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図
29
武家屋敷跡第4地点江戸時代 II a期 の遺構 141Fig 29 Features belonging tO Edo period(phase II a)at BK4(4)
│
以下の断面図 に対応する平面図は図30 柱
1 9号
建物跡│
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柱 2
1
2
3
4
5
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26号建物跡柱10い ◎
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8号建 物 跡
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25号建物跡
D
4
フ び 牧
:19号・20号柱列
部分が中庭 にかか るため確実でないが、北側 の東西方向の建物の南 に南北方向の建物が連接す る可能性がある。
北側 は南北
2間
以上、東西5間
で、西端か ら2間
の ところにも柱筋が通 る。南側 は東西2間
である。方向はN―
10.5°一W。 柱
9が
、23号柱列の柱1に切 られている。【25号建物跡】(図29。 30、 図版12)
C〜 G‑3〜 5区
で検出された南北棟で、桁行5間
、梁行2間
の総柱建物である。柱間寸法は 6尺3寸
。8号
建物跡・26号建物跡 と位置が重なるが、直接の切 り合い関係がないため、前後関係は不明である。方向はN‑7°
一 W。 柱穴の深 さは、70cm前
後。【26号建物跡】(図29・ 30、 図版12)
E〜 I‑2〜 4区
で検出された南北棟で、桁行6間
以上、梁行3間
の建物である。東桁から1間 の ところにも 柱筋が通 る。8号
建物跡に切 られる。柱間寸法は6尺 3寸
で、方向はN‑7° W。
柱穴の深さは、60cm前
後。【
8号
柱列】(図28、 図版14)A・
B‑10〜
12区で検出した東西方向の柱列で、方向はN‑15° 一Eと
他 と大 きく異なる。一辺60〜80cmの
方形 の柱穴で、 この点 も他 と異なる。柱列をつなぐように溝がのびており、一連の遺構である可能性がある。 この溝 は、間が17号土坑 と試掘区で壊 されているため確実ではないが、C‑8・ 9区
で検出された22号溝 と方向が一致 するため、22号溝の一部 とも考 えられる。検出した範囲の西側2間
分は、柱間寸法が6尺 3寸
で、東側 に6尺
3 寸を 1間 とした半間の ところに柱がある。 この柱間寸法か ら、建物跡の一部を構成する可能性 も考えられる。【19号柱列】(図 30)
H〜 I‑2・ 3区
で検出した南北方向の柱列で、6間
分を検出。柱間寸法は5尺 2寸
で、方向はN‑9°
一W。【20号柱列】(図30、 図版15)
G〜 I‑2区
で検出した南北方向にのびる柱列で、4間
分を検出した。柱間寸法は8尺
で、方向はN‑14° 一W。柱穴の深さは、
100cm前
後あり、極めて深い。【21号柱列】(図26、 図版15)
2号
池のす ぐ東側のC〜 E‑14・
15区で検出した南北方向の柱列で、3間
分 を検出した。4号
石敷溝に切 られ ている。柱間寸法は6尺 3寸
で、あるいは建物跡の一部を構成するものかも知れない。方向はN‑10.5°一W。【22号柱列】(図 26)
A〜 C‑14・
15区で検出した南北方向の柱列で2間
分を検出した。2号
池 と一部切 り合 うが、切 り合い関係は 良 くつかめていない。方向から当期 と考 えた。柱間寸法は8尺
で、方向はN‑13° 一Wで
ある。【23号桂列】(図 29)
中庭北側の
D‑6〜 9区
で検出した東西方向の柱列で、4間
分 を検出した。柱間寸法は6尺3寸
で、建物跡の 一部を構成する可能性がある。方向はN‑15.5°一W。 柱1が
、24号建物跡の柱 9を 切っている。【10号溝】(図28、 図版21)
A・
B‑7〜 9区
で検出した溝で、東端付近では鍵の手状にまが り、西側は緩 く屈曲している。場所によって 異なるが、上幅70〜 120cm、 下幅25〜 90cm、 深さは深いところで20cmで
