出遺構、特 に建物群 の変遷 を

Ia期

か らⅡ

b3期

まで大別

2期

、細別

6期

で捉 えることがで きた。I期と

H期

の間 には、建物柱間に1間 t

5寸

か ら

6尺 3寸

への変化が認 められた。 この武家屋敷が造成、整備 されたI期の始 まりは、

1号

濤出土の阿 磁器 によって17世紀初頭 まで遡 ることが確認 された。 また、

H期

の開始 は、

2号

池 出土遺物か ら、17世紀末頃 と 推定 した。

H期

の詳細 な変遷 は、建物 の方位 と重複関係、配置、出土遺物 を検討 して決定 した。 また、発掘区の 遺構群 を仙台城下絵図 と対比 させ ることによって、 この武家屋敷の区画、居住藩士名 を確定す ることがで きた。

検 出 した遺構群 は、1つの屋敷地 の西半 にあた り、 ほぼ同規模、類似 した構造、配置の建物が建て替 え続 けら れた ことが明 らかにされた。

I期

には地鎮 を行 った遺構が

3個

所で検 出されている。 その埋納銅銭か ら年代がほ ぼ確定 し、 その祭祀行為の内容 を具体的 に捉 えることがで きた。

Ib期

には多 くの建物跡が検出され、 この屋表 の基本的な建物構成 をよく示 してい る。建物 は南北棟が主であ り、その構造か ら、敷地の西側の建物群 を構成す るもので、主屋群 は東 よりにあると考 え られ る。

Ha期

には池状遺構 も造成 され、屋敷地の基本形態がほぼ形づ

くられ、その後幕末 まで改修、改築が繰 り返 されていった ことが明 らかになった。

今回の調査で、多種多様 な遺物が出土 した。ことに陶磁器や土器 については、江戸初期の内容が明 らかにされ、

その編年基準資料が確保 された。 また、 その後 の陶磁器類 の様式推移 について も良好な資料がえられ、二の丸跡 出土資料 とあわせて検討すると、江戸時代 を通 じて使用陶磁器 の変遷 を詳細 に捉 えることがで きるようになった。

さらに陶器、磁器類 の供給関係の推移、東北地方の供給窯の推移 について も検討 を力日え、福島県岸窯系陶器の編 年な どについて も新たな知見 を提示す ることがで きた。磁器では、切込焼 の三彩皿が出土 してお り、仙台藩の上・

中級藩士層が、 この地方窯 に親 しんでいた ことも明 らかにされた。

この遺跡か らの出土遺物 には、化粧・ 装身具、文具、武具、武器、玩具、生活用具、什器、祭祀具、仏器、あ るいは茶器、喫煙具 といった藩士の生活 にむすびつ くあらゆる物質文化がみ られ、二の丸跡の出土資料 に比べる と、 それぞれの遺物の量が少な く、画一性 に乏 しいが、藩士の上・ 中階層の生活内容 を具体的に捉 えることがで きた。 ことに、生活什器、祭祀・ 仏器、 あるいは茶器 な どの陶磁器、土器類 について、器種の組み合わせ、使用 量、産地、扱 い方な ど、また、時代 による推移 を詳細 に解明で きた。この ことは、本調査の重要な成果 といえる。

土器類 では、土師質土器皿 の様相が、二の丸地区 と顕著 に異なってお り、本屋敷地では「かわ らけ」 を使用 し た饗宴が、二の丸地区 と比べ ると格段 に少なかった ことを示 している。 また、土人形・ 土製玩具 は、 これまでの

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報13 (ページ 197-200)