ある。5a層
の下から掘 り込 まれてお り、当期に合めたが、
I期
に遡 る可能性 も残 っている。【
H号
清】(図30、 図版22)E‑5区
で検出した東西方向の溝で、長さ1.3m分
を検出しただけである。南側 に川原石が並べ られている。幅 は30〜50cmで
、ごく浅い。方向はN‑19° 一Wで
ある。5b層
上面掘 り込みの可能性が高いため、当期 に含めた。【22号溝】(図 28)
C‑8・ 9区
で検出した東西方向の溝で、さらに西側の8号
柱列をつな ぐ溝 と、一連の溝 となる可能性がある。上幅45cm、 下幅30cm、 深さ
20cmで
、方向はN‑15° 一Wと
、他の遺構 とは大 きく異なる。【
4号
石敷溝】(図26、 図版24)2号
池のす ぐ東側 のB〜
D‑14・15区で検 出 した もので、南北方向の幅30〜40cmの
浅 い溝 の中に礫が入 ってい る。南端で、西側 に少 し屈曲す る。南端付近では、Ib期
の33号建物跡柱5の上面 まで礫が敷かれている。南北 の長 さは5,7mで
、方向はN‑9° W。
21号柱列 を切 ってお り、Hb2期
の6号
柱列 に切 られている。【15号土坑】(図29、 図版28)
F・
G‑7・ 8区
で検 出された土坑である。18世紀代 の大堀相馬産陶器が出土 してお り、なおかつ5a層
の下か ら掘 り込 まれていることか ら、当期 の遺構 と判断 した。【24号土坑】(図26、 図版29)
A・
B‑15区
の2号
池底面で検 出 した不整楕円形 の上坑である。Ib期
の32号・33号建物跡 を壊 していること か ら当期 に入れたが、2号
池 との関係が問題である。あるいはIb期
に含 め、その最後の段階 と考 えるべ きか も 知れない。しか し、この上坑 は確認面か らの深 さが65cmあ
り、Ib期
の遺構であるとす ると、本来 の掘 り込み面 か らの深 さはlmを
越 えることとな り、疑間が残 る。2号
池 に付随す る施設 と考 えるべ きか も知れない。③
Hbl期
の遺構遺構 の方向が
N‑2〜
3.5°一Eと
、前段階 とは逆 に東 に振れる時期である。建物跡4棟
、柱列2ない し5列
があ る。調査 区中央南側 には、3棟
の建物跡 と柱列1列が、近接 して存在す る。 この建物跡 とした ものは、L字
形 に 柱が展開す るもので、建物 に付随 した施設か もしれない。他の建物跡・柱列 も比較的小規模 な ものである。【
7号
建物跡】(図32、 図版10)G・
H‑7〜
10区で検 出された、柱がL字
形 に並ぶ ものである。東西方向で8聞
分、南北方向は1間分 を検出 した。柱穴 に沿 うように濤が掘 られてお り、一連の施設 と考 えられ るが、一度溝 を埋 めてか ら柱穴が掘 られてい る。柱間寸法 は4尺
で、建物 よりは塀 の柱間寸法 に近 い。建物 に付随 し屈曲す る塀 のような施設か も知れない。方向はN‑2.5°一
Eで
ある。【19号建物跡】(図 33)
A・
B‑9〜
■区で検 出された建物跡で、東西3間
、南北2間
以上である。柱間寸法 は6尺 3寸
で、方向はN―
3.5°一
Eで
ある。【20号建物跡】(図32、 図版12)
F〜 H‑5〜 8区
で検 出された、柱がL字
形 に並ぶ ものである。東西10間、南北1間分 を検 出 した。柱穴 をつ ないで清が掘 られてお り、一連 の施設 と考 えられ る。東端 はHb3期
の18号土坑 に壊 されているが、 これ より先 にのびていた痕跡が無 い。柱間寸法 は3尺 6寸
。7号
建物跡同様、建物 に付随す る塀の ような施設の可能性 もあ る。方向はN‑3°
一Eで
ある。【21号建物跡】(図 32)
G・
H‑8〜
10区で検出された、柱がL字
形に並ぶものである。東西5間
、南北 1間 分 を検出した。東西方向 の柱筋は、7号
建物跡 とほぼ重な り、 これに切 られている。柱間寸法は5尺 2寸
。 これ も建物に付随し屈曲する 塀のような施設の可含PLが
ある。方向はN‑2°
一Eで
ある。【17号柱列】(図32、 図版15)
H・
I‑6〜 9区
で検出した東西方向の柱列で、6間
分 を検出した。北側に存在する19・ 20・ 21号建物跡 と、ほぼ平行 して並んでいる。柱間寸法が
6尺 3寸
であるため、建物跡の一部 を構成する可能性 もある。方向はN一
2.5°一E。 柱穴が比較的大 きいことが特徴である。
【18号柱列】(図34、 図版15)
A・
B‑4〜 6区
で検出した東西方向の柱列である。中2間
分の柱間寸法は 6尺3寸
で、その両側 は6尺 3寸 を 1間 とした半間の間隔である。このことから、この柱列か ら北側に展開する建物跡の一部である可能性が高い。ヽ∞
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図
31
武家屋敷跡第4地点江戸時代Ⅱ bl期遺構配置図 Fig 31 Distribution Of features belonging tO Edo period (phase XI bl)at BK40 1om
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◎猷 保 持れ
0 鵜 章章 身廃 身 寒 勝 鉗 範 試 ⑨ 俄 ^る ③ 生 二 璃 ハ ヘ ③
騨 鉾 ε C
│
A B
C D○ 獲剰劾
21号建物跡
F 7号建物跡 11 土坑
10YR5/3 にぶい黄褐色 シル ト 粘性極弱 。しま りやや強 褐 色 ンル ト・ 黄褐色 シル トまだ らに含 む 明黄褐色土粒・ 炭化物 。 小亜角礫少量含 む
10YR4/4 褐色 シル ト 粘性中 。しまりやや弱 にぶい黄褐色 シル ト・ 黄褐色砂質 シル トまだ らに含む 炭化物・ 小亜角礫少量 含 む
54 8rn
3 10YR4/3 にぶい黄褐色 シル ト 粘性中 。しまりやや弱 黄褐 色〜褐色 ブロック上部 に含 む 酸化鉄・小亜角礫少量含む
4 10YR4/4 褐色 粘土質 シル ト 粘性中 。しまりやや弱 にぶい
黄褐色粘土質 シル ト・ 明黄褐色 シル トまだ らに含む 底部 に小亜 角礫少量含む
10YR4/3 にぶい黄褐色 シル ト 粘性無 。しまり中 褐色 シル トまだ らにまじりあう 小角礫・ 亜角礫・ 黒色土粒少量含む 10YR5/4 にぶい黄褐色 粘土質 シル ト 粘性やや強・ しまりや や弱 褐色 シル ト・褐色砂質 シル トブロック含む 暗褐色土粒少 量含む10YR4/3 にぶい黄褐色 シル ト 粘性極弱 。しまり中 黄褐色 シル ト粒・ 白色粒子・小亜角礫多量含む
10YR4/6 褐色 シル ト 粘 陛無 。しまり中 にぶい黄褐色 シル トまだ らに含む 小亜角礫少量含 む
10YR4/3 にぶい黄褐色 シル ト 粘性極弱・ しまり中 褐色 シ ル トまだ らに含む 炭化物・ 小亜角礫少量含む
17号柱列柱3
21号 土
22号土坑
O―
21号建物跡
第
20号建物跡柱
6ド上
548m10YR4/4 褐 色 シル ト 粘 性 中 。し ま り中 黄褐色 シル ト・ にぶい黄褐色 シル トブロック含 む 焼土・ 酸化鉄少量含 む 礫含む 炭化物多 量含む10YR4/6褐色 シル ト 粘 性 中 。し ま り中 暗褐色 シル ト・ 褐色砂 質 シル トまだ らに含 む 炭化物・ 円礫少量含む
10YR4/6 褐色 砂質 シル ト 粘 性無 。しまり 中 炭化物少量含む
為
︵ ∞
︒浴し
548m
l 10YR4/4 褐色 シル ト 粘性無・ しまり中 黄褐色 シ ル トまだ らに含む 炭化物・ 小礫少量含む
2 10YR4/2 灰黄褐色 シル ト 粘性極弱 。しま り中 小
礫多量含む
3 10YR5/4 にぶい黄褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 。しま り中 黒褐色 シル トプロック含 む 炭化物少量含む
4 10YR4/4 褐色 シル ト 粘 性極弱 。しまり中 褐色 シ ル ト・ 暗褐色粘土質 シル ト多量含む 小礫・炭化物少量 含む
図
32
武家屋敷跡第4地点江戸時代H bl期の遺構 (1)Fig 32 Features belonging to Edo period(phase II bl)at BK4(1) 20号建物跡
17号柱列